東方優漢記 再録   作:カマボコ3344

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今回はゆかりんこと八雲紫とのお話。
時系列的には地霊殿が終了してしばらく経った後になります。
また、今回は主人公の過去とオリジナルキャラクターが登場しますのであしからず。


紫-yukari-

 チック、タック、チック……。

 

 壁に掛けられた時計から鳴る針の音が、穏やかでゆったりとした時の流れを教えていた。

 使い古された雰囲気を持つ、湿った木の匂いが立ち込める香霖堂だが、開け放たれた窓からは春先の爽やかな陽気が入り込み、この乱雑な店の特有の臭いを緩和していた。

 所狭しと乱雑に置かれた大小様々な道具の中、ちょうど扉から入った誰かが「あぁ、そこがカウンターなのか」と思える程度の距離に設置された古ぼけた机と椅子に、彼は座っていた。

 普段はこの店の主が鎮座して本を読むか、たまにやって来る森の魔法使いを座りながら相手をしているかのどちらかだが、今日の座り主は店主のもとで働く従業員だった。

 従業員――神谷光太郎は、百歳を超えてなお若々しい体で、背を伸ばし、どこか思うところがありそうな顔をしつつも、左手に持ったとあるモノを右手に持った清潔な布で撫でるような手つきで拭いていた。

 左手のソレは、小さな塔の形を持っていた。方形屋根をかたどった部分と雲を絵で表したような二つのパーツで、透明な水晶大の大きさの球体を挟んだ、奇妙な道具。構造的にハンバーガーのようだ、と光太郎は思った。何よりも、この謎の物体から放たれる、邪気を祓い寄せ付けないような神聖で神々しさを与える気が、この正体不明の物体の謎をさらに深めていた。

 霖之助くんが持ち帰ってくるのも頷ける、と光太郎は得心を得ながらも同時にこの道具について考えていた。

 店主が言うには、名前は宝塔、用途は多いが今現在最も使われるのは光で照らすこと、らしい。

 そもそも、宝塔というものは仏塔の一種で、仏舎利(お釈迦様の骨こと)を収めるための建物だ。円筒形の塔身を持ち、大きさは最低でも一メートル前後はある。しかしこの宝塔はちょうど手のひらに収まるサイズで、とてもお釈迦様の遺骨を収められるようなスペースはない。そもそも開いたりずらしたり出来るような場所がないことは、数分間触っていた光太郎も十分承知している。

 ならばコレはいったい何なのか? いくら外の世界からくる道具の使い方がわかる光太郎でも、こういった幻想の道具には疎いもので、いくら頭を捻っても答えは出てこなかった。

 

 一つ、息を吐いた。いくら考えても答えが出ないのなら、止めてしまおう。ずっと座りっぱなしだから疲れてしまったし、お茶でも淹れるとしよう。

 そう思って、光太郎が宝塔を机の上に置き、椅子から立ち上がろうと視線を上げた瞬間だった。

 

「ごきげんよう」

 

 時の流れを告げる音だけが流れていた店内に、一つの声が鳴った。

 無から有が生まれたような、そんな不思議な感覚が光太郎に訪れた。

 立ち上がろうと顔を上げた視界の中、今まで乱雑に、しかしカウンターへの通り道は確保されていた店の中、その通り道に、いつのまにかそこに誰かが立っていた。少し視線を外した隙に、ソレは現れた。

 今までなかったものが、一瞬の間もなくそこに現れる。その感覚に戸惑うことはあっても、光太郎はその感覚を知っていた。というよりも、久しぶりだと思える程だ。

 だから、特に驚きもなく、心臓が跳ね上がることもなかった。それどころか目の前に現れた人物をしっかりと観察することすらできた。

 美しい人だ。この世の美が全て柔和したかのような面持ち。街を通れば、十人中十人が振り返るであろう美貌。糸のような細くしなやかな髪は今は纏められずに背中に下ろされ、窓から入る風に乗ってかすかに揺れていた。

 八卦の萃と太極図が描かれた中華風の白い服を着こなしたその女性は、光太郎の方を見て、にこやかに微笑んでいた。

 普通の男ならば、この笑顔だけで緊張、あるいは勘違いを起こしてしまうだろう。しかし、光太郎は一瞬だけ目を瞬かせ、次には女性に負けないほどの優しげな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「いらっしゃいませ、紫さん」

 

―――――――――

 

