ふと目が覚める。
身体はそのままに視線を動かし周りを見渡すと、見慣れた病室の風景。
周囲は僅かに明るいが、朝というには少し早い。
眠気もあるような、無いような。とても微妙な時間帯に目が覚めてしまったようだ。
ぼんやりとしながら今の自分の置かれている状況を考える。
銃弾によって折れた鎖骨も、手術済み、容態の安定も確認。本来なら既に退院してもいいみたいなのだが、誰かさんの相手をするのに入院していて貰っていた方が都合がいいと言われてしまう。
その誰かさんは、日々歩行訓練を続ける毎日。研究ばかりに熱心になって歩けなくなったら私までケイトに怒られてしまう。
とはいうものの、私が日本に帰還するには、誰かさんの協力が必要不可欠である事は確か。
訓練は続けて貰いたい。だけど穴の研究も進めて欲しい。
ぬーんと唸っていると、誰かさんはアッサリと次回の穴が開く日時を口にする。あれ、割とすぐじゃない?
『伝えるのを忘れてたよ』なんてあっけらかんに放つ。このイケメンめ!
でも私自身が別行動を取っていたり、攫われたりと色々あったから、伝える機会も早々無かっただろうから仕方ないか。
そうだなぁ、退院したらオフコウ山にいるはずの曾祖叔父とご対面をしなければ。
随分と遠回りになってしまったけれど、この旅の目的だからね。
それとお世話になった人達にお礼を伝えに行かないと。
何一つ知らないイジツの世界に、イサオさん絡みの人間が現れたにも関わらず、こんなにも優しく私を向かい入れてくれた人達には感謝してもしきれない。
誰から会いに行こう、やっぱりマダムから? そんな事を考えていたら、窓から何やら物音が聞こえる。
上体を起こし窓枠に近づきカーテンをそっと開くと、窓の外には白髪に褐色肌の素敵なお姉さんがいらした。
視線が合うと微笑みと共に小さく手を振ってくれる。こちらもお返しに同じようにして手を振り返す。
早朝から大変美しい人を見させていただきました。おやすみなさい。
『ちょっと! 私を無視して寝るんじゃないわよ!』
お怒りの声と抗議のノックが窓枠から聞こえる。
それでも時間帯を気にしているのか音量は小さめ。
流石、潜入捜査を得意とする怪盗だ。きめ細やかな配慮が行き届く。
しばらくじっと窓の外を観察してみたが、美しい人は大変慌ただしい。
表情はコロコロと変わり、窓を叩くリズムも変則的。
そして徐々に弱気になりつつある言動と力の強弱。
イジツの人達に最も効果的な戦法は、華麗にスルーだと思い始めた。
「もう! 私がせっかくお見舞いにきて差しあげたのに、あの対応はどういう事かしら? ハルト?」
「お見舞いは大変嬉しいのですが、まだ朝の五時なのですが」
「でも貴方だって起きていたじゃない。問題ないわ」
「たまたま目が覚めていただけです」
「つまり、私たちは既に離れていても通じ合える程、波長が合う仲になったという事かしら?」
「アクセル全開すぎて何を仰られているのか理解できないです」
一人ご満悦そうに語るこの方は、リガルさん。
今更言うまでもなく怪盗団アカツキのメンバーであり、あの時とっさに私が銃弾から守ろうとした人。
結果的にリガルさんやロイグさんは無傷で済んだのだが、私が負傷してしまい、心配をさせて泣かせてしまった人でもある。
でも後悔はない。こうして今もリガルの笑顔が見れるのだから。
「リガルさん、私に何か用事があってこの時間に? 普段なら朝食の時間帯に来てくれていますよね?」
そう、リガルさんはほぼ毎日、私に会いに来てくれる。
私に餌付けをしてくれたり、車椅子に乗せて散歩に出掛けたり、時にはロイグさんと病室でお世話勝負。被害者は私。
ロイグさんはあの後、アカツキの皆とロイグさんの実家に滞在中。
オタカラの為にやらなければならない事、調べなければいけない事、沢山ありすぎてハルトに会えない! と頭を抱えて嘆いているとお見舞いに来てくれたモアさんが教えてくれた。
『色々な事がありましたけれど、私はあの虹の姿は一生忘れられません!』
博打枠だったけれど、その一言はとても嬉しかった。
ちょっとした過去を振り返れば、いつだってやってくるのは頬を掴む手。
引っ張られていく感覚と共に、いつしか伸び切ってしまうのではないかと心配になる。
「ハルト。いま他の女の事を考えていたわね?」
「アカツキの皆の事を考えていたので当りといえば当りかと」
「貴方は今、目の前にいる女性の事だけを考えなさい、いいわね?」
「ふぁふぁふぃふぁふぃふぁ」
伸ばされた頬のおかげで碌に返事も出来なかったが、通じたのであろうかリガルさんの指が離れていく。
