ペンと淑女とグリューワイン   作:瑞穂国

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お久しぶりです。相変わらず片想いのウォービスです。


ビールと淑女と秋祭り

 喧騒というものを、私はあまり好まない。

 親しい者たちと、楽しく騒ぐのはいい。お酒の席も大いに結構。けれど……どうもこういう、祭りというのは苦手だ。人がごった返している、とでも言えばいいのだろう。行き交う人々は小さな集団で、ただそこですれ違うばかり。会話もばらばら。しかもそこへ、並んだ店からの、威勢のいい声まで混じる。カオスと言うには十分すぎていて、そこへ混じるたびに、頭がくらくらした。

 ただ、まあ――そんな喧騒を、少し離れたところから眺めて飲むビールには、また格別なものがあるのも事実だった。ドイツ艦隊旗艦の私が言うのだから、間違いはない。

 鎮守府近く――とは言っても、市営のバスか路面電車で十分という距離にある神社では、毎年恒例の秋祭りが開催されていた。二日間の日程の内の、二日目。花火も打ち上がる今日は、特に人が多い。それと、行き交う人々の中には、圧倒的にカップルの数が多い。花火を一番の目当てに、恋人たちは喧騒を歩いていた。

 ビールを煽る。これで五杯目だ。そもそも、一杯が少ない。全く酔いは回っておらず、かといってここから動く気もなく、買ったヴルストをかじりながら、私はただぼんやりと喧騒を眺めていた。

 ……花火が始まれば、もう少し、人も少なくなるかしら。そんな、考えるだけ無駄なことを、考えていた。

 

「……彼女、何してるかしら」

 

 無駄なことと言えば、これも無駄な思考だ。考えたって仕方がない。

 彼女は――ウォースパイトは、今日、この秋祭り会場にいるはずだ。……提督と、デートをするために。

 

――「提督とね、秋祭りにお出掛けする約束をしたの」

 

 そんなことを彼女が教えてくれたのは、最早恒例になりつつある、深夜の報告書作成の時間だった。とはいっても、彼女はもう、随分と日本語にも手書きにも慣れていて、以前のように日付が変わるまで付き合うことはなくなった。私の作ったグリューワインが無くなるよりも、彼女が報告書を書き終える方がずっと早い。二人きりの時間は明らかに減っていて、でも報告書が終われば彼女はワインが無くなるまでおしゃべりに付き合ってくれる。寂しいような、嬉しいような、複雑な気分になる時間だった。

 グリューワインを両手で包みながら、彼女は嬉しそうに今日の予定を語っていた。今頃は、張り切って選んでいた浴衣を着て、提督と喧騒の中を歩いているんだろう。

 五杯目のビールが、やや重いのどごしを残して、空になった。爽快感を吐き出すには程遠く、酒気を帯びた溜め息だけが、軽く漏れる。

 六杯目のビールを買ってこようか。そんなことを考えながら手元を見ると、丁度、ヴルストもなくなったところだった。陽もまだ暮れていないのに、自分で思っていたよりも、お酒が進んでいたみたいだ。

 空になったプラコップと、すぐ目の前のビールの屋台。二つを交互に見遣って、悩む。別段、待ち合わせなんかがあるわけでは、ない。花火が近くなればオイゲンたちも戻ってくるだろうけど、それにしたって時間がありすぎる。雑踏に混じる気分でもなく、やはりやることと言えば、暮れていく会場を眺めてビールを嗜むくらいしかなかった。

 意を決して立ち上がる。簡易椅子が雑な音を立てた。ヴルストの乗っていたトレーを畳み、潰したプラコップとともにゴミ箱へ放った。ビールの屋台を振り返る。

 ふわりと、まだ顔を出さない月の気配が、漂った。

 雑然とした祭りの中に、彼女は立っている。ビロードのように美しい金の髪は、今日は編み込みがされて頭の高い位置にまとまっていた。浴衣との隙間に覗く、白いうなじ。すらっとした鼻筋と、形よく盛り上がる唇が、横顔だとよくわかった。嵌め込まれた翠の瞳は灯り始めた提灯の光を宿して揺れる。悩ましげな細い眉に、胸の辺りが締め付けられた。

 視線をあちこちへと移す彼女。覚束ない様子の手には、先日支給されたばかりのスマートフォン。困っているのは明白だった。

 反射的に足が動いた。雑踏を気にすることなく、私は彼女へ歩み寄る。

 

「ウォースパイト」

 

 奏でた彼女の名前は、自分でもわかるくらいに、喜色が滲んでいた。

 浴衣姿のウォースパイトが、私の方を振り返る。困り顔は、私を視界に捉えるとパッと花を開いて、安堵とも喜びとも取れる息とともに微笑む。月の女神もかくやという笑顔が、私の心を鷲掴んだ。

 

「ああ、ビスマルク……!よかった、貴女に会えて」

 

