虚白の太陽   作:柴猫侍

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*1 金無し、宿無し、記憶無し

 思い出せないことがある。

 

 とても大切な思い出だ。だけど、ボクの中に潜む誰かが覆い隠しているから、ついにボクは思い出すことは出来ていなかった。

 

 ボクは真っ白だった。まっさらに漂白(じょうか)されたからっぽな魂。

 皆と違う漠然とした確信を得て、ボクは大地に立っている。緑が生え、青が泳ぎ、赤が沈む世界に。

 真っ白なボクにとって、その景色はとても鮮烈なもので、それでいてどこか懐かしい気がした。その度に泣き出してしまいそうな程の郷愁に襲われては、ボクは空を移ろう雲のように流浪に生きる。

 

 ボクは独りだ。

 ボクは真っ白だ。

 ボクはボクにさえ捉えることが出来ない、この世にポッカリと穿たれた虚のようなものだ。

 

 だからボクはボクをこう呼ぶ。

 

 

 

―――虚白(コハク)って。

 

 

 

The sun of white hollow(虚白の太陽) *

 

 

 

 彼女、リリネット・ジンジャーバックは厄日に見舞われていた。

 とは言うものの、ここ―――魂の故郷『尸魂界』に来てからというもの、良いことは記憶の限りない。

 

 破面の頃から愛着していた白装束は、現地の子供に『おっぱい丸出し』と揶揄されるものだから、普通の着物を着るようにした。

 元々少なかった霊力はと言えば、尸魂界に送られる前の死神との決戦が原因で、ほとんど無いに等しいものとなっている。

 だが、欠片でも霊力があれば腹が減ってしまう。そのせいで食べ物を探しているものの、流魂街に住む大半の魂魄が食べ物を必要としていない生活を送っている為、市場のように食べ物が並んでいることもない。これでは盗みも出来はしなかった。

 

 ならば探すしかないと山を訪れれば、悪い意味で開拓されていない山中に危険生物がわんさか住んでいるのだから堪ったものではない。

 それでも頑張ってみては野犬に追われ、落ちていた柿を食べてみれば腐ってお腹を下し、まったく散々な一日であった。

 

 しかし、現在見舞われている状況は今までの悪い出来事の比ではない。

 

「オ前ヲ喰ワセロォォォオオオ!!」

「ぎゃあああこっち来んなあああ!?」

 

 お腹ペコペコの虚との鬼ごっこだ。

 出すものを全部出したリリネットだったが、まさかここに来て死力を出さねばならなければならない状況に見舞われようとは思わなんだ。未だ収まらぬ腹痛のことも忘れて全力疾走する。

 

「あたしなんて旨くないぞおおお!!」

「ウルセエ!! 腹減ッテ死ニソウナンダ!! 選リ好ミシテラレルカアアア!!」

「ちくしょーっ!! そんなテキトーな理由で喰われてたまるかァー!!」

 

 喰われるならもうちょっとその獲物ではなければならない理由が欲しい。尤も、喰われるつもりは毛頭ないが。

 

「くそぉーッ! スタァーク! スタァ―――クッ!」

 

 叫ぶのは死神と破面の決戦地を最後に生き別れた片割れの名。生きているかもどうか把握出来ていないが、自分を尸魂界送りにした死神と戦っている以上、彼も尸魂界に送られている可能性は高い。

 しかし、ついに再会することは叶っていなかった。自分のことを見つけぬまま昼寝していようものならば、切れ痔発症不可避の肛門まで抉り込む勢いで蹴っ飛ばしてやる所であったが、だんだんそのような思考をする体力さえ消え失せる。

 

「ゼェー……ゼェー……!!」

「辛ソウダナ。ホラ、早ク諦メチマイナ!!」

「うっさい! 捕まってたまるか……あたしはこのまま……ブヘェ!?」

 

 ファッキン小石。躓いて盛大に転倒した。

 見事なまでの顔面からのスライディングだ。みるみるうちにリリネットと熱々のヴェーゼを交わしている地面を中心に血だまりが広がっていく。

 その余りにも凄惨な光景に、先ほどまで生死を懸けた鬼ごっこを繰り広げていた虚も、仮面の奥の瞳に若干の憐れみを浮かべる。

 

