あったはずの物がない。
たしかにそこにあったはずなのに、ない。
その喪失感、虚無感は想像に難くない。
ましてそれが人の手によって引き起こされたとあっては、その怒りは計り知れない……。
男が叫んでいた。
フードの奥で滂沱の涙を流し。
骨が軋むほどに拳を握りしめ。
そうして、男が叫んでいた。
「何故だ……何故だ、何故だ、何故だ!」
長ソデはおろか長ズボンを履いている者すらいない状況で、ただ1人全身を黒ずくめのコートで覆っている男。
その服装だけで人目を引くには十分だろうに、彼は叫び声でより人々の注目を集めていた。
「こんな暴挙があってなるものか! こんな理不尽が許されてなるものか!!」
周囲の視線を一身に引きつけ、それを全く気にしていない男。
魂を打ち砕かれたとばかりに悲痛な叫び声を上げている男。
異様な気迫を纏って会場スタッフに詰め寄る男。
この男こそ誰あろう――
「なんで6台目のガチャマシンが無いんだよおおおおおおぉ!!!」
――Dr.黒井鹿である。
***
話は今朝――つまりオブシディアンフェスティバル3日目の朝に遡る。
「ふむ、いい天気だ。こんな日は周回に限るな」
シエスタ市内のホテルで目覚めたDr.黒井鹿の第一声はこれだった。
彼の中によみがえるのは1年前の思い出だ。
本会場を奔走してチケットを集め、それをビーチサイドでコインと交換する。
そしてそのコインを会場内に設置されたガチャマシンに投入すれば、様々な景品が貰えるという寸法だ。
「ふっふっふ、腕が鳴る。またたっぷり稼がせてもらおうか……」
このシステムの良い点はDr.黒井鹿の負担が少ない所だ。
彼の理性が擦り減るのはチケットを集める段階までで、交換はさほど大変でない。時間さえかければ普段よりもずっと効率よく素材を集められるのだ。
え、何故チケットを集めるのに理性が減るのか? ……会場内っていろんな耳や尻尾で満たされてますよね? つまりそういうことです。
「さて、まずは昨日集めたコインでガチャを回しに行くか」
そう言って彼が揺らした袋からガチャガチャと喧しい音が鳴る。どれだけのコインが入っているのか定かでないが、少なく見積もっても数千枚という単位だ。
それを持ち上げようとし――
「……スカジを呼ぶか」
――1ミリたりとも動かせず、増援を呼ぶことにした。
***
オブフェス中のシエスタに昼夜は関係ない。常にどこかで音楽が鳴り響き、誰かがそれに熱狂しているからだ。
その証拠とばかりに、明らかに昨日から一睡もしていない人々がそこかしこにいる。中にはヘドバンしているのか船をこいでいるのか分からない者もいるくらいだ。
「それでドクター、こんな物を持って行ってどうするの?」
そんな興奮と眠気がせめぎ合う路地を歩く女性が一人。こちらは明らかに眠気に支配されかかっているように見える。
だが実のところ、これは彼女の素に過ぎない。表情が薄いだけで眠いわけではないのだ。
「ああ、そうか。去年のオブフェスの時には、スカジはまだうちに来ていなかったな」
そう、スカジである。Dr.黒井鹿ではピクリとも動かせなかったコイン袋を片手で持ち上げ、そのまま平然と歩いてきたのだ。
傍目に見ると、スカジの身体と袋のサイズが明らかにおかしい。中身が綿か何かでなければ持ち上げられないほどの比率なのだが、聞こえてくるのは金属音なのだ。普通ならば目立ってしかたなかっただろう。
だが、今はオブフェスの真っ最中なのだ。そこいらの通行人を見るくらいならアーティストを見る。それがこの場の常識だ。
「そのコインを持っていくと資源と交換してくれるんだ。それも祭りの間は無制限でな」
「そう、それは便利ね」
「ああ、できればここで向こう数ヶ月分の資源を揃えたいところだ」
まあ、その常識からすると、この2人は常識外れな存在だった。
なにせライブには目もくれず、ただ淡々と歩いていくのだから。
「それで、どこまで持って行けばいいの?」
「たしかこの辺だったはずなんだが……ああ、あそこだ」
そして2人が辿り着いたのは大きなテントの前だった。テントの前には「オブフェス準備会本部」と書かれた幕が下げられている。
テント入り口の両脇には件のガチャマシンが設置されていた。
「これがその引き換え機なのね」
「ああ、5台目までは中身が決まっていて、それを引き切ることが出来る。だが6台目が曲者でな……。ひどい時には10回分全て純金だったこともあった……」
「そう。それでドクター……5台しか無いようだけど?」
