暗い、暗い、暗いところにいた。
小さい頃のことは本当によく覚えていない。
当時の私は赤ん坊だった。
成長しない赤ん坊。
私はばらばらにされて地面に埋められた。
人としての私はそこで一度、死んでいる。
狭くて、息苦しくて、何もない、誰もいない場所。
ずっとずっとそこにいた。気の遠くなるくらいの時間を過ごした。
楽しみは、ごくたまに手に入る美味しいモノ。
一口にも満たないそれだけを支えに、ずっと生きてきた。
生物としての私は、細胞レベルでずっと生きていた。
――いや、ただそこに在った。
意識はない。
ただ、“個性”が私を生かし続けていた。
地中の栄養素に触れる度、それを吸収して少しずつ復元する。
運よく、虫の死骸が隣り合ってくれたりしたら、それは御馳走だ。
そうやって少しずつ身体を復元した。
いや。
今度は簡単に殺されないように、赤ん坊ではなく、最低限動ける身体へと自分を進化させていった。
ゆっくりと。
着実に。
それでも月日は流れる。
長い、長い、長い時を過ごして。
ある時、地表から美味しいモノが染みこんでくるようになった。
『綾里永遠』になってから知ったところによると、とある洋食屋の息子が「美味しい水を出す」だけの“個性”をこっそり訓練していたらしい。
栄養たっぷりのその水によって、私の身体は急速に完成していった。
もちろん、普通なら「身体が大きいだけの赤ちゃん」が生まれるだけ。
でも、幸か不幸か、私には前世の記憶があった。
前よりはずっと大きく、強く、頑丈になったある日。
光を見た。
これまでの世界の全てを過去にして、消し去る光。
這い出し、這い出し、やっと地上に出た。
久しぶりの人の世界で初めてあったのは、呆けたような顔をした少年。
私の命の恩人。
彼は裸の私をしばらく見つめた後、急に真っ赤になって、服はどうしたとか何で埋まってたんだとか、色々世話を焼いてくれた。
彼は私を自分の家に連れ帰り、彼の両親は私を娘として育てると言ってくれた。
そうして、私は私になった。
◆ ◆ ◆
全身が割れるように痛い。
「あー……」
「永遠ちゃん、大丈夫? ひどい声出してるよ?」
「うん。だいぶマシになってきたし……」
テーブルに突っ伏していた私は顔を上げ、目の前にあった菓子パンを取る。
封を開け、齧りつきながら足をぶらぶら。
拘束はもう解かれている。
「どれくらい痛かった?」
「正直、トガちゃんにやられるより辛い」
「……じゃあ、私ももっとやるのです」
「待ってトガちゃん。今やられたらほんとに死んじゃうから」
この痛みは外傷によるものじゃない。
私の中に入ってきた異物に対する抵抗――より正確には、その異物を取り込んで運用できるようにするために、身体が進化している痛みだ。
最初の方は本当に死んじゃうんじゃないかと思うほど痛くて、なりふり構わず泣き叫んで転がりまわった。お陰で「うるさい」とか言われて口を封じられ、別室に放り込まれていた。
でも、半日くらい経った今はもう、だいぶ身体が馴染んできて、ゆっくり動くくらいなら問題なくなってる。
菓子パンを食べ終わったので次はおにぎり。
むしゃむしゃもぐもぐ。
連合の財政事情を悪化させるくらいには食べておかないと割に合わない。まあ、それで新たな略奪が起こるかも、と考えるとアレなんだけど。
でも私、今は正義サイドと言えないしなあ……。
「新しい“個性”は使えそうかい?」
当然のようにカウンターに居るオール・フォー・ワンが尋ねてくる。
「使えると思いますけど……何でしたっけ?」
「『膂力増強』と『瞬発力』。どちらも君によって機能不全を起こした分なんだが」
「んー……」
私は立ち上がると、座っていた椅子を宙に投げ、床を蹴った。
ぐん、と加速。
軽く腕を振り上げると、木製の椅子がいともあっさり砕け散る。
身体能力はざっと数倍。
譲渡された“個性”の定着時にいっぱい痛めつけられたのもあって、凄いことになってる。
「これじゃ私、化け物じゃないですか」