「マァ、ソノ……ナンダ。イタダキマス」

「前後の文の脈絡がねぇ!!」

 

 全力でツッコむリリネットだが、そうこうしている間にも彼女は片足を掴み上げられる形で捕らえられてしまった。

 まさしく、『まな板の鯉』が似合う状況。

 しかし、リリネットもただで喰われるつもりもなく、悪あがきと言わんばかりに叫び、暴れる。

 

「誰かぁー! 助けてくれぇー!」

「ハハハッ! コンナ場所ニ助ケナンテ……」

 

 

 

「待てぇーッ!」

 

 

 

「ハ!? 誰ダ!」

 

 天はリリネットを見捨ててはいなかった。

 颯爽と参上した人影が、リリネットを掴み上げる虚の前へ華麗に降り立つ。

 まさに絶体絶命のこの状況に現れた人物とは、一体何者なのか? 思わず生唾(と鼻血)を呑み込んだリリネットが目にした人物とは―――。

 

「とう!」

「……子供だ」

「オ前ガ言ウナ」

 

 虚にツッコまれてしまった。

 しかし、本当に子供が来たのだから仕方がない。

 

 白亜の肌。絹糸のように滑らかで透き通った髪。夜空に浮かぶ月の如き淡い黄金(こがね)色に彩られる瞳。それらの美しさが、ややくたびれて汚れている着物を着ているからこそ際立って映えていた。

 

「……だからなんだってんだよー!」

 

 リリネットが突拍子もなく叫び、虚と現れた白い子供がビクリと肩を震わせる。声を上げれば口の中に溜まっていた鼻血が唾と共にまき散らされるのだから、迫力は満点だ。

 だが、問題はそこではない。リリネットが求めていたのは虚を倒してくれるような力強い者の存在だ。にも拘わらず、自分とさほど体格の変わらない子供が一人出たところで状況が一変するとは思えない。

 つまり、期待外れだった。落胆するようにリリネットは自嘲気味にハッと鼻で笑う。

 

 そんな彼女へ白い子供は抗議の声を上げる。

 

「ちょっとちょっと。なんでボクを見て残念そうにするのさ」

「見るからに残念そうな奴が現れたからだよ!」

「失敬な。一体ボクのなにが不満だってのさ?」

「大体全部だよ!」

「全否定は傷つくなー」

 

 魂からの叫びは悲しい程に森に木霊する。

 虚しい山彦が返ってきたところで、今度はクツクツとした虚の笑い声がリリネットの鼓膜をいやらしく叩く。

 

「……ハッハッハ、ナニガナンダカ知ラナイガ、オ前ガ騒イデクレタオカゲデ餌ガ増エタゼ」

「はっ!? そうだ……あんた、こっからすぐに逃げなって!」

「え、なんで?」

「なんでって……今この状況見たら分かんでしょ!」

「……ああ、そう言えば!」

 

 ポンと手を叩く子供。

 呑気か! そう声を荒げたくなったリリネットだが、次の瞬間、子供のものとは思えない好戦的な笑みに目の当たりにし、思わずヒュっと息を飲んでしまった。

 

 笑顔が、どこからともなく現れた白い粘性の液体に包み込まれていく。

 それはやがて仮面の形を成し、白い子供の顔を覆い尽くしたではないか。

 禍々しい意匠の仮面。それが何であるか、リリネットはすぐに理解した。

 

(虚の……仮面!?)

 

 剥き出しになった本能を隠すため、失った中心(こころ)を元に形作られたもの。虚にとっては穿たれた孔と同じ程、その存在を象徴する代物。

 尸魂界に送られる直前、『仮面の軍勢(ヴァイザード)』と名乗る虚化実験の犠牲者である元死神達が被っていた記憶があるが、目の前に居る子供は勿論その場には居なかった。

 

―――こいつは一体……?

