ガッチャ! 楽しい友情ごっこだったぜ!
どうやらハンガーの内壁に設置されたスピーカーからは、ミッションに参加しているダイバーの通信内容がそのまま流される仕様になっているらしかった。
『現在方位280、高度7000、速度450ノット。フェネクス、発進スタンバイ』
静かに計器類の表示を読み上げるユリさんの声はいっそ冷徹とさえ言っていいほどで、旅客機ほどの速度で水平飛行するガランシェールが高度7,000mの高みにいることを知って、肌を粟立たせている僕とはまるで対照的だった。
『左舷側面ハッチ開放。進路クリア。フェネクス、発進する!』
ユリさんの声に続いて、ガンプラの四肢を固定していた拘束具が外される音がスピーカーを震わせた。拘束具が外されれば、ガランシェールの横っ腹に宙吊りにされていたフェネクスは爆弾よろしく地上へ投下され、戦場と化したトリントンの市街区域へまっしぐらに落ちて行く。
床に手をついて蹲る僕の頭の中に、置き去られたユリさんの言葉が木霊のように反響していた。
そうだ。
どうせ僕には無理だ、ダメなんだと言いながら、それでもなおGBNにログインしているのは何故だ。
実力不足で活かしきれないことに引け目を感じさえしているヴァルキランダーを、手放しもせず共に戦い続けているのは何故だ。
全部ユリさんが言ったとおりなんだ。
これが現実と知りながら、実は自分自身がそれを認めていない。現状は何ひとつ僕の本意ではなく、変えていける保証もない。それでも僕は変わりたいと願っている。諦めたくないと思っている。最後の一線で諦めきれない心を持て余しているからこんなにも胸が疼く。
心のどこかにいる弱い自分が、そんな愚かな考えは箱にしまって鍵をかけてどこかへやってしまえと囁く。けれど爆発しそうな心臓の鼓動が冷えきった身体に火を点し続ける。頬は熱く火照り、握った掌にじわりと汗が滲む。今だけがその時だと、沸騰するアドレナリンが頭の奥まで突き抜ける。
萎えた足に力を込めて立ち上がろうとすると、僕の脚はまるで
操作盤のスイッチを入れて側面ハッチを再び開け放つと、流れ込む気流がごうごうと音を立てながら僕の身体にのしかかる。ダイバールックの髪も耳も上着も尻尾も荒れ狂う風に翻弄され、思わず床に這いつくばった。だけど、それがどうした。
(這ってでも行くんだ。
今行かなければきっとこの先へは進めない。そんな予感を胸に、ハンガーに固定され横たわる
暴風が全身から体温を奪い、前へ進む力を奪おうとも、僕を信じる相棒だけを見据えて。
気流が轟音をどよもす中、飛ばされないように四つん這いになりながら数mのプラットフォームを渡りきると、僕の身体が青い光に包まれた。GBNでは特に設定がない限りは実際にコックピットハッチを開けて乗り込むのではなく、ダイバーがコックピットに直接転送される。今回の場合はプラットフォームの終端のゴンドラに辿り着くと自動で転送される設定らしく、これもミッションの演出のひとつなんだろう。
「っ……ヴァルキランダー、発進スタンバイ!」
拘束具のアームが動き出し、前から後ろへと流れ去る雲の奔流の只中にヴァルキランダーを運ぶ。ドクン、とまた心臓が震えるように高鳴る。
高度7,000m。旅客機のそれよりも3,000mは低いとはいえ、それは僕のトラウマを再び刺激するには十分だった。
