「……静かだ」
緑谷出久が水難ゾーンの水面を見つめて呟いた。
水の波打ち方は仕様の範囲内。
外部からでは何が起こっているのか伺い知ることができないが――少なくとも、激しい戦闘が起こっている様子はない。
永遠が水に落ちてから、約五分。
ゾーン付近には1-Aのほぼ全員が集まっている。
この場にいないのは当の八百万永遠と、その対処をしているはずの蛙吹梅雨だけだ。
水に落ちた永遠を梅雨が捕まえて気絶させる作戦。
永遠が上がってこないところを見ると、成功したのだろうが。
「なあ、五分はさすがに死ぬんじゃねえの?」
「いや。あいつなら息を止めてもしばらくもつだろ」
切島の疑問に轟が答える。
氷漬けの状態も「息ができない」という点では同じだから、一応の根拠はある。
一同の参謀役を務める八百万百は彼らの言葉に頷いて、
「危険状態であれば先生方が動くはずですわ」
訓練では「万が一」が起こらないよう、各種方法で状況をモニターしている。
相澤やミッドナイト、オールマイトが動いていないということは、少なくとも永遠に命の危険はない、ということだ。
教師の顔色から状況を判断するのは少々、行儀が悪いかもしれないが。
「……蛙吹さんは水中でも呼吸できますから、ニ十分でも三十分でも問題ないでしょう」
問題は永遠の方だ。
「口田さん。USJ内の様子は……」
「う、うん。異常ないよ」
「黒影にも『何か見つけたらすぐに知らせるように』と言ってあるが、動きは無いな」
カメラ映像を映すノートパソコンは口田に渡してある。
常闇も黒影を偵察に出し、念には念を入れた監視体制だ。
この五分間はメンバーを集結させたり、いつ飛び出してくるかわからない永遠に警戒したりと中々に慌ただしかった。
しかし、切島が言った通り、これだけの時間、音沙汰がないのは少しおかしい。
「……五分も息を止めていれば相当に動きは鈍るはず。水中の蛙吹さんなら遅れを取ることはないと思うのですが」
「でも、彼女なら何をやってもおかしくないよ」
緑谷が言った。
一緒にトレーニングをしているお茶子もそれに応じて、
「そうやね。永遠ちゃんなら、これくらい平気で乗り越えてくるかも」
「では、仕方ありませんわね」
カロリーには限りがあるが、ここは使いどころだろう。
水中用のカメラと、自撮り棒のような器具を作成。
水の中を覗いた八百万は驚愕した。
「これは――」
◆ ◆ ◆
意外と水の中でもそんなに苦しくないなあ。
梅雨ちゃんと一緒に水の底に位置した私は、しみじみとそんなことを思った。
水に落ちてから既に何分か過ぎている。
もちろん苦しくないわけではないのだが、なんだかこの分ならタイムリミットまで潜っていられそうな気がする。
――原因は多分、ドクターに改造された時の経験だ。
お腹の中まで液体に漬けられたりしたせいか、水を飲んでも平気というか、ギリギリ生命維持に必要な空気くらいならお腹の中の水から取り込めるっぽい。
それならと『不老不死』の効果でより平気になるため、ちょっとずつ故意に水を飲み込んでいる最中だ。
(もがもが)
梅雨ちゃんは私に四肢を拘束されている。
駄目だと思って力を抜いた私を、彼女は陸に引き上げようとした。でも、そうされている途中で「意外と大丈夫だ」とわかったので、私は逆に梅雨ちゃんを抑え込んだ。
いざとなったら彼女のお腹の中の空気をいただく、という案もあったんだけど、幸い、それは必要なさそうだ。
さて。
このまま気づかれないといいんだけど。
多分、そう上手くはいかないだろうなと、完全防水仕様の時計を見ながら私は思った。
◆ ◆ ◆
永遠は健在である。
衝撃の事実を受けて、陸上の1-Aメンバーは騒然となった。
「マジかよ……」
「あれだけやって平気って……」
ヒーローの訓練というより、HP無限の敵相手に狩りゲーでもしている気分になりつつあったが、ここまで来て何も手を打たずに負けられるはずがない。
「蛙吹さんは拘束されているだけです。呼吸も心配ありませんが、このまま待っていても我々の勝利はありません。対策が必要です」
「対策って言っても……」
肝心の相手は水の底。
果たしてどんな手段を取れば勝利することができるというのか。
「轟。水全部凍らせられねえのか?」
「できなくはねえけど、時間がかかるし、さすがにやばいだろ。八百万妹が耐えても蛙吹が耐えられねえ」
