Side.緑谷出久
今現在、僕らは更衣室にいた。
救助レースの後、制服に着替えるところなんだけど……
「見ろよこの穴ショーシャンク! 恐らく諸先輩方が頑張ったんだろう……隣はそう、わかるだろ!? 女子更衣室!」
「峰田君やめたまえ! 覗きは立派な犯罪行為だ!」
「オイラのリトルミネタはもう立派なバンザイ行為なんだよォォ!」
どうやら壁に空いている覗き穴らしきものを見つけた峰田君がエキサイトしている。あの向こうにある光景を見たくて仕方ないんだろう……というか見る気満々だ。
「据え膳食わぬは男の恥って言うだろォ!? ここまで用意が整ってて、後は俺達に求められてるのは勇気だけなんだよ! 一歩踏み出す勇気こそが夢をかなえる魔法なんだよ!」
「いい感じに言っても性犯罪だってば……そろそろホントに捕まるよ峰田君」
今にも覗き込みそうな峰田君を後ろから羽交い絞めにするように……というか、峰田君小さいから持ちあげるような形になって確保する。じたばた暴れるなあ……執念凄い。
「放せよ緑谷ァ! お前も男ならわかるだろ! 何をしてでも見たいと思うだろ女子の柔肌をよォ!? 仕方ねえんだよ、男って生き物はそういう風にできてんだよォ!? 無意識だろうと何だろうと欲望で体が動いて女という存在を見たいと、欲しいと思っちまうんだよォ!」
峰田君にそう言われて……僕の中で、何か、心がちくりとしたような感触があった。
いや、そりゃ僕だって男だし、興味なくはないけど……でもダメだよ、覗きは……
栄陽院さん……麗日さんや梅雨ちゃん、芦戸さんに八百万さん、耳郎さんに葉隠さん……約1名、肌は見えないのが混ざってるけど……それでも……
(そんなの、見るのも、他の人に見られるのも……っ……何だ、この感じ……また、心の中に、何か……!)
ちくっとした感じだけじゃない……何か、今峰田君が言ったことに、ひっかかるようなものがあった気がする……。本当になんなんだ、僕、一体心の中で何をどう感じて、どう思ってるんだ!?
これって……この感触って……少なくとも、ヒーローが持つような……
(そうだ、今僕、飯田君みたいな、峰田君がいけないことをやろうとしてるのを止めようっていう気持ちよりも……この壁の向こうを見せたくないっていう気持ちがむしろ……!?)
なんてことを考えてたら、ため息交じりに瀬呂君の声が聞こえて、
「……あのさ、その辺にしねえ? 峰田そろそろ黙れって……俺も男だからわからなくはないけどさ……さっきからちくちく常闇にダメージ入ってんだよ」
「……無意識に、欲望で、見たいと……違う、俺は、決してわざとでは……!」
「しっかりしろ常闇、わかってる、お前がそんな奴じゃないって皆わかってっから!」
うずくまる常闇君と、必死で励ます砂藤君のコンビを見て『えっ!?』と驚いてしまった。なんか流れ弾が余計な被害を出してる!?
そして僕の力が緩んだその一瞬の隙間に、『隙ありぃ!』と峰田君が抜け出して壁の穴に駆け寄る。
「八百万のヤオヨロッパイ! 芦戸の腰つき! 葉隠の浮かぶ下着! 栄陽院のダイナマイト! 麗日のうららかボディに、蛙吹の意外おっぱああぁァアア―――」
そして、穴の向こうから飛来した耳郎さんのイヤホンジャックが峰田君の目に直撃。
そこからの爆音コンボで、彼はあえなく散った。
「あーあ、言わんこっちゃねえ……壁一枚しか間にねえんだから、そりゃ聞こえてるだろうよ」
「自業自得だな、峰田君!」
「……深淵を覗き込む時、深淵もまた自分を覗き込んでいるのだ」
最後の常闇君の言葉がまだちょっと苦しげだな、と思いながら……僕は着替えに戻った。
……さっき、何をどこまで考えたっけか……わかんなくなっちゃったな。
☆☆☆
「全く、なんていやらしい……すぐに塞いでしまいましょう」
「ホントに懲りないね、峰田の奴!」
「……ウチだけ、何も言われてなかったな……」
何か最後の耳郎のセリフに悲しい感情がこもってた気がしたけど、まあスルーして。
八百万が作り出した壁材を塗りたくって、簡易的に壁の穴をふさぐ。これ後で先生とかに報告したほうがいいよな……塞いだのを事後報告になっちゃうけど、やむを得まい。
「声聞こえて来た感じ……飯田と緑谷が止めてくれてたみたいだったな。緑谷は物理的にも止めてたようだったし」
「2人とも真面目だもんね。緑谷は……単にヘタレだから、そういうの自体する度胸がないのかもしれないけど」
「ああ、ちょっとわかる……失礼だけどわかっちゃう」
覗かれる心配もなくなったので、そんな感じの軽口を交わしながら、着替えを再開。
なお、緑谷がヘタレ云々の話になったところで、麗日がちょっともの言いたげな顔になっていたように見えたのを……私と、多分、梅雨ちゃんだけが見ていた。
その直前、緑谷が褒められてた時は、嬉しそうにしてたし……これはやっぱり……
「しっかし男って生き物は……覗きに痴漢に盗撮、毎度毎度、人生棒に振るリスク犯してまでそんなくだらんことやるなよって話だよ……」
