アレシマ。
このイジツにおいて、空を利用する運輸事業、用心棒、飛行隊などを登録及び管理する航空運輸局なるモノが存在する町。ギルドかな? ギルドだよ? そうだよね。
町の真ん中には大きな通りがあり、その先にある立派な建物はホテルだそうだ。本日行われる評議会の会場でもある。
過去にイサオさんとユーリア議員が会談を行った場所。その際には所属不明の部隊による襲撃が発生し、イサオさん自身も戦闘機に乗り参戦した。
そんな事もあり、町としてはイケスカ動乱が発生した際にはイケスカ連合側に付いていた。所謂イサオ派の町。
しかし、イケスカ動乱により反イケスカ連合から襲撃を受け、被害を出した。イジツを二つに分けた大戦だった事が伺える。
それでも比較的小規模で済んだのは町の自警団、アレシマ市立飛行警備隊の存在と町議会の手腕によるものだろうか。
イサオさんの謀略が暴かれた後の行動、イサオ派であった町が今回の議題であるイサオ登場の噂の真相を明らかにすべく、評議会の会場に名乗りをあげる。これはひょっとしてまだ……。
これから行われる評議会はラジオでも聞ける事になっている。コトブキの皆と聞くべきではあったのだが。
評議会開催の前日。議題に挙げられる震電を各町の代表者たちに披露するべく準備をする。
人によって様々な表情。機体を見るのも嫌なのか、苦々しい顔をする人、イサオさん本人の機体でない事を祈る人、様々ではあるが大半は拒絶気味。
その人達を相手に立ち回るユーリア議員。この姿を見てしまうと頭が下がる思い。でも飛行船での出来事を思い出すと素直にそう思えないのがまたなんとも。
ユーリア議員から合図が出る。震電のエンジンを起動させるべくイナーシャハンドルを手に取る。毎回思うのだが、曽祖父しかりイジツの人々しかり、よく一人で回せるものだと感心してしまう。
私がイナーシャハンドルを持っている。では現在、操縦席にいるのは誰か、ケイトである。コトブキ飛行隊という知名度。その飛行隊の隊員でイサオさんを撃墜した経験もあるケイト。
エンジンが始動する。イジツには存在しないエンジンが唸りをあげて周囲に響く。この三つを最大限に生かし、噂の払拭に努めるユーリア議員。この機体、私が乗ってきたんですよ。ふふふ……。
仕様もない事を考えるが、代表者達の雰囲気は先程とは変わり、所詮は噂、眉唾物だったかという空気になりつつある。このまま明日の評議会まで維持し、任務完了。になればいいなぁ。
話を元に戻す。今まさに評議会が開催され、その模様がラジオを通じて町全てで聞こえる事になっている。
「ハルト。ユーリア議員の演説は聞かなくてもいいのか?」
「前日にあれだけの手応えを感じ取れれば問題ないかと」
「だが後で聞いていたかしら、とユーリア議員に問い詰められるのではないか?」
「その時は全力で感謝を伝えますよ」
それは誤魔化しているだけなのでは? 眉毛を八の字にして困り顔のレオナさん。このタイミングで出かけないといけない事があるのです。
「ハルトー、出かけるのー?」
「初めての町ですから。図書館に寄ってユーハングの事を調べてこようと思いまして」
「あーなるほどねー」
「待機命令なんて無ければハルトとウーミの本を探しに行けたのに!」
「仕方ありませんわ。我々の任務は護衛ですから。いつでも出撃出来るように待機していなくては」
「目的の物が見つかる事を祈る」
「気を付けてねー」
ありがとう。それじゃ少し出かけてくるね。
いってらっしゃーいの声に送られて町に出る。ガイドマップを貰っておいたので図書館には迷うことなく着きそうだ。
それから数時間後。時折聞こえていた街中のラジオでユーリア議員の淡々とした声で震電とイサオとは因果関係は無し。決定でよろしいですね。その言葉に異議なしの声が聞こえた。
ありがとう。ユーリア議員。貴女がいなければ私はどうなっていたか検討もつきません。飛行船に戻ったら改めてお礼を伝えよう。
