ある人にとって、それは生命維持のための手段であり、
ある人にとって、それは最大の快楽であり、
またある人にとって、それは未知の可能性を秘めた大いなる探求である。
そんな食事は、ロドスでは更に深い意味合いを持つものなのだ……。
食事——それは、生存に欠かせない行為だ。
安心安全だが何一つ物が無い部屋と、常に危険と隣り合わせだが命溢れる密林。
どちらの方が生き易いか、という話だ。
どれだけ安全な場所だろうと。
どれだけ良好な環境だろうと。
食べる物が無ければ話にならない。
「それでは、議論を始めよう」
だが、人はその段階を突破した。
命の危険を冒して狩りをすることなく。
山の恵みという名の不安定な供給に怯えることなく。
人は充分な量の食料を確保できるようになったのだ。
だというのに、世の食糧難は解消されていない。
餓死する者が減らない一方で、過食で死ぬ者も後を絶たない。
未だ食事を栄養補給としてのみ行う者がいて、
遂に食事を娯楽と見なす者が出てきた。
そんな状況で――
「それでは、どのような食事がより多くの理性を回復させるのか、各自意見を述べてもらいたい」
――食事に新たな可能性を見出す
*
事の起こりは、昨日の早朝だった。
「さて、今日も一日頑張るか。……なんでロドスの日時更新は午前4時なんだろうな。おかげで眠くて仕方がない」
そこはロドス7不思議の1つとされているので、深く考えない方が良い。
朝起きたDr.黒井鹿の行動パターンはある程度決まっている。
まず基地で夜番として働いていたオペレーターたちを休ませ、朝番を起こしに行く。
それが終われば公開求人の結果を確認し、次の求人を出す。ちなみに今回もエリート・上級エリートの募集をかける許可は下りなかった。やはり都市伝説の類なのだろうか?
その後はメールボックスを確認し、その日の周回予定を立てる。とは言っても、なかなかメールなど来ないので、すぐ作戦立案に入ることがほとんどだ。
だが、この日は違った。
「何か入っているな。これは……ハンバーガーか?」
「ドクター、おはよう。今日の配給食品なのだが――」
Dr.黒井鹿がハンバーガーセットを取りだした所で、サリアが執務室に入って来た。彼女は各施設の見回りを行っているため、いつも少し遅れて来るのだ。
「……遅かったか」
「おはよう、サリア。遅かったとは何がだ?」
「いや、過ぎたことを嘆いても仕方ない。とりあえず朝食としよう」
丁度良いことに、ハンバーガーセットは2つある。
2人は包みを開け、手を合わせた。
Dr.黒井鹿はハンバーガーにかぶりつき、サリアはポテトを1本1本つまんでいく。。
「……サリア、まさかと思うがこのハンバーガーは……」
「お前の想像の通りだ。以前のクッキーやチョコレートと同様に、理性を回復させる効用がある。それも過去最高に強力な品だ」
「今食べるべきものではないな。午後の周回まで取っておこう」
そっとハンバーガーを箱に戻そうとするDr.黒井鹿の手は、しかし空中で止まった。
否、止められていた。
「……サリア、何をしている?」
「ドクター、お前こそ何をしている。食べ始めた物は、責任をもって最後まで食べろ」
サリアの左手がDr.黒井鹿の右手首を掴んでいる。一見軽く添えているだけのようなのだが、どれほど力を込めようとピクリとも動かない。そんな状況でも、右手が1本ずつポテトを運んでいるのがなんともシュールだ。
「食べないわけじゃない。ただそんな便利な食事なら、食べ時というものがあるわけで」
「駄目だ。今食べるんだ」
「……理由は?」
「ここのポテトは、冷めると食べ物でなくなる」
サリアの声音は重い。まるで実際に食べ物でなくなったポテトを山ほど食べたことがあるかのような調子だった。
「だが、理性がほぼ回復している現状で食べるものじゃないだろう?」
「だから遅かったか、と言ったんだ」
ポテトを食べ終わったのか、サリアの右手がハンバーガーに伸びる。包み紙を器用に片手で剥き、またしても1口ずつ食べ始める。
「……分かった。今食べることにしよう」
「ああ、そうしてくれ。おそらく明日以降も届くだろうから、気を付けろ」
「分かった。……なあ、サリア」
サリアの忠告を気にしたのか、Dr.黒井鹿はポテトを食べだした。まだ温かく、油と芋の美味しさが詰まっている。割合としては9:1ほどだ。
「このハンバーガー、怪しい薬品は入っていないんだよな? 麻薬の類だとか」
「ああ、心配いらない。前に成分解析を行ったが、おかしな物は検出できなかった。強いて言うなら塩分と油分が多過ぎるくらいか」
「以前のクッキーや塩卵チョコ、あれらも同じだな?」
