「それじゃあ、私は失礼します」
トガヒミコが監禁された部屋の前。
制服をしっかりと着用しなおした少女――綾里永遠は笑顔で一礼した。
「綾里」
相澤は彼女を呼び止め、一枚のSDカードを差し出した。スマートフォンのスロットに挿して使うが、単なる記憶媒体ではない。
「そいつを認識させた端末を食堂の券売機にかざせば、一日につき一品だけタダで注文できる。昼休みは使えないがな」
いわば、タダでおやつが食べられるチケットだ。
早めに登校して軽く腹に入れるもよし。放課後にデザートを食べるもよし。もちろんフードメニューにも使えるので、燃費の悪い彼女にはお得だろう。
少女は装置を受け取るとこくりと頷く。
「私の監視も兼ねてるってことですよね? ありがとうございます」
「……わかっているならいい」
淡々と答えつつ、内心舌打ちする。
永遠の推測は正しい。
装置は発信機も兼ねており、位置情報を二十四時間監視できる。
説明するつもりだったが先回りされた。
だが、これで「知らなかった」は通らなくなった。
SDカードを捨てたり発信機を除去すれば「私は悪人です」と言っているようなものだ。
相澤はもう一度口を開いた。
根津は彼の後ろにいる。よほどのことがない限りは庇える。
「お前の戸籍を調べた」
「………」
永遠は特に表情を変えずに見上げてくる。
「お前は約五年前――十歳の時に綾里家の娘として登録されている」
対外的には『養子』とされているが、戸籍上は実子だ。
「登録以前の記録はない。両親、兄弟その他が一切不明。ある日突然、綾里夫妻によって拾われている」
「拾われる前のことは殆ど覚えていないんです。最初に見つけてくれたのは浩平――同い年の兄でした」
養子にしようにも元の戸籍がなかった。
故に、永遠は綾里家の娘として初めて登録された。
「
「あらためて考えると物凄く怪しいですね、私」
少女はバツの悪そうな表情を浮かべた。
怪しいにも程がある。
子供を育てるには金も労力もいる。人や金が動けば違和感が生まれる。長期間、一般人が隠し続けるのは不可能と言っていい。
何らかの組織や強力な
「捨て子。身元不明。そのくせ妙な未来の記憶がある」
「お母さん達は何も知りません」
「そこは疑ってない。ただ、そうだな。
「……わかりません」
「だろうな」
シロにせよクロにせよそう答えるしかない。
行っていいと顎をしゃくると、永遠はもう一度頭を下げてから今度こそ去っていった。
エレベーターの扉が閉まり、駆動音が上っていく。
後には静寂だけが残された。
「どう思う?」
根津からの端的な質問に淡々と答える。
「演技にしては稚拙すぎます。本人はほぼ間違いなくシロでしょう」
「だろうね」
「はい。ですが――あれは明らかに異質です」
根津はトガヒミコの減刑を確約しなかった。
雄英校長も司法には口出しできない。できるのは伝手を頼って「お願い」する程度だ。やってみたけど駄目でしたという可能性は十分ある。
永遠もトガも「仕方ない」と答えた。
話を終えると少女達はスキンシップを希望した。
場所は隣の部屋へ。
マジックミラーによって監視可能となっており、根津は鏡の向こうに待機。相澤が部屋の隅に控えた状態で、少女達は生まれたままの姿を晒した。
永遠がトガにカッターナイフを渡すと、トガの瞳に狂気が宿った。
「もう我慢しなくていいの?」
「いいよ、トガちゃん」
その言葉がトリガーだった。
「カァイイ……。カァイイよう、永遠ちゃん」
トガが、恍惚の表情で永遠を押し倒す。
抵抗はなかった。
カッターが永遠の手首に押し当てられた瞬間、相澤は反射的に動きだしそうになった。永遠自身の望みでなければ実際に動いていただろう。
刃が引かれ、浅い傷がついて、鮮血が溢れ出す。
“赤”。
少女達の裸身に穢し、彩り、染めていく。
「あは」
トガが傷口に舌を這わせる。
ぺろぺろと、ぴちゃぴちゃと音を立てて血を吸い、唾液と混ぜあわせて飲み込んでいく。
「永遠ちゃん、永遠ちゃん。大好き。だぁい好き」
