「はぁ……っ、はぁ……っ!」
壊理ちゃんの家を出て、玄関からは見えない物陰に入ったところで限界が来た。
身体が熱い。
立っていられなくなった私は地面に座り込んで荒い呼吸を繰り返す。
と。
急に身体が楽になったかと思えば、相澤先生が“個性”を私に向けていた。
「無茶しやがって」
「あはは。まあ、この手の反発は経験済みなので」
オール・フォー・ワンを用いた上でこの反発は予想外だったけど。
先生の『抹消』はありがたい。
『不老不死』には効かないけど『巻き戻し』には効くので、反発を抑えた上で“個性”への適応を進められる。
「壊理ちゃん、これからどうなるんでしょう?」
「……とりあえずは経過観察だろうな」
壁に寄りかかるようにして隣に立った先生は淡々と答えてくれる。
「本当に“個性”が発動しないか様子を見て、問題ないと判断されれば――後は医者の仕事だ」
「リハビリ、ですか?」
「カウンセリングを繰り返して恐怖心を取り除いてやらないとな。頃合いを見て少しずつ、勉強の遅れを取り戻させて、上手く行けばどこかの小学校にでも入るんじゃないか?」
「入院、しちゃうんでしょうか」
リハビリするならその方がスムーズだ。
「……本人の希望次第だ。知らない大人に囲まれるのが不安だっていうなら、あの家に医者を招くこともできる」
合理的ではないがな、と小さく付け加えたのは照れ隠しだろうか。
「優しいですね」
「ヒーローってのは一般人を守る仕事だろうが」
「それもそうですね」
生徒にだってぶっきらぼうな優しさを見せてくれるんだから、普通の子に厳しくする必要はない。
「暴走の心配は?」
「ないと思います。さっきまでの状態でも『巻き戻し』と『不老不死』は拮抗してましたし、あの“個性”は感情の昂りで暴走するはずですから」
「所有者の精神年齢が上がるだけでも危険性は下がる、か」
「はい」
私は、ほう、と溜め息をついた。
「良かったですね、壊理ちゃん」
「……お前の功績だ」
嫌そうな口調で褒め言葉が返ってきた。
◆ ◆ ◆
「戻りたい」
私の問いへの答え。
壊理ちゃんは“個性”を失うことを願った。
「でも、そんなこと――」
「できるよ」
仮定の話だと思っただろう。
辛そうに首を振る彼女にしっかりとした口調で告げる。
「内緒なんだけどね。私は“個性”を人から取っちゃうことができるの」
「え……?」
「だから、壊理ちゃんがそうしたいなら、戻れるよ。普通に」
小さな目が真ん丸に見開かれた。
私の言った意味を、それが嘘じゃないことを彼女が理解するのにはそれなりの時間がかかった。
震えていた。
喜びの興奮を全身で表しながら、壊理ちゃんは言った。
「お願いします」
それは、彼女の心からの願いだった。
「こんな“個性”いらない。……私の“個性”取ってください」
「その言葉が聞きたかった」
ぽろぽろと涙を流す壊理ちゃんを見ているともらい泣きしてしまいそうだったので、私は敢えておどけた感じでそう返した。
“個性”の奪取は一瞬で終わった。
壊理ちゃんから私へ『巻き戻し』が移ると同時、彼女の額にあった小さな角が消失。代わりに私の額に同じものが現れる。
手鏡も使って両者の姿を確認した壊理ちゃんは、もう一度私に抱きついてきた。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
生まれ持った“個性”のせいで苦しんできた少女は、無個性に戻った。
デクくんのように“個性”が欲しくて欲しくて仕方ない人もいれば、壊理ちゃんのように“個性”のせいで苦しんでいる人もいる。
本来、オール・フォー・ワンはそういう人達のための力なんだろう。
実際、初期の
あの男に感謝する人がいる事実を、その意味を、私はあらためて、ちょっとだけ実感した。
◆ ◆ ◆
相澤先生が手伝ってくれたお陰もあって、翌朝には体調が戻った。
“個性”が馴染むと同時に角も消えた。もともと髪に隠れて目立たなかったけど、消えてくれるのはありがたい。