 古めかしい店内に、和の国には珍しい香ばしい匂いが漂った。匂いのもとは、光太郎がソーサーカップに注ぐ黒い液体だ。幻想郷に住むものにはあまり馴染みのないその飲み物は、コーヒーと呼ばれていた。

 来客に何か飲み物を出そうとしたところ、店の奥の倉庫にコーヒーを作るための機械一式が放置されていたことを思い出した光太郎がそれを台所まで持ってきたのだ。無論、使用に電気を利用するものではなく、豆を挽くハンドミル、抽出するためのコーヒーサイフォンなども全て手動で行わなければならないものばかりだった。予め客に時間がかかることは承知してもらっていたので、時の流れに追われることはなかったが。

 まず来客用のカップを満たし、ついで自分のカップにコーヒーを淹れた光太郎は、その二つを木製の丸盆に乗せて店先へと戻った。

 

「お待たせしました」

 

 来客はどこから取り出したのか、ちょうどカウンターの向こう側に椅子を置いて座っていた。ちょうど光太郎と向かい合わせになる位置だ。

 二つの椅子に挟まれた机の上に光太郎は盆を置いた。香ばしい香りが部屋の中に広がる。

 

「あら、珍しいものを出してきたのね」

「ええ、以前霊夢ちゃんと魔理沙ちゃんに出したら不評だったんですけど、紫さんならきっとコレの良さがわかってくれると思いましてね。状態のいい豆もありましたから、ちょうどいいと思ったんですよ」

「そう。なら、いただきますわ」

 

 静かに頷き、彼女はカップを持ち上げ、口へと運んでいった。その動作一つ一つが優雅さを放っているようにすら感じるのは、この女性が本来持つものだからだろうか。

 女性が喉を鳴らす音が聞こえるほどの静寂の中、光太郎はじっとその場で動かず、ただその様を見届けた。そして、カップが置かれ、閉じていた瞼を開き、女性は口を開いた。

 

「甘い、わね」

 

 唇の端を柔らかに上げた女性の表情に、光太郎はふっと笑い返した。

 

「苦いと返してこないなら、気に入ってもらえたと受け取っていいでんでしょうか?」

「そうね。これなら店を開いても問題無いですわ」

「ハハ……一応、コーヒーを出す店で働いていた時期もあったんですよ」

「あら、そうだったの?」

「百年も生きていれば、それくらいの経験はありますよ」

 

 恥ずかしそうに頭を掻きつつも、光太郎は自分の分のカップを口にした。そして一旦カップを下ろすと、待っていたように女性が話しかけてきた。

 

「あなたがこちらに来て、もう五、六年は経ったわね」

「おや、もうそんなに経ってましたか?」

「ええ、紅い霧が出るちょうど一年前に幻想郷に来たから、そうなりますわ」

「そうですか……いやはや、時が経つのは早いものですね。それとも――」

 

 光太郎は自分の右掌を目の前にかざした。その表情は、どこか疲れたような、寂しさを纏っていた。

 

「――体が老いないせいですかね? どうも私は、昔から時が経つのを早く感じていた気がしますよ」

「そうね……それは人間が味わうことのない感覚なのに……人間であるあなたはその感覚を知ってしまった――知らされてしまった、というのが正しいかしらね?」

「そうですね……何とも言えません」

 

 困ったような笑みを浮かべ、光太郎は再びコーヒーを飲んだ。苦い、がその苦味という闇の中に包まれた、小さな光のような甘さが舌に残る味だった。

 

「奇妙な人生ですね」

 

 呟くような光太郎の一言に、女性の眉が少しだけ下がる。僅かな変化だが、自分への確かな同情が存在していることを光太郎は知っていた。

 だが、この人の前でなら自分の全てを話しても構わないこともまた、光太郎はしっていたのだ。自分が生まれた瞬間から、今この場にいるまでの全ての経緯を知るこの賢者にならば。

 だから、光太郎はつづけるのだ。自分の奇妙な人生と、自分という奇妙な存在の成り立ちを。

 

「ある日突然生まれて、鬼である父に拾われ、あなた達に育てられて、父を看取って、人に紛れて生き続けて、家族を作って、人との違いに悩んで、孫も見捨てて、そしてここに来て……」

 

 天井を見上げるその瞳には、彼の経験してきた全てが思い浮かんでいた。百年経っても、今でも鮮明に思い出すことができる、自分の生まれ、そして父との出会いから……。

 

――――――――――

 

 ソレがどうして生まれたのか?

