銀河英雄伝説~黄金樹《ゴールデンバウム》と2人の英雄~   作:フリードリヒ提督

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黎明編第4章~2人の英雄~

―――宇宙歴796年/帝国歴487年8月23日、念願のイゼルローン回廊打通と言う知らせは、遠征軍司令部や同盟全軍はもとより、同盟全市民をも熱狂させた。かつては「イゼルローン回廊は、同盟軍の血で舗装されたり」と帝国軍に豪語させしめたほどの要塞を、僅か半日で、しかも味方の血を流す事無く陥落させたのだ。その時の映像は瞬く間にプロパガンダ映像として全同盟は当然の事ながら、これから()()する筈の帝国領へも発信され、当局の規制も搔い潜って水面下で流布された。

ウランフ中将の第10艦隊を先頭に進入した遠征軍の将兵達には、自分達を150年もの間待ち焦がれていた領域がそこにある、と感じていたに違いない。

 

 

1

 

 宇宙歴796年8月23日の自由惑星同盟は正にそんな熱狂の渦中にあって、その真ん中で胴上げされるように高らかに呼ばれた名が、この遠征に対して最も憂慮の念を抱いたヤン・ウェンリー中将であった事は、歴史上何度も繰り返された皮肉であっただろう。彼は統合幕僚会議の席上、楽観論と期待を()()ぜにした論旨を繰り広げる立案者の作戦参謀、アンドリュー・フォーク准将に対して、杜撰な立案による窮乏の危険を強く説いたが結局容れられる事は無く、云わば全軍が()()()()いる渦中で、僅かに孤立した存在となっていた。

 

 無論当時の統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥や、第5艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将など、彼に共感する将官はいたし、第10艦隊司令官のウランフ中将や後方主任参謀のアレックス・キャゼルヌ少将など、彼に理解を示す将官も存在した。だが所詮彼らもまた少数派であり、軍は政府に従うもの、として表向き反対する者は僅かであった。

シビリアン・コントロールの概念が広く浸透した自由惑星同盟軍に於いて、イゼルローン陥落の功績を挙げたヤンに対抗意識を燃やすフォーク准将が、その腹案を直接最高評議会に持ち込むと言う策は、正に図に当たったと言えるのかもしれない。ある意味においてこれが、アンドリュー・フォークと言う男の人生に於いて成功した数少ない()()であったかもしれないが、尤もその()()とは所詮妄想と願望と希望的観測の混声合唱に過ぎず、しかもそこに、ヤンを利用して自身の基盤を強固にしたシトレに対抗したいロボスとその一派や、政権支持率を気にするロイヤル・サンフォード政権の思惑までもが絡みつき、五部混声となったこの遠征計画は、『杜撰』の2文字がデコレーションされながら、気宇壮大なピクニックの様に実行に移されたのだ。

前線に送られ死んで行った将兵達が、これでは浮かばれない。

 

 だがそんなものでも純軍事的に見れば、十分脅威と映るのは自然な流れであった。帝国歴487年8月25日に参集した帝国軍三長官*1の会議でも、その脅威のみがクローズアップされるばかりで結局ラインハルトに命運を委ねる他の選択肢が浮かぶ事は無く、命じられる側となった当のラインハルトは、元帥府の将兵に申し出のあったジークムントの私兵艦隊を勘定に入れ、作戦準備に取り掛かっていた。

 

帝国歴487年8月26日 惑星ヴィルヘルムスハーフェン公爵領執政府1F・最高執政官政務室

 

「惑星バルドルの物資撤収は順調です。数日中には完了するでしょう。」

 

ジークムント「うむ、ひとまず3か月分は食料を残せ。その位なら、奪われてもさしたる問題ではないからな。」

 

「心得ております。資本その他については既に撤収をほぼ終えておりますので、余剰物資の搬出と、出荷可能な蘭の出荷は急がせましょう。」

 

「頼むぞ。既にボーデン星系に敵が進出したとの情報もある、そこからではどれ程寄り道しても数日の猶予しかない、急ぐのだ。」

ジークムントは自身の執務室で次々と齎される報告と情報に対し指示を出していた。

「ふぅ、一気に忙しくなったな。」

 

クーリヒ「全くですね。」

 

「では、これにて。」

 

ジークムント「うん、急げよ。」

その言葉を聞き、政務官が退出する。

クーリヒ「艦隊について報告に上がりました。」

 

ジークムント「頼む。」

 

クーリヒ「閣下の指示に従い、第3、第4艦隊は既にバルドル星系への展開を殆ど終えています。兵站については4個艦隊分の補給艦と工作艦を手配しました。2週間以内に態勢を整えられる手筈です。」

 

「そうか、それなら結構。我が第1艦隊は9月後半にバルドル星系へ進出する事とする。各部にその様に伝達してくれ。」

ジークムントのその言葉にクーリヒが聞き返す。

「それに関連する事なのですが、アースガルズのディッケンドルフ中将より、第2艦隊の進出予定日の照会が来ています。」

 

「そうか、そうだったな。第2艦隊は・・・そうだな、帝国標準時9月10日を期してバルドル星系へ進出せよ。それと、老グレゴールとクレーマン両中将に、いつでも戦闘に入れるように再度伝達してくれ。第1、第2艦隊は急報あり次第発進出来る様に準備を怠るな。」

 

「はっ、では直ちに伝達します。」

クーリヒは駆け足で執務室を退室すると、ジークムントは僅かばかり物思いに耽った。

(皆、頼むぞ。民衆達にとって、我々だけが頼みなのだ。この様な形で、民衆を蹂躙になど任せるものか。)

 

「“失礼致します!”」

ノックと共に聞こえた声で彼の想念は破られる。

「入れ!」

執務室に入ってきたのは先程退室した政務官とは別の政務官である。平民出身者である彼はいくつかの書類を携えていた。

「閣下、物流の切り替えはほぼ滞りなく終了しました。同時に領内では警備部隊を倍に増やして頂きました、こちらがその報告書と通知書です。」

 

「―――うん、確かに。通信の方はどうか。」

 

「ジャミング対策の方は滞りなく済ませました。回線の方は必要な部分についてこちらで一元使用出来る体制がもう間もなく整います。今回の計画の都合上、戦闘になるまでには間に合うと思われます。それがこちらです。」

 

「となると、向こうが好戦的気運を漲らせて居た時が問題か。ご苦労、下がって宜しい。」

 ジークムントはせわしなく自身の務めを果たしていた。彼が公爵領の最高執政官である以上避けられない事だが、その様な事さえ、この時代の領主達はその怠惰さ故に怠りがちであった。マリーンドルフ伯フランツなど良識と善政で知られる為政者はちらほらといるが、大半は酒色に溺れる者達であり、彼らが自分達を白眼視する様に、ブランデンブルグ一門もまた、彼らを白眼視していたのだった。

既にこの時期、アムリッツァ星系を始めとして回廊出口付近を中心とした80程の星系は敵である自由惑星同盟の制圧下にあり、幾つかの有人惑星もその手に落ちていた。彼らが領する惑星の一つである惑星バルドルもその危機に瀕しており、ジークムントにとっては気が抜けない時期を過ごしていた。

 

 この惑星バルドルは、その星が周回している恒星「バルドル」からそのまま命名された星であり、恒星系の第3惑星に当たる。バルドル星系はブランデンブルグ恒星系からボーデン星系方向に30.5光年程離れた星系で、回廊出入り口側のブランデンブルグ公領の外縁に近い星系なので、ジークムントはここが占領されないよう、またされた時の為に手を打っていた。

バルドルは農業惑星であり、戦略的に見て重要なものは産出しないが、それはこの星が農業に適した肥沃な土壌を多く持ち、その保護の観点から資源開発を殆どしなかった事による。その中でも特産品が蘭であり、バルドルで栽培される蘭は仄かに甘い香りと品よく整った花びらで知られ、帝国内で民衆の贈答用に度々用いられる評判の一品として知られている。

 そんな背景もあって、バルドルには警備隊程度の戦力しか駐在していない。環境保護の一環として大気を汚染しかねない大規模な艦隊駐留は行っていないからだ。しかし一方でブランデンブルグ公領には、防衛に参加する為に撤収命令が出なかった事もあり、既に2個艦隊がこの星系への進出を果たしていた。

 

―――即ち、老グレゴール率いる第3艦隊と、クレーマン中将の第4艦隊であった。

 

 

2

 

~惑星バルドル周回軌道上~

 

「ハッ、了解しております。」

 威勢よく答えたのは、戦艦ロートリンゲンに座乗するクレーマン中将である。ジークムントの再度出した、臨戦態勢を整える様にとの指示を公領軍総司令部から受けたのである。

戦艦ロートリンゲンは標準型戦艦に旗艦設備を搭載した旗艦用戦艦で、ミヒャエル・クレーマン中将の指揮の下で第4艦隊12,000隻を統率している。ディオスクロイ星系から準備万端進出してきた第4艦隊は、惑星バルドル周回軌道上で老グレゴールの率いる第3艦隊と合流、合計24,000隻の戦力で敵襲に備えていた。

「“ホッホッホッ、若いの、いつになく気合が入っておるな。”」

その様子を面白がるようにそう評したのは、同時に繋いでいた第3艦隊司令官である老グレゴールこと、グレゴール・フォン・リンツ大将である。

「そりゃぁそうでしょう、大将閣下。御取り立て頂いてから初の実戦なんですから。海賊退治や内乱とも違う、同盟軍との実戦にやっと出る事が出来る。警備艦隊にいた頃からの願いが、やっと叶うんですよ。」

 

「“そうじゃったな。じゃが、そう言う時こそ、基本には忠実にな。”」

 

「肝に銘じます。」

 その言葉に老グレゴールは満足げに頷いた。この年86になる老齢の提督だが、杖こそついているが未だに衰え知らずなのは流石軍門の出と言う所であっただろう。彼にとってクレーマンは自慢の教え子の様なものであり、その成長を見守るのが何より好ましいようであった。

一方のクレーマン中将は平民の出である事もあって、元は帝国軍でも傍流である警備艦隊出身の将校であり、相手取った事があるのは海賊と内乱を起こした私兵のみ。そこからジークムントに取り立てられた時点で十分凄い事なのであり、実戦に出る機会など当分先と思っていたクレーマンであったが、思わぬ形でその機会はやってきたのだった。

気合が漲るのも、むべなるかなと言うものである。

 

一方その頃、ジークムントの下には1人の男が呼び付けられていた。

「―――まぁかけよ。」

 

「・・・ハッ。」

その男はジークムントに促されソファに腰かけ、その対面にジークムントも座った。

「息災そうだな、何よりだ。」

そうジークムントが話しかけると男はこう言った。

「公爵閣下のお言葉により救って頂き、今日まで生き永らえております。貴方がいなければ、私は今頃元戦友の手にかかり、戦場の露と、消えていたかもしれませんな。」

 そう語るその顔は細く、しかし強い野心を感じさせる鋭い目線は、見る者に不穏を感じさせずにはいられないが、ジークムントは意にも介さない。

「そうだろうな、()()()()()()()少将。」

―――ヘルマン・フォン・リューネブルグ帝国軍少将、同盟からの逆亡命者且つ、同盟に亡命したという、二度の亡命歴を持つ人物で、第6次イゼルローン攻防戦やヴァンフリート星域会戦に参陣した白兵戦の強者である。彼は今、故あってブランデンブルグ公領で勤務する将校の一人に名を連ねていた。

「して、私などを呼び寄せるとは、公爵閣下は私ごときに何を申し付けるつもりですかな?」

 

「―――君には、ブランデンブルグ公領軍の装甲擲弾兵を指揮して貰いたい。」

 

「・・・ッ!」

その言葉にリューネブルグは目を見張った。確かにリューネブルグの得意とする白兵戦を行う部隊であり、同盟軍でも陸戦部隊の指揮をした彼にとっては願ってもない話ではある。

「―――ですが宜しいので? これまでは閣下の、いや、当主の直参部隊として手元に置かれてきたと伺っていますが。」

 

「嫌かね?」

ジークムントがそう言うと、

「滅相もない。ですが、私にその器があると?」

とリューネブルグが返す。それに対してジークムントも言葉を重ねる。

「非公式に彼らの教練を行っていた者のセリフとは思えんな。だがそれはともかく、指揮官空位と言う状況はまずい。今までは各部隊毎に行動し訓練を行っていたが、いい加減そろそろ、我が公領の装甲擲弾兵団長を置いてもよい頃だろう。」

 

「そのタイミングが今、この時と?」

 

「そうだ、帝国は開闢以来無かった外敵の侵入に浮足立っている。ただでさえ風聞の悪い貴官を要職に就かせるなら、今だろう。」

そう言うとリューネブルグはやや首を竦めながら、

「要職、ですか。たかが公爵領の地上部隊の長でしょう―――いや、それでも他の領主達にとってはメンツを示す部分。兄殺しの妻を持った我が身では、どさくさ紛れでもなければ就けられない、という事ですか。」

と彼に混ぜっ返す。

「そう、これが平穏無事な時期であれば、就任したと知るやまたぞろやかましくなるだろう。だが、帝国にも外敵が侵入する事があると知った今ならば、貴官をこの職に就けようとも騒ぐ者はおるまい。

別に(さえず)る分には勝手にさせておけばよいのだが、私にとっても煩わしくなるのでな。」

 ジークムントはうんざりしたような顔でそう言った。脳裏を過るのはフレーゲル男爵の不愉快な顔である。

だがそれを聞いてリューネブルグは言う。

「しかし、私に部隊を率いさせても宜しいので? 私は二度も祖国を売り渡した裏切り者だ。イゼルローンの時も、私はあくまで幕僚の一人として、部隊を率いる身ではなかった。誰しもが私に部隊を率いさせる事を嫌がったからでしょう。

それを踏まえた上で閣下の自慢の種、しかも装甲擲弾兵の全軍を、私如きに預けると?」

 

「貴官の能力は私も認める所だ。それを活用しないのでは、帝国の人的資源を不当に蓄財するのも同然だ。それとも貴官は、未だ尚同盟に寝返る要素があるとでもいうのか?」

 

「もしそうであるならば、私は今頃ここを逐電しておりましょう。」

 

「ならば結構、貴官を装甲擲弾兵団長に任ずるに足る。」

その言葉を聞いてリューネブルグはこう切り出した。

「―――分かりました。この身は閣下に救って頂いた。その御恩を返すべく、力を尽くしましょう。尤も、どれ程同僚と認められるかは未知数ですが。」

 

「それは、貴官のこれからの行い次第だ。貴官がラインハルト元帥を貶めようとしたような事をしなければ、最初は疎まれようが、自然と黙らせる事が出来よう。」

 ジークムントのその言葉は手厳しくもあったが同時に正論でもあった。向きもしない謀略に手を染めた挙句信用を失い、挙句帝国軍から切り捨てられかけた男である。

彼が拾わねば、ここには既にいない筈の男にかける彼の言葉は、自然厳しかった。

「・・・そうですな。この身は閣下に拾われた捨て犬も同じ。閣下への忠義を以て、その風聞を払拭してご覧に入れましょう。」

 元よりリューネブルグには他に行く当てなどない。栄達の野心半ばで凋落の憂き目にあった彼をジークムントが匿わなければ、今頃は再び最前線送りにされ、今は亡き妻の元婚約者の如く、()()()()()を遂げていただろう事は、リューネブルグ自身が一番よく心得ていた。