自分の手で頬をコネコネして元の形へと戻し、ようやく落ち着く。
「すみません、質問をしておいて考え事をしていました」
「私が相手じゃなければ許されない行為よ、罰が必要ね」
「出来ればお手柔らかにお願いしたいのですが」
「さぁて、どうしてあげましょうか」
口元に手を置き、含み笑いをしながらこちらを見つめている小悪魔お姉さん。
何をされてしまうのだろうか。自分の鼓動が早まるのが分かる。
私がいるベッドに座り、横並びの状態。
先程は手が伸びてきた、今度はリガルさんの顔が近づいてくる。
それだけで自分の顔に熱が帯びるのが分かる。
最初の頃は、何かの冗談かと思うぐらいに美しいという言葉をよく口にする人だと思っていた。
けど、こうして間近で見つめると本人も本当に美しい、綺麗な人だ。
雰囲気にのみ込まれているのだろうか、目が離せない。
そのままリガルさんを見つめていると、視界の外から現れた手でデコピンをされてしまう。
ちょっとした痛みと共に目に映るのは、再び微笑みをくれるリガルさんの姿。
「なんてね、少し私に付き合ってくれればそれで構わないわ」
「何か始まるのかと思い、動悸が収まらないのですが」
「あら? このまま押し倒した方が効果的だったかしら?」
「い、いえ! 出掛けましょう! どこにでもお付き合いしますよ!」
私の言葉に、ニヤリとした表情を浮かべるリガルさん。まさか嵌められた?
「それじゃ、行きましょう」
リガルさんの愛機である飛燕に乗せられて、空へと舞い戻る。
確かに出掛けよう、どこにでもとは言ったけれど、まさか戦闘機に乗って移動する程の場所とは。念の為に書き置きを残しておいてよかった。
操縦席で飛燕を操るリガルさんは鼻歌混じりに楽し気である。
その姿を見ていると心配する事もないかと思い始める。
私とお出掛けをするというだけなのに、あんなにも楽しそうな姿を見せられては、こちらまで嬉しくなってしまう。
「着いたわよ、ハルト。私が貴方と来たかった場所がここよ」
「ここって、ドルハでしたっけ?」
「来た事もない町をよく知っているわね。ならここの観光名所も知っているわよね?」
「あーと、えーと、はい……」
この町はイジツでも貴重な自然が残されている場所。
緑豊かな環境を体験出来る町であり、それらが観光名所として貴重な収入源という事もあり、自然保護に力を入れている。
そして一番の売りは、人間が湖に入る事が許されている場所があるという事。
イジツで唯一、水着を着て人工的に作られた浜辺で日光浴や水遊びが許されている。所謂ところのリゾート地である。
「この町に来たという事はつまり」
「まさか森林浴を楽しむ為なんて思っていないでしょうね?」
「やっぱり湖の方ですよね」
「あら、ハルトは私の水着姿を見たくないのかしら、今日の為に色々と用意してきたのに……」
「滅相もございません! むしろご褒美をありがとうございます!! ただですね……」
「ただ?」
「泳げないんですよ、私」
静寂の間、そして始まるリガルさんの笑い声。
なんとか止めようとしているみたいなのだが、ツボにでも嵌ってしまったのだろうか、止まる事を知らない。
一通り吐ける息を吐き出したせいか、ようやく収まりの様子が伺える。
「もう! 急に面白い事を言わないで頂戴!」
「海のあるユーハングから来た人間が泳げないなんて言ったら情けないと思われてしまいそうで」
「そんな事で情けないだなんて思わないわよ。逆に聞かせてもらえて一つ確信が持てたわ」
「確信ってなんでしょうか?」
私の傍に近寄り、耳元に口を寄せる。そこから発せられる言霊。
「ハルトは私を意識してくれているって事よ」
ゆっくりと離れていくリガルさんの表情は、少し赤みを帯びていた。
目の前に広がる森林と砂浜、そして湖。
ここだけは別世界と言っても過言ではない。日本にいた時ですら実際にお目にかかれた機会がない程の光景が映る。
歩くたびに鳴り響く砂、埋まる足、後ろに続く足跡。
パラソル一式をお借りして良い場所をと思っていたのだが、貸し切りかと思う程、人の気配がない。
むしろリガルさんなら貸し切るぐらいはやりそうだな、なんて事を考えると笑みが浮かぶ。
適度な場所を見つけ、荷物を下ろし設営開始。
パラソルを固定してシートを引き、背もたれが出来る椅子を近くからお借りして準備万端。
あとはリガルさんを待つだけ、シートの上に座り足元の砂と戯れる。
なんだろう、準備万端とか言い放ったにも関わらず、時間が経過していくにつれて鼓動が早まるのが実感できる。
これは初めて出会った時からの想い? 二人で海の映像を眺めた事から始まった? 私の為に泣いてくれたあの時から?
