「はぁ……ハハァ!」
嗤いが止まらない。
朱蓮と切り結び、命のやり取りをしているというにも拘わらず、虚白の顔には狂気的に歪んでいた。
―――ナンダ、コレ?
飛び散る炎に身を焼かれようと、焦げた傍から盛り上がるようにして肉が再生する。
―――混ザッテイク
霊圧を纏わせた鎖を振るい、烈火を切り開く。
苛烈な炎に照らされる彼女の姿は、煌びやかに、それでいて血に塗れたかの如く紅く照らされていた。
常人ならば近くに佇むだけで焼死しかねない熱量。それに構わず吶喊する虚白は湧きあがる力に酔い痴れ、胡乱に満ちた精神状態へと陥っていた。
―――『
―――『
―――『
―――『
―――『
“混獣神”を収めはしたものの、五つもの帰刃を同時に顕現する等、本来あり得ない状態だ。
咎人の中でも強力な朱蓮を相手取れてこそいるが、反面かなりの負担を虚白に強いている。
中でも特に懸念すべき点は、内なる虚の存在だ。
虚白という魂魄が虚だった過去の証。一度は浄化され魂魄の奥深くへ眠りについた力が、本能を呼び起こす地獄の瘴気をきっかけに、尋常ならざる速度で覚醒を果たしている。
それは虚白に力を与える一方で、彼女という自我を奪い去る危険を孕むという意味だ。
今はまだ辛うじて自我を保てているが、考えなしに魂を受け渡せば、容易く霊体を乗っ取られてしまうだろう。
そんな命懸けの綱渡りの中でも、虚白は出し惜しみせずに立ち向かっていた。
相手の力量が許さないという理由もある。
しかし、それ以上に彼女を突き動かすのは、虚の本能に等しいレベルでの渇望に起因していた。
(―――独りはイヤだよね)
囚われの身となっているルピを一瞥する。
ずっと、ずっと独りで暮らしていた。
自分が何者かも分からず、奇異な見た目から他者からも排斥され、孤独で生きることを余儀なくされた。
それが今、成り行きながら仲間に恵まれている。
するとどうだ。今まで手にしたことが無い存在を得た途端、失うことが堪らなく恐ろしくなった。
―――喰ラエ
内なる虚が呼び掛けてくる。
―――喰ラエ
何度も何度も、飽くことなく。
―――喰イ尽クセ
繋がる鎖を伝わって、
―――喰ワレル前ニ 喰イ尽クセ
「ッ……はあああ!!」
幻聴を振り払う雄たけびを上げた虚白が、拳銃を朱蓮へと向けた。
ダラダラと戦っている訳にもいかない。霊体が湧きあがる霊圧に押しつぶされて軋んでいる。早々に決着をつけなければ、敵の思うつぼだ。
だからこそ、早期決着を目論んで霊圧を収束させる。
崖が呻くように鳴動するほどの霊圧。
だが、朱蓮はそんな虚白を一笑に付す。
「ふははっ! 虚閃如きで倒される私ではない! 試しに撃ってみるといい!」
敢て挑発し、虚閃を誘う。
斬術や白打と違い、霊圧を放出する虚閃はかなりの霊力を消費する。それはつまり虚白が帰刃を維持できる時間を大幅に少なくできるという意味だ。
他にも誘う理由はある。
地獄―――前世で大罪を犯した者が集められる掃き溜めに等しい地には、死神との戦いで息絶えた破面も集う訳だが、朱蓮は十刃との交戦経験を持っていた。
第9十刃 アーロニーロ・アルルエリ
第8十刃 ザエルアポロ・グランツ。
十刃においては末席でこそあるが、それでも
(例え凡百の破面の帰刃を宿したとてッ!)