「……は?」
スカジに言われ、ガチャマシンを数えるDr.黒井鹿。
入口の左に3台、右に2台。
合わせて5台である。
「……はっはっは、何かの見間違いだろう。もう1度数えれば変わるはずだ」
深く深呼吸し、Dr.黒井鹿は指差しで数え始めた。
入口の左に1台、2台、3台。
入口の右に1台、2台。
やはり5台である。
「…………」
「ドクター?」
5台目を指差したまま、しばし固まったDr.黒井鹿。
次の瞬間、彼はテント入り口を開け放った。
「ガチャマシンが足りんぞおおおおおおおおおっ!?」
「えっ、ちょっ、どうされました?」
唐突な叫びに驚く運営スタッフ。それに構わず、Dr.黒井鹿はズンズンとテントに入っていく。
「急に大声を出してすまない。オブフェスに来ている者なのだが、ガチャマシンが1つ足りなくてね。少しばかり取り乱してしまったんだ」
「ガチャマシンが、ですか? また盗難ですか……。それで、それはどこのマシンですか?」
「このテントの前だ」
Dr.黒井鹿とスタッフが外に出ると、そこにはたしかに5台しかガチャマシンがない。
しかし、それを見るとスタッフはホッとした表情を浮かべた。
「なんだ、ちゃんとあるじゃないですか」
「いやいや、何を言っているんだ? 5台しかないじゃないか」
「ええ、ですから5台ともあるじゃないですか」
「ん?」
「え?」
どうにも会話が噛み合っていない。それもかなり不吉な感じに。
そして、それを噛み合わせてしまったのはスカジの一言だった。
「……つまり、最初から5台しか置いてないんじゃないかしら?」
***
こうして冒頭に至るわけである。
「嘘だ……こんな、こんなことがあるなんて……」
これまでに発覚した事実はどれも悲惨なものだった。
まず、ガチャマシンは5台しか存在しない。無限に回せるガチャが早まったわけでもなく、単に無限ガチャが無くなっただけなのだ。
次にガチャマシン1台の内容物も大幅に減った。それはもう見るも無残なほどに減った。
そして極めつけに……特に何か去年からプラスされたものがあるわけではない。ただただ資源が減っただけなのだ。
「このガチャのために頑張ってきたというのに……。このガチャのために効率的な作戦とか考えていたのに……」
「あの……お客さん? 大丈夫ですか?」
泣き崩れるDr.黒井鹿に声をかけたのは、テントで応対したループスのスタッフだった。フサフサの尻尾を若干縮こまらせている。どうも警戒しているらしい。
「何故……何故こんな無慈悲なことを……?」
「申し訳ありません。去年のガチャマシンが盛況過ぎたんです。参加者の方がこぞって回したので景品が足りなくなってしまい、急遽手配したんですがそれでも間に合わず……。最終的にはスタッフの半分を各地へ資材周回に向かわせて賄っていたんです」
「だから今年は縮小した。そういうわけね?」
「はい……。あっ、でもそのぶんステージの方に予算を回したので、そっちは去年より凄いですよ! なにせ迫撃砲までなら撃ってよし、って話になってますから」
「それはパフォーマンスのうちに入るのかしら」
たしかに、去年よりステージが豪華になっていることにはDr.黒井鹿も気付いていた。それはそれで嬉しいことだ。
だが、それとこれとは無関係である。
「……せろ」
「え、はい。なんでしょう?」
「ヘルマンと話をさせろ!」
スタッフ相手では埒が明かないと思ったのか、Dr.黒井鹿が叫んだ。ヘルマンとは当然、シエスタ市長のヘルマンだ。
「ヘルマン市長にって……そ、そんなの無理ですよ!」
「ロドスのDr.黒井鹿からの話だと伝えてくれ。そうすれば繋いでくれるはずだ」
「で、でも……」
「大丈夫。責められるとしたら君ではなく俺だ」
渋々といった様子で無線を飛ばすスタッフ。二言三言話すと、その顔色が驚きに変わった。
そして、無線機をDr.黒井鹿に差し出した。
「ヘルマンか? Dr.黒井鹿だ。久しぶりだな」
『そう久しぶりでもない。この間もメッセージで議論を交わしたばかりじゃないか』
「ああ、あれは素晴らしく有意義な時間だった。『最も幸福な死因とは何か』……。俺はずっと角だと思っていたが、君のおかげで尻尾で死ぬのも悪くないと思えた」
『私もだ。これまではモフモフの尻尾で窒息の一択だと考えていたが、鱗に包まれた尻尾で昏倒するのもアリだと知れた……。尻尾には無限の可能性が詰まっているな』
「その点には同意するが、角にも目を向けるべきだ。それぞれに良さがあってな――」
