TSから始まるヒロインアカデミア   作:破戒僧

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第85話 TS少女と新たなる目覚め

 

 オーバーホールの『個性』の大規模発動により、他のメンバーと分断されてしまった緑谷は、足を止めることなく、ひたすら走っていた。

 

 通路どころか壁も床も天井も滅茶苦茶になっている。加えて、キュレーターが仕掛けた自爆装置の影響もあってあちらこちらで破壊が起こり、最早この船の寿命は長くないことは明らかだった。

 もう一刻の猶予もないであろう中……緑谷の足取りに迷いはない。

 

 出発前、大まかに頭に叩き込んだ船の見取り図――この船そのもののではなく、同型の船のそれをナイトアイから提供されていた――も最早役に立たないが、緑谷は何かに導かれるように、時に直進し、時に角を曲がり、時に道がないところで壁をぶち抜いて進む。

 

 否……実際に導かれているのだ。

 先程から聞こえる、謎の声によって。

 

(マンダレイの『テレパス』じゃない……けどコレは間違いなく、マンダレイの『心の声』だ。それだけじゃない、洸汰君や、活真君や真幌ちゃんのも……はっきりじゃなくおぼろげに『感じ取れる』だけだけど、それでも……居場所がわかるなら問題ない!)

 

 ノンストップで走り続け……ふいに停まる。

 そこで、緑谷は何もない通路の壁に手をついて……何かを確かめるように目を閉じる。

 

 そして、その壁目掛けて拳を振りかぶり……

 

 

「SMAAAAAASH!!」

 

 

 突き出した拳……その衝撃は、金属や木材、コンクリートや断熱材などを等しく粉砕しながら壁を貫通し、その向こう側に広がっていた広大な空間を緑谷の目の前にさらけ出させた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 その部屋はまるで、造船ドックのような作りになっていた。

 多数の小型クルーザーやジェットスキーを格納しておくためのスペースだ。この船自体は沖合に停泊させておいて、陸地に秘密裏に上陸するための小型艇の保管庫、ということだろう。

 

 もっとも、それらの小型艇は……脱出を防止するためか、自爆装置の作動と同時に破壊されるようになっていたらしく、全てスクラップ同然になっている。動きそうなものは1つもない。

 

 しかも、船の発着設備という関係上、設備の一部は水を通して、水路として外海と繋がるようになっているため、どうやらその分底の部分が脆かったらしい。水を通すどころではなく、完全に浸水してしまっている。猛烈な勢いで、設備の数々が、いや部屋そのものが沈んでいって、水に飲み込まれつつあった。

 

 キュレーターによる自爆装置の影響というか、破壊による被害を大きく受けているのだろう。そこは、今にも部屋全体が崩れ落ちるか、あるいはその前に水没してしまいそうな空間だった。

 

 その部屋の……水面と天井部の中腹のあたりに、マンダレイと子供たちはいた。

 

 マンダレイと洸太、真幌と活真の4人は、滅茶苦茶にされた船内を、通れる通路を選んでとにかく足を止めずに走り続けた。走りすぎて足が、脇腹が痛くなっても、足を止めれば死んでしまうとわかっていたから、全員必死で走り続けた。

 

 マンダレイも、ヒーローと言えどさすがに子供3人を抱えて走ったり動くのは難しいし、そもそも彼女は先の戦闘での負傷に加え、少ないとは言えない量の血を流して消耗していた。万全とは言えない体調で、無理をして動いている彼女にも、そういう意味でも最早残された時間は少ない。

 

 ほとんど役に立たないことは察していながらも、マンダレイは必死で頭の中から船の見取り図を引っ張り出して、どうにか外へ通じる通路へ出ようと4人で走り続けたが、その果てに行きついてしまったのはこの部屋だった。

 

 確かに外には通じているが、それは水中を通じてだ。それ以外の通路は全て崩れるか、水没してしまっていて実質使えない。

 だが、今から別のルートを探していては確実に間に合わない。

 

