マギアレコードRTA ワルプルギス撃破ルート南凪チャート 作:みみずくやしき
天乃鈴音の朝は早い。
まだ日が昇るかどうかという時間に目を覚まして学校指定の体操服に着替えると、準備も早々に部屋を出た。今日の分の朝刊が詰まったカバンを取って住宅街を走り出す。
彼女が住んでいるのは夕凪新聞の販売店。住み込みで新聞配達のアルバイトをしながら学校に通っている。親元を離れて一人暮らしだと伝えてからというものの、店主のおばさんや配達員の先輩がなにかと構ってくるのが鈴音にはやかましく、申し訳なく、くすぐったかった。
"親元を離れて"というのは半分ほど嘘だ。両親は既に死んでいる。結界に迷い込み、目の前で無惨にも魔女に殺された。
孤独となった鈴音に手を差し伸べてくれたのが『
魔法少女となった鈴音の身体能力は高い。走りながら郵便受けに的確に朝刊を投げ込んでいく。
走る速度も投げる力も手加減している。今でさえ近所の人たちの間で話題になりつつあり期待のエースと呼ばれているのに、本気を出してしまったら一躍有名になってしまう。ズルをしているようだし、本来の目的からして望むことでもない。
それゆえ必要以上に他人に干渉しないと決めている。どうせしばらくしたら離れることになるのに深い関係は必要ない。
配達を終えて帰ったら挨拶と軽い世間話ぐらいはするが、朝食に誘われれば適当に理由を付けて部屋に戻る。誰もが鈴音のことをしっかりとした真面目な子だと思い込んでいて、不審なものを感じることはなかった。
彼女こそ、紙面を飾る連続殺人事件の犯人だというのに。
着替えて簡素な食事を終え、一人で学校に向かう間もその方針は同じだった。
茜ヶ咲中学校の一生徒として挨拶をされれば挨拶を返す。それ以上でもそれ以下でもなく、どこにでもいる学生を装う日常に変化はない。
「スズネちゃん、おはよう」
「……おはよう」
しかし、教室で出会う日向茉莉までもが同じだとは鈴音も想定していなかった。声のトーンがいくらか落ちていたり、ほんの少し視線が違えど誤差程度。一定以上の進展はないのに構い続けているままだ。
こうして話しかけてくるのは転校初日から。友人を作るつもりは最初からないのにその距離を詰めてくる。
なぜそこまでするのかは疑問だったが、なにも面倒なことばかりではない。神浜市に行ったという茉莉がお土産としてくれた"椿"の栞は気に入っている。単なる偶然だろうが、椿の花を好む鈴音にとっては単純に嬉しかった。
結局のところ、そのまま時間は過ぎていった。
一般人が多い場所で互いに追求することはない。鈴音は騒ぎになることを嫌い、茉莉は鈴音のことを信じていた。動機の差はあれど同様の思いが平穏なまま放課後を連れてくる。
ようやく明確な変化が起きたのは下駄箱に手をかけた頃。帰宅しようとする鈴音を引き止めたのは遥香だった。
「あなたがマツリのクラスメイトの天乃スズネだったなんてね」
「……何の用?」
「ついてきて」
手招きする遥香に、珍しく鈴音は素直についていった。
夜になるまで動けることはない。無為に過ごすよりかは出方を見ておこうと考えた。完璧な生徒会長と校内で知れ渡っている彼女なら目立った行動はできないと踏んで。ただ、いつでも得物を出せるように手のひらに魔力を集中しながらだが。
昨日から続く曇天の屋上。階段へと続く扉に背を預けた鈴音と少し離れた場所に遥香。向かい合う二人の視線は鋭く、ともすればこの場で斬り合いが始まってもおかしくない。
ここまで遥香が警戒している理由は遭遇戦での後のことにあった。気絶した亜里紗が起きるのを待つ間にキュゥべえが現れて鈴音のことを話していったのだ。気配を消せること、魔法少女を狙い続けていること、連続殺人事件の被害者は全て魔法少女で、鈴音が殺害したことを淡々と伝えていた。
「キュゥべえが言ってたわよ。暗殺者だって」
「そう」
「……否定しないのね」
「間違いじゃないから」
それは遥香にもわかっている。これまでキュゥべえが言ってきたことは全て正しく、今回も合っているのだろう。けれど鈴音の口から答えが聞きたかった。茉莉が言う普段の姿はなんの理由もなく襲い掛ってくる人物には到底聞こえなかったからだ。