「そうだ。塩卵味チョコレートはその味を出すためにチョコレートにあるまじき材料が使われていたが……それでも、市販されている食品で作られていた」
「なるほどな……。よし、サリア。今日の午後、緊急会議を開く。アーミヤとグムにも伝えておいてくれ」
「? ああ、分かった。何について話すんだ」
「決まっているだろう」
Dr.黒井鹿はニヤリと嗤って告げた。
「食事について、だ」
ただし、食事中でも口元は布で隠しているため、サリアには見えなかったが。
***
かくして冒頭に至る。
「それでは、どのような食事がより多くの理性を回復させるのか、各自意見を述べてもらいたい」
「ドクター、そもそも普通は食事で理性が回復するなんてことはありませんよ」
初っ端から会議を終わらせにかかったのはアーミヤだ。その顔にはうっすらとだが安堵が浮かんでいる。食用アシッドムシ(元から酸味が備わっているため調味料要らず! なお、中和に失敗すると舌が物理的にとろけます)などという議題を予想していたのだろう。
「今までの理性回復食はクッキー、チョコレート、ハンバーガーの3つ。クッキーは100、チョコレートは60、ハンバーガーは200の理性を回復してくれる」
「ついに自分の理性を数値として認識するようになったか……」
サリアの呟きを黙殺し、Dr.黒井鹿は語り続ける。
「重要なのは理性回復量がどのように決まるのか、ということだ。これについて、俺は1つの仮説を立てた。ずばり摂取カロリーに比例して回復量が増える、というものだ。一般的にクッキーとチョコレートならばチョコレートの方が高カロリーだろうが、あのチョコレートは卵入りだ。ゆで卵は摂取カロリーより消化カロリーが多いと言わるなど、卵は……グム、なぜ目を逸らすんだ?」
「ううん、何でもないよ、ドクター。グムは何も知らない。あの卵味は……普通の卵味だから」
何やら怪しげな供述を繰り返すグム。あとでクロージャを問い詰めよう。そう決めたDr.黒井鹿であった。
「まあ、話を戻そう。では摂取カロリーを増やせば良い、と考えると、今度は別の問題が出てくる」
「量の問題か」
「その通りだ、サリア。いくら理性のためとはいえ、人が食べられる食事の量は決まっている。ならば、少しでも密に詰まった物を選ばなければならない」
そこで、とDr.黒井鹿が1枚の皿を取り出した。
その上には何やら白く丸い物体が乗せられている。
「これは……」
「何ですか?」
サリアとアーミヤがしげしげと物体を眺めるも、その正体に心当たりはないようだ。
お前はどうだ、とばかりにDr.黒井鹿が視線を送ると、グムは少し考えてから口を開いた。
「お餅、ですか?」
「正解だ。よく知っていたな」
「この間、ホシグマさんが食べさせてくれたんです。龍門でお祝い事の時に食べられる料理なんですよね」
ホシグマ曰く、このお餅というのは穀物を蒸し、それを捏ねて圧し潰して作るらしい。
「というわけで、早速やってみよう!」
言うが早いか、Dr.黒井鹿はどでかい釜一杯分の穀物を取り出した。もちろん、既にしっかりと蒸してある。
「これを圧し潰せばいいのか?」
「ああ、だがその役目はサリアじゃない。アーミヤにやってもらう」
「わ、私ですか?」
力仕事が回って来るとは思わなかったのか、アーミヤが慌てたような声を出す。
何をするのか分からない3人を前に、Dr.黒井鹿は説明を始めた。
「まず、サリアの『硬質化』でこの臼を強化する。生物の骨から作った物だ。しっかり効果を受けるはずだ」
「また禍々しい物を作ったな。いったい何の骨で作ったんだ?」
「次に、その臼に入れた穀物を、アーミヤのアーツで圧し潰す。サリアが強化しているから、遠慮せず全力で撃ってくれ」
「分かりました。サリアさんごと撃ち抜く意気込みでやります」
「質問に答えろ! いったい何の骨なんだこれは!? あとアーミヤ、サラっと暗黒面を出さないでくれ!」
ふっと、アーミヤの目からハイライトが掻き消える。こうなったアーミヤは触れるな危険、触らぬ神に祟り無し、だ。……その神がわざわざ近づいてくる場合は、諦めるしかないが。
「あのー、ドクター? グムは何をすればいいんですか?」
「メインは出来上がったお餅の調理だな」
「分かりました! 料理なら任せてください!」
「だが、その前に俺と共にやってもらうことがある」
「もう1つですか?」
Dr.黒井鹿とグムの密談が終わり、
ちなみに、アーミヤのハイライトは戻っている。
「行きますよ、サリアさん!」
「ああ、来い! アーミヤ!」
スターン! スターン!
ぐいっ! ぐいっ!
