クリティーン…?ファントムの猫のことであったるのかな…?
あとファントムの(中二)口調分からん、初対面であんな演劇のような口ぶりは控えるだろうと勝手に解釈してます。
今回は試しに三点リーダを【...】から【…】にしています。
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とある日の昼下がり、ドクターの静かな執務室に控えめに扉を叩く音が響いた。
「ドクター、居ますか…?」
控えめなノックと同じく、控えめに扉から入ってきたのはムースであった。手にはお盆に乗せられたマドレーヌがあり、ドクターに差し入れに来たことが窺えた。
ムースはきょろきょろと室内を見渡すが、ドクターの姿はなかった。どうやら所要で出ているようであった。
「居ない、のかな…?」
手作りの焼きたてマドレーヌを手に、ムースの尻尾はだらりと垂れた。
居ないのならば仕方がないと机の上にマドレーヌを置こうと近付くと、ドクターのイスの上に黒猫が丸まって寝ているのが目に入った。黒猫はムースに気づいているようで、耳をムースに向けてはいたが顔は上げずにいる。
黒のスカーフを巻いている尻尾が二股になっている黒猫に、ロドスに居る全ての猫の世話をしているムースは黒猫に見覚えがなかった。
「知らないねこちゃん…?」
自分の知らない猫がドクターの執務室にいることにムースは首を傾げた。艶のある毛並みに着飾られている様子から、愛情を込めて世話されていることが分かる。
じーと凝視し続けるムースに、黒猫が苛立ったのか顔を上げた。黒猫の透き通るようなコバルトブルーの瞳がムースを捉えると、手に持ったマドレーヌへと視線が移った。
「にゃ~」
「ダ、ダメだよ!」
イスから飛び上がり、机に乗った黒猫は鼻をひくつかせながら一鳴きした。その視線はムースの手に注がれており、マドレーヌを欲していることが一目瞭然であった。
ムースが持って来たマドレーヌは人用であり、猫に食べさせるものとしては作っていない。そのため黒猫には渡せないとムースは拒絶するが。
「ダメだってば!」
「にゃうんにゃうん」
マドレーヌしか目に入って居ないのか、黒猫はムースの体に両足をつけながら顔を近づけさせる。ムースも食べさせまいと、お皿を両手で頭上高く掲げ黒猫が届かないようにする。
一人と一匹の攻防、黒猫はマドレーヌを追う様に体を伸ばしてくる。そのためムースの顔に猫の鼻息が顔にかかりこそばゆい。
「んんーー!」
「にゃ、にゃうんにゃうん」
黒猫から必死にマドレーヌを守るムースであったが、黒猫は大きな体躯をしているためマドレーヌに届きそうになる。
あと少し、そう思ったのか黒猫は腰を落とし飛び掛る体勢へと入った。盗られると思い、目を固くつむったムースだったが、横から伸びてきた手によって黒猫は抱きとめられた。
「ミス・クリスティーン。それは君が食べていいものではない」
「ほえ…?」
「にゃーん」
ムースは両手を挙げたまま、声のしたほうへと視線を向けると黒一色の衣装に身を包んだ長身の男がいた。ムースが部屋に入ったときには居なかったはずであり、ロドス内でも見たことが無い人物であった。
黒猫は抗議の声を上げるが、男は黒猫を宥めるように撫で抗議の声を黙らせた。
「えっと、ありがとうございます」
「礼を言われることではない」
見るからに不審者な男ではあったが、ロドスには
「ドクターは夕刻までには戻る予定だと聞いている」
「そう、ですか…」
現在正午を少し回った時間なため、夕刻までとなると長時間待つことになる。ムースはそのことに少し落ち込む。冷めても美味しいとはいえ、折角焼きたてで持って来たマドレーヌをどうしすればいいかと逡巡する。
男はその間、黒猫を抱いたままムースを眺めていた。黒猫はマドレーヌの事を諦めた様子ではあるが、代わりにムースへと興味を示していた。
ムースが考え込んでいると、黒猫と目が合った。そしてムースの視線はそのまま上へと上がり、男の双眸と交わった。
「ねこちゃん…」
「猫?」
「あっ、いえ、なんでもないです…」
ムースが思わず溢してしまったのは男がフェリーンであるから、というよりも男の雰囲気そのものが猫っぽいというだけなのだが。
ただ猫っぽいと感じたムースは男に親近感に似たものを感じた。手にはマドレーヌ、正面にいるのは猫っぽい人と黒猫ならばとムースは意を決して声をかける。
「あ、あの!よかったらお茶しませんか…」
「私と?」
「く、くろねこちゃんも一緒に!ねこちゃん用のマドレーヌを急いで作ってくるので…ダメ、ですか?」
男は意外そうにムースを見た。気弱そうなのに今始めて会った自分とお茶をしたいなどと。ただ男としても抱いている黒猫は誰にでも興味を示したり懐いたりするわけではない、そのためムースが気になっていた。