複数の帰刃を発動した今、虚白の霊圧はそれなり高まっている。
死神で言えば副隊長、破面で言えば十刃落ちに匹敵していた。
それでも朱蓮に傷を負わせるには足りない。彼は咎人の中でも五本の指に入る強者であり、地獄の門番“クシャナーダ”から隠れる外套で力を制限されようと、その霊体の強度は変わらないのだ。
「さぁ!!」
両手から業火を迸らせる朱蓮が叫ぶ。
刹那、白が閃いた。
「―――
迫る光は、虚閃と呼ぶには余りにも煌びやかであった。
個体差で色が変わる虚閃も、解放状態の十刃クラスになれば凝縮された負の霊圧が黒く彩られる。
しかし、虚白が放った虚閃はそのいずれにも当てはまらない。
驚愕するほどの霊圧でもなければ、軌道も直線的だ。
「ふんっ、この程度の霊圧で!!」
避けるまでもないと掌を突き出す朱蓮。
炎を纏った掌は、押し寄せる白の波濤を受け止め―――
「ッ!?」
予想外の事態を前にして、朱蓮の反応は早かった。
高速歩法で退き、白虚閃の射線から抜け出す。神妙な面持ちを浮かべてジッと見つめるのは、極僅かでこそあるが崩れた指先。無理やり削ぎ落とされたに等しい肉の断面からは、じわりじわりと真っ赤な血が溢れ出してくる。
(真面に受け続けていれば、腕が滅し飛んでいた……)
眼前に映る光景に、相手の脅威を改める。
(ただの虚閃ではない。あれは
純粋に霊圧の高さが威力に直結する通常の虚閃と異なる特性。
直に触れ続けていれば、物体の堅さに関係なく崩壊する。強靭な肉体も、恐らくは破面が有す鋼皮でさえも、あの虚閃の前では無為に帰すだろう。
硬度が意味を為さない以上、取られる手段は迎撃か回避。
しかも、そもそも虚閃の攻撃範囲が広いときた。
触れれば崩壊、避けるのも一苦労となれば、つくづく油断した格上の鼻っ面をへし折るに相応しい攻撃だろう。
「―――面白い」
ジュウ、と握る拳の間から音が漏れた。
程なくして、肉が焦げる厭な臭いが、立ち昇る煙と共に周囲を漂う。
臭いの元は朱蓮の拳だ。皮が崩れ、血が溢れ出す傷を焼き塞いだ彼は、余裕ある佇まいを崩さぬまま、虚白に一瞥を送った。
「少しはやるようだ」
「見直したァ? だったら地獄にさよならバイバイよろしく〜♪ ボクたちも暇じゃなくてさ」
「ふっ……何を言う。用事が済んでいないのは貴様らの方だろう?」
「!」
地に下りた朱蓮は、生み出した炎の槍の穂先をルピの首にあてがう。
揺らめく熱気を放つ槍は、程なくしてルピの首の皮を焼き始める。その苦痛に顔を歪ませるルピは、熱気と激痛により、額から滝のような汗を流し始めた。
「ルピさん!」
「おっと、それ以上近付かないことだ。さもなくば、この男が焼け死ぬぞ」
「ッ……」
あくまで虚白たちの目的はルピの救出。その彼が殺されたとあれば、ここまで来て戦った意味が消えてしまう。
しかし、人質を取られた以上、好き勝手に動くのは悪手。
とは言うものの、ジッと待ち構えているだけでも打開できる訳もなく、何か一つでも妙案を思い浮かぶ時間を稼ごうと、虚白は口を開いた。
「さっきさ、キミらと手を組めみたいなこと言ったジャン? でも、ボクらのメリットは言っても、キミらが組むメリットは聞かされてないよ。そこんとこ、どーなの?」
「ほう、考え直したいという訳か?」
「是非ともっ。わざわざ地獄からお出でなすってやろうとしてるんだから、そりゃあ大層な野望を抱えてるんだろーね」
「いいだろう。ただ、口には気を付けるといい。この男の生殺与奪の権利は我々が握っているということを忘れるな」
カッ! と炎の槍が一瞬だけ激しく燃え盛る。
それに併せルピが苦悶の声を上げるも、すぐさま火勢は弱まった。
「―――我々が望むのは唯一つ。地獄からの解放だ」
「つまりは、あー……脱獄?」
「噛み砕いて理解するなら、その認識で構わない。ただ、我々は真なる自由……解放を求めている。斯様な仮初の自由は要らない。そう……貴様らのような自由が欲しいだけだ」
「ボクら?」
怪訝に眉を顰める虚白に、朱蓮の笑みが深くなる。
「あぁ、そうだ。大罪人の貴様らが、どうして日の下を闊歩できるのか……気にはならないか?」
「まさか! 大罪人だなんて人聞きが悪いなァ~」
「ふん。まあいい、我々は地獄の深淵から覗いていた……魂に刻まれた悪行を雪ぐ浄化の炎をな!」
「浄化の……炎?」
刹那、幻痛が右目に奔る。
―――ナニ コレ
思い出せない。
だが、確かに魂が記憶している。
(ボクは右目を貫かれた……でも、誰に?)