はるか下に広がる、黒煙をたなびかせる市街の様相から思わず目を逸らし、生唾を飲み下す。知らず知らずのうちに呼吸が荒くなり、
(落ち着け、下を見ちゃダメだ。ヴァーチャルディスプレイの高度計だけを見るんだ)
そうだ。高度計と速度計とレーダーを見ながら微調整、ちょうどいい高度でウイングを展開してそのまま滑空していけばいい。立ち止まりかける自分にそう言い聞かせ、歯を食いしばって
頑張ってもダメかもしれない。勝手な期待をかけられたってそれに応えられるものなんて持ち合わせていない。
だとしても、僕はユリさんの背中に負けたくない。あの人に追いつきたい。何もかも諦めて蹲っているような、そんな人間になるのだけは嫌だ。
例え自分を信じられなくても、
僕が勇気を持って一歩踏み出せる――
胸の中に正体不明の意地を滾らせながら、僕は誰も聞く者のいない発艦申告を告げた。
「パルヴィーズ、ヴァルキランダー、行きます!」
拘束具が解除され、グンとのしかかるGが僕の身体をコックピットのシートに組み伏せた。
自由落下する機体が雲を突き破り、高度計の数字が見る見るうちに減っていく。
シート脇のレバーに左手を伸ばすと、ドクン、ドクンと心臓の鼓動が暴れ出し、汗がどっと噴き出す。一定の高度を下回った瞬間にこのレバーを引いてウイングを展開すればいい。それだけなのに、まるでそれこそがミッション目標であるかのような緊張感だった。
高度計の表示だけを凝視しながら今か今かとその時を待つ。断言してもいいけれど、それは間違いなく人生で一番長い数十秒だった。
「高度4000……3700……3500……」
いっぱいに伸ばした手がレバーを握りしめ、ガクガクと揺れるコックピットの中で静かに呼吸を整える。
「3300……3100……3000っ!」
その瞬間、僕は狭まった視野のさらに内奥、頭蓋の奥深くに荒れ狂う雷雨を幻視し。
半ば絶叫に近い声を上げながら、レバーを一息に引き上げた――はずだった。
「えっ……?」
伸ばした手の先で、レバーはぴくりとも動いていなかった。
故障? いや、GBNでそんなことが起きるはずはない。
レバーを握った僕の左手はまるで鉛のように重たくて、強張りきって動かなかった。
「なんで……? なんで、どうしてっ!?」
「嘘だ、こんなの……!? 飛べるはずだろっ、僕は、僕達は! なのにっ!」
そうしている間にも、高度計はその数字を減らし続ける。いくら
これが限界なのか。僕は結局、変われないのか。ずっと飛べないままなのか。
僕の手も、脚も、心さえままならない。それは――己を奮い立たせて這い進んだからこそ、一歩踏み出したからこそ耐えられない。
刻一刻と明瞭になる地表まで1,000mを切ったとき、僕はきつく目をつぶって身も世もなく悲鳴を上げた。
次の瞬間、衝撃と轟音が頭のてっぺんまで突き抜けた。
反射的にシートの上で頭を抱えて蹲り――けれど、それっきり何の反応もない。
地表に激突したなら耐久度が0になってダメージアウトして、ミッション失敗を告げるアラート音が鳴ったりシステムメッセージが表示されるはずなのに。
恐る恐る目を開けると、モニターに映っているのは高層ビル街の風景だった。視界の左右を占めるガラス張りのビル群が、すごいスピードで奥から手前へと流れ去っていく。
この映像が何かのバグでなければ、ヴァルキランダーは摩天楼の間をすり抜けながら高速で飛行している。ヴァルキランダーはウイングを展開できていないのに?