思考と共に心臓の鼓動が脈打つ、リガルさんに抱いている特別な感情が浮き彫りになってくるのが分かる。
そうでなければこんなにも緊張はしない、水着姿でやってくるであろう女性を待つ間に、胸が苦しくなる事も無い。
町へと入る前のリガルさんの一言が思い返される。
『ハルトは私を意識してくれているって事よ』
自分の意志が明確になりつつあると、途端に落ち着きを無くしていく。
リガルさんと会ったら何を喋ろう、何を伝えよう、というかここで一緒に何をすればいいんだ。
頭を抱えながらゆらゆらとうごめくその姿は、第三者から見れば奇妙な行動にしか見えないだろう。
ただ、それを最初に見つけてくれたのは、リガルさんだった。
「面白い動きをしているわね、ハルト」
声が聞こえると同時に、ピタリと動きを止める。
鈍い音でも聞こえそうな速度で頭の位置を声の主に合わせて視界を合わせる。
白い髪、褐色の肌、上下赤色で揃えられたビキニに花柄のパレオ。
顎を少し引き気味に、腰に手を当て、自信満々と魅せつけてくる素晴らしいプロポーション。
脳内会議なぞする必要もなく、ただただ拝みたくなるその姿。
だが、その前に魅せて頂いた手前きちんと伝えなければ。
口を動かして言葉を発しようとするが、緊張のあまりうまく動かない、なんだこれは。
「あら、美しい私に言葉も出ないって感じね」
頭を上下に動かして意思疎通を図る。実際にそのとおりなのだから。
優雅な動作でシートの上に膝を置き、私と目線の高さが同じぐらいになるリガルさん。
真正面から見つめられ、瞬きすら惜しい気持ちで、じっとリガルさんの瞳を見つめている。
サファイアに似た美しい青い瞳。このまま吸い込まれそうにもなるが、これだけは言わなくては。
「とても綺麗です、リガルさん」
青い瞳が開き、驚いた表情をするが、次第に細められていくその瞳、そして慈愛の微笑み。
よかった、最低限だけどなんとか感想は伝えられた。
思った事をそのまま口にするだけの事が、これほど難しい事だとは思わなかった。
尚も体勢は変わらず、見つめ合う状態が続く。
私の心臓はリガルさんにも聞こえているのではないかと思うほど、跳ね上がったままだ。
いいのかな、こんなに美しい人を独占して、美しい人からの視線を独占していても。
見つめられたままでは思考が定まらない。それどころか呼吸をするのさえ忘れてしまいそうだ。
浅く息を吐き、浅く息を吸う。そして幾度か瞬きをした。
気が付けば、唇と唇が重なりあっていた。
突然の事で頭が真っ白に染まる。
慈愛の瞳は閉じられ、私の首に回された手。
重なり合った唇はとても柔らかく、温かい。
私の両手は自然とリガルさんの両頬を触れ、優しく撫でる。
何度も、何度も、時折、吐息が漏れる事があっても触れ続ける。
そして頭の後ろ側へと手をまわし、抱えるような体勢になる。
片方の手はリガルさんの美しい髪を愛でるように触り続け、重なり合った唇はそれだけに止まる事を知らなかった。
周りの事など一切気にせずに、ひたすらお互いの愛情を伝えあう。
湖以外からも水の音が聞こえ、森林から来る風よりも熱い吐息、足が埋まるほど柔らかな砂より蕩けそうな唇。
ただ幸せだった。
永遠に続くかとも思える行為、それは息切れを起こして止まってしまう。
それでも離れたくなくて、リガルさんの手を引いて私の上にお招きをする。
シートの上に倒れ込む私の身体と重ねるようになり、頭を私の真横に置くリガルさん。
