見慣れた自警団の詰所で、カナリア自警団に割り当てられた部屋の片隅に、ヘレンさんと私は二人きり。
他の皆さんは、巡回やら呼び出しに応じている為、誰もいない状況下。何故かお互いゼロ距離で会話をしている展開。
真横にはヘレンさんの綺麗なおべべがあり、背中には変幻自在ながらも自己主張の強い太陽が二つ。少しでも意識をした瞬間、全てを持っていかれそう凶器を抱えている。
「手、とまってるよ?」
「あ、はい。すみません。ってそうじゃない!」
「ここ、間違えてるー」
「ごめんなさい、すぐに直します」
「うん、素直でよろしい」
そして、本来ならばこの席に座り、ヘレンさん自身が作成しなければならない報告書を何故か私が書いている不思議な状況下に。
原因は言うまでもなく、私の背中に寄りかかるヘレンさんにあるのだが。
「ヘレンさん! 今日こそは貯まった報告書を提出してもらいますよ!」
「えーめんどくせー」
「面倒くさいじゃありません! みんな書いている物ですから!」
「団長、代わりに書いてよー」
「そうしていたら、いつまで経っても自分で書かないでしょう!!」
アコさんの正論が詰所に響く。
事の始まりは、いつまで経っても報告書を提出しないヘレンさんに対しての注意であった。
流石のアコさんも心を鬼にし、ヘレンさんに対して注意と、本日中に報告書の作成、提出をお願いする。命令と言わないのは、多分期待値が半分ぐらいだからかな?
その代わりに本日のヘレンさんはお仕事を免除して貰える事になった。サボる気まんまんで喜んでいたヘレンさんに対し、アコさんは『報告書が出来上がるまでは昼寝禁止』と伝えて監視役に私を詰所に置いていくと発言したのだ。
寝るのが大好きなヘレンさん。当然ながらアコさんに僅かながら抵抗をするが、どう考えてもアコさんの言い分が正しいわけで。
結果、ヘレンさんは昼寝をする事が出来ず、両手をだらしなく下げながら項垂れ、皆が仕事の為に出掛けていくのを見送る。私も隣でいってらっしゃいと一言。
その後、姿勢を戻して真面目に報告書の作成に励むのかと思いきや、いつもの定位置であるソファに倒れ込むヘレンさん。
「ヘレンさん、言われた傍から寝ないでくださいよ」
「だるー」
「貯め込んだヘレンさんも悪いのですから、頑張って終わらせましょう」
「めんどくせー」
「それは先程も聞きましたから。ほら、手を出して」
「んー」
名残惜しそうにしながらも、素直に手をこちらへ差し出すヘレンさん。その手を掴み、引っ張り上げる様にして上体を起こす。
背もたれに身体を預けながら天井を見つめているヘレンさんは、こう言っては何だけど、いつも通りである。
「寝ていませんよね?」
「起きてるよー」
「なら席に着いて始めましょう。私に何か手伝える事があれば言ってください」
「あたしの代わりに書いてー」
「それは駄目です」
「えー手伝える事があれば何でもするって言ったじゃん」
「そこまでは言っていません!」
「けちー」
散々な言い様のヘレンさん。このままでは再びアコさんに叱られてしまうのではないか? そうなれば監視役を任された私にまで被害が及ぶ可能性がある。
お説教の際にアコさんが『私、怒っています!』という態度であれば、素直に反省が出来るのだが、万が一の事もある。
何せ悪意無しで毒を吐かれる方なので『大丈夫です、最初から期待はしていませんでしたから』なんて言われる可能性が捨てきれない。
大人しくごめんなさいと言えば終わる一件ではあるが、それで終わらせてしまうのも何だか悔しい気持ちになるのは、おかしな話ではない。
こうなれば何としてでもヘレンさんには、報告書を書き終えてもらおう。そうすれば誰も損をする事はないのだ。ヘレンさんを除く。
「ヘレンさん、何でもは無理ですけど、ある程度なら手伝いますから」
「ある程度ってどのていどー?」
「……隣で話し相手になるとか?」
「それってタダの監視じゃないの?」
「本日、私は監視役だとアコさんから言われたのを聞いていたでしょう!」
「あたしは思い出す事に集中するからさ、ハルトが代わりに書いてよ」
「本当に、真面目に思い出してくれますか?」
「まじまじ。役割分担、しよ?」
「なんでそんな意味深な甘えかたをするのですか……」
「ハルトはこういうのが好きそうだから?」
「大好きです。さぁやりましょうか!」
「うぇーい」
ようやくやる気を起こしてくれたヘレンさんを連れて席へと向かい、隣の席から筆記用具と椅子をお借りして、空欄の報告書を机に置いて代筆の始まり。しかし、ヘレンさんの席って何も置いてないのね。
「何でここまで無機質というのか、何も物が置かれていないのです?」
「だって寝る時じゃまだし」
「ここは寝る場所じゃないっす。準備が出来ましたので早速始めましょう」
「なにか書くような出来事ってあったかなぁ?」
「それを忘れないうちに書き上げるのが報告書でしょう!」
椅子に座り、両腕を組みながら唸りを上げるヘレンさん。ツッコミを入れたいところは多々あるが、序盤から体力を消耗していたら、今日を乗り越える事が出来ない。
ヘレンさんの口から言葉が出るまでは、手持無沙汰の私。
首を傾げ、両腕を組みながら何かを思い出そうとするその姿を見ながら、可愛いと凶器の共存について考え始める。腕が組まれてしまえば、挟まれて持ち上げられる以外ないじゃん?
