だが、その一瞬一瞬に一喜一憂しているものがいることを、忘れないでほしい。
時の流れとは残酷なものだ。
少し目を離した隙に、あらゆるものが変わってしまう。
例えば季節。
例えば風景。
例えば関係。
「待ってくれ、サリア。俺の話を――」
「話すことなどない。仕事にかかれ、ドクター」
そう、人間関係など、移ろいやすいものの筆頭だ。
相手と接すれば、近付く。
相手と接しなければ、遠ざかる。
どんな努力を為そうとも、人との関係を留めることなど出来ないのだ。
「これは仕事の能率に関わる話だ。早急に対策を考える必要がある、切迫した問題なんだ」
「それはお前自身の問題だろう? 私には関係ないことだ」
「いいや、違う。サリア、お前がこの問題の中心と言っても過言ではないくらいだ」
そして、時に人間関係以上に流動の激しいものがある。
ある人にとって、それは生死に直結するほどのものとなる。
ある人にとって、それは路傍の石以下の価値のものとなる。
絶えず動き、人々を苦しめる、それは――
「サリアがその尻尾と角のカバーを取ってくれれば、あとそれを存分に触らせてくれさえすれば、ついでだからあれやこれやをしてくれれば、それだけで俺は満足なんだ!」
「だけ、と言いつつ多くを要求するな!」
――おしゃれ、である。
***
その日は、静かに始まった。
いつものように、Dr.黒井鹿は自室で目覚めた。まず右腕に付けられた手枷をはずし、洗面所で顔を洗う。
……手枷が気になる? 寝ぼけたDr.黒井鹿が欲望のままに動かないように、という考えの下、ケルシー主導で造られた物だ。既に三回ほど脱出されているので、あくまで気休めに過ぎないが。
顔を洗った後は、自室で朝食だ。午前4時――人によっては今から寝るという時間では、さすがに食堂も開いていない。なので、Dr.黒井鹿みずから作って食べるしかないのだ。
「ふむ、龍門郊外でオリジムシが大量発生。天敵であるハガネガニの減少が原因、か……。さすがに乱獲し過ぎたか。オリジムシを大量に調理……保存食に挑戦してみるとしよう」
新聞の斜め読みが終わる頃には、朝食は綺麗さっぱりなくなっている。食器を流しに入れ、甲殻を袋に入れて隠せば、片付けも終わりだ。
食休みもほどほどに、Dr.黒井鹿はいつもの服に着替え、部屋を出た。
するとそこにサリアが通りかかった。
「ドクター、おはよう」
「ああ、サリアか。おはよ……ッ!?」
その姿を見た瞬間、Dr.黒井鹿の全身に電撃が流れた。
そう錯覚するほど、サリアの姿は衝撃的だった。
「さ、サリア……その恰好は、どうしたんだ?」
「何かおかしなところがあるか?」
「いや、おかしいわけではないんだが……」
「なら行くぞ。時間は有限だ」
すたすたと歩きだすサリアの後を、Dr.黒井鹿は慌てて追った。
一つ深呼吸をし、Dr.黒井鹿は改めて横を歩くサリアを見た。
サリアの角と尻尾を。
正確には、彼女の角と尻尾を覆う布を。
「そのカバーはどうしたんだ? まさかと思うが、怪我でもしたのか?」
「まさか。千切れでもしない限り、私のアーツでどうとでもなるさ」
「じゃあ、どうしたんだ?」
「ただのおしゃれだ」
ふむ、と。Dr.黒井鹿は考えた。
たしかにサリアとて女性だ。あまりそういったことに興味があるようには見えなかったが、それは自分が鈍いだけかもしれない。思い返せばヴイーヴルのオペレーターで集まって女子会を開くなど、それらしい面も見せていた。
なるほど、と思い、Dr.黒井鹿は聞いた。
「それで、本当のところは?」
「こうしていれば、合法的にお前の接触を断てると思ってな」
「そんなことだろうと思ったよ……」
まあ、おしゃれと呼ぶには、サリアが身に着けているカバーは地味に過ぎるだろう。かなり暗い灰色なのだが、普段の橙色との落差でほぼ黒に見える。そのぶん服の橙色が際立っているので、なかなか格好良くなってはいるのだが。
「よし、サリア。こういうのはどうだろうか?」
「却下だ」
「そのカバーを脱いでくれれば……提案を言い始める前に却下するのは、さすがに酷くないか?」
「ドクターのことだ。どうせロクな提案ではない」
にべもなく断られて傷心したDr.黒井鹿の感覚に、曲がり角の向こうにいるケモミミの気配が引っかかった。これは……ジェシカ!