 どうにかならないか、とマンダレイは部屋を見渡し……開閉式の天井が一部破損して夜空が見えていることに気づいた。あそこまで登れば、外には出られる。あとは……海に飛び込むなりして、崩落からひとまず逃れられれば救助されるのを待てば……と。

 

 意を決してマンダレイは、洸汰達にそれを説明し……ハリウッド映画も真っ青な、崩落しかけている部屋の無事な通路を渡っての脱出を試みる。

 子供たちも、最初は『怖い』『そんなの無理だ』と首を横に振ったが、それしか助かる道はないと説得し……注意深く、しかし急いで歩みを進めていく。

 

 壁沿いの作業用通路や、ゴンドラを思わせる昇降機、そのローブを伝って……あるいは壁に張り巡らされている配管の上を渡って、少しずつ、確実に、どうにか出口へ近づいて行く。

 

 しかし、そんな頑張りも空しく……何度目かの大きな揺れが起こった際、先へ続く道が全て壊れて閉ざされてしまう。配管は外れ、通路は固定具ごと引きちぎれ……全て水の底へ吸い込まれて行った。

 

「ま、マンダレイ、道が……!」

 

「大丈夫! 慌てないで、落ち着いて……まだ、まだどこか使えるルートがあるはず……」

 

 そう言って見渡して探すも……使えそうな脱出ルートは見つからない。

 ないわけではない。まだいくつか配管などは残されているし、そこを伝って、あるいはボルダリングのように足場にして登っていけば出ることはできそうだ。

 

 しかしそれが可能なのは、大人である自分だけだろう……それも、体調が万全でない今の自分では、決して簡単には行けなさそうである。

 1人でも不安な道のりだ……子供たちを、例え1人ずつでも抱えて登るのは無理だろうし、時間が足りない。そもそも、それまで全ての足場が持つはずもない。

 

 ぎり、と奥歯を噛みしめて表情を歪ませるマンダレイを見て、子供たちは幼いながらも、最悪の状況を頭によぎらせる。目の端に涙が浮かんできてしまうのも仕方のないことだった。

 

「ね、ねえ……どこ!? どこを行けば助かるの!?」

 

「っ……それは……」

 

「ねえ……ねえ! あなたヒーローなんでしょ! 助かるって、大丈夫だって言ったじゃない! 嫌……こんなの嫌! お願い……助けて! 助けてよ! こんなところで死ぬなんて嫌!」

 

 マンダレイの、一部が千切れたスカートに縋りつくように、涙を流しながら問いかける真幌。

 

 その後ろでは、どうしていいかわからずに、しゃくりあげるばかりの活真が、姉とマンダレイの顔、洸汰の顔や、崩れた道をあちこち繰り返し見ている。

 まるで、どこを行けば助かるかの答えを探しているように。どこを見ても、答えなど書いてあるはずもないのに。

 

 そんな中、真幌はふいにはっとしたような顔になり、

 

「罰があたったの……!?」

 

「えっ?」

 

「ヒーローなんか嫌いだって、そんなこと言ったから罰があたったの? 私が悪いの? だから助からないの……ねえ……そうなの?」

 

 真幌がそう呟き……彼女の心の内を知っている2人……活真と洸太は、こちらもはっとする。

 

 ヒーローが危険な仕事であることを、彼女は知っている。時に危険な場所へ赴いて、自分の身を、命を危険にさらして人を助けなければいけない。時に凶悪な『敵』と、命を懸けて戦わなければいけない。

 彼女はそんなヒーローという職業にあこがれてはいなかったし……弟である活真があこがれていることも、将来ヒーローになりたがっていることもよく思ってはいなかった。

 

 それがきっかけで洸汰と仲良くなったわけだが……マンダレイはそれを知らない。

 

 ゆえに言っていることもよくはわからないが、これだけは言うことができた。

 

「そんなことない……あなたが悪いなんてこと、何一つないわ」

 

「でも……こんな……」

 

「大丈夫……大丈夫! 必ず、必ず助けてみせるから……私の、命に代えても!」

 

「……っ! そんなこと言うなよ、マンダレイ!」

 