私はその間に図書館で調べ物をしていた。ユーハングの残した工廠で未だに戦闘機が作られている事、閉鎖され跡地として残されている場所。
意外ではあったが文献にはそれなりにイジツのユーハングについてが記載されていた。
ただ私の知りたい内容は残念ながらなかった。やはりイケスカにいる執事さんに直接聞かなければ分からない部分なのだろう。
それでもユーハングの事が少しでも知れて満足である。遠出して、その町にしか記載されていない本というものがやはりあるのだなと実感。
飛行船に戻ろうと足を動かすと、どこからか大声が聞こえる。なかなか汚い言葉を使っているが……女性の声のようだ。いくつかの足音と共にこちらに近づいてくる。
嫌な予感。それを考える暇もなく突如として表れる男性とそれを追う女性二人。
狭い路地、追われる男性、追う女性二人、さぁどうなる。何事もないように端っこに避けますよ。
「おい! そこのガキ! そいつを足止めしてくれ!」
「クソっ、ガキが! 俺の邪魔をするんじゃねぇ! そこをどけ!」
背の小さな女性からガキ、野郎からもガキ、うん。分かっていたけど私は背は低いし童顔で成人には見えないよね。
ならせめて男性に憂さ晴らしをして心を落ち着かせよう。とはいえ正面から止められる訳もない。素直に一度、避けるように移動する。
男性が油断したのか、私を避けるようにして足を早めて通り過ぎようとする。だが許さぬ、誰しも身体的特徴で触れてはならぬ箇所があるのだよ。
私の足元に落ちていた木の棒を男性の足に向けて蹴り上げる。男性は自分の足と足の間に木の棒が引っかかり盛大に転ぶ、あれは痛そうだ。
その間にもう一人の女性が男性を確保。何がどういう理由で追っていたかは知らないが、こういう時はさっさと逃げるのが一番。自警団だったら面倒な取り調べも発生するだろうしね。
そんな訳でさようなら。はい無理でした。掴まれた片腕には細腕が見える。見た目とは違い鉛のように重く、身動きができない。
「いやーさっきはガキだなんて言ってすまなかったな! オマエが足止めしてくれたおかげで捕り逃さずにすんだぞ!」
「さいですか、私はこれで用事があるので失礼させて頂きます」
「まてよ! このまま返したらゲキテツ一家の名が廃る。何か礼をさせてくれ!」
「何かって男性が勝手に転んだだけで何もしてないですってば」
「そんな事があるか! 走ってる人間の足の間に木の棒を蹴り飛ばして転ばせられるヤツをそのまま放っておけるかよ!」
会話の間にも、もう一人の女性が男性を拘束したらしくこちらにやってくる。
「突然でごめんなさいね。助かりました。私としても何かお礼をさせて頂きたいと思っているのですが」
「とは言われましても……」
「だぁぁぁ! いいから好意を素直に受け取れ! ガキの礼ぐらいならいくらでも叶えてやるよ!」
「フィオ! もう少し言葉を慎みなさい!」
ナーッハハハと笑うちびっ子。つい目を閉じてしまう。私より小さな子にガキんちょ呼ばわれ。私の背丈と童顔が何をしたというのだ。涙腺が緩んできた。素直に気持ちを伝えてさっさと離れよう。
「フィオ? さんって言われてましたね。お礼が浮かんだのですが」
「お! なんでもいいぞ。あんま無茶なのは流石に無理だけどな!」
「身長を伸ばしてください」
場が凍り付く。当たり前だ、身長を自由に伸ばせられたら苦労しない。涙目になりながら続ける。
「無理でしょ? これでも私、成人しているんですよ。平均値より低いですが、顔も童顔で幼く見えるけど、成人しているのです。子供ではないのです。ガキんちょにしか見えないでしょうが成人なのです。お分かり頂けたでしょうか。それでは失礼させていただきます」
八つ当たりをしてしまった。でもそれだけ心にグサグサときたの。辛い時に逃げちゃ駄目なんて言われるけどもう駄目なの。
飛行船へと踵を返す為に歩みを始めた途端、また片腕を掴まれる。先程以上の力で。
「ちょ、ちょっと痛いですよ!」
