手術室のランプが消えたのは、午後八時を回った頃だった。
ばたんと開いた扉からガラガラと出てきた
夕飯を食べていないせいか足がふらついたけど、そんなことはどうでもいい。
「浩平は!? 浩平は、どうなりましたか!?」
「……命は助かりました」
先生の重い声。
彼は、私の質問に答える体を取りつつも、私の後ろ、お店をお父さんに任せて来てくれたお母さんと、その隣にいるヒーローを見ていた。
子ども扱い。
でも、良かった。
助かった。浩平が無事だったなら、それで、
「ただ、右腕の損傷が酷く――」
「え」
「切断するしか、ありませんでした」
「な、にを」
私には、先生が何を言っているのかわからなかった。
右腕を切断?
浩平の? 右腕が? 切られた?
理解したくない。したくないのに、頭は徐々に事実を呑み込んでいってしまう。
理解するにつれ、身体からは力が抜ける。
ぺたん、と。
床に座り込んだ私は、なんで、と声を上げた。
「なんで浩平が、腕を切られなくちゃいけないの!?」
だって、浩平は。
あの事件が起こるまで、私と一緒に笑っていて、それで、
「浩平は、料理人になってお店を継ぐのが夢だったのに!」
利き腕を断たれた少年に、料理人の道は険しすぎる。
◆ ◆ ◆
ロリコン
裸で運ばれていた子も、服をボロボロにされた子も、私も、精神的なダメージはあったものの、傷らしい傷は負わなかった。
あいつが「挿入は無し」というポリシーを持っていたのと、ヒーローが間に合ったからだ。
私に至ってはキスさえされていない。
敵が何を言って脅そうとも
代わりに。
ヒーローが来るまでの間、激昂した敵によって浩平の右腕は滅多打ちにされ、太い指で掴まれて締め上げられた。更には、私と裸の子を放り出した敵に関節さえ破壊された。
何もできなかった。
自分が犠牲になるという決意もどこへやら。私は腰が抜けて一歩も動けなかった。ただ、その場から「やめて」と悲鳴を上げるのが精一杯だった。
そのうちにヒーローが来て敵は退治され、私達は保護、そして浩平は病院に運ばれた。
私はお店の手伝いも休み、手術室の前で座り込み続けた。
駆けつけてくれたお母さんの胸で涙が枯れるまで泣いたのと、どうしても我慢できなくてトイレに立った以外はずっと手術が終わるのを待っていた。
お母さんが作ってきてくれたおにぎりは少しも喉を通らなかった。
お腹が空いてしまうこと、トイレに立ってしまったことさえも浩平に申し訳なかった。
そして。
――処置の結果は、さっき先生が言った通りだ。
私は学校をズル休みした。
月曜日と火曜日の二日間、部屋に閉じこもってひたすら泣いた。途中から何に泣いているのかよくわからなくなってきたけど、とにかく悲しくて仕方なかった。
浩平のお見舞いに行けたのは、次の水曜日、瞼の腫れが多少なりとも引いた午後のことだった。
足が重い。
病室に近づけば近づくほどストレスで死にそうになったけど、帰るという選択肢は選べなかった。
浩平が入院しているのは個室。
ヒーロー側が気を遣って入れてくれた部屋のドアをノックすると、すぐに返事があった。
「はーい」
元気な声。
恐る恐る開ける。すると向こうにいたのは、呑気な顔をした浩平だった。
「よう、永遠」
「……浩平」
意外すぎて、私は言うべき言葉を全て忘れてしまった。
中に入ると、スライド式のドアがひとりでに閉まった。
元気そうだ。
上半身を起こして座っている。
パジャマ姿だけど、いつもの浩平。
「大丈夫、なの?」
聞いた直後に後悔した。
馬鹿か私は! 大丈夫なわけない! その証拠に、パジャマの右袖からは
考え無しにも程がある。
人の気持ちがわからないのもいい加減にしろ。
でも、浩平は鷹揚に答えた。
「おう。この通り。先生の腕が良かったんだろうな。飯食って寝たら体力も戻ったぜ」
「そっ、か」
吐き気がした。
気を遣わせた! 私のせいで、私のせいで、私のせいで。
「そんな顔すんなって」
顔に出ていたのだろう。
私を見た彼は歯を見せて笑った。
