それはやっぱり、こんな寒い日の夜の事だった。
しんと冷えた空気、遠くから聞こえ来る喧騒、夜露で濡れた土。彼女を見送って二年目の冬、僕は少しだけ背丈が伸びて大人になった。
雀の涙ほどに小さな庭の一角に、枯れた猫じゃらしが植わっている場所。囲うように置かれた赤煉瓦に腰掛けると、そっと目を瞑る。肺を刺すような寒空の中、そっと白い吐息を朧に溶かした。
「時間ばかりかけてさ、その癖全然大人になった気がしないんだ」
笑いながら零す。返事はない。
「今になって思うんだ、あの時飛び降りなかったのは本当に良かったのかなって」
悴んだ手が赤く染まっていた。家の中から漏れている灯りは二年前と何も変わらなかった。多分この先もずっとそうなのだろう。いつか自分がこの家を出る時も、また耐え難い別れがあったとしても。それを救いと言い切れるほど、僕はまだ擦れていない。
「人はよく『けじめをつける』なんて言うけれど、やっぱり未練だらけだ。今だってそうだ。今更こうやって呟いても、結局最後看取れなかった事に変わりはないし。寂しい思いをさせた」
だからこの寒さも受け入れていくしかない。ぼやきながらも歩いていくしかない。大人になろうと何も変わる事なんてなくて、ただ強いふりが少しだけ上手くなる。
「だからせめて、子供だった僕を今日ここに置いていく。君が寂しくないように」
コートのポケットから缶を一本取り出した。外気に触れて痛いくらいに冷えたそのプルタブを引き上げる。軽快な破裂音と共に炭酸が溢れ出した。味も分からぬままその黄金色の液体を一息に呷る。口中で苦味が弾けた。咳込みながらも、ただただ飲み下す。胃の中にぽっと柔らかな灯りが点いたような気がした。
泡で汚れた口元を袖で拭いながら、しっかりとその足で立つ。これ自体が既に未練だ。もういない誰かに縋っている時点で大人も糞もない。けれどこれは確かに必要なのだと、それだけは誰にも譲る事はできない。家の中から母が自分を呼ぶ声が聞こえた。
一層冬風は強くなる。がちがちと鳴る歯を合わせながら、にっこりと微笑んでみせた。新しく卸したコートに彼女の残滓はない。ましてや猫の鳴き声など聴こえる筈もない。それでも確かに僕は満足していた。
「またね」
じゃあねではなく、またね、と。未練も後悔も全て捨てて行くのが大人なら、僕はそんなものになりたくなんてなかった。ずっとずっと彼女を覚えて、悔やんで、夢に見て、けれどその痛みを抱えて歩いて生きたい。
猫じゃらしが枯れる頃、また子供だった自分に戻れるように。