激しい死闘だった。
互いに血で血を洗う、まさしく命を懸けた戦い。その戦いの最中、自分は右側の瞳を貫かれ、その際に垣間見たはずだ。
浄化の力を秘める、青白い炎を。
だが、どうしても顔を思い出せない。
神々しい炎を纏った刃を振るう、黒い髪を靡かせる死神の顔を。
「ッ……!」
「私は確信した! あの炎こそが、我々を罪科に処す理不尽な
「理不尽? キミらが地獄に堕ちたのは因果応報ってヤツでしょ」
「確かにそうだ。だからこそ許し難い……貴様のような存在を」
不平等だ。彼はそう高らかに叫ぶ。
自分が地獄の囚われ、永遠に続くかと錯覚する苦痛に見悶えている一方で、本来地獄に堕ちた筈の魂が悠々と闊歩している事実が。
不平不満は負の感情を募らせる。
猛々しく燃え盛る業火は、さながら彼の中で渦巻く嫉妬を表しているようだった。
「そのために利用させてもらう。奴を―――芥火焰真をおびき寄せる餌として」
「アクタビ……エンマ……」
脳裏を過る顔。
激烈な頭痛が襲い掛かるも、紡がれた名を耳にしたことで、僅かながら記憶が呼び起こされていく。
そうだ、確か赤い瞳だった。
血よりも濃く、炎よりも煌びやかな赤。そして、目を逸らしたくなる程に澄んでいた。
これは確かに彼との“記憶”。
一方、本当に自分のものだろうかと疑問も生じた。
未完成のパズルが、無理やり別のピースを嵌められて、朧げに全貌が浮かび上がるような―――。
(これは……
リリネットの。
クールホーンの。
アパッチの。
ミラ・ローズの。
スンスンの。
一人一人が憶える死神の姿が、虚白の虫食いの記憶を補完していた。
だがしかし、核心―――彼女自身の記憶を完全に思い出すことはできなかい。
“アクタビエンマ”に至っても、あくまで姿形を思い出せただけで、どういった人となりかまでは思い出せない。
想起はここまで。
鮮烈な痛みが花開けば、刹那に等しい時間の中で長考していた虚白は、現実に引き戻される。
次の瞬間、
「……で、そのアクタビエンマがキミらを救えるって?」
「そうだ。だが、我らにしてみれば奴の気を引ければどうでも良い。必ずしも貴様らと敵対する必要もない」
「ふーん……つまり、何て言いたいの?」
「同志となれ。さすれば争う理由もない。それに、先の戦争では多くの破面が死し地獄に堕ちた筈だ。同胞を救い出したいと願うならば、この機を逃せば後はない。どうだ、悪い話ではあるまい」
仮面に隠れて見えないが、恍惚とした朱蓮の笑みが目に見えるようだった。
漸く明かされた咎人の野望。
内容としてはそう難しくはない。塵と化すまで遍く苦痛を味わわされる地獄からの脱出は、地獄に堕ちた者ならば一度は考える。
だからこそ、咎人は救済を望んだ。
そして現れた。地獄の管轄を侵す力の死神が。
咎人にとっては、まさしく僥倖であった。
この計画はどうしても成功させなければならない。さもなくば、生への執着と怨念が尽き、体が塵へ還るのも時間の問題だ。
故に朱蓮は、虚白の余力がなくなりかけている時点で情に訴えかける作戦に打って出た。
見る限り、元破面の中でも仲間意識が高い彼女だ。少なくとも、見ず知らずの流魂街の住民に助太刀する彼女であれば、同胞たる破面に同情を抱いてもおかしくはない。
例え彼女が記憶を失くしていたとて、身内の誰か一人でも地獄に囚われている仲間が居ると知れば、助けようと考えるだろう―――朱蓮はそう考えた。
