あの夜の出来事を境に、キリエは、好きという感情がどのようなものか分からなくなった。ユークのことも、コトブキのみんなのことも大好きなのだ。レオナたちがシマヒロ飛行隊の護衛任務に参加するため、アレシマ近郊まで羽衣丸がやってくる。任務期間の二ヶ月まであとわずかだ。シマヒロ飛行隊も、離脱していた隊員たちが前線復帰し、戦力の立て直しを予定通り行うことができている。キリエたちは一旦、羽衣丸に帰還し、今後の予定を確認する。あと少しで護衛任務が終わってしまう。ユークとはどう接したらいいのだろう。さらに、空戦の最中、空賊の中に自由博愛連合機がいたことは、今後の任務に影響を与えないはずが無かった。
「はぁー私、どうしたらいいんだろう」
キリエは飛んでいる最中も上の空だ。空を飛んでいるのに。
「キリエ、飛行中は前を見て飛ばなければならない。」
ケイトに注意される。
「あー!もしかして、キリエ、ユークのことで悩んでるんじゃないの?」
チカがからかう。
「こら、チカ!およしなさいな。」
エンマやケイトはいつも通り、キリエと接している。あえて、キリエのことを考えないようにしているのかもしれない。だが、チカはずっと思っていた。あの夜見た光景が、頭から離れないのだ。あれは本当にキリエだったのだろうか…。チカが知るキリエとは違う。自分はどうしたらいいのか分からない。どんな距離をとったらいいのか。小説や本を読んでも、その辺りだけはよく分からないままだった。そう考えながら、チカは飛び続けた。やがて、キリエたちは羽衣丸に着いた。レオナとザラ、班長が迎えてくれた。マリアたちは、イヅルマへ買い物に行き、明日には帰るようだ。もう、夜であった。みんなと夕食を食べた後、それぞれの部屋へ帰っていった。
時を同じくして、ユークも悩み続けていた。カトウとミホで、夕食をとる。
「おい、ユークの奴、どーしたんだ?」
カトウが呼びかける。だいぶ酒が入っている。
「きっと〜好きな人が一旦帰っちゃったからつまんないんですよぉーずっとあの調子なの」
ミホが横槍を入れる。
「シンヤのことだろ・・・。覚悟する準備は・・・できてらぁ・・・。あいつは・・・」
カトウがユーハング酒をくいっと飲むと、そのまま寝てしまった。
ユークはずっと考えていた。あんなことをして本当に正しかったのか。本来は、護衛任務を一緒に果たすためだけの関係だったはずだ。だが、孤児院が一緒だったことで、よく行動を一緒にするようになった。だが、コトブキ飛行隊にいる、一番槍のチカと呼ばれている女の子…、あの子がキリエと一緒にいる時、実はとても楽しそうな雰囲気を出している。護衛中もよく喧嘩のような言い争いをしているが、あの二人が一緒にいて、何とも言えない関係が現れる。いや、それは、コトブキ飛行隊のケイトさんや、エンマさんにも言えるのではないか。同じ飛行隊としての信頼関係以上に、その二人が一緒にいることで、絆に近いような関係が垣間見えるのではないか。そこに、自分も入り込んでしまっている。微妙な雰囲気だ。どうすればいいのか、悩んでしまう・・・。
「あなた、ちゃんと生きてるじゃない。最近のあなた、凄く明るくて生き生きしてるわ。」
ミホがユークに伝える。
「私があなたと最初に出会った時、ユーハング風に例えるなら、孤高の侍、みたいな印象を受けたわ。孤児院をでてから、ずっと一人で生きてきたのよね。あなたは、閉ざされた氷みたいで、どうしたら溶かせられるか、私たちには分からなかったわ。でも、シンヤがあなたを気にかけて、お湯をあなたに流して、それからあの迅雷ちゃんが、氷を勝ち割ってくれたのよね。おかげで、あなたに初めて会えた気がするっ!」
「あ・・・ありがとう、ミホ、俺もそんな気がする」
それは、紛れもない事実だった。シンヤとキリエが俺を生かしてくれたと・・・。すると、突然、シマヒロ飛行隊長がやってきた。シンヤが乗っていた零戦五二型が見つかったと伝えてくれた。