それでもその様な男を匿えるのは、彼は彼で元々貴族達からの風当たりが強いからでもあり、今更そこにリューネブルグと言う男を匿ったとて、それが変化するようには思われなかったと言う面が強い。

何よりヘルマン・フォン・リューネブルグと言う男は、野心家ではあったが恩知らずでは無かった。帝国軍少将としては不釣り合いな、世から匿われるような暮らしではあったが、彼の不興を買えばそれもここまでであり、並の方法で帝国軍で昇進する事が最早叶わぬ身である以上、この話を受けない理由は無かったのだった。

 

 

3

 

 その後も同盟軍は破竹の勢いで進撃を続け、9月の中旬に差し掛かる頃までに200もの恒星系を制圧、複数の有人惑星と、そこに住む五千万の帝国国民がその手に落ちた。

「我々は解放軍です。もう帝国の圧政に苦しむ必要はないのです。自由惑星同盟は、あなた方を歓迎します!」

そんなお題目が占領された有人惑星で広く唱えられる中、艦隊司令官の中には早くも疑念を覚える者もあった。

「支配層の貴族たちはみな逃亡し、被支配層の住民しか残っておりません。」

その部分に疑念を覚えたのが第8艦隊司令官のアップルトン提督である。

「敵はイゼルローンを落とされ、慎重になっているのか・・・?」

 アップルトン提督はその点に疑問を覚えた。帝国からすればたかが要塞1つの筈である。同盟領侵攻は至難の業とはなっているが、それだけの理由でこれまであれほど積極的軍事作戦を展開してきた同盟に対して、殊更慎重になる理由はない筈であった。

 

「占領地の住民は何の抵抗もなく、我々の支配を受け入れているそうです。」

 

「他の艦隊も、同様の状態なのか?」

その問いを投げかけたのは第12艦隊司令官のボロディン中将であったとされている。

「その様です。」

 その答えにボロディンは流石に違和感を覚えざるを得なかった。何故こうまで、占領に対する抵抗が無いのか。歴史を少しでも知る者なら、戦争に於いて非占領地の住民は、時に烈火の如くそれに抵抗を示すものである事は、当然理解されるものである。それがどこを掘っても見当たらないと言うのは最早奇妙ですらあった。

だがその違和感はすぐさま解消される事となった。勿論、彼の想像とは異なる形であったが。

 

「政治的権利が皆さんに与えられ、自由な市民としての、新たな一歩が始まるのです!」

 

「―――そのぉ、政治的権利とやらよりも先に、パンとミルクを分けてくれんか?」

 

「も、勿論だとも! 至急手配する。」

 宣撫班からこの報告を受けたボロディンは、一切砲火を交えていない帝国が、その実一切退く気がない事を悟らざるを得なかった。

帝国は同盟軍に対して予定通り焦土作戦で対抗、物資を根こそぎ徴発して中央に送り、意図的に物資不足の状況を作り出したのである。これにより、帝国領奥深く進行する事を前提として、半年分の物資を携行していた同盟艦隊は、瞬く間にその物資をすり減らす事となったのである。

 しかしながらここにきて、同盟軍にとっては一つのアクシデントが発生した。その発端とは、帝国領内の星系、ヴェインゲイル星系まで前進したある艦隊からの報告であった。

「なに? バルドル星系に敵艦隊が集結しているだと?」

その報告を同盟軍首脳部が受けたのは、折良くラザール・ロボス元帥ら幕僚が会議中の席上であった。

「はい。()6()()()が送り込んだ偵察艦からの情報によると、バルドル星系第3惑星の周回軌道上に、3万隻を超える敵艦隊が集結の模様との情報が入りました。」

 報告を受けた総参謀長のドワイト・グリーンヒル大将が、ロボスら遠征軍司令部幕僚らに情報を共有する。

「だが、ようやく向こうから敵が来た訳だ。敵を一挙に覆滅する好機だろう。」

 ロボスはそう言うものの、状況はそれ程楽観的なものではなかった。と言うのも、この時期既に前線には威圧的に帝国軍艦隊が散発的に現れており、遠征軍に参加した諸艦隊は、この敵の行動が何を意味するのか測りかねていたのだ。

勿論、その意図を見破っていた者もいた。

 

~同時期・ヤヴァンハール星系~

 

「敵の威力偵察だろう、取り敢えず迎撃態勢を取れ。」

 その男とは他ならぬヤン・ウェンリーだった。第13艦隊は接近してきた帝国艦隊に対してその前面に布陣を開始する。するとその動きの早さを見て取っての事か、帝国軍はすぐさま後退し、レーダー範囲からも姿を消した。

「しかしなぜ、こう何度も戦わず退く様な真似を・・・。」

ヤンの参謀長ムライ少将が述べたその至極真っ当な疑問にヤンは答える。

「多分、こちらの対応能力を測っているんだろう。攻勢の時期を、見計らう為にね。」

その答えにシェーンコップ少将が反応した。

「となるとやはり、こちらの物資不足は向こうの目論見通り、と言う訳ですな。」

 

「そうだな。いくら帝国が民衆に対し抑圧的な政策を敷いているとはいえ、社会不安が生じる程までに物資が不足しているとは考えにくい。我々に物資を吐き出させる為に、わざとこの状況を演出したんだろう。」

そのヤンの言葉を聞いていた副官のグリーンヒル中尉が、最もな懸念を口にした。

「しかしそうなりますと、補給が無ければこれ以上動きようがありませんし、このままではあと3週間足らずで、我が艦隊の物資は枯渇します。」

 

「そこの所は、キャゼルヌ少将が上手くやってくれるとは思うがね。だが、念には念を入れよう。将兵達の食事は、なるべく節制して上手くやる様に伝達してくれ。」

 ヤンの懸念はこの後、最悪の形で具現化し始める事になる。だがこの時はヤンやビュコックほどでもなければ、前線近くで蠢動する帝国艦隊に対して各艦隊注意が行きがちになっており、足元の不安になど誰も注意を払っていないと言う有様である。

あまつさえ遠征軍司令部では、敵が何度も姿を見せるだけ見せて退いて行くのを見て、「敵は戦意を喪失しつつある」などと根拠のない歓喜を唱和する始末、完全に巨大すぎるとも言える勝利に浮足立っていた。ただ、一人の男を除いて・・・。

 

~イゼルローン要塞内・後方主任参謀執務室~

 

 この部屋の名は当時貼られていたと言う書き殴りの表札であったとされる一室の中で、後方主任参謀、アレックス・キャゼルヌ少将は頭を抱えてたくもなるような心境であった。

「その報告書をもう一度読んでくれるか。」

キャゼルヌは報告に来た部下にそう言った。作戦規模に比して、随分と少ない数の後方担当スタッフの一人であったが―――。

「―――現地住民を恒久的に飢餓から救うには、住民五千万人の180日分の食糧、人造蛋白プラント40、水耕栽培プラント60。解放地区の拡大に伴い、この数値は順次大きなものとなるであろう・・・。」

それを人差し指で机を叩きながら聞いていたキャゼルヌは、ため息交じりに言う。

「穀物だけでも一千万トン、20万トン級の輸送船が50隻。全軍の2倍近い捕虜を食わせる補給計画など誰に立てられる・・・!」

 

「・・・イゼルローンの倉庫を全て空にしても―――」

 

「足りる訳がない、瞬く間にジリ貧さ。」

 そう言ってキャゼルヌはため息を一つついたのだった。イゼルローンの倉庫にこの時あった穀物と言ってもその総量は60万トン程度、要求量を鑑みれば必要量の10%にすら満たない。

こんな馬鹿げた計画でも何とか辻褄を合わせるべく、キャゼルヌは思い切った行動に出る。

 

 その頃、イゼルローン要塞の中央司令室では、遠征軍総司令官ロボス元帥が、状況図を見て悦に浸っていた。その隣には、今回の遠征計画発案者であり、作戦参謀として加わっているフォーク准将が、満足げに胸を張って付き従っていた。

「失礼します。」

そこに現れたキャゼルヌにロボスはおもむろに向き直るなり言った。

「あぁ、君か。何か話があるそうだが、手短に頼むぞ。」

 

「では、手短に申し上げます。閣下、我が軍は重大な危機に直面しております。」

その言葉にロボスは不愉快だと言う態度を隠そうともしない声色で、

「なんだね、藪から棒に。」

と言ったがキャゼルヌは続きを遮られなかった事のみを確認して続けた。

「前線からの要望書は、ご存じですね?」

とキャゼルヌが詰めると、ロボスは

「無論聞いている。少々過大な要求のきらいもあるが、占領政策上、今は已むを得ないだろう。」

と述べるに留めた。

「イゼルローンにそれだけの食糧はありません。」

 

「本国に要求を伝えればよかろう。官僚達が五月蠅かろうが、政治家共は送らない訳には行くまい。」

 

「えぇ、確かに送ってはくるでしょう。ですがそれもいつまで続けられましょう。敵の狙いは、我が軍に補給上の過大な負担をかける事にあります。つまり、帝国軍は―――」

その次の句を遮るようにフォーク准将が会話に割って入った。

「帝国軍は我が軍の補給船団を攻撃し、補給線の遮断を試みるだろう。それが、キャゼルヌ少将の見解ですか?」

 

「・・・そうだ。」

若干不満そうにキャゼルヌがそう答えると、フォークはそれを一笑に付しながらこう述べた。

「イゼルローンから前線への宙域は全て、我が軍の占領下にあるのですよ? 御心配には及ばないでしょう。

キャゼルヌ少将、これは大義の為の戦いです。リスクを冒さずして得られる勝利がありましょうか?」

その言い様にキャゼルヌも反発して

「そんな話をしに来たのではない!」

と一喝したがそこへロボス元帥が割り込み、

「もう良い、君の臆病心にこれ以上付き合ってられん。下がりたまえ。」

と些か乱暴に退室を求められてしまったのである。これに対するキャゼルヌの返答は、

「・・・申し上げるべき事は申し上げました。失礼します!」

と言い、挙手の礼を施したのみであった。

 

 同盟軍は今や、その腹の中にとてつもない量の捕虜を抱え込んだも同然の状態となっていた。全軍将兵は三千万、現地住民は五千万であり、しかも()()()である彼らが守るべきその現地住民は、帝国によって例外なく物資を全て根こそぎにされ、医薬品や衛生用品どころか、食料にすら事欠く有様である事がはっきりとしていた。

彼らの生活を保障する所から始めねばならない同盟軍は、その保障の為にまず、自分達の物資を解放地区の住民へと供出しなければならなかったのだった。そしてそれに必要な法外極まる物資の要求量に誰も注意を向ける事は無く、ただ目の前に広がる純然たる勝利の証こそが、自分達の存在意義であるとでも言う様に、そんな要求すらも当然のものとして処理されてしまったのであった。

 

―――ヤン、生きて帰れよ。死ぬには馬鹿馬鹿しすぎる戦いだ。

 

無念にも似た思いを抱きながら去る後姿をロボスは既に見ておらず、フォーク准将はまるで嘲笑うかのような目で一瞥をくれたのみであった。

 

 

4

 

 その後、司令部の裁可を受けて最高評議会に届けられた軍の要求書は、政治問題にまで発展するほどの騒ぎになった。自由惑星同盟はこの長期にわたる戦争を戦い抜く為に、物も人も、既に絞り出せる限界に近いリソースを長い年月を経て吐き出した後であり、社会運営そのものに既に影響が出始めていた。

しかもこの直近で失った200万の将兵と、失った物資を工面する為に人材が更に社会全体から引き抜かれた後であり、そこにつけて今回の余りに莫大な要求書が突き付けられたのだ。今回の出兵をここまでにすべきか否か、つまり、継戦か撤兵かと言う議論へ発展するのにそう時は掛からなかった。

 

 コーネリアス・ウィンザー夫人を筆頭とする継戦派は、「現時点に於ける撤兵には何かしらの成果が必要不可欠であり、軍はそれに見合った成果を上げた訳ではない。我々自由惑星同盟の大義の為、今こそ挙国一致してこの難局を乗り越えるべきである。」と述べ、断固として遠征は継続されねばならないと主張した。

一方、撤兵を主張する財務委員長ジョアン・レベロは、「そもそもこの遠征を始める時点でさえ、我々が持てるリソースは限界に近かったのにもかかわらず、いざ蓋を開ければ余りにも膨大な量の物資を要求してくる有様。今ならばまだ間に合う、傷の浅い内に撤兵すべきである。」として継戦派に真っ向から対峙し、議論は紛糾を重ねた挙句、様々な発言が物議を醸した挙句、政権支持率の低下にまで繋がってしまったのである。

 そして最終的に軍部からの要求は撤兵の可否を巡る議論へとすり替わる形で票決にかけられ、反対5・賛成4・棄権2で撤兵案は否決されてしまい、ここに軍部の要求物資が前線へと送られる事が決定したのである。

その物資の量は余りにも膨大な量であった為に、20万トン級輸送船が100隻あっても全く足らないと言う、空前の大船団が組織される事となった。だが、ここで彼らが素通りさせてしまった問題が一つ存在した。それは―――

 

“輸送船を守る護衛艦艇が規模に比して圧倒的に不足していた”

のである。

 

~9月31日~

 

この日、ローエングラム元帥府の執務室に、キルヒアイス中将が呼び出されていた。

「―――イゼルローンから、前線へ補給艦隊が派遣される。敵の生命線だ。お前に与えた兵力の全てを挙げて、これを叩け。細部の運用は、お前の裁量の任せる。」

 

「かしこまりました。それでは。」

そう応答して執務室を出ようとしたキルヒアイスをラインハルトが、

「待て。」

と言って引き留めた。

「この作戦に納得していないようだな。」

 

「いえ、その様な事は・・・。」

キルヒアイスがそう言うとラインハルトは

「お前の考えている事など、お見通しだ。」

 

「・・・確実に勝利を得る為の作戦と心得ております。ただ―――」

 

「民に皺寄せの行く戦法は好まぬ、か?」

 

「―――。」

あの日、運命的な出会いをした時からずっと共に在った無二の親友同士、肝胆相照らす中とは、正にこの事だった。だがこの時のラインハルトの答えは必ずしも満額回答ではなかったかもしれない。

「勝つ為だ、キルヒアイス。」

 

「―――はい、分かっております。」

キルヒアイスは僅かに微笑んでそう言った。こうしてキルヒアイス指揮下の艦隊は、諸将に先駆けてオーディンを発った。帝国軍の作戦が、遂に発動されようとしていた。その一方同盟軍では、既に抜き差しならない状態に陥りつつあった。

 

「足りない物資は現地で調達せよだと!?」

「それでは我々に略奪を働けと言う訳か!?」

「ないものをどうやって略奪しろと言うんだ!!」

 同盟軍各艦隊では物資不足がピークに達していた。食糧はどの艦隊も、民への供与分を考慮して1週間分を残すのみになってしまっていた。継戦派の政治家達が自己の保身に躍起になる余り、議論を長引かせてしまった事が深く影響していた事は言うまでもない。彼らはどんな宝よりも貴重な数日と言う時間を空費してしまったのだ。

余りの事態に第5艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック提督などは

「補給の失敗は、敗退への第一歩だ。司令部は大言壮語をどこへ置き忘れた・・・!」

と、痛烈に司令部を批判する言葉を残したとまでされている。

 