「おまえも……」
「おまえも?」
「見た目で苦労しでだんだなぁぁぁ」
先程までの狂犬のような姿のフィオ? さんの姿とは思えない程にうって変わって涙目でこちらを見つめてくる。
うぅ、うぅ。と泣きじゃくる姿になっている。流石にいた堪れなくなってハンカチを取り出し、綺麗な瞳から流れ落ちる涙を拭き取っている。
自分の発言には後悔しか浮かばない。女性を泣かせてしまい自己嫌悪に陥る。
ありがと。その言葉が聞こえたので拭き取るのを止めてハンカチを手渡す。自分で細かな場所を拭き始めた。
「ごめんなさい。私もまだ子供かと思っていました」
「いえ、こちらこそすみませんでした。自分の気にしている箇所を突かれて、苛立ちで八つ当たりをしてしまい申し訳ございませんでした」
しばし頭の下げあい。こればかりは軽率な発言をしてしまい後悔しか浮かばない。
「なぁ、お前の名前はなんて言うんだ?」
泣いていた女性に唐突に名前を聞かれる。少し落ち着いたようだ。
「ハルトと申します」
「私はフィオだ。こっちにいるのはローラ」
ローラと呼ばれたもう一人の女性が会釈する。
「ハルト。済まなかった。私もよく見た目で判断される事が多くてハルトの気持ちは十分、分かっていたはずなのに気づけなかった」
「私も言い過ぎましたから気になさらずに」
「でもハルトは初対面の私を見ても子供扱いをしなかっただろう?」
「そりゃまぁ、フィオさんが子供かって言われたら違うでしょう」
そんなご立派な物をお持ちな方が子供な訳がない。そう、背丈に似合わず凄いモノをお持ちの女性なのだ。フィオさんは。
そのフィオさんはキョトンとした顔でこちらを見つめている。目つきは鋭いのに可愛い。
「どうしてそう思ったんだ?」
「どうしてって、私に感謝や謝罪の言葉を告げられましたし、何より子供であればお礼をする。という言葉は出てこないかと」
ホラを吹く。本音を言える訳がない。フィオさんの顔から少しでも視界を外すと山が見えてしまう。イジツマウンテン。貴女の山から朝日を眺めたい。
突如、両肩を掴まれる。邪な思考が読まれたのかと思ったがそんな訳もなく。最近まったく同じ経験をした出来事が頭にちらつく。
「ふ、フィオさん! いきなりなんで肩を掴まれてどうされただだだぁぁぁ」
「気に入った! ハルト! 私と来い! 部下にしてやる!」
「突然なにを言っているのか分かりませんけど揺さぶるのはやめてくださいよ!」
とても嬉し気な笑い声と共に私の体はフィオさんによって揺さぶられる。これはユーリア議員の時とまったく同じではないか。それ以上に体格の割に力が強くて抗えない。イジツの女性はバケ……。
さすがにこの状況を良しとしないのか、ローラさんがフィオさんを後ろから引っ張り、放してくれた。月下美人の長髪と白をベースにした縦縞のスーツ。まさに女神。感謝と共に拝んでしまう。当の本人は困り顔ではあるが。
「フィオ。突然そういう事を伝えてもハルトさんが困っていますよ」
「だがなローラ! この先、ゲキテツ一家が勢力を拡大させる為にもハルトのような人材は必要だろう! 何より私と初対面であっても子ども扱いをしなかったんだぞ!」
余程そこが重要なのか。気持ちは痛いほど分かりますけど。ローラさんも思考するように口元に手を当てている。これはまずい。レオナさんの時の様に、話を受け流すか、誤解を解いてくれるであろう役の人まで考え始めてしまった。
図書館から中央通りまで一曲がり、後は人混みに紛れれば撒けるか。何より私に山は無い。走り抜ければ勝機はある。
一息入れて覚悟を決める。その様子を誤解したフィオさんが少し嬉し気な表情を浮かべる。キラキラな笑顔。物凄く心がチクチクしてきた。
「フィオさん!」
「おう!」
「ごめんなさい!」
フィオさんとローラさんが呆気に取られている間に全力で逃げ出す。後ろからフィオさんの待てやゴラァの怒声。ヤバイ。次に捕まったら二度と帰れなくなる!