もろもろ含めて結果オーライ。
正直に言うと、壊理ちゃんから『巻き戻し』を奪うのは怖かった。未知の理由で奪えない可能性や、奪った瞬間に暴走して壊理ちゃんを消してしまう可能性もゼロじゃなかったから。
でも幸い、そういうことにはならなかった。
今日は休日。
インターンの方は大事を取って「学校の用事でお休み」してある。思ったより早く復調できたのでまるまる空いてしまったけど、それならそれで予定が降ってくるのが
朝食後に電話で体調を報告すると、即「じゃあいつものところで会議な」という話になった。
そうして地下に集まったのは私と校長先生、相澤先生に――オールマイト。
「じゃあ、壊理君の“個性”は定着したんだね?」
「はい。実験するわけにもいかないので試してはいませんけど……」
「ハハッ。ラットで実験してみるかい?」
校長先生、あなたが言うと笑えないどころか怖いです。
「加減を間違ったら消えると思うと動物実験も気が引けますよ……」
「そうだね。だが、非常に貴重な“個性”なのも確かだ」
対象生物の時間を巻き戻す壊理ちゃんの“個性”。
目いっぱい戻して生まれる前の状態――つまりは消滅させたり、
原作では、
『巻き戻し』は
リカバリーガールも深すぎる怪我は治せない。
『超再生』は老化さえ止めるけど、他人の怪我を治せない。
でも、時間を巻き戻して怪我自体をなかったことにする『巻き戻し』にはそういった制約がない。
「使わないのはあまりに惜しい。特に……そう。怪我で戦えなくなったヒーローの治療に用いられれば、現状は激的に変わる」
「……それで、私ですか」
現役を引退し、講師やアドバイザーとして活動している元No.1ヒーロー、オールマイトが、やせ細った顔に苦笑を作った。
「まさか、ここまで来てからそんな方法が見つかるとは……」
「皮肉なものだね。やっぱり、抵抗があるかい?」
「……そうですね」
校長の問いにオールマイトは頷く。
五年前――AFOとの戦いで彼が負った傷は深すぎて治療法がなかった。臓器にさえ深刻なダメージを負ったまま戦い続けたせいで、今となっては生きながらえているのが不思議なくらいだ。
そんな身体が治るかもしれない。
だというのに、彼の表情は浮かないものだった。
「正直言って、私としては気が進みません」
「………」
相澤先生が黙ったまま校長を見る。
いろいろあってオールマイトと仲良くなった彼としては、オールマイトの方の意見を尊重したいのかもしれない。
それでも校長は動じた様子を見せず、
「君にもう一度戦って欲しい、というわけじゃないさ。ただ、その身体を治すだけでも――」
「軽々しく治していいものではない、と思うのです」
「っ」
オールマイトは大声が出せない。
だから、決して威圧感は強くないはずなのに、彼の発言には重みがあった。
平和の象徴として戦い続けてきた男。
彼以外の者が言ったとしても同じようにはならないだろう。
「勲章、などと言うつもりはありません。ただ、この傷は死力を尽くして戦い、勝利した証です。力を後継に託した今、不用意に治してしまえば、
「……それは、避けたいところだね」
人は死を恐れる。
恐怖は身を竦ませ、足を止めさせる原因にもなるけど、死にたくない、怪我をしたくないからこそ頑張れることだってある。
そういう場面で「死ななければ怪我は治る」なんて気持ちを持ったら踏ん張りが効かなくなる。
そして、戦いの中ではちょっとの油断が死を招く。
「故に、私の傷はこのままでいい。いえ、このままにしておくべきだ」
「………」
「………」
校長も、相澤先生も何も言わない。
理屈だけなら反論もできるだろうけど、オールマイトの気持ちも尊重すれば軽々しい言葉は出せない。
私も、無理に治す必要はないと思う。
「オールマイト」
「永遠君」
だから、私は別の角度から話をする。
「あなたの時間を戻しても、
「……そうだね。あれは失ったのではなく託したものだから」
何が言いたいのかはわからないが……といった表情ながら、オールマイトはそう答えてくれる。