「さぁ、今すぐ答えろ!! この男が人型の炭になる前にだ!!」
「ッ……!」
焦燥は冷静な判断を鈍らせる。
それを知っているからこそ、虚白に答えを催促する朱蓮。
最後の一押しと言わんばかりに群青は地獄の門を開き、ルピを連れての逃走を示唆する。
一方で霊体の主導権を握る虚白は、魂にて声を上げる面々に耳を傾けていた。
『虚白、あんな奴に手ェ貸すなよ! こいつら……マジでヤバイ臭いがプンプンする。自由になんかさせたらどうなるか分かったもんじゃない』
神妙な声音で囁くリリネット。
彼女の意見は尤も。生前大罪を犯した咎人が、果てしない怨念を抱いたままで解放されてみろ。無辜の民が犠牲になる未来は目に見えている。
しかし、虚白の表情には僅かな憂慮が浮かび上がっていた。
「クールホーンさん」
『何かしら?』
「……いいの?」
問う先はクールホーン。
何を問うのかと言えば、当然彼の仲間だ。主君たるバラガン・ルイゼンバーンの下で戦った
決して慣れ合う間柄ではなく、どちらかと言えば対抗心を覚え、時には蹴落して己が陛下の第一の臣下として在ろうとしたことさえあったが、それでも一定のリスペクトはあった。
そして彼らは死んだ。言うまでもなく、空座町での死神との戦争で。
しかし、
『……虚白ちゃん、いい? あたしは最後まで陛下の“刃”として戦い抜いた。藍染惣右介っていう死神じゃなく、バラガン・ルイゼンバーン―――虚圏の神にね』
悔恨など微塵も感じさせぬ声音で、クールホーンは紡ぐ。
『陛下の命令なら兎も角、あたしの勝手で救おうだなんて……侮辱に値するわ』
「……本当にいいんだね?」
『ええ、勿論よ』
彼は揺るがなかった。
主君の為に命を賭した臣下だ。敗北による“死”さえも、忠誠を尽くす主君への献上品。己の“生”の全てを捧げたという誉れの下、彼らは息絶えた筈だ。
それを否定する真似ができようか? いや、できない。
仮に地獄の苦痛に耐えきれなくなって縋りついて来ようとも、バラガンに心身を捧げた同志として「無様な姿を見せるな」と一蹴してやるところだ。
これはクールホーンなりの美学。そしてケジメだ。
主君へ捧げる魂を雪がれ、ただの一魂魄となり下がった自分を“仲間”と呼んでくれる少女との友情に尽くそうとする覚悟。
『あたしは、あたしが美しいと思うものの為に戦うわ。精々あたしを失望させないで、虚白ちゃん♪』
「ん~、時と場合によるかな~」
『そこは嘘でも肯定するところっ!』
と、魂の中でクールホーンが騒ぎ立てるが、その甲斐あってか随分と精神が落ち着いてきた。膨れ上がる霊圧に伴い増長していた内なる虚も、今は魂の奥底に息を潜めている。
まさにクールホーンとの繋がりが内なる虚の制御に一役買ったと言えようか。
一人ではすぐさま自我を呑まれかねないが、こうして複数の魂を身に宿している状態であれば、仲間の呼びかけで我に返られる。
こうして話はまとまった。リリネットや三人娘からも反論はない。
それを受け、虚白は口を開く。
「それじゃあ、ボクらは―――」
「―――ウォロァアッ!!」
『!!?』
返答を口にする間もなく、乱入者が現れた。
茂みから飛び出す影。唸り声もあって、ただの野生動物かと見間違えた虚白であったが、すぐさま感じ取った霊圧で乱入者の正体を見破る。
(ワンダーワイス!?)