人混みをうまくすり抜けて中央通りへと向かう。だが最悪のタイミングで中央通りへの道は自警団によって閉鎖されていた。評議会が終了して代表の人達が各々の飛行船へと戻ろうとしている最中だったのだ。
これはまずい。更に横道へと逃げ込む。一瞬振り返ると見えたモノは、歯を剥き出しにして追いかけてくるフィオさん。それを追いかけるようにローラさんも走っているが、男性を捕まえようとしていた時のような動きではない。周りに注意を払いながら走っているようだ。
ローラさんよりもやや赤みがかかった洗柿色の長髪、揺れるポニーテール、そしてマウントイジツ。うたれるなら滝でもなく、警策でもない、アレがいい。
全力疾走でアレシマを駆け抜ける。捕まったら最後、死んでもイジツから離れまてん。が始まってしまう。私にはまだしなくてはならない事があるのだ!
また一つ、道を曲がり走っていると手を振る人が目に写る。私? と思いながら視線を向けると自分の後ろ側を指で指す仕草。まさか匿ってくれるのだろうか。
このままではらちが明かない。一筋の希望に託し手を振る人の元へ駆け込み、壁際に小さくなる。
その直後に聞こえるフィオさんの声。フェードアウトしていく声にようやく一息を入れる。危なかった。捕まっていたら別のお話が始まるところであった。
今は駄目だ、目的を果たさなければならない。
匿ってくれた方にお礼を告げるべく顔を上げる。そこにいたのは女性二人。これはまた美しい女性。イジツ……の思考が回る前に視界がとらえたのは、大胆に前開きにされた服にリターントゥマウントイジツ。下着、いや水着に近い。そうじゃねぇ!
怒涛の展開と息切れにより思考がうまく定まらなくなってきた。正座の体勢に入りお礼を述べる。
「大変助かりました。ありがとうございます」
「いいのいいの! ホラ、そんな所で座ってないで椅子に腰を掛けたら?」
ポンポンと空いている椅子に手を当てながらお誘いをしてくれる。少し落ち着きたいという思いもあるのでご厚意に甘えさせてもらう。もう一人の女性が飲み物を注文してくれていたらしく、目の前に紅茶が出される。柑橘系の香り、口につけた時の紅茶の渋みが心も身体も一息をつけさせてくれる。
「美味しい」
「それはよかったわ。貴方、紅茶を飲み慣れているわね」
「どうしてそう思いました?」
「香りを楽しみ、最初の一口の後、一息入れていたじゃない。優雅で華麗な、普段から飲みなれている人の楽しみ方よ」
顔を少し傾け、微笑みながら伝えてくる女性。銀色の髪がサラっと流れるように動く。
髪の色と対比しているにも関わらず惹かれあう褐色の肌。先程のローラさんとはまた別の美しさを放つ人。
対比を崩さない為か、勝色の上着とスカート。先端にある白いフリルがとても良く似合う。
「落ち着かせてくださる為に柑橘系の香りがする紅茶を選んでくださったのでしょうか。アールグレイ?」
「まぁ、品種まで分かるのね」
「時々ですが飲む習慣がありまして。申し遅れました。私はハルトと申します」
「私はリガル。そっちにいるのはロイグよ」
ハーイと手を振り答えてくれるロイグさん。透きとおった桜貝色の髪。長い髪を片側で結んでいる。身体の線がでやすい衣服を身に着けている。どうしても目線が行きがちな大きな山があるが、それ以上に羨ましいのが椅子に座っていても分かる足の長さ。長身だぁ。
「ねねっ! ゲキテツ一家に追われるなんて何をしでかしたの?」