あまり夕食を食べていなかったキリエは、再びジョニーズ・サルーンに向かう。ジョニーのパンケーキにありつける。だが、その顔に悩みの文字が映る。なかなか食べるのが進まない。ジョニーズ・サルーンにはリリコがいた。ふとキリエは思った。こんな時間まで開いているとは、誰かがキリエの来る前にいたのだろうか。
「お客様〜?そろそろ店仕舞いの時間でございます。」
促されて、さっさと食べる。
「ごめん、リリコ・・・すぐに食べるよ」
「あら、あの疾風迅雷のキリエにも恋の予感かしら?」
体に鳥肌がはしる。「ぎくっ!」と口にしてしまった。目の前にいて、照準眼鏡に収めていた敵が一瞬で後ろについたような、衝撃だった。
「そんなことないよ・・・リリコ・・あははは・・・。」
「顔に描いてあるわよ。」
キリエは、思っていたことをリリコに明かす。話しているうちに、何だか心が軽くなった気がする。こういったことも人に案外、話してもいいのかもしれない。
「女の子なら、いつか当たる悩みねえ。私も分かるわ。でも、あなたはあなたのままよ。そんなあなたを、周りはあなたとしていつでも迎えてくれるんじゃないかしら。悩み続けたら、恋が敵になっちゃうわよ。逃げたくなるくらい。さぁ、本当にもうお店閉めちゃうわよ?」
「ありがとう・・・リリコ。」
キリエは若干、涙ぐんでいる。
「延長料金を頂きます・・・冗談よ?さっ、もう寝なさい。」
ほんの少し楽になったキリエは自分の部屋へ戻ろうとする。だが、また誰かに聞いてもらいたいとも思う。眠気もなくなってしまった。
「もう、私、友人にどんなアドバイスをしたら宜しいのかしら!!ケイト!!!」
あの優雅なエンマも、キリエのことで頭がおかしくなりそうな勢いだった。酷く取り乱している。最近になって、悩んでいる素振りを見せるキリエを思うと、幼馴染として何とか力になりたい。でも、キリエのことを思うあまり、何か余計なことを言えば、本人の心に影響を与えはしないか。
「ケイトは、キリエが何でも話を聞いてくれるザラに頼ることが最善の道だと考える。エンマは、いつもケイトたちに接するようにキリエに接して、普段通りの姿を見せるのが最適と考える。ケイトもキリエのことを心配している。エンマ、キリエがいつか言っていたように、恋とは横暴さを併せ持つのか?」
「だと思いますわ。恋って不思議で魅力的、けれども抜け出せないものでもありますわ。どうであれ、私はキリエを応援いたしますわ。ふぁ・・・。ケイト、なんだか私疲れましたわ・・・。」
「うん・・・。ケイトも睡眠にはいる。0132、消灯・・・。」
自室で、マロちゃんを抱きしめながらチカはいろいろ考えていた。マロちゃんのお嫁さんも買ったのだが、なんだか、今は気がのらない。キリエがお嫁さんになるとしたら、私はどうしたらいいのだろう。キリエのベッドを見つめる。まだ、帰っていない。まだジョニーズ・サルーンにいるのだろうか。たまに聞こえるキリエのいびきが聞こえない。「キリエ・・・。どうなっちゃうのかな。」暗い部屋の中でつい名前を口にしてしまう。目を瞑ると、あの夜、見た光景が見えてしまいそうである。キリエの名前を呟きながら、チカは眠りについた。
キリエは寝ようと思ってもなかなか寝ることができない。羽衣丸船内をウロウロする。無理やり寝てしまおうと思って、部屋に戻ろうとした。
「あら、やっぱりこんなところにいたのね。」
凄く身近にいる人の声が聞こえた。
「ザラ・・・、まだ起きてたの・・・。」
「ええ、そうよ。あなたのことが心配でね。みんな心配しているわ、あなたのこと。レオナだけはただの疲れだと思っているみたいだけど。」
ザラがにっこり微笑んでくれる。
「ザラ・・・。私・・・、私ね・・・・・・どうなっちゃうのかな。変わっちゃうのかな・・・。」