この状況は第13艦隊も同様であり、ヤン・ウェンリーは指揮机の前で佇んでいた。

「皆さんお怒りのようですな。」

シェーンコップが切り出す様にそう言うと、ムライが答える様に

「当然です。我が艦隊の食糧も後僅か。しかし今ここで、民を飢えさせる訳にはいきません。」

と言った。ムライ少将の意見は一般論でこそあったが正鵠を射ていた。第13艦隊の占領地域だけでも数百万の()()が存在し、かつ悩みの種は同じ物資不足と言う同源のものであった。なまじお互い同じ悩みを抱えるもの同士、融通が効かなくなってしまうのは自然な流れでこそあった。

「帝国軍が彼らに食糧を運んでくれば、帝国臣民は迷わず“皇帝万歳”を叫ぶんでしょうなぁ。」

とシェーンコップが茶化す様に言うと、今度はパトリチェフが言う。

「なぜ我々が飢えてまで、そんな連中を食わせねばならないのです!」

 

「パトリチェフ。」

ムライが諫める様に首を振って言うと、その問いに答えたのは、黙って聞いていたヤンであった。

「我々が、ルドルフにならない為さ―――」

 銀河帝国の開祖ルドルフは、民衆に対しては苛烈な態度で臨み、国家の利潤を最大まで引き上げる事と、それを国家の発展の礎と為す事に並々ならぬ努力を注いだ。結果としてそれは、民の一部に皺寄せを与える事となり、それは更に帝国臣民の1%にも遠く及ばなかったが故に無視された過去がある。

その点を、ヤンは重い故事として指摘したものであった。

「中尉、至急ウランフ提督に繋いでくれ。」

 

ヤンが通信をした相手であるウランフ中将は、第10艦隊を率いて隣の解放地区にいた。尤も通信越しにもその顔には、普段の精気は薄れて見えた。

ウランフ「おぉ、ヤン・ウェンリー。珍しいな。」

 

ヤン「ウランフ提督も、お元気そうでなによりです。」

 

ウランフ「元気なものか、貴官と同じ悩みを抱えてるんだぞ。」

その言葉にヤンは少し笑ってから真顔に戻ってこう切り出した。

「ところで、食料の備蓄状況は如何ですか?」

その問いにウランフは事前に答えを用意してあったかのように

「あと1週間分を余すのみだ。それまでに補給が届かなければ、占領地から徴発―――いや、言葉を飾っても仕方がないな。占領地から略奪する他にない。」

“解放軍が聞いて呆れる―――”そう自嘲気味な口調で締めくくったウランフの言葉には、彼らが置かれた窮乏がありありと投影されていた。進むにも退くにも苦しい現実、三千万将兵が、この帝国領と言う広大な宇宙空間に窒息死しかねない現実であった。

「それについて、私に考えがあるのですが―――」

そう言って告げられた彼の言葉は、ウランフを驚かせるには十分であった。元々攻勢的な彼である、思いもよらなかったとも考えられるが・・・

「撤退だと!? 一度も砲火を交えぬ内にか?」

 

()()()()()()()です。敵は我が軍の補給線に負担を強いて、我々が飢えるのを待っています。」

 

「帝国軍は機を見て攻勢に転じて来ると言うのか。」

 流石に歴戦のウランフ提督である。伊達に戦場を潜ってきた訳ではない彼は、ヤンの言わんとする事をすぐさま理解した様であった。ヤンは自身が信頼を置く先達の一人に言葉を重ねた。

「恐らく、全面的な攻勢です。地の利は向こうにある、補給線も短くて済む。ここは敵の懐の内です。」

 

「だが下手に後退すれば、却って敵の攻勢を誘う事になりはせんか? ともすれば、藪蛇もいい所だぞ。」

 

「反撃の準備は十分に整える。それは、大前提です。今ならそれも可能ですが、兵が飢えてからでは遅い。そうなる前に、整然と後退するしかありません。」

その言葉を受けたウランフは、それを飲み込むように少し押し黙った後、「続けてくれ」と言い、それを受けたヤンは更に自身の考えを述べた。

「我が軍が後退するのを見て、全面的潰走と判断するならばそれも結構、追ってくるならば、反撃の方法はいくらでもあります。“時期が早すぎる、これは罠だ”と判断するならそれもよし、無傷で退く事が出来るかもしれません。可能性は高くありませんが、それも日が経てば、低くなる一方でしょう。

我々が今取れる最良の手段は、一刻も早く、撤退する事です。」

その言葉を黙って聞いたウランフ提督は、またも少し考えるように押し黙った後、薄目を開いて言う。

「―――分かった、貴官の意見が正しかろう。撤退の準備をさせる事にする。」

その言葉にヤンが安心したように「良かった」と言うと、ウランフはこう口にした。

「だが他の艦隊や総司令部へはどの様に話を付ける?」

それについてヤンは既に答えを用意してあった。

「ビュコック提督にお願いしようかと思います。あの方から各方面に話して頂いた方が、私が言うよりも、効果的だと思うのですが。」

その答えにウランフも微笑しながら、

「では、お互いに急いで事を運ぶとしよう。」

と言い、両者は挙手の礼の後通信を切った。

「提督の意見に、賛成です。」

開口一番パトリチェフがそう言った。次いでムライ、シェーンコップも同様に賛意を示す。

「いや、誉めても何も出ないよ。」

などとヤンが言っていると、友軍からの急報が彼らの元へ飛び込んできた。

「第8艦隊の占領区域で暴動発生、極めて大規模なものです!!」

 

 それは、自由惑星同盟軍が最も恐れていた事態であった。占領地区の住民達に行き渡る物資が無くなれば、その怒りは当然、それを怠った同盟軍に向かう。それはやがて大規模な暴動となって弾ける。

何度も何度も繰り返されてきた光景が、今正に目の前で起きていたのだ。惑星上で立ち上る幾筋もの黒煙は、いずれも同盟軍が仮に接収して使っていた館や施設からのものである事は容易に理解出来る事であり、この事は、彼らが占領地の統治に失敗した事を示していた。

「占領地住民との信頼関係を築く事は、恐らくもう・・・」

フレデリカがそう言うとヤンも言った。

「敵は我々と住民との仲を裂く事に、見事に成功したと言う訳だ。」

 全ては、帝国元帥、ローエングラム伯ラインハルトの策略の結果であった。その余りにも徹底された手法は、ヤンも認める所であった。そしてヤンも同意したフレデリカの言葉の裏にはもう一つの側面が存在した。それは、帝国臣民の同盟に対する意識である。

 帝国臣民150億は、長すぎる戦争故に、自由惑星同盟を名乗る叛徒に対する敵意と言うものは残っておらず、ただ日常として戦争が存在しているのだ、と言う、まるで海賊か何かと戦い、それによって多数の死者や捕虜が出ているかのような錯覚に近い意識が醸成されつつあった。しかしこの事態は、そんな気抜けした帝国臣民に対し、改めて自由惑星同盟と言うものに対する強い敵愾心を植え付ける事にすら繋がったのだ。

自由惑星同盟と戦争を続ける彼ら帝国にとって、これ程好都合かつ容易で、しかも有効な策略は、他に存在しなかっただろう。

(やれば勝てると分かっていても、自分には到底ここまではやれない。全く見事だ、ローエングラム伯―――)

戦いの第一歩は、敵を侮らぬ事。思えば、それが出来ていれば、彼らはこんな相談をしなくて済む筈だったのだが―――。

「・・・ビュコック提督に繋いでくれ。」

しかしながら、ヤン・ウェンリーに立ち止まる事は許されなかった。彼はウランフの賛意によって見えた最後のチャンスを現実のものとする為に動き始めたのである。

 

 

5

 

~10月1日~

 

 第5艦隊司令官にして、同盟軍の最年長者でもあるアレクサンドル・ビュコック中将は、各艦隊司令官の同意を取り付けた上で総司令部に対し撤退を具申、その上で、総司令官であるロボスへの直接対談を求めていた。

「ビュコック提督、何か御用でしょうか。」

だが画面に現れたのはロボスではなく、その巾着袋であるフォーク准将であった。

「貴官に会いたいと言った覚えはないぞ。呼ばれもせんのに出しゃばるな。」

 

「ロボス閣下への上申の類は、全て私を通して頂く事になっております。」

フォークが怯んだ風もなく飄々とそう言うとビュコックも、

「貴官に話す必要はない。」

と突っぱねようとした。だが、

「ではお取次ぎする訳には行きません。どれ程身分の高い方であれ規則は順守して頂きます。通信を切っても宜しいですか?」

等とフォークが言った為に、ビュコックはうんざりしながらもこう簡潔に述べた。

「―――前線の各指揮官は撤退を望んでいる。その件について、総司令官閣下のご了解を頂きたいのだ。」

 

「ヤン提督は兎も角、勇敢を以て成るビュコック提督までもが、戦わずして撤退を主張なさるとは、意外ですな。」

その言い草は半ば中傷に近いものがあり、さしものビュコックも不愉快そうに、

「下劣な言い方はよせ、そもそも貴官らがこの様な無謀な出兵案を立てなければ済んだ事だ。今少し責任を自覚したらどうか。」

とやり返すと、フォーク准将が雄弁にその舌を回し始めた。

「小官ならば撤退などしません。我々同盟軍が大義の旗を奉じ、帝国軍を一度に葬り去る好機であると言うのに、貴方方は一体何を恐れているのですか!」

が、その余りの言い草に聞いている方は遂に取り合わなくなった。

「・・・そうか、なら代わってやる。私は、イゼルローンに帰還する。貴官が代わって、前線に来るがいい。」

 

「出来もしない事を仰らないで下さい。」

 

「不可能事を言い立てるのは貴官の方だ。それも、安全な場所から動かずにな。」

その言葉にフォークもこめかみを震わせながら、

「小官を、侮辱なさるのですか。」

と言ったが、ビュコックはそんな言葉で動じるような男ではなかった。

「大言壮語を聞くのに飽きただけだ。」

彼はそう言うと通信画面に向き直ると、痛烈に彼を批判すると言う芸当を披露したのだ。

「貴官は自己の能力を示すのに弁舌ではなく、実績を持ってすべきだろう。他人に命令する事が自分に出来るかどうか、貴官自らやってみたらどうだ!」

 その言葉は、同盟軍士官学校を首席で卒業し、エリート街道を邁進して来た彼にとって、これ以上ない挫折であったのに違いない。だがそれは同時に、ビュコックが予想だにしない現象となって表出した。

それを聞いたフォークが、言葉にならない叫びと共に卒倒してしまったからである。余りの出来事にビュコックでさえ呆然と「何事だ」と呟くしかないほど突然の事であり、画面の向こうでも周りにいた者達が大騒ぎになる事態に発展したのだ。

 

10分ほどして、画面の前に総参謀長のグリーンヒル大将が立った。

「ビュコック提督。御見苦しい所をお見せし、恐縮です。」

それを聞いたビュコックも胸を撫で下ろしたように「漸く話の分かる者が出てきましたな」と言ったとされる。

「一体、どうしたのです、彼は。」

流石に心配になったビュコックがそう問うと、グリーンヒルは軍医の所見をそのまま告げた。

「どうも、転換性ヒステリー症による神経性盲目によるものだそうです。」

 

「ヒステリー?」

 

「なんでも、挫折感が著しい興奮を引き起こし、発作が起きたとの事です。原因が精神的なものですので、それを取り去らない限りは、また何度でも、同様の発作を起こすだろうと。」

それを聞いたビュコックは目を丸くしながらどうすればよいのかと尋ねると、グリーンヒルはこう答えた。

「逆らわず、挫折感も与えず、全てが彼の思う通りに運べばよいそうです。」

それを聞いたビュコックもうんざりした様に、

「本気で言っているのかね。」

と言うとグリーンヒルもまた、

「彼の今後の処遇については、自ずと定まりましょう。」

と言った。

「当然だ、彼は退くべきだ。幼児と同程度のメンタリティしか持たん奴が、三千万将兵の軍師だなどと知ったら、帝国軍が踊りだすだろうて。

 それで、撤退の件はどうなりましたかな? 前線の将兵は肉体的にも精神的にも戦える状態にないのです。」

 

「暫し、お待ちください。総司令官のご裁可が必要です。即答出来かねる事を、御承知頂きたい。」

 

「事は急を要しているのです! 非礼を承知で申し上げるが、総参謀長、総司令官閣下に直接お伝えできるよう取り計らってくれませんかな?!」

ビュコックが詰め寄る様にそう言うと、グリーンヒルは苦虫を噛み潰したように苦い顔になりながらこう言った。

「・・・総司令官は今、お休みになられています。」

 

「はぁっ!? 今、なんと仰った!?」

 

「総司令官は今、お休みになられています。敵襲以外は起こすなとの御命令です。提督のご要望は、起床後にお伝えしますので、どうか、それまでお待ちを。」

 その答えは、この危機的状況をまるで見ていないかのような言い草であった。無論グリーンヒル大将はこの状況を認識していたが、ロボスやその他のスタッフの殆どが、職務怠慢であった事は最早異論の差し挟みようがなかった。

そしてこれに対してビュコックは決断を下す。

「宜しい、よく分かりました。この上は前線指揮官として、部下の生命に対する義務を全うするまでです。お手数をおかけしました、総司令官がお目覚めの際には良い夢はご覧になられたかと、ビュコックが心配していたとお伝え願いましょう。それでは!」

 

「提督!」

 そのグリーンヒルの声が最後まで届く事は無かった。こうしてビュコックは司令部を無視して行動する事を決めたのであったが、これは同時に、同盟軍がその損害を局限する最後のチャンスを逸した事をも意味していたのだった。

 

 

 時を同じくして、元帥府には迎撃に参加する諸将が参集していた。

「キルヒアイス提督の指揮する艦隊が、叛乱軍の補給艦隊を殲滅した後、我が軍は大攻勢に転じます。かねてからの作戦に則り、速やかに反徒共を相当する事を望みます。私からは以上です。」

オーベルシュタインがそう述べて一歩下がると、ラインハルトが口を開く。諸将の手にはワイングラスが握られていた。

「我が軍は、被占領地の奪還と共に、民に食糧を供与する。叛乱軍の侵攻に対抗する為とはいえ、民に困窮を強いた事は、私の本意ではなかった。此度の戦いに勝ち、我らこそが、地統べる力秀でたる事を、事実によって証明するのだ。叛乱軍の身の程知らず共を、生かして帰すな。ミッターマイヤー^、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ケンプ、メックリンガー、ワーレン、ルッツ。卿らの武勲に期待する!」

 

「「ハッ!」」

 

「卿らの上に、大神オーディンの恩寵あらん事を。プロージット!」

 

「「プロージット!」」

そして諸将はワイングラスを傾け、その最後の一滴まで飲み干すと、ラインハルトが投げ下したのに続けて次々と床に叩き付ける。

 

 

~10月2日~

 

 この時イゼルローン回廊とアムリッツァ星系の航路上には、200隻を超える超大型輸送船が、前線将兵の待ち侘びる物資を腹一杯に詰め込んで船団を形成していた。しかしながらそれを守る護衛艦艇の数は、余りに少なかった。

この時船団周囲を警戒していたのは、グレドウィン・スコット准将が指揮する分艦隊がたった1つのみであり、その編成は事実上1個戦隊レベルのものであった。即ち、戦艦4・巡航艦28・駆逐艦20とその他小艦艇と言う、輸送船団の威容に比して余りにも貧弱極まると言わざるを得ない。

 

「帝国軍は必ず貴官らを狙ってくる! 常に臨戦態勢を解かず、必ず補給物資を前線へと送り届けてくれ。」

 