男は渡りに船とでもいうかのように、ムースの提案を受けた。
「私でよければ、マドモアゼル」
「ほえ」
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「わぁ~!上手に食べるんですね!」
「ミス・クリスティーンはマナーにうるさいのでね。気をつけるといい」
「はい!」
「にゃうん」
ドクターの執務室で行われているお茶会。各々の前にはマドレーヌと紅茶が置かれており、舌鼓を打っていた。黒猫のクリティーンもイスの上に座り、行儀良くテーブルに乗せられているお菓子にありついていた。
猫としてはありえないほど綺麗に食べるクリスティーンに、ムースは感嘆の声を上げていた。クリスティーンの姿に男、ファントムもマドレーヌを食す。
「…美味しい」
「お口に合ったようでなによりです」
しっとりとした舌触りの良い生地に柑橘の香りが抜けていった。ファントムは考えるよりも先に、口から感想が漏れ出ていた。ムースはそれを聞いて、顔を綻ばせると自身もマドレーヌを食べ初めた。
しばし無言の時間が生まれた。その中でファントムは、このマドレーヌが商品として販売できる程のものであることを理解する。
「美味しかった。感謝する」
「にゃ~」
「お粗末様でした」
マドレーヌを食べきり、紅茶を飲みながら緩んだ空気が流れ始めた。
クリスティーンが顔を綺麗にしていると、ファントムがムースに声をかけた。
「君は、以前パティシエなどをしていたのか?」
「…はい。見習いパティシエをしてました。今でもたまに厨房をお借りしてお菓子を作ってるんです」
「そうか…。私と同じ、か」
恐らく鉱石病に罹ってしまったために、己の道を諦めるしかなくなったのだと。ただ、ファントムは憂いの無いムースの表情が少し気になった。
「ファントムさんは以前何をしていたんですか?」
「私は、劇団員をしていた。移動式の劇団で国内を回っていた」
「劇団!すごいですね。私、演劇とか見たことないんですよね…」
膝の上に乗って来たクリスティーンを撫でながら、ムースは少し考え込む。それを見たファントムは、口を開きとある提案をした。
「単独だが、よければ演じてみようか?」
それは今この場で即興劇をしてみるというものであった。ただファントムとしても、自身の口からこのような提案が出来たことに驚いていた。
ファントムが内心動揺しているのを他所に、ムースは数瞬呆けるが次の瞬間には満面の笑みを浮かべていた。
「いいんですか!?」
ムースのテンションは爆上がりであった。初めての演劇が、その道のプロかつ自分のためだけに行われるとあっては無理もなかった。
「…ああ、構わない」
口は災いの元とでも言えばいいのか、最早取り消すことができなくなったファントム。しかし、この短時間で存外ムースのことを気に入ったのか、ファントムは即興劇を行うことは吝かではなかった。
「さぁこれより始まるのは、今この時のためだけの即興劇。お静かに、ご覧ください」
「…以上を持ちまして、此度の即興劇を閉幕いたします」
深々とお辞儀をしてファントムは締めくくった。ファントムが顔を上げるとそこには、目を輝かせながら大きな拍手をしているムースがいた。
「すごい!すごいです!何て言えばいいのか分からないですけど、兎に角すごかったです!」
「…ありがとう」
惜しみない賞賛の言葉に、ファントムは劇団員時代を思い出す。たった一人の観客だが賞賛の言葉に大きな拍手は、多くの観客に仲間の劇団員のことを思い起こすには十分であった。
ファントムはふと、先ほどの憂いの無いムースの顔を思い出した。
「君は自分の道が閉ざされたことに対して思うところはないのか?」
ファントムの質問は不躾であった。ここロドスには様々な事情を抱えたものが数多くやってくる、ファントムのその一人であったのにだ。ただファントムは気になるのだ、何故未来を信じることができるのかが。
「私は信じてるだけです」
「信じる?」
「はい。ここロドスの皆さんとドクターが、鉱石病を治すことができるって」
屈託の無いムースの笑顔に、ファントムはすんなり納得することができた。来る日も来る日も鉱石病治療のために東奔西走しているドクターを見ているのは自分だったのではないかと、ファントムは自戒する。
「そうだったな」
「はい。だからファントムさんもいつかきっと、多くの人の前でまた演劇できると思います」
「そのときには、私から招待させて貰えないだろうか?」
「ほんとですか!?やったー!」
無邪気に喜ぶムースに、ファントムは笑みを浮かべた。
「にゃん」
ただ、ファントムの肩に乗ったクリスティーヌは、そんなことも分からないのか、と言わんばかりに前足でファントムの頬を叩いていた。
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