「ふんっ!」
振るわれる長大な触腕。
その軌道上に佇んでいたルピは、虚化に伴って向上した反射神経を以て、紙一重のところで避けてみせる。
触腕が叩きつけられた地面には“跡”と言うには綺麗に凹んだ谷が生まれた。もしも真面に喰らっていれば、虚化していたルピでもただでは済まなかっただろう。
黒刀の言っていた通り、咎人はマントと仮面を外すことで強大な―――否、本来の力を発揮している。
(ボクは良いけどさァ……)
チラリと周りを一瞥する。
自分以外にも戦っている組み合わせが二つ。どちらも咎人が優勢だ。甘く見積もっても拮抗しているとは言い難い。
(でも、思ったより頑張ってるじゃん)
しかし、まったく歯が立たないという訳でもない。
本来の力を発揮する咎人に対し、劣勢とは言え何とか喰らい付いている。尸魂界でも押されていた事実を考慮すれば、十分健闘していると言っても過言ではない。
それならば時間稼ぎとしては十分。
問題は勝てるかどうか。生死を懸けた死闘だ。負ければ当然死ぬ、いや、殺されるのが目に見えている。
“味方が戻ってくる”といった希望的観測は当てにならない。
故に、自分が敵に勝つことこそ最も現実的な突破口だ。
それを達成するにはあと一押しが足りない。
(ボクは
水面下で群青を仕留める算段を立てるルピ。
牽制に放った虚閃は、やはり彼の触腕に撃ち落とされる。理解していたとは言え歯がゆい結果だ。
元々ルピは我慢強い方ではない。自分の絶対的優位を信じて疑わないときでさえ、相手に煽られればすぐさま手が出る。一度倒したと思い込めば、ロクな確認もせずに次の獲物へ目を向ける。そして余裕に満ちた態度も追い詰められれば瞬く間に崩れ去ってしまう。
そのような彼が虎視眈々と形勢逆転を狙い―――時を待つ等の真似に出れば、フラストレーションが溜まる一方であることは、想像に難くないだろう。
胸中に渦巻く黒い感情は、仮面を通して
漆黒の霊圧。凝縮された虚のそれだ。
刻一刻と昂ぶり溢れる負の感情が霊圧へと変換され、留まることを知らない。こうして力が漲っていく感覚に、ルピは万能感から来る高揚感と共に、得も言われぬ懐かしさを覚えた。
(ああ、そうだよ。これこれ……)
己の全盛期に思いを馳せる。
同時に人生最大の―――藍染と出会って以来、二度目となる屈辱も。為す術もない程に隔絶した力を前に斬り伏せられた瞬間を。
思い返すだけで高揚は底冷えし、腸が煮えくり返る激情が骨肉の一片にまで駆け巡る。
やり返さなければ気が済まない。
破面だろうが、咎人だろうが、死神だろうが。
気に障る神羅万象こそが、己の敵だ。
「やっぱり……ムカつくなァ!」
「!? これは……っ!」
復讐心が、破壊の衝動を焚き付けた。
次の瞬間、ドス黒い感情が蠢く影と化し、ルピの体を覆い尽くした。
***
二つの影が重なるように飛び交う。
どちらも―――厳密には種類が違うが―――大柄な体を有しながらも軽快な動きを見せている。
「くっ!」
「あらぁ? 動きが鈍くなってきたんじゃなァ~い?」
何度か交差するように肉弾戦を繰り広げていた彼らであったが、先に息を切らしたのはクールホーンであった。
醜く超えた体躯を誇る太金に対し、クールホーンは鍛え上げられた肉体美を誇る。
しかし、霊なる者同士の戦いとは霊圧が物を言う世界。持ち得る霊力が膂力を、肉体の硬度を、歩法の速さを、ありとあらゆる戦術の底を高次元に持ち上げるのだ。
その点、クールホーンと太金とでは素の肉体能力ではどうしようもないレベルで霊圧差があった。無論、クールホーンもただやられる訳ではない。知り得る技術をあれこれ試してこそいるが、どれも小手先に過ぎない。
所詮小手先とは格上相手には通じないものだ。
出せた結果と言えば、僅かながらの延命。
けれども、それはクールホーンの求めるものではない。
「……ふっふっふ」
「うん?」
「んっふっふ……んっふっふっふ!! おほっ、おーっほっほっほ!!」
突如、片膝を着いたまま両腕を広げ、天を仰ぎながら高笑いするクールホーン。
まるで気が触れた姿。その様子を見た太金は、少しばかり怪訝そうにした後、脂ぎった顔面に邪悪な笑みを浮かべた。