(等と後方主任参謀殿は仰られたが、こんな所に敵はおるまい。第一、奴らは帝国領奥地に逼塞したまま出て来んではないか。)

 そのスコット准将は、僚艦に警戒態勢を取らせる事もなく、あまつさえ自身は幕僚らと趣味の三次元チェスに興じている有様であったのだ。キャゼルヌからの警句は、あからさまに無視された形になっていた。

この時の同盟軍は、後方勤務の者達ほど事態を楽観視、ないし軽視しており、この護衛部隊も元はと言えば後方の警備部隊を殆どそのまま持ってきたもので、状態や装備の良い艦を寄せ集めて来ていた上、肝心な装備も大半が旧式であった。全軍の6割を一挙に動員した、これが代償であった。本国に残っていた第1艦隊と第11艦隊は動かす訳には行かず、また動かせたとしても予算が付かないので動かす事が出来ないのだ。

普通、この規模の船団ならそれこそ数千隻規模の艦艇を以て厳重に防御するのが常識である。それすら忘れ去る程の楽観と、物理的に不可能な現実が折り重なって、致命的に近い状況を生み出していた。

「提督、至急ブリッジへ。」

 

「前線で何かあったのか。」

スコット准将の言葉は余りに暢気なものであったから、副官のフォード中佐も流石に口調を正さず、

「前線ですと? ここが前線です! あれがお見えになりませんか!」

その一言は流石にスコット准将の頭に冷や水を浴びせる程の効果があり、彼が注目すると、そこには空間センサーの探知範囲一杯に明滅する赤い輝点の群れが目に入ったのである。

「前方に艦影多数接近、帝国艦隊の模様、数およそ8,000、10,000、15,000・・・二万隻を超えています!」

それは余りにも、彼らの常識を超えた数であったが、同時にその接近に対して、彼らは何の備えもしていなかったのである。

「“ミサイル接近、迎撃しろ!”」

 

「“駄目だ、数が多すぎる!”」

 その弾頭の数は、補給船団に対するには余りに常軌を逸していたとさえ言える量であった。これにより駆逐艦以下は瞬く間に爆沈、残りの護衛艦は殆どが漂流を強いられるような有様であり、既に輸送船も3割以上が沈むか航行不能に陥り、残余も何かしらダメージを受けていた。

「馬鹿な・・・たかが補給部隊1つに、これ程の戦力が―――何故だ!?」

その答えを、スコット准将は遂に知る事は無かった。ミサイルの第2波により、残った護衛艦も一網打尽にされ、彼もまた()()()()()()として、先立った者達の後を追ったからである。

そこからは最早狼が羊の群れを追うのに似ていた。いや、最早それよりも凄惨な掃討戦であった。既にまともに逃げる術さえ持たない輸送船団は、前線将兵が喉から手が出る程待ち焦がれる補給物資を抱いたまま、虚空へと消えていく。

その間―――僅かに10分余り。

 

 襲撃したのは、ジークフリード・キルヒアイスの率いる15,000隻の艦隊に、元帥府の持つ予備部隊を付けた25,000隻の部隊である。キルヒアイス艦隊はこの頃の帝国軍にはラインハルト直衛艦隊とキルヒアイス艦隊の2つしかない完全編成の宇宙艦隊であり、その他の艦隊が1万隻から1万2000隻程度、帝国諸侯の艦隊で唯一正規艦隊と同一の編成をされているブランデンブルグ公艦隊は、艦隊自体が8,000隻であり、分艦隊を複数つけて正規の1個艦隊と同じ程度にするよう辻褄を付けているのを考えると、この規模の編成が如何に巨大であるかが分かるだろう。

有体に言って、たかが数十隻程度の護衛部隊では、存在しないも同義である。

「―――終わりましたね。」

旗艦「バルバロッサ」の艦橋で、キルヒアイスは確認する様にそう言った。

「はい。敵補給部隊は、護衛艦から輸送船に至るまで、1隻残らず仕留めたようです。」

そう答えたのは脇に控えていたホルスト・ジンツァー大佐である。

「・・・では、元帥府並びに、ブランデンブルグ公国軍司令部へ打電して下さい。」

 

敵補給船団は全滅。

我が方の損害、戦艦1隻中破のみ。

―――舞台は今や、整いつつあり。

 

 その末文は、彼の人柄を端的に示していただろう。簡潔にして明瞭、不必要な文言は一切なしに、自らの為した事をこの両者に報告するまたとない文章であった。

「ジークフリード・キルヒアイス、あの赤毛の副官は、やはり切れ者だな。ローエングラム伯とは切っても切れん男だと思う。」

そう言ったのはこの報告を受けた片割れのジークムントであった。

「はい、そう思います。」

クーリヒも頷いて答える。

「空恐ろしいものだな、敵であるならば。」

そう呟くや否や彼は、旗艦の指揮席を勢い良く立ち上がる。

「ディッケンドルフ、グレゴール、クレーマン!」

3人の顔は直ちに彼の前に投影された。

「機が満ちつつある。全艦隊、ヴェインゲイル星系へのワープ準備に入れ。あの臆病者共に鉄槌をくれてやるぞ!」

 

「「“ハッ!!”」」

 

「―――全艦隊将兵に告げる。この戦いの意義は、敵1個艦隊を掃滅する事により、帝国軍主力の決戦行動を有利ならしむるにある。ラインハルト元帥は敵戦力の誘因のみを命じられたが、我々はこれを覆滅した事を以て戦功とする。

全将兵がその訓練の精華を発揮し、一糸乱れる事無く我が下知に従えば、この戦いは確実に勝利する事が出来よう。諸君らの忠節と奮励に期待するや切である!」

 ジークムントのその言葉は、艦隊全将兵の意気を大いに上げた。自分達が忠誠を尽くすに足る男と共に、神聖なる帝国の国土を(ほしいまま)にする憎き賊軍を討伐する―――意気上がらぬ方がおかしいと言うものであろう。

「我ながら、月並みだな。」

ジークムントがそう言うと、

「それでも良いのです。閣下が皆の心を掴んでおいでだからこそ、月並みの言葉であっても、彼らは心を震わせるのですから。」

とクーリヒが励ます様に言った。ジークムントもそれに一つ頷くと、

「だとよいのだがな。」

と言い、それ以上言葉は連ねなかった。

 

同じ頃、ブリュンヒルトでも同じ内容を受信していた。

「これで、敵の補給線を断つ事に成功しました。」

オーベルシュタインは淡々とそう言った。

「諸将に繋げ。」

ラインハルトがそう命じると、パネルに7人の提督が映し出された。ラインハルトは麾下の提督達に向けてこう告げた。

「予てからの計画に従い、総力を挙げて同盟軍を討て。」

 

「「“ハッ!”」」

 

~10月8日~

 

「前方に艦影多数、帝国艦隊の模様!」

 この日、前線に展開していた各艦隊でほぼ同時に、帝国艦隊が戦闘隊形で出現する。その動きは紛れもなく、これから一戦を交える者達の態度と行動であり、彼らは否応なく、これまでの動きとは異なる事を感じ取っていた。

「来るぞ。総司令官及び、各艦隊司令部に連絡。“我、敵と遭遇せり”とな。」

 

「ハッ!」

 真っ先に敵と遭遇したのは、惑星リューゲン上空にいた第10艦隊である。これを皮切りとして、ほぼ同時多発的に各艦隊は敵と接触する事となる。相手は後に帝国軍で尤も攻撃的かつ勇猛で鳴らす、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将率いる艦隊―――黒色槍騎兵艦隊(シュワルツランツェンレイター)である。

(もう少し早く、撤退する腹を括れていれば―――。)

 ウランフがその様な思いを抱く中、ビッテンフェルトの最初の攻撃は、リューゲンを挟んで反対側、第10艦隊からは死角となる位置から放たれたミサイルによるものであった。

「地の利は人の和に如かず。」

その報告を受けたウランフはこの様に述べたという。

「じきに第13艦隊も救援に駆け付ける! あの奇跡のヤン(ミラクル・ヤン)がだ! 勝利は疑いないぞ!!」

 無理であろう、その事はウランフが最もよく理解していたが、兵を鼓舞する為、彼は自身らの位置から最も近い第13艦隊を持ち出して言った。そして事実、他の同盟軍はそれぞれに、帝国軍と交戦状態へと突入していた。

第3艦隊はワーレン艦隊と、第5艦隊はロイエンタール艦隊と、第7艦隊はキルヒアイス艦隊と、第8艦隊はメックリンガー艦隊と、第9艦隊はミッターマイヤー艦隊と、第12艦隊はルッツ艦隊と、第13艦隊はケンプ艦隊との間で、それぞれ戦闘に発展、孤立し、士気も下がり、補給も不足した状況で、地の利も戦力も優勢で、士気も高い敵艦隊が、全てが足りぬ同盟軍に襲い掛かっているという状況であった。

 

 その頃、同盟軍で唯一、士気も物資も充実していたと言える部隊がある。それは、ヴェインゲイル星系にいた第6艦隊であった。

「ば、馬鹿な・・・なぜこれだけの数が―――!?」

新生第6艦隊旗艦「グラウコス」の艦橋で、司令官のアレックス・マグダレン中将は、顔面蒼白の面持ちでスクリーンを見つめていた。

 

 

6

 

 話は数時間前に遡る。

「何、補給部隊が攻撃されただと!?」

マグダレン中将はブリッジでそう叫んでいた。

「ハッ、既に全滅したものと推定されます。」

参謀長のベルモント大佐が、冷静な分析を口にした。

「我が艦隊の物資状態は?」

 

「持って3週間かと。戦闘は可能ですが、それでも近日中に、進退を決しません事には・・・。」

 第6艦隊の15程の星系を内包した占領地域には、幸運と言うべきだろうか、可住惑星は殆ど存在しなかった。よって彼等は物資を流出させる様な状況には陥っておらず、当面の遠征用にと半年分渡されていた物資をある程度残してはいた。

しかしながら、それでも3か月が経過しようとしていたこの時期にはそれ程多く残されていた訳ではなく、無人星系であるヴェインゲイル星系で、優勢な帝国艦隊*2と睨み合っている状況では、進む事も難しく、退く事も厳しい。第6艦隊は他の艦隊に物資も融通していた状況でもあり、今度も彼らが友軍を助ける立場でもありながら、彼らは動けずにいた。

 

 この理由は2つ存在した。1つに、このヴェインゲイル星系の地理的要因が挙げられる。

この星系はガス惑星と氷結惑星から成る8つの星と、それらに付随したいくつかの衛星、3つの小惑星帯(アステロイドベルト)、そして、それらを束ねる恒星ヴェインゲイルから構成されている。が、この白色矮星はその星系規模に比べれば小さい星であり、低軌道にはガス帯が渦巻いており、安定しているとはいえ、弱々しい光は不安すら抱く様な場所である。

 だがこの恒星は強力な磁力線を放出しており、更に星系の構造からか複雑な恒星風が吹き荒れると来ては、以前から資源目的での作業船以外、商用航路として以外に用いられる事はない。言ってしまえば、この宙域自体が巨大な要害であり、鳥籠でもあったのだ。

即ち―――第6艦隊宛に他艦隊の救援に向かう様にと言う命令文が届かなかったし、第6艦隊からの定時連絡も、磁気嵐により途絶しがちだったのだ。補給船団全滅の報も、幾つかのルートを中継して、今になって漸く届いたという有様だったので、その狼狽ぶりは一入だった。

 

 2つ目として、司令官の気質があった。これは、彼の事を後に評したヤン・ウェンリーの弁を引用するのが早いだろう。

「アレックス・マグダレン中将は、物事に対する堅実さでは、恐らく右に出る者は当時居なかっただろう。全てに於いて手堅く、故に、彼は事務畑を専門にしてきたが、一応分艦隊司令官の経験を持つと言う事と、艦隊司令に付けられる適任がこの時期いなかった事もあり、艦隊再編の為の一時的な人事のつもりで任命されたに過ぎなかった。

だが、その手堅さが、彼の身を滅ぼしてしまったと言える。彼は、辿()()()()()()()()()()()()を待ち続け、現実と定石を天秤にかけ続けた事で、結果として時機を逸してしまった。その結果、彼は敗れたのだ。」

 

「どうされますか、提督・・・。」

 

「・・・我々は命令を待つ。何かあれば、総司令部から何か言ってくる筈だ。」

 

「お言葉ですが、この星系の性質を鑑みますと、命令を待っている間に、手遅れになるやもしれません。敵は我が方へ大規模な攻勢を企図しているかもしれません。そうなってからでは遅いのです。我々は幸い物資もあり、戦えます。ですが―――」

 

「だがその推測に基づいて動き、藪蛇になってしまえば、我々は敵味方双方から不利な立場に立たされる事になりかねない。今は命令を待つ、我々の手元にはこの星系のせいで、情報も少ないのだ・・・。」

マグダレン中将はこの時動く事を選択しなかった。これが、同盟全軍に少なからぬ影響を及ぼしたのは確かではあり、大きな失敗でもあった。

 

 

同じ頃、ジークムントの方も動き始めていた。

「―――クーリヒ、偵察艦からの連絡はどうなっているか。」

ジークムントは旗艦『アイゼンシュタット』の指揮席で、傍らのクーリヒにそう尋ねていた。

「敵艦隊に動きはありません。あの星系の特性を鑑みるに、情報が届いていないのではないかと。」

 

「そうかもしれんな・・・。」

 

「それと一つ。」

クーリヒがそう付け加える様に言ったのに対し、

「何だ?」

とジークムントは促した。

「我々以外にこの宙域へ艦を送り込んでいる者がいるようです。少なくとも、2()()()()()です。」

 

「何?」

ジークムントが怪訝そうな顔をして言うと、クーリヒが説明を始めた。

「1つは帝国軍の偵察艦で、所属はキルヒアイス艦隊との事です。」

 

「―――信用されてないかな?」

 

「念の為、と言う事でしょうね。情報収集を兼ねているのかもしれません―――」

そこまでクーリヒが言った所で、オペレーターから通信が入った旨の報告があった。彼がパネルに出す様伝えると、キルヒアイスからのものであった。

「“ジークムント上級大将。”」

 

「キルヒアイス提督か、どうした?」

 

「“そちらのご準備は如何ですか? 必要ならば、こちらから増援を出せますが。”」

キルヒアイスの用件はとどのつまり、必要なら増援を出す、と言う気遣いの通信であった。

「・・・我が艦隊は予定通り、全艦隊稼働状態にあり、間もなくワープに入るところだ。お気持ちのみ頂戴する。我らの戦いぶりは、そちらの派遣した偵察艦を通じ、とくとご覧あれ。」

 

「“・・・了解しました。ご武運を。”」

そう言ってキルヒアイスは通信を切ったが、その後ベルゲングリューンにこう言ったという。

「ジークムント提督は、私の送り込んだ偵察艦を見抜いておいでか。気を悪くされただろうか?」

それに対しベルゲングリューンは、

「撤収させますか?」

と訊き、それに対する答えは、

「・・・いえ、このまま任務を継続させて下さい。」

であった。キルヒアイスとしては、ジークムントと言う男がどの様な戦い方をするのか、彼が今後ラインハルトの敵であれ味方であろうと、判断する事が出来るようにと見守るつもりであった。そしてこの行動は偶然にも、彼らブランデンブルグ公爵家が隠し抜いてきた、数十年来の至宝を目にする事となる。

 

