うちのろどす・あいらんど   作:黒井鹿 一

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 浮気――それは、不仲の理由として最悪の部類に入るだろう。
 元々あった人間関係を破壊し、新しく構築した関係にすらヒビを入れる。

 だがもし、もしも既に構築されたコミュニティの中で浮気が発覚した場合……。
 あなたならどうするだろうか?


第17話―うわきのおはなし

 人は楽な方へ、楽な方へと流れていく。

 

 それを一概に悪と断じることは出来ない。

 なぜなら、その結果として人は技術を発達させてきたのだから。

 

 楽に獲物を仕留めるために武器を作り、

 楽に農耕を行うために家畜を囲い、

 楽に身を護るために社会を形成した。

 

 その歴史は悪ではない。

 その真価は悪ではない。

 

 だが、悪と断ずるべき面もある。

 

 楽に生きるため、他者から奪うようになった者。

 楽に生きるため、思考することを止めた者。

 そして、快楽に負けた者。

 

 この世は様々な楽で溢れている。

 他者を支配することを楽と捉える者がいる一方で、他者に隷属することを楽と捉える者がいる。

 この世は本当に、様々な楽で満ち溢れている。

 そのどれに惹かれるかは人それぞれだ。

 そのどれもが正解で、そのどれもが不正解だろう。

 

 だが、何かの楽に心惹かれた時、少しだけ考えてみて欲しい。

 それは近付いて良い楽なのか、と。

 

 そう、あの男、Dr.黒井鹿のように……。

 

        ***

 

「不審者?」

「そーなんよ。ほんま困ってまうわ」

 

 執務室でサリアが1人で仕事を片付けていると、クロワッサンが入室してきた。Dr.黒井鹿はと言えば、このところ執務室に来ないのだ。仕事はきちんとこなされているので、さして問題は無いのだが。

 ここ数日ほど、ロドス基地内で不審者が確認されているので対処してもらいたい、というのがクロワッサンの要件だった。

 

 不審者と言われ、サリアの脳裏に真っ先に思い浮かぶ人物がいた。その顔は仮面で覆われており、白衣の上に黒コートという謎の出で立ちをしている。

 両手をワキワキと動かす怪人物を思考の外に追いやり、サリアは問うた。

 

「その不審者は、具体的にどのような行動をしたんだ?」

「え~とな、女の子に後ろから忍び寄って角触ったり、尻尾触ったり、耳触ったりしてるみたいやなぁ」

 

 仮面の男が「呼んだ?」とばかりに脳裏に舞い戻るが、サリアはそれを殴り飛ばし、またしても思考の彼方へ追いやった。

 深呼吸を一つして、サリアは再度問うた。

 

「そ、その不審者の目撃情報は?」

「チラッと見たんはおるみたいやけど、しっかり見たいう話は聞かんなぁ。だいたい1人きりでいる子が狙われてるんよ」

「それでも、何となくの特徴くらいは分かるだろう?」

「ん~、みんなだいたい『黒っぽかった』くらいしか言わへんねん」

「黒、黒か……」

 

 黒コートがまたしても思考への侵入を果たし、「二重にかかってるだろ? もう認めちまえよ」と囁きかけてきた。それを力の限りに蹴り飛ばし、思考の大気圏まで打ち上げる。

 

「あ、そや! この部屋、たしか監視カメラのモニターあるんよな? それで確認したらええやん」

「あ、ああ。たしかにそうだな」

 

 資材の備蓄数を示していた画面を切り替え、監視カメラの映像を映し出す。クロワッサンの言う日時場所に合わせると、たしかに黒い影のようなものが映っている。

 

「あちゃ~、監視カメラでもこんなんかい。これじゃ誰だか分からんやんか」

「……」

「こーなったらうちが囮になって、サリアはんに捕まえてもらうとか……。ああ、でも重装2人じゃバランス悪いわなぁ」

「…………」

「それにこの不審者、別に実害は無いんよな。ただ誰なのか分からへんから気持ち悪いだけで」

「……………………ター」

「ん? サリアはん、どないしたん? 腹の具合でも悪いんか?」

「…………………………………………ドクター!!」

 

 大気圏突入を果たした男を、サリアは声を大にして呼んだ。

 Dr.黒井鹿。毎日毎日飽きもせず彼女の尻尾と角を堪能し、それこそが自らの生きる糧とすら豪語する男。

 そして、ここ数日ほど執務室に現れず、必然的にその生き甲斐に触れていない男。

 