「ヤァ~ダァ~! とうとう気が狂っちゃったァ? アタシ、まだ貴方のこと虐め足りないんだけれど……」
「ふぅ……なにを寝ぼけたことを言っているの?」
「……なんですって?」
太金に応えるクールホーンの声音に狂気の色は窺えない。
寧ろ、優勢に立っている太金にしてみれば釈然としない余裕さえ垣間見える佇まいだ。一体どこから湧いて出てくる余裕なのかと問いかけたくなる程に。
と、曇る相手の顔色に満足気なクールホーンが続けた。
「良いわね、その顔。貴方のような輩にはお似合いだわ」
「ふんっ、言わせておけば調子に乗って……可愛くないわァ」
「言われなくてもあたしは美しいの。所詮貴方はあたしの踏み台……言わば端役よ。舞台にいつまでも端役に居られたら困るの。そろそろご退場願うわ」
ピンッ、と指を突きつける。
一方、踏み台と断じられた太金は、彼の大言壮語を前にでっぷりと肉づいた腹を抱えて笑う。
「アァ~ッハッハッハ!! 冗談キツイわァ~!! 踏み台? 端役ゥ!? アタシに手も足も出ない奴がよく言うわァ!! 薄々勘付いてたけど、貴方って本当に大馬鹿なのねェ~~~!!」
全身に浮かび上がる口。
それは外部からの霊子や霊圧攻撃を吸収する部位だ。現在の死闘の中でも幾度となくクールホーンの攻撃は、あの口を前に無力化された。
吸収された攻撃はそのまま相手の攻撃手段へと転用されるのだから、迂闊に遠距離攻撃もできたものではない。
だからこそ肉弾戦を仕掛けていたクールホーンであったが、結果は芳しくなかった。
それでも彼の瞳には一筋の光明が差し込んでいる。
目の前に映るのは、我が主たる大帝の為に彩る血の道ではない。己の華々しい勝利へと続く、真紅のレッドカーペットだ。
我こそが地獄に咲く一輪の花。可憐、耽美、妖艶―――遍く美への賞賛の言葉を浴びせられる為に咲き誇るのだと自分に言い聞かせる。
「そう……あたしは煌めくの。もっと! もっと!! もっと!!! もっとずっと煌いてみせる!!!」
刹那、地面に黒い線が奔った。
何事かと飛びのく太金。凝視して観察してみれば、クールホーンを中心に地面に蔓延る
同時に彼の霊圧も急激に高まってきた。
予想外の展開に瞠目する太金であったが、ならばと言わんばかりに全身に浮かび上がる口の照準を合わせる。
標的は当然目の前の男。
「そんな虚仮威しが通用するとでも思ってるのかしらァ!? まっ、これから死ぬんなら関係ないわよねェ~~~!!」
解放。
収束した霊圧が一斉に解き放たれ、怒涛の勢いでクールホーンへと迫っていく。
その光景はまさしく嵐。一発目が着弾した時点で大きな砂煙が立ち昇り、二発目、三発目と着弾していく内にクールホーンの姿は見えなくなった。
これでは互いに視認することは不可能。死体を確認するにしてもひと手間増えた―――そうほくそ笑む太金は、とうとうため込んだ霊圧を出し切るに至る。
「やり過ぎちゃったかしら? これじゃあ死体が残ってるかも怪しいわね……まあ、死んだら死んだで全然オッケー♡」
「―――誰が死んだですって?」
「!!?」
ありえない。
頭が理解を拒む。しかし、体は自然と飛びのいた。
信じられない事態に茫然とする太金であったが、砂煙の中に浮かぶ人影に、動揺する心を押し殺す。
「……なんで生きてるのかしら?」
「そんなの決まってるでしょ?」
嘲るような声音。
砂塵を切り裂き、優雅に
「あたしが―――お洒落だからよ」
現れた仮面は、薔薇の花を模っていた。
***
「オォラ!!」
気合いの入った一喝と共に拳を振るうアパッチ。
霊圧を纏った攻撃は、我緑涯の額に激突するとともに鈍い打撃音を遠方まで轟かせる。しかしながら微動だにしない我緑涯は、そのまま彼女の腕を掴まんとした。
「二度も同じ手にかかるかよォ!!」
しかし、振り上げられた掌底を蹴り飛ばす形で、何とか我緑涯の眼前から飛び退いた。
虚空を掴む掌。しばし固まる我緑涯であったが、冷や汗を流す三人の姿を一瞥し、凶暴な笑みを浮かべてみせる。
「利カナイ」
挑発。しかしながら事実でもある。
「ちっ! 今度こそやったと思ったんだけどな……」
紛うことなき全力ではあった。