「あんな頭おかしいのに絡まれて生きてたんだぜ? ラッキーじゃん」
でも、右腕が。
「たかが右腕なくなっただけだ。なんともないって」
なんともないわけがない。
この“個性”社会ならどうにかする方法はあるけど、腕を復元するにしても、精巧な義肢を作ってもらうにしても、それ相応のお金がかかる。
――昨日の夜、お父さんとお母さんが相談しているのを聞いた。
必要な費用は、下手したらお店を手放さなきゃいけないくらいの額だ、と。
そんなの浩平が承知するはずない。
だって、彼の夢はお店を継ぐことなんだから。
片腕で料理人をするのは絶望的。
腕を取り戻すには、実家のお店を犠牲にしないといけない。
ふざけた、話だ。
「片手だって料理はできるだろ。これからも料理するよ、俺は」
無理だ。
野菜一つ切るのだって、片手で具材を押さえながら切るのが当たり前。
字を書くとかパソコンを扱うのとは比べものにならないハンディ。
家庭料理ならなんとかなるかもしれないけど、料理人なんて。
「それより、ありがとな永遠。俺に逃げろって言ってくれて」
違う。
私は格好いいこと言いながら、結局何もできなかった。
「あそこで声をかけられなかったら、俺、お前を守れなかった。きっと突っ立ったままアホな顔してるだけだった」
違う。
私は浩平に犠牲になって欲しくなかった。
「お前が無事で良かったよ」
「違う!」
私の声が個室内に響き渡った。
反響した声が完全に消え、しん、とした静寂が戻ると――私の頭に浮かんだのは後悔だった。
衝動というのはえてしてそういうものだ。
でも、噴き出したのは私の中にあった感情。
「傷つくなら私で良かった。だって、私の“個性”は――」
「永遠」
鋭い声。
びくっとして顔を上げる。
浩平が、怖い顔をしていた。
「もう一回言ったら、絶対許さないからな」
「だ、だって」
「だってじゃない。俺達は同い年で、お前は女だろ。だったら、男の俺がお前を守るのは当たり前だ」
そんなの、合理的じゃない。
強い方が弱い方を守ればいい。一の犠牲と二の犠牲なら一の犠牲を選ぶべきだ。
「それにさ」
ぽん、と。
浩平の左手が私の頭に乗せられる。
「俺の“個性”だって凄いんだぜ。あの敵を一瞬悩ませたし――」
手が離れて私の前に掲げられる。
「お前が『美味しい』って飲んでくれるからな」
人差し指から水が溢れた。
私は反射的に半歩踏み出していた。口を開け、上を向いて、こぼれ落ちる水を迎え入れる。
――美味しい。
甘いわけでも塩気があるわけでもない。
水は水なんだけど、でも、世界中の飲み物の中で、浩平の水が一番美味しいと私は思う。
ごくごくと。
注がれれば注がれるだけ、私は飲んだ。
一滴もこぼさないように。
浩平の指から水が出てこなくなるまで、飲み続けた。
「な、永遠。俺の料理、これからも味見してくれるか?」
「……当たり前でしょ」
瞳から涙が溢れてくるのを感じながら、私は答えた。
「私は、浩平の料理のファン一号なんだから!」
◆ ◆ ◆
私はようやく、本当の意味で理解した。
世界の無慈悲さを。
人々の無力さを。
ヒーローの力不足を。
そして、敵という存在の救いようのなさを。
私は決意した。
平和がないなら自分で作ろう。
争いを止め、大切な人を守れるだけの力を手に入れよう。
――ヒーローになろう。
ついこの間まで絶対に嫌だと、ありえないと思っていた進路。
でも。
この時から、それが私にとっての最大の夢になった。
◆ ◆ ◆
そこからはあっという間の日々だった。
お父さんとお母さんを説得し、浩平を説得し、担任の先生に希望進路の変更を伝え、毎日のランニングと筋トレ・ストレッチを日課に加えた。
運動するようになったせいで、もともと女子としては多かった食事量は更に増えた。
クラスの男子からは色々な意味でからかわれるようになり、もっと直接的に「お前にヒーローは無理だ」なんて言われたりもしたけど、無視した。
――できるかできないかを決めるのは国であり、養成学校だ。
お父さんとお母さんは最初反対だったけど、話したらわかってくれた。