困惑しつつ足元に目をやれば、答えはすぐにわかった。ヴァルキランダーを背に乗せて崩れ残ったビルの狭間を飛んでいるのは、味方NPDのデルタプラスだ。ウェイブライダーに変形したデルタプラスは地を這うような低空飛行で落下してきたヴァルキランダーを掬い上げて、そのままSFSとして飛び続けているんだ。
急変する状況を吞み込みきれずに呆然としていると、通信ウインドウが開いて、つい数分前に別れた顔がチェシャ猫のように笑う。
『アテンションプリーズ、本日はトリントン基地直行リムジンバスにご乗車いただき誠にありがとうございます……なんてね』
「ユリさん!」
『待ってたよ、パルくん。シャンブロは私が引き受けるから味方NPDと一緒にジオン残党を片付けて』
ユリさんがそう言うと同時に、ディスプレイボードにトリントン基地と市街区域の全体マップが映し出された。基地を包囲するように赤い光点が散り散りに配置されていて、この赤い点は敵NPDのジオン残党軍で間違いない。
なら街を踏み潰しながら進む赤いネオジオンのマークはステージボスのシャンブロで、シャンブロに挑みかかるようにちょこまかと動いている青い光点はフェネクスだ。ビル街を突っ切るように一直線に動いている重なった青い点はヴァルキランダーとデルタプラス。トリントン基地に近づいている三つはトライスターのジェスタで、基地に孤立しているのはバイアラン・カスタム。どちらも味方NPDだ。
状況に促されるまま敵と味方の距離と位置関係を把握した僕は無意識に
苛立ちと悔しさを込めて、握り締めた左手をディスプレイボードに叩きつける。フィードバックされる痛みはシステムがダイバーに無害と判断するレベル以上にはなり得ず、ただ空しさが募るだけで、言いようのない無力感が背中にのしかかっていた。
あの人は、僕を待っていてくれたのに。
『パルくん? どうかした?』
「いえ……大丈夫、何でもありません。そちらは任せます」
僕の変調を察したユリさんに取り繕った答えを返すしかないということ自体、僕を一層落ち込ませるのには十分だった。
いたたまれない顔を俯けた僕に、ユリさんはかすかに頬を緩めて言う。
『一個だけ言っておくよ、パルくん。
ユリさんがさらりと放った一言が、がさついて軋む胸に触れた。その意味を質す間もなく通信ウインドウは閉じられ、ヴァルキランダーを乗せたグレーの機体は市街区域を抜けてトリントン基地へと飛ぶ。
それはユリさんからの励ましなのだという理解が、不思議とすとんと胸に落ちた。高度7,000mからこの身を投じたこと自体が既に後戻りのできない道に足を踏み出した証拠で、自分の意志でここへ来て戦うことを選んだ僕をいっぱしの“
だとすれば、あのタイミングでデルタプラスがヴァルキランダーを拾い上げたのも偶然じゃない。僕が飛べないことも見越して味方NPDへ指示を送って、実際に絶好のタイミングで僕のフォローをしてくれた。どこまで行ってもユリさんの想定の範囲内だったというわけだ。
「……敵わないなぁ」
ぽつりと呟いて、フットペダルを踏み込む。こちらの操作に連動する形でウェイブライダーがスラスターを噴かして急加速する。黒煙の靄に霞むトリントン基地は、すぐそこまで迫っていた。
尽きることなく立ち上る噴煙の薄墨が逢魔が時の空を曇らせ、ディメンション全体がどこか息苦しい雰囲気に包まれているようだった。ミッションが終わり、この世界に存在するすべてがリセットされるまでのエアポケットのような時間の中に、僕とユリさんはいた。
街の真ん中で小山のように巨大な骸を晒すシャンブロを遠目に見やり、大小の瓦礫が散乱し粉塵が降り積もる街路に目を落とす。
原作を寸分違わず再現した陰惨な光景には違いなかったけど、あと数分もすれば綺麗さっぱり元通りになるのが救いだ。まあ、誰に何にとっての救いなのかと問われたら、それは僕達の精神衛生上の、としか答えようがないのだけれど。
夕陽に照らされて屹立する愛機を見上げながら、僕は今日の体験を生涯忘れまいと思った。
僕達が今日ここでミッションをクリアしたということも、やがてこの広大なネットワーク上の世界にある膨大な
「あの……今日は誘ってくれて、ありがとうございます。僕、この間のミッションがはじめてのチーム戦だったんです」