元・男のTS女子である私がこういうこと言うとアレかもしれないが……ぶっちゃけもう精神的にはほぼ女なので、心からこう思ってます。見つかったら破滅だってわかってるだろうに、わざわざ穴やカメラの向こうの肌色や下着の色に執着してみようとする神経がわからん。
勘だけど多分コレ……私が男だった頃にも思ってたんじゃないかな? 性欲があるのは理解できるが、情熱の注ぎどころとして理解できないというか、そんな感覚がある。
「けろ? その言い方……ひょっとして永久ちゃん、そういうのに遭ったことあるの?」
「……割とね。自分で言うのもなんだけど、こんなのが2つ胸についてると……うん」
「うげ、大丈夫なのそれ? 酷いことされたりとかなかった?」
梅雨ちゃんの指摘を肯定すると、耳郎や、他の女の子達もぎょっとしていた。あ、なんか心配してくれてるっぽいけど……ちょっと好奇心も混じってるな、ちょっとだけ。
前にもちらっと言った気がするけど、電車に乗れば割と頻繁にそういうのあるし。
すぐ降りるなら無視してもそれまでだけど、中にはエスカレートして服の中に手、入れようとするようなのもいるから注意が必要。
「いや、そんななんでもないことみたいに……だ、大丈夫なん!? それやられたことあんねやろ!?」
「うん、抵抗しないと見るや調子に乗ってね……流石にそういう、狙ってやってると明らかにわかるようなのは、手首外して鉄警とかに引き渡してるけど」
「言い方が手馴れてる奴のそれだ……っていうか、手首外すの?」
「外す。正当防衛」
「けろ、ちょっと過剰だと思うわ……女の敵ではあるから、同情はしないけど」
「こ、怖いものですわね、電車というのは……私、幸いにして、いつも車で送迎してもらっていますので、そういうのに遭ったことはないですが……」
「あー……ヤオモモのスタイルなら、狙ってくる奴いそうだよねえ」
葉隠の言葉に、ちょっと怖いことを想像したのか、八百万が『ひぃ!?』と怯えていた。
多分だけど、今私が話した経験談であるところの、何も抵抗しないと調子に乗って服に手を入れてきたり、下着を抜き取ろうとしたり、硬いモノを押し付けてきたり、体ごと密着してこようとしたりするようなのを想像してしまったんだと……
「待て待て待て、最初の以外聞いてないから! そんなヤバい奴出くわしたことあんの!? 栄陽院ホント大丈夫だったのあんた!?」
「ヤオモモ、大丈夫、あくまで例えばの話! え、ノンフィクションだろうって? そうだけど、そうそういるもんじゃないってそんなレベルの高い変態! ほら、ゆっくり息を吸って、吐いて……はい、落ち着いて落ち着いて……」
「あかん、永久ちゃんの話、純粋培養のお嬢様には刺激強いわ」
「……そういうのに出くわした時の対処法とかも一緒に教えた方がよかった?」
「そういう問題ちゃう! ……ちなみに、対処法って?」
「ええっと……大声出す、手首をひねり上げる、そのまま手首を外す、関節技を決める、静脈を押さえて意識を落とす、手近に何か鈍器になりそうなものを探して……」
「3つ目あたりから雲行きが怪しくなっとる」
「ちなみに『証拠あるのかよ!』ってしらばっくれるケースが多いから、事前にスマホとかで証拠映像撮った上で捕まえると後が楽。駅について逃げ出そうとする場合は、引っ張り倒して電車のドアのレーンの所に首が来るように押さえつけて、耳元で『ドアが閉まりまーす』って言ってやると泣いて許しを乞うて認める場合が多……」
「それは流石にあかんよ!?」
「けろ、被害者と加害者が逆転してるわね」
☆☆☆
一方その頃、男子更衣室。
さっき耳郎にノックアウトされた峰田を含め、実はまだ何人かの男子が着替えが終わっておらず……壁の向こうから聞こえてくる話――主に永久の口から語られる、卑猥なシチュエーションやら痴漢の体験談やら――に、全員言葉を失っていた。
八百万だけでなく、思春期男子にとっても、彼女がその口で語るそれらの話は刺激が強かった。
「栄陽院……普段からハプニング体質なんだな」
「痴漢に襲われる栄陽院……怖くて抵抗できない八百万……やべえ、想像したら……」
「この向こうに……この壁の向こうに、まだ栄陽院と八百万が……理想郷の光景が……!」
「峰田、穴はもう塞がったんだからあきらめろ。というか次はホントに殺されるぞ」
そのほぼ全員が、ある一部分の変形が済むまで、座ってこの部屋で待っている最中なわけだが……緑谷出久も、その1人だった。
彼の場合、もう何度も栄陽院の肌を、ハプニングも含めて間近で見て、なんなら触れてすらいるため、脳裏に浮かんだその光景は余計に生々しかった。
そしてしかし、興奮する以上に……心に浮かんできた感情は、どこか黒く淀んだものだった、ように感じられた。
ヒーローとして、不届き者の痴漢に義憤を覚えるでもなく、思春期の男子らしく桃色の煩悩を覚えてしまうでもなく……一番に湧きあがってきたその感情に、緑谷は戸惑っていた。
(……これ、って……!)