「見た目は全く変化していないよ」
いや、そういう問題ではなく。
「……私を『ハイエンド』としてカウントしないでくださいね」
「君を
「絶対嫌です」
きっぱりと答えて、私はオール・フォー・ワンに確認する。
「約束は覚えてますよね?」
「ああ。君は我々の仲間にはならない。ただし抵抗も脱走もしない。代わりに、我々は君の家族に手を出さない」
「はい。後は、ご飯さえ食べさせてくれれば文句は言いません」
私は死柄木、オール・フォー・ワンと約束した。
連合には入らない。でも敵対しない。
緩やかな拘束を受け入れる代わり、死柄木達も私の家族に手を出さない。
――“個性”の移譲は実験だ。
私の身体に別の“個性”が与えられたらどうなるか。
使ったのは機能不全に陥った分だから、オール・フォー・ワンとしてはゴミ捨てでもする感覚で実験ができるし、成功すれば私にもメリットはある。
Win-Winならと承諾した結果は、激痛と引き換えの新“個性”二つ。
『超再生』の上位互換に並外れた身体能力。
なんていうか、脳無になった気分である。
でも、これで私の重要性が上がった。
下手に手放したら面倒な存在になりかねないので、多少、無茶な条件であっても呑まざるをえない。
「……面倒なお姫様だ」
死柄木は心底から面倒そうだった。
彼はため息を吐くと、私に抱きついているトガちゃんを見て、
「トガヒミコ。お前はどうだ?」
「私は永遠ちゃんの付き添いです」
「協力するって言っただろうが」
「もう協力しましたよ? それに、永遠ちゃんの傍から離れたくないので」
ごろごろと、頬を擦りつけてくるトガちゃん。
懐きすぎじゃないかって気もするけど、正直、男ばっかりのところだから、彼女がいてくれると心が和む。
「永遠ちゃんは殺しても死なないんだよね? じゃあ、何回でも殺せるんだよね?」
すごく物騒な好かれ方をしてるけど……。
「うーんと……一日一回までね。エネルギーが足りないと復活できないから」
「一回……。朝にしようかな、それともお昼? 夜も捨てがたいのです」
「お前ら頭おかしいんじゃないのか」
「あなたたちには言われたくないです」
さっさと壊滅しろ敵連合。
――壊滅といえば。
実際問題、彼らがいつまで保つかはわからない。
約束はしたものの、救助が来るなら逃げる気は満々だ。
「知ってると思うから言いますけど、私も他の人達もマークされてますよ?」
「そうだね。困ったものだ」
「……待て先生。何の話だ」
「うん? ヒーロー共の“個性”は情報共有しただろう? 君達が捕らえ損なったプロヒーロー、ラグドールの“個性”はなんだったかな?」
不思議そうにオール・フォー・ワンが言えば、死柄木は一瞬遅れて舌打ちをした。
「……そういうことかよ。じゃあ、さっさと移らないとやばいじゃねぇか」
「「本気で気づいてなかったの(かい)?」」
「……うるせえ」
あれ、死柄木って意外と馬鹿なのかな……?
と思ったら、続けて説明があった。
「ガキが追跡されてる可能性は考えてたさ。だが、子供を助けるつもりなら万全を期すはず。この市街地に今日明日で乗り込んでくることはねぇだろ」
それがありえちゃったりするんだけど……。
それは私が情報提供したせいだ。
前もって準備してないと今日明日で突入なんてできないのは確かだから、考えが及ばなくても仕方ない。
また、新しいアジトは義爛(裏のブローカーだ)に探させているらしい。
いい場所が見つかる前に攻められたら、いったん「脳無の隠し場所」に逃げることも可能だとか。
そう聞くと十分なプラン。
まあ、これも私のせいで、隠し場所の方も探索が進んでたりするんだけど。
――たぶん、オール・フォー・ワンは本当に「教師」なんだ。
ああしろこうしろ、と指図したりはしない。
動きだすきっかけは与えるし、致命的な失敗をしないようフォローもする。乞われれば助言もするけど、できるだけ、生徒が自分で考えるよう促している。
となると、原作でのアジト襲撃の件も、彼は知ってたのかな……?