志波邸に拾われ、そのまま預けたままにしたはずの元破面。
拳に霊圧を固めていた彼は、そのままルピを人質に取る朱蓮に向けて振りぬく。すると、圧縮された霊圧―――虚弾が、朱蓮の方へと疾走した。
完全に虚を突いた攻撃。しかし、霊圧の低さから事前に探知できていなかった朱蓮は、突然の襲撃を前に、ルピの首に添えていた炎の槍を振るい、攻撃を撃ち落とした。
隙だ。今を逃せば、ルピは連れ去られてしまう。
そう直感した虚白は、ワンダーワイスが不意打ちを仕掛けた時と同じくして、響転で朱蓮と群青へと疾走した。
「おのれ!」
「構うな、群青。先に行け」
「はっ!」
身構える群青であったが、虚弾を撃墜した朱蓮に制され、地獄の門の奥へと姿を消そうとする。
「さ、せるかぁぁぁあああ!!」
「ぬぅん!!」
激突する白亜の鎖と紅蓮の槍。
激烈な霊圧の衝撃は、周辺の木々や大地を唸らせるように広がっていく。
しかし、それほどの力を出しても尚、朱蓮の妨害突破は叶わない。
「くっ……!」
「交渉は不成立といったところか。ならば、奴にも地獄を味わわせてやろう……!」
「退きなよ! 怪我したくなきゃさァ!」
霊圧により、辺りの空間がギチギチと軋む音を奏でる。
一方、それを目の当たりにしていた群青はと言えば、予想以上の力を発揮する虚白に驚きつつも、計画には差し支えないとの判断を下した。
現に彼らの仲間は手元にある。人質さえ確保すれば、否応なしに彼女たちが地獄に来る理由が作れるのだから。
「さて……精々我らに敵対したことを悔いるがいいでしょう」
「それはさァ、ボクの台詞なんだよねェ」
「急に何を……―――っ!!?」
意味深な言葉を吐くルピに視線を遣る群青。
彼が目の当たりにしたのは、中性的なルピの容貌を覆い隠す白い仮面であった。顎にも王冠にも見えなくない、
―――地獄の瘴気は、秘めた本能を呼び起こす。
ただの虚であれば、斬魄刀に斬られ浄化された時点で虚の力は消えてなくなる。
だが、虚と死神の境界を打ち崩して強大な力を得た破面はその限りではない。本来混ざり合うことのないよう隔てた魂の境界を崩した以上、霊体の性質が
ただし、普通に生活するだけであれば、黒崎一護や
しかしながら、命の危機に瀕し、あまつさえ地獄の瘴気に当てられれば―――眠りについていた虚としての本能が覚醒する。
そして今、ルピ・アンテノールという破面の記憶は、魂の根源に刻まれていた破壊の衝動と共に呼び起こされた。
第6十刃、ルピ・アンテノール。
司る死の形は“破壊”。
仮面の奥に佇む瞳は、強膜の白が墨を入れられたように黒く彩られていた。
吸い込まれそうな程の黒は、さながら深淵のように群青を覗く。
「地獄の瘴気って言うのかな? 最初は不快でサイアクって思ったんだけどさァ……こうして思えば、案外悪いもんじゃなかったね」
「貴様……ぐぅ!?」
虚化し、力を取り戻したルピを前にするや、止むを得ないと触腕を振り上げる群青。
だが、その一瞬の隙を突いて、口腔から解き放たれた虚閃が群青の脇腹を穿つ。倒すまでには至らないものの、体勢を崩すには十分な威力だった。
「ルピさん!」
「させませんよ!」
「甘く見られては困るッ!」
両手の鎖を振るう虚白であったが、即座に朱蓮の炎で受け止められる。
加えて、群青の胸部から触手が突き出してきたではないか。
―――速い。
ルピ目掛けて一直線に吶喊していた虚白に避け切れる速度ではなかった。
「あ、が……ッ」
鈍い音が響き渡ると共に、虚白の体が弓なりに反れる。
群青が伸ばした触手は、まんまと虚白の胸を貫いていた。彼自身、目の前に広がる光景に勝利を確信する。
それも束の間の出来事。
「なーんてねッ☆」
「なっ……!?」
「ばぁ!!」
胸を貫かれて絶命したとばかり思っていた虚白が、何食わぬ顔を浮かべる。
触手に巻き込まれて襤褸布になった衣服がずれれば、虚の証たる孔が露わとなる。そう、触手はただ
虚を突かれる面々。
彼らに対し、虚白は大口を開けてみせた。
―――虚閃か!