「―――どうされますか、()()の存在もあります。」

通信が切れた後、クーリヒはジークムントに先の続きをそう述べた。

「見たければ見せてやろう、額縁付きでな。それで度肝を抜くもよし、呆れるもよしだ。これが、我が軍の力だという事を知らせてやろう。」

 

「ハッ。」

ジークムントもことこの様な情勢の最中では、最早このカードを隠すつもりは毛頭ない。ならばいっそ、特等席で見守らせてやろうと考えたのだった。

「それで、2つ目の勢力とは?」

ジークムントが尋ねると、クーリヒは答える。

「どうやら帝国にあるフェザーン資本の民間船のようです。が、それにしては隠蔽対策が強行偵察艦並みで、装備もそれに類するものであるかと。」

 

「・・・フェザーンの情報収集艦か。」

 

「恐らくは。」

 

「狐共め、どこにでもいるな。」

ジークムントはそう言って顔をしかめた。今回共闘するキルヒアイス艦隊は兎も角、余所者に見られるのは気分の良いものであろう筈がない。なまじ、彼らの機密が絡むのだ。

「こちらはどうされますか?」

 

「そうだな、何をしてくるか分からん。この直衛分艦隊から巡航艦1、駆逐艦5を派遣して追い出せ。警告に従わなければ撃沈して構わんと伝えろ。」

 

「宜しいので?」

 

「フェザーンの狐に渡すものなど一つもないし、どの道自分達の秘密の種だ、補償など求めては来るまい。渡してやるのは金だけだ。」

彼はきっぱりとそう断言し、ヴェインゲイル星系へのワープに入ったのである。

 

 

「前方に艦影多数。識別信号無し、帝国艦隊です!」

 

「くっ、隣接星系から消えた艦隊か、数は!」

 

「詳細不明、2万隻を超えています!」

 

「何という事だ・・・!」

 ヴェインゲイル星系で第6艦隊が接敵したのは10月8日、他の帝国艦隊が仕掛けたのとほぼ同タイミングである。完全な同時攻撃が、ここで成功したのだった。

「提督、どうされますか!」

 

「・・・友軍の増援を待つ。全艦隊、小惑星帯を盾とするのだ! 総司令部及び、近傍の友軍に、救援要請を出せ!」

 

「ハッ!」

 アムリッツァ前哨戦の一つに数えられる戦い、『ヴェインゲイル星域会戦』と呼称される戦いの初頭、第6艦隊は防御態勢に移行し、小惑星帯に籠って防戦する策に出た。確かに、数に勝る敵に対する定石と言われる一手であった。しかしながらそれは、通常言われる一手と言う程度であり、同時に第6艦隊の限界でもあった。

「―――隊列変更、“直轄分艦隊”を艦隊正面に横列で展開せよ。」

その敵の動きを確認したジークムントは、静かに命令を発していた。

「ハッ。遂に、これを使う時が来たのですね。」

 

「そうだ。我が艦も直轄分艦隊の隊列に参加する。陣形変更を急がせろ。」

 

「了解しました。」

 ヘルナー准将はそう答え、艦隊陣形を手際よく調整し始める。4個艦隊48,000隻の艦隊を秩序的に横列に展開し、その更に正面へ、彼らが最高機密に指定して来た「直轄分艦隊」を横一杯に展開して、その中に、旗艦アイゼンシュタットを中心に据えたのだ。その数、旗艦を除くと丁度100隻。

彼らがヴェインゲイル星域会戦で披露したその陣形は、帝国軍でも例の無い様な隊形であった。

「全艦隊、戦闘配備。最大速度で接敵する。」

ジークムントは静かにそう命令を下した後、次の命令を下した。

「“艦首砲、エネルギー充填。”」

 

―――アイゼンシュタットを始めとする封印を解かれた艦艇には、ある二つの共通点があった。一つは“全て戦艦である事”だが、もう一つ、これらの艦には、艦首に大きな開口部が設けられており、今やその中には、圧縮されたエネルギーが渦を巻き、光を放っていた。

「“エネルギー充填80%、エネルギー注入機構正常。”」

「“冷却装置安定、砲口軸線上にイレギュラーな障害物無し。”」

「“間もなく有効射程圏内、砲撃素点設定、射撃管制オンライン。高速巡航射撃モードで諸元入力。”」

「“データリンク正常、各艦の照準に競合無し。全艦の加害範囲に敵艦あり。”」

「“機関出力異常なし、戦闘出力を維持。”」

「“エネルギー注入完了、砲身内力場正常に作動。加速器正常に稼働中、発射準備宜し!”」

 

「発射準備、整いました。」

クーリヒがジークムントに、そう告げた。

「―――ファイエル。」

 その瞬間―――横一線に並んだ戦列から、101本の光が、小惑星帯に籠る同盟軍艦隊に向かって解き放たれた。それは、25㎝口径の帝国軍艦艇から放たれたものとは到底想像出来ない様な、高出力の()X()()()()()()であった。

砲身口径40m、関連する機構を合わせて全高・全幅共に80mに達する超巨大砲は、砲身内に力場を展開し、砲身へのエネルギー輻射を抑えて蓄熱を抑制しつつ限界以上まで溜め込まれたエネルギーを硬X線として加速・放射する為、収束口径は35m程だが、この事から分かる通りその規模は要塞砲レベルであり、過剰充填されたエネルギーが緩やかに放散しながら到達する為、艦載砲でありながらかなりの加害範囲を持っている。

 主砲6門を4門に減らした事を代償に得たその破壊力は、誰もが驚く程のものを示した。

第6艦隊は大小多数の小惑星を盾にしていたが、それらを高いエネルギーで殆ど意にも介さず破砕すると、その背後にいる同盟艦隊をエネルギー輻射で次々と破壊、更にエネルギー輻射と艦艇の爆発によって弾き飛ばされた小惑星が、連鎖反応を起こして次々と同盟艦艇が破壊されていく。

「な、なんだこれは!?」

その威力は、マグダレン中将の常識を超えていた。

「要塞砲クラスの砲撃多数、艦隊主力の損害甚大です! 本艦のシステムにも影響が出ています!」

 

「馬鹿な、一体何をすればこんな事が・・・!?」

しかもそこへ、更なる追い打ちが容赦なく降り注ぐ。

「敵艦隊より多数のエネルギー反応、直撃、来ます!」

 

「シールド出力最大!」

 

「ジェネレーターに異常、出力上がりません!」

 

「なっ―――!?」

 

 

だがこの一撃はブランデンブルグ公国軍にも影響を与えた。

「うおぉっ!?」

 発射完了の直前、大きな乱流が彼らを襲ったのだ。膨大過ぎるエネルギー輻射が強いうねりを生み出し、それが恒星風と合わさって、接敵機動を実施していた艦隊がそれによって生じた乱気流にまともに突っ込んだ為であった。

「これは・・・集中し過ぎたか。陣形を乱すな、間隔を空けて衝突を防げ!」

 慌ててジークムントが命じるも時既に遅く、重大インシデントは発生しないまでも、20件を超える衝突事故が発生した。何とか爆沈する様な艦が出なかったところは、訓練が行き届いた精鋭部隊であればこそであり、本来なら何隻も光球に変わっていたところであっただろうが、強い恒星風やイオン乱流での艦隊行動訓練も積んだ精鋭達は、この程度で大きく陣形を崩す事は無かった。

「初めて使ったが、これ程の集中運用の際は、陣形にも気を付けねばな・・・。」

 

「はい。」

流石の彼らもこれには鼻白んだものの、動揺から立ち直るのは素早かった。

「艦隊陣形再編、完了しました! 進路を乱された艦艇も、10分以内に合流します!」

 

「流石だな。全艦、主砲一斉射! 然る後、全速前進してミサイル発射だ!」

その命令を受け、全艦隊が前方の直轄分艦隊も含めて一斉に主砲を放つ。艦隊は未だに乱気流に見舞われていたが、こうなれば風に乗った帆船も同然、上手く風に乗るように敵艦隊に迫っていった。

「敵旗艦に命中の模様!」

 

「よし、勝利は目前だ、全艦突撃せよ!」

 既にこの時点で、第6艦隊は半数近い数が失われ、旗艦は大破、マグダレン提督も戦死した状態で、有効な命令も出されないままであった。更に小惑星により行動不能に陥った艦艇も数多くあった事と、事態の全容が掴めない事で収拾が付かなくなり、そこをただでさえ優勢な公国艦隊に付け入られる形で一方的に蹂躙されると言う醜態を晒したのである。

 

 戦闘開始から僅か2時間程で、第6艦隊の艦艇の殆どは討ち取られ、無残な屍を浮かべていた。生き残った艦艇は僅か十数隻程度であり、それも辛うじてワープして逃れるのが関の山であった。

「“戦闘は終結しました。”」

 

「ご苦労、クレーマン提督。各艦隊も、状況の確認を急がせろ。」

 

「「“ハッ!”」」

 ジークムントは既に後処理に入っていた。この時既に同盟艦隊はそれぞれに撤退を開始し始めており、占領された星系も次々に帝国軍が奪還しつつあった。既に第7艦隊はドヴェルグ星系にてキルヒアイス艦隊の圧倒的戦力を前に壊滅しており、第10艦隊は惑星リューゲン上空でビッテンフェルト艦隊に包囲されていたし、その他の艦隊は撤退戦を展開して各星系から撤退を急ぐと言う情勢であった。

 しかし帝国軍の勢いに一方的に押されるしかなかった同盟軍は展開中の全部隊を撤収させることが出来ず、主に撤収が難しかった地上部隊や水陸両用部隊、水上部隊を中心にその脱出中の輸送船が宇宙艦隊に置き去りにされ拿捕、または撃沈されるなどした。特に脱出の時間を稼ぎ出す事が出来なかった第7艦隊の占領区域では、これら大気圏内部隊の7割近い数が失われ、通りかかった敗残部隊に守られて退却したのは、僅か19隻の輸送船とその載荷物たる部隊のみと言う有様であった。

 

「しかし、流石だな、大型砲搭載戦艦の実力は。」

事後処理の様子を見守りながら、ジークムントは只々感嘆した様に言った。

「この旗艦アイゼンシュタットも含め、お爺様の代から長らく建造され、秘匿されてきましたからね。」

クーリヒも同感だと言う様に言った。

 と言うのも約半世紀以上もの間建造が続いたこの戦艦群の秘匿具合は徹底されており、地下ハンガーに隠匿されたこれらの戦艦は、これの為に主砲の集中配置や大口径硬X線ビーム砲の搭載技術など、後の帝国軍艦艇に用いられる技術を開発しており、高速戦艦や数々の新鋭旗艦級戦艦、新世代標準型戦艦のテストでも投入される事となる。これら自体は画期的技術として帝国軍兵器局へも渡されていたが、兵器局もこれら技術が、たった一つの戦艦級で実装する為のものとは考えておらず、検討された結論も『現実的ではない』と言うものであった。

 だが実際には、ブランデンブルグ公爵領は時として帝国兵器局に技術提供すら行う程の技術力の高さと実現力の高さを以て、将来を先取りする主砲搭載方式と、少数を以て多数を圧倒する大火力を実現出来る大口径ビーム砲を、野心的な設計と力場で砲身を作ると言う帝国軍兵器局には渡されなかったアイデアを生かして、地下の秘密工廠で作り上げた新鋭戦艦に両立して見せたのであった。

「だが冷却系は問題がある艦のものを換装しなければならないな、暫く主砲が発射出来なくなるのでは駄目だ。」

 

「必要な艦には直ちに実施しましょう。その他の艦にも適用可能な新たな冷却系統の設計も急がせます。」

 

「アイゼンシュタットに問題がなさそうだったのは幸いだな。」

 

「全くです。」

この戦役で役目を終えたジークムントとクーリヒは、この戦いで見えてきた課題を議論していた。

 戦艦アイゼンシュタットは、大型砲搭載戦艦解禁の折に旗艦として使用出来るよう建造された旗艦級戦艦であり、設計自体は帝国軍の旗艦級戦艦『アースグリム』の問題点を修正したものとなっている。大型砲は艦首中心軸線から艦首下部へ移設され、更に上部エンジンノズルを下部に移設する事で発射時の反動を推力で相殺する様にしている他、力場制御による砲身生成を伴う大口径砲身の採用により、装甲融解等の船体への反動を大きく軽減した事で、アースグリム級の設計でも無理なくこの大型砲を運用する事を可能としている。

こう言った経緯からアースグリム級の準同型艦でありながら似て非なる艦となり、冷却機構の大型化から、船体の下面には筒形に纏められた大型砲ユニットを覆う為のバルジが取り付けられている。この冷却機構は主砲の冷却系とは独立しており、一撃で限界に限りなく近づく大型砲側の冷却系の影響を、主砲側が受けない様になっているが、このシステム自体アイゼンシュタットで実証試験が行われたものであり、故に初期ロットや一部の艦では大型砲発射後に主砲が発射不可になる欠陥があるのだ。

「ディッケンドルフを呼び出せ。」

ジークムントがそう言うと、すぐに通信回線が開かれた。

「“公爵閣下。此度の戦闘、お見事な奇襲でありました。”」

 

「私が敬愛する()()に満点を貰えたか。いや、我々が隠し持つ禁じ手とも言えるドクトリンを、最大限生かすにはこれしかないと思ったのだよ。これで白日に晒された訳だが、また暫く、忙しくなるだろう。」

 

「“忙しい事それ自体は、結構な事でしょう。問題はその中身次第、と言うだけです。”」

 

「ま、各所への報告や質問漬けだな。諮問なんかは無いだろうし、別に軍規違反も犯していない。それは心置きなく取り組めると言うものだ。」

 その言葉にディッケンドルフも大きく頷いた。彼はジークムントが幼少の時から、軍務に追われていない事が多かった父の代わりに、ジークムントとクーリヒの面倒を見、時に戦術の指南も行った家庭教師であった。ディッケンドルフ自身も帝国では多少名の通った戦術理論家であり、論客としてシュターデンなどの士官学校教官らも相手に弁を振るった事があると言う、帝国軍に埋もれていた人的資源の一人であった。

「これで中央も改めて、閣下の手腕をお認めになるでしょうな。」

率直にそう称賛するディッケンドルフに、ジークムントはこう答えた。

「戦術シミュレーションでは、いつも70点だったんだがね。」

これは彼が口癖の様に言っている言葉であった。

 

 彼の身上とするのは速度を生かした戦術であり、攻めれば精密な集中攻撃によって敵陣を一気に掘り崩し、守れば敵の動きを受け流しながら激しい機動によって損害を局限し、逆に攻撃に繋げるなど、艦隊運動にも巧緻を見せて来た。だがその彼も戦術シミュレーターの上では、シミュレーター側が彼の動きに追従できず、従って十分な成果を挙げる事が出来なかった事がこの発言に繋がっている。

 この事は彼の持つ才能を具体的に示す事例でもあった。そして彼の理論が机上の空論では無かった事も大きい。しかし注目すべき点は、彼の真価は戦略的な構想力と実行力にあって、戦術家ではない事にあった。

彼は自分の描く理想が、並の事では実現出来ない事を自ずから理解していた。それに元々ストラテジスティックなものの見方は得意であり、彼の戦術家としての知見は、ディッケンドルフの教えに依る所が大きいのだ。

彼の理想を自ら体現するにも、戦略的に体系を整え、戦術を整備し、そのセンスを磨き上げる事でようやく結実する類のもので、彼の様な才能が無ければ実行する事も難しいのが、彼の苛烈な戦術でもあったのだ。

 