あの詳細のわからないミッションに参加したのはつい昨日のことなのに、とても昔のようにも思える。あのときは敵機に銃口を向けられて身を竦ませていたし、盲撃ちの射撃はろくに当てられもしなかったけれど、ユリさんについて行ったら銃口の角度からビームが飛んでくるコースを計算する余裕さえ生まれていた。
何もかもがうまくやれたわけじゃない。さっきにミッションにしても僕自身に深く失望したばかりだ。けれど、そんな僕でも一人のダイバーとして尊重してくれて、期待しているとまで言ってくれたユリさんには返しても返しきれない借りができた。
「でも僕、全然動けなくて……みんな上手いなぁって思ってたんです。あの時だって、ユリさんが敵を倒してくれなかったら、落とされて迷惑かけてたかも……」
「そう? 私なんかGBNデビュー初日だったけど」
おどけた笑顔で返すユリさんに、僕も苦笑するしかない。ああ、また気を遣わせてしまっただろうか。内心で申し訳なく思いながらも、レバーを引き上げられなかったことが引っかかっている僕は、また弱音を口にしてしまった。
「そう、それです。ユリさんもGBN始めたばかりの初心者だって言ってましたけど、バトルもすごく上手くて……やっぱり僕なんかがいたら、皆さんの足手まといになるんじゃ……」
「あー……そういうこと? 別に、他人より秀でなきゃいけないなんてことはないんじゃない」
僕の隣に歩み寄ったユリさんの声は、殊の外真摯に響いた。
「ぶっちゃけると、あの一戦であの場にいた全員の技量のおおよそは察しがついた。特にヒロトくんとメイちゃんは大したもんだね。GBN暦も長そうだし、バトルじゃ頼りになりそうだよ。でもそれだけがフォースのつながりじゃないと思うし、君にだって他の誰にも負けないものはある」
「他の皆さんに負けないもの?」
「うん。私だって全然敵わないものがね」
ユリさんの
「愛情、熱意――あるいは、熱情、狂気、野望。そういう想いを一番のモチベーションにして、ガンプラビルダーはGBNに誘われてくる。目指すものは人それぞれでも、誰もがガンプラが好きだって気持ちを抱えてこの世界にやってくる。
私の見る限り、パルくんの相棒への思い入れはビルドダイバーズ一だよ。君がヴァルキランダーを造り上げた技術と愛情は誰にも負けない。私にはわかる」
自負する部分がなきにしもあらずとはいえ、面と向かって褒められると照れくさいのも実際のところだ。ユリさんが僕以上に僕とヴァルキランダーを見てくれているという感覚も、なんだか少し落ち着かない気分にさせた。
「何より、私はパルくんと一緒に遊んでて楽しいって思ってるよ。つまんないとか、足を引っ張られてると思ったことはない。だって私達、
「友達……僕達、友達でいいんですか?」
僕の問いかけに「当然じゃん?」と応じたユリさんには一切の気負いも衒いもなく、僕を本心から対等の友人と認めてくれたと感じられた。
「だからね、自分を卑下する必要なんてないんだよ。自分を変えたいと思うなら、焦らずに小さな一歩を積み重ねていくしかない。勇気を出して最初の一歩を踏み出して、自信を持ってまた次の一歩を踏み出していけたら、目標に向かって着実に前進してるんだ。そうやって、パルくんが目指すパルくんになっていけばいい。誰かが望んだ君じゃなく、君がなりたい君に」
「僕がなりたい、僕……ユリさんは、僕がそんな風に変われると思いますか?」
「人間、高度7,000mから身投げできる度胸があるんなら何だってできるよ」
冗談めかした声に、頭を小突かれたような気分だった。悪戯な笑みを浮かべた顔を向けるユリさんに、同じように奔放で無邪気で優しい兄の姿が重なって見えた。
「……僕、GBNではじめてできた
その広すぎる世界の中で、何万分の一、何億分の一の偶然が僕達を引き合わせてくれたのだとしたら、それは幸運である以上に幸福なことだ。敬愛に値する友人に恵まれるということは、それ自体が万金の価値を持つだろう。
見上げれば夕焼けの茜色は地平線の向こうに遠ざかり、無数の星々がちりばめられた夜空がすぐそこまで近づいていた。
独りでは手が届かないほど遥か高く遠くにあると思えた空だったけれど、今は不思議とそうでもなかった。
歩き出せば、縮まらない距離なんてないのだから。