 その成り立ちは明治維新を終えた日本人の持つ、とある潜在意識の増加からだった。

 成長する機械技術、それに伴う工業化と急速な近代化。日本はまさに文明開化を迎え、ひたすらに走るマラソン選手のように、文明国家への道を突き進んでいた。

 だが同時に、便利になっていく世の中に伴い、とある認識、思い込み、さらには常識が、人々の間に浸透していった。

 それは、古くから神や妖怪を生み出してきた人々の心に存在する恐怖心や信仰心とは全く逆の、言わばマイナスの意識。

『神などという不確かなものは存在しない』

『妖怪などというものの存在はありえない』

『魔法などなくとも我々には科学の力がある』

 これらの意識は、いつのまにか人々の中に浸透していき、やがて常識へと昇華した。

 すなわち、神や妖怪などの幻想を否定、拒絶する心。

 この人が新たに持った力に、日本に古来から存在していた幻想の存在たちは、次々と姿を消していった。

 皮肉なものだ。人間が幻想を生み出した力が、逆に幻想を殺す力に変わってしまったのだから。

 皮肉なものだ。魔法を信じないその心が、ある意味最も魔法に近い力を持つのだから。

 

 しかしだからこそ、八雲紫は幻想郷を作り出し、世界と世界を隔絶する結界を張ったのだ。言わば幻想郷は、日本の中にあるもう一つの国だ。陸続きになりながらも決して互いを干渉しあわない不可侵条約を結んだ国同士。それが日本と幻想郷の関係だった。

 だが、その後も人の持つ幻想を否定する意識は高まり続け、やがて奇妙な出来事を起こした。

 今から百年ほど前、高まり続けた人々の意識は、まるで仲間を求めるかのように一点に集合した。そして、ソレはこの世に、人の形を保って生まれた。

 ある意味当然かもしれない。人間の意識の、否、人間の総意が人の形を持つのは。

 そもそも、同じように生まれた神も妖怪も皆同じように人の姿を持っている。だからこそ、ソレもまた人の形を持ったのだ。幻想を否定する心から生まれたはずであるにもかかわらず、ソレは神や妖怪とほぼ同じ作られ方をしていた、言わば一種の概念的存在とも言える、幻想を拒絶する心から生まれた、幻想の者に限りなく近い、矛盾した存在。ソレは奇妙な存在だった。

 生まれたばかりのソレは、空っぽの人形だった。

 赤子ほどの知識も、知性も、感情も心も持たないソレは、しかしある強力な力を持っていた。

 それは、幻想の否定。例え自由に空を飛ぶ天狗であろうと、捉え切れない速さで地を駆ける人狼であろうと、摩訶不思議な力を放つ魔法であろうと、この世の理を根底から捻じ曲げる超次元的な力を持った神であろうと、ソレの持つ力の前では塵に等しかった。

 ある意味、この力こそがソレ自身であるとも言えるであろう。

 そして生を受けたばかりのソレは、自分が生まれた場所の周囲にあった、人間たちから隠れて暮らしていた妖怪の一団を、この世から跡形もなく消滅させてしまった。

 力の制御など、できるはずもなかった。ソレは何も知らない、赤子以前の生き物だったのだから。

 まるで巨大な炎がそのまま山の木々を燃やしながらを歩いているかのように、ソレが通った後には、ただでさえ数少なかった妖怪や妖精の姿が尽く消し去られていった。

 抵抗する者もいた。手傷を与えた者もいた。しかし全ては無駄だった。

 幻想の力を用いた攻撃はソレには届かず、また仮に届いても、ソレはあっという間に傷を修復してしまうのだ。まるで妖怪の傷がすぐに癒えるのと同じように、妖精が死なないのと同じように。

 これも当然といえば当然だ。なにせソレは人の形を持っているとはいえ、その存在は幻想の者よりも圧倒的に数の多い人間の総意が形を成したものだ。形に傷を与えても、ソレの存在が揺らぐことはなかった。海を殴って消そうとしているような行為だ。全ては水泡と帰してしまう。

 人間に限りなく近く、極めて遠い存在であるソレが止まったのは、誕生から実に1ヶ月近く経ってからだった。

 理由はあまりにも単純だった、空腹だ。

 いくら人から離れている部分があるとはいえ、そこだけは妖怪になりきれなかったことが、ソレの唯一の欠点だった。

 だが大地に倒れ伏し、ゼンマイの止まったブリキ人形のように微動だにしなくなったソレは、それでも幻想を否定し続けていた。殺された者の仇を取ろうと近づいた者は尽く消滅し、その消された者たちの仇を取ろうとさらに近づく者たちが消され……そんな一方的なやり取りが数日続いた後、人間も入り込まず、妖怪たちも近づくことを諦めた山奥でとうとうソレに近づくことができた者がいた。

