Star to Rain   作:SAMT

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HBD天使。出ないけど。


深く潜る

 

 よく晴れた空の下、都内の喫煙所には、巌がハイライトの箱を開けていた。一本を取り出し、火を付けたところで、彼にとって顔見知りの青年が訪れた。

 

「おはよ、巌さん」

「なんだ阿良也。おまえ吸うのか?」

「一本ちょうだい」

「もともとたかる気だったか」

 

 阿良也は巌の持つ箱から一本取り、使い捨てライターを手に持ち火を付けて、巌と同じく煙を吐く。ハイライト特有な強い刺激が脳を締め付ける。

 

「きっつ…いい加減やめなよ」

「うるせぇ。人間、どうせいつかは死ぬんだ。だったら死ぬ直前まで吸っててかまわねぇだろ」

「早死にするよ、そんなんじゃ」

「この老いぼれにその言葉は意味ねぇよ」

 

 久しく感じる、肺の中に入る有害物質に、頭がクラクラしながらも、阿良也は巌の顔を見る。ああ、またなんか考えてるわ、この人。

 

「なんで真白サンを呼んだの?」

「……俺の配役に文句あるか」

「いや、それはもういい。ここまで来たんだ、今からやめてもらうのはこっちも困る」

 

 小夜子は既に台本を覚え、読み合わせにも参加している。亀太郎や七生といった劇団員たちともうまくコミュニケーションを取っていて、今の段階で外せば劇団の中に不協和音が生じるだろう。

 

「気になるんだ。なんで演技経験も碌に無い彼女を入れたかが」

 

 巌がそんな判断をするのは初めて見る。無名の俳優だったらまだいい。ただ、彼女は元アイドル。育ってきた畑が阿良也たちとは全く違う。

 

「育成期間を設けたならまだいい。ただ今回はその育成期間も無しで即読み合わせだ。なあ、何が狙いなんだ、巌さん」

 

 それは、巌のことを理解しきっている阿良也をもってしても不可解な判断だった。巌の舞台にかける情熱と妥協のなさは全国的にも有名だ。そんな彼が、一体なぜ。

 

「彼女から匂うものはあまり無い。何も匂わないんだ」

 

 阿良也は人から発せられる匂いでその人となりを見定める。それぞれに匂いがあって、その人々はその匂いの通りに動く。

 今回の小夜子の匂いは、普遍的でありきたりな、言ってしまえば素人とそう変わらない匂いだった。その事実がまた、阿良也を訝しみに拍車をかけている。

 

「––––––おまえ、それ本気で言ってんのか?」

 

 ひときわ白い煙を吐き尽くし、吸い殻を潰す厳。その後ろ姿は、いつもよりも大きく、そして強大に見えた。

 

「だとしたら、おまえの鼻はひん曲がってるよ」

 

 巌はそう不適に笑う。この人のこんな笑み、久々に見る。

 

「直わかる。あいつは化けるよ」

 

 巌のその言葉に、阿良也は不思議と納得してしまった。まだ何も彼女はなし得てないのに、巌の声と言葉には不思議と、そんなことを感じてしまう力があった。

 

 

* * *

 

 

「……わーお」

 

 亀太郎は呆気にとられたように軽く口笛を吹く。

 彼の視線の先には、硬い表情の、しかしどこか純朴さと華麗さを感じさせる小夜子の姿があった。

 

「––––––不幸せな生まれつきなのでございましょう。私には心の内を口に出すことはできません」

 

 目の前に立つ阿良也よりも、小夜子に目が行く。これは亀太郎だけではない、その場にいる全員が彼女に目を向けていた。

 

「確かにお父様をお慕いしております。それこそお父様の子としての務め、それだけの事にございます」

 

 すげぇな、この短期間でこんなに。

 亀太郎がこうして付き合いの浅い人間に素直に感服するのはいつぶりだろうか。昔、テレビ番組で放送されていた、映画監督の目の前で、一瞬で表情を切り替えて自由奔放に歌って踊るジーン・ケリーを思い出した。普段カメラの前で見せることのない、自分だけに見してくれた秘密を知れた高揚感を持った同時に、彼がプロの役者であることを痛感させられたような感触。