「アーミヤ、どうせ盗聴器で聞いているだろう? ドクターの現在地を送れ!」

「あ、あの、サリアはん? 急にどないしたんや?」

「まず間違いなく、その不審者はドクターだ。だから、今から成敗しに行く」

「いや指揮官を成敗するのはマズイやろ!? それに盗聴器やら何やら不穏な言葉が聞こえたんやけど、ウチが聞いてもいい内容やったん?」

「そこは可及的速やかに忘れてくれ。でなければ強制的に忘れてもらうことになる」

「おーけー、そもそも何忘れなあかんかったんかも忘れたわ」

 

 2人の会話の合間、執務室にピロンという音が響く。端末がメッセージを受信した音だ。

 

『サリアさんの机の上から2番目の引き出し、その隠し底の中に無線のイヤホン型通信機が入っています。それを着けてもらえれば、私が誘導します』

「待てアーミヤ! なぜ君がその隠し底のことを知っている!? 中のノートは見ていないだろうな!?」

ピロン

『もちろん見ていませんよ。……今はまだ、そういうことにしておきましょう?』

「アーミヤァ!」

「ほ、ホントに聞こえてるんや……」

 

 サリアとアーミヤの口論(?)の合間に、クロワッサンの呟きは消えて行った……。

 

        ***

 

「それでアーミヤ、ドクターの現在地は?」

『地下4階を高速で移動中です。経路からして、おそらくB304宿舎が次の標的かと』

「今あそこで休んでいるのは……エステル1人だけだったな。ドクターめ、優秀さを無駄に発揮しているな」

目標(ターゲット)、地下3階に入りました。急いでください!』

 

 廊下を駆け抜け、B304宿舎の扉を開ける。

 そこでサリアが見たものとは――

 

「……………………(ピクピク)」

 

 ――息も絶え絶えで横たわるエステルの姿だった。

 

 そして、その横に佇む人影が1つ。

 

「……数日ぶりだな、ドクター」

「サリアか」

「随分と落ち着いているな」

「……まあ、そろそろだと思っていたからな」

「そうか。……では、覚悟も出来ているな?」

 

 そう言ってサリアが放った震脚はB304宿舎のみならず、基地全体を揺らすほどの威力があった。

 真下のB401宿舎で休憩していたヤトウからは「基地内で爆発物を使っている者がいる」と報告が入ったほどだ。

 

「ドクター、最後に1つ教えてくれ。……なぜ、こんなことをした?」

「それは……」

「私は、ある程度お前のことを信頼している。奇行に走ることはあっても、それにはお前なりの理由があるはずだ。それを聞かせてくれ」

「それは…………言えない」

「何故だ、ドクター?」

 

 相変わらず、Dr.黒井鹿の顔色は読めない。だが、全体の雰囲気から、彼が何かを迷っていることが窺える。

 膠着状態が続く中、サリアにのみ声が聞こえてきた。

 

『サリアさん、ちょっと私の言ったことを復唱してみてくれませんか? そうすれば、きっとドクターの言葉を引き出せます』

「……分かった。やってみよう」

 

 その声に口の中でだけ答えて、サリアはアーミヤの言葉を待った。

 

『ドクター、聞いてください』

「ドクター、聞いてくれ」

『たしかに、ドクターはたくさんのオペレーターに手を出しました。その事実は消えません』

「たしかに、ドクターは多くのオペレーターに手を出した。その事実は消えない」

『ですが、私たちは寛大です。浮気も先っぽまでなら許そうと思います』

「だが、私達は寛大だ。浮気も先っぽまでなら――ってちょっと待て!」

 

 Dr.黒井鹿に背を向け、サリアは通信機に小声で怒鳴った。器用なことだ。

 

「どういうつもりだ!? 浮気だとか先っぽだとか、いったい何の話なんだ!?」

『サリアさん、落ち着いてください。これでいいんですよ』

「これのいったい何が良いというんだ!?」

『いいですか? 今日のドクターはまだ周回を行っていません。なので、理性がかなり残っています。具体的には113ほど』

「理性を数値化するのはそれほど一般的なのか……?」

『理性が残っているのなら削るだけです。これから訳の分からない話を聞かせて、ドクターの理性を根こそぎ破壊します』

 

 一応筋の通った話を聞かされ、サリアはしぶしぶ折れた。再度ドクターに向き直る。

 