内通者、あるいはそれに類する情報網はオール・フォー・ワンのもの。
一部の情報は死柄木達にも伝達されるものの、その意味や使い方までは教えない。警察のアジト発見を伝えるつもりがなかったのか、それとも、少しだけ時間を置くつもりだったのかはわからないけど。
マスクの男を見る。
相変わらず表情はわからないけど、彼が微笑んだような気がした。
「オール・フォー・ワン。ドクターに会いたいんですけど」
「彼の存在も知っているのか。なら、居場所を教える必要はないんじゃないかな?」
「む」
藪蛇。
私がどこまで知ってるか、逆に探られてるみたいだ。
「追跡されている状況で彼の元に連れて行くのは危険すぎる。すまないが我慢してくれるかな?」
「……仕方ないですね」
さすが、一筋縄ではいかない。
オール・フォー・ワンにとって、私はオールマイトのようなイレギュラーなのだろう。だからこそ取り込みたいし、だからこそ警戒する。
実際の私はただの小娘なわけだけど、それをこっちから明かす必要はない。
重要視してくれるなら、それを利用するまでだ。
私は黙ってご飯を食べ、食べ終わったらトガちゃんと(流血なしで)遊んだ。
ヒーロー達がアジトを襲撃したのは、その夜のことだった。
◆ ◆ ◆
「ヒーローだと!? クソが、いくらなんでも早すぎるだろ……!?」
その時、オール・フォー・ワンは不在だった。
もともと、彼はアドバイザーのようなもの。不本意だけど、私と遊びに来ていたというのが近い。用が無くなればさっさと別の場所に移動していった。
もちろん、死柄木達の様子はチェックしてるんだろうけど。
襲撃はテレビ会見の直後。
会見の内容もほぼ原作通りだった。違うのは生徒が無傷だったこと。代わりに誘拐されたのが私=女の子だったことが取りざたされたくらいか。
相澤先生の謝罪を、バーにある古いテレビで死柄木達と一緒に見た。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
私のミスだ。
トガちゃんを引きこんだことは後悔してない。
でも、結果的にこうなってしまったことは、申し訳ないと思う。
そして、そんな想いを、私が消化しきれないうちに――あっさりと、あっけなく、ヒーロー達がやってきて、
保管場所からの脳無召喚も失敗。
それは同時に、死柄木達が自力で脱出できないことを意味していて、
「大丈夫か、綾里少女」
私は。
拘束された敵達の中、一人だけ立っていた。
巨漢――オールマイトが私の傍に立つ。
「永遠ちゃん!」
敵扱いなのだろう。後ろ手に押し倒されたトガちゃんが叫ぶ。
いざとなったら『変身』を使っちゃうかもしれない。
私は微笑んでトガちゃんを見た。
「戻ろう、トガちゃん」
「でも! 永遠ちゃん、約束が!」
「約束?」
「……逆らったら家族を殺すと言われました。だから、何の抵抗もできませんでした」
「……そうか」
苦い顔になるオールマイト以下、プロヒーロー達。
「あの、トガちゃんにはひどいことしないであげてください。私を守ってくれたんです」
「守った?」
「はい。私の説得材料に連れてこられただけなんです。誰も殺してないのは私が保証します」
「……それは」
困った顔をされた。
そりゃそうだ。というか、それは今じゃなくてもいい。
私は話題を切り替える。
「それより、オールマイ……とっ!?」
ごぼっ、と。
黒い泥のようなものがお腹の中から湧きあがり、口からこぼれた。
気持ち悪い。
食べた物を吐いてるわけじゃないからいいけど……って、そういう問題でもなく。
不快感を堪えつつ見上げると、オールマイトは。
「大丈夫。わかっているさ」
ああ。
「必ず助ける」
格好いいな、と。
No.1ヒーローの雄姿に、この時初めて、心の底から感動した。
◆ ◆ ◆
瓦礫。
そして、地面に穿たれた一直線の痕跡。
脳無の保管庫となっていた廃病院周辺は破壊され、惨憺たる有様だった。
でも。
――思ったよりは被害が少ない?
単純年数なら百年以上、主観でも十年くらいは前だから記憶もアレなところがあるけど、原作での破壊痕はまるで怪獣でも来た後のようだった。
確かに、余波は凄い。
近くのビルも倒壊しているけど、逆に言うと「倒れたビルが折り重なっている」なんてことはない。
「“個性”が減った影響だね」
オール・フォー・ワン。
死柄木と先に話していたんだろう。
手だらけ男の居る方から歩いてきた彼は、淡々とそう言った
そっか。
私に“個性”を譲渡したせいだ。少なくとも『膂力増強』『瞬発力』が一つずつ減っている。そう簡単には補充もできなかったのだろう。
それでも馬鹿みたいなパワーだけど、意味はあった。
「……おっと。意外と来客も早かったな」
マスクに覆われた顔が上がる。
飛んできた――“個性”を考えると、正確には『跳んで』きたのは、アメコミヒーローのようなスーツに身を包んだ筋骨隆々の男。
オールマイト。
激突。
二人がぶつかっただけで衝撃が発生し、連合のメンバーが吹き飛ばされる。
もちろん私も。
新しく得た“個性”を使えば踏みとどまれるかも、とか思ったけど、近くにいるメリットがないので素直に吹っ飛んでおく。
「やあ、オールマイト」
その間に、オールマイトとオール・フォー・ワンは旧交を温める――とは言い難い会話を繰り広げていた。
「約三十秒か。全盛期には程遠いね」
「貴様こそ、何だその工業地帯のようなマスクは!? だいぶ無理してるんじゃあないか!?」
絶対の善と絶対の悪。
両者の衝突は、まさしく桁が違っていた。
「周辺の避難はもう開始している! 貴様の思い通りにはならんぞ!」
「ふむ。衝突を予期されていたようだ。誰の機転か……案外、これも永遠君かな?」
「無駄口を!」
「叩く暇がないのは――どちらかな?」
頂上決戦。
その始まりを、私は間近で見ることになった。