 その瞬間、はっとしたように反応した洸汰が、先程の真幌に倍する大きさの声で言った。

 聞いていた面々は突然のことに戸惑うが、構わず洸汰は続ける。単に気にするような余裕がないのであろうが、それ以上に……今のマンダレイの言葉は、彼の心の琴線に触れていた。

 

「言うなよ……命に代えてとか、そんなこと言わないでよ! 誰かのために犠牲になるとか……そのためにマンダレイが、ヒーローが死ぬとか……もうやだよ!」

 

「洸太……」

 

「洸太、あんた……!?」

 

 洸汰の叫びに、マンダレイはその激情の根源を察したのはもちろん……詳しくは事情を聴いていなかった真幌と、何も言わないが活真も、何となくだが、彼の原点にあるものを察した。

 その答え合わせになるように……感情そのままに、洸汰は口から言葉を紡ぐ。

 

「……わかってるんだ……ヒーローが嫌いとか、個性なんてくだらないとか……そんなこと言ったって意味ないって、そんなことわかってるんだ! パパとママは、『ウォーターホース』は、皆を守るために戦ったんだって、そうしたかっただけなんだって、悪いのはヴィランだってのもわかってるけど……それでも、だからってパパとママが死んだことがよかったみたいに言われたの、納得もできなくて……でも何をどうしたらいいのかもわかんなくて……!」

 

「洸……太……!」

 

「わかんないからって全部ヒーローとか個性とかのせいにして……俺がバカだってのもわかってるけど、それでもこれだけは言える……俺、もうそんなのやだよ! マンダレイに死んでほしくないよ! もう……俺を置いていかないでよ! ヒーローのことバカにするのやめるから、もう八つ当たりしないから……何でもするから死なないで、死ぬなんて言わないでよぉ!」

 

 未だ心の傷が残る従甥にこんなことを言わせてしまったと、マンダレイは涙を流して懇願する洸汰を前に……自分の未熟さ、無力さを嘆く。

 いくら普段生意気にしていても、強気そうでも……彼はまだ子供なのだ、大人が守ってやらなければいけない存在なのだと、改めて痛感し、理解していた。

 

 そして……自分に最早、それだけの力がないことも、同時に。

 

 しかし、天は彼女を見放してはいなかった。

 あの通路で……オーバーホールらを前に、洸汰達を守れない自分の無力を嘆きながら、心の声で叫んで助けを求め……それに呼応して起こった、1つの奇跡。わかるはずのない場所を探り当てて駆けつけた、1人の若きヒーロー。

 

 その奇跡が……再び起ころうとしていた。

 

 

「SMAAAAAASH!!」

 

 

 聞き覚えのある声と共に、背後の……丁度4人が通ってきた位置の壁が吹き飛んだ。

 

 はっとして振り返ったマンダレイ達は、そこに空いた風穴から飛び出してきた緑谷の姿を見る。同時に緑谷もまた、マンダレイ達を見つけて顔をほころばせた。

 

「マンダレイ! 洸汰君達も……」

 

「デク君!」

 

「み、みど……!」

 

「うわぁぁぁん、たす、助けてぇ―――!」

 

 驚くマンダレイに……その彼女の隣に寄り添う洸汰。マンダレイの、そして自分達の命の危機に、どうしていいかわからずいたところに光明が差したからか、その目からは涙が零れ落ちていた。

 そして、それ以上の勢いで泣いている真幌と活真も。

 

 事態を把握した緑谷が動こうとすると同時に、マンダレイが声を上げる。

 

「デク君! 君が来たその通路……外にはつながっている!?」

 

「いえ、ずっと僕も中で……ルートまではわかりません! 途中のルートはオーバーホールが弄っちゃったし、必ずとは……」

 

「なら上を見て! 開閉扉の一部が変形して隙間になっているの! あそこまで行けばひとまず、外には出られるはず……後は救助艇に引き上げてもらえば、海に飛び込んででも……」

 

「ま、マンダレイ!」

 

 その時、洸汰が悲鳴を上げ……その、マンダレイが今まさに言って示していた天井の隙間を指さした。

 