「ありがとう」
永遠が微笑む。
ただし、その微笑は涙に彩られている。痛みが自然と滲ませた涙だ。
トガが血を味わううち、腕の傷は癒えていく。
出血が止まり、傷痕が完全に消えるまでにかかった時間は一分程度。リカバリーガールの“個性”を受けているかのような回復力。
するとトガはまた別の個所にカッターを押し当て、刃を引く。
後はこの繰り返しだ。
手首に、腕に、胸に、腰に、足に、耳に。
新しい傷がつけられる度、トガと永遠の身体は赤く染まっていく。室内に響くのはトガのくすくすという笑い声と、永遠の苦悶の声。
歪で、猟奇的で、一方的で、しかし、どこかたまらなく淫らな交歓は、終わってみれば三十分にも満たなかった。だが、傍観していた相澤には永遠のように長く感じられた。
トガが永遠につけた傷、一つ一つは致命傷にほど遠い。
次々に傷が治るせいで傷が積み重なることもなく、命の危険はないと判断せざるをえなかった。
しかし、少女達が繰り広げた遊戯は明らかに常軌を逸していた。
終わった後、トガは迅速にカッターを返却した。
二人は永遠が持ってきたウェットティッシュで互いの身体をざっと清め、同じ階にあるシャワールームで血を洗い流すと、何事もなかったように服を着直した。
あまりにも、あまりにも平然としずぎていた。
「トガちゃん、我慢できそう?」
「うん。だいじょうぶ。また来てね、永遠ちゃん」
「うん。また来るよ」
トガは暴れることもなく元の部屋に戻り、拘束を受け入れた。
そして、根津も含め三人で部屋を出たのだが。
「綾里君の“個性”はしぶといこと、だったね」
「ええ。身体が丈夫で、回復力も高い。治癒した後はより丈夫になると」
間違ってはいない。
丈夫なのも回復が早いのもその通りだ。
だが、
「しぶといで済む範囲じゃない。あれではまるで再生だ」
「個性消去は?」
「効きませんでした」
相澤の“個性”は蛙吹梅雨などの異形型には通用しない。
永遠の治癒は任意発動型ではなく常動型――いわば彼女個人の「体質」だということだ。
あれならば、あの少女が無茶をするのも頷ける。
入試で0P敵を足止めしたのも、個性把握テストで全力を出し続けたのも、体育祭で切島の猛攻を耐えきったのも、当人の基準では
緑谷出久が本気で羨ましがりそうな“個性”だ。
「ふむ。“個性”届に具体的数値を記載しないのは普通だが――」
「
「
防御系の“個性”の場合はままある話だ。
どこまで耐えられるかを試していたら耐え切れなくなって死にました、では笑い話にもならない。具体的数値を取ったのはヒーロー科に進んでバックアップを受けてから、というのはよくある。
もしそのパターンであれば、綾里永遠の“個性”には先があるかもしれない。
意図的な過少申告だった場合はその理由が問題だ。
単にトラブルを避けるためかもしれないし、何らかの悪意によるものかもしれない。
「そしてあの精神力か」
果たして精神力で片付けていいものか。
治るから。
死ななければ大丈夫だからで血を流し、骨を折り、ボロボロになるのは狂人のすることだ。それこそ緑谷出久を見ればわかる。
もちろん、ヒーローにはそうすべき時があるのも事実だが。
「除名するかい?」
「……いえ」
そうしたいという気持ちを抑え、相澤は首を振った。
「ここまで首を突っ込んでしまった以上、彼女はヒーローになるべきです。
そうでなければ。
きっと、綾里永遠という少女は敵に堕ちるか――若くして命を落とすことだろう。
◆ ◆ ◆
職場体験が始まるまではあっという間だった。
放課後、私は大体一日おきにトガちゃんに会いに行った。最初にちょっとお話をして、それから過激なスキンシップをするのがいつもの流れ。
愛情表現が痛いのとテンポが独特なのが困るけど、トガちゃんは悪い子じゃない。
毎日会いに行かなかったのは、休みの日までは会いに来れないというのと、職場体験が始まるとなかなか時間が取れなくなるから。今のうちに慣れて貰わないと後が辛くなる。