などと本題を忘れて話し続けるDr.黒井鹿。そばにスタッフや観衆がいることなどお構いなしだ。そのせいでヘルマン市長の株が暴落を見せているのだが、それに全く気付いていない。
「――って、そうじゃない。ヘルマン、聞きたいことがある」
『なんだ? 君と私の中だ。秘蔵コレクションの隠し場所までなら教えよう』
「……なんでガチャマシンが5台しかないんだ?」
Dr.黒井鹿の問い掛けを境に、空気が張り詰めた。静まり返った広場に、通信機越しのヘルマンの声が響く。
『……思っていたよりも遅かったな』
「そう言うということは……ヘルマン、君の指示なのか?」
『ああ、そうだ。苦渋の決断だったが……やむを得なかった』
ミシっ、という音が聞こえた。Dr.黒井鹿が持っている通信機が軋んだ音だ。強化プラスチックで作られたそれが、今にも砕けそうな音を発している。
「……ヘルマン、何故だ。君ならあのガチャマシンがどれだけの価値を持つものなのか分かるはずだろう?」
『何故、と聞くか。逆に訊ねよう、Dr.黒井鹿。あのガチャマシンを成立させるためにどれだけの労力がかかるか、君は分かるはずだろう?』
去年のガチャマシン6台目はたしかに凄まじかった。中級素材が惜しみなく投入され、それ以外も決して無駄になることのない必需品ばかり。まさに祭りにふさわしいラインナップだった。
では、その大量の素材を集めるためにはどれだけの周回が必要なのか。
『ガチャマシンの案自体は前々回のオブフェスで出ていたんだよ。だが準備期間が足りず、1回見送る運びとなった』
「それが前回、というわけか」
『ああ、丸1年もかけて資源を集めた。発案当初の予想回数の倍までは耐えられる計算だったんだよ……。だが、まったく足りなかった』
そこでヘルマンは言葉を区切り、深く溜息を吐いた。
『君だよ、Dr.黒井鹿』
たしかに前回のオブフェスにおいて、Dr.黒井鹿は寝食を忘れるほど周回に没頭した。時間効率をかなぐり捨て、ただひたすら理性効率のために回り続けたのだ。
だが、たかが一個人によって祭りの資源が枯れることなどあるはずが――
『私たちが用意した資源は初日のうちに9割、君に持って行かれた』
――あるらしい。
「いや、9割はさすがに盛っているだろう?」
『事実だ、Dr.黒井鹿。私はしっかり覚えている。スタッフの半分を急遽周回に向かわせることになったんだからな』
「ああ、それで警備が手薄になって、あんな事件が起こったのか……」
1年前、ヘルマンはシエスタ市にいなかった。だがDr.黒井鹿によるガチャ乱獲は異常事態ということで、スタッフが直接ヘルマンに指示を仰いだのだという。
『しかしどれだけ集めても片っ端から君に吸われていく始末……。スタッフが漏らしていたよ。「まるで天災と戦っているようだ」とね』
「いやぁ、それほどでも」
『褒めているわけではないんだが……』
ヘルマンの口調は重く沈んでいるが、Dr.黒井鹿に変化はない。
だが、それがヘルマンの一言で一変した。
『その周回費用を捻出するため、私は「芸能人モフモフ尻尾名鑑」を全巻、質に入れたほどだ……』
「待ってくれ、ヘルマン! 全巻といことは、その、本当に全巻なのか?」
『ああ、そうだとも。当時の既刊87冊、全てだ』
「一目十万龍門幣の17巻も……?」
『そうだ』
「失くした尻尾すら生えてくると言われた31巻も……?」
『そうだ』
「先祖があの世に持って帰ったと噂される56巻もなのか……!?」
「……そうだ」
その言葉を聞き、Dr.黒井鹿は崩れ落ちた。その姿はまさしく、罪を自覚した咎人のそれだった。
「ヘルマン、俺は、俺はなんという……」
『いいんだ、Dr.黒井鹿。全ては過ぎたことだ。今さら悔やんでも仕方ない。それに、君に悪意がなかったことは、私も分かっている』
「だが、それでも俺は……」
6台目のガチャマシンが無いと知った時以上の涙を見せるDr.黒井鹿。そろそろマスクの中で溺死しそうである。
だが、その涙がふと弱まった。
「あれ? そういえばヘルマン、この間裏垢で『宝をようやく取り返せた』などと呟いていなかったか?」
『ヴェッホ、ゲホッ! な、なんのことだね?』
明らかに慌てたヘルマンの声を聞き、Dr.黒井鹿の涙が更に弱まる。
「……なあ、ヘルマン。1つ聞いていいか?」
『あー、私も忙しくてね。その話はまた今度――』
「ガチャマシン6台目をなくした割に……ステージの変化が小さくないか?」
『…………』