好奇心旺盛に聞いてくるロイグさん。前のめりになって聞いてくるのだから顔が近い。イジツの人との距離感は未だに慣れない。
「追っている人がいたみたいで、私の目の前を通り過ぎる時にちょっと」
「貴方が追われていた訳ではないの?」
「はい。最初は私以外の人を追っていたのですよ。その時に止めろ! って言われたので手伝いをしまして」
頼む! そいつを止めてくれ! 世界を救ってくれ! そんな大げさな事ではないけれど似たようなものだよなぁと思う。
「では、なぜハルトが追われる身になったのかしら」
「何故かフィオという方に気に入られてしまい、部下になれ! という拒否不可能な状況になってしまいまして」
「へぇ! あの狂犬に気に入られるなんて。余程の事があったのね!」
興味津々といった感じで見つめてくるロイグさん。同族と出会えた喜びが原因だなんて流石に悪い気がして言えない。
紅茶に口をつける。喉が渇いていたせいもあって既に何度か繰り返していた為にこれでカップの中身は空になる。これで飛行船に戻らないと。
店員さんを呼ぼうとしたリガルさんに声をかえる。
「紅茶、ご馳走様でした。すみませんがこれで失礼させていただきます」
「あら、もう行ってしまうの?」
リガルさんは机に肘を置き、絡ませた手先の上に顎を置いて顔を傾けこちらを伺うように見る。行儀だけでいえば悪いのに視線が外せない。その間にロイグさんが追加注文を済ませてしまう。
「はい! もう注文しちゃったから終わるまでは駄目よ」
「いやっ、本当にこれ以上のご厚意に甘えるわけにはいきませんって」
「なら尚の事、私達を楽しませてほしいわ」
楽しませるっていわれても。同族の話はするべきではないし。何か他の話題が無いかと探る。
んーと考えながら思いついたのは、図書館でも見かけた海のウーミの話。ギリギリセーフかな? アウトかな?
「お二人共、海ってご存知ですか?」
「海? 唐突ね。勿論知っているわ。昔イジツにも海があって見渡す限りの水があったそうよ」
「オサカナ達も自由に動きまわっていたとかね!」
「そうです。その海です。その話でよければ出来ますよ。楽しいかは分かりませんが」
「聞きたい聞きたい!」
ねっリガル! と顔を合わせるロイグさん。えぇ、と返すリガルさん。
そういう事で少しだけ、日本の海について喋る事になった。
大地が割れ、海は裂け、空に雷鳴が轟く。そんな事はまったく無く。フェリー上からみた光景を言葉に変換して物語として伝える。こんな話で楽しめるのだろうかと不安になったが、二人は楽し気に聞いてくれる。良い人達だ。
「という事があったそうじゃ」
「……なんで最後は老人口調なのかしら」
「語り部の役目は大概は老人だからかな。その方が夢といいますか浪漫が感じられやすくなるかと思いまして」
確かに。なんて腕を組んで頷くロイグさん。更に強調される部分があって困る。リガルさんはその様子を見て少し呆れ顔。
「それにしてもまるで見てきたかのような語り方ね」
「……まったく見ていないという訳ではないのですよ」
「どういうこと?」
助けて頂いたお礼も出来ていないし、これぐらいはと思いポケットから写真を取り出す。アレンから借りたカメラで撮った幾つかのぼやけた写真の一つ。水面を跳ねるように泳ぐ魚達の姿が映し出されている。
机に置かれた写真を覗き込むお二人。気づいたのか、同時に喋り始める。