上鳴の電撃も似たような理由でアウト。
青山のレーザーも水中では光の屈折が変わるためにまともな効果が出せない。
「面倒臭え。その辺のモンぶっ壊して水の中埋めちまえば――」
「却下」
「麗日。水全部浮かせられたりしねえ?」
「無理やって。何トンあると思ってるん?」
なお、一般的な小学校の25mプールでも数百トンあるらしい。
水難ゾーンの水全部を浮かせようと思ったらお茶子が何百人も必要である。
――蛙吹のような特異体質でない限り、水中というのは困難なフィールド。
永遠に勝つために選んだ手段が逆に彼らを追い詰めている。
ああでもないこうでもないと話し合いを続けて更に五分――残り時間が二十分と少しにまで減った頃、一応、結論は出た。
「……わたくしが酸素マスクを作りますから、機動力に優れる数名で人海戦術を取ります」
「それしかねえか」
作戦、と呼べるほどの作戦ではない。
消去法で正攻法に落ち着いた、というだけの話だ。
「悪いが、俺は参加できそうにない」
悔しそうに言ったのは飯田だ。
彼の『エンジン』は自動車やバイクのそれに近い。要は地上を走行するための仕様であり、水の中での本領発揮は難しかった。
足手まといになるのを懸念した彼は参加を断念。
結果、選ばれたのは――緑谷、砂藤、障子、尾白の四人だった。
「頼みましたわよ、皆さん」
四人は仲間達からの激励に頷き、水中への戦いに身を投じた。
◆ ◆ ◆
何か来る。
気づいた時にはもう、敵は半分くらいまで距離を詰めていた。
一人、二人……もうちょっといる気がする。
梅雨ちゃんを後ろから拘束したまま私は考える。
この子を離して戦う?
いや、ここは人質作戦!
四肢に身体を絡みつかせたまま海底に座るような姿勢を取って待つ。
やがて、彼等はやってきた。
――四人。
デクくん、砂藤君、尾白君は真っ当に泳いで。
残る一人、障子君は腕を複製することで彼にしかできない変則的な泳ぎ方を見せている。
彼らは梅雨ちゃんを人質に取った私と視線を合わせると、ぎょっとしたような顔をした。
さあ、どうする?
下手に攻撃すれば梅雨ちゃんに当たってしまう。
これで諦めてくれれば楽だったけど、それは叶わず。四人は「梅雨ちゃんを救おう!」とばかりに四方へ散って私に向かってきた。
人質を拘束したまま、海の中では逃げ回るのも難しい。
仕方なく足を外し、腕だけで抱きついたまま、デクくんの来る方向へと海底を蹴って移動。
「!?」
女の子に免疫のないデクくんが動揺するのを見逃さず、梅雨ちゃんを突き飛ばす。慌てて抱き留めた隙を見て、再び海底を蹴り遠ざかった。
そこへ、残りの三人。
私の動きを見ていたせいか、三人とも、いったん海底に足をついてから勢いよく飛び掛かってくる。
まずい。
不利を見て取った私はもう少し上に浮かぶことにした。ジャンプする要領で攻撃をかわすと、男子達も追いかけてくる。
デクくんは――。
意外だ。
梅雨ちゃんもじたばたして疲弊していたので、そのまま連れ帰ってくれるかと思いきや、二人でこちらに向かってきている。
こうなると五対一、か。
スカートの残骸等々、動きの邪魔になるものを全て外し、水着にもなるインナーと防水の腕時計だけの状態になる。
腕と足を必死に使って水をかきわけ、次々に来る追撃をかわしにかかる。
ここは我慢比べ。
残り時間が少なくなって焦っているのは向こうの方。四人は酸素マスクを着けているものの、酸素量には限界がある。激しい動きをすれば消耗も大きくなるから付け入る隙はある。
――と。
障子君の攻撃をかわし損ねた私は、六本に増えた腕の一つに捕まった。
(く……っ!)
腕をぶん殴って逃げたいところだけど水中では難しい。
手を伸ばして障子君の腕を掴むと、万力のごとくギリギリと力を籠める。たまらず手を離す障子君だったが、すかさず別の腕が迫る。
私は呆然と口を開け――その腕に噛みついた!
「……がっ!?」
障子君の悲鳴が聞こえた気がした。
私は彼の腕から顎を離すと、そのままがぶがぶと水を飲んでいく。体内が液体で満たされればそれだけ浮力が減り、水に浮かなくなる。
沈んでいく私に追撃がかかるも、姿勢制御に意識を割かなくても「下」に落ちていくのなら、空中で戦っているのとそう変わらない。
泳ぐ必要のなくなった私を追い詰められるのは、
(ケロ)
かなり疲れている様子ながら一生懸命に向かってくる梅雨ちゃん一人!
