自警団の建物内に併設されている食堂。その片隅に私とリッタさんが隔離されるように、隅へと追いやられている。
目の前には湯気が立ち上るホカホカの白米。イジツでもお米を食べられる事に感謝しなければ。
では何故、私たちは部屋の隅へと追いやられているのか。言うまでもなく、リッタさんのカバンから出された納豆が原因だ。
藁の中から取り出された、発酵した大豆が、異臭を巻き散らしながら糸を引く。この光景は、納豆を食さない人から見れば、その異様な光景に間違いなく頭を抱えることだろう。
苦手だと言う人達は、食す前の見た目と臭いで好き嫌いを決めてしまう人達が大半なのだろう。一口目が最も勇気が必要だから。
「味そのものは美味しいと思うのですけどね、納豆」
「今日は特別に食堂への持ち込み許可が下りましたが、普段であれば取り付く暇も無く追い出されるんですよぉ……。それに最初の頃なんて食べ物扱いすらされていなかったんです!」
「その対応ですと、今でも食べ物扱いをされていないと思いますが」
「ぐぬぬ! ユーハングから伝わる伝統的な食べ物だというのに!」
「確かに。古くからある食べ物であると聞いた事があります」
「どのくらい前からあるんですか?」
「うーん。誰でも年中食べられる様になった年代で言えば、今から二百年前ですかね」
「二百年!? そんな大昔から食べられていたんですか!?」
「ユーハングがこちらにやって来た頃には、リッタさんの言われている通り、非常食であり、栄養食として食べられていたと曽祖父に聞きました」
それでも、やっぱり好き嫌いの問題は大きかったとも。生理的に駄目な人は、どう頑張っても駄目だろうから。
「私のご先祖様は、ユーハングの方から直接教わり、製法を絶やす事なく先祖代々伝え続け、こうして今へと受け継がれていたのですね……!」
「間違いないかと。私でも知っている基本的な手法で作られている様ですから」
「その納豆を、ユーハングから来られたハルトさんに実食して頂ける日が来るとは! ありがとう! ご先祖様! 若輩ながら自分が作った納豆を先祖代々の代表として食べて頂きます! ハルトさん! ご先祖様の名に恥じぬ納豆を、是非ご賞味あれ!!」
「あい、いただきます」
どこかのジッチャンに何かをかける勢いで申し込まれる。頂くだけですし、ありがたく貰います。
藁から直接ご飯の上にのせるのは、不器用な私には難易度が高い。なので一度、小皿にのせてから頂く事に。醤油をかけたりしたいしね。
尚、今回使用した食器類は、自分達で用意し、洗い物をする際も場所を指定される程である。念入りな対策に、周囲との気温差を感じる。
その前に、追加の味付けやかき混ぜる前に、少しだけそのまま頂いてみよう。
箸で納豆をすくい、そのまま口の中へ。幾度か口を動かし、食感と味わいを楽しむ。
うん、納豆だ。イジツで日本と同じ味に出会えるとは。もしかしたら日頃食べていたスーパーのパック製品よりも美味しいのではないだろうか。藁って凄い。
「ハルトさん! 直接食べるんですか!?」
「折角、頂けるのですから、最初は素材の味からと思ったのですが、このままでも十分美味しいです」
「……本当ですか?」
「本当です。ユーハングで食べていた物と負けず劣らずの味わいですよ」
白米を用意して貰ってよかった。もう一度、そのままの味で納豆と共にご飯をかき込む。イジツへやってきてから味わう、懐かしの日本の味。
こうなればもう止まる事を知らない。小皿に残る納豆に数滴、醤油を垂らし、適当な回数をかき混ぜる。その日の気分で変わるから正確性は無いのだけれど。
納豆を口に含み、味わい、更に白米を投入する事で、よりまろやかになる納豆を楽しむ。
私は決してイジツの食事について何かを言うつもりはない。イサオさんから聞かされていたよりも種類は豊富で味も好みだ。