「なにか事情があるのよね。やむを得なかったとか、正当防衛だとか……。事件のことだってちゃんと説明してくれれば……」
言い聞かせるような諭す言葉だった。
対岸の火事を見るような無責任さ。それが気に入らなかった。
「言い訳をするつもりはないわ。私が自分からやった」
「……なんで」
「知らないほうが幸せよ。なにを言われようとやり方を変えるつもりはない。また夜に出会ったらその時は貴方たちを殺す」
「殺すって、テリトリー争いでそこまでする必要はないでしょう!? 亡くなった子たちには家族がいたのよ。これからやりたいことだってあったはず……!」
荒くなる語気に冷ややかな瞳が向けられる。
――本当に、知らないということは幸福だ。彼女はまだその絶望を知らない。
なら、そのまま死んでもらったほうがいい。
鈴音の行動は早かった。
「私は正しいことをしてる」
灰色のコートが風に舞い、構えた刃が遥香の首元に突きつけられる。
一手遅れて遥香も変身する。その姿を確認すると、大剣を下ろして変身を解いた。
「魔法少女は、魔法少女にしか止められない。私を止めたいなら相応の行為で返すことね」
「……っ」
それは、殺せということ。
魔法少女云々などと警察に言えるわけがないし、言ったところで誰も取り合わない。話し合いでの解決を鈴音が拒んだ以上、遥香はその手段を取るしかない。
これで話は終わりとばかりに鈴音はドアノブに手をかけた。
「殺すことが正しいって言うの……!?」
絞り出した問いかけが背中に降りかかる。それは、実に今さらな話で。
「時にはそれが正しい選択になる。……貴方は誰かを殺したいと思ったことはないの?」
「な――」
「答えられないのなら、邪魔しないで」
暗い階段を下りる途中に鈴音は己に刻んだ波長を確認した。
なにも無意味に変身したわけではなく、脅しでもない。あの一瞬で遥香のソウルジェムの位置と魔力パターンを覚えていた。次は確実に楽なまま殺せるように。
思いは変わらず、遥香に言ったことに偽りはない。
今の鈴音はそれが真に正しいことだと心から信じている。
「……ツバキ」
美琴椿は二度死んだ。
魔女に変貌して、魔法少女としての死を迎えた。鈴音自身の刃で屠られ、魔女としての死を迎えた。
椿に憧れた鈴音の固有魔法は、倒した魔女が持っていた固有魔法を得るというもの。
固有魔法とは『願い』から生まれた希望の結晶だ。ゆえに『希望を奪う力』とも言えるだろう。椿の炎の魔法が鈴音に宿った時、今まで斬り殺してきた存在がなんだったのかを理解したのだから。
またも孤独となった鈴音は、椿が遺したお守りで髪を束ねて決意した。
もう、こんな悲しみを広がらせない。全ての魔女と魔法少女を狩り尽くし、自分も死ぬ。それが生きる意味だった。
魔法少女が活動する時間、夜の夕凪新聞販売店に来客があった。
店主と配達員の鈴音の先輩がその方向に顔を向けると、嫌なくらい満面の笑みを浮かべた少女がいる。
「どうも~」
時間帯に似合わない学生の来客。着ている制服は青のセーラー服で、ホオズキ市では見ないもの。不審に思う前にそれは起きた。
「さっそくだけど、『天乃鈴音について知ってること全部教えて?』」
「スズネちゃんは――」
天乃鈴音。茜ヶ咲中学校に通う中学一年生の13歳。親元を離れて住み込みで働いている……という大した面白みもないプロフィールが次々と二人の口から語られていく。
それを更紗帆奈はつまらなさそうに聞いていた。
まだくれはが寝る時間ではないが、調子が悪いから寝てる、起こすな、入ってくるな……と言えば、律儀に約束を守るくれはは絶対に部屋に入ってこない。その手を使えば活動時間を伸ばすことができた。
正直に言って帆奈はそういうことはあまりしたくない。あのドッペルという現象が現れてからというものの、日に日にやつれていく様子が心配で仕方がないのだから、寝ている間でないと安心できない。
けれども、それだけの理由があってこうしてホオズキ市へ出向いている。
