私の目の前にある机の上には、積み重ねられた本が幾つも縦に伸びており、その一つ一つを調べていかなければならない作業が、今か今かと私を待ちわびている。
その本を探し出してきてくれた人物。ミントさんは、私の隣に座り本の山に手を伸ばして私の調べ物を手伝ってくれている。
隣にいるミントさんの顔を横から見つめる。
カナリア自警団では、リッタさんと並んで小柄な方である彼女は、長い髪を三つ編みにしてまとめ、目にかかる前髪の隙間からこちらを覗き込むのは、金色の綺麗な瞳。
頭に乗せられたカナリア自警団のマークが付いた可愛らしい帽子は、机の上へと置かれ、制服を基準とした白く長めのコートをベルトでまとめる。下には灰色のスカートとタイツを身に纏う。
無論、両手には白い手袋と白いブーツを履いており、顔以外で肌を露出している所は皆無である。
仕事中は、常にこの姿で対応している彼女だが、寒がり体質なのか、はたまた気持ちの切り替えを行っているのか、コートの上から大き目の半纏を肩から被せている事がある。
そして今、私の隣にいるミントさんは、半纏を着込んだ状態だ。
つまり、この作業は仕事としてではなく、ご厚意によって手伝って貰えていると考えていいのかな?
出禁解禁。なんの事かと言えば、要するに図書館の話である。
ホクサイのちょいとお茶目な春画に、過敏に反応をしたミントさんは、丁度そこにいただけの私を拳一つで軽く吹き飛ばした。
それが原因だったのか、図書館の方から『お前ら騒がしいから出禁』という至極真っ当な判断を下されていた。
しかし、その後イヅルマで起きた事件を被害者ゼロで解決した結果を受け止めてくれたのだろうか、再び図書館へ入れて貰えるという連絡を頂いた。
まだまだ調べ物が必要な時に救いの手。ありがたい話であり、今度こそは大人しく観覧しようと心に決めたわけで。
「ハルトさん、私でよければ何でもおっしゃってくださいね!」
そこには呼んだ記憶の無い、ミントさんの姿がある。
しかしながら、両手を揃えながら首を横に傾げる仕草はとても可愛い。だが、その愛らしい姿から繰り出される一撃は、熊も、私も、軽く一発で仕留める程のカナリア自警団きっての超武闘派。
イベントの際にお披露目していた自己紹介で、発言していた妹担当はどこへやら。
「ハルトさん。前回同様、ユーハングに纏わる本を集めてきましたけれど、今回はイヅルマの事に関しても調べているのですか?」
「はい。あの事件後から色々と考える事が多くて。考えてみたら折角イヅルマに滞在しているのに、この町の事に関しては、何も知らないなと」
「ラハマから突然連れて来られて……といったら失礼かもしれませんが、その後はずっとお忙しい様子でしたからね」
「それを言うならミントさん達も。カナリア自警団は私がこちらへ来る前から、随分と慌ただしい事が多かったと伺っていますが」
「あはは……。今回の事も含めて大変ではありましたけど、お姉様の活躍を真直で見られる事が出来てミントは感無量です!」
「好きなのですね、アコさんの事」
「はい! お姉様は私のずっと憧れで、特別で、これから先もずっとお傍に居られればと思っています!」
「なるほど、ミントさんの一途な思い、アコさんが羨ましいです」
「でも、一時期お姉様を疑ってしまった事があるんです……」
「ミントさんが? アコさんを? 何故にゆえ?」
「お姉様は私の気持ちを知った上で都合よく利用しているんじゃないかって……」
アコさんの事だから、ミントさんの気持ちは絶対に知っているし、理解もしているよね。本当に知らない場合や、興味が無さそうな時は、正面から無自覚の毒を吐くから。
でも、アコさんを慕うミントさんがこう言うのだから、結構ギリギリな線でミントさんをコントロールしているみたいだ。
純粋な気持ちとはいえ、自分の事を好きと断言してくる同性の扱い方。うん、適切な対応方法なんて分からない。
好きだと伝えてくれる相手の事を好きになれば問題は。とは思うけど、アコさんだってミントさんの事は好きなはずだ。それが愛ではない事が捻じれる問題なのだろうけど。いや待て、それが通常ではないだろうか。
どの世界でもこういった事は起こりえるのだなと、ミントさんに顔を向けながら思うわけで。
「でも、そんなドクズな事をお姉様が私にするわけがありません! あの時は一か月間もお姉様にお会い出来なくて、精神的に追い込まれていたせいなんです!」
「つまり、悪魔の囁き的な何かが、頭の中で渦まいていたとか?」
「その通りです! 結果として、お姉様は私を迎えに来てくれましたから!」