『ドクター、話してくれませんか?』

「ドクター、話してくれないか?」

『そこのエステルさんにしたように、いろんなオペレーターにあんなことやそんなことをしたんでしょう?』

「そこのエステルにしたように、様々なオペレーター達に……あ、あんな事やそんな事をしたんだろう?」

『正妻の私や側室のサリアさんにもしたことがないような、アレでソレな欲望のほどをぶつけちゃったんでしょう?』

「正妻の私や側室のサリア――って、これだと両方とも私じゃないか!」

『ズルいですよ、サリアさん! 正妻は私、わ・た・し! いつもニコニコあなたのお傍に這い出るウサミミ、アーミヤです!』

「それはキメラ以上に混沌とした名状し難き何かではないか!?」

 

 通信機越しにやり合っていた2人は、Dr.黒井鹿の前だったことを思い出し、同時に本来の目的を思い出した。

 

「ん、んんっ。続けるぞ」

『そうしましょう。……ドクター、何があったんですか?』

「ドクター、何があったんだ?」

『たしかにドクターはちょっと変な行動を取ることがありますが、その加減を知っていたはずです』

「たしかにお前は奇行や変態行為や悪質な詐欺紛いの言動をよく取っているが、ある程度の加減を知っていたはずだ」

『この前お渡ししたサリアさんの尻尾の抜け殻で満足するようになったのかと思っていたのですが、そういうことではなかったようですし……』

「いつの間にか無くなっていたと思えば、あれはお前の仕業かアーミヤ!」

『大丈夫です。私の抜け毛も一緒に渡しておきましたから!』

「いったい何がどう大丈夫なんだ!?」

 

 またしてもぎゃいぎゃいと言い争いを繰り広げる2人。その姿に何か感じるものがあったのか、Dr.黒井鹿が口を開いた。

 

「……俺は浮気などしていない」

『……ドクター、それはどういうことですか? 後ろに最新の浮気相手であるエステルさんが倒れているというのに、そんな言い訳が通じると思っているんですか?』

「いや、そもそも私達はドクターの奇行を責めているのであって、それが浮気かどうかなど重要な問題では……」

 

 アーミヤの言葉はもちろん聞こえず、サリアの言葉も届いていないのか、Dr.黒井鹿の語りは続く。

 

「……最近、同志と出会ってな。彼らと語っているうちに、自分に歯止めが利かなくなっていくのが分かった。だが、止められなかったんだ」

『たぶんその同志ってレユニオンのことですよね』

「……アーミヤ、それは指摘しないでやろう」

「このままでは、サリアに迷惑を掛けてしまう。どうすべきかと悩んでいたところを、ドーベルマン教官に誘惑されてな」

『教官が誘惑!? ちょっとドクター、それは一大スクープですよ!』

「黙れアーミヤ! 私にしか聞こえていないことを忘れてるんじゃないだろうな!?」

 

 全員の言葉はすれ違い、まったく会話になっていない。ただ互いが互いの言葉を聞き、各々の言いたい事を言っているだけだ。

 

「その誘惑に、俺は乗ってしまった。そして悟ったんだ」

『……ドーベルマン教官、後で詳しく話を聞く必要がありそうですね』

「……その状況で悟る事など、ロクな物では無いと思うのだが」

「そう! 溢れ出る欲望ならば、いっそ1回スッキリしてしまえばいい! たとえドーベルマンの耳に惹かれようと、エステルの角に惹かれようと、アズリウスの鱗に惹かれようと、ガヴィルの尻尾に惹かれようと、クオーラの甲羅に惹かれようと、他の誰に惹かれようと!! サリアに1番惹かれていることが証明できるのならそれで良い、と!!!!」

『……サリアさんも、後でゆっくり話しましょうか』

「いや待てドクター! 今1番引いているのが私だということにそろそろ気付け!」

「ここまで様々なオペレーターたちの魅力に触れたが、やはりサリアの角と尻尾が1番なんだ……。サリア、待たせたな!」

「待っていない! 断じて待ってなど――ってドクター、その速度は何だ!? あ、ちょ、だから角の先っぽと尻尾を同時には、あ、あ、ああああぁ~~~~!」

 

        ***

 

 気付くと、Dr.黒井鹿は医務室の天井を見ていた。長い夢を見ていたような気分で、寝過ぎたせいか異様に頭が痛い。まるで何度も力任せに床に叩きつけられたような痛みだ。

 だがまあ、この程度は日常茶飯事だ。今日も気張って周回に向かおう。

 そう決心して部屋を出た彼を待っていたのは、額に血管マークを浮かべたサリアとドーベルマン、虚ろな目をしたアーミヤだった……。

 

 

 そんなこんなで、ロドスは今日も案外平和である。

 




 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
 別の小説を書く気分転換にこちらを書いていたところ、一緒に執筆をしていた2人にバケモノを見る目で見られました。解せぬ。

 それでは、次回もお楽しみに! いつになるかはよく分かりませんが!

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