 見ると、船体そのものが崩れて変形していく影響でか、ギギギギギギ……という破滅的な音と共に、隙間を形作る2枚の金属扉が変形していき、折り重なるようになって……今まであった隙間が、なくなってしまった。

 

「……! そんな……」

 

 愕然とするマンダレイ。今まさに、最後の希望が摘み取られてしまった。

 加勢が来て、助かるかと思った矢先に……あまりにも残酷な仕打ちに、崩れ落ちそうになる。

 

 しかし、同じようにそれを見ていた緑谷は、素早くその周囲を確認し……何も言わず、その場から大きく跳躍する。

 ガァン! と音を立てて勢いよく足場を蹴り、壁や配管を次々に蹴って、あっという間に部屋を駆け上っていき……先程まで『隙間』があったところに近づいて行く。

 そしてその直前で、よりしっかりした壁を足場に選んで強く蹴り、勢いをつけて回転しながら……2枚の鉄扉が重なっている場所目掛けて、拳を叩きつけた。

 

「カリフォルニア……スマッシュ!!」

 

 ガゴォン! と、思わず耳を塞ぎたくなるような激しい音が響き……その衝撃に、重なっていた2枚の金属板が離れて、先程よりも大きな隙間ができた。

 

「……すごい……!」

 

 今しがた自分達を襲った悲劇を、いともたやすく解決してしまった緑谷の姿に、そしてその所業に、活真は涙すら止めて見入っていた。洸汰と真幌も、程度は違えど似たようなものだ。

 

 しかし緑谷は、苦々し気な表情をして……壁に丁度ある突起部分に上手く着地して言う。

 

「だめだ……あれじゃまたすぐ塞がる」

 

 緑谷の言う通り、変形そのものが進んでいるせいだろう、今緑谷が殴って作った隙間も、徐々に塞がってきていた。あれでは、マンダレイ達が登りきる前にまた塞がってしまうだろう。

 

「そんな……無理なの!?」

 

「大丈夫、何とかなるよ!」

 

「どうやって!? また穴開けても、塞がっちゃうんじゃ……」

 

 真幌の悲鳴のような言葉が響くが、デクは……務めて笑顔を浮かべたまま、力強く応える。

 

「だったらもっと強く殴ればいい。ちょっとやそっとじゃ塞がらないくらいの大きな穴をあけて……その瞬間にみんなで一気に通れば……100%の力なら、行けるはず……!」

 

「待って! デク君、100%って、もしかして体育祭で見せた……アレは、反動で君の腕が壊れてしまうような技でしょう!?」

 

 マンダレイがはっとして言い、それを聞いた洸汰達も驚いて彼を見るが……緑谷は、否定することはなかったが、それでも表情を変えることはない。

 

 既にその目は覚悟を決めた目になっていて、それを前提に、今取るべき最善手を模索している。周囲の壁の状況を見て、4人を助けるためのルートや運び方を考えていた。

 

(100%の力なら、簡単には塞げない穴を開けられるけど、それも船自体が崩壊に近づけば塞がって……というより意味がなくなってしまう可能性が高い。崩落とかで……可能な限り早くそこを通って抜け出せるようにしないと。そのためには、マンダレイ達をあらかじめここまで連れてきてから穴を開けた方がいい。マンダレイは独力で登れそうだけど、残りの3人は無理だろう……背負って登って、このあたりの比較的しっかりした足場で待機させて……っ!?)

 

 しかし、お得意の思考(大急ぎ)の最中に、緑谷は衝撃の光景を見る。

 今さっきまで自分がいた足場……すなわち、マンダレイ達がまだいる足場の下部から、バキン、バキン、と破砕音が聞こえて……ボルトが何本も飛んでいるのだ。

 それが意味するところは、支えの欠落である。そうなれば当然……

 

(まずい!)