それでも霊圧と巨躯に違わぬ頑強さを誇る我緑涯には、自身の拳は通用しない。その事実に歯噛みするアパッチは、横で息を切らしている二人に声をかけた。
「ミラ・ローズ! スンスン! 聞こえてるか!?」
「うるっさい! そんな怒鳴らなくても聞こえてるよ!」
「まったく……お猿さんは声量の調整もできないんですの?」
悪態混じりに返事する二人であるが、彼女たちもまた自身の攻撃が敵に通用しない事実にたたらを踏んでいる状況であった。
思案を巡らせ、打開策を見出そうとするも、これといった妙案は浮かんでこない。
ただ、一つだけ脳裏を過る案があった。しかし、これまで三人は自然とその案を避けていた。理由は単純明快。自身のプライドが許さないから―――そして、人並みの羞恥心からだと言っておこう。
自尊心と羞恥心の狭間で揺れ動く三人。
ただし、このままでは勝ちの望みは薄いどころか皆無と言って間違いない。
敗北は許されない。
それは臣下としてだけではなく、忠誠を誓った主から“対等”と告げられた誉れを無為に帰さない為でもあった。
―――その為ならば。
腹は決まった。
「なあ」
「なんだい?」
「勿体ぶらずに言ってくださる?」
「いちいち癇に障る言い方すんじゃねえ! ……いいか、一度しか言わねえぞ」
―――三人で連携するぞ。
と、しどろもどろになりながら告げるアパッチ。
数秒、それを聞いていたミラ・ローズとスンスンが固まった。呆けたように目を見開く彼女たちは、今度は呆れたと言わんばかりに深いため息を吐く。
「あんたねぇ……そんなこと、言われなくちゃできないのかい?」
「はぁ!!? そ、それじゃあ今まで碌に連携とった事あるか!!? あぁ!!?」
「こんな状況にでもなったら自然ととるものでしょうに。嗚呼、嘆かわしい……今さっきまで私たちは二人と一人だった訳ですか。非効率極まりますわぁ」
「う、うるっせー!!! あたしだって連携ぐらいとろうとしてたっつーんだよっ!!!」
呆れる二人に対し、アパッチは顔から火が吹き出そうな勢いで猛抗議する。
自尊心と羞恥心を押し殺して発言してこれだ。今の彼女は内心ズタボロであろう。
だが、ギリギリと歯を食いしばっている彼女が伝えたいことは連携云々ではない。もっともっと根深い部分。
「ただ……てめえから協力しようって言ったことは無かったろ」
「……まあ」
「……それは確かに」
そう、自然な流れに乗ることはあったものの、誰かの申し出に全員が頷いて動いたことなど、思い出す限りでは無かった。大抵は反発するか独断行動だ。そこには連携もクソもなく、仮に三人が連携して動いているように見えている時でさえ、各々にしてみれば他の二人が勝手に動いているという認識であった。
「やるしかねえだろ。ハリベル様の為にもよぉ」
「あんたがハリベル様を引き合いに出すんじゃないよ」
「でも、偶にはいいんじゃありませんこと?」
刹那、三つの光球が辺りを燦々と照らし始める。
アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンの三人が収束する霊圧は、尸魂界で見たものよりも明らかに高密度に凝縮されたものであった。
加えて互いの霊圧に共鳴するように震え、繋がり、その霊圧の塊を肥大化させていく。
みるみるうちに大きくなる光球の全長は、我緑涯の巨体を軽く超えるくらい膨れ上がった。上手く収まり切らずに溢れ出す霊圧のスパークは、辺りの地面に幾何学な模様を次々に刻む。
それほどの光球を目の前にして、我緑涯はただ見上げて立ち尽くすのみ。
「行くぞ、てめえら!」
「指図するんじゃないよ」
「貴方こそ合わせるんですよ?」
息を合わせる三人が解き放つ。
『
本来、大虚以上の虚しか繰り出せない破壊の閃光。
それを整の身でありながら繰り出した三人。威力は破面時代より劣る―――かと思いきや、三人が同調させた甲斐もあってか、威力自体は破面時代に勝るとも劣らない。
まさしく渾身の一撃。
地面を抉りながら突き進む一条の光線は、真っすぐ我緑涯の下へと向かう。
避ける素振りも見せない我緑涯は、丸太の如き巨腕を広げ、受け止めんと真正面から虚閃に挑んだ。
轟音、続いて閃光。虚閃が我緑涯の巨体に衝突し、凝縮されていた光が爆ぜる光景は凄絶そのものであった。