以前見た魔法少女たちと相対する鈴音を偶然発見して、魔力反応を追ってここに住んでいることを割り出した。こうして乗り込んだのは窓から出て行く姿を確認したからだ。
躊躇なく使われた『暗示』は正確に働いている。自分の意思に反して流暢に動く口に二人は戸惑うしかない。
しかし、起きている現象を明確に理解する前に自由を取り戻した。二人は表面上の鈴音しか知らなかったのだろう。簡単な個人情報を吐き出しただけで効果は切れてしまった。
「なんでスズっちのことが勝手に……」
「こんなもん? こいつら本当にただの他人か~……『あたしのことは忘れて』」
あとはさっさとここを離れるだけ。するとここに帆奈が来たことは記憶に残らない。正確に言えば封印されているだけだが、あの和泉十七夜にすら効く効力を持つ。
踵を返して高速で夜の街を駆け抜ける。
部屋で待ち伏せして奇襲をする選択肢もあったが危険だ。帆奈から見ても鈴音の戦闘能力は脅威。易々と倒させてはくれないだろう。
それに、『暗示』が効かなかったことが二の足を踏ませた。
鈴音への怒りに満ちていても冷静な判断はできる。事実、以前は静海このはや常盤ななか相手に策を弄することができていた。今さら調子に乗って返り討ち、などと甘い失敗をするわけがない。
待つことには慣れている。ただ、確実に仕留められるタイミングを作り出すだけ。
近いうちに来たるその日へのプランを頭の中で組み立てていれば神浜市に辿り着くのは一瞬だ。魔法少女の身体能力と『暗示』によるリミッターの解除が、時間はかかれど二つの街の移動を楽にしている。
着いたのは海が見えるお屋敷。窓から自分の部屋に戻ると変身を解く。
時間からしてくれははもう寝ているだろう。無駄に広いお風呂に入ってから寝ようと、準備をしてからドアを開けた。
「もう大丈夫なの?」
「うえっ!?」
すぐ目の前にくれはが立っていた。
ふわふわとした緑のパジャマを着て、真顔のまま眠そうにするという器用な姿で。
自分の行動がバレたかと心臓が跳ねる。
だが、特になにかを追及されることもなく、青みがかった黒い瞳を向けられるだけ。帆奈は理解した。こいつ、たまたま夜中に起きただけだと。
「いつもぐっすり寝てるのにさ~、なに? あたしが心配だった?」
「もちろん」
飾り気もない素直な言葉。ストレートな好意に意地の悪い言葉を返そうと口を開くも、あるものが邪魔をした。常日頃その声を聞いている帆奈だからこそ感じたものがあった。
「……あんた、疲れてるでしょ」
「なにが」
「そういうとこ」
そもそも、いつも同じ時間に寝て同じ時間に起きるくれはがこうして起きてくるなど滅多にない。だからホオズキ市へと出かけられていた。
毎日毎日、少しづつなにかが削られていっているようだ。嫌な変化が起きている。
一度気づいてしまえば心に沈む黒い染みが膨れ上がる。
こうなったのはあのドッペルという現象が起きてから。その原因は天乃鈴音。一直線に結ばれた因果が帆奈の怒りをより強いものにする。お風呂は中止。プランを即日できるものに変更して今夜中に殺すと心を変えた。そうでもしないとイライラが抑えきれそうにない。
「ねえ、帆奈」
しかし凶行を決断させたのがくれはなら、思い止まらせたのもくれはだった。
「お風呂、入るんでしょ。私も入る」
手に持つ着替えを見てそんなことを言う。あまりにも唐突で気の抜けた提案に、先ほどまでの帆奈の思考がどこかに飛んだ。
もう入ったんじゃないかとか、眠いんじゃないかなんてありきたりな疑問は出てこない。聞くほど無粋ではなかったし、せっかくの提案を無下にする意味もなかった。
少し機嫌が良くなった帆奈はくれはの手を引いて一階へ向かう。着替えてどこぞのホテルかと見紛う浴場に入ると、もういつもの調子であった。
湯舟に浸かりながら話したのは些細なこと。勉強会やウォールナッツの新作の話題が主で、魔法少女としての話もしたが意図的にドッペルの存在は避けていた。
「新西区で魔女退治してるけどさ~、またあの三人組を連れてんの? ほら、みととかいう小動物」
「ええ」