 

 その者は、かつて山の四天王と呼ばれていた。種族は鬼、名は金熊、他の妖怪からは『欠角の熊男』と評され、その名の通り、つむじのあたりに存在する鬼の象徴でもある角が折れており、その体は熊と見間違えるほどに屈強であった。

 なぜ近づくことができたのか? ソレが空腹によって力が弱まっていたことも要因だろうが、一番の原因は、金熊が人間に近い存在へと成れ果てていたことだろう。かつては鬼の四天王として振るっていた力は、地上に出てきてしまったことで人間の幻想の否定を受けて弱まり、全盛期とは比べ物にならないほど弱体化してしまっていた。つまり、人間に近づいていたのだ。

 人間ならば、幻想の否定は受け入れられない。金熊は倒れ伏したソレに近づき、その体を鋭い目付きで見下ろした。

 

 彼の顔はまさに鬼。いかついなどという言葉を超えた形相に相応しいギラつく眼光が、山を騒がせた元凶を睨む。

 そして、仰向けになっていたソレの隣に座り込む。古びた黒い道着服から布擦れの音が静かに響いた。

 不意に、ソレの唇の間を通り抜けて口の中に何かが入り込んだ。初めて口の中に何かを入れることを経験したソレは、思わず咳き込んだ。

 苦いような、辛いような、とにかく舌を刺激するその液体に困惑しながらも、ソレは空腹と疲労で霞んだ視界の中で、ただじっとこちらを見る、頭に奇妙な物をつけた大男の姿を見つめるしかできなかった。

 

『最近ここらへんを騒がせてたのはお前か……まだ餓鬼じゃねェか』

 

 鬼の言葉は、ソレには理解できなかった。無知であるそれは、赤ん坊がそうするようにカタコトとも言えない言葉を、本能的に返すしかできない。

 

『あー……』

『何だお前? まるで赤子みてェな反応しやがって。そんだけでかくなってンのに吃音にでもかかったみてェな奴だな』

『うー……?』

『……チッ、めんどくせェな……』

 

 大男の顔が歪み、明らかに不機嫌そうになる。

 その変化を見て、今まで無表情だったソレの顔が眉を下げた。悲しそうな表情へと変わっていったのだ。

 

『う……うぃ……ひっ……』

 

 苦しい、息がし辛い。

自分の中で膨れ続ける理解不能なモノを抑えるすべを知らないソレは、その謎の衝動に任せて、瞳から溢れてくる熱いものを拭うこともできず、ソレは初めて泣いた。

 

『うぁ……うぁああぁぁぁああああん!!!』

『ぬぉ、何だァ!?』

『うぁああ、びぃええぇぇぇぇ、びぇええええええ!!!』

『ちょ、おま、泣くな泣くな! 泣き止めって! 痛ェ! 叩くな! 蹴るな! 苦しめるなァ!』

 

 その日、生まれてから一ヶ月程経った日に、ソレはようやく産声を上げた。

 

――――――――――

 

「今思うと、よく生きてたと思いますよ」

 

 いつの間にやらカップの中身は空になっていた。光太郎は思い出話を話しながら、父の顔を思い浮かべる。

 鬼という種族に相応しい、鬼を体現したような凶悪な顔と屈強な体。いくら力が減っていたとはいえ、生身で熊を捻り殺すその姿は、幼い頃の光太郎にとっては頼もしく、自分という存在を受け入れてくれた広く優しい心は一生の目標にしたいものであった。

 

「父には感謝してもしきれません。私を一人前になるまで育ててくれたのですから」

「あら、金熊にだけかしら?」

「もちろん紫さんにもですよ。紫さんがいなかったら、私は多分、一生山籠りで生活していたと思いますから」

 

 金熊と八雲紫は、古くからの友人であった。金熊と同じ山の四天王である伊吹萃香を介して、二人はよく酒を飲み交わす仲だったのだ。そして、紫は時折外の世界でひっそりと暮らす金熊の様子を見に行くと同時に、いい加減幻想郷に来いと急かすのがお決まりの恒例だった。

 

「まったく、あいつほど頑固な鬼もいないわ。いくら私が来いと言っても一向に首を振らないのよ?」

「ええ、そのまま飲み会に以降するのを何回も見たのを憶えています」

 