 彼女の細い手が、私の手を握る。そんな笑顔で、そんな風に触れられたら、思わずドキリとしてしまう。彼女という花に、恋をしてしまう。

 

「なに、してるの。こんなところで」

 

 雑踏から抜け出しつつ、尋ねる。彼女は気恥ずかしげに頬を掻いて、答えた。

 

「提督と、待ち合わせをしていたの。でも、予定より早く着いてしまって、それで少し見て回ろうと思ったのだけれど……」

「見事に迷ったと」

 

 これだけの雑踏だ。それも致し方ない。道を見失わなくたって、押し寄せる人の波に流されてしまう。普段は海を越える私たちも、相手が人では無力だ。

 

「でも、貴女が見つけてくれたわ、ビスマルク」

 

 改まって感謝の言葉を述べるウォースパイト。エメラルドの瞳に見つめられるのは、どうにも弱い。何だか無性に照れ臭く、私は頬を掻いた。

 人混みから何とか抜け出し、沿道の芝生で改めて彼女と向き合った。その美しさに、思わず息が漏れる。

 艶やかな赤の浴衣には、大きな薔薇の柄。その鮮やかさを引き締める黒い帯にも、大輪の花が咲く。揺れる袖、はためく裾。月の光を写し取った金砂の髪が、それらの輝きをなお一層高めていた。

 まるで、御伽話のお姫様みたいだ。浴衣っていう格好からすると、日本の昔話の――そう、かぐや姫のように。その姿はあまりにも現実離れしていて、目がくらみそうになる。

 

「綺麗……」

 

 何かを考える前に、言葉が口から出ていた。本音が零れてから、慌てて口を噤んでももう遅い。気づかないうちに、酔いでも回っていたんだろうか。そんな風に思うほど、頬が熱くなっていた。

 彼女が、驚いて目を見開いている。翡翠の瞳は真ん丸で、日中の残光を全てかき集め、キラキラと輝いた。陶器のように艶やかな頬を林檎色にして、彼女は俯き、細い指で髪を弄る。

 

「そう、かしら」

「……え、ええ。似合ってるじゃない。とても綺麗よ」

 

 柄にもないことを言っている自覚は、ある。普段なら絶対に口にしないセリフを、しかしもうすでに囁いてしまったあとではごまかすこともできず、私は彼女に告げていた。頬は燃えるように熱くて、きっと彼女の浴衣と同じくらい赤くなっているはずだ。

 ブロンドヘアの淑女に、向ける顔がない。これまで感じたことのない熱に、私の方が戸惑ってしまう。

 

「ありがとう。――提督も、喜んでくれるかしら」

 

 言葉が、ざくりと、心の深くに突き刺さった。頬の熱が引いていく。彼女から逸らした目元が、我ながら醜く歪んでいるのがわかった。舞い上がっていた分、その落差は大きくて、心臓を握りつぶされるような心地がする。彼女が俯いていて、本当に良かった。

 酔いが醒めていく。それに伴って、祭りの喧騒が、私の耳をうるさく叩いた。

 微かに下駄を鳴らして身をよじる彼女に、私は尋ねる。

 

「それで、提督とは、どこで待ち合わせているの」

「神社の鳥居のところよ。もうそろそろ、来ていると思うの」

「……じゃあ、ほら。早く行くわよ。案内するから」

 

 歩き出した私の後ろを、彼女はついてきた。下駄に慣れていないんだろう。どこか不器用で覚束ない足取りは普段より遅い。ヒールがない分、私よりやや背の低い彼女が、より小さく見えた。振り返るたび、上目遣いの瞳が、私を追いかけてくる。

 

「ねえ、ビスマルク。待って」

 

 ヴィオラのような美しい響きで、彼女は私を呼ぶ。人の少ないところを選んでいるつもりだけれど、それでも大きなうねりが至る所に生じている。人の波は、彼女の背より高い。艦娘ではなく、ただの女性でしかない今の彼女には、それは恐怖だろう。

 伸びてきた手が、私の服の裾を掴む。一度、雑踏の空気を吸い込んで心を落ち着かせ、私はややペースを落として、歩き続けた。

 そんな私に、彼女はおもむろに口を開く。

 

「……ビールの屋台がね、見えたの」

「……なあに、藪から棒に」

「人の波に飲まれた時にね。もう、どうしたらいいか、わからなくて……。でも、ビールの屋台を見つけた時に、その……」

 

 服の裾を掴む指に、きゅっと力が入る。ほんの少し引っ張られる感覚がして、私は立ち止まり、彼女を振り返った。薔薇色に微笑む淑女が、そこにはいる。

 

「もしかしたら、貴女がいるんじゃないかって、思ったの。――そして本当に、貴女はいて、私を見つけてくれたわ」

 