その瞬間、キリエの目のあたりが熱くなり、堪えきれず、ザラに抱きついてしまう。声にならないほどの泣き声をあげる。ザラがキリエの頭を撫でる。
「初めてのことだもの。誰かを心の底から好きになることって、素敵なことだけれども、不安にも思ってしまうことがあるわ・・・。その人がいない時のことなんて考えられないもの。凄いことよね。星の数ほど、無限に広がる世界の中で、巡り合えるなんて。それに、仲が深くなるうちに、自分が変わっちゃうなんて思うことさえあるわ。でもね、キリエ、怖がる必要なんてないわ。ここに素敵なお姉さんがいるじゃない。みんながいるじゃない・・・。思いつめすぎて、いつものキリエがいなくなるなんて、私、寂しいわ。一人で悩まないで。それこそなんのために編隊を組んで飛んでいるか分からなくなるわ。あら、レオナにも少し前に言ったかしら。とにかく!何も心配はいらないわ。安心して・・・。」
キリエは目を真っ赤にして泣きじゃくる。おかしくなってしまうくらい、ザラの胸のもとで涙を流す。そして強くザラを抱きしめる。
「ごめんね・・・。ザラ・・・。それにみんな・・・。ありがとう、ザラ。」
キリエが部屋に戻ってきたとき、チカはぐっすり寝ていた。無防備な寝顔だと心の底から思う。何だか口元が緩む。
「ごめんね・・・。チカ・・・。」
キリエは目を瞑った。レオナたちに、ユークが見える。どちらも笑っている。それに、なぜだか分からないけど、突然、サブジーの声が聞こえた。-------飛行機は飛ばすもんじゃない、自然に飛ぶんだ。
自然な私・・・。いつもの私・・・。
翌朝、いつも通り朝食を食べる。コトブキのみんなと揃っては久しぶりだ。いつものようにパンケーキを食べる。
「キリエ・・・昨日はよく眠れたの?」
チカが不安げにキリエに尋ねる。するとキリエが誇らしげに満面の笑みを見せる。
「あったりまえじゃん!!夢の中でチカよりも早く敵を落としたよっ!!!」
チカが驚く。いつものキリエに戻った気がする。一瞬だけ笑顔をチカは見せる。
「でも夢の中でしょー?このチカ様が敵を全部落としちゃうからね!!キリエは後ろから亀みたいにのろのろ飛ぶんでしょー?」
「なわけあるかっ!!そうだ・・・私は虎だぁーーー!!虎なんだぞー!!にゃー!じゃなかったガオーッ!!!!」
二人がいつも通り言い争い始めた。
「いつも通り、朝から騒がしい。」
ケイトが呟く。
「そうですわね、ケイト。」
エンマが疑問に思う。昨日、今日でどうしたらあそこまでの変化が生じるのか。
エンマがふっと、ザラの方を見つめる。ウィンクが返ってきた。珍しく、ケイトまでほんの一瞬、安堵の表情を見せる。エンマは胸に手をあて、ザラに頭を下げた。いつものキリエが戻ってなんだか安心する。みんな、いつも通りだ。ただし、エンマとザラの様子を目撃したレオナだけは、何が起こったのか理解できていない。
「どうした?何かあったのか。」
「何でもありませんわ。レオナ。」
朝食を食べ終えて、キリエたちはアレシマへ飛んで行った。キリエは空を見上げる。久しぶりに晴れ晴れとして飛んでいるかもしれない。なんだか、心が落ち着いた気がする。それに、コトブキのみんなと編隊を組むのも久しぶりである。つい、恒例の歌を口にする。
「いっくーぞ!!コトブキひっこーーたーい!!!きっぼーーーーのあさがくるぅーー!!あ!パンケーキ!!あ!パンケーキ!!あ!パンケーパンケーパンケーキ!!ああああーーっ!!!!われらわぁーーーーっ!!!!コトブキ・・・」
無線から苦情が殺到する。だが、エンマ、チカ、そしてザラは、笑みがこぼれてしまいそうになりつつ、キリエに文句を言う。ケイトも温かい気持ちを覚えた。ふと口にする。
「予定通り・・・。」
「キリエ、そろそろアレシマ近くだ!!気を緩めるな!!いつ自由博愛連合が襲ってくるか分からない。みんな!周囲を警戒しろ!!」
レオナは予定通りどころか、いつも通りであった。