 

 反射的に緑谷は彼女達の元を目掛けて跳び……それと同時に、がくん、とマンダレイ達のいる足場が傾いて……その瞬間、ようやくマンダレイ達は異常を察知した。

 

「なっ……!?」

 

「「うわああぁぁああ!?」」

 

「きゃああぁぁあぁあ!!」

 

 パニックになって悲鳴を上げる子供達を、マンダレイはどうにか抱えてかばおうと、落下する直前に全員を抱き寄せ……それをさらに、間一髪間に合った緑谷が全員抱え上げ、別の無事な足場に押し込むように着地させた。

 しかしすぐにその足場も傾きだし……

 

「皆! 僕に捕まって!」

 

 緑谷は壁と一体化していて簡単には崩れないであろう部分を見極め、左手でそれをつかむ。そして右手で、最も力が弱いであろう活真と真幌の服を力いっぱいつかみ……その腕を、洸汰とマンダレイがつかんだ。もちろん、活真と真幌も、2人の側からも緑谷の腕や体、コスチュームの端などをつかんでいる。

 

 内3人が子供とはいえ、一気に4人分の体重を支えることとなった左腕に負担が重くのしかかるが、常時許容上限30%の『フルカウル』で強化した腕力と握力はそう簡単にはへばらない。

 

 しかし……捕まっている方の突起、ないし壁はそう上手くはいかないようだ。

 頑丈そうな場所を見極めたとはいえ、元となる壁そのもの、なんなら部屋そのものが崩れかけているせいで、いつ壊れてもおかしくない。危機的状況は継続していた。

 

 腕一本、身一つで4人の命を支えている緑谷は、必死で頭を巡らせる。

 

(この状態から誰1人落とすことなく、駆け上がってあの金属扉をぶち破る……幸いというか、一塊になれてるんだし、このまま跳べば……いやダメだ! つかんでる2人はともかく、マンダレイと洸汰君は振り落としてしまうかもしれない! それ以前にちょうどいい足場がない……きっちり蹴って踏ん張れなきゃ、100%の力でも……そもそも、その後きちんと蹴って外に出るには、そこにも足場がいるんだ! それも探さなきゃ……でも、時間が……もうこの壁がもたない……!)

 

 そんな彼を下から見ていたマンダレイは……順に、不安がる洸汰を、怯える真幌を、目をきつく閉じて恐怖が去るのを待つ活真を見て……口を真一文字に結ぶ。

 

 そしてなぜか、片腕だけで緑谷にしがみつく状態を取ると、腰に着けている小さなポーチに手を入れ、何かを取り出す。

 見た目は大きめの金属性の楕円形の輪か何かのように見えるそれは、山岳救助の等の際に、ロープなどと組み合わせて体や荷物の固定に使う、カラビナと呼ばれる道具だった。

 

 それをいくつか単体で使い……洸汰や真幌、活真の服の一部を緑谷のヒーローコスチュームのベルトなど、頑丈な部分に固定する。多少激しく動いても、彼らが振り落とされたりすることのないように。

 

 何かしているのに気づいた緑谷や、洸汰達が、説明を求めるように不思議そうな視線をマンダレイに向ける。その目に移った彼女は……この状況に似合わない、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 その表情を見て、そしてその表情の裏に隠された『感情』を感じ取って……緑谷は、強烈に嫌な予感が頭をよぎり、問いただそうと口を開こうとする。

 

 しかしそれより先に、マンダレイは口を開いた。

 

「緑谷君……これで多分、あなたが多少激しく動いても、洸汰達が振り落とされることはないわ。特別製のカラビナだから……そこらの拘束具より頑丈だから。身軽になったら、どうにか皆を逃がして……お願いよ」

 

「身軽……? マンダレイ? 何を……」

 

「……真幌ちゃんと、活真君だった? ごめんね、怖い思いをさせて……おばさん、ヒーローなのに……最後まで(・・・・)、ちっとも頼りにならなくてさ」

 

「え……!? 最後、って……」

 

「ま、マンダレイ……さん?」

 

 マンダレイの口からつづられる言葉の数々に……緑谷のみならず、真幌も活真も不吉な予感しかしない。そして、最後に……その筆頭であろう洸汰に、マンダレイの視線が向いた。

 

「洸太……」

 

「ま、マンダレイ……?」

 

 聖母のような優しい表情のまま、マンダレイは洸汰の頬に手をやって……力なく笑う。

 