 若き才能、その才覚を手助けした恩師ディッケンドルフは、彼の謙遜したようなその物言いを微笑みと共に見守った。

「それはそうと、他の戦場からの情報は入っていないか?」

 

「“この星系の天気を鑑みますと、届かぬのではないかと。”」

ディッケンドルフの返した答えは彼にも分かり切ったものであった。情報を少しでも早く知りたいと逸る気持ちを抑えられなかったジークムントだったが、手に入らぬならば止むを得ない。

「そうか・・・そうだろうな。艦隊と敵艦隊の状態確認が済み次第、我が艦隊は直ちに星系を離脱する。敵兵員の救助作業も抜かりなく行う様に。時間はたっぷりある。」

 

「“了解しました。”」

ディッケンドルフはジークムントが一つ頷いたのを見て通信を切った。

「―――そう言えば、フェザーンの情報収集艦はどうなった?」

 

「派遣した巡航艦“フローニンゲン”からの高出力通信による報告で、威嚇射撃までを行った所、退避したとの事です。現在追尾中との由。」

クーリヒの報告を聞いたジークムントは、満足そうに一つ頷いたのであった。

 

 

 その後、2日をかけて生き残った同盟軍将兵を輸送艦に移送したブランデンブルグ公艦隊は、ひとまず通信を回復するべくバルドル星系へと離脱、その間に、先にバルドル星系に向かい情報を集めた駆逐艦から、大まかな戦況は掴みつつあった。

 

 惑星レージング上空で戦闘を行ったワーレン艦隊は、第3艦隊を半壊させ、旗艦ク・ホリンは撃沈、ルフェーヴルも戦死させた。

 ビルロスト星系で戦闘を行ったロイエンタール艦隊は、ビュコックの第5艦隊と交戦したが、退却準備を行っていた同艦隊はビュコック提督の指揮の下巧妙な防御戦闘を展開、最終的に総司令部からの転進命令を受けて強行撤退を行った事もあり、3割の損害を与えた。

 ドヴェルグ星系で戦闘を行ったキルヒアイス艦隊は第7艦隊と交戦、3倍の戦力差もあって苦戦する事も無く9割以上を撃破し、ヤンの第13艦隊を待ち構えていたが、最終的に第13艦隊撤退支援の為に突撃を敢行したホーウッド提督の率いる残存部隊の奇襲で混乱している間に第13艦隊を取り逃がし、第7艦隊残存部隊を殲滅する形で勝利していた。

 ヴァンステイド星域で戦闘を行ったメックリンガー艦隊は第8艦隊と遭遇したが、アップルトン提督が戦闘を選択せず早々に撤退を選択した為艦隊戦とはならず、退却時の追撃で3割を撃破するに留まった。

 アルヴィース星系に向かったミッターマイヤー艦隊は、同星系にいた第9艦隊を急襲、小惑星帯での戦闘に於いて艦隊運動の差を見せ付けて7割弱の戦力を撃破する事に成功し、残存戦力は撤退した。

 惑星リューゲン上空戦を戦ったビッテンフェルト艦隊は第10艦隊と交戦、星系データを用いたアウトレンジ攻撃で敵戦力を削り取りつつ三方向から包囲殲滅を図るも、第10艦隊の残存戦力を結集した突破戦術により、敵旗艦盤古(バン・グゥ)を撃沈するも敵艦隊の半数を取り逃がしている。

 ボルソルン星系で戦闘に入ったルッツ艦隊は第12艦隊と交戦したが、ルッツ艦隊の超長距離攻撃を前に敵側は手も足も出ず、指揮官のボロディン中将は自決、副司令官コナリー少将の指揮の下降伏を選択した。

 ヤヴァンハール星系で戦闘を行ったケンプ艦隊は第13艦隊と交戦したが、第13艦隊が濃密なガス帯に覆われた内惑星部に陣取った為、ビームの射程が減殺されると言う宇宙気象上接近戦にならざるを得ず、空戦隊による制宙戦闘と近距離砲撃戦で損害を出した。しかしこの苦戦は総司令部の予想通りであり、ケンプ艦隊はドヴェルグ方面に第13艦隊を誘導する為の行動でもあり、その点ケンプは作戦目的を果たしている。そしてこの戦闘で編み出された対スパルタニアン戦術は、その後全軍の教範となる事となった。

 

 結果的に第6艦隊を含む4個艦隊が壊滅かそれにほぼ等しい損害を出し、2個艦隊が半壊して敗走、残る3個艦隊は損害を受けつつも撤退には成功すると言った形で、同盟軍は甚大な損害を出したのである。

 

「―――で、現在敵は、アムリッツァを目指しつつある、と。」

クーリヒからこれらの情報を整理したものを届けられたジークムントは、指揮席の上でその末尾をその様に要約して読み上げた。

「はい、その通りです。」

 

「・・・さて、我らはどうしたものかな。」

そう言って思案を巡らせようとしたその時、オペレーターが声を上げる。

「キルヒアイス提督より、通信要請が入りました、繋ぎます!」

 

「―――待て!」

ジークムントは一度それを制止した。

「・・・どう思う、クーリヒ。」

 

「―――ローエングラム元帥は宇宙艦隊副司令官、その宇宙艦隊司令部が、我々に関心を持っているのは確かでしょう。腹の中でどう思っているかは、彼ら次第でこそありますが・・・。」

 

「そうだな・・・よし、繋げ!」

 

「はっ!」

パネルに映し出されたキルヒアイスは、ジークムントに挙手の礼を施し、ジークムントもそれに応える。

「“ブランデンブルグ上級大将閣下のお働き、確かに拝見させて頂きました。ローエングラム元帥閣下も、大層驚かれておいでです。”」

 

「お気に召すかどうかはさておき、我々が長きに渡って隠し抜いてきた、ブランデンブルグ公爵領の切り札だ。些か古典的だが、なまじそれだけに有効である、と言う訳だな。」

 

「“元帥閣下も、そう仰っておられました。”」

キルヒアイスのその言葉を聞くと、ジークムントは僅かに笑みを浮かべたと言う。

「“元帥閣下よりの命令をお伝えします。『ジークムント上級大将にあっては、明くる14日を期して、麾下の艦隊の内1個艦隊を以てアムリッツァ星系に進出し、元帥府本営艦隊と合流せしむるべし。』との事です。”」

 

「―――我々に、前線参加をせよ、という事か?」

 

「“元帥閣下は、上級大将閣下の御活躍を受け、戦列にお加えになりたいとお考えの様です。”」

 

「・・・相分かった、とお伝え願おう。」

何処か渋い顔をしながら彼はそう返事をした。

「“承知しました。では―――”」

キルヒアイスはそう言って通信を切った。

「―――どう思う、クーリヒ。」

 

「些か、心中伺い難い所はありますね・・・。」

 

「元帥は、俺の忠誠を試そうとしているかのようでもあるな。それであれば、出向くなり撃たれる事は無いだろうが・・・。」

 

「ローエングラム伯は、堂々たる勝負をお望みになる筈。余りその様な手は好まぬかと思いますが・・・。」

クーリヒのその言葉にジークムントは納得の表情を浮かべた。そして―――

「第1艦隊は俺に続け。残りの艦隊は第2艦隊司令官ディッケンドルフの指示に従え。ディッケンドルフ!」

 

「“ハッ!”」

 

「敵残存部隊による襲撃行動が起きるかもしれん。またこの機に乗じて海賊が悪さをする恐れもある。領内の警戒を怠るな!」

 

「“了解致しました、お気を付けて。”」

その言葉にジークムントは一つ頷くと通信を切った。結論から言えばこの心配は杞憂でこそあったのだが、ともあれジークムントは直属の艦隊1万2000隻を率いて、一路アムリッツァ星系に向かう事となったのである。直属分艦隊は先の反省を込め、20隻のみ随伴させる事となった。

 

 

7

 

時は遡ること10月9日、イゼルローン要塞内に設置された帝国領遠征軍総司令部では、その様相は混乱を極めていた。

「“帝国軍と遭遇”の一報以来、情報は混乱を極めております。」

総参謀長グリーンヒル大将の報告が、中央司令室のロボス元帥に届けられる。

「第3、第7、第10、第12艦隊は交信不能、第5、第8、第9、第13艦隊は健在なようですが、詳しい戦況は掴めていません。」

 

「第6艦隊はどうなっている。」

 

「依然として通信状態が悪く、交信は断続的であり、帝国軍と接敵したとの報はありません。移動命令も届かなかったものと思われますが、やはりここは、同様にお考えになられた方が宜しいかと。」

 

「ううむ・・・。」

 ロボスは唸った。否、唸らざるを得なかった。かつては明晰な頭脳で同盟軍を率いて帝国と互角にやり合った名将も、今や随分と衰えたと言われるまでになっていた。

しかし、ロボスには既に最高評議会からの指示が伝わっていた。

「―――最高評議会としても、今回の遠征を単なる負け戦にはしたくないようだ。分散している各艦隊を再編して敵を迎え撃つ。全軍にそう通達してくれたまえ。」

 

「―――ッ!」

兵理に沿えば、確かに理に適ってはいる。戦力は分散すればするほどその力は失われ、連携にも支障をきたし、敵をして各個撃破の機会を与える事ともなる。しかし事この状況に至っては、今更集結したところで勝ち目があるかは不透明と言うのがグリーンヒルには分かり切っていた。

「何かね?」

復唱が帰って来ない事に気付いたロボスが聞き返すと、グリーンヒルは反論をぶつける。

「いえ。前線にそれだけの兵力が、果たして残っているのかどうか。再編しても、敵の戦力以下であれば、現状を覆すどころか、更なる損失も―――!」

 

「全軍を、アムリッツァ星系に集結させる。」

 

「閣下!」

 

「これは()()である。」

その言葉にグリーンヒルはほぞを嚙んだ。しかしこうなってしまっては、軍人としてこれ以上諫言を述べる訳にも行かなかった。何より前線では莫大な数の命が、今この瞬間にも失われているかもしれないのだ。そうなっているとしたら、兎に角今は行動しなければならないと感じ、グリーンヒルは動く。

 

 

その頃第13艦隊は、ドヴェルグ星系で遭遇したキルヒアイス艦隊と対決している時であった。

 

「敵は、数で勝る正面装備で押しつつ、後方では補給を行い、間断なく火力を投入して来ています。」

ムライ少将がヤンにそう報告する。

「―――外連味の無い、いい用兵をする。ローエングラム伯は、優秀な部下を持っている様だ。」

 溜息一つつき、ヤンはそう評した。ヤン艦隊は1万1000隻弱、これに対してキルヒアイス艦隊は2万5000隻もの大艦隊、ヤン・ウェンリーと言う男を確実に仕留める為のこの布陣は、並の提督には扱えぬ規模である。これをどう凌ぐかヤンが知恵を巡らせている時であった。

「―――総司令部より、緊急暗号通信。」

グリーンヒル中尉がその旨を伝えると、ヤンは

「読んでくれ。」

と伝える。

「・・・本月14日を期して、アムリッツァ星系Aポイントに進出、即時戦闘を中止し、転進せよ。」

 

「簡単に言ってくれるな。」

 ヤンはそう言って、胡坐をかいて座っていた指揮卓の上から降り、頭をかきながら情報パネルに向かう。同じ頃同様の命令は残存する各艦隊、もしくは各艦艇にも伝わっており、それはビルロスト星系で時間を稼ごうと1割を失いつつも奮闘していたビュコック率いる第5艦隊も同様であった。

 

「何を今更―――」

そのビュコックは電子パッドを握る手を震わせながら、怒気を今まさに爆発させようとしていた。

「退けるものならとうに退いておるわ!!」

 そもそもビュコックは、ヤンの提案を受けて総司令部に撤退の具申をしていたのだ。それが大規模な戦闘に発展しているこんな時になって、今更転進命令など出されたとして、果たしてそれに応えられようものだろうか。

戦いは始めるに易く、終わらせるに難い。戦闘と言うものは、退却する時こそ最も難事なのである。

 

 翻ってヤンは情報パネルを起動すると、すぐさま自身の作戦を説明する。

「艦隊を単縦陣に再編成、殿に装甲の厚い戦艦を集中配置し、牽制しつつ、戦線の離脱を図る。我々の目的は、アムリッツァへ向けて転進する事だ。戦線を離脱する事だけが、戦術目標と思ってくれていい。

尤も、敵も我々の行動を、予想しているだろうがね。」

 

「これで駄目なら、何をやっても駄目でしょうな。」

シェーンコップがそう評し、

「現時点で取れる、最良の選択です。」

とムライが肯定し、

「同感です。」

とパトリチェフが続く。これに対しヤンはこう述べた。

「とは言え、敵は3倍、こちらにも被害は出るだろう。だが、最小限に抑えたい。皆、宜しく頼むぞ。」

その言葉に幕僚達はみな頷く。

 

―――最終的にヤン艦隊は1割を損失しながら、ホーウッド提督の突撃と言う奇襲もあって最小限の損害で離脱に成功、第7艦隊の全滅と引き換えに、彼らはアムリッツァに向けて離脱する事が出来たのである。

第13艦隊がアムリッツァ星系ポイントAに辿り着いたのは10月11日の事であり、そこは恒星アムリッツァ周辺軌道を取り巻く小惑星帯の中であった。

 

「結局、残ったのはこれだけか・・・。」

 ヤンが呟いた通り、状況は、惨憺たるものであった。第13艦隊は1割を失いつつも、戦闘可能な艦を編入されてどうにかその戦力は1万1000隻余り。だが、ビュコックの第5艦隊、アップルトンの第8艦隊は退却時の損害で3割の兵力を喪失し、余力のある艦を引き取ってもなお9000隻程度の兵力しか残ってはいなかった。

悲惨だったのは辛うじて離脱してきた部隊であり、共に提督を失った第9艦隊と第10艦隊の残存兵力は、前者はモートン少将、後者はアッテンボロー准将が最高位指揮官となって共に4000隻強を指揮して離脱してきたものの、共に戦闘可能な艦艇は再編成後でも1000隻余りで、その中には健在な艦を引き抜かれた上で損傷艦に応急修理を施して辻褄を合わせたものもあり、残りは損傷が酷く簡単な修理では使い物にならないと言う有様である。

最も酷かったのは散り散りになって離脱した第6艦隊であった。艦隊は全滅し、士気を失って逃げ帰った者は共に十数隻程度、しかもその半数以上は役に立たないと来ており、主要な指揮官も全員戦死したとあっては、最早艦隊は消滅したと言わざるを得なかった。第7艦隊は全艦が撃沈ないし行動不能、第12艦隊は降伏した為1隻も残ってはいない。また第3艦隊は主要な提督が全員戦死した為、残存艦艇は各艦隊に再分配される形で消滅している。

 

 結局の所彼らに残された戦力は約5万隻弱、だが10月14日にアムリッツァに進出した帝国軍は最も損耗率の高いビッテンフェルト艦隊でさえ9500隻を残しており、前線に置かれた6個艦隊を合算して7万4000隻にも達していた。ここにキルヒアイス別動隊を加えれば、総数は10万を超す。最早、同盟軍に勝ち目はないも同然であり、グリーンヒル大将も撤退を再度具申したが容れられず、アムリッツァ星域会戦の幕は、間もなく上がらんとしていた。

 

 その直前、ローエングラム元帥の直衛艦隊がアムリッツァに着陣した1時間後、その後方にワープアウト時特有の空間の歪みが発生した。ラインハルトに続き、ジークムントの公国第1艦隊が、旗艦アイゼンシュタットを先頭に到着したのである。

