善悪も、敵味方も、全ての境界線を暗闇に溶かし、交わるはずのない者が交わっていた。
これは、ありえたかもしれない過去の話。
もしくは、ありえるかもしれない未来の話。
誰かが望んだ、希望の話——。
戦闘において、数とは力である。
例えば、こんな状況を考えてみて欲しい。
無類の強さを誇る1人が、無数の一般人と戦っている。後者の攻撃はダメージを生まず、前者の攻撃は10人の敵を吹き飛ばす。
この場合、勝つのはどちらだろうか?
決まっている。無数の一般人だ。
無をいくら足しても無だが、ただ時間が経つというだけで人は疲弊する。振るわれ続けた腕は力を失い、ほんの少しずつでも形勢は動く。
「おい、しっかりしろ!」
「ありえねえ、ありえねえ、こんなふざけた事があってたまるか!」
もちろん、これは机上の空論だ。
真に無数の敵など存在し得ないのだから、自分が疲弊する前に滅ぼしてしまえば良い。
言うは易く行うは難いが、不可能ではない。
ただ、不可能と断じてしまって問題無いほど困難なだけだ。
「衛生兵、衛生兵ー!」
「立て、立つんだ! おいどうした! 何があった!?」
その不可能が、今為されていた。
1人の男が歩いている。そこらを散歩するような軽い足取りで、敵の只中を歩いている。
敵に触れる事すらなく、ただ手を向けるだけで無力化し、何事もなかったかのように歩を進める。
一般兵も、重装兵も、狙撃手も、術師も、誰も彼もが一瞬で倒れ伏した。
「なんでだ……なんでなんだよ……」
暗闇に溶け込む黒の衣装。手袋を嵌め、顔すら面で覆った怪人がいた。
その者の名は——
「……ロドスのドクター自身に戦闘能力は無いはずだろ!?」
——Dr.黒井鹿という。
***
「ドクター、こんな時間にどちらへ?」
「寝る前に外の空気に触れたくてな。なに、すぐに戻る」
「気を付けてくださいよ。まだまだ物騒なんですから」
「分かってる。ああ、そうだ。帰りは裏口を使うから、この出入口は閉めてくれて構わない。たまには早く寝て休んだ方がいいぞ」
「ドクターに言われると説得力があるような無いような……」
日が沈み、夜番以外の人員が眠りについた頃。Dr.黒井鹿はロドスを出た。
と言っても、これ自体はさして珍しい事ではない。
彼はしばしば散歩に出かけるのだ。仕事を放棄しているわけではないし、メンタルケアにも良いだろう、ということで特に問題視はされていない。精々アーミヤから
「独り歩きは危険ですから、誰か連れて行ってください。ほ、ほらわた——なんでそこでサリアさんなんですか? ねえドクター。何故そこでいつも一緒にいるサリアさんを選ぶんですか?」
などと言われるくらいだ。なお、この時のアーミヤの状態について、詳しく語る事は出来ない。
……語り手だって死にたくないのだ。
こういった理由で容認されているDr.黒井鹿の散歩なのだが、この日は様子が違った。
静穏性が売りのバイク〝覆面ライダーΛ3〟(ペンギン急便裏カタログ、商品番号5050)に乗り、基地を後にしたのだ。
彼が向かった先は、レユニオンの部隊が潜んでいると目されている廃墟だった……。
***
かくして、冒頭に至る。
「ドクター……貴様、仲間に何をした!?」
「ふふ、少し天国を見せて上げただけだ。焦らなくていい。ほら、君にも見せてやろう……」
「ま、待て、な、何をす——ぐぁぁ!」
また1人、Dr.黒井鹿の前に敵が倒れ伏す。
天国の言葉に偽りは無いようで、地に伏せる男たちは一様に良い笑顔を浮かべている。
それがより一層、この状況の異質さを際立てていた。
「……お前たちは下がっていろ。これ以上の犠牲を出す訳にはいかぬ」
「さ、サルカズの剣兄貴!」
Dr.黒井鹿を脅威と判じたのか、遂にサルカズ大剣士までもが集まって来た。身の丈に迫るほどの大剣を担ぎ、ゆっくりと歩を進める。
それを見てなお、Dr.黒井鹿の態度は変わらない。
「何を思ってこんなところまで来たのかは知らぬが、またとない絶好の機会だ。その首、土産に置いて行けぃ!」
「お前なら……こうか」
「……なん、だと?」
大きく振られた大剣は、Dr.黒井鹿の眼前で止まっていた。完全に間合いに捕らえ、必中の一撃を放ったにも拘らず、当の本人が剣を止めてしまったのだ。
そして、彼も他の者と同じように崩れ落ちる。
「サルカズ剣兄貴ー!」
「もうお終いだ……ドクター自身がこんな能力を持ってたなんて……」
恐らく、サルカズ大剣士がこの部隊最大の戦力だったのだろう。その彼もが不可解な手段で倒され、部隊に動揺が走る。