「ごめんなさいね、洸汰……ふがいないおばさんで……頼りないヒーローで……。わかってたことではあるけど……結局私じゃ、あなたのパパとママの代わりにはなれなかった。苦しんでるあなたの本心に、心の叫びに、気付いてあげることも、何かしてあげることもできなかった……」

 

 それでも、とマンダレイは続けた。

 やめて、それ以上言わないで、と目で訴える洸汰を無視して、続けた。

 

「どれだけ時間がかかってもいい、どんな形でもいい。ヒーローが嫌いでもいい、『個性』が嫌いでもいい……あなたが悪いことなんて何一つない。だから、どんな形でもいい、どうか幸せになって…………私のことは、忘れて」

 

 そして、

 

「マンダレイ!?」

 

「ダメです、そんな……やめてマンダレイ!」

 

 洸汰の悲鳴と、緑谷の制止を無視して、

 

 

 

「…………さよなら」

 

 

 

 その手を放し、目を閉じて、落ちていった。

 二度と上がって来れない、水の底へ。船の残骸と冷たい海水が混ざり合った、地獄へ。

 

 

 

「やだああああああああああああ!!」

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

(何だ、コレ?)

 

 恥ずかし気もなく涙を流す洸汰の悲鳴を聞きながら、人1人分軽くなった感触をその身で感じながら……緑谷は、まるで『死に際の集中力』のように、ゆっくりを時間が流れる中にいた。

 

(何だ、コレ? ……何だ、コレ!?)

 

 目の前で、ゆっくりと……マンダレイが落ちていく。

 水没した部屋を下へ下へ、仄暗い水面目掛けて落ちていく。

 

 自分の最後の役目として、緑谷にかかる重量を、大人1人分軽くして……その分を自分が、地獄に持っていく覚悟を胸に持って。

 

 あと3秒もすれば、マンダレイの体は着水し、水面を突き破って沈んでいくだろう。

 

 マンダレイはケガと失血で、体調は万全には程遠い。とても泳いで生還するだけの力はない。

 

 まして、今この船が『沈んでいる』最中だというのが問題だった。

 船などの巨大な物体が沈んでいく際、それに伴って海中に向かって水の流れができる。それに巻き込まれると、周囲にいる人やあるものもまた、引きずり込まれるように海の底に流される。

 沈む船から逃げる時は、泳ぐにしろボートに乗るにしろ、とにかく一刻も早く船から離れることが重要だと、緑谷は何かで読んで知っていた。

 

 すなわち、ここで水中に落ちれば、体力も残されていないマンダレイは……そのまま海底まで船と一緒に引きずり込まれていく未来しかない。

 

(ダメだ……ダメだ! そんなこと!)

 

 あってはいけない。そんな未来を許容してはいけない。

 そうわかってはいるが、ならばどうすればいい?

 

 飛び込んで助ける? 不可能。いくら緑谷の身体能力が高くても、そこまでの大きな水流に、人1人……いや、子供達も合わせて4人抱えて抗うのは難しいだろう。そもそも子供達への負担が大きすぎる。

 

 着水前に助ける? 不可能。跳躍を繰り返してそうできればよいが、ちょうどいい足場がない。そもそも落下のスピードに間に合わない。

 

 あれも、これも……0.1秒と経っていない短時間の間に、いくつもの手を考えて……しかしそのどれもが不可能だとわかってしまう。

 不可能だと、もう救えないと、余計に残酷な現実が浮き彫りになってしまう。

 

 ヒーローとて神ならざる身。できることもあれば、できないこともある。それは、かのNo.1ヒーローであっても同じことだ。時には、自分が救えない現実に直面し、涙して、後悔して、心に傷を負って……それでも、それを乗り越えていくことこそ重要なんじゃないのか。

 

 マンダレイが、命を捨てる覚悟で託してくれたものを……確実に助けること。

 それこそが今、自分にできることなんじゃないか。彼女が安心して行けるように、自分がすべきことなんじゃないか。

 

 そんな考えが、緑谷の頭に浮かんで……

 

 

(……ふざけるな!)