 

 その疑問は、リリネットを濡れた子犬のように身震いさせる程の禍々しくも強大な霊圧によって中断される。

 

 間違いない、これは虚の霊圧。

 脊髄を舐められるような寒気を覚える圧力は、リリネットのみならず彼女を掴み上げている虚さえも硬直させた。霊力を持つ者同士、勝敗は霊圧の強弱に依存する場合が多い。例え能力の相性が不利であったとしても、強大な霊圧で小手先の能力を封じ込めることも現実としてあり得る話だ。

 時には霊圧だけで魂魄を瓦解させることさえ出来得る。空座町でも、隊長格や破面の霊圧により、転界結柱で転送されなかった整や虚の霊体が瓦解した場面をリリネットは横目で眺めていた。

 

 今、彼女達が置かれているのはその時の状況に等しい。

 自分達が死闘を繰り広げた隊長格程ではないにしても、戦う前に勝敗が決していると理解せざるを得ない程の霊圧の違いを体感させられていたのだ。

 

「っ―――!?」

 

 勝負は一瞬だった。

 虚の仮面を被った子供がその場から居なくなったかと思えば、リリネットを掴み上げる虚の頭が両断された。

 舞い散る血飛沫の中、ちょうどリリネットの視線の先で翻る子供。血の尾を引かせる手には、仮面と同質の物体で形成されたと思しき手甲が嵌められていた。指先は鋭く―――それこそ獣の爪が如く研ぎ澄まされていた。

 

 そんなことを考えている内に、リリネットは自分を地面に引き寄せる重力の存在を再び察した。

 

「またギャ!?」

 

 本日二度目の大地との熱いヴェーゼ。一度目よりも情熱的だ。

 

「あちゃ~」

 

 その一部始終を眺めていた子供は、脱ぎ捨てるような挙動で虚の仮面を消し、嵌めていた手甲も消し去った。

 虚はすでに霊子に分解されている。この場に残っているのはリリネットと白い子供だけだった。

 

「大丈夫?」

「大丈夫に見えるか……?」

「ん~~……割と?」

「……んまあ……助かった。ありがと」

 

 散々鼻血を出して顔面が悲惨なことになってしまったリリネットだが、虚の胃袋の中でもっと悲惨な目に遭うよりはマシだったと自分に言い聞かせるようにして立ち上がり、心配して手を差し伸べてくれる白い子供の手を取る。

 思っていたよりもずっと硬い掌だ。吹けば今にも散ってしまいそうな儚さを感じさせる容姿の一方で、虚を切り裂いた手は岩と間違う程に皮が厚くなっていた。

 

 何があったらこうなるのかと考えるリリネットであったが、目の前で快活な笑みを浮かべてみせる白い子供を前にし、一旦その思考は捨て置いた。

 

「……リリネット」

「ん?」

「名前。リリネット・ジンジャーバックってんだ、あたし」

「……どっからどこまでが名前?」

「……リリネットが名前。ジンジャーバックが苗字……だな、多分」

「じゃあ、日本語だと『生姜後 百合網』さん?」

「誰だよ!? 和訳すんな! 名前って翻訳するもんじゃないだろ!」

「へ~、おもしろ~!」

「あたしは全然面白くないんだけどな……!」

 

 自己紹介からの友情を交わすというリリネットの淡い願望は崩れ去った。

 

「っていうか、あんたの名前は!?」

「名前? コハク」

「コハクぅ~? ふ~ん……あんた、なんでそんな名前なのさ?」

「虚みたいに真っ白だからって。流魂街の人に言われてさ」

「よくそんな不吉な名前名乗るつもりになったな!?」

「だよね。ボクも中々友達出来ないな~って不思議に思ってたら、巷でそんな風に言われてるんだからびっくりしたよもォ~」

「呑気か!」

 

 言えた。

 ようやく清々しい気分になれた。が、本題はそこではない。

 

「……あんた、なんで虚の仮面被ってるんだよ。まさか、最上級大虚(ヴァストローデ)って訳でもないだろ?」

 