「元帥閣下、ジークムント・フォン・ブランデンブルグ、命令により参上しました。」

 

「“ご苦労。卿のヴェインゲイル星域での働き、見事である。だが戦闘がまだ終わった訳ではない。我々の予備兵力として、こちらに加わって貰う。”」

 

「了解しました、元帥閣下。」

 

「“―――アスターテでは共に戦えず残念だったが、此度も頼むぞ。”」

その言葉に彼は一つ頷いて応じた。通信が切れた後、彼は傍らのクーリヒに言葉をかける。

「こんな事ならば、余り肩肘張らなくても良かったかな。」

 

「取り越し苦労で、良かったではありませんか、兄上。」

 

「兄上はよせ、軍務中だ。」

 

「―――失礼しました、閣下。」

 微笑を交えながら、2人は言葉を交わした。後に、『帝国の至宝たる連星』と称されるこの兄弟は、天才と呼ぶに足る兄と、それと常に共に在った弟、ラインハルトとキルヒアイスに似た関係であった。

帝国貴族階級にあって、これ程原初の気高さと格調と聡明さを家格と共に併せ持った者は、門閥ともなれば皆無であっただろう。それだけに、この2人が精神まで含めてどれ程純粋な貴族であった事か、帝国人的資源の貴重な精髄であった事は間違いなく、それはこのゴールデンバウム王朝にとって、最後に残された神聖な一滴でもあった。

逆説的に言えば、その様な者を冷遇している現在の帝国に、どの様な未来が待ち受けていようか。この時誰も、その先を予見する目は持ち合わせていなかった。

「艦隊を指定座標へ横列に展開し待機するぞ。間もなく始まるだろう。」

 

「はっ!」

 ジークムントは率いる艦隊を、前線と直衛艦隊の中間地点に展開させる。その間に戦闘は既に開始されていた。

 

 時は少々遡り、ジークムントの艦隊が展開を開始して少し経った頃、帝国艦隊は密集隊形で6個艦隊が展開を終え、同盟軍艦隊では警報のアラートが鳴り響いていた。

「ミッターマイヤー、ロイエンタール以下、諸将の艦隊は予定の宙域に布陣を完了しております。」

この時前線へ展開したのは、ミッターマイヤー・ロイエンタール・メックリンガー・ルッツ・ワーレン・ビッテンフェルトの6個艦隊合計7万4000隻、そこへブランデンブルグ軍第1艦隊が加わった事で総兵力は8万6000隻にも達する。これに加えてラインハルトが後方に3000隻余りを率いて布陣して全体の指揮を執ると言う体裁を取っていた。

「敵はどうやら、銀河連邦時代に放棄された、採掘惑星を盾に布陣しているようです。」

 

「アムリッツァに集結したのは、それが理由か?」

 

「恐らく。」

 一方の同盟軍の布陣は、第5艦隊が中央、第8艦隊が右翼、第13艦隊が左翼を務め、第13艦隊左側方に、各占領地警備から逃げ延びた警備艦隊を再編成した小部隊複数、第8艦隊後方にモートン少将の第9艦隊残存戦力を付け、アッテンボロー准将の第10艦隊残存部隊をヤンの指揮下に編入しつつ、予備兵力として後方に配置して布陣した。総兵力は4万9000隻程度であり、激戦を潜り抜けてきた各艦艇は、何とか最小限の補給こそ受けたものの、万全とは程遠い状態であった。

「ファイエル。」

 かくして、アムリッツァ星域会戦の火蓋が切って落とされた。

5万隻弱と7万4000隻、しかも士気に雲泥の差があった事から当初から戦局は帝国軍優勢で進み、特に右翼の第8艦隊は、ミッターマイヤー艦隊の速攻に遭った為に第9艦隊を加えても早くから攻勢を支えきれず崩れ始めていた事から、第10艦隊の残存部隊が加わって辛うじてこれを支えると言った有様であった。

「数の少ない所を狙うのは、用兵の常道だ。」

とヤンは冷静に分析する中、先に動いたのはヤンであった。

「全艦隊前進、反撃に移る。ビュコック提督に通信。」

ヤンは機会を窺う為、最大限の反撃を開始する。

 

「我が方に向け接近する艦隊あり!」

ミッターマイヤー艦隊旗艦「人狼(ベイオ・ウルフ)」のオペレーターがミッターマイヤーに情報を伝える。

「敵右翼、第5艦隊と推定、敵旗艦、リオ・グランデを確認!」

 

「全く、老人をこき使いおって!」

 そのリオ・グランデの艦橋で不満を口にするのは老将ビュコックである。老いて尚壮健な彼はヤンの要請に応え、第8艦隊を突き崩さんとする勢いのミッターマイヤー艦隊に対し、左側方に突出するかに見せていた。

 

「攻撃目標を、敵第5艦隊に変更。」

 ミッターマイヤーはその様にこの行動を受け取り、第8艦隊への攻撃を一旦中止して艦隊に左回頭を命じる。そして艦隊が動き始めたその刹那、今度は右前方から急斉射が回頭しつつあったミッターマイヤー艦隊の右舷側を強かに撃ち抜き、瞬く間に損害を与えていく。

「右側方より攻撃、第13艦隊です。」

 

「目標変更の一瞬の隙を突いた攻撃・・・どうやら敵にも、艦隊運動の手練れがいるらしいな。」

 ミッターマイヤーは艦隊運動に於いては帝国内でも五本指に入る手腕を誇る。その男をして、手練れと評される男がいるとすれば、それはこの第13艦隊の運用を司るフィッシャー少将以外に居なかった。

彼はヤンの立案に基づき、驚く程の早さで行動計画を立案、ミッターマイヤー艦隊を急襲する作戦を実行出来る状況を作り上げたのだ。しかもその計画内容は驚く程満点に近いものであり、その手腕をして、ミッターマイヤーに命令を出させたのだった。

「艦隊、一時後退。体勢を立て直す。」

 どうも一筋縄では行かなさそうだとミッターマイヤーは直感し、500隻弱の損害を出すも後退には成功する。ヤンが仕掛ける間に第5艦隊は急速後退して元の陣形に戻っており、ヤンも第8艦隊の早期潰滅を防ぎ止める事に成功した事で、ミッターマイヤーの後退に合わせて下がろうとした。

「索敵システム、新たな敵影捕捉!」

だがその正面に、第13艦隊が新たな敵影を捕捉した。その艦隊は黒一色に塗装され、猛烈な火箭を第13艦隊に向けて浴びせ始めたのだ。

 

「全戦域に於いて、我が軍の優勢です。」

ブリュンヒルト艦橋で淡々と、オーベルシュタインがそう報告する。

「どうやら勝ったな。」

ラインハルトがそう確信し、

(どうも負けたらしいな。)

同じ頃ヤンも声には出さずそう分析した。同盟艦隊も善戦していたが、既に崩壊が近い艦隊もあり、潰滅は時間の問題であった。

 

「この宙域を、我が黒色槍騎兵艦隊(シュワルツランツェンレイター)の狩場にしてくれる。撃ちまくれェ!」

 旗艦「王虎(ケーニヒス・ティーゲル)」の艦橋でビッテンフェルトが吼える。彼は最右翼からミッターマイヤー艦隊に向け突出し始めた第13艦隊の側面を叩くべく一挙に前進、立ち塞がった幾つかの小部隊を難なく蹴散らすと、リューゲン上空での第10艦隊との戦闘が些か消化不良だった事もあって、鬱憤を晴らすかのように全火力を第13艦隊に浴びせたのである。

「―――シールド出力を最大に、後退しつつ攻撃。」

ヤンの反応は素早かった。

「後退速度を調整。攻略出来そうで出来ない、敵の司令官を焦らすんだ。」

 ヤンのこの命令に対し、第13艦隊は完全にこの希望に沿った。ビッテンフェルト艦隊が前進する速度に合わせて後退速度を調節すると言う芸当もまた、艦隊運用に秀でた者が居なければ不可能であった。それも、専ら高速艦で編成された黒色槍騎兵艦隊が相手ともなれば尚更である。

「敵が巧みに距離を維持している為、殆ど損害を与えられていません。」

ビッテンフェルトの副官、オイゲン少佐が状況を報告する。これを受けて、苛立ちを募らせていたビッテンフェルトが新たな命令を下す。

「―――砲撃中止、ワルキューレ全機発艦! 制宙権を確保する!」

 ビッテンフェルトの命令を受け、艦隊の各艦から艦載機であるワルキューレが次々と発艦、大規模な編隊を構成してヤン艦隊へと向かう。

「提督―――!」

これを見たパトリチェフが焦燥に駆られて彼の名を呼ぶと、当のヤンは

「まだだ、もっと引き付けるんだ。」

と動揺一つせずに言った。まるでこの状況を見越していたかのようであり、事実そうであった。

「敵艦載機、至近!」

オペレーターからも事態の緊迫を訴えるかのように報告が飛ぶ。そしてヤンからの指令がそれに応えるかのように飛んだ。

「全駆逐艦で対空防御、主力艦はシールドに回している出力を全て、主砲に。」

 

「それは、危険ではありませんか?」

ムライが当然の危惧を口にするがヤンの答えは

「心配ない。」

であった。気づけば先程から、敵の砲撃がぱたりと止んでいる。

「―――撃て!」

 第13艦隊の戦艦と巡航艦から、防御を捨てた強烈な攻撃が放たれ、その一撃は偏向シールドすら容易く貫徹して、大きな打撃をビッテンフェルト艦隊に与えた。

「何をしている! こちらも艦砲で反撃せんか!!」

ビッテンフェルトの怒号が飛ぶが、それをすかさずオイゲンが制止する。

「いけません!」

 

「何故だ!」

 

「今撃てば、ワルキューレ部隊が巻き添えになります! 敵は我々が反撃出来ぬと、知っているのです!」

 この時己の失態に気付いたビッテンフェルトはほぞを噛んだが、より悪い事にこれを見たビュコックの第5艦隊が、再び突出運動でビッテンフェルト艦隊左側面に迫り、十字砲火でこれを滅多打ちにし始めたのである。

「ビッテンフェルト提督より通信。至急、援軍を乞う!」

旗艦ブリュンヒルトにケーニヒス・ティーゲルからの援軍要請が届く。既にこの時ビッテンフェルト艦隊は戦力の3割余りを失っており、下手に下がれば爆発的に損害を増やす局面であった。

「ビッテンフェルトは何をしているのだ・・・!」

これに苛立ったのはラインハルトであった。

「如何致しますか、閣下。」

そう問うたのはオーベルシュタインであった。

「―――已むを得んな。ジークムントに下令、麾下の兵力を以て、ビッテンフェルト艦隊を救援せよとな。」

 

「宜しいので?」

 

「私の手元には予備兵力など存在しない。ここに魔法の壺でもあればよいのだがな。」

 

「御意。」

この命令を受け取ったアイゼンシュタットの艦橋では―――

「しめたぞ。態々こんな辺境まで来て茶会だけで済まされるかと思ったが、功績を挙げるまたとない好機! 艦隊を前進させ、戦線参加する!」

 

「しかし、ビッテンフェルト艦隊離脱の援護のみと書かれております。如何しますか。」

クーリヒのその問いかけを聞くと、ジークムントはそれまでの嬉々とした顔を一変させて渋い顔になったが、

「已むを得まい、今度は元帥閣下の目前だ、命令違反は出来まいよ。命令には従うさ。」

と答え、全速前進の命令を伝えた。

 

 結果としてこの時、ヤンとジークムントが砲火を交える事は無かった。彼が前進していくと、ヤンの第13艦隊は不利を悟ってさっさと後退し、ビュコックも同様の動きを取った為、ビッテンフェルト艦隊は最終的に3割の艦艇を喪失し、損傷艦艇も含め5割の艦艇を一挙に戦列から失ったものの、艦隊の後退自体は果たされた。

ジークムントが意図した状況の中にはあったとはいえ、些か不本意ながら、ジークムントの艦隊はビッテンフェルト艦隊の1光秒ほど後方に再展開して、いつでも支援出来る体制を取る他に選択肢はなかった。

「あれが噂のヤン・ウェンリーか。全く、引き際をきちんと弁えている。二流の将帥ならば、武勲を立てる隙もあったかもしれんが・・・。」

 

「絶妙な攻撃とこちらを手玉に取る知略、侮れませんね。」

 

「いずれ俺達も、相見えるやも知れんな。」

 

「はい―――楽しみにしておいでですか。」

クーリヒがそんな質問をするとジークムントは

「楽しみでないと言えば嘘になるが、どれ程の犠牲を出す羽目になってしまう事やら。」

と言った。あるいはそれこそ、杞憂の類かもしれなかったが。

同盟軍艦隊の後方で眩い閃光が辺り一帯を照らしたのは、丁度そんな折であった。

「なんだ、あれは・・・?!」

 

「敵艦隊後方、敵が機雷原を敷設した辺りですが・・・。」

ブランデンブルグ兄弟が驚く一方、同盟艦隊でも動揺が走る。

「後方に、新たな敵影! 数、およそ三万!!」

 

「背後の機雷原を突破してきたと言うのか・・・?!」

ビュコックですら、この状況には驚きを隠せなかった。

(伏兵を率いるのは、あの赤い船の用兵家か。全く、どこにいるのかと思っていたが・・・)

 ヤンもこの状況は読んでこそいたが、もっと先の事かと思っていた為に、計画の前倒しが必要になってしまったのだった。後方に現れたのは、キルヒアイス艦隊を再編成し、抽出され減少した戦力をケンプ艦隊で補強した総勢三万隻の大艦隊である。彼らは、秘匿兵器である指向性ゼッフル粒子を用いて、機雷原を一瞬の内に切り拓いて見せたのであった。

「如何します、提督。」

ムライがヤンに問いかけるとヤンはこう言った。

「そうだな・・・逃げるにしても、仲間は多い方がいい。精々、努力するよ。」

 

 

8

 

 帝国軍別動隊到着後の戦況推移は一方的なものであった。ミッターマイヤー艦隊は、隣接するロイエンタール艦隊と協力して敵第5艦隊に圧力をかけ、一方メックリンガー艦隊がヤン艦隊に対して牽制するように砲火を集中、左翼のルッツとワーレンもまた、敵第8艦隊に火力を集中してこれを半壊させており、既に敵旗艦を撃沈する功を挙げていた。

先程までと異なり、後背からも敵が攻撃を加えてくる状況では、ヤンやビュコックと言えども策を弄する事は出来ず、ただ、退却の機を窺うのみとなっていた。

「左翼艦隊、敵第8艦隊を掃討中」

「ミッターマイヤー艦隊、作戦宙域の敵組織的行動を無力化。」

 

「全軍に指令、挟撃から、包囲陣へ移行。一兵たりとも逃すな!」

既に大勢は決したと見たラインハルトは、総仕上げにかかった。帝国艦隊が左右に陣を広げ、同盟軍艦隊を完全包囲し始めたのである。

「本艦も前進させますか? 閣下。」

オーベルシュタインがその様に尋ねるとラインハルトは

「いや、やめておく。部下の武勲を横取りするのかと言われるからな。」

と答えた。

 

「完勝かな。」

 

「恐らく。」

その様子を、旗艦アイゼンシュタットから見守るジークムントは、その壮大な戦術構想に舌を巻いていた。そして、これを可能にした戦略にも、である。

「元帥閣下は、常にこうして華麗な戦術を好む。その華麗さの下で、何百万もの人命が失われるのだ。人間の作り出した文明の所産とは言え、業の深い事だな。」

 

