ペンと淑女とグリューワイン   作:瑞穂国

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久々にウォービス書きたくなってきました


ペンと淑女とグリューワイン

 寝静まった庁舎の一室に、珍しい人影を見つけた。

 四分の一の明かりが消された、レクリエーションルーム兼食堂。人っ子一人いないと思われたそこに、ポツリと艦娘が座っている。物憂げな横顔の淑女は、穏やかな手つきでページをめくり、本を読む。大部分を夜に侵食された空間で、彼女の周囲だけが、暗海の街明かりのように見える。自然と目に留まる光景だ。

 

 金髪の淑女は、ウォースパイトという。鎮守府所属のイギリス艦娘たちを取り仕切る、戦艦娘だ。ドイツ艦隊旗艦である私と立場が近いこともあり、会議などではよく顔を合わせる間柄だ。

 艦娘たちの模範たるべく振舞うウォースパイトは、六時半起床、十時半就寝という規則通りの生活を続けている。そんな彼女が、十一時半に差し掛かろうとするこの時間まで起きているのは、珍しい。

 

 ……はあ。目に留まって、立ち止まった時点で私の負けね。声を掛けないという選択肢は消えてしまった。

 風呂上がりの身を翻し、私は食堂に足を踏み入れた。

 

「こんな時間まで起きてるなんて、珍しいわね」

「……ビスマルク」

 

 本から顔を上げて、ウォースパイトが私の名前を呼ぶ。彼女はうっすら笑みを浮かべて、ちらりと机に目を落とした。そこには二枚の書類。書きかけなのだろう、拙い日本語の文字が、そこには並んでいた。

 

「なぁに?報告書?」

「ええ、そうよ。今日中に書いてしまいたくて」

 

 それにしても、だ。報告書なんて、日本語で書く必要があるだろうか。いやそもそも、手書きする必要があるだろうか。

 多くの母国語が飛び交うこの鎮守府では、報告書を日本語で書く義務はない。なんだったら、書式が決まった文書ファイルをダウンロードして、パソコンで書くことも認められている。直筆の必要があるのは、書類の末尾に記す作成責任者と提督、秘書艦のサインくらいなものだ。

 だというのに、ウォースパイトは手書きで、日本語の報告書を書いている。その非合理性は、いまいち理解できなかった。

 

 改めて、ウォースパイトの字を見る。拙さは残るが、綺麗な字だ。アルファベットとは全く体系の違う、平仮名・片仮名・漢字を、よく整えられた字体で、彼女は書き連ねていた。三日でペンを投げ出した私とは、大違いだ。

 

「日本語って、難しいわ。文章どころか、字でも、上手く書けないの」

「……そうかしら」

 

 この鎮守府にいる時間は、ウォースパイトより私の方が長い。彼女よりもたくさんの字を見て来たが、そのどれにも、彼女の字は劣っていない。難しい、と語る彼女の感覚には、いまいちピンとこなかった。

 

 そんな私の思考を読んだのか、ウォースパイトはおもむろに、傍らの本を開く。よく見れば、書類の横に一冊、先程彼女の読んでいたものと合わせて二冊の本が、机の上にはあった。置きっぱなしの方は辞書だろうか。

 開かれたページには、眩暈がするほどの、字、字、字。この複雑な形、漢字で間違いないわね。

 よく見ると、それらの字は全て、筆や鉛筆で書かれていた。

 

「こんな字をね、書けるようになりたいの」

「……ああ」

 

 なるほどと、ようやく納得がいった。本に書かれている字は、ウォースパイトのものより、綺麗に整っている。そのレベルと比べれば、彼女の字は拙く、均整が取れていない。

 大事そうに本を机へ戻し、ウォースパイトは再び、書類に向き直った。すでに半分ほどが彼女の字で埋まっている報告書。その残された空間へ、彼女はとても慎重に、ペンを置いていた。まだしばらく、かかりそうだ。

 

 ……さて、と。このまま、立ち去ってもいいのだけど。というか、彼女の邪魔にならないように、ここを離れた方がいいのだけれど。今夜の私は、どうもそんな気分にはなれず、結局、ウォースパイトの側を離れることができなかった。

 凄まじい集中力で、紙とペンに向き合うウォースパイト。整った睫毛の横顔を見つめるのは何だか悪い気がして、それとなく視線を外す。ついでに、彼女の横から動かなかった足を、厨房の方へと向けた。

 

 給糧艦の管轄でない、共用の冷蔵庫を開く。ドイツ国旗をでかでかと張り付けたその中には、オイゲンたちが買い溜めたヴルストやらザワークラウトやらが保管されている。それらを掻き分け、目当てのものを回収。見つけたのは、シナモンを筆頭に数種類の香辛料と、柑橘類の切り落とし。

 それから、イタリア艦隊のワイナリーを開く。一部分を間借りして、私が溜め込んだ、ドイツワイン。そのうち、すでに開封済みの一本を取り出して、材料集めは終了だ。

 

 コルクを抜いて、赤ワインの香りを確かめる。酸化はしていなさそうだ。まったりとした高貴な香りが、鼻の奥をくすぐる。このまま飲みたい衝動をぐっと堪え、コンロにかけた鍋へ投入、ゆっくりと火を入れる。香辛料に柑橘類の皮、砂糖も、適当に鍋へ入れていく。詳しい分量は最高機密だ。

 

 ウォースパイトの作業を眺めること二十分ほど。日付を跨ごうかという頃合いで完成だ。ドイツの冬には欠かせない、夜のお供である。一口できを確かめて、マグカップへよそい、スライスしたレモンを浮かべる。

