Star to Rain 作:SAMT
ブリテンの王、リアは老齢により隠居生活に入るため、今ある領土を三人の娘に分けようとした。長女ゴリネルに、次女リーガン、そして末娘コーディリアに。
ゴリネル、リーガンは甘言で領土を渡されるが、しかし生来の実直さと素直さを持ったコーディリアは、思ったことをそのまま口にした。それに怒ったリアは、コーディリアをフランス王妃にする––––––いわば勘当した。
しかし、領土を手に取った二人の娘は、老齢により判断力や沸点の鈍った父親を国から追放する。
荒野へと放られたリアは、実の娘たちからの裏切りに、次第に狂気を孕ませていく––––––。
リア王とは、悲劇だ。
どうしようもなく救いようのない、完膚なきまでの悲劇である。
「––––––無理じゃん、私」
稽古場で、小夜子はそう溢す。
その姿に、亀太郎は「は?」と言葉を返す。
「いやだって、めちゃくちゃ重要な役じゃん。無理だよ私こんなの」
「いやまあ、確かにデビューにしちゃ重すぎる役ではあるけどよ」
「亀くんは役作りとかしてるの?」
「してるっちゃしてるけど、俺の道化師役なんて普段の俺だからなぁ…」
「いいねー、役作りが楽で」
「役作りに楽もクソもないだろ…」
そんな他愛もない話の間に、着替えを終わらせた七生が入る。
「でも、サヨの役だって私からすればかなり良いと思うけど」
「え、どこが」
「素直なところ。バカなぐらいにコーディリアは素直じゃん。サヨと同じ」
「え、私ってバカなの」
バカという言葉に、軽くショックを受ける。一応これでも有名な大学には行ってたんだけどな……中退だけど。
「バカかどうかは置いておいて、あんたならこの役演じきれると思うよ」
「ま、巌さん次第だな」
巌さん。
演出家である彼には、演技のイロハも知らない小夜子にあれやこれやと教える役がある。
めっちゃ厳しいって聞いたんだけど、どうなんだろう。殺されたりしないかな。
心の奥で震えていると、「真白」と名前を呼ばれる。
「あ、はい!」
呼び主は、噂の巌。
「こっちに来い。いろいろと教えてやる」
あ、終わった。
別室に呼び出された小夜子は、震えながらパイプ椅子に腰掛けた。
目の前には巌が座っており、二人きりだからか、いつも以上に彼が大きく見えた。
「早速だが真白、どの台詞でもいい、何か言え」
また唐突だな。
言葉に出さず、言われた通りにページをめくり、目に入った台詞を言う。
「––––––お父様。お父様は私を産み、育て、慈しんでくれました」
抑揚を付け、息を吸い込み、できるかぎり声を大きくする。
「お父様のお言附けを守り、お慕いし、心の底から敬っております。でも––––––」
「よしそこまで」
電池を切るように台詞を止める。巌の顔色を窺うが、彼の表情は一貫して変わらなかった。
「おまえ、いま俺に自分の芝居はどうだったかって思っただろ?」
「えっ。な、なんで?」
「図星か。おまえは本当に正直だな」
心を読まれて絵に描いたように焦る小夜子に笑みをこぼす。あ、笑えるんだ、この人。
「真白、なぜそんなに大袈裟に振る舞う?」
「……声を大きくしないと、観客に聞こえないから?」
「言い方を変えようか。なぜコーディリアから離れた演技をする?」
コーディリアから離れる?
心の作り方というわけか?それとも、表情の作り方?声色?
「違うな。真白、おまえ自身だ」
「またっ…」
なに、この人メンタリストか何か!?もしかしてこれドッキリ!?
カメラはないかと探す小夜子に構わず、巌は「おまえは素直すぎるんだ」と続ける。
「真白、リア王を読んだか?」
「は、はい」
「それでおまえの役、コーディリアにはどんな印象を持った?」
昨晩、そして今日ここに来るまでの電車の中で読んだ内容を思い出す。
「……愚かなぐらいに、正直で優しい娘、です」
「そうだ。コーディリアは正直者だ。それもバカが付くほどな。おまえと同じだ」
七生ちゃんと同じこと言ってる。
––––––バカなぐらいにコーディリアは素直じゃん。サヨと同じ
七生の言葉を思い出す。…そんなに私ってバカっぽいかな。
人生で二度も、それも別々の人からバカと言われたことに軽いショックを受けつつ、しかしそう言われるならば私とコーディリアは近いのかもしれない、と詰めていく。
「俺が言いたいのはな、もっと自分に正直な芝居をしろってことだ」
「自分に正直?」
「この世の中には嘘つきしかいねぇ。小さい嘘を吐く者、バレたら捕まるような嘘を吐く者、それぞれな」
嘘とは人を形成するものの一つ。嘘がなければ世界は大きく違っていたかもしれないし、そもそも人はここまで発展した社会を築けていなかっただろう。
「そんな嘘つきたちの世界で、正直者になる覚悟を持った者を役者というんだ」
巌はシャツの胸ポケットから煙草を取り出し、使い捨てライターで火をつける。ボッ。発火の音がやけに耳の中でこだました。
「真白、おまえは才能がある。役者でなくとも、表現者になるべくして生まれたような人間だ」
煙を小夜子に当たらないようにと顔を上げて煙を吐く。
「もう一度だ。台詞を言え。同じやつをな」