だが、その不可解さから答えに辿り着くものがいた。
「……なあ、なんで全員倒れ方が同じなんだ?」
言われて見てみれば、レユニオンの戦闘員はみな身体を折って倒れている。しゃがみ込んだまま前に倒れたよう、と言うのが分かりやすいだろうか。
まあ、その、もっとぶっちゃけた言い方をすれば——
「……お前ら、なんで腹側を見せねえんだよ」
——股間のあたりを隠すため、腰を引き続けた結果として倒れたよーな姿勢なのだ。
「これだけやれば、さすがに気付くか」
見てはいけない。
そう思いつつも、その場にいた全員がDr.黒井鹿に目を向けた。向けてしまった。
そして、見てしまったのだ。
「さあ、レユニオン。この世の天国を見る時だ」
飲み会で(規律とか服装とか色々な意味で)乱れに乱れたオペレーターたちの姿を。
「「「ふぉぉぉ!!?」」」
身体に満ちていた力が一点に集中したかのように崩れ落ちる男たち。その顔はどこまでも晴れやかであった。
「く、くそ……。なんて破壊力だ……」
「スカイフレアのやつ、普段のあれでまだ抑えていた、だと……」
「飲みのときでも腕甲外さないあたりいいぞエフイーター……」
「クリフハート、その緊縛術はいったい……」
誰もが見悶える中、なんとかDr.黒井鹿へと視線を向ける男がいた。
「ドクター、貴様の狙いは何だ? 我々の弱点を探りに来たのなら、もう目的は達せられたはずだ。我々が立ち直る前に去ることだな。あ、ただし写真は置いて行ってくれお願いします」
未だダメージが抜けきらない進行役の言葉に、Dr.黒井鹿はこっそり笑みを深めた。
ああ、こいつらならば大丈夫だ、と。
地に伏す彼らと視線を近付けるように、Dr.黒井鹿はどっかりと腰を下ろした。
「今日、俺はお前たちと話をしに来たんだ」
「話、だと……? 対話が成り立つようなぬるい関係は、とうの昔に終わっている。今更何を——」
「まあ、まずは聞け」
「ふん、聞く耳持た——」
そして、静かに問うた。
「お前ら……可愛いもの、格好良いものは好きか?」
「「「詳しく聞かせろ」」」
***
「俺は指揮官だ。戦場には立つが、一場面に捕らわれることは無い。あってはならない。誰よりも広く、誰よりも深く戦況を見るのが、俺の役目だ」
廃ビルに、静かな声が木霊する。
「ある日のことだ。いつもの様に指揮を執っていると、何とも言えない違和感を覚えた。その時は何故なのか分からなかったんだが……2日、3日と重ねるごとに気付いたんだよ。俺はこの目を知っている、と」
声を張り上げているわけではない。広々とした空間を考慮するならば、その声量はかなり小さいほどだ。
「次に考えたのは、どこで見た目なのか、だ。これはすぐ気付いたよ。なにせ、四六時中見ていたのだから。気付かない方がおかしいくらいだ」
それにも関わらず、その声はしっかりと通っている。
何故なら、その声以外のあらゆる音がしないのだ。
「あれは俺の目だ。俺と同じ目だ。そこが分かったのなら、その先だって分かるだろう?」
気を抜けば聞き漏らしてしまいそうなその声を、しかしその場にいる全員がしっかりと聞いていた。その耳で、その心で、1人の男の言葉を聞いていた。
「……お前たち、うちのオペレーターの武器じゃなく耳とか尻尾とか角とか、その辺ばっかり見てただろ」
「「「そうだよちくしょう文句あんのかゴラ!」」」
今まで黙っていた分だと言わんばかりに、間欠泉の如く叫びが吹き上がった。
「ああそーだよ見てたよ見てましたとも! しょーがないだろ? こちとらムサ苦しい男所帯なんだよ! たまの目の保養くらいいいじゃんかよ!」
「そうだそうだ! そんなところに美少女&美女揃いの部隊当ててくるとか当てつけかこんちくしょうが! この外道! 人でなし! いいぞもっとやれ!」
「俺はそんなところ見てないぞ! 俺が見てたのはエクシアちゃんの光輪だけだ!」
「同じだバカが」
「つーかドクターてめえズルイぞ! 俺だってオペレーターを愛でたい! ショウの尻尾に埋もれて寝たい!」
「寝心地を言うならプロヴァンスだろ! あの尻尾で眠れるのなら鉱石病が悪化しても構わない!」
「いやいやいや、そこはプラマニクスだよ! あの太い尻尾とたっぷりの髪、そしてホワホワした耳! あの人の隣なら永眠できる自信がある!」
「……起きた時の『おはようございます。私の尻尾、寝心地はどうでした?』を聞かなくていいのか?」
「「「お前天才かよ」」」