「ここでの生活、大変じゃない?」
「ううん。殺して奪わなくてもご飯が食べられるのは快適なのです」
「そ、そっか……」
さすがにその時は私の顔も引きつったけど。
トガちゃんはしばらく雄英で保護することになったらしい。私の傍にいないと逃げる可能性が高い、と校長先生が進言した結果、各種取り調べ中および逮捕中の拘禁場所として「警察が雄英地下を一時借り受ける」という措置になったのだ。
私が会いに行くのは構わないらしいけど、トガちゃんがいる地下の様子は二十四時間監視され、部屋の内部および周囲には警察の人も詰めている。当然、私とトガちゃんによる「特殊な趣味の人に高く売れそうな映像」も見られるわけで、それはちょっと恥ずかしい。
ま、まあ、エッチな映像じゃないし、しょうがない。
「コスチューム持ったな」
「はーい!!」
A組生徒二十人は雄英最寄り駅構内から出発となった。
担任である相澤先生が付き合えるのはここまで。ここからは事前手配された切符やチケットを使って各体験先に移動しての活動になる。
期間は一週間。
体験先は結局、Mt.レディさんのところにした。生徒の中には九州まで行く子とかもいるけど、レディさんのところはそこまで遠くない。デクくんが中学時代、通学途中に出くわしていた通り割と近場だ。ただ、自宅から通えるかは微妙な距離なので雄英がホテルを取ってくれている。
保須からは、ちょっと遠い。
飯田君の様子を窺うと、彼はやっぱり思い詰めた様子だった。体験先はノーマルヒーローのマニュアルさん。原作と一緒だ。
お兄さんを傷つけたヒーロー殺し・ステインと遭う可能性を考えたのだろう。
何か言ってあげた方がいいのかもしれない。
でも、怒りに燃えている彼に下手な綺麗事は逆効果。より頑なにしてしまうことを考えると何も言えない。
――ステインの件は原作より好転している。
飯田君のお兄さん、インゲニウムから“個性”の証言が取れているからだ。
対象の血液を取り込むことで行動不能にする。
強力な“個性”だけど、わかっていればある程度は対処できる。前情報があった上でインゲニウムがやられた以上、ヒーロー側の警戒もより強くなっている。
きっと大丈夫。
なんなら飯田君やデク君の出番さえなく終わるかもしれない。
「永遠ちゃん、お互い頑張ろうね!」
「うん」
不安を振り払った私は皆としばしのお別れをする。
透ちゃんは結局、私とは別の事務所を選んだ。場所は――場所は、
「念のため、私も注意しておくね?」
「……ありがとう、透ちゃん」
わざわざそこを選んでくれた……というのは考えすぎかもだけど、私は透ちゃんの心遣いに感謝した。
「八百万さんはウワバミさんのところだよね? 頑張って」
「ええ。私なりに精一杯」
本当に頑張って欲しい。CM撮影とか。
◆ ◆ ◆
電車で移動し、Mt.レディ事務所へ。
「雄英高等学校から職場体験で来ました、綾里永遠です」
他生徒との被りはなかったようで私一人。
受付で名乗ると事務スペースの方に通してくれた。
全体的にこじんまりしたつくり(定期的に壊す人がいるからかも)で、トップであるレディさんも書類仕事をしていた。
でも、私が行くとすぐに気づいて顔を上げてくれる。
「あ、トワちゃん! ようこそ! こっちこっち!」
すごくフレンドリーだった。
「初めまして、綾里永遠でむぎゅっ!?」
「可愛い! ね、みんなもそう思うでしょ!?」
「キタコレ」
近寄っていくなり抱きしめられ、サイドキックの皆さんに写メを取られる。
いやまあ、金髪美女が幼女を抱きしめてるところは絵になるかもだけど……。
「まさかうちに来てくれるなんて! 指名した甲斐があったわ! これで勝つる!」
「むぐむぐ」
「せっかく来てくれたんだから、いっぱいお手伝いしていってね! パトロールも敵退治もひととおり経験させてあげるから!」
「ふがふが」
嫌味みたいに大きな胸に顔を埋めながら、私は思った。
ここに来たの、正しかったのか間違いだったのか、どっちだろう……?