「思い出したー」
「何がありましたか?」
「んーとね、道に迷ってたおじいちゃんを案内したら、そのままお茶に誘われた」
「それは本当に迷っていたのだろうか……。ヘレンさんをお茶に誘いたかった口実の様にも思いますが、書いておきます」
「それからねー、他のおじいちゃんから良い身体してるって言われたー」
「もはやタダのセクハラ案件じゃないですか! というかイヅルマのジジイ共はみんな元気ですよね! 注意書きしておきます!」
「まー元気がないよりはいいんじゃない?」
心が広いと言うべきか、器が大きいと言うべきか。いつもの調子を崩さずにそう言い放つヘレンさん。
その後も、様々な事件がひっそりとイヅルマで発生していた事を聞かされ、ヘレンさんらしい対応の仕方を報告書として書き示していく。
こうしてまとめた内容を確認していくと、自警団のお仕事は幅広いのだなと思わされる。
警備、巡回の他にも、探し物の捜索や慰問といった活動まで様々だ。後者に関しては、カナリア自警団だからこそとも思える。
ただ、自警団として多種多彩な活動を行えば、どうしても報告書の類は多くなってしまうわけで。
そこにヘレンさんのだらしない……大らかな性格が合わさると、提出しなければならない報告書が貯まるという悪循環が発生するのである。
それら内容を確認していたら、ヘレンさんから指摘を受けてしまい、絶賛修正中なのだ。
「これでどうでしょうか?」
「じょうず、じょうず。ハルトって飲み込みが早いよね」
「そうでしょうか? 自分では失敗ばかりしている記憶しかないのですが」
「慣れない事をやらされても上手くこなせてるじゃん」
「単純に怒られるのが嫌なだけですよ」
「あたしもいやだなー」
「ヘレンさんはもう少し覇気を」
「それは前にも言われたー」
よく覚えていらっしゃる。気にしていたりするのかな? でもヘレンさんだからどうだろう?
そんな事を考えてしまうぐらい、のほほんとしたマイペースな女性という印象を崩さないヘレンさん。その代わりに私の中ではエルさんが崩壊したのだけれど。
「ハルトー、飽きたー」
「飽きたじゃありません。日付的にまだ報告すべき事はあるでしょう?」
「ハルトー、あたしの家にいかない?」
「行きません。これを終わらせないとアコさんに怒られてしまいますし、それにもうその手にはのりませんよ!」
「なんでー? 好きな事させてあげるよー?」
「そこで『配達、好きなんだよね?』とか言って、ジョージさんのお手伝いをさせようとしていますよね? 騙されないのだ!」
「バレたか」
「人の純情を弄ぶのはやめて! それよりこちらからもヘレンさんにお願いがあるのですが」
「えー、あたしのお願いは断られたばかりなのに?」
「お願いというおサボりでしょうが! むしろ、本来ならヘレンさんが一人でするべき事をお手伝いしているのですから、私のお願いを優先してくれても良いと思うのですが!」
「それなら今もしてあげてるよ? もっと強めの方がいい?」
「私に寄りかかってとはお願いしていないし! むしろ離れてというのが私のお願いなのですが!!」
報告書をヘレンさんに確認してもらい、書き間違いのある箇所を指摘されたあと、修正をする為に作業を行っていると、後ろから物理的な圧力を感じた。
横から伸びて来るのは人の腕。指先は指示を出すかのように報告書に当てられ、お互いの頬と頬が触れる程の距離に顔がある。
全力で私に寄りかかっているヘレンさん。視線を動かして表情を伺うが、普段通りのぼけーっとした表情を崩さない。
何か変化を起こしてくれてもいいじゃないの。そう思いつつも背中に当たるものは好き勝手。このままでは私はまったく集中できない。
「ヘレンさん、指摘して下さるのは助かりますが、離れて貰えませんか?」
「別にいいじゃんー、減るもんじゃないんだし」
「こちらは神経をすり減らしながら作業しているのですが!」
「それにさー、ハルトって暖かいからさ、抱きしめてると心地良いんだよね」
「それは……って抱き枕的な意味合いでしょう?」
「うん」
「うん。じゃない! もっとこうさ! 私を勘違いさせてしまう様な言い方にして!」
「ちがうよ」
「遅いよ!!」
ヘレンさんの調子に合わせているといつまで経っても終わりそうにない。