 今の小夜子は、間違いなく亀太郎にとってスクリーンの向こう側、自分の身の丈以上に高い台に立つ役者だった。

 

 全身を使い、声帯を広げ、自分にだけ見えている世界の中で生きる小夜子。その小夜子に、巌は低く、声帯をすり減らしきったような声をかけた。

 

「真白。集中しきろ。まだムラがある」

 

 その言葉に思わず動きをピッタリと止める。巌は変わらず無骨な顔をしていたが、彼は口を開くのを止めない。

 

「止まったな。おまえが芝居に集中しきれてない証拠だ」

「––––––はい」

 

 小夜子にとって、その言葉は図星だった。小夜子の目の前には確かにブリテンの世界が広がっていた。煌びやかな城内、周りには絵本で見たような衣装を着た人々。しかし、彼女には亀太郎の口笛が聞こえていたし、巌がパイプ椅子に腰掛ける僅かな軋みも聞こえていた。

 

「本番まであと一か月をきった。その集中力をもっと研ぎ澄まして、永遠に感じるぐらいに長く保たせろ」

「はい」

 

 巌のその言葉が最後の一押しとなったのか、壁際まで歩いた小夜子は全身の力が抜けきり、思わずへたり込む。深く息を吐くと、七生がミネラルウォーターを小夜子の膝下に置いた。

 

「おつかれ。すごいね、サヨ」

「でしょ?結構良くなったと思ったんだけど…巌さん的にはまだまだみたい」

「…まあ、巌さんからああ言われるのは、むしろ本腰に入ったってことだから」

 

 小夜子の隣に腰を下ろし、「認められたってことよ」と付け足す。だとしたら随分と時間かけてしまったな、と小夜子は心の中でこぼす。

 

「よっす」

 

 その二人に、ストレッチを終えた亀太郎が気さくに声をかける。小夜子も軽く「どもー」と返す。

 

「すげーなサヨ。いつの間にあんなに」

「ありがとー」

「ほら言ったでしょ。すぐにあんたなんか追い越すって」

「そんなことないよ!亀くんのあの軽薄さ滑稽さをを出しまくる芝居、私には到底敵いっこないよ!」

「それ褒めてるってことでいいの…?」

 

 亀太郎の芝居の本質は脇役。つまり舞台を引き立てさせる力だ。彼の芝居を見て不快に思ったり、笑いを誘われたりすれば、それはもうある意味彼の芝居に魅了されてるもの同然のことだ。

 小夜子は彼のその芝居の本質に驚き、彼の演じる役に嫌悪感を覚えたが、実際の亀太郎を知っていると、どうにも心の底から嫌いにはなれない。なかなか真似することのできない絶妙なバランスを保っている。

 

「それに、阿良也くんのアドバイスがかなり役に立ってるの」

「え、阿良也の!?」

「うん」

 

 阿良也の芝居論を聞いた小夜子は、彼の難解気味なアドバイスを元に、過去のリア王の映像を見続けた。歴代のコーディリアはこう演じている。なら、巌が求めるコーディリア、そして小夜子自身に合った彼女は深度どれぐらいなのだろう。

 そんなことをずっと考え、自分とコーディリアの共通点を探し続け、やっとの思いで一部分を掴んだ。今日の芝居は、そのたった一部分だ。

 

「阿良也の言ってることがわかるって…これが天才か」

「なんか変なことされなかった?」

「変なこと?」

 

 え、なにそれ。そう聞くってことは逆に普段変なことしてるの、あの子。

 

「されてないけど…」

「まだか…。そろそろあんたに目をつけ始めると思うから、気をつけたほうがいいよ」

「な、何を?」

「背後とか?」

「背後!?」

 

 ストーカーなの、あの子!?