「はい。」

ジークムントは見物人として暢気にその様に評していた。が―――

「―――うん?」

それまで見物人だったジークムントと

「―――!」

総司令官であるラインハルトが、その違和感に気付いたのは同時であった。

「ビッテンフェルト艦隊の数が少ない様ですな。包囲が完成せねば、敵に退路を与えます。」

 

「チッ・・・!」

ビッテンフェルトの失態にラインハルトは思わず舌打ちした。

「先刻と違い、現在はこちらの戦力にも余裕があります。ここは、ビッテンフェルト提督を援護するべきです。」

 

「ビッテンフェルトめ、あいつの失敗にいつまでも祟られる!」

直後、同盟軍艦隊後方で包囲陣を形成中だったキルヒアイス艦隊に、ブリュンヒルトからの指示が飛ぶ。

「司令部より入電! キルヒアイス提督においては、速やかに、黒色槍騎兵艦隊の援護に向かわれたし!」

 旗艦「バルバロッサ」でこれを受けたキルヒアイスは、静かに一つ頷き、キルヒアイス艦隊左翼の包囲陣形成を加速させ、ビッテンフェルト艦隊の援護に向かわせた。

同じ頃、ブリュンヒルトに通信が入る。

「“元帥閣下、意見具申します。”」

通信の主はジークムントであった。

「何か。」

ビッテンフェルトの失態に少々不機嫌なラインハルトだったが、その不機嫌を顔に出しながらもそう促すとジークムントが話し始めた。

「“ビッテンフェルト艦隊付近の包囲陣完成より先に、敵が突破を図る恐れがあります。我が艦隊はビッテンフェルト艦隊の後方で待機しておりますが、後詰としてビッテンフェルト艦隊直後への移動を許可願います。”」

 

「成程・・・それもそうだな。宜しい、キルヒアイス艦隊到着までの間、貴官が戦線を支えよ。」

 

「“ハッ!”」

総司令官からの許可を得た彼は早速動き始める。しかし、僅かな差で時既に遅かった。尤も、早ければそれだけ損害は増えていただろうが―――

 

「後方の敵艦隊が、左翼側へ展開! 左翼の敵後方より、接近しつつある艦影多数!」

 

「包囲の穴を埋めるつもりですな。」

 

「―――アッテンボロー准将より、緊急暗号通信! 作戦準備完了との事です!」

 

「直ちに実行せよ。」

ヤンが決断する。直後、同盟軍艦隊左翼から500隻ほどの艦隊が帝国軍右翼方向、今正に埋めようとしている包囲の切れ目に向けて直進し始める。

「敵艦隊の一部が、我が艦隊の右側方へ移動中!」

それを迎え撃つ格好になったのが、ビッテンフェルト率いる黒色槍騎兵艦隊であった。

「ここを通すな! 右翼の包囲を伸ばせ!」

 

「いけない!」

「いかん!」

 

「―――作戦行動、第二段階へ。」

 

 ビッテンフェルトの采配は明らかなミスであった。それは当然、援護に入っている2人の提督がフォローせねばならず、キルヒアイスとジークムントが同時に対応に入る。

「大型砲戦艦は直ちにエネルギー充填、戦場への移動を早めるぞ、最大戦速! 急げ!」

ジークムントは艦隊を加速させつつ、直属分艦隊に対して艦首大型砲の発射態勢に入る様に指示を出す。一方キルヒアイスはビッテンフェルトに急報を発する。

「キルヒアイス提督より入電! 右翼の敵は陽動である。我が艦隊到着までの間、陣形を維持されたし!」

 

「何―――!?」

 

「艦隊正面に敵影!」

 

「ッ?!」

だが、その後にオペレーターの口から発せられたのは、当惑の声であった。それも当然であった。なぜなら接近中だったのは、単なる敵影では無かったからだ。気を取り直したオペレーターが次に告げた言葉は、普通では考えられない状況報告であった。

「―――採掘惑星が、我が方に向け高速で接近中!」

 

「なんだと!?」

ビッテンフェルトは最早声も出ず、オイゲンが驚きの声を発する。

「役目は果たしましたよ、先輩!」

 実行者は第10艦隊残存兵力を率いていたアッテンボロー准将であった。彼はヤンの第13艦隊の指揮下に一時的に編入されており、この戦闘も含めて帰還しても最早廃艦が確定した損傷艦艇500隻を、無人艦隊として突出させる所から実施する役割を担っていた。

ヤンの手は完全に決まっていた、ビッテンフェルト艦隊は駆けつけてきたキルヒアイス艦隊先鋒共々、次々と、採掘惑星の岩盤に真正面から激突され爆沈していく。

「包囲陣が―――!」

オイゲンが上擦った声でそう言い、ビッテンフェルトが呆然とする中、包囲の一角に、余りに巨大過ぎる大穴が開いた。そしてそれは当然、後方にいたジークムントの公国艦隊までもが危険に晒されている事を示していた。

「先方の艦隊は全速力で離脱! 艦首砲発射出来るか!」

 

「駄目です! 敵艦隊が高速移動中である事に加え、ビッテンフェルト艦隊と我が艦隊先鋒を巻き込みます!」

 

「くっ―――!!」

 既に3000隻ほどの艦隊がビッテンフェルト艦隊の後方に達しており、少し距離が離れていた事から離脱は辛うじて間に合ったが、陣形は混乱を極め、それを収拾するのに手一杯となった。頼みの大口径砲も、射線上に友軍がいては使う事は出来ない。第5次イゼルローン攻防戦の出来事は、戒められるべき警句となっていた。

そして一方の同盟軍は、全艦隊が密集して、その包囲の穴に向かって突撃を開始していた。先鋒は無論、第13艦隊である。

「他の事は考えなくていい。黒い敵艦隊に、全ての戦力を叩き付けろ!」

ここまでくれば、彼らがやるべき事は明確であった。彼らの眼前に残る黒い敵艦隊―――黒色槍騎兵艦隊を打ち破って脱出する事のみである。

同盟軍残存部隊は、これもまた正面に採掘惑星を据えながら全速力でこれを突破しつつ、集中砲火を叩き込む。

「艦隊の損耗が、70%を超えました!」

旗艦「王虎」で、絶望的な報告が飛ぶ。余りに予想外な一手に、ビッテンフェルトらは為す術がなかった。

「―――それがどうした。」

ビッテンフェルトが、屈辱を噛み締めながらそう言い放つ。

「提督!」

オイゲンが諫める様にそう言うが、ビッテンフェルトが続けた。

「この宙域は我々が死守する! 最後の一兵になろうと―――」

 

「いけません! 包囲陣の綻びとなった我らには責任が、提督には、総司令官閣下に復命なさる義務があります!

黒色槍騎兵艦隊の歴史を、ここで閉じるおつもりですか。」

オイゲンに言われ、ビッテンフェルトは自分の命じようとした事の誤りを知り、悔しさをその喉奥に辛うじてしまい込んだ。

「火器使用自由! 攻撃可能な艦艇は脱出する敵艦隊の側面を叩け! 1発でも良い、兎に角撃てるだけ撃て!」

 ジークムント艦隊ではその様な命令が飛んでいた。最早勝負は決した局面ながら、ジークムント艦隊は漸く介入する好機を手にした。しかしながらこのような状態であるから、反撃出来た艦艇は半数にも満たなかった。

しかも同盟軍艦隊はこれに対して、エネルギー中和磁場を全開にして防御に徹しつつ離脱した為、大して有効打を与える事すら出来なかった。切り札である艦首大型砲も、結局火を噴く事は無かったのだった。

「クソッ、結局は部外者扱いか・・・!」

そう愚痴を吐いたとしても後の祭りである。ともあれ、3か月に及ぶ戦いは漸く幕を下ろしたのであった。

 

 アムリッツァ星域で勃発した、帝国と同盟、2度目の総力戦は、帝国軍の圧倒的優勢のまま推移したものの、ヤンを中心とした同盟艦隊司令官らの尽力により、帝国軍が企図した包囲陣の完成は阻まれた格好となった。

帝国軍ラインハルト元帥府の艦隊は最終的に、侵攻してきた全ての敵軍を撃破し、奪われた領土全ての奪還に成功すると言う大殊勲を挙げる事となった一方、同盟軍残存艦隊は辛うじて、戦域からの離脱に成功、イゼルローンへの撤退が果たされた。

ほぼ6個宇宙艦隊を超える数の艦艇と、2200万将兵の出血と引き換えに・・・。

「どうして、大した奴がいるな、叛乱軍にも。」

 

「あぁ、次に会う時が楽しみだ。だが、当分その機会はあるまい。」

 

「確かに。再侵攻に及ぶ気も、その力も失ったろうからな。」

 帝国軍の双璧、ミッターマイヤーとロイエンタールもそう語らったこの戦いは、同盟にとっては結局、ヤン一人に名を為さしめたのみであり、何ら得る事があった訳でもなく、却って数多のものを失う結果となった。帝国と同盟のパワーバランスは再び元通り、イゼルローン要塞を取った代わりに、同盟はその力を大きく失った、と言う形であった。

 

 会戦終了の4時間後、参加した将帥を労うべく、ラインハルトは8人の提督をブリュンヒルトに呼び寄せた。キルヒアイスを筆頭に、7人の提督と握手を交わす中、最後の一人に対して、ラインハルトは厳しい目を向けた。

「―――卿も敢闘したと言いたい所だが、そうもゆかぬ。」

 

「ハッ!」

跪いたのは、ビッテンフェルトであった。

「分かっていよう。卿は武勲を焦り、進んではならない時に猪突した。結果卿の艦隊は甚大な被害を被り、包囲陣は完成される事無く完勝の機会を逃した。私の言う事に異議はあるか。」

 

「―――ございません。」

 

「信賞必罰は武門の依って立つところだ。オーディンに帰還し次第、卿の責任を問う事とする。自室に於いて謹慎せよ。解散!」

それだけ言い置いて、ラインハルトはその場を後にした。その背をキルヒアイスが追い、視線でそれを追うオーベルシュタインの視線は冷酷であった。

 

結局ビッテンフェルトが罰される事は無く、全ての戦後処理に区切りが付いたところで、ブリュンヒルトからシャトルが飛んだ。行先はジークムントの旗艦、アイゼンシュタットであった。

「態々ご足労頂き、恐縮です。」

シャトルの出口でジークムントが直接出迎えた相手は、今回の戦いの総司令官であるラインハルトと、副司令官のキルヒアイスであった。

「卿の戦いぶりには見るべきところが多くあった。またアムリッツァでも、少なからず功績もあった。それについて、礼を言いに来たのだ。」

ラインハルトがそう称賛の言葉を述べると、ジークムントはそれに応える。

「閣下のお立てになった大功に比すれば、我らは、門地を守ったのみ。帝国の為、お役に立てた事こそ、我らの誇りとする所です。此度は、その瞬間を目にすることが出来た事を何より慶び、家臣に聞かせてやりとう存じます。」

その言葉を聞いて、ラインハルトは目を見張る様にこう言った。

「卿の様な者は、この帝国では貴重だな。私としても良いものを見させて貰ったと思っている。オーディンに帰還の後は、この戦功により昇進もあろう。楽しみにして置く事だ。」

 

「ありがとうございます。」

ジークムントは短くそう答えたのみであったと言う。

ラインハルトとキルヒアイスがブリュンヒルトに帰還した後、ジークムント率いるブランデンブルグ公国軍第1艦隊は、帝国軍より一足早くアムリッツァ星域を離れた。無論行き先は、彼らの母星、ヴィルヘルムスハーフェンであった。

「やっと帰れるな。」

 

「はい、閣下。」

 ブランデンブルグ兄弟にとっても、張り詰めていたものが一挙に落ちた所である。彼らの失敗で、億の人民の命が失われるかもしれないと思えば、その憂慮も当然であったが、最終的に彼らは完全な成功を収め、ブランデンブルグ公領の戦時体制は、無事解除となった。

「少しはゆっくりする事にしよう。3か月も張り詰めっぱなしでは、些か疲れた。」

 

「そうしましょう。またヴェッセルに行かれますか?」

 

「それもそうだが、まずは家門の者達と、ゆっくり過ごすさ。」

 

「そうですね―――」

 その会話はまごう事無く、気心の知れた兄弟の会話であった。これでようやく忙しさからは解放される―――そんな安堵感は確かにあった。昇進の結果どうなるかは分からないが、それまでにも、休む暇くらいはあろうと2人も思ってもいた。

ともあれ、勝利者達は、その先の僅かな安寧を享受し始めていた。

 

 一方同盟では、大きな動きが生じていた。帝国領侵攻作戦が大敗に終わった事を受け、同盟軍では大きな左遷人事が行われたのだ。

作戦を指揮した宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥と、統合作戦本部長であるシドニー・シトレ元帥が共に退役、精神疾患を発症したアンドリュー・フォーク准将が予備役に編入、キャゼルヌら主だった参謀も全て左遷、ドワイト・グリーンヒル総参謀長もまた、国防委員会事務総局査閲部長に左遷となって軍務の第一線を離れた。

 代わって、第1艦隊司令官だったクブルスリー大将が統合作戦本部長に、第5艦隊司令官ビュコック中将が、大将へ昇進の上で宇宙艦隊司令長官にそれぞれ就任する。そして、ヤンの処遇は、ヤンが取った3週間の休暇の後に決定され、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊総司令官、大将として、イゼルローンへの赴任が発令されたのである。

幕僚としてはフレデリカ・グリーンヒルやムライ、パトリチェフらが第13艦隊から引き継がれ、パトリチェフが副参謀長、ムライが総参謀長、グリーンヒルは副官に留まり、駐留艦隊副司令官としてエドウィン・フィッシャーが、要塞防御指揮官にはシェーンコップが、要塞第1・2空戦隊長にそれぞれオリビエ・ポプランとイワン・コーネフが就き、分艦隊司令官として、ダスティ・アッテンボロー、グエン・バン・ヒューが赴任、アッテンボローの副官にラオ中佐が付けられた。そして、ユリアン・ミンツが軍属として、兵長待遇となってイゼルローンに赴任する事になった。

 

 ヤン艦隊の陣容がこうして整いつつある中、当のヤン・ウェンリーは帝国軍の動きを気にかけていた。6個宇宙艦隊を失った同盟軍にかつての力はなく、パワーバランスの逆転を知った帝国軍が、反転攻勢に出るのではないかと言う憂慮である。

しかしながら、それは杞憂に終わる。

 

宇宙暦796年/帝国暦487年11月8日―――

 

リヒテンラーデ「な―――?!」

 

リッテンハイム「まことか―――?!」

 

ブラウンシュヴァイク「陛下が―――?!」

 

ジークムント「崩御召された―――?!」

 

ラインハルト「心臓発作だと―――?」

 

―――皇帝、フリードリヒ4世が、急死したのである。

時代は、この日を境に、一挙に加速し始める。

 

 

~黎明編 完~

*1
この時宇宙艦隊司令長官は依然として空位であり、残る軍務尚書が統帥本部総長と示し合わせの上で宇宙艦隊の運用を行っていた。前宇宙艦隊司令長官のグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー退役元帥はこの時、オブザーバーとして同席している。

*2
帝国軍の指揮下に入ったブランデンブルグ公国艦隊であるとは、最後まで把握は出来ていなかったとされる。


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