ペンと淑女とグリューワイン   作:瑞穂国

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バレンタインのウォービスです


チョコと淑女とバレンタイン

 ブロンドの淑女が、今宵も何やら難しい顔で、キッチンに立っていた。

 キッチンだけに残された食堂の明かり。その只中に立つウォースパイトの格好はといえば、明らかに似合っていない割烹着と三角巾。抱えたボウルと睨めっこする彼女の手つきは、間違っても手馴れてはいない。今にも取り落とすのではないかと、この一瞬で三度は心臓が鳴った。

 どうやら今夜も、一波乱ありそうだ。

 

「何をしているの?」

 

 食堂へ足を踏み入れ、キッチンに顔を覗かせる。ボウルから顔を上げたウォースパイトが、パッと花を咲かせて口を開いた。

 

「こんばんは、ビスマルク。チョコレートを作っているの」

「チョコレート?」

 

 律儀な挨拶をして答えたウォースパイトが、ボウルの中身を見せてくれた。中には艶やかな見た目をした、焦げ茶色の物体。彼女がヘラでかき混ぜると、滑らかに広がるそれは、見間違えることのないチョコレートだった。

 市販の板チョコを細かくして、湯煎したのだろう。シンクには、ウォースパイトが剥がしたらしいチョコレートの銀紙と、砕けた板チョコの欠片が転がっていた。

 それにしてもなぜ、急にチョコレートなど作り出したのだろうか。お菓子作りに目覚めた、などという話は聞いていない。

 チョコレートへ視線を戻したウォースパイトが、微苦笑とともにその理由を教えてくれた。

 

「もうすぐ、バレンタインデーでしょう」

「……ああ」

 

 そんな日もあったなと、今更ながらに思い出した。ドイツにはバレンタインデーを祝う慣習がないから、どうもその辺りピンと来ないのだ。今年も私は、特にこれといって用意をしていないし。

 

 その点、日本というのは不思議な国で、別段宗教に熱心ではないのに、バレンタインデーをとても重要な日と位置付けている。この日のためにチョコレートが売られ、あるいは乙女たちが手作りをする。艦娘も例外ではなく、去年は数人の艦娘がチョコレートを作って、鎮守府の皆に配って回っていた。

 

 ウォースパイトの祖国では、どうだっただろうか。

 

「日本では、チョコレートを手作りするのが一般的だって聞いたの」

 

 何やら情報が偏っている気がするが、今は一先ず指摘しないでおく。それに、とても大事そうにチョコレートをかき混ぜるウォースパイトの横顔に、茶々を入れる気にはなれなかった。

 

「私はやったことがなかったから、少し練習を、ね」

「……そう。それで、誰に渡すの」

「提督よ」

 

 微笑むウォースパイトに、ドキリと、一段高い鼓動がした。

 一人で作るから、手が足りなくて、鎮守府全員分は作れない。だから、普段お世話になっている提督一人に渡すのだ。そう早口に説明するウォースパイトの言葉を、いつかと同じ曖昧な相槌で、私は聞いていた。

 

「折角作るのだから、美味しいもので、喜んでほしいわ」

 

 とろりといい具合になってきたチョコレートを見つめ、ウォースパイトはそう呟く。丁寧な手つきでチョコレートを型へ嵌め、冷蔵庫へ。味見をするのは明日の朝だそうだ。

 

「貴女も味見をしてね、ビスマルク」

 

 就寝前に残された一言で、翌日の早起きが決定した。

 

 

 

 バレンタインデーまでのおよそ一週間。結局私は、ウォースパイトのチョコレート作りに付き合い続けていた。

彼女は、どうも要領というのがいい方ではないらしく、覚束ない手つきは三日経っても変わらなかった。私にしたって、彼女にできるようなアドバイスも持ち合わせておらず、付け焼刃で読んだ料理の本など参考に、彼女と四苦八苦。時折現れる他の艦娘の助言の方が、数倍役に立っただろう。

 それでも。ウォースパイトとチョコレートを作るのは、楽しかった。たった数粒のチョコレートに一喜一憂する彼女の横顔が、眩しかった。

 

 バレンタインデーの前夜。いよいよウォースパイトは、本番のチョコレートを作っていた。ナッツにドライフルーツ、キャラメル。この数日間試した中で、彼女の納得がいった組み合わせを揃え、今真剣な表情で、チョコレートを砕いている。

 

 一方の私はといえば、やはり彼女と同じく、チョコレートを手にしていた。それから、昨日試作で使ったココアパウダーに、お砂糖と牛乳。

 

「ビスマルクも、誰かにチョコレートを渡すの?」

 

 刻んだチョコレートを滑らかに溶かしながら、ウォースパイトが首を傾げる。私はそれに首を振って「いいえ(Nein)」と答える。

 

「ドイツにチョコレートを渡す慣習は無いの。これは私と、あなたの分よ」

「そうなの?」

 

 ウォースパイトがそれ以上問いかけることはなく、自分の作業に戻っていった。それを見て、私も自分自身の作業を始める。髪が邪魔にならないよう高い位置で纏めて、私はまず、中鍋とココアパウダーを手にした。

 

 鍋に入れたココアパウダーと砂糖を混ぜて、少量の水で溶く。それから牛乳を入れて、コンロの火をつけた。沸騰するまでに、カカオの多いビターチョコを砕く。やることはそんなに多くない。ただ、ゆっくり火を入れていくから、それなりに時間はかかる。

 煮立ったココア入りの牛乳へチョコレートを投入する頃には、ぱたりと冷蔵庫の閉じる音がした。ウォースパイトがチョコレートを入れたのだ。

 