 共演者の知られざる一面を立ち聞きいてしまった小夜子は、その日、阿良也とロクに目が合わせられなかった。

 

 

 その日の夕方、食堂の自動販売機に立ち寄った小夜子は、百二十円の缶コーラを手にとったところで、珍しく椅子に腰掛ける巌の姿を見た。彼の目の前には、一人の男性も腰掛けていた。

 話の邪魔をしないようにしないとな。そう思って忍足でその場を後にしようと彼らに背を向けたところで…

 

「あいつだよ、真白」

「真白?」

 

 千里眼をお持ちですか、あなた。

 

 巌に呼ばれ、彼らの間に腰掛けた。右隣に座る人物に、小夜子はどこか見覚えがあり首を傾げる。

 

「……もしかして黒山さん?」

「真白ってやっぱりおまえかよ…」

 

 小夜子を前にしてバツの悪そうな顔をする。

 黒山墨字。

 人相の悪い不潔な見た目とは裏腹に、世界三大映画祭全てで入賞を果たしている稀有な映画監督。大衆への知名度はまだ低いが、その実力は業界では知らない人間はいない。

 

「なんだ、おまえら知り合いなのか」

「はい。昔、私たちのミュージックビデオ撮ってもらって」

「俺がまだ駆け出しの頃だかんな。なんでもいいから仕事と金が欲しかったんだよ」

 

 黒山に撮ってもらったミュージックビデオは国内で賞を取った。ダンスシーンを映すものが多かったフィズのミュージックビデオの中では珍しく、ただ彼女たちが東京の街中を歩く姿を映しただけの、非常に抽象的でシュールレリズムな映像だった。

 

「いやー懐かしいですねー。もう十年近く前?」

「だいたいそんぐらいだな。おまえと会うのも四、五年ぶりっていったところか」

「確かあの年の映画祭だったかなー、ほら黒山さんが賞取ったやつ」

「なんでおまえらあそこにいたんだっけ」

「私たちが主題歌やってる映画も出品されてゲストで呼ばれたから」

「あーそうだっけ」

 

 あの頃に比べて黒山さん髭伸びたし何か老けたな。

 五年前に比べて、彼には余裕が見えたように感じた。目付きから声質、髪の手入れ具合に、控えめにのぞかせる腕の肉付き。些細な違いだ。漫画の絵柄が数年おきに変わるのと同じ違い。

 

「なんでおまえこんなとこにいんの?」

「事務所の紹介と私の意思」

「おまえの?」

「はい。役者やってみようって」

「……へぇ」

 

 黒山は一瞬目を見開いたが、やがて納得したようにニヤリと笑った。

 あ、このニヤケ顔。懐かしい。

 

「なぁ、ジジィ。どんな調子なんすか、こいつ」

「あぁ?どうもこうもない。この世界について右も左もわかってない小娘だ。おまえが思ってるより酷い状態だよ」

「酷い状態!?」

 

 やっぱり私まだまだだったよ七生ちゃん、亀くん!

 右肩上がりだった自信がへし折られた感じがした。それもバキッて音が出るぐらいの勢いで。

 

「だが、匂う役者しか使わないアンタが、こうして演技経験ゼロの真白を使ってるんだ。真白を降ろすことができたのに、な」

 

 匂う。

 阿良也も度々口にしていたその言葉。巌や黒山、阿良也といった実力者たちの間では、匂うか匂わないかは重要な問題だということを小夜子はなんとなく感じた。

 笑い話だ、とでも言いたげに巌は鼻を鳴らす。

 

「まだだ。まだこいつからは何も匂わない、正直言ってな」

「調教中ってことか?」

「調教!?」

「躾だ」

「躾!?」

 

 なんでこんなモラハラ飛び交う席に着いてしまったんだろう、と後悔する。巌の演技指導は厳しいことは業界内外で有名だが、言葉責めに合うとは聞いてなかった。

 落ち込む小夜子に目をやり、喉を鳴らした巌が「おい」、と小夜子を呼ぶ。

 

「落ち込んでる暇があったらさっさと練習に戻れ。まだ終了時間じゃねぇだろ」

「はい……躾けられてきます……」

「あ、そうだ」

 

 おもむろに黒山はテーブルに設置されていた紙ナプキン入れから一枚取り出し、手早く何かを書き出し、紙ナプキンを小夜子の手に握らせる。

 

()()()()()()()しれないから、うちの連絡先を渡しとく」

「LINEじゃないの?やだ、黒山さん意外と古典的…」

「俺の携帯じゃねぇよ、うちの事務所だよ」

 

 事務所……なんでこのタイミング?