 さらにそのままお互いの愚痴を漏らし続ける光景になったことを思い出し、光太郎はくっくと笑った。かつては思いもしなかったが、あの八雲紫がベロンベロンになるまで酔いながらひたすら愚痴を垂れ流し続け、妖怪と人間のバランスがどうだのと騒ぎ出し、時には唐突に歌ったりするのだからその姿のなんと滑稽なことなことだろう。

 ただ、光太郎もそんな二人に絡まれることが多かったせいか、割と早い頃から酒に強くなっていた。今では鬼とタメを貼れる程度の酒豪だ。

 

 それはともかく、光太郎は父への感謝と同じように、紫にも多大な感謝の念を抱いていた。金熊は生きる術と糧を教え、与えてくれたがこと教育に関してはからっきしだった。

 そこで、紫の出番である。紫からすれば知り合いがいきなり人間を拾って育てていたのだから困惑もしたが、初対面でいきなり指を刺されて「ばばあ?」と、隣の大男が放った一言を連呼されたのを受けて、とりあえず大男をふんじばってから修正を求めた。その行為が気が付けば言葉を教えるようになるまで昇華し、さらには読み書き、算式、礼儀作法など、人として必要な物事を教えこんでいた。

 一を聞いて十を知るように、水を吸うスポンジのような早さで紫から知識を教わったソレは、三年も経てば礼儀正しい青年へと早変わりしていた。

 紫自身も、物事を教える行為に熱中していたのが原因だろう。

 ともかく、鬼である父と、妖怪の賢者に育てられたソレが、一人の人間としての自己を確立したのは、生まれてから十年も経たない頃だった。

 

「父は、人間が好きでした」

 

 しみじみと、懐かしみながら光太郎は呟いた。

 

「人間が鬼を一方的に嫌い、二つの種族の間に築かれていた関係を壊した時、鬼は地上から去って地下に潜りました……ただ一人、父を除いて。

 父は、人間を愛していたからこそ、人間のそばから離れなかったんだと思います。そのせいで自分の角が折られようと、次第に只の人間に成り下がってしまおうと、それでも人間と、その行く末を最後まで見守りたかったんでしょう。

 時々、父と一緒に山の頂上から麓の街を見下ろすことがあったんですが、その時の父の表情は、少し寂しげで……でもどこか嬉しそうだったのが印象に残っています」

 

 日に日に広がっていき、少しずつ自然を切り取りながら住処を拡大していく人間の姿は、金熊には一体どのように映ったのか。それは、本人にしかわからない。

 しかし光太郎はこう思う。金熊は、自分たち幻想を消し去るように、木々を伐採する人間の姿をそれでも愛おしく感じていたのではないかと。人間が好きだから、その人間が強くなる姿に、子供の成長を喜ぶ親のような心境を得ていたのではないかと。

 

「……だから、父は人間として死ぬことができて、満足したんじゃないかとも思っています」

「そうね……きっと、そうでしょうね」

 

 再び、光太郎の瞳に過去の光景が浮かび上がる。そこには、まるで病にかかった人間のように、床につく金熊の姿があった。

 

――――――――――

 

 金熊の容態が急変したのは、ソレ――光太郎を拾ってから十余年の時が経った、ある春の日だった。

 いつものように、山奥に立てられた小さなあばら屋と、その前に作られた必要最低限の大きさの畑で、生きるための作業をしていた時、突然金熊の体が地に倒れたのだ。

 当然、一緒に畑を耕していた光太郎はすぐに金熊を抱え、布団に寝かせた。

 幸いだったのは、その日がちょうど紫の訪問日だったことだろう。紫は最初こそ目にした状況に困惑を示していたが、すぐに平静を取り戻し、看病に必要な道具一式を取り揃えた。しかし紫は、同時に光太郎に一つの事実を示した。

 

―金熊はもうじき死ぬ―

 

 長らく人間への道を辿っていた金熊だったが、とうとうその体にも限界が来ようとしていた。

 否、限界は最初から訪れていたのだ。それまでの金熊は、鬼という体を削ることで一時的にその場凌ぎをしていたに過ぎない。

 鬼という、人間では考えられない程の永い時を生きていた者が、完全に人間という脆弱な体へと成り果ててしまった時、その身に今までの時間の経過が襲いかかる。急激な老衰が、金熊に訪れたのだ。