「メッセージカードを書いているわ」

「ええ。こっちもすぐできるから、待ってなさい」

「ありがとう。楽しみね」

 

 キッチンの正面に席を取り、ペンを走らせ始めたウォースパイトも、私の作っている物には察しがついたらしい。

 

 チョコレートを全て溶かし、弱火で熱を入れていく。真剣そのものの表情でペンを走らせるウォースパイトを見遣りつつ、鍋の中身をかき混ぜる。完成したものをお揃いのマグカップへ移して、私はキッチンを出た。

 数行のメッセージを書いているウォースパイトの隣に、今夜のお供を差し出す。顔を上げてこちらを覗くエメラルドの瞳が、私に問いかけていた。

 

「……ホットチョコよ」

「ありがとう」

 

 ウォースパイトからのお礼に目線だけで答えて、マグカップを勧める。

 グリューワインもいいけれど。たまにはこういう趣向もありだろう。それに、あと三十分ほどで日付を跨げば、バレンタインデーだ。

 グリューワインの時と同じように、両の手でマグカップを包むウォースパイト。薄い唇が湯気へ控えめに息を吹きかけ、やがてカップの縁に口づける。

 

「おいしいわ。こういうのも、あるのね」

 

 なんでもない風を装って、その言葉に頷く。ウォースパイトの口に合ったのなら、この上ない喜びだ。やや頬が熱い気がして、私は自分のホットチョコへ口づけた。濃厚な甘さに、就寝前の体がほっと息を吐く。

 

 ホットチョコを間に挟みながら、メッセージカードを書き上げるウォースパイト。その査読を頼まれるのも、いつもの流れだ。彼女の字は、いつかに比べて随分綺麗になった。もう見本の字にも負けないだろう。努力の滲む文章に、心臓の辺りが痛む気がした。

 

 二人分のホットチョコが無くなったのは、結局、零時を回ってからだった。

 

 

 

「見て、ビスマルク」

 

 翌朝も早起きした私に、ウォースパイトは冷蔵庫から取り出したばかりのチョコレートを差し出した。丸や四角の型に嵌ったチョコレート。綺麗に固まったそれらが、艶やかな表面に光を反射させている。磨かれたように美しい出来のそれらは、市販のものにも負けないはずだ。

 

「とてもうまくできたわ。ありがとう、ビスマルク」

 

 百花の如く笑うウォースパイトに、私は軽い相槌だけを返す。結局のところ、私は大したことをしていない。彼女の隣で板チョコを砕いたり、湯煎を手伝っただけだ。お礼をされる謂れはなかった。

 

 このチョコレートは、彼女だけのものだ。

 

「後は包装ね。そういうの、あなたの方が得意そうだから、私の出番はここまでね」

 

 立ち去ろうとした私へ、ウォースパイトがキョトンとした顔を見せる。首を傾げて私の袖を引いた彼女は、でも、と前置いてこちらを見上げてくる。

 

「まだ、何もお礼をしてないわ」

「お礼なんていいわよ。別に、大したことはしてないじゃない」

「いいえ、何を言っているの。ビスマルクのおかげで、ここまでできたのよ」

 

 買い被りもいいところだ。けれど、純粋な眼差しでこちらを見つめるウォースパイトを、絶対に離すまいと手を握る彼女を、振りほどくはできない。珍しく額に皺を作り、可愛らしく頬など膨らませる彼女からは、決して譲らないという頑なさが感じられた。

 小さく息を吐くことしか、私には選択肢がなかった。

 

「それじゃあ……チョコレートを一粒、頂戴」

「……もちろん、いいけれど。それだけでいいの?」

「いいの。チョコレートを作るのに協力したんだから、お礼もチョコレートをもらうべきでしょ」

 

 半ば強引に納得させて、たった今冷蔵庫から取り出したばかりのチョコレートへ目線を移す。

 それぞれのチョコレートの味を、彼女が説明してくれた。どのチョコレートも二つずつ。ビターは丸、ナッツは四角、ドライフルーツは星形、そしてキャラメルは――

 

「それじゃあ、キャラメルを頂戴」

「キャラメルね。待ってて、今包むから――」

「いいわよ、そのままで」

 

 型から取り出したキャラメル入りのチョコレート。ウォースパイトが摘まんだそれを――ハート形のチョコレートを、私は咥える。繊細なその手を、掴めば折れてしまいそうな腕を、可能な限り優しく、私の口元へと引き寄せて。

 

「あっ」

 

 驚いた様子のウォースパイトには構わず、そのままチョコレートを咀嚼する。固いチョコレートの殻の中に、蕩けるようなキャラメルが忍んでいた。チョコとは別種の濃厚な甘さが一瞬で鼻腔を駆け抜ける。しかし、チョコレートの風味を消し去ることはなく、両者は私の口の中で、ゆっくりと混じり合っていった。

 

「本当にいい出来ね。ごちそうさま」

 

 日本流に謝意を伝える。余程衝撃的だったのか、ウォースパイトはその整った顔を真っ赤に染めて、私を見ていた。サラサラの前髪をかすかに揺らして、彼女は頷く。

 

「提督も喜ぶわよ」

 

 それだけを言い置いて、私は食堂を後にした。慌てた様子で「ありがとう」と見送ってくれたウォースパイトに、手を振って答える。

 口に残るチョコレートの味は、昨夜のホットチョコより、ずっと甘かった。




ビスマルクは元祖無自覚イケメン(恋心も無自覚)

海外艦を見ると基本百合か片想いになる病気にかかっているので悪しからず

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