『──を──して』
『今ま────とう』
声が聴こえる。
視界は薄くぼやけ、音は曖昧。
身体の感覚は有るようで無いような漠然としたもの。
(ああ、夢か)
そう判断するのに時間は掛からなかった。
認識してしまえばあとは早いもので、何となく夢の状況が把握出来てきた。
場所は、ホロライブの所有するスタジオ。
テイワズで再三見たような仕様は桐生ココの物だろう。
皮張りのソファーに黒壇の机。その後ろには桐生会と書かれた金紋が飾られている。
それらを背に、ココがカメラの前に立っていた。
どうやら配信の最中のようだが……
(雰囲気が何時もと違う……?)
『お前ラ、今までホントにありがとうナ!』
スタッフの誰もが無言で泣き、ココ本人でさえも何かを抑えるように別れの挨拶をしていた。
これは、これではまるで。
(引退するみてぇじゃねぇかよ……)
夢だとは解っている。
だがそう断じるにはあまりにもハッキリし過ぎている。
まるで、
手を伸ばそうとしても届かない。
駆け寄ろうとしても距離は縮まらない。
声を上げようとしても声が出ない。
何もかもが遠く消えていく。
知っている。この喪失感を知っている。
自分では何一つ手を出せないままに誰かが消えてしまう感覚を。
散々あの世界で味わった感覚を。
その度に思うのだ。
ああ、クソッタレが
と。
「──ガさん。オルガさん!!」
「!?」
ハッキリとした呼び声に瞼が開く。
ぼやけた視界には紺色の髪が見えた。
「──A先輩、か?」
「そうですよ。因みにここは事務所で、時間は朝の7時半です」
「ああ、それは……わかってる」
段々と明瞭になっていく思考が自動的に返答する。
窓を見やれば、真夏のギラついた朝日がシェードの隙間から差し込んでいるのが分かる。
正面に向き直ると、電源が付きっぱなしのPCがホーム画面のままになっていた。
夜中に書類作成を終えてそのまま寝落ちしてしまったようだ。
「いっづ……」
ゆっくりと身体を起こすと、背中と腰に鈍い痛みが走る。
「やっぱり、仮眠室使えばよかったじゃないですか」
「いや、先輩をこんな体勢で寝かせるわけにもいかねえ。椅子を並べて寝るにしても腰にくるしな」
「もう……コーヒー、淹れ直して来ますね」
「?……ああ、ありがとう」
気を効かせてくれたのか、傍らに置かれたカップを取って友人Aが給湯室に入っていった。
その背中をぼんやりと眺めてから、欠伸と伸びを一つ。
ボキボキ!
「…………やべぇな」
自分の身体から出たと思えない音に苦笑する。
しかしおかげで完全に目が冴えた。
そして当然、考えるのは先程まで見ていた夢のことだ。
すでに所々曖昧になってきてはいるが、一応内容自体は思い出せる。
「なんだったんだ、一体……」
夢にしては現実的過ぎる内容に疑問が浮かぶ。
マウスを動かしてPCのホームから一つのファイルを開く。
そこには『ネットリテラシーと問題発生時の対応策』と銘打たれたマニュアルがあった。
「こんなのを作ってたから……か?」
栓のない考えを頭を振って掻き消す。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
所詮は夢の話だ。あまり考えても仕方がないだろう。
そう判断して思考を切り上げると、友人Aがカップを手に戻ってきた。
「お待たせしました……ってどうかしました?」
「いや、なんでもない。後で湿布でも張るかなと」
カップを受け取り、熱いコーヒーを胃に流し込んで意識を切り替える。
さあ、今日も1日が始まる。
「今日は10時から打ち合わせと衣装合わせ、それから午後からダンスレッスンだな」
「終わりは?」
「17時ぐらいだな。そのあとは直帰で大丈夫だ」
「了解団長」
「語呂良いからって繋げんな会長」
桐生会の車に揺られながら桐生ココと軽口をかわす。
黒い皮張りの座席は身体にフィットするように程よく柔らかく、ともすれば寝てしまいそうになる。
運転による振動やエンジン音も殆どなく、まさに高級車といった感じだ。
今日のオルガの仕事は、風邪で急遽来られなくなったココのマネージャーの代わりだ。
所属しているライバーの業務予定を把握しているが故にオルガに白羽の矢が立ったのだ。
予定が書かれたファイルを鞄に入れ、隣に視線を移す。
そこには座席に身体を沈めながら長い脚を組んで座るココの姿があった。
桐生ココ。人間の文化に興味が湧いて、わざわざ異世界からこちらにやってきたドラゴンだ。
そう、ドラゴンである。
オルガ自身、あまりそう言ったファンタジーな物は知らなかったのだが、今の人間態から元のドラゴンの姿を見た時は思わず
「………………ドラゴン、だな」
と呆けてしまった。
性格はドラゴンらしく大胆……のようでいて計算高く、海外ファンの獲得や流行の立役者になったりと、ホロライブに所属して日が浅いながらも既にして大成していると言っても過言ではない。
オルガも、そんな彼女から学ぶことが多く、軽口を叩き合いはするが尊敬の念もある。
「昼飯はどうする?」
「ン~……任せる!」
「そう言うと思ってたわ、ほらよ」
鞄から小包を一つ出し、ココに渡す。
「コレは?」
「サンドイッチだ。数は揃えてあるから腹にはたまるだろ」
「おお~!」
「そんなに喜ぶことか?」
子供のように目を輝かせて笑うココにそう訊ねると、ココは当然といった顔で答えた。
「なんだって、誰かが自分の為に作ってくれた物ってのは嬉しいモンでショ?」
「……そうかよ」
ニシシと笑うココに面食らってしまい、ぶっきらぼうに返す。
そうこうしている間にも車は着々と進み、二十分程で打ち合わせ場所に到着した。
「会長、到着しやした」
「おう」
車が止まり、黒髪オールバックに厳つい顔つきの運転手がココの側のドアを開ける。
「……"また"、頼むわ」
「……ウス、いってらっしゃいませ」
挨拶を背に受けながらココは振り返らず手を振って、すたすたと先に入っていってしまった。
動きの早いココを追うべく、オルガがドアを開こうとするよりも先にいつの間にか回り込んでいた運転手がドアを開いた。
「どうぞ」
「あ……あぁ、ありがとうございます」
その俊敏さに目を瞬かせながらも何とか礼を返し、車から出る。
改めて一礼し、背を向けたところで運転手の声が掛かる。
「オルガさん」
「何です?」
「…………会長のこと、宜しくお願いします」
振り向けば、彼は深く礼をしていた。
その言葉にどんな意味が、理由があるのかは解らない。
ただ一つ解るのはそこには万感の思いが込められていることだけだ。
「…………」
景色が白む程に暑い日差しの中、男はただただ頭を下げていた。
願うように。託すように。祈るように。
知っている。オルガ・イツカはこの光景を知っている。
かつてと違う今だからこそ、オルガはその言葉に真正面から答える。
「任せな」
短く、しかしハッキリと。
「アイツは……アイツらは、俺達が守ってみせるさ」
そう答えた。
「じゃ、行ってくる」
入り口で壁に背を預け待つココの元へ歩きだす。
振り返ることはしなかった。
根拠はない。ただそうすべきだと思っただけだ。
「──いってらっしゃいませ」
夏の日差しを、風が横切る。
意地を通した蜃気楼は、そこにはもう、無かった。