 一時間が一年、それほどの早さで金熊の体は衰えていった。光太郎は寝ずに看病を続けたが、刻一刻と迫り来る死を祓う術など持たない彼には、苦しむ金熊を励ます程度しかできることはなかった。

 森の熊を素手で殺した男が、自分を拾って育ててくれた男が、岩肌のような無骨な優しさをくれた男が、憧れた父が、何もできないまま死んでいく姿に、光太郎は気が狂うのではないかというほどに涙を流し続けた。

 そんな光太郎を、金熊は苦しげな表情で笑いながら慰めた。「俺のことァは気にするな、自分で選んだ結果だ」と、言い聞かせ続けた。

 

 金熊の最後の言葉は「ありがとう」だった。

 人間を最も愛した鬼は、最も愛した人間として、その生涯の閉じた。

 金熊が遺したものは、彼が昔から愛用していた酒を飲むための特別な升と、人間に限りなく近く極めて遠い息子だけだった。

 

 息子は、父の遺体を葬った後、父の古くからの友に自分のこれからを話した。

 そしてそれは“父が愛した人間と生きてみたい”という願いだった。

 紫は最初はその願いに難色を示した。いくら人間に近かろうが、彼もまた異形。人間でないものが人間のふりをすることほど難しいことはないということを、八雲紫は痛いほどに知っていたのだ。

 しかし、だからといって光太郎を幻想郷に連れて行くことも、彼女にはできなかった。

 怖かったのだ。紫は金熊から光太郎が一体何なのかを教えられていたため、その存在が幻想郷にとっての脅威となり、最悪幻想郷を破壊しかねないことを、彼女は恐れてしまった。

 結局、光太郎の熱意と、自分の中の恐怖心から彼が人間として生きることを了承し、そのための配慮を行ったことで、紫と光太郎は一時の別れを告げた。

 彼らが次に出会うまで、実に九十年の時が必要だった。

 

――――――――――

 

「酒の席じゃあすっかり、これのお世話になってますよ」

 

 そう言って光太郎が取り出したのは、父から譲り受けた升だった。ちょうど光太郎の片手に馴染む大きさで、酒を飲む時はいつもこの升を使っている。金熊がまだ鬼だった頃の妖力が宿ったこの升は、注いだ酒の量を好きなだけ調節できる力があった。これ一つで、酒瓶百本分の酒を作り出すことも可能だ。

 光太郎は他人からお酌をされる時以外は、常に酒の量を一定にして、騒ぎ立てる人々の姿を遠目に見ながら黙々と酒を飲むのが好きだった。まるで、父が山の上から人間を見守っていたように。

 

「……臆病、だったわね。あの時の私は」

「当然ですよ、私を幻想郷に連れてくるということは、自分の子供のところに、核爆弾を持って行くような行為ですからね」

「核爆弾……そうね、あなたは人間が生み出した、幻想に対してのみ働く核だわ」

「普通の核ですら危ないというのに、私のようなものまで生むんですから、本当に人間とは困った生き物ですね」

 

 そこまで言って、「そういえば……」と、光太郎は思い出したように呟く。

 

「この前の、急に温泉と悪霊が吹き出てきたのも、ある意味核が原因でしたね。精確には核融合で、さらに精確に言えば山の神様が元凶でしたけど」

「そうね……ってそうだわ、今日はそのことでお話に来てたのよ。すっかり忘れちゃってたわ」

「はい?」

 

 何のことだろうと光太郎が首を傾げると、紫の顔が明らかに呆れ顔に変った。そして次には射抜くような表情で光太郎を見つめ、どこから取り出したのか扇子で光太郎を指した。

 

「あなた、また異変に首を突っ込んだでしょう? しかも今度は三人も協力者を連れて」

「ええ、はい。フランちゃんと、妹紅ちゃんと、早苗です。連れ出したと言うよりは、力の一部を借りただけですけど」

「その様子だと一切反省していないようね……あなた、これで何回異変に首を突っ込んだのか憶えてるの?」

「たしか、霧と、冬と、霧、夜、花、山……あとは天気と今回の地下を含めて計八回です」

 

 指を降りつつ答えを述べる光太郎に、紫の眉が下がる。

 

「あなたねえ……異変の解決は巫女に任せておきなさいって私が言ったのを忘れたの?」

「ええ、ハッキリとお断りしますってお答えしたはずですが?」

「――まったくあなたはっ!」

 

 とうとう堪えきれなくなった紫が立ち上がる。そのまま光太郎の眼前まで顔を近づけ、珍しい怒りの表情をあらわにした。

 