さっきの救助レースと、今の壁越しの声。
それらを聞いて、前々から自分の中にあったその感情を……立て続けに感じたことで、緑谷はその正体をようやく理解していた。
それは、かつて彼の心の中に、いつもあったものだった。
むしろ彼にとっては、慣れ親しんだ感情だ。形が若干変わってしまったがために、今まで気づかなかったが、これは……
(嫉妬……だ……!)
かつて、緑谷出久は『無個性』だった。
幼馴染や友人たち、学校の先生や、家で母親が……そして何より、テレビやパソコンの画面の向こうでヒーローが使う『個性』。
それが、自分にはない。
ずっと、うらやましかった。
ずっと、欲しいと思っていた。
今でこそ、『ワン・フォー・オール』という素晴らしい個性を受け継ぐことができたものの……それまでに感じてきた、最早どす黒いと言える領域にあったあの思いは、今でも忘れられない。
そして今、緑谷は、今自分の中にあるこの感情が……あの時感じていたそれと同じだと理解した。
ただし、今度自分が『うらやましい』『欲しい』と思っているのは、『個性』ではない。
今、自分が欲しているのは……いや、欲しいというより、他人に渡したくないと思っているのは……他人と仲がよさそうにしているだけで、他人が何かふしだらなことをしているのを見たり、そういう話を聞くだけで、不快感を覚えてしまうのは……
(僕は……『欲しい』と思ってるのか? 栄陽院、さんを……)
これが、恋愛感情から来るものならいい。年頃の高校生にあって当然の、正常な感覚だ。
好きな女子が、自分以外の男子と仲よさそうにしていたり、ちやほやされたりしているのを見たら、面白くないし、不安になるだろう。他の誰かと付き合ってしまうんじゃないかと。
だが、もし……もしも、これが、もっと別な……後ろ暗い欲望から来ているのだとしたら。
そんなことはない。考えたこともない。ない……とは思うが……もしも、そうだとしたら。
(そんなの、そんなの……ヒーローの考えることじゃ……!)
まだ、彼にその区別はつかない。そうするには、彼には、経験が少なすぎた。
緑谷は、思いがけず自分の中に見つけてしまったどす黒い感情『かもしれないもの』の存在に、怯えて震えそうになるのを必死でこらえながら、着替えて更衣室を後にした。
呼び出されていたオールマイトに会いに行くのは、教室で、少し気持ちを落ち着けてからにしようと決めた。
その後、教室に戻った緑谷は……『嫉妬』という感情自体にはもともと慣れていたのもあって、ある程度落ち着きを取り戻していた。
単に、それを向ける対象が……今まで自分が大切に思っていた、永久だったことに戸惑って、困惑が大きくなっていたのだ。
教室では、麗日など何人かの友人に、どこかオドオドしている印象を持たれたものの、もともとそういうところがある性格だったこともあって……緑谷の異変にはっきりと気付いた者は、結局いなかった。
生徒を見る目には確かなものを持っている相澤や、その後に仮眠室で会ったオールマイトさえも、『少し落ち込んでるな』くらいにしか思えなかった。
そしてそれは、過酷なカリキュラムをこなす雄英生にはよくあることだったため……少なくとも今すぐに、何か起こったと、誰も思いはしなかったのだ。
…………ただ1人をのぞいて。
Q.何で緑谷、普通にっていうか素直に『恋愛感情』だっていう結論に行かないの? ここまで来て。
A.理由は主に3つです。
①恋愛経験というか、異性との交流経験が皆無に等しい。
②永久の普段の対応とかアプローチが普通の男女の距離感からぶっ飛びすぎてる。
③発想の元になった永久の話のシチュエーションが割とブラック方向に酷い。
このせいで緑谷の発想とか自覚が変な方向にねじれました。
さー果たしてこの後どんな感じになって、最終的にどういうところに行きつくやら……。
次回、あるいはその次辺りをお楽しみに(たぶんね)。