良かった、彼も同じ意見なんだ。
システム的に考えるとOFAは戻る。
例えば、片腕を失った人の時間を戻したら腕は生えてくる(正確には失う前に戻る)。なら個性だって戻る方が自然だ。
でも、出産と個性喪失ではだいぶ違う。
個性因子と呼ばれているものが単なる身体の一部――細胞の一種みたいなものなのか、そうでないのかがそもそもわからない。便宜上因子と呼ばれているだけで、人に寄生している宇宙人やウイルスの類、なんていう可能性もある。
三歳の子供がいるお母さんの時間を妊娠中まで戻したとして、お腹の中に赤ちゃんが現れるか――なんて、やってみないとわからないだろう。
特に、OFAは例外中の例外だ。
このへん、原作で“個性”を失ったミリオがその後どうなったかわかれば話が早いんだけど、あいにく原作はそこまで進んでなかった。
「何もかも取り返せるわけじゃない。仕方ないし、それでいいんだと思います。いくらでも復元できるなら物を大事になんてしないでしょうし」
「ええと……何の話?」
「普通は取り返しなんてつかない。それでも、どうしても返ってきて欲しい大事なものもあるんじゃないでしょうか、っていう話です」
「返ってきて欲しい、もの」
私が言いたいのは治療による弊害でも、オールマイトの心持ちでもない。
「あなたが元気になったら、デクくんは喜ぶんじゃないでしょうか。戦力になるとか、そういうのは関係なく。ただ、大切な人ともっと一緒にいられるから」
「!」
「デクくんだけじゃありません。サーだって、あなたの怪我が治ったらほっとします。胸のつかえがとれて、きっと前以上に活動に打ち込めます。それだけでも、治す価値はあるんじゃないでしょうか」
私は、治せるんなら治して欲しい。
無理強いはできないから、もちろん私の希望でしかないけど。
――校長と相澤先生が顔を見合わせる。
二人はそれぞれに息を吐いて、心底驚いている様子のオールマイトに言う。
「私だって、友人が今にも逝きそうなのは心苦しいさ」
「一杯奢る約束、果たさせてもらえませんか」
「………」
オールマイトが俯いた。
髪の隙間から、零れ落ちる何かが見えた気がしたけど、それは気のせいだったかもしれない。
「オールマイト。……いいえ、オールマイト先生。私の練習に協力していただけませんか?」
「……ああ、いいとも」
かすれた声でオールマイトはそう答えた。
◆ ◆ ◆
「いいか妹。全力で出力を絞れ。絶対だ。間違っても制御を緩めるなよ」
「フリじゃないですよね?」
「当然だろうが馬鹿か除籍するぞ」
場を和ませようとしてガチで罵倒されたりしつつ、広い部屋に場所を移して『実験』は行われた。
中央に私とオールマイト。
相澤先生はちょっと離れたところで油断なく立ち、私がやりすぎそうになったらいつでも『抹消』できる構え。
校長は部屋の隅まで移動して、間違っても巻き込まれない態勢。
「じゃあ、行きます」
「これで消されたら化けて出るからね」
オールマイト本人からも言われてしまったのでいささか緊張しつつ、極力低出力になるよう必死で抑えながら『巻き戻し』を発動。
結果から言えば、成功した。
ちょっと使っては『抹消』を併用して発動を中断し、再開するの繰り返し。時間をかけて“個性”を使ううちにオールマイトの顔色が少しずつよくなって、ある時、彼が負っていた幾多の深手が消え始めた。
そうしてきれいさっぱり、
「成功だね」
オールマイトの死期は伸びた。
何もなければ老衰するまで、これからも長く生きられるだろう。
このことはデクくんとサー、リカバリーガールなど、ごくごく一部の関係者以外には伏せられることになった。それでもきっと、知った人達の喜ぶ顔はオールマイトにとっても良いものだろう。
たぶん、サーとの約束も果たせたと思う。
私は心からの笑みを浮かべて、
「じゃあトワ君。警察から協力要請が来てるから移動しようか!」
「私、まだ仮免なんですけど!?」
やることはまだまだあるみたいだった。