周囲を照らすのではないかと思うほど、眩しい笑顔を魅せてくれるミントさん。その時の出来事を思い出しているのか、光悦とした表情をしている。
だが、誰しも心には隠さねばならない闇を抱えていると思うのだ。それは特定の誰かさんとか言うつもりは無いけれど。
積まれていた本は、ミントさんのお手伝いもあるおかげで順調に消化されていく。
紐解かれていくイヅルマの歴史。本に記述されている内容は、ご三方の証言とは食い違う箇所が幾つも見受けられる。
文献だけでは知れない事を教えてくれた人達に感謝の気持ちで一杯だ。
「こちらの本に書かれている内容も、私達が聞いた事とは違う内容が記載されていますね」
「ある程度は覚悟していましたけど、ここまで私達が知っている内容と食い違う事が書かれているなんて」
「有権者と自警団上層部が手を組めば、好きに放題出来るのだな。というのが感想です」
「こういった間違いも、今後は少しずつ明らかになっていくのでしょうか……」
「そこは議会の頑張りどころではないでしょうか。自警団は、今まで通り住民の皆さんから信用を得られるように行動を続けていくしかないかと」
「……そうですね! お姉様の力になれるように、ミントは頑張ります!」
「正直、カナリア自警団に関しては問題無いと思いますけどね」
市長の突発的なイベントが開催されたとはいえ、あれだけ大勢の人達が集まってくれた。
間違いが正され、再び脅威に晒された時、住民の誰しもが目に出来る形で町を救ったのだから。
その脅威の原因として、私と関わり合いのある人物が元凶なのがなぁ。と、つい考えてしまう。
「ハルトさん、いま良くない事を考えていましたよね?」
「何故にバレたし」
「お姉様に出会う前の私は、人見知りでいつも一人ぼっちでいる事が多かったんです。そのせいでしょうか、人の顔色を伺うのは得意なんです!」
それは胸を張って自慢げに言える事なのだろうか。だが、実際に事実を指摘されてしまえば、ぐうの音も出ない。
住民の皆さんから滅茶苦茶に褒められる喜びの反面、調子に乗らない為だろうか、反動として余り良くない思考が湧いて来る。
うーん、これはきっと私の闇と呼べる部分なのだろうなぁ。と、一人で完結させようとしていたところ、私の両頬を包むようにミントさんの手が添えられる。
「ハルトさん、私がこの様な事を言うのは変だと思いますけど……」
「あ、あの」
「いま、ハルトさんが考えていらっしゃる事は間違いだと思います!」
「それどころでは」
「あの事件は、あの人達の意志によって引き起こされた事です! ハルトさんは関係ありません!」
「私の話を」
「私達と一緒に、イヅルマを守って下さったじゃないですか! それで十分です!」
「首がヤバい」
降参の意志を伝える為、両頬に添えられたミントさんの手に自分の手を重ねて、指先でトントンと叩く。
例え首が回る可動領域内であったとしても、正面を向いていた首を突然、横へと向けられたら?
それが超武闘派と私の中で認識されているミントさんが行ったならば、結果は言うまでもない。
「寝違えた時ぐらいに、首が痛い」
「ああ! ごめんなさい、ハルトさん!!」
ミントさんの手が私の両頬から離され、忙しそうに空を切り、慌てふためく姿が見える。
首の後ろ側が引き攣る感覚と僅かに動かそうとするだけでも走る痛み。これはしばらくの間、正面を向く事は出来なさそうだ。
「どうしたものやら」
「私が余計な事をしなければ良かったですね……」
「いあいあ、ミントさんの言葉はとても嬉しかったです。自分の事を自分以外の人が考えてくれるのは、とても心地よい事なんだなって」
「でも、結果としてハルトさんの首を……」
「そこで言葉を区切ると、もの凄く物騒なので止めましょう」
励ましてくれた人が落ち込む姿は見たくない。やられたらやり返すイジツ式。
そんな事を考えながら身体の向きはそのままに、片手を動かし、前髪に隠れているミントさんの綺麗な瞳を露わにする。
お互い向き合う状態で見つめ合う。こんなにも素敵な瞳を隠しているのは、勿体ないなぁ。
「ミントさん、ありがとうございます。かなり真面目に救われました」
「本当に? 本当にですか?」
「本当です。考えすぎて自滅する性格なので、ミントさんが私の調べ物の手伝いをして下さっていて助かりました」
「よかったぁ」
胸に手を当て、安堵の溜息。勿体ないけれど、ミントさんの前髪に触れていた手を離し、再び綺麗な瞳は前髪の後ろ側へ。
「一先ず調べ物はここまでにして、私を病院まで連れて行って下さると非常に助かるのですが」
