「喪六さん、少しいいですか。」
雪龍の顔からいつもの微笑みが消えている。私は何かまずいことでもしたのかと思い、本を置いた。彼は私の碗に茶を注ぎ足し、数秒瞳をちらつかせてから、静かに打ち明けた。
「この店を、今月で閉めることになりました。」
「閉める………何かあったのか?」
「最近、少し経営が苦しくて。前々から考えていたことなので、突発的に決めたわけではないです。だからこれを機にここを閉めて、どこかまた別の場所に移ろうかと。」
「経営…。」
経営難だという理由と、伏し目がちに話す彼を見て、それは嘘だとすぐに分かった。
そもそもここは、夜間ならばもうひとり手伝いを雇った方がいいくらいに繁盛している。
小さな店だから混んでも手は足りていると言っていたが、とにかくこの店の売上が苦しいのだとは到底考えられない。
「…閉めたところで、行く宛は…?」
ありません、と、雪龍はそこでようやく笑った。
「しかし、そもそも流れに身を任せ生きてきた身ですから、そのことを危惧する気持ちは無いのです。楽天的というより、そんな生活が当然のような…。」
私に迷いは無かった。下心ではなく、それならば私の屋敷に来なさい、と言った。
だが、彼は驚いた顔をしてから寂しそうに笑って、断った。
「喪六さんには長らくお世話になりましたから。これ以上ご迷惑はかけられません。…いずれにせよ私はもうこの辺りには住めないと思いますから、出て行くことに決めました。」
私はその言い方に違和感を覚えた。
しかしその場で掘り下げることはやめて、その日はそれで終わり、店を出てからすぐに調査を開始した。
調査と言っても、それに長けた者に連絡をして、真相がわかり次第連絡をくれと伝えただけだ。だいたいのことはそれで済む。
その夜もやはり、夢を見た。
酒を飲んだ日は泥のように深く眠るが、酒も入らず、なおかつ適度な疲労とストレスを感じたとき、雪龍は私の頭の中に現れる。
見たこともない彼の裸に、少年のころのように興奮し、欲情している。何度も見た夢で、どうしてこうも新鮮に燃え上がれるのだろう。それはきっと、私が彼のことを微塵も知らないからだ。
ペニスの感覚だって、当然ながらおぼろげで曖昧で、それなのに脳の原始的な部分で夢を見ているせいなのか、雪龍の肉体の中で常に射精の手前のような気持ちよさを感じていた。
私は彼を強く抱きしめ、彼は私を優しく抱いてくれる。
…雪龍は、私の希望。
神聖視に近いまなざしを持ちながら、私はこうして夢の中で雪龍を汚すのだ。
離したくない、いつだって顔を見ていたい、そんな歪んだ独占欲に駆られた結果なのだろう。
しかしこうして交わっているあいだは、彼と出会えたことに感謝するほど、恥ずかしいことだが、幸せだ。
こんな現実を手に入れられたのなら、私は…
ベル音で起こされ、昼前には原因が分かった。
案の定というのか、やはり魔法被害者たちによる店への嫌がらせが原因であるらしい。
私の来ない時間にその連中が何人かでやって来て、他の客と諍いを起こしたり、店内を荒らしたり、またありもしない噂を流したりして評判を落とされ、営業停止を喰らいそうになったこともあるようだ。
そうして一度でも目をつけられれば、店に対する町からの風当たりはいっそう強くなり、もともと人間にとっては「良からぬ客筋」で保っていたこともあって、とうとう立ち退きを命じられたそうだ。
客層の悪さは、この町では大した問題ではない。まともな素性の持ち主などほとんどいない。そんな者達があそこでは大人しく軽食や酒を楽しんで、雪龍の顔を見に来て、くだらない話を聞かせにくる、ただの憩いの場であるのだ。
連絡を受けてから、今度は私が方々に連絡を入れた。そして嫌がらせをしてくる連中の掃除は、半日もせぬうちにだいたいのカタをつけた。
…このことを話したら、雪龍は私を嫌いになるかもしれないな、と思った。
こんな簡単にケリをつけて、私も嫌がらせをしていた連中と同じような、相当の悪人であるのだと。
しかし私はいつも通り、片手に1冊の小説を持ち、雪龍のもとに向かった。
彼の夢を見たから、彼に会いたかったのだ。