 

「まさか引き抜き…?」

「相変わらずバカだなおまえ!」

「え、でもなんで?」

「なんか困ったことあったらうちに相談しに来いってことで」

「…という理屈で口説きにくるスカウトマンは多い。事務所選びには気を付けろよ、真白」

「ヒッ…」

「ジジィこの野郎!」

 

 しかし小夜子には黒山が事務所の連絡先を教えた理由がどうしても理解できなかった。彼が役者の名前に興味がないのはとうの昔から知っている。本当にただの気遣いからくるものなのか。

 

「まあ、一応貰っときます」

「ああ、そうしとけ。悪い話じゃないからな」

 

 再びニヤリと笑う。

 見た目といい、言葉といい、側から見ればただの怪しいスカウトマンな彼の笑みを訝しげに見つつ、しかし懐かしさを感じずにはいられなかった。

 ずいぶんと昔になってしまったあの時代。

 失ったものと、これから手にするものを交互に思いつつ、小夜子は皆がいる稽古場へと足を早めた。

 

 

* * *

 

 

 

「アンタ、ついに血迷ったのか」

 

 だいぶ緩くなった缶コーヒーを片手に、揶揄うような口調な黒山。若人––––––巌からすればだが––––––の生意気な言葉に眉を潜める。

 

「真白のことです。俺はあいつを撮ったことがあるからわかるりますよ」

「何がわかるって?」

「巌裕次郎の舞台とは合わないってこと」

 

 胸ポケットからタバコを手に取り、火をつける。既に飲み干された缶を灰皿代わりに、煙をわざと黒山に被せる。

 

「どうだかな」

 

 鬱陶しく煙を手で払う。その姿に喉を鳴らして笑う巌を恨めしく睨む。「俺、非喫煙者なんだけど」と、臭いのついた服をはたきながらこぼす。

 

「残り少ないアンタの作品に、アイツを関わらせていいのか?」

「うるせぇぞ小僧」

 

 荘厳さと威圧感の入り混じった、大樹のような存在感。久しぶりに感じる圧迫感だ。

 

「言っただろう、″躾″だと」

 

 手前の価値も理解してない彼女には、躾が必要だ。

 表現者として、彼女はこれから羽ばたいていく。だが、肝心の羽ばたきかたを知らない。

 

「調教なんかじゃない。調教というのは、()使()にやるもんだ」

「なら、アイツは一体何なんすか」

「雛鳥だよ、燕のな」

 

 まだ産毛も生えきってない、巣から落ちれば命を落としてしまう、この世で最もか弱い存在。

 

「だからな、黒山。おまえがアイツに連絡先を渡した思惑は大体見当がつくから言っておくよ」

 

 煙を吐き出しきって、灰を缶の中に落とす。プルタブで火消しをして、吸殻がポトン、と底に落ちた音が響いた。

 

「手を出すなら熟れるまで待っておけ。若い女の爪は鋭いからな」

 

 立ち上がり、黒山の座る椅子の脚組みを杖で軽く叩く。煮え切らない、と訴えるように唸る黒山を尻目に稽古場へと向かった。

 

「……ああ確かに、アイツはまだ爪が尖ったまんまだよ」

 

 離れていても大きく見える彼の背中に向かってそう呟く。

 

「けど、わかってるだろ。アイツにとってここはアウェイで、ウチがホームなんだよ」

 

 立ち上がり、黒山もまたその場を後にする。

 誰もいなくなったそこに残るのは、殻になった缶コーヒー、二本だけだった。

 

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