「おおおおおっ!!!」
「がああああっ!!!」
「はああああっ!!!」
喉が張り裂けんばかりの咆哮。
虚閃の轟音に負けぬ声量で絶叫する三人は、出せるだけの霊圧を虚閃へと注ぎ込む。
これが最初で最後の最大のチャンス。そう自分に言い聞かせる彼女たちは、まさしく鬼気迫る表情を浮かべていた。
おおよそ女性が浮かべてはいけない形相ではあるが、それを何かを守る為に戦う戦士の顔と見れば、これほどまでに勇猛で凛然たる面構えはないと言える。
「オ……ッ!?」
そして、彼女たちの魂を賭した攻撃は、我緑涯を僅かに後退させることから始まった。
「オ……オッ……オオオオオオオオッ!!!」
山のような巨体を押し退かせる力の奔流を前に、受け止める我緑涯の口から苦悶の声が漏れる。
―――もう一押しだ。
そう悟った三人は、最後の一滴まで霊圧を絞り出す。
『いけええええッ!!!』
「オ、ゴアアアアアアアッ!!!」
最後の一押しとして雪崩れ込んだ霊圧が、我緑涯と虚閃の接触点に留まっていた霊圧に注がれ、激烈な大爆発を起こした。
爆風の余波は凄まじい。それを起こした当人である三人でさえ、危うく倒れかけたところだ。
「ッ……やったか!?」
「霊圧は……っ!」
「はぁ……はぁ……少しくらい息を吐かせていただけませんこと?」
滝のような汗を流し、肩を上下させるアパッチが、同様の状態に陥っている二人に目を遣りながら黒煙に目を遣った。
今のところ我緑涯らしき霊圧は窺えない。探査神経を使えないこともあってか、索敵能力は以前ほど優れてはいない。加えて虚閃によって引き起こされた爆発直後だ。周囲に乱れる霊圧の流れによって、上手く対象の輪郭を捉えられない。
―――頼む、起き上がってくれるなよ……!
そう、アパッチが心の中で唱えた瞬間だった。
「「「!?」」」
黒煙を突き破る二本の腕がミラ・ローズとスンスンの体を掴み上げたではないか。
「なんだい、こりゃあ……うぐっ!?」
「まだ生きて……あぁ!!」
「ミラ・ローズ!! スンスン!!」
逃れられない二人は、そのまま後方にあった岩壁に叩きつけられて悲鳴を上げる。
硬い岩壁には蜘蛛の巣のように罅が入っていた。そのような勢いで叩きつけられた仲間を案じるアパッチであるが、自身にかかる巨大な影に、次なる獲物が
「てめえ、生きて―――ぐぼぉあ!!?」
「フンッ!!」
「ごッ!!?」
全身の至る所に火傷を負った我緑涯。
怒りに滲んだ形相を浮かべる彼は、霊圧が尽きかけているアパッチ目掛け、頭突きを一発喰らわせる。それから怯んだ彼女に踵落としを叩き込み、華奢な女体を地面に沈めた。
たった二発の連撃であったが、霊圧硬度を保てなかったアパッチには致命傷に等しい攻撃。地に伏せる彼女は、口腔から大量に吐血した。
しかし、それだけで我緑涯の手は止まらない。
軟弱な女如きに手傷を負わされた事実に自尊心を傷つけられた我緑涯は、怨念を晴らすべく、瀕死のアパッチに二度、三度と続いて蹴りを叩き込む。
その度にアパッチの体は宙に浮かび、見るに堪えない量の血飛沫が辺りに撒き散らされる。
「アパッチィ!!!」
「ええい! 放しなさい、この木偶の坊!」
「ウル……サイ!!!」
「がっ!!?」
「うぐッ!!」
抵抗を試みる二人であったが、それを煩わしく感じた我緑涯が、彼女たちを外周の岩壁にこすりつけるように振り回す。硬いだけでなく突起も存在する岩壁を数十メートルも擦り付けられた二人は、痛みと衝撃で気を失いかけそうになりながら―――最後に手を放されて岩壁に埋もれる力で叩きつけながらも、最後まで意識の糸は手放さなかった。
麗しい見目に血化粧が施される。
三人の中の誰一人例外はなく、今この場で繰り広げられている戦いが“死闘”であることを如実に示すように。
「うっ……うぅ……!」
「マズハ……オ前……!」
「くっ……!」
伸縮するギミックを兼ね備えた腕を戻した我緑涯が、倒れるアパッチの髪を掴み、そのまま宙にぶら下げる。
口からも鼻からも血を垂れ流す彼女は、尚も気の強さを感じさせる鋭い眼光を我緑涯に向けていた。
しかしながら、上手く体に力が入らない。
(ちくしょう……あたしはこんなところで……!)
