私の手元には一冊の本がある。
色褪せたページを一枚づつめくり、そこに記載されている内容を頭に詰め込んでいく。
始まりは材料の用意から。決められた分量と共に手順が書かれており、ある程度料理が出来る人であればご家庭でも作れるように出来ている。
それらは日本の一般的な家庭環境を前提とした内容であり、イジツで本に書かれたどおりの物を再現をするのは困難を極めるであろう。
だが、私にはやり遂げなければならない使命があるのだ。インノにひっそりと存在する怪盗団アカツキのアジトで。
「ハルト、これを読んでくれないかしら?」
「はぁ、いいですけれど」
あの騒動以来、久しぶりの帰還となるアジトでリガルさんから手渡されたとある一冊の本。それは調べ物を任された際に見つけた料理本の一つである。
相も変わらず簡素な表紙に日本語で書かれている文字は『家庭で作る美味しいラーメン』
君と再び出会えるなんて思いもよらなかったよ。
「これはラーメンについて書かれていた本ですよね。リガルさんは食べた事があるのですか?」
「もちろんよ! あの美しい透き通るようなスープ! もちもちのコシのある麺! 忘れてはならないチャーシューと味玉! それにギョーザよ!」
「ラーメンだ。紛れもなくユーハングと同じ。でもどこでラーメンと出会ったのですか?」
「とある町へ仕事の為に偵察へと向かった際に偶然屋台を見つけたのよ。赤い提灯をぶら下げて暖簾にはユーハング語らしき文字で書かれていたのを見て、今日はこれだわ! って感じたわ」
「運命の出会いというやつですか」
「そっ、私とハルトの様にね」
小首を傾げてウインク一つ。リガルさんの唇に触れていた綺麗な指先から解き放たれる情熱的な愛情表現。
大変嬉しく思うのだが、正直照れる。それを悟られないよう本の内容に集中するが、バレないわけがない。顔が赤くなっているのが自分でも分かるから。
「この美しい私からの愛情を受け止めてくれないだなんて、つれないわ」
「私にとってリガルさんは高嶺の花です。本当に綺麗な人だと思っておりますので」
「……ありがとっ。でも余り自分を過小評価しすぎない事ね、私が悲しくなるわ」
「以後、気を付けます」
「もう! 言ったそばからそれなんだから!」
リガルさんの抗議と連動するように揺れ動く短めに整えられた綺麗な白髪。見つめていたくなる程の魅力を振り切るように再び本へと集中する。
先程の話を聞く限り、何処の誰かは分からないがイジツでもラーメンを作り上げた方がいらっしゃるようだ。それも日本にあるのと変わらない程の物を。
もしかしたら私と同じところからやってきた方なのかもしれない。
「つまり、リガルさんはその時に出会ったラーメンの味と再会したいという事でしょうか?」
「そうよ! アジトからこの本が見つかった時は運命を感じたわ!」
「再び屋台に直接食べに行かれた方が早いのでは?」
「それが出来ていれば苦労はしないわ。出会いはたった一度だけ、以来いくら探しても見つからないもの」
怪盗でも見つける事ができないラーメン屋ってなんだろうか?
「それで台所を借りたいという話になったんですね」
「はい。ここへ戻ってきて早々にこういう事になろうとは思いもよりませんでした」
「ふふっなんだかハルトさんらしいですね」
モアさんからすると、別段突拍子もない行動とは思われていないようだ。イジツでラーメンを作る事が私に課せられた使命なのだろうか。
冗談はさておいて。日本とは違い一から全てを作らなければならない状況。だが、全て本の材料どおりに作り上げるのも不可能である。
ある程度は妥協をするとして、一先ず麺を作る事にしよう。モアさんには部分的にだがイジツ語に翻訳したメモ用紙を渡しており、具材を担当してもらえる事になった。
よし、ではレシピ通りに集めた材料を使い、麺を作ろう。
水、塩、重曹をよく混ぜ混ぜするのだ。塩は贅沢にラハマ産。重曹に関してはサイダーがあるのだから見つかるだろうと予想したところ、モアさんから扱っているお店を教えてもらう事で用意が出来た。ついでに久しぶりのしゅわしゅわを味わい深い溜息が出る。
そこへ強力粉、薄力粉を濾しながら入れる。この二つも妙にスイーツが充実しているイジツならいけるだろう、いけましたのパターン。意外となんでもあるよね、イジツ。
後は卵を投入して手を使いひたすら混ぜ混ぜ。なんせ人数が人数なのでここが一番大変な作業かもしれない。
「ハルト! 楽しそうな事をしているわね! ワタシにも何かやらせなさいよ!」
いつのまにやら台所へやってきたマヨナカ探偵団のウメコから指示が飛ぶ。既にミカンとユズハはモアさんと一緒に作業を手伝っている様子。
「あっちの作業に飽きた?」
「ギクッ! そそそんなことある訳ないじゃない! でもアンタが大変そうだから手伝いに来てあげたわけよ! ありがたく思いなさい!」