「これってもしかして海!?」
「この生き物はオサカナ!? ハルト! これは一体どういう事!?」
「同時に聞かれても答えられませんってば!」
あと近いって! もうちょっと離れて! コイントスを初めて質問の順番を決める二人。どうやらリガルさんのオサカナの話かららしい。
「ハルト! これはオサカナなのね!? ここは湖なの!? 海なの!?」
それ、私が聞きたかったのにーと口を三角形に変えるロイグさん。
「海です。それは間違いないです」
「まぁ! 地平線の先まである水。そこを飛び跳ねるオサカナ。なんて美しい光景なの」
うっとりという言葉が似合うリガルさん。写真を片手に自分の世界へ。
その間にロイグさんが耳打ちをするように顔を近づけてくる。
「それにしてもあんなオタカラ。どこで手に入れたの?」
「それなりに訳アリ品です。あまり出所は探らないで頂けると助かります」
「ふーん。狂犬が気に入るのも分かる気がするわ」
それは勘違いですよ。フィオさんの場合は同族からによるもの。ロイグさんが考えているのはきっとブツを手に入れる手腕。訂正する理由もないのでそのままにしますけどね。
今も写真を片手に世界を旅立っているリガルさん。今日は長いわね。なんていう呟き声が隣から聞こえる。
「よければその写真、差しあげますよ」
「そんな! 貴重な物を貰う訳にはいかないわ」
「えーリガルばっかりずーるーいー。私には何かないのー?」
今度は口を尖らせるロイグさん。表情がコロコロと変化する。
とはいえ他に渡しても平気そうな物ってあったかなぁ。身体を軽くポンポンと触りながら考えていると、手に当たる物があった。これならまぁいっか。
「ではロイグさんにはこちらを差しあげます」
「えっ! 本当にくれるの!?」
「説明ナシだとただの筆記用具ですけどね」
「これって万年筆……よね?」
ロイグさんの手の中にあるのは万年筆。年季はあるがまだまだ使えるシロモノ。
「そうです。とはいえ、そのままだとごく普通の万年筆で終わってしまいますが」
「コレにも何かオハナシでもあるのかしら?」
「海ほど規模の大きな話ではありませんけどね」
式守さん家の代々伝わるお話である。初代は曽祖父なのだから想像が何も膨らまないのが玉に瑕。本人に聞けば良いではないかで終わるお話。
曽祖父が当時の初任給と色々を合わせてこの万年筆を購入し、様々な想いを書き連ねた事。その中には奥さんとなる方への恋文も。
その想いは無事に祖父へ引き継がれる。祖父から父へ。そして成人を迎えた子の私に父から託されたというお話。
始めの話に戻ってしまうが、初代も、引き継がれてゆく人達も存命なのである。想像の膨らみようもなく、渡された時でさえも、へー。の一言で終わるぐらいに。
時代は少子化社会。たとえ一撃必殺の武器を持っていようが使えなければただの筆記用具。そう、社会が悪いのだ。わたしわるくないもん。
「とまぁそんなどこにでもある話でございます」
「そんな事はないわ!」
机を叩く音と同時に立ち上がるロイグさん。令嬢かとも思える凛々しさと気品に溢れたモノが辺りを包む。
「ハルトのご先祖から連なる大切なお話よ。どこにでもあるお話ではないわ」
物凄く大真面目な返事をいただく。リガルさ……ん。視線の先には紅茶を飲む美しい人。目線が合い、微笑みをくださる。ご褒美をありがとう。違う!