問題は、食事を得られる人達と、得られない人達の差が激しいという事。孤児が当たり前の様にいる世界だから。
とはいえ、その話題はそっと横に置かせてもらおう。世界についても、愛についても、語らうべき時間は今ではない。
リッタさんの様子を伺う事を忘れる程、食べる事に夢中になっている私がいた。
「ご馳走様でした。大変美味しかったです」
「美味しいと言って貰えてよかったぁ……」
胸に手を当て、安堵のため息をつくリッタさん。幸い、事前情報としてリッタさんは料理上手だという事は伺っていた。
少なくとも、分量や砂糖と塩を間違えたりする様な方ではないという事。ご先祖様から伝わる製法を知っている事。
であれば、試食する事になった納豆も、飛び抜けて変な物が出て来る筈が無い。
「大丈夫です、リッタさんの事を信じていましたから」
「ハルトさんって、真正面から物凄い勢いの直球を投げてきますよね」
「結構恥ずかしい事だと自覚していますが、伝えられる時に伝えておかないと後悔するもので」
「では自分も! 先祖代々から伝わる納豆を美味しいと言って頂き、あざーっす!」
最後は照れたのを誤魔化す為だろうか、いつもの調子でリッタさんから感謝の言葉が伝えられる。こちらこそ、ありがとうございます。
空になった食器に再び手を合わせてご馳走様。後は洗い物を済ませて、本当に食べたのかと言わんばかりの周囲からの視線から逃れる為にも、食堂から離れなければ。
納豆が入っていた藁をリッタさんにお返しする為、手に掴んだところで、その手をリッタさんに掴まれる。白い手袋を通じて力強いものを感じるのは、何故だろうか。
「どうかしましたか、リッタさん?」
「ハルトさん! 私の実家に来てくれませんか!?」
「リッタさんのご実家にですか? いつ? 何をする為に? 目的は?」
「なんでそんなに警戒するんですかぁ!?」
「ヘレンさんの時に騙されたので」
「……あー、なるほど。確かに今の発言だけですと、分かりませんよね」
「ご理解を頂けて幸いです。何も分からないままヘレンさんの後を追いかけていたら、ジョージさんという鬼が待っていたもので」
娘さんをお持ちの父親は恐ろしかった。詳細を聞かずに付いて行った自分も恨めしい瞬間であった。なお、付いて行かないという選択肢は無い事が前提。
「自分の実家が農家なのはご存知ですよね?」
「何でも様々な野菜を畑で育てているとか」
「はい! これでも結構な広さの畑を管理しているんですよ!」
「そこへ私は何をすれば?」
「畑で育っている野菜を見て欲しいんです! ユーハングに有る物や、無い物を教えて頂きたいと思いまして!」
「それぐらいであればお手伝い出来るかと思います。素人目線になりますけれど」
「あざーっす! それじゃ行きましょうか!」
「はい?」
いつ行くのか、今から。何処かで聞いた事のあるフレーズを実行に移すリッタさん。
本日は、リッタさんが非番であった事や、私の護衛をしてくれているレオナさんに『ハルトさんの力が必要なんです!!』と力説して説き伏せる姿。分かりみが深そうに頷き返すレオナさんを見て、護衛とは何だろうかと自問自答を始めた頃。私は空の上に居た。
「ちょっと狭いかもしれませんが、紫電で飛ばせば直ぐですから!」
荷物扱いでリッタさんの実家へと運ばれる私。先程まで食堂で納豆を食し、幸せに浸かっていたはずなのに、何故こうなったのだろうか。
リッタさんの、イジツ人の行動力の高さに、認識を改めていかねばこの世界で暮らしていくのは難しい。
「ただいまです!!」
「お邪魔します」
「リッしゃん、おかえりー」
「ねーちゃん、ソイツだれー?」
「フッチぃ……、知らない人をソイツ扱いしてはいけないと、あれほど言っているでしょうがっ!」
「うわぁっ!? かえってきてすぐに、おせっきょうかよっ!」
