「起きて、優くん。風邪引いちゃうよ」
「……ん」
誰かに体を揺すられ、目が覚める。
「あれ、梨子……?」
「うん。家に帰ってから忘れ物に気が付いて」
外はすでに日が沈んでおり、おそらく梨子が付けたのだろう蛍光灯の明かりが眩しく、目を細める。
口の周りがなんだかベタつく気がするけど、ヨダレでも垂らして寝ていたかな。
口元を手で拭い、固まった体をほぐすように体を伸ばす。
「悪い、待っていてくれたのか」
「ううん。そんなに待ってないよ」
荷物をまとめて戸締りを終えると、ドアのそばに梨子が立っていた。
「まだそんなに遅くはないけど、明日に響かないようにな」
「体が大事なのはピアノの頃から知ってるよ?」
「それもそっか」
こうして梨子と二人きりになるのは初めてではないだろうか。
幼馴染である千歌、曜、果南。最近だとヨハネもそうだが、彼女たちとは違い、付かず離れずの程よい距離を保っていることにどこか安心している。
前にヨハネから伝え聞いたことも、そこまで気にしなくなっていた。
「今ね、ピアノコンクールのときよりも緊張しているの」
「ライブはみんながいる」
「そうね。優くんも一緒」
ハッキリとそう伝えられ、あの日からずっと付けているシュシュに意識が向く。
「ステージに上がってないから、なんて言い訳は聞かないわよ?」
「……それは十分身に染みてるさ」
いつだったか涙ながらに怒られ、頰を叩かれた日があったと思い出す。
「……μ'sのマネージャーをしてた頃?」
「うん」
「いつか会って話してみたいな」
「暫くは忙しいから無理だろうけど、どこかで機会があったらいいね」
僕としてはあまり叶って欲しくない出来事なんだけどね。
何故かμ'sのみんなは僕に彼女が出来ることを嫌う。
何人か好意を持たれているのはなんとなく分かっているのだが、そうでない子からもだ。
こうしてみると曜とヨハネだったからというわけではなく、昔から女心というものを理解していなかったのだと気付かされる。
「ね、優くん」
「ん?」
「明日のライブ、今までで一番いいのを見せてあげるね」
「楽しみにしてる」
梨子が別れ際に行った言葉が嫌に頭に残るなど思ったら、ヨハネが言ったことと同じだと気がついた。
こんなところまで似るほど、彼女たちは濃い時間を一緒に過ごしてきたんだ。
明日のライブ、上手くいかないわけがない。
☆☆☆
地方予選を突破し、決勝に進出を決め。
ライブの映像を載せるとともに、Aqoursの練習風景、学校の風景、内浦の風景の計三つを動画にあげ。
再生数の伸びに比べて緩やかではあるが、入学希望者数も増えてきていた。
きていたのだが。
「どうしてパパ! 朝まで待ってくれてもいいじゃない!」
あと一人で百二十人に達するところで時間が来てしまった。
アニメならば翌朝の五時まで最後のチャンスと時間を伸ばしてもらえていたのだが、何故かマリーのお父さんはもう終わりだ。の一点張り。
理事長室に集まっていたみんなは祈りながらマリーの話を聞いていた。
「あと一人で約束の人数なのよ! 朝までじゃなくても、あと十分だけでも……! ……ぇ?」
感情を出して通話していたマリーの抜けた声に何やら嫌な予感がする。
みんなの視線が集まる中、マリーはどこか戸惑ったままスピーカーにしたスマホをテーブルの上へと置く。
そこから聞こえてきたのは当然、マリーのお父さんの声なのだが、話している内容を纏めると。
入学希望者数をあの人数にしてまで延期を認めたのは、最初から出来ないだろうと思っていたこと。
ただのワガママで、これでダメなら諦めがつくだろう。なんて高をくくっていたら、あと一人というところまで来ていたこと。
けど──仮に人数に届いていたとしても、学校の存続は出来ないこと。
既に手続きは進んでおり、どうあがいても無理であると。
下手に希望を持たせてしまい申し訳ない。
と、頭を下げる姿が見えるほど込もった謝罪をされた。
本来、ここまで話すつもりも無かったらしいが、マリーのお父さんなりの誠意なのだろう。
最後にもう一度すまなそうに謝ってから通話が切れた。
けど、誰一人として話そうとしない。
それはそうだろう。
見えた希望の光を必死で追いかけてあと一歩、もうすぐそこまできていたというのに。
その光は偽りだったのだから。
僕は誰にも気づかれないようにして部屋を後にした。