ガチャマシンは前回オブフェスの目玉だった企画だ。予算の実に3分の1近くが注ぎ込まれていた。
それを削ったというのに、ステージの変化は「言われてみれば豪華になってるな」程度のものなのだ。
これが意味するところは……。
「ヘルマン、貴様……さっき『売った』ではなく『質に入れた』と言っていたな」
『さ、さあ? 記憶にないな』
「こんな時だけ政治家ムーブをするな。貴様……予算で名鑑を買い戻したな?」
『………………』
その沈黙が何より雄弁に物語っていた。だが、未だ一応、確証には至っていない。
ピンと張り詰めた空気の中、無線機が告げた。
『……テヘッ♡』
瞬間、Dr.黒井鹿が吠えた。
「ヘルマン、貴様ああああああぁ!」
『仕方ないだろう! あれ無しでは、私は生きていけん!』
「それは分かるが他に手があっただろう!?」
いや分からん。周囲が心の内で唱えたが、Dr.黒井鹿とヘルマンは一切気にしない。否、そもそも周囲など最初から気にしていないのだ。
『そもそも去年は私の私費を予算に充てたんだ。ならば今年は予算を私費に充ててもいいだろう!?』
「いいわけあるか! お前あんまりボケたこと言ってっとセイロンに性癖バラすぞ!?」
『その前にシュヴァルツに君の特殊性癖を暴露してやる!』
「はっ、甘いわ! そんなもんとっくの昔にバレてるよ」
『ふっふっふ、1ヶ月前に語り合ったことをもう忘れたのか……?』
「ま、まさかアレを……? 待ってくれ、そんなことをしたら共倒れだぞ!」
ヘルマンの評価は既に地に伏しているので、いっそDr.黒井鹿を道連れにするのも良いかもしれない。……まあ、わざわざ意図せずとも、これだけ騒げばアーミヤの耳に入るだろう。その時点でDr.黒井鹿の未来は決まっている。
「そもそもだな、オブフェスはロドスにとって資源回収以上の意味があるんだぞ? 去年のポンペイでこの1年の食事を賄ってきたんだからな」
「お待ちくださいお客さん! あれは食べる物じゃありませんよ!?」
さすがに堪えきれなくなったのか、スタッフがツッコミを入れる。だがDr.黒井鹿はどこ吹く風だ。
「あれほど食べ応えのある生物が周回ついでに手に入るんだ。そりゃあ食べるだろう?」
「そもそも人は感染生物は食べないんですよ! あの、あなたからも何か言ってください」
「ドクター、あれ、あまり美味しくないわ」
「お客さん!?」
それからは混沌だった。ポンペイ食糧問題を皮切りに周囲でも大論争が起こったのだ。
感染生物を食べるなど以ての外、いや食べたら意外とイケる、いやブヨブヨしていて食べづらい、たしか浜辺のBBQ屋でメニューにあったから食べに行こう、等々。
Dr.黒井鹿はその論争に口を出しつつ、ヘルマンとの口論も続けていた。
そうして騒ぎに騒いで1時間ほどが経過したころ、Dr.黒井鹿が行動を起こした。
「もういい! ヘルマン、今どこにいる? 1回きっちり話す必要がありそうだ」
『議事堂だ。警備員に話を通しておくからすぐに来てくれ』
「ああ、今すぐ行くとも。お前の尻尾至上主義、今日こそ叩き直してやる!」
『こちらも君の節操のなさには呆れていたんだ。今日こそ宗派を変えさせてみせる』
ガチャマシンの話は何処へやら、Dr.黒井鹿とヘルマンは勝手にヒートアップしていた。その勢いのまま、彼は走り出す。
全てはかの邪知暴虐の尻尾主義者を倒すため……!
などという謎の空気の中、
「……グラニへのお土産、探そうかしら」
取り残されたスカジは、とりあえず露店を巡ることにしたのだった。
***
その日、シエスタ市議事堂近くで多数の痴漢事件が発生した。その犯人たちの多くがこのような供述した。
「なぜか周りの尻尾や角がやたら魅力的に見えた」
「尻尾をモフることこそ自分の使命な気がした」
「角のケアに全てを捧げようと思った」
「変な電波を受信したような気分だった」
警察はオブフェス中の徹夜疲れから来る錯乱と判断したが、真実は闇の中である……。
そんなこんなで、ロドスは今日も案外平和である。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
なんでガチャマシン減っちゃったんですかね……。あの夢と絶望のガチャマシンはどこに行ってしまったんだ……? ポンペイ乱獲祭りは……??
真面目なとことしては、ソーンズ、アンドレアナ、ジェイを引いたのに全然周回できず、信頼度上げられないのがツライです。
でもやはりストーリー良いですね。読んでて楽しいです。
それでは、また次回もお楽しみに!