ドタバタと音を立てながら逃げ出すフッチ君を追いかけるリッタさん。置いてきぼりの私の服を引っ張るのは、妹さんだ。
「おねーしゃん、だれ?」
「ハルトって言います。君のお名前は?」
「マイだよー」
「よろしくね、マイちゃん。あと私はこれでも男の子なのだ」
「えぇー、ほんとうにー?」
本当だよ。とはいえ証明する方法を実行に移したら、上空から見えたカナリアくんの様な姿にされるのは想像に容易い。
生まれつきこの容姿で、髪まで伸ばしている私も悪いのだから、オタガイサマで終わらせておこう。
家の奥からフッチ君の悲鳴らしき声が聞こえた時、マイちゃんに手を引っ張られて連れて行かれた先で私が見かけたのは、フッチ君に足技をかけているリッタさんの姿。
ただでさえ短いスカートからは、隠れる事を忘れたおみ足が丸見えであり、本日はふとももに巻かれているホルスターが無い分、銃の恐怖が無い。これは大変まずいのである。
「オマエもみてないで、ねーちゃんをとめてくれよ!」
「フッチ! ハルトさんにオマエ呼びとは良い度胸だぁ!」
「ハーしゃん、リッしゃんと、なかよし?」
「仲良しだよ。ハーしゃんって私?」
「うん、ハーしゃん」
私を見つめる無垢な瞳。その様な呼ばれ方は、生まれて初めてである。
目の前で起こる悲劇と誘惑から逃れる様に、その場で膝を付き、マイちゃんと視線を合わせる。
気が付けば、お互いに正面を向き合いながら、日々のリッタさんの活躍について楽しくお喋り。小さな手は両方とも繋がり、意味もなく上げたり下げたり。
私の話に頷き、時には質問をしてきたりと、お姉ちゃんっ子な面が伺えて微笑みが止められない。
一人っ子の私ではあるが、最近、お姉ちゃんと呼びたくなる人が周囲に増え、僅かながらではあるが、あるある話をしたり。時間が過ぎ去るのは一瞬であった。
「た、たすけ……」
「どうだ! 参ったか! 参ったと言えーっ!」
畑見学もなんのその。気が付けばそれなりに良い時間を迎えており、ご両親の帰りが遅くなる事から、夕飯を用意してから帰還する事に。
その間、下の子達の相手をお願いされたのだが、フッチ君は足技でやられたまま力尽き、マイちゃんはお喋りで疲れたのか、私の足の上で眠りについている。
そっと足から移動をさせ、風邪を引かない様にと二人の上へタオルをかける。
自由になった足を軽く動かした後、リッタさんの様子を伺いに台所へ。
辿り着いた先でリッタさんの後ろ姿を見つける。何かの味付け確認だろうか、小皿に口をつけて頷く。納得が出来たようだが、私はそれどころではない。
自警団の制服の上からエプロンを身に付け、短いスカート部分は山なりにふわりと浮かぶ。
料理を作る為、汚れない様に身に付けているはずのエプロンが、どうしてこうも似合うのだろうか。
そしてこの場合、どういう感情が先に浮かぶのが正しいのだろうか? 懐かしさに浸るべきか、もう片方を優先すべきか。川の向こう側で見た人達には、あとで謝っておこう。
「(似合い過ぎてヤバい)」
「どうしたんですか、ハルトさん? さてはつまみ食いをしに来たんですね! ダメですよ! もう少しの我慢です!」
「色々と我慢出来そうにないのですが」
「ダメです! チビッ子達みたいな事を言わないでください!」
メっと怒られてしまう。その仕草さえも可愛いを強調する様にしか見えない。
「そういえばチビ達はどうしたんですか?」
「力尽きて寝てしまいましたよ。タオルをお借りしてかけておきました」
「あざっす! もう! 夕飯前に寝ると、夜寝れなくなっちゃうのに仕方ない子達ですね」
やれやれといった風に喋るリッタさん。お姉ちゃんをしている姿も可愛い。あ、駄目だ。何を見ても可愛いとしか考えられなくなってる。制服の上からエプロンって反則すぎない?