「いいこと? さっきも言ったように、あなたという存在は幻想郷にとっては核爆弾なのよ、そのあなたがフラフラと吸血鬼の住処やら冥界やら地下やらを歩いたら、周りに必要のない被害が出るかもしれないと考えられないの?」

「無駄に力を使った憶えはありません。私が力を使うのは、必要な時だけで、余計な被害は出していません。むしろ異変の前よりも良い結果になったと自負しています」

「その力を使う行為自体が、あなたに敵を作っているかもしれないという可能性を考えなさい!」

「力の制御ができなかった頃ならいざ知らず、今の私が力を誤った方向に使ったり、結果を悪い方向に持って行くなんて考えられません!」

「妖怪の誰かがあなたを危険だと思って襲ってきたらどうするの!?」

「説得します、周囲に被害が出るなら迷いなく力を使って説き伏せます!」

「死んだらどうするの!?」

「人間が存在し続ける限り、餓死以外では死にたくても死ねません!」

「じゃあ監禁されたりして餓死にまで追い込まれたらどうするの!?」

「そんな状況に陥る前に対処します!」

「そうならないか心配なのよ!」

「なら最初からそう言ってください回りくどい!」

「私が回りくどいのは知ってるでしょう!」

「自覚があるなら直してください!」

「無理よこの優柔剛断!」

「だったら私を心配するのは諦めてください!」

「できるわけないでしょうこの馬鹿息子!」

「どうしろっていうんですかこのモンスターペアレント!」

 

 そこでようやく口論が落ち付き、周囲には息切れの音と時計の針の音だけが響くようになった。

 打ち合わせでもしていたかのように、二人は同時に息継ぎをして、大きく息を吐いた。

 いつの間にか光太郎を胸ぐらをつかんでいた紫の腕がパッと離れ、紫は席に座った。

 

「……ごめんなさい、熱くなりすぎたわ」

「いえ、私も少し興奮してしまいました……申し訳ありません」

 

 ですが……と、光太郎が続ける。

 

「私が異変に関わるのは、人間が、みんなが困っているからです。紅い霧の時は里の人々がの多くが体を壊しましたし、冬が明けない時は寒がっていたから、霧は里の貯蓄が必要以上に減っていたため、夜は満月のせいで妖怪が暴走しないためです。

 まあ、花は結果的になにもしないでよかったですからそんなに関わってませんし、山は完全に私情で動いてましたから言い返せませんが、天気は里の作物が育ちにくくなりそうだったから参加したんです」

「それじゃあ今回は?」

「今回は悪霊に怯える子供がいましたし、早苗に間接的とはいえ、異変とはこういうものだということを教えたかったという理由があります。まぁ、元凶はあの神様たちでしたから、しばらくお仕置きで只の人間として暮らしてもらいましたけど」

「あなた……意外と器用にえげつないことするわね」

「まぁ、早苗を育ててもらった身としてはあまりひどい事をしたくなかったんですが、今回は流石に腹に据えかねたので」

 

 力を使って一時的に神を人へと変化させた。言えば簡単だが、それだけのことができるようになった光太郎が、自分の友人を二人も救ってくれていたことを、紫は思い出した。

 亡霊と鬼、二人の友を縛る呪縛を解き放ったのは、紫がかつて恐れていた力だったのだ。

 いつもそうだ。本来なら、毒にしかならないはずの力を光太郎は薬として扱う。そして何かしらの苦しみを消し去ってしまう。

 だがどれだけの功績を築こうと、紫の中には光太郎の力への恐れと、光太郎へのはからいの気持ちが溢れてしまうのだ。

 大切な息子。幻想郷を愛する気持ちと同じように、光太郎のこともまた、自分の子どもとして常に気にかけてしまう母の心情が紫の中に存在していた。だがこの気遣いは、同時に警戒心を同居させた歪な形を保っている。紫はそれがどうしても許せなかった。

 

「……駄目ね、私って」

「どうしたんですか急に?」

「あなたのことが心配なのは確かよ、でもこの配慮はあなたを疑っていることの現れでもあるの。

 あなたを純粋に心配できない自分が嫌になるわ。だからあんな回りくどい言い方しかできないのよ」

「紫さん……」

 

 沈痛な面持ちのまま、紫は顔を伏せた。項垂れたその姿を見て光太郎は――その肩に手をおいた。

 驚いて顔を上げる紫の目をじっと見つめ、最初のようににこやかに微笑んだ。

 