そんなアホな会話が咲き乱れる中、Dr.黒井鹿は進行役とサルカズ大剣士に挟まれるという窮地に立たされていた。
辺りの和気藹々とした空気とは隔絶された、3人だけの空間。そこはぴんと張った糸のような緊張感に満ちていた。
「……ホシグマが可愛い。これは確かな事実だ」
「イフリータこそ至高。異論は認める」
「よーしお前らそこに正座しろ。サリアの素晴らしさについて、日が昇るまで語ってやる!」
もっとも、その緊張感は当事者のみのもので、傍から見る分には他とまったく同じなのだが。
「それで、ドクター。そろそろ本題に入ったらどうだ?」
空気が、今度こそはっきりと変わった。
返答次第では弁解の隙すら与えず斬り捨てる。その思いが形を取って見えるようだ。
「……俺はな、これをやりたいんだ」
明確な殺意を向けられても、Dr.黒井鹿の態度は変わらない。
これまで通りの静かな口調で、ぽつぽつと喋るだけだ。
「敵だの何だの抜きで、皆で馬鹿やって騒ぐ。感染経路すら定かでない鉱石病なんてもので差別されることなく、区別されることすらなく、普通に笑って過ごしたい。……俺が望むことなんて、精々そのくらいだ」
「……そんな世迷言を抜かすために、わざわざ敵地に来たのか」
「ああ、その通りだ」
「底抜けの馬鹿か、貴様は」
そう吐き捨てる進行役の口元は、何かを堪えるかのように震えていた。
それに気付いているのかいないのか、Dr.黒井鹿の言葉は続く。
「何かを壊すのではなく、創るのでもなく、ただ少し考え方を変えるだけで、俺たちは協力できるはずなんだ」
「……ふざけているのか、ロドスのドクター?」
「ふざけてるのはそちらだろう、レユニオン」
「貴様——ッ!」
「なあ、レユニオン。お前たちの願いは何だ?」
瞬時に剣を向けられ、矢を向けられ、それでも微塵も揺るがない。
Dr.黒井鹿のぞっとするほどの冷静さに当てられ、レユニオンの面々は半ば判断力を失っていた。
「なあ、何なんだ?」
「と、当面は龍門の攻略を——」
「それは作戦目標だ。願いじゃない」
「各地の感染者に奮起の呼びかけを——」
「だから、それはただの行動指針だろうが。俺は願いを聞いてるんだ」
「非感染者に相応の報いを……」
「本当にそうか? 本当に、それがお前たちの願いなのか?」
数で勝り、力で勝り、技で勝っている圧倒的多数が、たった1人の弱者にやり込められている。
ただ揺るがないというだけの人物を動かそうと躍起になり、逆に自分が動かされているのだ。
「なあ、本当に、それがお前たちの願いなのか?」
その問いに答える声は無い。
「……言ってみろ。ここには俺たちしかいない。ロドスのオペレーターも、レユニオンの幹部も、お前たちを差別してきた一般市民もいない」
その呼びかけに応える声も無い。
「地面に掘った穴に叫ぶようなものだと思って、言ってみろ」
何度目かの声が響く。
虫の声すらしない静寂が生まれ——
「——たい」
「……何だ?」
「……もう1度、普通に暮らしたい!」
——破られた。
1度決壊してしまえば、それはもう直らない。
次から次へと言葉が溢れ、廃墟を満たしていく。
普通に、平和に、幸せに——ただそれだけを願う声が、宙に消えていく。
その声には、応える声があった。
「ああ、よく言った。なら、俺はそれに全力で協力しよう。ロドスの総力を上げて、な」
Dr.黒井鹿の提案した方法はいたってシンプルだ。
ロドスとレユニオンはこれまで変わらず戦闘を行う。レユニオンが民間人を襲い、ロドスがそれを抑える。この時、ロドスはその民間人の説得を行い、少しでも感染者への認識を改めさせるようにする。
要は感染者と非感染者の人間的な差異は無いこと。それを分からせればいい——とはDr.黒井鹿の弁だ。
当然、様々な反応があった。
好感を示す者。今一つ実感の湧かない者。明確に否定する者。
最も多かった意見は「それが上手く行ったとして、元レユニオンの生きる場所はあるのか?」だ。
これに関して、Dr.黒井鹿は一言で斬り捨てた。
「お前らの仮面は何のためにあるんだ?」
これは草の根的な活動だ。どれだけ早く実を結ぶとしても、十年は先になるだろう。
それでも、2つの組織が協力し、裏で手を結んで歩むことが出来るなら……不可能な話ではない。
話が終わり、最初に口を開いたのは進行役の男だった。
「……この話に乗ったとして、我々が得られる短期的なメリットは?」
「まず死傷率の低下だ。こちらの指揮する部隊や戦術を調整すれば、不自然でなく均衡を作り出せる。そうすれば、お互いに痛い目を見なくて済む、という寸法だ」