 

 

 ……一瞬にして、はじけ飛んだ。

 

 

 

(そんなヒーローを、僕は目指したわけじゃないだろうが!)

 

 

 

 ―――ドクン

 

 

 

 どれだけの苦境でも、どれだけ絶体絶命でも、ヒーローが人を助けることを諦めていいはずがない。助ける前から助けないことを考えていいはずがない。

 難しいからなんだ、託されたからどうした。普通なら諦める状況だから何だって言うんだ。

 そんなものは、最後の最後まで死に物狂いで頑張って、その後考えればいいことだ。

 

(僕が目指すのは、全てを救う最高のヒーローだ! 絶対、最後の最後まで……諦めるもんか!)

 

 

 ―――ドクン!

 

 

(マンダレイを見捨てて、洸汰君が悲しくないはずがない! それがわかってる以上、見捨てるなんてことはできない! しない! 全員助けて、皆で無事に帰るんだ! そのために……僕にできることがあるなら何だってやる! 考えろ……考えろ! どうすればいい!?)

 

 

 ―――ドクン!!

 

 

 ―――ドクン!!!

 

 

 そして、その瞬間……

 緑谷出久の体の中で……新たな何かが、目覚めの時を迎えた。

 

 

「ああああぁああああぁっ!!!」

 

 

 ―――ギュン!! ガシィッ!!

 

 

 一瞬だった。

 それは、一瞬のうちに起こって……マンダレイを助けていた。

 

 緑谷の腕からあふれ出した、暗い緑色のオーラのような何か。

 それが、紐状に長く伸びて……今まさに着水しそうになっていたマンダレイを絡め捕っていた。

 

「……え……?」

 

 何が起こったかわからず、きょとんとするマンダレイ。

 落下の衝撃と冷たい水の感触を覚悟していれば、やってきたのは宙づりにされたかのような……全く予想外の感触。

 閉じていた目を開けば……そこに見えたのは、緑谷の腕から伸びる、得体のしれない『何か』。

 

(……!? これは、何……デク君の腕から……サポートアイテムには見えない。まるでエネルギーで構成されている物質のような……彼の『個性』は増強型のはずじゃ? 一体、何が!?)

 

「デク君!? こ、これは一体……」

 

「……そんなこと、言わないでください……!」

 

 マンダレイの言葉を遮って、緑谷が……絞り出すように言う。

 

「諦めちゃダメだ……最後の最後まで……! 洸汰君が大事なら……猶更……! 洸汰君を傷つけるようなことを、自分で選んじゃダメだ! あなたはヒーローでしょう!?」

 

「……っ……!」

 

「あなたが洸汰君を助けたいように、僕だって、あなたも洸汰君も助けたい! 真幌ちゃんも活真君も! だったら最後まであきらめたりしないで、全力で戦ってください! 助けられる方に回ったからって、簡単に自分の命を投げ捨てるなんてダメだ! 助けたいなら……助かりたいなら……僕も全力で助けるから! 全力で助けられてください! 洸汰君のためにも!」

 

 気が付けば、涙が零れ落ちていた。

 自分より一回り以上も年下の少年の言葉が胸に突き刺さる。その少年にしがみつく、従甥の少年の涙が、泣き顔が胸を締め付ける。

 

 どちらも、自分の選択の結果、この目で見てしまったもの。

 

 それが今はなぜか……とても恥ずかしいものに思えた。

 

 

 

「洸汰君の見てる前で……ヒーローが諦めるな! 苦しくても、みっともなくても、最後にみんなで笑うために全力であがけ! 生きることから……逃げるな、マンダレイ!!」

 

 

 

 その瞬間、緑谷は必死の形相で、思い切り右手を引っ張るように動かし……伸びる紐状のエネルギーを縮めるようにしてマンダレイを手元に引き寄せる。

 

 同時に、壁の突起をつかんでいた左手を放し……今しがた、ついに変形で隙間が再度ふさがってしまった天井へ向けて、左手からも同様にそれを伸ばす。

 投げ縄のようにして絡み付かせると、それを今度は縮めて、自分達全員の体を一気に天井付近に持って行った。

 

(何だ、コレ……頭が……いや、体中が痛い……使ってる間中ずっと……! でも、何でもいい……コレで皆を助けられるなら、今は……だから、もう少しだけもってくれ、僕の体!)