くれははあの三人を連れて魔女退治することが多い。誰かを連れている時はドッペルを使わないと知っているから安心ではあった。もっとも、自分を連れて行かない不満から嫉妬心も湧き出していたが、まだ健全なものだ。
しかし、その話をするとどうしてもあの場所が出てくる。神浜大東団地。帆奈たち三人の関係が狂い始めた因縁の場所。つられて思い出すのは瀬奈みことが魔女化し、くれはの記憶を封じ、壊れたように混沌を振り撒いていた日々。
「……あ」
巡る記憶の中で気づいたことがあった。
更紗帆奈の最後の舞台として用意したくれはとの決戦において、くれはは先に全てを思い出していた。どういうわけか効果を振り切って記憶を取り戻したそうだが、その説明をした際に妙なことを言っていた。
『みとの心を繋げる魔法と十七夜の心を読む魔法がぶつかって、反発しちゃったのよ』
同系統の魔法が重なると起きる反作用。
「……あぁ、そっか~……! そういうことか~!」
「帆奈?」
自分にかけた『暗示』は効いていた。一般人にも同様。ホオズキ市自体に妨害をする効果があるわけではない。
だというのに鈴音には効かなかった。効果に反して痛みを訴えていた。
それはつまり、彼女には既に同系統の魔法がかかっていたのではないか。なんらかの作用が働いていて、上から『暗示』の命令をかけたために脳への負荷が痛みを引き起こしていた。そう考えれば納得がいく。
どういう効果のものかは定かではない。己の精神を強化するものという可能性もある。なんにせよ帆奈の知るホオズキ市の魔法少女にそんなことができる者はいない。再調査の必要がある。
されど、帆奈を最もイラつかせたのは、友の魔法と強度が同等かより強い魔法がこの世に存在していることだった。
『暗示』が一方的に勝つべきだ。阻害し合うなど到底許せるはずもない。いち早く原因を解明して身の程を教えてやらねばならない。そして『暗示』ほど使い勝手も効果も強大な魔法はないと証明する。
自分が仕掛ける側なら同系統の魔法を持つ相手にどう対処するか。ホオズキ市の現状と、推定できるその目的。それらが導き出すのは――
「あはっ、あははっはは!」
その表情は、かつて暗躍していた頃と同じであった。
鈴音と直接話してからというものの、遥香の調子は優れなかった。
「しっかし、綺麗な栞よね~、アタシでも押し花に興味が湧くわ」
「神浜に行く時はまず夏目書房だね!」
「ハルカ先輩? マツリも来ましたし、揃いましたよ」
「……そうね」
情報共有のために三人を呼んで空き教室に来たはいいがなかなか本題に入れていない。話す内容に隠すことはないというのに気乗りしない。
これではいけない。自分に期待してくれている千里のためにも、不安を心の底に無理やり押しやった。
「みんな、聞いてほしいことがあるの。天乃スズネが言っていたことなんだけど……」
共有と言っても鈴音と話したことは僅かにしか過ぎない。されど本気で殺害を目的にしていることは確信できた。変身はすれど戦闘にはならず、『また夜に出会ったら』という宣言から人の目のある場所では仕掛けてこないとわかっただけでも十分な進展だろう。
伝えたことは事実と遥香から見た印象。反応は二極化した。
「ムっカつく……なんなのよアイツ! チサトを襲って殺しにくるし、連続殺人事件は自分がやったって言う! それで自分が正しいって? いいわよ、今度はアタシが勝つ。正面からブッ潰してやるわ!」
「落ち着きなさいよアリサ。あの子の強さは知ってるでしょ?」
「マツリも、できればスズネちゃんとは戦いたくないな……」
千里は警戒から、茉莉は心情からこれ以上の争いを拒否している。
対して、亜里紗はどうしても納得がいかなかった。
「ハルカ、どうすんのよ。放っておいたらまた来るわよ」
どちらの言葉にも正しさがある。それぞれ考えることがあっても、リーダーである遥香が選んだ方針に従ってくれるはずだ。
それが、今の遥香にはどうしようもなく重かった。
「……もう一度キュゥべえに聞いてみましょう。彼女があれだけのことをする理由、それを知らないと私たちが取るべき行動がわからないわ」