「その必要には及びません! 寝違えた首を治す事ぐらいなら、このミントにお任せください!」
「いや、寝違えた訳ではないのですが」
言葉の勢いそのままに、間近まで迫ったミントさんの顔と、後ろで跳ねる三つ編み。
『私を頼って下さい!』と言わんばかりの表情をされてしまえば、お断りが出来ない日本人。
「ミントさんがそう言って下さるのであれば、お願いします」
「はい!」
嬉しさを隠す事無く、返事と笑顔が返される。これだけでもお願いした価値があると言いきれてしまうのは仕方ないと思うのだ。
しかし、治すと言ってもどうやるのだろうか? 首の体操をすると動く様になるとは聞いた事はあるけど、詳細までは分からない。
ミントさんの事だから古武術を利用した治療方法があるのだろう。あまり長引くとご迷惑をおかけしてしまうので、ある程度で良いから動かせる様になれば非常に助かる。
「では、後ろから失礼しますね」
椅子から立ち上がり、私の後ろ側に位置するミントさん。
伸びてきたミントさんの腕が、私の首を沿う様に回される。何だか嫌な予感がしてきたのは何故だろう。
もう片方の腕は、私の頭を固定する為なのか縦に伸びているのが視界の隅に映る。
いつもの定位置には、ミントさんの手が置かれているのだが、そこにから感じられる心地よさは一切無く、逆に脳から警告が発せられる。これはマジでヤバない?
「すみません、なんだか不安になってきたのですが」
「動いちゃダメですよ、危ないですから!」
「首を動かせる様にする為の治療ですよね!? 治すのに危ないって言われる方法があるんですか!?」
「大丈夫です! 私を信じてください!」
「信じ切っていますけど! 不安になるのですが!」
「もう! そんなに強張っていたら治療が出来ませんよ!」
ミント先生! 患者の質問に答えてください! そう口から言葉が発せられそうになった時、変化が起きる。
首に回されていた腕の力が強まり、後ろへ引っ張られる。ついに私も終わりなのかと思えば、その先に待ち受けていたのは……。
これは意図しているのか、はたまた偶然なのだろうか。私の頭に伝わる柔らかな感触は、自分の存在を主張するかの如く、せり上がる。
片目は暗闇に覆われて何も見えなくなり、もう片方の目で現状を確認しようと思えば、それよりも先に脳が幸せに浸かる。
ミントさんの身長は、カナリア自警団の中でも最小と言ってもいい程、小柄な女性である。
にも関わらず、身に付けているコートの上からでも存在を確認出来てしまうお山があるのだ。肌を露出しない服装からして、コートの下にも何かを着込んでいる事は確かだ。
もしかしたら、衣類が膨らみ、腰回りをベルトによって締め付けられた事によって強調されているだけの可能性も否定は出来ない。
だが、私の耳には穏やかに動くミントさんの心音が伝わり、回された腕によって押し付けられるどころか、挟まれている状態。
ここでロマンを見つけずに、どこで見つけろというのだ。愛と夢に満ち溢れた場所から、ミントさんの表情をなんとか伺おうと視線を上げる。
「ようやく大人しくなりましたね!」
「気持ち的には、指一本、動かせなくなったのですが」
「きちんと固定させて貰いましたから! これで安心して治療が出来ます!」
つい見惚れてしまうほど、素敵で満足気な笑顔をこちらに向けてくれるミントさん。流石はカナリア自警団の妹担当である。
立ち位置的にも可愛いの代表みたいなものなのに、私の頭と片目は、優しさと温もりに埋められている。
これが次世代の妹担当か。イジツにいる女性達には、こちらの常識など通用しないのだ。押し通す様な事もしたくはないしね。
「それでは! ミント、参ります!」
「何を参るのかな? あの世かな?」
執行前の掛け声。私の首に回しているミントさんの腕に力が込められるのが感じ取れる。それと共に更なる幸せが訪れているのだけど。
ここまでくればなる様にしかならない。だけど、ちょっぴり嬉しい事が判明している。
ミントさんは知らない人に触れられると、咄嗟に古武術を使用してしまうと聞いた事がある。
しかし、私がミントさんの前髪に触れた時は何も発生しなかった。少なくとも私はミントさんから、知っている人の対象に入れられているみたいだ。
それがなんだか不思議と嬉しくて、成すがままにされている理由でもある。
目を閉じ、ミントさんの心音に耳を澄ませながら息を整える。覚悟は決まった、さあ何時でも来い!
こうして、想像していた通り、私の意識はミントさんの腕の中で消え去ったのである。