 最上級大虚。それは幾百の虚が混ざり合って誕生した大虚の中でも最高位に位置する存在。大きさは人間程度でありながら、下の階位である中級大虚や最下級大虚では束になっても叶わない、いわば最強格の虚だ。

 リリネットもかつては最上級大虚であったからこそある程度のことは把握しているが、コハクのように仮面を被れる存在は、それこそ仮面の軍勢といった者達しか見たことがない。

 

 まさか、元破面である自分を処理しに来た死神の一軍か―――そんな不穏な予想が脳裏を過る。

 

「ん~~~……なんで……だっけ?」

「は?」

 

 しかし、返ってきたのは酷く不鮮明な答えだった。

 頭痛に苛まれた者のように頭を抱えて顔を歪めるコハクは、先ほどとは打って変わって血の気が引いた青ざめた顔色だ。

 

「思い出せない……ううん、思い出したくない……ような……」

「あ、あんた……大丈夫かよ?」

「でも、思い出さなきゃいけない……思い出したい……なにか……なにか大切なことを忘れてる気が……―――」

 

 

 

『 って  ば いんだ』

 

 

 

『 も わ る』

 

 

 

『死  いで  さ 』

 

 

 

 ノイズに遮られた声がコハクの脳裏を過る。

 だが、何度思い出そうと試みても、その度に砂嵐が奔ったようなモノクロな景色の中に佇む二人の顔を望むことは叶わない。

 

(誰……だっけ……?)

 

 彼等が誰だったか。

 自分とどのような関係だったのか。

 重要な部分は全て虫食いされたように欠けてしまっている。

 しかし、たった一つ―――その忘れていた記憶が大切なものだったということだけははっきりと覚えていた。

 

「―――ク! コハク!」

「ふぁ?」

「急にどうしたんだよ。涎垂らして白目剥きながら直立とか……昇天したのかと思ったぞ」

「ボク、そんなヤバい感じだったの?」

 

 おちおち人には見せられない様子だったことを現実に呼び戻してくれたリリネットから聞いたコハクは、滴り落ちそうになっていた涎を啜り上げ、グイっと口の周りを袖で拭いとる。

 

「ん! 思い出せない!」

「思い出せないのかよ」

「その内思い出せるでしょ!」

「楽観的だな……」

「それよりリリネット。さっき虚に追われてたけど、ちょっとでも霊力があるんなら町から出ちゃ危ないよ! でんぢゃらすだよ!! リリネットみたいな体でも需要はあるらしいんだよ!!?」

「おい、今の発言どういう意味だ」

「そ、そそそ、それとも、森になにか用事でもあったの?」

「あからさまに狼狽えるな」

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 リリネットはかくかくしかじかと経緯を説明する。

 すれば、ほほうとコハクは頷いた。

 

「なら、ボクも一緒にそのスタークさんとやらを探しに行くよ!」

「は!? ホ、ホントか!」

「暇だし」

「せめてもうちょい理由を取り繕えよ」

 

 歯に衣着せぬ同行の理由にリリネットの額に青筋が浮かぶ。本当は、尸魂界に来てからというものずっと独りで寂しかったから、同行者が増えて嬉しかった―――そんな想いが白けてしまうような物言いへの怒りだ。

 だが、取り繕うことのない笑顔を浮かべるコハクは言い放つ。

 

「嘘嘘。ちゃんと理由はあるって。ボクも探したい人が居るんだ」

「あんたにも? 誰?」

「ん~、それはこれから思い出すこと!」

「なんだよ、それ……」

 

 気の抜けた答えにリリネットの頬も緩む。

 すると、途端に力強い風が二人の間を吹き抜けていった。乱れる髪を押さえるリリネットに対し、コハクはスッと目を細める。

 曖昧になる景色。その中でも青空に浮かぶ太陽が燦然と輝いているのはハッキリとしている。

 

『―――』

 

 誰かが囁いてくれた―――そんな気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ところでリリネットって男? 女? どっち?」

「女だよ! あんた、ずっと分かってなかったのかよ!」

「おっぱいがあれば見分けはつくけど」

「喧嘩売ってんのか!? アァン!?」

 

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