選んだのは逃避。この場での結論を避けて後回しにした。
キュゥべえは呼べば来るだろうが確実ではない。その理由を付けて、数時間か一日の間を置けば気持ちも落ち着くはずだという想定だった。
しかし、窓縁に座っているものがいた。
「やあ」
「あ、キュゥちゃん。ちょうどいいとこに」
「妙にタイミング良いわね……」
「再びスズネと接触したことは知ってるよ。だったら彼女が言わないことをボクに聞いてくるんじゃないかと思ってね。呼ばれる前に来たんだ」
「ならとっとと教えなさいよ。アイツ、なんで魔法少女を狙うわけ?」
止めるわけにもいかずに話が進んでいく。
自分の思惑は断たれたものの、全体として見れば順調にいっているというのに遥香の不安は増すばかりであった。あのキュゥべえが自分から教えに来るなんて、なにかがおかしい。
「映像で見せたほうが理解しやすいかな」
キュゥべえの目が光って壁に映像が映し出される。そんなプロジェクターのようなことができたのかと一様に心に抱くも、すぐに全員が映像に釘付けになった。
映っているの髪を束ねていない鈴音と、椿と呼ばれる黒髪の女性。共に魔女と戦っていた。
魔法少女としては普通の光景だが、亜里紗と千里が奇妙に思ったのは戦い方。柔らかな顔つきをした鈴音は大剣を使うばかりで、あの炎は椿しか使っていない。
そのまま映像は日常へと変わる。二人だけの生活は穏やかなもので、一緒に食事をしたり買い物をする様子は年の離れた姉妹や親子のようにも見えた。椿はなによりも鈴音を優先しているらしく、その愛情を一心に受けている姿はあの夜の襲撃者とは思えない。屈託のない笑顔をしている。
(この風景……)
遥香が抱いた疑問は次の場面でかき消えた。
それは結界内でのことだった。
黒く穢れきったソウルジェムと共に椿が変貌する。人のカタチを失い、椿の木が和服を着たような魔女がそこに現れた。
「っ、なによ、これ……!」
千里の言葉と映像の中の鈴音がリンクする。
答えはもう一匹のキュゥべえが話した。魔女化という現象と、いずれ魔法少女が辿り着く結末を。
叫んだ鈴音は魔女を斬り裂き――そこで、映像は消えた。教室は静まり返っていた。
「この通りスズネが魔法少女を狙う理由は過去に起因する。いずれ魔女となる魔法少女を先に葬ろうというんだ。蕾の段階で刈り取られるのはボクにとっても良くない。だからキミたちがスズネを倒してくれるなら――」
四人には、鈴音のことを考える余裕などなかった。
話の途中に動いたのは亜里紗。逃さぬように変身して、キュゥべえの頭を片手で掴んで乱暴に持ちあげると大声で怒鳴った。
「最初から説明しなさいよ!」
「必要がなかった。したところで正しく理解してくれない子が多いんだ。余計なことを言って円滑な関係に亀裂を生んでしまったらそれこそ非効率的だよ。実際、最初から知っていたら魔女と戦っていたかな」
「……じゃあ、なんでマツリたちに見せたの。隠したいんじゃないの?」
「見せたほうが動いてくれるはずだからね。このまま魔法少女の被害が増えていくのは望むことじゃない。下手に教えれば同調する子も出るだろうけど、キミたちは違う。そうだろう?」
「それ以前の問題でしょうが……!」
「契約のことかい? 傾向から言ってキミは知っててもしたと思うけど」
「ざけんなッ!」
「アリサ!」
遥香の静止の声でも止まらず、魔法少女の全力を込めた手がキュゥべえの頭を握り潰した。今まで身体を動かしていた内側の物体が流れ出て、床を赤く染める。
結界の外で起きたグロテスクな光景は茉莉と千里の気分を害するのには十分すぎた。口に手を当てて、すぐに視線をそらす。
二人が見た方向は別々で、茉莉の視界にそれはいた。
「あまり乱暴なことはしないでほしいな。代わりはいくらでもあるけど、無意味に消耗するのはもったいない。それにここは学校じゃないか。困るのはキミたちだよ」
「な、なんで……今……」
茉莉の目の前を横切ったのも、キュゥべえだ。
先ほどまで動いていたものを新たなそれが食べていく。
「なんなのよ……キュゥべえって、魔法少女って……」