「いや! でも本当に大したオハナシじゃないんですよ。きちんと伝わりすぎて想像が膨らまないといいますか」
「尚の事。ハルトの家の方々が大切にされているという事よ! そんな素敵な物を受け取る訳にはいかないわ」
私の手をとり、掌に置かれる万年筆。受け取り方によっては、貴方、重いのよ。である。凹む。
「なら、ハルトに手紙を書いてもらえばいいじゃない」
返された万年筆を受け取り。仕舞おうとする時にリガルさんが突拍子もない事を言う。どういう事だ。
私がロイグさんに手紙を書く。手紙を書く。書く。ん、恋文を書けってこと!? ロイグさんも同じ発想に至ったのか、顔を赤らめている。まさかのワンチャン有りか!?
ここでいかねば式守家の名が廃る。手帳を取り出し文字を書き連ねるべく考える。人生最大の分岐点。これがラストチャンスだ、走れるところまで走ってみる!
手帳に文字をしたためる為、万年筆を走らせようとした瞬間。鐘が響き渡る。その瞬間思い出す。門限の事を。
マズイ、カーチャ……ユーリア議員に滅茶苦茶怒られる。評議会終了時に代表の人達が帰るあの時点で手遅れだった気がしなくもないが、一刻も早く戻らなければ。
「すみません! 本当に帰らなくてはならない時間になりました! 紅茶ご馳走様でした。匿っていただきありがとうございました!」
それでは失礼します。何を書いたか記憶にない手紙をロイグさんに渡して飛行船へと走り出す。
今日は何という日だ。走ってばかりだ。幸せな時間もたくさんあったが少し落ち着きたい!
「どうしよう、リガル。私、初めて貰っちゃった……」
「どうしようも何も、受け取ったなら読んであげるのが筋じゃないの? 貴女だってよく相手に送り付けているでしょう」
「あれは予告状であってお手紙ではないわ……」
「似たようなものでしょ。私は海の写真を見つめるのに忙しいの」
この子は予告状を相手に送り付ける事は出来ても、人から貰った手紙を読み上げる事すらできないのかしら。
そもそも、私は手紙を書いてもらえばとは言ったが、恋文を書けとは言っていない。歴史と伝統がある物を引き継いだ素晴らしい万年筆で感謝の意を表した手紙でも書けばいいじゃないと思っていたのだけど。……少し言葉が足りなかった事は認めるわ。二人とも似た思考をしていたのは誤算だったけれど。
三角形に綺麗に折られた美しい手紙をロイグは未だに見れず、両指の人差し指をツンツンしていたりクルクルと回してモジモジとしている。こういう所は可愛らしいのよね、この子。
「早く開けなさい。お店も閉まる時間よ」
「でもでも! 初めて頂いた手紙だし、拠点に戻ってからゆっくりと読みたいなっ、て思うわけで」
「い・い・か・ら!」
はいぃ! 私の気迫に押されて手紙を解いていく。最後の折りを開けば文が読めるとこまできた。目を閉じて深呼吸をするロイグ。早くしてくれないかしら。
意を決して目を開け、手紙に視線を写す。沈黙が続く。何が書かれている事やら。
「ねぇ、リガル」
「なぁに。自慢なら違う子にしてちょうだい」
「そうじゃないの。……読めないの」
はぁ? 手紙を見せてもらう。確かに読めない。これはイジツ語ではないのかしら。
「それでも最初の字は見た事あるわね」
「月光の月の字よね。それは分かるんだけど続きがなんて書いてあるのやら」
「はぁ……丁度いいじゃない、震電を盗むって気分でも無くなってしまったのだし。拠点に戻って手紙の解読でもしましょ。それもロマンでしょ?」
「! そうね! それじゃ帰りましょうか!」
受け取った手紙を嬉しそうに胸元に入れる。そんな所に仕舞うと無くすわよ。本来の目的からは大きく外れてしまったが、予想外の出来事が起きて、飽きる事のない一日だったわ。