声を出そうとすると、人差し指で唇を押されてしまう。
「待って、ハルト。私から伝えさせて」
頭を僅かに動かして頷く。
離れて行く指先の代わりに、再びリガルの顔が近づく。
「私はハルトが好き。私に海を見せてくれたハルトが好き。私に虹を見せてくれたハルトが好き。私たちを守る為に怪我をしたのは許せないけど、それ以上に嬉しい、けど二度と私を守る為に怪我をするのは止めて」
青い瞳からは涙が零れ落ちてくる。
それさえも美しい世界。
「今日の為に色々と準備をしたわ。ハルトを手に入れる為に。最後は『怪盗殺し』なんて異名を返上しなければならないぐらいに強硬手段を選択したほどに、それほどライバルが多かったのよ、貴方気づいていたかしら?」
考え込むように視線を少し上げるが、リガルの唇により思考を阻止される。
「私以外の人は考えなくていいわ。ハルトは私の事だけを考えて、そしてお願い、私の希望する答えを頂戴」
上体を起こす為にリガルさんの肩に手を置き、少しだけ移動してもらう。
再び目線が同じ高さになり交じり合う視線。
希望する答え、それは分かる。では自分の気持ちはどうなんだろうか。
リガルを見つめていると、青く綺麗な瞳は不安に駆られており、時々、涙が落ちる。
なんだ、自分の答えも決まっているじゃないか。
自分の鈍感さに苦笑いにも似た笑みが出てしまう。
大きく深呼吸、ゆっくりと息を吐き出し、正面を見つめて自分の気持ちを伝える。
「リガル、貴女が好きです」
ビクッと動いたリガルの身体は、そのまま硬直してしまう。
そのかわりに、青い瞳からはとめどなく流れ落ちる涙。
全く動かないリガルの代わりに両指で涙を拭うが、流れ落ちる量に対応しきれない。
これならば一層、枯れるまで付き合った方が一度リセット出来て良いのではないか。
リガルの腕を取り、私の首に回す。
私はリガルの身体を引き寄せる為に腰の辺りに腕を回した。
何度も背中を撫で、耳元で愛を囁く。
そうしている内に、リガルは意識を取り戻し、私に抱きつきながら涙を全て流し終えた。
「なんだかまだ夢の世界に居るみたいだわ」
「残念ながら現実ですよ、リガル」
あの後、泣き止んだリガルは真っ先に化粧直しに向かった。
十分綺麗なのにと思うのは男性側の都合。女性には女性の都合があるのだ。
周りを見渡すと、しわくちゃになったシートであったり、お互いの涙やらで凄い事に。
その中でも一番褒め称えてあげたいのは、我が息子なり。
貴君の耐え忍ぶその姿には感銘を覚える。よくやった! 感動した!
よし、ちょっくらご褒美タイムだ! と思っていたところでリガルが戻ってくる。すまないがまた耐えてくれ。
「自分で仕組んでおいてこう言うのおかしいけれど、上手くいったのよね?」
「上手くいきました。私はもうリガルの事しか考えられないぐらいに」
「本当に? 本当よね?」
「これから先、リガルにどんな美しいものを見せてあげられるか悩むぐらいに」
私の片腕にしがみ付いてくるリガル。
顔を上げこちらを見つめてくる。その仕草は反則だ。
「ハルト、美しいものを見せてくれるのは嬉しいわ。でもそれ以上に見たいものがあるの」
「なんでしょうか?」
「これから先、貴方と一緒に過ごす世界よ」
再び重ねられる唇は、すんなりと引き離され、変わりにその場に立ったリガルから手が伸ばされる。
「ハルト、私を見て、ずっと、たくさん、この先も、貴方の記憶を埋め尽くすぐらい、私を見つめていて。貴方の隣にいる時の私は、一番美しい姿をしているから」