「……弱いな。日々の戦闘による損害のみを考えるなら、今ここでお前を殺すのが最も確実で手っ取り早い」
「そう来るだろうと思ったから用意はしてある。……見ろ」
言いつつDr.黒井鹿はコートの前を開き、内側を周囲の男たちに見せた。酷い言い方をしてしまえば、露出狂のポーズだ。
そこに在った物とは——
「俺と手を結べば、こういった写真が手に入るぞ」
「「「よし乗った!」」」
——オペレーターたちの写真だった。
……露出狂のポーズで何一つ間違っていなかったよーな気がするが、深く考えてはいけない。
「クロワッサンって普段はこういう風に笑うのか。戦場での笑顔は見た瞬間には遥か彼方までぶっ飛ばされてるからなぁ……」
「シージって甘い物好きなのか。……菓子作りの勉強、してみるか」
「ニアールの寝顔カワイイ……あ、やばい昇天しそう」
「シルバーアッシュの兄貴、いつ見てもイイ身体してんな……」
「……半分寝てるサイレンスって、阿呆の子っぽく見えていいな」
途中で1人ちょっと毛色の違う輩がいたかもしれないが、そこは多様性ということでどうか一つ。
「まあ、対価としてWやタルラの写真をいただくがな。オペレーターたちの日常風景ってのは新鮮だろう?」
「ああ、この注射から目を逸らすイフリータ……ドクター、焼き増しは幾らだ?」
「1枚100龍門弊、またはそれに相当する素材、もしくは写真同士で交換。これでどうだ?」
「いいだろう。交渉成立だ」
交渉役がイフリータの写真を懐に収め、代わりにクラウンスレイヤーの写真を取り出した。そこに写る彼女はのんびり武器の手入れをしており、戦場での冷たさが幾分和らいでいる。
それを今度はDr.黒井鹿がポケットにしまい、2人は固く握手を交わした。
「……正直なところ、俺は未だにこの作戦が上手く行くとは思えん。我々のような斥候部隊1つと手を組んだところで、組織同士の融和にまで繋がるとは考えられないのだ」
「ああ、それでもいいさ。焦る話じゃない。ゆっくりと、少しづつ変えていけばいいのさ」
「ああ、そうだな……。結果を急ぐあまり、こんな基本的なことすら見落とすとはな……」
交渉役が自嘲気味な笑みを浮かべた。だが、それはすぐに掻き消えた。
「さあ、ドクター! 同盟結成の祝いだ。今宵は語り明かそうではないか!」
「おうとも。サリアの良さをたっぷり分からせてやる」
「……貴様とはしっかり語り合う必要がありそうだな。よし、酒を出せ! 飲むぞ!」
「あ、帰りバイクだから、俺は飲めないぞ」
「…………貴様、変なところで律儀だな」
***
同日同時刻、ロドスにて。
「こそこそ出かけて行ったと思ったら、こういうことですか。まったく、無茶が過ぎますね」
「……無断で出て行ったドクター、その身体に盗聴器を仕込んでいるアーミヤ。私はどちらを責めるべきなんだ?」
「ドクターには護衛のドローンを付けてあるので大丈夫ですよ。あの部隊程度なら、今すぐにでも制圧できます」
出所は当然のようにペンギン急便裏カタログである。
「……まあ、犠牲を最小限にして問題を解決できるのなら、これはこれで1つの手なのかもしれないな」
「独断専行が過ぎますけどね。色々な意味で」
「その通りだ。いつか説教をしなければな」
「……それにしても…………」
「どうしたんだ?」
「……飲み会になってからというもの、サリアさんとホシグマさんとイフリータさんのことしか聞こえてこないんですけど」
「……この男、一度じっくり話し合う必要がありそうだな。場合によってはイフリータの視界に入るまえに始末を——」
「サリアさーん? その前にこっちの話をしましょうか~?」
「いや待てアーミヤ。この間もそれで二日酔いになっただろう? だから翌日周回がある日は飲まない方がいいんじゃないかと——」
「うるさいですね。それ以上言うと、口移しで飲ませますよ」
「既に酔っていないか!? ちょ、ち、近寄るなあああぁぁぁあむっ!?」
翌日、サリアとアーミヤ、Dr.黒井鹿までもが揃って寝坊したのは言うまでもない。
そんなこんなで、ロドスは今日も案外平和である。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ノリに乗った結果、あやうくバイトに遅刻しかけました。2話分くらい文字数あるのは気のせいです。きっと、たぶん。
それでは、(今度こそはたぶん本当に)十五時間後もお楽しみに!