こうなれば無理矢理でいいから寄りかかるヘレンさんを離さなければならない。怒られるのは誰だって嫌なのだ。
早速、抵抗を試みる為に行動へと移す事にしよう。
私の背中に寄りかかっているヘレンさんを引き離す為に、まずは物理的圧力で猫背になっていた背筋を伸ばす事にした。
机に手を置いた状態で腕を伸ばす様にしていくと、丸まっていた姿勢が正しい位置へと伸びる事により視線が正面へと向いていくのが分かる。
このままいければと思っていたのだが、意外な事にヘレンさんから抵抗する力を感じられる。
机に置いたままの私の手を掴む様に、自分の指を絡ませてくる。何故こういう時ばかり抵抗を試みようとするのだろうか。
そのせいだろう、先程までは問題無く順調に伸ばせていた背筋が、ここにきて急にカクカクと油の切れた機械の様な動きになる。
となれば、いうまでもなく私の背中で発生するのはお祭りと宴会が一緒くたに混ぜられた混沌、しまいには横にあるヘレンさんの口からは、あまいろ吐息。
なんとなく分かっていたけれど、これはどう考えても自滅行為だ。少なくともヘレンさんを相手にする場合に行う方法ではない。
だが、ここまで来てしまえば進める他ない。撤退などしてみた日には、そのまま机にうつ伏せ状態にされてしまうのは目に見えている。
抵抗するヘレンさんを受け流す様に、緩急をつけて背筋を伸ばす。
その僅かな瞬間に出来た隙を狙い、勢い任せにヘレンさんを引き離す事は出来た。出来たのだが……。
いつの間にか、間違いを指摘する為に伸びていた腕が交差されており、その腕が離されるものかといわんばかりに力が込められ、私の首を絞めつけてくる。
ここは我慢比べの時か。そういう考えも頭に過ったのだけれど、今や背中だけでなく頬でもおしくらまんじゅうの状態。
視線を移せば表情は先程と変わらず。けれど決して離れるものかという意思表示による行動。
敵う相手では無いと悟ってしまった私は、苦しさから逃れる為にも、ヘレンさんの腕を何度か軽く叩いて降参を伝える。
そうする事によってようやく首を絞めつけていた腕の力が弱まるのを感じ取れ、再び私は猫背に戻る羽目に。
「ヘレンさん、私の負けです」
「どうして離そうとしたの?」
「こんな私にも色々と諸事情があるのです。決して嫌で離したかった訳ではないのです」
「じゃあ、あたしのこと、すき?」
「好き。って今はそういう好き嫌いの話ではなく!」
「じゃあ、あたしのこと、きらい?」
「大好き。そんな悲しい言葉で聞かないで」
「ごめん」
先程までの意地の張り合いはなんだったのだろうか。そう思える程、自然と寄りかかってくるヘレンさんを受けとめる。
お互いに言葉を発する事も無く、ただ身を寄せ合いながら、時折、じゃれ合う様にヘレンさんの頬が私の頬へと押され、おしくらまんじゅうが再開される。
普段はとてもしっかり……とはしていないけれど、人目を引く容姿の持ち主である事は確かだ。
そんなヘレンさんが甘える様に寄り添ってくれる姿がとても可愛らしく、愛おしいと想うのは仕方のない事。
こんな事をする性分ではないけれど、ヘレンさんの髪に触れる。ちょっとボサボサとした感じを受けるが、そういう髪質なのだろう。
「ふわふわですね、ヘレンさんの髪って」
「これ、タダの寝ぐせだよ」
「寝癖なんかい! 髪質かと思いましたよ!」
「ハルトはきちんと整えた方がすき?」
「うーん、ヘレンさんの印象がこの姿なのでいまいちピンとしませんが……」
そう伝えながら寝癖の少ない方である、頭の頂点の辺りにある髪を触れさせてもらう。とてもサラサラとしていて指からすり抜けていく。
「もし、ヘレンさんが寝癖を整えて現れたら、誰か分からないかもしれないです」
「じゃあ、やーめた」
「一度だけでも頑張ってみません?」
「分からないって言われたし」
「んぐっ!」
「こんなに近くにいるのに」
「それは今の話であって……」
「あたしは分かるのになぁ」
「どうやって?」
「こうやって」
触れ合っていた頬が離れ、気が付けば私の首筋近くに顔を近づけるヘレンさん。
鼻を動かして匂いを確認する様な動作をしたかと思えば、そのまま押し付けられるのは、ヘレンさんの唇。皮膚が引っ張られる感覚を覚え、吸いつかれているのが分かる。
「これで目印ができたね」
そう言葉にして微笑むヘレンさんの姿を見て、やはり悪魔で間違いないのかなと思うのであった。