「あ、ドクター。おはようございま――」
「ケモミ――ミ?」
そこに立っていたのは、ゴツい防護服だった。パイオニアシリーズと呼ばれる服、そのうちの一着を纏ったジェシカだ。重装オペレーター以上の重装備である。なぜ安全な基地内でこんなものを着ているのやら。
それでも、普段ならば耳と尻尾は無防備に露出している。いくら防護性能を上げるためといっても、それらを塞いでしまっては歩くことすらままならないからだ。
だが、今は違った。
「ジェシカ、その耳は……」
「こ、これですか? バニラちゃんがプレゼントしてくれた物で……。に、似合いますか?」
「あ、ああ。似合ってると思うぞ」
黒地に赤い肉球のマークがついたその耳当ては、普段の服装ならば映える事間違いなしだろう。今は防護服のせいで返り血を浴びたように見えていたが。
ジェシカはサリアにも挨拶をすると、重い足取りで去って行った。製造所での仕事を終え、部屋に帰るところだったのだろう。
「サリア、もしやと思うが……」
「想像の通りだ。ああいった装身具が流行していてな。角や耳を露出させている者はほとんどいないだろう」
「Damn it!」
叫び、Dr.黒井鹿は床に拳を打ち付けた。その姿からは、この世の理不尽への恨みが立ち昇っていた。
「誰だ……? 誰がそんな非人道的な服装を思いついたんだ!?」
「それをドクターが言うのか? 肌を見せないことにかけては右に出る者のいない、年中厚着のお前が」
「それはそれ、これはこれだ!」
全身に怒りを漲らせ、Dr.黒井鹿は立ち上がった。
そして、天まで届けとばかりに吼える。
「
「それだとドクター自身に角と尻尾と獣耳が付いていることになるぞ」
「仕事なんてしてる場合じゃない。すぐにこの流行の源の特定と、その阻害策を――」
「……アーミヤ」
「――立てるのは仕事を終わらせてからにしようか! やるべきことを先にやらないとな!」
サリアの一言によって、Dr.黒井鹿の怒気は一瞬で鳴りを潜めた。
「さあ、仕事にかかるぞ」
「う、うう……やはり力が入らない……。まずは尻尾を触ってからでないと……」
「大丈夫だ。この一ヶ月、お前は誰の尻尾も障らずに仕事をしてきた。同じようにすればいいだけだ」
「それをやると大切な何かを失う気がするんだ!」
「人の大切な尊厳をゴリゴリ削っておきながら何を言う!」
そんな不毛な口論をしつつ、二人は仕事に取り掛かるのだった……。
***
時は流れて昼飯時。この時間の食堂はいつも混雑している。
「あ、いらっしゃい、ドクター! 注文は~? グムのオススメはB定食かな。今日は白身魚のいいのが入っててさ~」
「……ケモミミを1つ」
「えっ? え~っと、ドクター? 大丈夫?」
「ああ、気にしないでくれ。グム、B定食を2つ頼む」
「あ、サリアさんもいらっしゃい! B定食2つだね!」
その空間は、Dr.黒井鹿にとって地獄に等しかった。
右を見れば尻尾、左を見ればケモミミ、正面を見れば角が見える。だが、その悉くが多種多様な布で覆われているのだ。
食事で例えるならば、極上の料理があるにもかかわらず、それがガラスケースの中にあるせいで食べられない、という状態だ。そのくせして見た目や匂いはしっかりと伝わってくるため、否応なく欲望が刺激される。
「ドクター、無事か?」
「…………尻尾を見ることすら出来ない世界なんて滅んでしまえ」
「駄目そうだな」
B定食の載ったトレイを運びつつも、Dr.黒井鹿の足取りは怪しい。まるで夢遊病患者だ。
「…………人は睡眠欲、食欲、触欲の三大欲求によって生きているんだ。つまりお触りを禁じられるということは3分の1ほど死んだ状態になるということで――」
「……分かった。では、こうしよう」
その姿を哀れに思ったのか、サリアがこう提案した。
「今日の分の仕事が終わったら、終業時間まで私の尻尾を触っても――」
「終わらせてきた」
「馬鹿な!?」
Dr.黒井鹿の姿が一瞬ブレたかと思うと、その手には書類の束が握られていた。その全てに対して、必要な処理が行われている。
「待て待て待て! ここから執務室までだけで三分はかかるだろう!? 今の一瞬でどうやって……」
「信ずるもののためならば、物理法則すら打ち破ろう」
「物理法則どころか時空すら無視していないか!?」
叫ぶサリアに、にじり寄るDr.黒井鹿。その手はそれぞれが個別の生き物かのごとく蠢いていた。
「ま、待てドクター。まずは食事を――」
「もう済ませてある」
「本当にどうやって!?」
いつの間にやらDr.黒井鹿のB定食は完食されていた。おそらく姿がブレたうちに食べきったのだろう。揚げ物のクズ1つすら残さない、見事な食べっぷりだった。