「あざまーすー」
「何よ! そのやる気のない返事は!!」
とはいえ、現状ではウメコにお願いする事はないのだが、先に後でして欲しい事を伝えておくべきだと判断する。
「ウメコちゃんにはもうちょっと後でお願いする事がありますので、それまでお待ちを」
「ちゃん付けで呼ぶなー!」
背中と腰に心地よい力加減でポカポカと叩いて抗議をするウメコちゃん。手を止めずにひたすら混ぜ混ぜ。
アカツキが六人、探偵団が三人、ついでに私の計十名分の麺を作るのだ。一大作業ともいえよう。しかも直ぐに食べれるわけではないので真っ先に終わらせないと。
格闘を続けておおよそ二時間ほど、冷静に考えると怪我明けの人間に作らせようとするリガルさんも中々の悪党ではないかと思い始めた頃にようやく生地が出来上がる。
これを清潔な袋に詰め込み、地面に敷いた新聞紙の上に置き、更に新聞紙で挟み込む。
「そんなわけで探偵団の皆様、靴を脱いで踏んでください」
「これを踏むの!? 食べ物を粗末にしてはいけないわよ!」
「普通であればそうなのですが、麺作りにおいては必須作業なのです。生地は汚れないように対策をしておりますので躊躇なくどうぞ」
「お先に……」
「不思議な感覚~」
「あっ! ミカンもユズハもずるいわよ! ワタシも!」
大きな塊となっていた生地は三人娘のおみ足により徐々に平らへと変化していく。ブドウ踏みならぬ麺踏み。
それを二度三度と繰り返していく。一度だけモアさんもやりたそうな表情をしていたので実演していただくことに。
「この高さだとハルトさんと同じ視線になるんですね。なんだか新鮮です」
不安定な生地の上で転ばないよう両手を握り締めている時に言われると、先程と同じく照れが発生してしまう。
そのまま生地を踏み踏みとしていくモアさんは徐々に下降していき、普段と変わりない位置まで戻ってしまった。シンデレラタイム終了でございます。そんなにしょんぼりした表情をしないで。
こうして出来上がった生地は再び袋に詰められ、しばしの間眠りにつく事になる。
終わりと言いたいところだけれど具材のお手伝いもしなければならない。リガルさんの口ぶりでは、チャーシュー、味玉、ギョーザは必須の予感。
順番でいえばチャーシューと味玉か。本と睨めっこをして再び作業へと戻る事にした。
イジツにおいて家畜というのは大変貴重な生物のようだ。現にギュウギュウランドというところで飼育されている程度だとか。
なので豚が用意出来ない。牛も。となれば庶民の味方、アホウドリの力を借りるしかなかろう。
むね肉を半分程漬ける事が出来るように水、しょうゆ、砂糖、酢、しょうがを入れて中火で煮込む。
本来であればみりんが必要だ。しかしここはイジツ。でも私は穴の先からやってきた日本人。という事で代用品としてダイバージェンと砂糖を混ぜ合わせた物で対応をする。
「おま!? それを料理に使うのかよ!?」
「貴重品ではありますがこれもラーメンの為。許されたし」
「何が許されたし。だよ!? ってかリガルも神妙なツラして頷いてんじゃねぇ!!」
ついでだからこのタレで味玉作っておこう。
そして夜へと突入する。モアさんとリガルさん全面協力により滞りなく進み、後は餃子とスープを作るのみ。
餃子に関してはモアさんによるイジツ風にアレンジが施されているが、見た目は日本でみた物と同じ。二人でつまみ食いをした結果は言うまでもなく美味しい。
スープ。ラーメンにおいて重要な位置づけであることは間違いない。しかし今回はあくまで『家庭で作る美味しいラーメン』なので醤油を基本とした鶏がらスープとなる。
それにリガルさんが伝えてくれた透き通るようなスープというのもきっとこの味だろう。イジツで出来そうなのはこれと塩ぐらいだから。
アホウドリを無駄なく利用し、煮込んでいる間に横で麺を刻む。隣からは餃子の良き香りが胃袋を刺激する。
これだけの量があると、みんなで一斉に食すとせっかくのラーメンが冷めてしまう。となれば。
「全員分は用意してあるので食べる順番を決めてください」
「言うまでもなく私が一番よ!!」
「リガルは最後よ」
「最初に食べさせたらうるさいのだ」
「なんでよ!! 私のおかげで食べれるのよ!! 感謝しなさい!!」
「感謝するのはモアとハルトの二人にだと思うなぁ」
「ロイグに同意するぜ」
「アンタたち! 後で覚えてなさいよ!!」
「それでは探偵団の三人から用意しますね」
台所へと戻りモアさんに順番を伝えると苦笑いの表情を見せる。私たちが最後なのはいうまでもない。
器を用意し注がれるスープに茹でた麺を投入。ねぎにチャーシューや味玉をのせていく。メンマが欲しいけれど流石にイジツでは竹が無いわけで。代用のたけのこまで探してたら日本へ帰れなくなってしまう。