身構える群青、そして朱蓮。
しかし、一向に霊圧が収束する気配は見えない。
代わりに飛び出したのは舌―――にしては長く、そして白い連結した物体であった。
「しまった!」
鎖―――無数の口が涎を滴らせる悍ましい外見は、因果の鎖を彷彿とさせる。それは一直線にルピへと向かい、彼の体に喰らい付いた。
大虚が他の虚を舌で貫き捕食する“
「ルピさんもーらいッ♪」
奪取、そして融合。
「縊れ」
先の融合とは比較にならない霊圧の上昇。
同時に開放した力の奔流は、空を轟かせる衝撃波と化して波紋状に広がった。
近くに居るとまずいと考えた咎人は、その場から飛びのく。一方で何が起こったか理解できないワンダーワイスは、迫りくる暴風に煽られ、小さな体が宙へと浮かんだ。
だが、巻き起こる砂煙を突き破る白い触手が、優しくその身を受け止めた。暴風が収まる頃、ゆっくりと下されたワンダーワイスは、無邪気なままに手を伸ばして触手を握る。すれば触手は応答するように小さな手を握り返し、根本―――誕生した怪物の下へ向かった。
やがて砂塵の中に浮かぶ影は、八本の長い影を滑らかに蠢かせる。
「―――『
触手を振り回し、身を覆う砂塵を払う虚白。
鋭い犬歯をむき出しにして微笑む彼女は、後退して距離を取っていた朱蓮と群青へ八本の触手の先を向ける。
―――ギチリッ、と軋む音
円を描いて並ぶ触手の中心。
何もなかった虚空に、みるみるうちに一つの光が収束し始めた。それだけでも強大な霊圧。だが、一滴の血が混ざることによって霊圧が爆発的に上昇する。
空間が歪ませる禁忌の力。
十刃のみに許された最強の虚閃―――その名を、
「
破壊が産声を上げた。
空を紅く染め上げる一条の閃光は、遥か上を漂う白い大海に孔を穿つ。
時間こそ一瞬。それでも吹き荒れる嵐や、亡者の嘆声に似た重低音と、紅い光芒に彩られた時間は濃密そのものであった。
「ふんっ!!」
王虚の閃光が瞬いた後、唯一射線上に残っていた炎の塊が弾け、中から朱蓮と群青が現れる。伊達に十刃との交戦経験がある訳ではない。
尤も無傷とはいかなかった。仮面が欠けて、片目が露わになっている朱蓮は、苛立ちを露わにするかのように目尻を歪ませる。
鋭い眼光で眼下を望む。が、そこに虚白の姿は見えない。まさかと思いもう一人―――ワンダーワイスの方へと視線を向けるも、影も形もなくなっていた。
「逃げられたか……」
“王虚の閃光”という霊圧を囮にするとは大胆な真似をしたものだ。しかし、事実莫大かつ広範囲の広がった光線は、朱蓮の霊圧知覚を無力化するに至った。
感嘆と厭忌が入り混じった声音で紡ぐ朱蓮に対し、群青は平伏する。
「申し訳ございません、朱蓮様! みすみす人質を奪われるとは、この群青、痛恨の極み……!」
「構わん。どうせ奴らが向かう場所は知れている」
「……と、言いますと?」
「ティア・ハリベルだ」
元
同胞を探す虚白たち―――特に従属官であった面々が血眼になって探している人物だ。目ぼしい当てとなれば真っ先に候補に挙がる。
「居場所は割れている。準備が整い次第、追いかけるぞ」
「はっ!」
「……少し計画を修正するか」
「は……?」
「奴の……虚白の力は使える。もしや、地獄の門を破壊できるかもしれない」
「なんと……!」
突然の新案に驚愕する群青。
というのも、本来の計画よりも単純かつ強引なやり方だからだ。ここで言う「地獄の門」とは、自分が移動用に用いている門とは違い、大罪人を引きずり込むクシャナーダが現れる門のことを指す。