 嬉しかった。小さな囁きは祭りの喧騒に紛れていて、それだというのに、妙にはっきりと聞こえた。耳朶を打つ彼女の声は、妖精の歌のようで。頭に響く声は、甘く脳を蕩かす。

 どうして、と余計なことを尋ねそうになった。どうして、そこで私を求めたの、と。私を頼ったの、と。

 ……余計な思考、だ。今頼られているのは私で、それ以外の事実は必要なかった。

 

「ちょっと。まるで私が、ビールばっかり飲んでるみたいじゃない」

「でも、ビール好きでしょう、ビスマルク。いつもおいしそうに飲んでいるわ」

「……それも、そうね。――どこにいたって、見つけるわよ。貴女が探してほしいなら」

 

 そんな、ちょっと格好つけたことを、目を逸らした格好のつかない態度で、口にしてみる。視界の端で、彼女はくすりと、いつものような控えめな笑い方を見せていた。

 また、人の海へと、歩み出す。けれどその前に、服の裾を摘まむ彼女の手を、自分の手で握り締めた。細く滑らかな手は驚いた様子でピクリと震え、しかしすぐに布地を手放し、私の手に委ねた。私の手は、ギリギリ彼女の手を覆うだけの、大きさがある。

 まあ、服の裾に皺ができても、困る。それから、彼女とはぐれるのは、もっと困る。

 

「掴まってなさい。はぐれたら困るでしょ」

「……ええ」

 

 淑女の手を引き、歩き出す。雑踏の中をゆっくりと。言葉はない。会話をするには周りの音が大きくて、きっといつもの夜みたいにはいかない。それはとても、もったいないことのように思える。だから、今は繋いだ手だけを、大切にしていたい。

 しかし、困ったことに力加減がわからない。誰かと手を繋ぐなんて初めてだ。本当に、あどけないお姫様のように、ただ添えるだけで私の手に預けている手を、どう取っていいのか。しっかりと握り締めてしまえば、簡単に崩してしまいそうで。けれど託された信頼は、力を緩めればどこかへすり抜けてしまいそうで。なんとも微妙な力加減で、彼女を引いていく。

 ただ、手を繋いだからか、彼女の歩調に合わせるのは、ずっと簡単になった。

 石畳を打つ、ヒールと下駄の音。ぴったり揃ったリズムが、むず痒い。

 目印の鳥居は、すぐに見えてきた。私たちは、賑やかな屋台を一つも冷やかすことなく、人混みを掻き分け続ける。そういう楽しいことは、これから彼女と逢引きする、提督の役目だろう。

 

「……あ」

 

 鳥居まであと十メートルというところで、彼女の声がした。とても大切なものを見つけたような短く漏れた吐息は、例えでも何でもなく薔薇の色で。彼女が誰を見つけたのかは、私でもすぐにわかった。

 鳥居のところに立つのは、私が所属する鎮守府の提督。けれど、私の見慣れた日本海軍の軍装ではなく、濃紺の浴衣を着ている。

 私の役目はここまでだ。彼女の手を離す。

 

「それじゃあね。デート、楽しんで」

 

 小さく手を振って彼女を送り出し、踵を返した。しかしすぐに、袖を引っ張られて引き留められる。彼女の瞳に、射竦められた。

 

「ありがとう、ビスマルク。なんてお礼を言ったらいいかしら。必ず、このお礼はするわ」

 

 ……いいのよ、別に。そんな返事をしようとした。いつも通りの返事だ。本当に、大したことはしていない。お礼を言われるような筋合いはない。

 けれど、袖を引っ張る彼女は、それを許していない。

 どうしたものだろうと、考え込む時間はないわね。彼女は提督と待ち合わせをしていて、すぐに行かなければならない。私がその予定を狂わせるわけにはいかなかった。

 考えがまとまる前に口が動いたのは、やっぱり思った以上に酔いが回っていたからなんだろう。

 

「……それなら、デートして頂戴」

「……え?」

「……いいでしょう。女友達と一日過ごすってのも、たまには」

 

 ぱちくりと瞬きをするウォースパイト。しかし、彼女はすぐに頬を緩めて、頷いた。

 提督の方へと、小走りで駆け寄る彼女。覚束ない下駄の音がなんだか危なっかしくて、結局最後まで見送ってしまった。笑顔で提督に話しかける彼女と、それに微笑んで答える提督の姿が、雑踏越しに垣間見える。

 またやることのなくなった私は、気づくとビールの屋台の前に戻っていた。若い店員の、威勢のいい声が響いている。その隣からは、ヴルストの焼ける香ばしい匂い。

 六杯目のビールと、トレーいっぱいのヴルスト。二つを手にして、空いてる席に腰掛けた。

 秋の夜はまだ蒸す。日本の湿気がまとわりつく。綺麗に泡立ったビールが私を誘っていた。きめ細やかな白と、その下の琥珀色に引き寄せられるまま、カップに口をつけ、傾ける。喉を駆ける爽快感が、今はとても心地よかった。




ほろ苦い、片想い。
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