アーミヤのアーツが穀物を打ち据える。その合間を縫い、サリアが穀物を掻き混ぜる。まあ、いざ直撃しても今のサリアならば耐えられるのだが。
スターン! スターン! スターン! スターン!
一定間隔で刻まれる快音の隙間を埋めるように、調子良く響く声があった。
「切れてる! 切れてるよ!」
「アーツでかいよ! ナイスアーツ!」
「防御力が服着てるみたいだ!」
「ナイス攻撃ロドスタワー!」
餅つきを行う2人から2mほど離れた位置。そこからDr.黒井鹿とグムが声援を送っているのだ。
スターン! スターン!
ぐいっ! ぐいっ!
「筋肉本舗、はいずどーん!」
スターン! スターン!
ぐいっ! ぐいっ!
「アーミヤ姉御! 付いてきます!」
スターン! スターン!
ぐいっ! ぐいっ!
「これぞ筋肉3ツ星評価!」
スターン! スターン!
ぐいっ! ぐいっ!
「仕上がってるよー! 仕上がってるよー!!」
……なお、これが本当に声援なのかどうか、そんなことは誰にも分からない。
「サリ、ア、さん!」
「なん、だ!」
「なんだか! 人が! 増えてませんか!」
「同、感だ!」
餅つきの音に釣られたのか、それとも謎の掛け声に誘われたのか、いつの間にかそこには十数名のオペレーターが集っていた。何かの見世物だと思ったのか、早くもクロワッサンが出店を開き、冷えた飲み物を売っている。
「恥ず、かしい、ですし! そろそろ、終わりに! しましょうか!」
「ああ! そう、しよう!」
気付けば穀物は1つの塊になっており、ほぼお餅の体を成している。
最後の一押しをするべく、アーミヤは最後の力を振り絞った。
「『戦術詠唱γ』!」
戦場ならば『ソウルブースト』を使う場面だろうが、餅つきにおいて軽い打撃など意味がない。
重さを維持し、ただその速度を跳ね上げる。
だが、それはサリアの負担増加を意味する。
彼女とてここまで『硬質化』を維持し続けており、相当に疲弊している。
それでも、彼女は倒れない。たかが餅つきであろうと、ここは戦場なのだから。
「はぁぁぁ!」
「くぅぅぅ!」
二人の死力がぶつかり、文字通り火花を散らす。
互いに一歩も引かず、ただひたすらに己が役目を果たすため、他の全てをかなぐり捨てる。
そしてその均衡は――
「肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい!」
「三角チョコパイいい感じ!」
――そんな声によって崩されたのだった。
***
このように様々な苦労によって作られたお餅は……。
「……美味しいんだが、柔らかすぎて食べづらいな」
「調理しようにも手にくっついちゃう!」
味は良いものの、それ以外に難があった。
「そんな……」
「あれほど苦労したというのに……」
餅つき組の落胆は計り知れない。液体になろうとしているお餅を、暗い面持ちでもそもそと食べている。
そこに救世主が通りかかった。
「餅ですか。珍しいものを作っていますね」
「ああ、ホシグマか。龍門出身者としてアドバイスを貰えないか? この通り、柔らかくなりすぎてしまってな」
「ふむ、少し失礼」
千切って丸められた餅を1つつまみ、口に含む。
しばらく味わってから飲み込み、ホシグマは開口一番こう言った。
「つきすぎですね。地方によっては米が半分ほど残っている状態で食すくらいですから、これほど念入りに潰さずとも大丈夫ですよ。……逆にどうすればこれほどの力でつけるのですか?」
「「……ドクター?」」
死んだ顔のまま、サリアとアーミヤがDr.黒井鹿を探す。
先ほどまで彼がいた場所には、こんなことを書かれた紙が置いてあった。
〝ごめん。やってみたかったんだ〟
「アーミヤ! 全オペレーターに通達。ドクターを発見した場合、即座に捕縛せよ! 報酬は苺のショートケーキかステーキ300gの好きな方だ!」
「了解です。サリアさんはこのまま捜索を開始してください。まだ遠くまでは行っていないはずですから!」
日頃甘い物に飢えている者も、なかなか肉を口に出来ていない者も、全員が1つの目的のために動きだした。連絡員や監視員まで協力したため、捜索はものの数分で終わりになり、賞品はシージのものとなった。
捕まったDr.黒井鹿はサリアとアーミヤに引き渡され、彼のその後を知る者はいない……。まあ、翌日普通に周回に向かっていたので、大事なかったのだろう。
そんなこんなで、ロドスは今日も案外平和である。
ちなみに、その日の監視カメラにはひっそりショートケーキを食べ、笑顔を零すシージの姿が記録されていたそうだ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ふとコイン交換所の最下層を見て、コイン5枚で龍門弊10という換金率の低さに涙しました。龍門弊100くらいくれてもいいんじゃないかと思ってます。
それでは、明日の更新もお楽しみに!