まさに水棲生物といった感じのトリッキーな動きで向かってくる彼女を二本の腕で必死にさばく。私の呼吸もいい加減まずいんだけど、ここまで来たら我慢比べだ。
(くっ!)
何度か交錯した後、梅雨ちゃんの舌が腕に巻き付いた。
さっき障子君にしたみたいに締め上げようと思ったけど、その前に梅雨ちゃんの身体が近づいてくる。
拘束が目的じゃなくて、接近のため!
いつでもどこか冷めたように見える彼女の瞳が私を見つめ、
「ぶくぶくっ!?」(えっ!?)
抱きつかれた。
動きを封じるため? でも、梅雨ちゃんがいたら他の人が攻撃しにくい。水を飲んで重くなってる私の身体は簡単には引き上げられないし、
っていうか柔らかくて安心しそうになるような――と。
「――!」
がっ、と、口に指が突っ込まれる。
驚いて口を開いた私は、更に突っ込まれてくるぶよぶよしたものに思考を停止する。舌。え、あの、気持ち悪いと言いますか。
あ。
無理だ、これ。
◆ ◆ ◆
「「「せーのーっ、えいっ」」」
ぴゅー……と、女子数人がかりでお腹を押してもらって、お腹の中の水を吐きだした私は、げほげほ咳き込んだりしながら肺呼吸にモードを戻して、
「降参します」
陸に上がった時点で両手を上げてはいたものの、あらためて声でそう宣言した。
「四十一分二十三秒。Bチームの勝利だ」
相澤先生がそう告げると、私以外の面々――Bチームのみんなは歓声ではなく、心底からほっとした、というような溜め息を吐いた。
いや、うん。私としても「やっと終わった」としか言いようがない。
最初に想定したような逃げ隠れなんて全くできなかった。終始追われたり攻撃されたりで、もう二度とやりたくない。
梅雨ちゃんにやられなくても持久戦で負けてた気がするし。
「一対十九は無理だよ」
「四十分耐えといて言うなよ!」
突っ込まれた。
「むしろ、四十分ぐらいなら他の人でも耐えられるよ」
飯田君とか。
透ちゃんだったら二時間くらい余裕かもしれない。いや、耳郎さんが音で探り当てるか、口田君が用意した動物が嗅覚で見つけるかな。
切島君がげっそりした顔で「ないない」と手を振り、
「やっぱお前とは
「そうだね」
三時間くらい終わらなさそうだから、頻繁にはやりたくないけど。
「いつかちゃんと殺す」
「勘弁してください」
いつも以上にキレてる感じの爆豪には割と本気で答えた。
「ま、AチームもBチームも色々、思うところはあっただろ」
「………」
私としては決定力不足。
ギリギリ説明がつくレベルに身体能力を抑えてるんだから当然といえば当然なんだけど、とはいえ、サーみたいな基礎スペック無双のヒーローもいるわけだし、もっと対応力も攻撃力も欲しい。
いや、サーの身体能力はおかしいんだけど。
プロ試験対策とか聞く前にトレーニング方法聞いた方が良かったかも。
Bチームの面々も、チームアップする際の連携の難しさや地形適応の重要性、フィールドを利用する戦い方など、様々な点を自ら上げた。
相澤先生は私達の自己評価に補足を加えた上で、最後に、
「ここで聞くが、八百万妹がヒーローとして評価された点はなんだと思う?」
「「「しぶとい」」」
「正解だ」
なんだろう。
私としては喜ぶべきなのか、それとも「私は一学期からそう言ってたじゃん」みたいな反応をすべきなのか、あるいはうんざりした表情のみんなにツッコむべきなのか。
「そうだ」
でも、相澤先生はもっともらしく頷いて、
「こいつの売りはとにかくしぶといことだ。オールマイトの引退後、社会は『ヒーローが倒れる』ことに敏感になっている。見た目は全く頼り甲斐がない癖して馬鹿みたいにしぶといこいつは、一つの『新たなヒーロー像』として担ぎ上げられることだろう」
むしろこの人にツッコんだ方がいいかと思うも、結局、私は何も言えなかった。
「お前らも『自分なりの売り』をもっと突き詰めろ。でなければ、こいつの後を追うなんて夢のまた夢だぞ」
◆ ◆ ◆
「ところで、梅雨ちゃんはどうやって永遠ちゃんを追い詰めたん?」
「どうもしないわ」
「蛙吹さんが八百万さんにキスしたんだ。それで――」
「キスじゃないわ。舌を入れただけよ」
「そ、それ、ディープキスやん!」
いや、蛙みたいな長い舌がいきなり口に入ってくるのは割と拷問だったんだよ……。