そう呟いたのは顔を青くした千里だった。意を決したように変身すると、新たなキュゥべえの近くに発砲する。目は潤んでいた。
「答えなさい! 全部!」
「いいよ。少し長くなるけど」
キュゥべえ――インキュベーターが語り始めたのは、この宇宙の危機。
生命が生きるのにはエネルギーが必要だ。だが、薪を燃やして得られるエネルギーは木を育てる労力に見合わない。変換にはロスが発生する。目減りしていくエネルギーはいつしか宇宙の全てを燃やし尽くしても足りなくなり、熱的死を引き起こす。
宇宙を死へと導く熱力学の法則を覆すのが人間の感情。希望と絶望の相転移が生み出す感情エネルギーはエントロピーを凌駕する。だから魔法少女と魔女のシステムが存在しているのだと説明をした。
だが、そんなことはどうでもいい。
人の寿命では到底届かないスケールの違う話よりも、身近なソウルジェムが持つ意味のほうが重要だった。
ソウルジェムとは魔法少女の『本体』。身体から魂を抜け取って形にしたもの。
いくら人としての致命傷を受けても本体を砕かれなければ死なない。鈴音はそれを知っていたからこそ、人体の急所を射線上に晒せた。
そのようにメリットとして受け取れるのはどこか狂った者か、諦観した者か、なりふり構わない者だろう。いずれでもない四人に「操作範囲外に持ち出せば身体が動かなくなるよ」という忠告は逆撫でするばかりであった。
「意味わかんない……アンタらのために人を辞めさせられたってこと……?」
「ボクらの住む宇宙のためだよ。地球だって例外じゃない。それに、見返りは与えたじゃないか。ボクにできるのはそこまで。価値を見出すかはキミの問題だろう」
「こんな抜け殻にされて、化け物になるなんて……!」
「キミたちはいつもそうだ。どうして魂の在り処にこだわるんだい? いくら傷ついても本体であるソウルジェムが無事なら問題はない。魔女退治に赴くのにはうってつけだと思うけど」
茉莉でさえ、この生物がどんな存在かを理解した。根本的に違う。価値観が違う。それよりももっと、見ているものが違う。きっと彼らなりの倫理観と善し悪しの判断基準は持っているのだろう。しかし、それが人間とずれている。宇宙の熱的死を避けるためという理由に大多数の人間が納得するわけがない。
「いずれキミたち人類も宇宙に進出する。その時になって手遅れと言われても困ると思うんだけど」
「……今の私たちにはあなたが信じられない。帰って」
「そうさせてもらうよ」
遥香の言葉に従ったキュゥべえは開いていた窓から出て行く。
それからしばらく、四人の間に会話はなかった。特に落ち込んでいたのは食って掛かっていた亜里紗だ。座り込んで俯いたまま、涙を流して手のひらで顔を覆っていた。千里も、遥香ですら言葉が出ない。
「みんな、それでも、マツリたちは……」
「マツリ……今日は解散にしましょう。気持ちの整理が必要よ」
「……そうですね。アリサ、帰ろう」
「うぅ……」
己も辛いだろうに亜里紗に手を貸す千里の姿が、遥香には眩しく見えた。
遥香の心を覆っていたのは後悔と不安という暗雲であった。
人を辞めて、自分たちと同じ存在を殺し続けていた。いつかは自分もあちら側になる。その事実が、不完全な精神を苦しめた。
それは帰路でも収まることがなく、家に着いてからはむしろ強くなった。
父と母を心配させまいと振る舞うも、自分の部屋に戻ると脱力してベッドに身を預ける。
今、手に握るグリーフシードが生命線。生きるためには魔女を倒さないといけない。魔力を節約して効率的に倒せばその分は長生きできるはず。
なにもしていないと不安が勝る。頭の中でシミュレートしてみると、その悪辣さに顔を歪めた。
曲がりなりにもリーダーを務めていた遥香にはわかっていた。単独で戦っていれば消耗は避けれない。魔女の性質は千差万別。毎回無傷で楽勝となるわけがない。
すると、戦闘で消費する魔力が回復する魔力を上回り始める。すぐにというわけではないが、真綿で首を締めるようにじりじりと追い詰められていく。
そして――というのが、システムの一環なのだろう。チームで戦っていなければ自分もそうなっていたかと思うと身震いする。