浩平からは滅茶苦茶反対されたけど、学校には家から通うつもりでいることとか、お店の手伝いはこれからもすることとかを伝えて、何度も何度も根気よく説得したら最後には折れてくれた。
担任の先生はむしろ喜んでいた。
もともと、結構良い“個性”を持っていたからだ。先生からはむしろヒーロー科受験を薦められていた。
私の“個性”は「しぶとい」こと。
人より身体が頑丈で病気知らず。
回復力も高く、ちょっとした怪我ならすぐに治ってしまう。いじめるとその度、前よりちょっと強くなって回復する。
ご飯食べてるのになかなか伸びない身長がアレだけど、ぶっちゃけ、その辺の子供とケンカする分には私が一番強い。どれだけ痛めつけられても諦めずに立ち上がってればそのうち相手が力尽きる的な意味で。
そして。
「受験票よし。トレーニングウェアよし。参考書よし。お財布よし。お弁当よし。……浩平のお水よし」
「最後のは必要なのかよ」
出発前の最終確認をしていると、ノックもなく部屋に入ってきた浩平が呆れ顔で言った。
私は鞄をしっかりと閉じながら答える。
「必要でしょ。これがなきゃ始まらないもん」
「ドーピング薬かなんかか」
「似たようなものかも」
笑って立ち上がる。
時計は……うん、ちょうどいい時間。
鞄を持ちあげると、浩平も察したみたいだった。
「怖い受験生に絡まれても泣くなよ」
「泣かないよ!」
「向こうが泣いたら許してやれよ」
「私は鬼か何か?」
「弁当。俺も作るの手伝ったからさ。残さず食えよ」
「もちろん。ご飯は大事だからね」
幸い、プレッシャーで鈍るような胃はしていない。
部屋を出て歩き出すと浩平もついてくる。
「……しかし、お前が雄英受けるとはなあ」
「どうせ受けるなら一番いいとこでしょ」
そう。
幾つか滑り止めも受けているものの、私は第一志望に国立の雄英を選んだ。
原作でデクくん達が通っている、たった一年で何度も襲撃されちゃったりする、「トップ校の割にセキュリティ甘くない?」と評判のあの学校である。
予想通りなら私はデクくん達と同い年。
もし受かったとしても色々危険が伴うわけだけど、それでも雄英が一番いいと思った。
原作通りの出来事が起こるとした場合、雄英にいれば先のトラブルを予想できる。雄英以外に行った場合、作中では語られない事件が起こってさっくり潰される可能性がある。
原作通りに進まない場合、敵連合とかの襲撃も起こらないかもしれないんだから、一番いい学校行っておくのが無難。
国立だから学費安いのも重要だ。
――みんなには言ってないけど、私がヒーローを志望するのにはもう一つ理由がある。
それは、お金が儲かるから。
何せ身体を張る職業だから危険手当的な意味で報酬は多い。稼げば美味しいものを食べられるし、お父さん達に楽させてあげられる。
いっぱい稼げば、浩平に義手をプレゼントすることだってできる。
そのためには、
「まずは試験に受からないとね」
玄関に着いた。
運動靴を履き、万が一にも脱げないように二重に固結びした私は、傘立ての横に置いておいた細長いケースを背負う。
私の身長だと妙にアンバランスで、ゲームによくいる幼女戦士みたいなビジュアルになるけど、彼女達と同じように、重さでふらつくことはない。
「……本当に持ってくのかよそれ」
「備えあれば患いなしでしょ」
試験内容が予想通りなら武器が要るし。
私の決意が固いことを理解したのか、浩平は肩を竦めると笑った。
「頑張って来いよ」
「うん」
ぐっと拳を突き上げて答えると、母屋の玄関を出てお店の入り口に回る。
お父さんとお母さんが店から出てきて、手を振ってくれる。
「行ってらっしゃい」
「無理はするなよ」
「……うんっ! 行ってきます!」
浩平。
お父さんとお母さん。
血は繋がっていないけど本当の家族だと思っている大好きな人達に見送られ、私は歩いていく。
目指すは雄英。
私はヒーローになる。
なって、浩平を、お父さんとお母さんを、お店にお客さんたちを、守れるようになるんだ。
だから。
ここが、私の