自分に、正直。
台詞、役というこの世に存在しないフィクションの存在を、いかに正直に、そして本物に近づけるか。
ああ、そうだ。
「––––––ああ、私を御覧になって、そのお手で私に祝福を」
コーディリアを演じるのは、他でもない私なんだ。
私は、コーディリアなんだ。
「––––––合格だ」
煙草をくわえた巌は、小さく笑みを溢した。
その日の帰り、小夜子はレンタルビデオ店に立ち寄った。普段はアクション映画、アニメのコーナーしな見ていかないが、今日は違った。
舞台映像。劇団天球の舞台で映像化された作品数は、その知名度に比べて少ない。
『人々の社』。そんな中でも、数少ない存在する作品だ。
経営難に陥った神社を建て直すために、神主や巫女、そして町の人々が奔走する話だ。
主演はもちろん、明神阿良也。役柄は若い神主だ。
映像の中で、阿良也は見事に若い神主を演じていた。若いからこそ出る危うさとフレッシュさ、まだ全てを知っているわけではない未完成な在り方を、まるで本当にそこに存在しているかのように演じていた。
––––––恐ろしいほどに、リンクしている。
映像越しでこう感じれるほどだ。舞台という客席と壇上の近さなら、もっと迫力があって、阿良也の役に感情を入れ込んでしまうのだろう。
確かにこれはエースだわ。
七生と亀太郎の言っていたことは何一つとして間違っていなかった。
阿良也は巌の言っていた言葉を地で行っている。彼の芝居は、間違いなく本物だ。
これが、劇団天球。
私は名前以上にすごいところに参加してしまっているのかもしれない。
その日、小夜子はもう一度台本を読み直した。何度も何度も、睡眠時間を普段より二時間削って、ベッドの上で台本を握り締めながら寝落ちしてしまうほどに。
「阿良也にアドバイスを聞く?」
七生はその日、初めて小夜子から言われた言葉に唖然とした。
「やめたほうがいいって。翻訳できるやつ誰もいないのよ」
「でも、阿良也くんに聞かないとわからないと思うんだ。この舞台っていうものは」
「どんなこと言われても知らないわよ」、と意味深な忠告を受けた小夜子は、中庭のベンチでカップラーメンを頬張る阿良也に声をかけた。
「……えっと」
「小夜子。真白小夜子」
「ああ、真白サン。何か用?」
「うん、聞きたいことがあって」
阿良也の隣にずいっと座る。座りやすいようにと阿良也は少し左に寄る。
「昨日さ、人々の社観たよ、DVDで」
「ああ、ありがとう。あれは良い脚本だった」
「確かに、構成が丁寧で、落ち着く話だった」
『人々の社』には、一切の悪意が無いように感じた。人々の喜びと奮起に、胸がいっぱいになったのを小夜子はまだ覚えている。
「それで?」
「うん、それでさ」
阿良也の顔を覗き込む。長い彼の黒髪からは、どれだけ手を伸ばしても掴み取ることのできない、深海の底にある宝石のような瞳があった。
綺麗な瞳。
こんなに綺麗な瞳も、役によっては彼はいとも容易く操ってみせるんだ。
「阿良也くんは、どうしたらあんなに役の感情を引っ張り出せるの?」
小夜子の質問に、阿良也は少し呆気に取られたように半口を開ける。その口で、ずるずると麺を啜る。口を拭って考え込む。
「……例えば、ダイビング」
一分半ほど待って放たれた言葉は、一見無関係に見える比喩表現。
「人が海に潜る。数メートル…人によっては数十まで行く」
潜ることを表しているのか、手をすーっと足元へと下ろす。「そこで掴むんだ」、と何かを握りしめ、そして元にあった胸の前へと腕を戻す。
「そういう風に、役を捕まえる。そして食うんだ、それを」
カップラーメンの残りのスープを飲み干し、「これみたいにね」と付け足す。
……なるほど、わかるようでよくわからん。
「……よく理解できないって顔だね」
「えっ、バレた?」
「顔に出やすいね、真白サンは」
天球に来てから三度目の台詞。ポーカーフェイスの勉強でもしようかな。
「無理もない。あなたからは匂わないからね」
「に、匂わない?」
「うん、匂わない。何もないわけではないけど、印象には残らない」
なんとなく、体臭どうこうの話ではないことは理解できた。しかしその言葉が何を意味しているかは小夜子にはわからなかった。
「ど、どうやったら匂うなかな?」
「さぁ?勝手にじゃないかな、わかんないけど」
彼は立ち上がり、ズボンの埃を叩く。空っぽのカップラーメンをゴミ箱に投げ入れ、背伸びをする。
「話はこれで終わりでいいかな。これから巌さんのところに行かなきゃいけないからさ」
「あ、う、うん。ありがとう」
「それじゃあ」
阿良也は手を軽く上げて、一切の躊躇いもなく背を見せて歩き去って行った。あなたには何の興味をもないですよ、という空気が、小夜子には伝わってきた。
他人行儀でもあって、人を見ているようで見ていなくて、声もどこか空気が抜けていた。
「……匂い、かぁ」
七生ちゃんの言う通り、確かに何言ってるかわからなかったな。
「でも、なんか行ける気がする」
阿良也のように背伸びをする。
私はまだこれからだ。
誰もいない中庭で、ひとり小さな奮起をしてみせた。
小夜子の年齢は26です。