確かに回りくどく死神を引き寄せる必要もなくなるが、その分超絶した力が必要になってくる筈だ。
「如何様にして?」
「地獄には虚も破面も掃いて捨てる程も居る……奴らを全て取り込ませればいい」
「成程」
「フッ、幸運にも指折りの破面が地獄に堕ちたところだ。アルトゥロ・プラテアド……バラガン・ルイゼンバーン……そして我々にも手札はある」
「コヨーテ・スターク……ですね」
それは虚白たちが捜す男の名。
「ああ。今頃、地獄の瘴気に呼び起こされた内なる虚に呑まれ、自我を保てているかどうか……クックック、感動の御対面とさせようじゃあないか」
邪悪な策略を巡らせ嗤う、嗤う、嗤う。
彼女たちの再会に、真に言葉通りの意味は持ち得られるのだろうか。
あるいは真逆の―――。
***
鯉伏山から離れた林道を進む人影。
困憊した様子こそあるが、足取りは早い。まるで何かから逃げているようであった。
「……ねえ、そいつ生きてんの?」
「当たり前でしょ。霊力を使い過ぎて眠ってるだけよ」
ズキズキと痛む節々を揉み解していたルピが、返答するクールホーンの背中で寝息を立てている虚白へと目を向けた。
最後、“王虚の閃光”で咎人に目晦ましを浴びせた虚白は、ワンダーワイスも回収して“
安全圏と思える距離まで離れた彼女は、地中から飛び出すや、気絶するように帰刃を解放して倒れたのである。当然と言えば当然の帰結。それ以前まで霊力が尽きるか尽きまいかの瀬戸際で戦っていたにも拘わらず、破面の中でも特大の大技の繰り出したのだ。ルピの霊力が足されていたとしても、その消耗は尋常ではない。
故に、こうして睡眠をとることで一刻も早い霊力回復を図っている訳だ。今だけは何をされても起きないと断言できる程に虚白は熟睡している。
だが、それとはまた別の問題が発生していた。
「ワンダーワイス……どうするよ、これ?」
「アゥ~?」
アパッチが指先で示す先では、リリネットに背負われるワンダーワイスが首を傾げていた。
問題とは、知らぬ間に自分たちを追いかけていた彼の処遇。
志波邸に送り返すのが道理だが、今から真っすぐ戻るには危険が大きい。体力も霊力も枯渇寸前。加えて、ここから最短で志波邸へ向かうとなれば咎人との交戦場所の近くを経由しなければならない。前述の通り、遠回りする余力さえないのだ。
「とりあえず連れていくしかないね」
「これでも十刃級の霊圧は持っていた筈ですしね。おチビとくっつけば戦力の足しにはなるでしょう」
やれやれと首を振るミラ・ローズに対し、スンスンは合理的な見地から意見を述べる。
何にせよ、一時的に同行するという意見で固まった。
となれば、残るは向かう先だが、リリネットが口火を切る。
「確か花街だったか? ここから近いんだったっけ……」
「そうね」と頷くクールホーンが続ける。
「休憩を挟みながら向かいましょう。ハリベル様と合流できれば百人力よ。ま、美しさではあたしに及ばないけれどォ~~~!!!」
「「ふざけたこと抜かしてんじゃねえよ、クソオカマ!!!」」
「寝言は死んでから言って下さる?」
辛辣だ。しかしながら、同情する者は誰一人としていない。
「アホクサ……」
「それでさ、あんたも付いてくんの?」
「はぁ? まさか、ボクのこと言ってる?」
「そりゃあ……」
呆れていたルピ。そんな彼に声をかけたのはリリネットである。