 スイートでスパイシーな香り、漂う湯気。満足のいく仕上がりになった。これなら、ウォースパイトにも遠慮なく出せる。

 

 最後の数行に取り掛かっていたウォースパイトの傍らへ、ことりと、無言でマグカップを差し出す。書類から顔を上げた彼女は、マグカップ、次いで私を見て、首を傾げた。

 

「グリューワイン。寒いから、温まるわよ」

 

 それだけ言って、私は自分のマグカップへ口づける。先程の味見に、レモンの酸味が加わって、全体を引き締める。香りも申し分ない。何より、ほろ苦いワインの後味と、わずかに残ったアルコール分が、体を芯から温めてくれる。ドイツ程ではないとはいえ、冷え込む日本の夜には、ぴったりのホットドリンクだ。

 

「ありがとう。いただくわ」

 

 ペンを置いたウォースパイトが、マグカップへ手を伸ばす。両の手で包み込むように暖を取り、彼女はゆっくりとカップを傾ける。私は無言で、その様子を見守っていた。残された蛍光灯の下で、白く滑らかな彼女の喉が、こくりと、グリューワインを嚥下する。

 マグカップから離れたウォースパイトの唇が、ほうっと湯気交じりの溜め息を吐く。その口の端が、笑っていた。

 

「……おいしい」

 

 その一言を呟いて、ウォースパイトはもう一口、グリューワインに口づける。内心のガッツポーズを押し殺して、私も彼女に倣った。二口目は、少し、甘さが勝っている気がした。

 

 ウォースパイトが報告書を書き上げるのに、そこから十分とかからなかった。ようやくペンを置いたウォースパイトが、書き上げた文章の査読を私へ依頼する。ややぬるくなったグリューワインを共に、査読すること五分。これといって、指摘するところはなかった。空になった二人分のマグカップが、就寝の時間を告げている。

 

「おやすみなさい、ビスマルク。グリューワイン、とてもおいしかったわ」

 

 部屋の前で手を振るウォースパイトの笑顔が、ベッドで閉じた瞼の裏に、幾度となく蘇った。

 

 

 

「ビスマルク、聞いてくださる?」

 

 翌日。暇を持て余し、本を片手にコーヒーを傾けていた私へ、ウォースパイトが話しかけて来た。普段よりも幾ばくか溌溂として、明るい雰囲気をまとうウォースパイト。見るからに上機嫌な彼女の表情を窺い、私は本を置いた。

 

「なに、どうしたの?」

「昨日の報告書、提督がとても褒めてくれたの。綺麗な字だね、って」

 

 世辞からは二億光年くらいかけ離れた堅物だ。その評価が嘘でないことは容易にわかる。

 へえ、と曖昧に相槌を打って、私はウォースパイトに続きを促す。たったそれだけを言うために、彼女が声をかけて来たわけがない。

 けれど、待てど暮らせど、ウォースパイトからそれ以上の話題は出てこなかった。練習してよかった、もっと綺麗に書きたい、いつか手紙も書いてみたい。上気した頬の彼女は、提督から褒められたことを、殊更嬉しそうに語る。珍しく早口の彼女に、私が言葉を挟む余地はなかった。

 

「ビスマルクのおかげね」

 

 急な言葉に疑問しか浮かばなかった。首を傾げる私へ、ウォースパイトが微笑む。まだ早い桜に染まる頬のせいか、金糸を揺らすその笑顔が、一層艶やかに映った。

 

「……何の話よ」

「貴女が査読してくれたのだもの。それに、あのグリューワイン。とても落ち着いて、文章が書けたわ」

 

 ……なんと返したものだろうか。上手い返答が思いつかず、私はまた、曖昧な生返事を口にする。それでも、ウォースパイトに気を悪くした様子はなく、その輝く眼差しを私へ向けてくる。昨夜、私の目の前でペンを走らせていた手が、すっと伸びてきて私の手を取った。白くて細くて柔らかい彼女の手は、私の手を覆うのに少し足りない。

 昨夜より明らかに近い彼女からは、得も言われぬ甘い香りが漂ってきた。

 

「ねえ、貴女のグリューワイン、また飲ませていただけるかしら」

 

 吸い込まれそうな瞳が、真っ直ぐに私を捉えていた。また報告書を書く時だけでいい、私のグリューワインがあれば、きっと綺麗な字が書ける、と。ウォースパイトは、とても真面目な様子で、そう言うのだ。

 やけに押しの強いウォースパイトは、少し意外だった。凛として、粛然として、模範たる淑女の彼女を、何がそこまでにさせるのか。私にはわからない。

 

 心の内を溜め息でごまかして、ウォースパイトの手を解く。そのまま軽く――いや、やや強めに、ウォースパイトの頬を摘まんでやった。痕が残らないよう細心の注意を払いながら、ショウガツに食べたモチみたいな彼女の頬を引っ張る。淑女にあるまじき可笑しな顔になったウォースパイトは、キョトンと首を傾げるばかりだ。

 

「なぁに?」

「……いいえ、なんでも」

 

 彼女の頬を解放してやる。

 まあ、あのグリューワインを気に入ってくれたのなら、悪い気はしないわね。

 今は、そういうことに、しておこう。

 

「グリューワインくらい、いつでも作ってあげるわよ」

 

 読みかけの本を持って立ち上がる。ありがとう、と微笑むウォースパイトに、かっこつけて手なんか振って。行く当てもなく、私はその場を後にする。

 次は少し、香辛料を変えてみようか。レモンをオレンジにしてもいい。白ワインベースもいいものだ。そんなことを考える私は、ふと、昨夜の二口目を思い出していた。




最近何か食べたり飲んだりするお話が多いですね。飢えてるのかな…
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