「さっきも言いましたが、私はあなたに感謝しています。あなたは私に様々なことを教えてくれた、私の決断を受け入れてくれた、そして私を幻想郷に招いてくれた、それだけで、一生かかっても返せない恩を私にくれたんです」

「……幻想郷は全てを受け入れる、たとえそれが自身の滅びであろうと。だからあなたを受け入れたのよ」

「ほら回りくどい。ちゃんと『どういたしまして』って言ってくれたらそれでいいんですよ」

「……あなたは、本当にお人好しね。誰に似たのかしら?」

「さあ? もしかしたら、私みたいな者を拾って育ててくれた、優しい鬼と賢者かもしれませんよ?」

 

 いたずらっぽく笑う光太郎を見て、ようやく紫は笑顔を取り戻した。世のすべての男性を魅了する、絵画のような笑みだった。

 

――――――――――

 

「そういえば、コレは何かしら? この店に似つかわしくない神聖な感じがするけど」

 

 紫が片手でいじるのは、光太郎が拭いていた宝塔。やはり彼女から見ても珍しいのか、まじまじと瞳にその姿を映している。

 

「霖之助くんが最近拾ってきたんですよ。コレの正体が知りたいから、今日は店を開けて図書館の方まで本を借りに行ってるんです」

「だからいないのね。もういっそあなたがこの店を経営したらどうかしら、今よりは儲かると思うわよ?」

「この店が繁盛してる姿が想像できますか?」

「天地が逆さになっても無理ね」

「つまりはそういうことですよ」

 

 新しいコーヒーを注ぎながら、そんな冗談を口走る。笑い合う二人の姿は、友人のような、恋人のような、姉弟のような、親子のような、そんな捉えづらく形容しづらいものだった。

 ただ言えるのは、今二人は楽しげに過ごしているということ。それだけだった。

 

 ちなみに、紫が手にしている宝塔が次の異変において重要な役割を担っていることは、この時の二人にはわからない。その異変の結果がどうなるかも、二人にはわからないが、光太郎がまた首を突っ込むことだけは確かだった。

 




 色々とオリジナルの設定だらけになってしまいました。ついて来てくれる人はいるのだろうか……。




今回の登場キャラの紹介などをば

金熊

 かつて人間が鬼を拒否した時、鬼は地下へと身を隠したが、その時に唯一地上に残った鬼であり、かつては山の四天王の一角を務めていた。人間を愛していた彼は、人間が自分たちを拒絶した後も人間と関わろうとしたが人間はそれを拒絶、代償として彼は角を失った。
 それでも彼はせめて人間の行く末を見届けようと、人の手が加えられない深い山の奥で、時折人間の成長を見つめながら隠居同然の生活を送っていたが、高まる人間の幻想を否定する意識によって体が次第に鬼ではなく人間へと成り下がってしまっていく。
 そんな中、生まれたばかりの主人公を拾った彼は愛する人間の総意でもある主人公を育てることとする。
 そして拾った総意に神谷光太郎という名前を預け、主に肉体面と力の制御方法の教育を施し、彼を息子として扱った。
 しかし光太郎がひと通り力を扱えるようになった頃、今まで蝕んでいた毒が回ったかのように完全に肉体が人間へと変化、今まで鬼として生きてきた時間が人間となった体に襲いかかり、一気に衰弱する。
 誰も恨むことなく、むしろ人として死ねることと、息子と呼べる存在に看取られることに喜びを感じながら、この世を去る。彼が使っていた特別な升は、光太郎に受け継がれている。
 種族の違いにとらわれず、すべてを受け入れるかのような大きな心は、神谷光太郎という人物の土台となっており、光太郎の優しさの起源ともなっている。

八雲紫

 幻想郷の創造主、妖怪の賢者、スキマ妖怪などなど、様々な呼び名が存在する彼女。
 本作では主人公である光太郎に知識を与え、様々な物事を教えた母親のような立場となり、同時に常に彼のことを気にかけている。しかし、光太郎という存在が幻想郷を破滅させかねないという危険が常に頭の中に存在するため、その心遣いは同時に警戒心をも孕んだ歪なものであり、そう思うしかできないことを悔やんでいる。
 どうしても常に光太郎を危険視せざるを得ない自分に対する嫌悪感を抱いているが、そんな自分の心配をよそに異変に首を突っ込み続ける光太郎にやり場のない怒りをぶつけることもしばしばある。
 それでも光太郎との絆は強く、互いに悩みがあれば相談しあう事ができる、気心の知れた仲だ。
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