 

 金属扉に激突する直前に急減速し、その勢いで滞空する形になる。子供たちやマンダレイにかかる負担、ないし反動を極力抑えてそこに至った緑谷は、左手を拳に握って振りかぶる。

 空中では、踏ん張る場所がなく、拳を繰り出すにも十分な力が出ない。先程よりきつく閉じてしまっているであろう金属扉を打ち破ることができるか、どうしても不安が頭をよぎる。

 

 だが、次の瞬間、あることに気づき、それも吹っ切れた緑谷は……声を張った。

 

「永久ァ―――!!」

 

『っ!? 緑谷……この向こう側か!』

 

 扉の向こうから聞こえて来た声に、声を張り上げて簡潔に伝える。

 

「ぶち破る! 1人じゃ足りない両側から同時に全力で……いくぞ!」

 

『! 了解!』

 

 

 

 そして、その扉の反対側にいた永久。

 緑谷の言いたいこと、やりたいことを把握した彼女は、自分のなすべきことを理解して……その右腕に、膨大なエネルギーを充填し始めた。

 

(要するに、この滅茶苦茶な状態に変形しちまってる扉をぶち破るんだな。だとすると……強化上限……500%じゃ足りない。だったら……)

 

「だったらその上を行けばいいだけだ……母さんに習ったコントロール技能……その応用で……」

 

 今までの永久の強化上限……500%。

 それを超えて、腕にエネルギーを充填していく。あまりの密度に、今から反動じみた鈍痛を感じ、腕からきしむような音や、耳鳴りが聞こえるほどに。

 

「エネルギー充填……強化上限超過、レッドゾーン突入……!」

 

 そして反対側では、緑谷もまた、左腕を大きく振りかぶって、腰や肩で思い切り回転の勢いをつけて……必殺の拳を繰り出さんとする。

 

「ワン・フォー・オール……100%!」

 

 そして、タイミングを計るまでもなく一致させ……互いの最強の一撃が、鉄扉、そこに巻き込まれた瓦礫やら廃材を挟んで……炸裂する。

 

 

 

「デトロイトォォオ……スマァァアァッシュ!!」

 

 

「限・界・突・破……800%パァァアァンチ!!」

 

 

 

―――ドッゴォォオオォオン!!

 

 

 

 間にあった邪魔なものが全て吹き飛ぶか、木っ端微塵に砕け散ったことで、外へと続く大穴が開く。

 その瞬間、永久は左手を伸ばし……緑谷もまた、振り抜いた左腕から再び黒いエネルギーの紐を伸ばして、永久の腕に絡み付かせた。

 

 それに一瞬ぎょっとした永久だったが、すぐに左腕に力を籠め……

 

 

「フィイィ―――ッシュッッッ!!!」

 

 

 一本釣りのごとく、それにくっついてきた緑谷と、洸汰、真幌、活真、そしてマンダレイを引っ張り上げて……そのままの勢いで、海に放り投げる。そして、自分も海に飛ぶ。

 

 その瞬間、今の最強の一撃×2でオイルか何かに引火したのか、背後、船の横っ腹のあたりで大爆発が起こった。期せずして、巨大な爆炎と黒煙を背負って一同は大ジャンプする絵面になる。

 

 ハリウッド映画のような豪快な脱出となったが、それがかえって幸いし、船が起こす海流が届かない位置まで飛んで……その一瞬の間に、子供たちと、負傷者であるマンダレイをかばって、衝撃から守る形で海に着水。すぐさまスタンバイしていたセルキーや蛙吹、その他、水中が得意な『個性』の持ち主によって、救出艇に引き上げられ、救助されていく。

 

 全員救助完了。緑谷と永久はもちろん、洸汰、真幌、活真、そしてマンダレイも。

 全員が無事に収容され、検査の結果、命に別条がある者は1人もいないとはっきりしたところで……ようやく、彼らの長い夜は終わったのだった。

 

 

 

 


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