キュゥべえが言っていたように、せめて願ったことに価値を見出せていたら。願いが希望を与えてくれるのなら、代償としてこの運命も少しは受け入れられたのかもしれない。
しかし、そんな些細な願望は最初から遥香にはない。
彼女が願ったのは、姉である『
何をやらせても常人の上を行く天才である姉に嫉妬して、自分を見て欲しいからと不満をぶつける呪いの言葉だった。
幼いながらも本気で願いが叶うとは思っていない。ほんの出来心で口にしたそれは、すぐに後悔の気持ちを生み出して、姉に今までのことを謝ろうという行動へと駆り立てた。
だが、本当に姉は消えていた。
四人分の椅子が三人分になっているのを見て血の気が引いた。階段を駆け上がって部屋を見ると空っぽ。誰に聞いてもその名前が出てこない。世界から奏可奈多の痕跡が全て消え去っていた。
そこで初めて理解した。どれだけの罪を犯してしまったのかを、胸に刻んだ。
だから償いとして、姉の代わりになれるように万事に全力を持って取り組んだ。天才ではない自分では努力をすることでしかその領域に辿り着けない。魔法少女の頑丈な身体でなければ疲労で死んでいたかもしれない。それだけの努力を続け、周囲からは完璧な生徒会長と呼ばれるようになった。
しかし、見えたのはまたしても自分の上を行く姉の幻影だった。
『亡くなった子たちには家族がいたのよ。これからやりたいことだってあったはず……!』
それは、姉だって同じだ。
期待していた両親がいた。可奈多にしかできないこと、やりたいことがあった。
全てを消したのは遥香だ。一時の感情で殺したのだ。
遥香以外誰も可奈多のことを覚えていない。自白したところで"いなくなった"のだから裁かれることもない。完全犯罪の出来上がり。
それでも罪の意識は遥香を蝕み続ける。呪いを願った結果、自分は人でなくなってしまったという事実がお似合いのようにさえ感じられた。
「やっぱり、私じゃダメなのかな……」
あの日のように後悔が増していく。それから逃げるように、遥香は眠りへと落ちた。
それはあまりにも浅い眠りだった。
気がついたら朝になっていて、昔のように起きる時間が遅れるところだった。このままでは挨拶運動に遅れてしまう。今の遥香にはその完璧を崩すことが怖かった。
どこか調子の狂った始まりは昼になっても変わらずに、生徒会室で食べる昼食も味気ない。
こうして昼を済ませるのは生徒会の仕事がある時だけだ。しかし、今日は特にない。いつもなら亜里紗たちと食べているはずだった。
「……チサトは休み、だったわよね」
「体調が優れないので」と連絡が来ている。亜里紗はずっと不機嫌で一人にして欲しいと言っているし、朝に出会った茉莉は同じクラスの鈴音のことが気になるらしい。集まれる状況ではなかった。
茉莉はあの様子だと鈴音と直接話そうとするだろう。その鈴音は早退したらしく、プリントを届けるとなれば、いの一番に茉莉が手を挙げるはず。
それは些か危険だと、遥香は思った。
鈴音は本気で殺しに来ている。魔女化を知ったからこそ、その前に止めを刺すことが正しいと信じているのだろう。善意は悪意よりも簡単に刃を振るわせる。屋上での会話から日中は仕掛けてこないはずだが、可能性はゼロではない。
しかし、まだやるべきことはある。
体調が優れないという千里と明らかに動揺している亜里紗の精神面のケア。この先の魔女退治の作戦。鈴音への本格的な対処。それに優等生として学生生活を送ることと生徒会の仕事。姉のように生け花をし、絵も描かないといけない。
完璧でなければならない。その重圧がソウルジェムを濁らせた。
結局、その日に選択した行動は鈴音への本格的な対処だった。
念のために茉莉に連絡を入れてから向かったのは市内でも大きな図書館。遥香が欲したのは情報。そこに所蔵されている新聞に用があった。
事前に調べていた情報から当たりをつけて、コピーしてもらった夕凪新聞のバックナンバーに目を通す。
遥香が気になっていたのは、キュゥべえが見せた映像の風景だった。