そこへモアさん特製の餃子をのせたお皿をお盆へ置いて完成。
「お手伝いしていただいた三人には最初に食べてもらいましょう」
「ふ、ふん。別に嬉しくなんてないんだからね!」
「ここで意地を張ってどうするのウメコ……」
「いただきまーす」
この子たちも割と自由だよね。運び終わり再び台所へ。
後ろから聞こえる美味しいの一言は、今日の疲れを吹き飛ばしてくれる。
「ついに私の出番ね! 待ちわびたわ!!」
「お待たせしました。どうぞご賞味あれ」
リガルさんと同じラーメンを食べたというカランさんとベッグさんからは高評価をいただく事に成功したが、はたして美しい人からの判定は。
手を合わせていただきます。優雅な動きで箸を扱い麺をすする。
無言のまま動かされる口元に視線が集中してしまうが、それはすぐに解消されてしまう事となる。
「ハルト! 貴方は素晴らしい仕事をしたわ!! あの屋台で食べた一口めの味! 固すぎず柔らかすぎずに程よい力加減で途切れる麺! 美しいスープはあっさりとしているにも関わらず麺との絡み具合が絶妙な味加減! このチャーシューはどうやって作りあげたというの!? アホウドリの肉でこんなにも濃厚な味わいととろけるような食感を生み出せるなんてイジツを探しても貴方だけよ! 味玉も! 中まで味が染み込んでいて一つだけしか食べられないなんて罪よ罪! そしてギョーザ! 見た目はそのままに私たちの好みの味に変化させるなんてモアは天才よ! あぁもう私幸せすぎてどうにかなりそう!!」
「(最後にまわして正解ね)」
「(想像以上にうるさいのだ)」
「(リガルのラーメンに対する想いは想像以上ね)」
「(つーか美味いなら黙って食えよ)」
自分で食べても美味しいと感じる。成功してよかった。隣で食すモアさんを顔を向けると笑顔で返してくれた。
探偵団三人には少し量が多かったのだろうか。ごろごろと寝っ転がり我関せずで突き通している。
こうしてリガルさんより手渡された一冊の本から始まったラーメン騒動は、一旦の終結を迎える。
「やだ!? 麺を口に含みながらチャーシューを食べると味が変わるじゃない!! 美しいとはいえない行為が私を誘惑してくるわ!! もしこれを味玉やギョーザで試してみたなら……はっ! 私はもしかしてイジツの理に触れようとしているのかしら!?」
この人にラーメンライスの存在を教えたらどうなるのだろうか……。
丑三つ時、足音を立てずに部屋から出て台所へと向かう。
実はラーメン用の麺を作っていた時に他の物も作れるのではと思考し、材料に潜ませ別に打っていたものがある。
その名はそば。またそばか。そんな声も何のその。結果だけ先に伝えれば正直満足のいく結果とはいえない。
当たり前であるがイジツでそば粉なんてものが早々手に入る物では無かったこと。市場で手に入れた物は小麦粉と混ぜ混ぜの更に混ぜたもの。
おかげでそばなのかうどんなのか分からない代物が出来上がってしまう。しかし作ったからには食さねば勿体ない。幸い醤油は一般的だったので問題なし。みりんの代用品が作れる事はラーメンの時に実証済み。ならばささっと作ろうかけそばを。
自分が食べるだけなので目分量で適当に汁作り。ダシ汁は……ラーメンの時に作ったのを足してしまえ。
しばらく汁を煮込ませた後にそばを投入。油が浮いているのはご愛敬という事で。
器に移して完成したかけそば。醤油の色に染められた汁にそばとネギをのせただけという。理由をつけてかき揚げも用意すべきだったかもしれない。
椅子に座って食べるものでもないし、このまま立ち食いでいただきま……?
本能が叫んでいる。後ろを振り向くなと。だがしかし振り向かなければ人生が終わるとも。どうすればいい。
悩んでいても始まらない。意を決して器と箸を持ったまま振り向く事に。
「ハールートぉ、その美味しそうなものは何なのかしらぁ!」
「あ、あの、その、美しいとは到底かけ離れているものでして、はい」
「私の分」
「は?」
「私の分も用意しなさい!」
「はいぃ!! 今すぐ!! むしろこれお先にどうぞ!!」
熱々のかけそばはリガルさんの手に渡り、私は再び自分の分を作り始めた。
直ぐに食べ始めるのかと思えば私の分が出来上がるまで待っていてくれるようだ。
『ついて来なさい』リガルさんの指示により器を持ったまま後ろをついていき、そのまま外の景色が見れる場所へと案内される。
本日のイジツは星月夜。星の光により夜中でも明るい世界に二人きり。かけそばを持ったまま。
もう細かい事は気にしないでおこう。温かいうちにいただきましょう。美味しいか分からないですけど。
「あら、大丈夫よ。私のカンがこれは良いものだと歓喜に湧いているわ」
リガルさん。私は時折、貴女の事がよく分からなくなります。
イジツのグルメ? いや、貴女はきっと、荒野のグルメ。