以前は明確な拒絶の意思を持ち、離れていったのだ。今回もまた、彼が離れていくのかもしれないという一抹の不安があった。
リリネット自身、ルピにはスタークに対する程の執着は抱いていない。
しかしながら、今現在スヤスヤと眠っている友人はその限りではないことを理解していた。
「付いて来てくれた方が……虚白が喜ぶと思うからさ」
「……はんっ!」
鼻で笑ったルピは、リリネット達から顔を逸らす。
これは駄目か―――そう思った少女であったが、出てきたのは予想外の言葉だ。
「付いて行くよ」
「は……マジで!?」
「勘違いしないでほしいから言っとくけど、ボクはあのいけ好かない奴らの鼻を明かしたいだけだよ。そのために君たちと一緒に居た方が都合良い……そーいう訳。ア・ごめーん、まさか本当に仲間になると思ったァ?」
「そ……そっか。いや、でも心強いのは本当だからさ」
「……フンッ」
苛立つ訳でもなく、素直に「心強い」と告げるリリネットに対し、またもやルピがそっぽを向いた。
しかし、彼からはこれといった陰険な空気は感じない。
どちらかと言えば、照れ隠しのような―――。
「う~ん……」
「虚白!」
眠りに就く虚白が声を漏らし、リリネットだけでなく全員が視線を向ける。
意識が戻ったのか―――なんにせよ、こうして死に至ってない事実を確認できただけでも安堵感が段違いだ。
しかし、
「ルピ……さん」
「は? ボク?」
「触手プレイとは……良い趣味をお持ちだねェ……ぐぅ」
「……何寝言吐いてんだ、てめええええッ!!!」
夢の世界でも素っ頓狂なことを告げる虚白に、怒号を上げるルピ。
親交を深める道のりは、まだまだ長そうである。
***
暗闇が広がっている。
『ボクタチ ハ ヒトツ ダ』
死臭が濃くなる。
奴だ。奴が歩み寄って来た。
『ミンナ キミ ヲ 見テイル』
ノイズ交じりの声が鼓膜を撫でる。
幾重にも重なった不快な声音。聞くに堪えない。
『ダッテ キミ ハ ミンナ ダカラ』
ジャラジャラと繋がる鎖が揺れる。
きっとこれは、自分と奴とを繋ぐ決して絶ち斬れない鎖だ。どうしても、どうやっても。
『忘レナイデ キミ ノ 魂 ノ 在リ処 ヲ』
だからこそ、いつかは受け入れなければならない。
不意に、そう思ってしまった。
「―――何を?」
奴は答える。
『過去 ヲ』
バキバキと剥がれ落ちる仮面から口が覗いた。
『咎を』
十字架を背負う奴は、流暢になった口調で紡ぐ。
『キミが為したいと願うことがあるなら、
「え……」
『だって
奴が纏う衣は、
『いつか、ボクたちの因果も絶ち斬ってくれ』
黒い―――死覇装だった。
*咎女(第五形態)
第四形態から、融合したルピの『葦嬢』も解放した姿。
主な容姿の変化は、胸部を包み込む顎に似た装甲、及び背中に現れた亀の甲殻に似た鎧と、そこから生える八本の触手である。
元十刃のルピを取り込んだことにより、霊力は先の元破面とは比較にならないほどに向上している。
*技一覧(12話時点)
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イリュミナル(イルミナル)とは、スペイン語で『照らす』の意。
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後書き
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