「いや、だがここでは人目があり過ぎるだろう?」
「大丈夫だ。俺は気にしない」
「私が気にするんだ!」
「なに、みんな食事に集中しているから気付かないさ」
「この騒ぎに気付かないようなオペレーターはクビにすべきだ! 危機察知能力が低過ぎる!」
「ふむ、そういうことなら、うちは優秀な人材に恵まれたようだな」
言われて辺りを見回せば、あれほど混雑していた食堂は人っ子一人いなくなっていた。厨房にいたグムすらどこかに消えている。
近くの机に置かれた紙には、こう書かれていた。
『ごゆっくり by リスカム』
「リスカム!?」
「さて、サリア。覚悟はできたか?」
「い、いや、ドクターの食事は済んでいても、私の食事がだな……」
「ああ、気にせず食べていてくれ。俺は勝手に堪能しているから」
「そういうことではなくてだな!?」
「ふっふっふ、では覚g――邪悪な気配!?」
サリアに飛びかかろうとしていたDr.黒井鹿は、咄嗟に横に跳んだ。その残像を突き刺す、黒い帯状のアーツ。
「……お二人とも、こんな時間からナニをしてるんですか」
「「
「……とても不服な呼び方をされた気がしますが、無視します。用があるのはあなただけです、ドクター」
「用と言うと……暗殺か?」
アーミヤの背後から尻尾のごとく伸びたアーツは、いまだ彼女の周囲を漂っている。いつその切っ先が再度Dr.黒井鹿を襲うか分かったものではない。
「私がドクターを暗殺なんてするはずないじゃないですか」
「そ、そうだよな。アーミヤなら暗殺なんてしなくとも、正面から堂々と倒せる強さがあるものな」
「ドクター、そういう意味ではないぞ」
なお、暗殺とは「政治的、宗教的、または実利的な理由で要人の殺害を計画し、不意打ちをもって実行する殺人」のことなので、この場合は当てはまらない。ロドスとは特に関係ない豆知識だ。
「ドクター、私を見て何か思うところはありませんか?」
「禍々しい」
「……へえ?」
「さーせんしたぁっ! どうか命だけは!」
つい本音がポロっと零れたDr.黒井鹿。一瞬で命の危機である。生存技能を磨く前に、こういったうっかりを直すべきではないだろうか。
「改めて、何かないんですか? ありますよね? あるはずです」
「え、え~と……」
改めてじっくりと見ても、新しい発見はない。いつも通りの大き目な服、フードから飛び出た耳、禍々しいとしか言いようのないアーツ。まったくのいつも通りだ。
と、そこでDr.黒井鹿は気付いた。
「ケモミミ……」
そう、アーミヤは件の耳当てを着けていないのだ。さすがに付けられるものがなかったのかもしれない。
「そうです。こうしていれば理性を失ったドクターが本能のままに来てくれるんじゃないか……。そんな期待を抱いていたのに、なんで真面目に仕事をしてるんですか!?」
「いつも仕事しろと言って来るのはアーミヤなのに?」
「それはそれ、これはこれです!」
「いや、それとこれとは同じじゃないか!?」
ツッコミが入るも、アーミヤの耳には届かない。彼女の耳は遥か彼方のDr.黒井鹿の声は聞こえても、すぐ近くの理性的な声は聞こえないようにできているのだ。
「さあ、ドクター。こっちへ来てください……」
「いやアーツを広げながらそんなこと言われても……」
こうなってしまっては、頼れるのはサリアだけだ。なにせ彼女はアーミヤの次にDr.黒井鹿との付き合いが長い。1人では到底無理でも、2人ならば抵抗が叶う! ……かもしれない。
「サリア、なんとか逃げる隙を作ろう。俺がアーミヤの気を引くからその間に……サリア?」
その一心で助けを求めたDr.黒井鹿が目にしたのは、机の上に置かれた1枚の紙だった。
そこには、こう記されていた。
『ごゆっくり by サリア』
「サリアァ!?」
それが、Dr.黒井鹿の最後の声となった。
***
その後、耳当てや尻尾カバーのブームはすぐに過ぎ去った。
理由は簡単、暑いのだ。これから夏に向かうという時に、そんな物をつけていられるはずもない。さらに、あれはけっこう手入れが大変なのだ。
だが、サリアはしばらく角と尻尾のカバーを付け続け、Dr.黒井鹿を大いに苦しめたという。
そんなこんなで、ロドスは今日も案外平和である。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
アークナイツのスキンはスタイリッシュでいいですよね。特にジェシカ、追加スキンで露出度が減るソシャゲを見たのは初めてです。
ところでサリアのスキンが見当たらないんですが、どこに行けば作ってもらえるんでしょうか……?
それでは、また次回もお楽しみに!