鈴音と椿が歩いていた道はホオズキ市のもの。転校してきた鈴音は元々ホオズキ市にいたということになる。同じ市内からの転校ならばおかしなことはないが、共にいる椿の存在が調べるという選択を取らせた。
映像の通りなら、魔法少女が結界内で魔女化して倒されれば遺体も痕跡も残らない。あの椿という人物は世間一般的には突然消えたという扱いになるはずだ。
そこで、遥香はふと気づいたのだ。紙面を騒がす連続殺人事件は魔法少女の鈴音が起こしたもの。ならば、同じように行方不明者として魔法少女の彼女が載っていないかと。
「……これだわ」
見つけたのはホオズキ市在住の『美琴 椿』が行方不明になった事件。ニュースにもなっていて、捜査本部が設置されたほど大きな騒ぎになったものだ。進展は一切なく、未解決に終わっている。
遥香も報道を見たことがあるはずだが、実害のない事件というものは記憶に残らないのかすっかり忘れていた。初めて新聞に載った日から読んでいくにつれて少しずつ思い出していくが、読めば読むほど違和感が増していく。
行方不明の理由は魔女化によるものだとわかっている。問題はそこではない。
調査の聞き込みは茜ヶ咲中学校の近場でも行われている。名前は出ていないが、特に話を聞いている人物がいて取材も入っているようだ。それに遥香は思い当たることがあった。メモにその名前を書き――
瞬間、世界が切り替わった。
「油断した……!」
集中していたせいか魔女の反応に気づかなかった。既に最深部。変身してその場を飛び退くと、黒い水の攻撃が先ほどまでいた場所に降り注ぐ。
攻撃の出処は目の付いたプレゼントボックスのような魔女。
あれがここの主なのだろうと判断して、遥香はダブルセイバーを連結させた短槍形態にして構えた。
今度は目の前の魔女に集中しなければならない。遥香にもそれはわかっている。だが、ここに来て思考を支配していたのは魔女化のことだった。今までのように魔力を使って戦うことが途端に恐ろしくなる。ソウルジェムを見る限りまだ余裕があるというのに、それが遥香の動きを鈍らせた。
「……私は……!」
完璧でなければならない。三人よりも強くなければならない。簡単に魔女を倒さなければいけない。
されど、完璧な人間などそもそも存在しない。
(ハルカ、マツリ! 誰でもいいから答えて! チサトがおかしい! こっちに――)
遠出をしたうえに結界に入ったために気づきもせず、戦闘をしていてはまず届かない。
離れた場所で響いた銃声が、聞こえるはずもなかった。
■今回の内容
奏遥香 魔法少女ストーリー 3話 『誰も知らない妹の罰』(一部分)
■鈴音
コピー系魔法少女。魔女化を挟まないといけないので使い勝手は微妙。
お前を殺す(デデン!)
■茉莉ちゃん
千里が殺された場合でも鈴音に会いに行く鬼強鋼メンタルの持ち主。
魔女化やソウルジェムの正体を知ろうが戦える。これマジ? 年齢に比べて精神が強すぎるだろ……。
■遥香
鈴音が殺害までいってないので少し優しい。メンタルもまだ安全領域。
キリサキさんのウワサを解決できるのでこれぐらいはする。
■美琴 椿
年齢不詳(20前後)の魔法少女(?)。やちよさんより年上で成人済み。
超良い人。だいたいの原因。
■奏 可奈多
遥香にそっくりの姉。性格が良いうえに天才。
今の遥香の言動は全て彼女に似せているのかもしれない。回想の中の遥香はパパママ呼びだが、姉と同じお父様お母様呼びに変化している。マギレコ内でも遥香専用メモリア『見せられなかった絵』と『Rumors in Disguise』内で違いがある。さらに、MSS内では挨拶が「おはよ」である。
■くれはちゃん
後で説教されるのが確定した。
■千里が生き残ると大変なことになるってなに?
A.連鎖的にフラグが叩き折られるのでオリ展開になる。結局あの場面で迂闊にもまさらの話をした走者が全て悪い。
(原作から外れるのは)もう十分だ……もう十分だろう!
■???
詩音千里が殺害されていない。
天乃鈴音が外部の魔法少女と戦闘している。
奏遥香が魔女化を知った。
奏遥香が過去の映像を見た。
詩音千里が魔女化を知った。