「ハルトさんに相手をしてもらって嬉しかったんでしょうね。本当なら畑を見学してもらうつもりでしたが、チビ達の相手をしてもらって申し訳ないです」
「大丈夫です。ちゃんとお礼は受け取っていますので」
「お礼? 何かしましたっけ?」
「眼福です」
拝むように手を合わせ、高速ですり合わせる。
何事かという疑いの視線が、徐々に違う意味へと変貌していく。
「何を考えているんですか、ハルトさん!」
「見たまま、リッタさんは可愛いなと」
「可愛い? ああ、そういう意味……ってそっちですかぁ!?」
「どっちだと思っていたのですか?」
「どっちって、それは……」
顔を赤くしながらエプロンの裾を引っ張るリッタさん。なるほど、そっちであったか。確かに間違いではない。魅力的な足をお持ちなのは今更いうまでもなく。
「リッタさん、リッタさん」
「なんですかぁ、ハルトさん」
「その仕草も可愛いです」
「そういう事まで真正面から伝えなくてもいいですから!」
「むしろ一番大切な事なのではないかと思って、速報で」
「なんですか、速報って!!」
私の一言一句により、恥じらうリッタさんの姿が、尚のこと可愛らしく、愛おしい。
決してからかう様な態度で伝えては無いと思うのだが。抱きしめれば伝わるのだろうか、この気持ちは。
ああ、そうだ。可愛い事は伝えたけど、想いは伝えてないや。ふっと突然沸いたような気持ちである事は否めないけど、間違いではない。
口を開き、想いをのせて伝えようとした矢先、口元に何かが当たる。
残念な事に、リッタさんの顔は先程と同じ位置にある。そうなれば、口元に押し付けられている物は一体?
そのまま口を開くと、押し付けられていた物が押し込まれる。熱々で、噛めば肉汁が染み出す。唐揚げかな?
「分かりました! 分かりましたから、一旦それで落ち着いてください! もう!」
何度も同じ事を伝えていたせいで、先手を打たれてしまったようだ。残念だけど、押し込まれた唐揚げを味わう事に。とても美味しい。
「はぁ……。ハルトさんって、自分に素直と言いますか、わるーい親玉さんと仲良くなれるだけの事はありますよね」
そんな人は、私をここへ送り込んだ人しか浮かばない。まさか同じ扱いを受ける事になるとは思いもよらなかった。
「でも、そんなハルトさんだから、自分達の居る町に出向いてくれて、出会い、協力して乗り越えてこられたんですよね」
失礼と分かりながら、口元をモゴモゴと動かしながら頷く。出会いはなんであれ、一緒に事件を乗り越えて来た事は確かだ。
「だから、これはお礼です。本当にお礼なだけですよ! これ以上はきちんと手順を踏んでくださいね!」
そう言い切ると、私に向けて手を伸ばし、髪をかき上げておでこを晒す。
つま先立ちでこちらに近づくと、少しくせ毛のふわっとしたリッタさんの髪が鼻孔をくすぐる。
額には、とても柔らかく、熱いといっても過言ではないものが当てられる。
ゆっくりと離れていくのが感触で伝わり、寂しさを覚えるが、目の前に現れたのは真っ赤な顔をしたリッタさんの表情。その色香に口に含んでいた唐揚げが飲み込まれる。
先手からの追撃。それは見事に私に決まり、見事に撃ち落とされた私に出来る最後の反撃といえば。
両手を伸ばし、リッタさんの身体をこちらへ引き寄せる様に抱きしめる。それに応えるかのように、私の服を掴んでくれるリッタさん。
これがきちんとした手順かどうかは分からない。様々な感情が流れ込む中、一番印象的だったことがある。
それは、この幸せを噛みしめている自分がいるという事である。