濛々とする視界。
間近にあるはずの我緑涯の顔でさえはっきりと見えなくなった彼女は、不意に主君の顔が脳裏を過った。
怜悧な眼差し。自分たちを見やる時には温かく、時に目尻には微笑みが佇んでいるように見えたものだ。
そのような主君の顔を皮切りに、次々に人生の一幕が思い起こされる。
腐れ縁と言うほかない、自分と同じ忠臣の二人。
彼女たちとの思い出は……そこそこに多いはずだった。
しかし、特に印象深い場面はと考えた途端、彼女たちとは最近過ごした場面ばかり思い浮かぶのだ。
ルピとの諍いから始まり、地獄の試食会、そして遊郭潜入に至るまで。
大虚、破面として過ごした期間の方が長いにも拘わらず、“楽しい”“笑える”と思ったのは以上の通り。
(チッ……あんのチビ助……!)
随分とろくでもない思い出を増やしてくれたものだ、と白髪の少女に思いを馳せる。
あの少女のことだ。自分が死ねば―――きっと悲しむ。
それがなんだ、と昔なら思っただろう。
だが、今は違う。明言こそしなかったが、彼女もまた紛れもない自分の仲間であるのだ。
仲間を悲しませるような真似だけはできない。したくない。
人間として、生まれ変われたのだから。
***
“
百年以上前、藍染惣右介の虚化実験の犠牲になった、虚化の力を有する死神たちだ。
彼らは全員、虚の仮面を自在に出すことができる。しかし、最初からそうであった訳ではない。
そもそも虚化とは、魂の境界線の崩壊によって引き出される。
一つの魂魄に虚の魂魄を流し込み、その上で魂魄間の境界を破壊することで、対象をより高次の魂魄へと昇華させるのだ。
だが、当時の技術では完全な制御が不可能であり、虚化が進行した場合は、魂魄間だけであった“境界線の破壊”が、魂魄と外界との境界にまで及び、自らの意志とは無関係に自滅してしまう。
これを“魂魄自殺”と呼び、本来仮面の軍勢もその末路を辿るはずだった。
そんな彼らを救ったのは、藍染惣右介を超える天才・浦原喜助。
彼は
その方法こそが、滅却師の光の矢と人間の魂魄から作ったワクチンを注入するというもの。
―――滅却師と相反するものは死神。
―――虚と相反するものは人間。
ならば、死神と虚の魂魄を有する者には、滅却師と人間の魂魄を注げば均整がとれる。そういう訳だった。
しかし、彼らはどうだろう?
浄化されて人間へと戻った―――しかも、虚化の力を手に入れた元破面は。
通常、虚の魂魄は人間にとって毒性が強い為、例え虚化しようとしても霊体が耐え切れずに崩壊してしまう。
そう考えれば元破面が理性を失った虚になり、自滅するのは時間の問題。かと思いきや、虚白を始めとした虚化を会得した面々は、そういった事象もなく平然と過ごしている。
彼らが虚化を扱える所以とは何か?
―――芥火 焰真
滅却師と人間の間に生まれ落ちた
彼は生まれながら虚の毒に対する抗体を有している。抗体は毒を無力化する―――つまり生じる霊圧も、虚にとっては触れることさえ憚られる性質だった。
ここで振り返ろう。魂魄自殺を防ぐには、境界線のバランスが取れている必要があるのだ。
数多の破面を浄化してきた芥火焰真の斬魄刀『
ならば、芥火焰真によって浄化された破面は、自然と死神と滅却師―――両方の性質を併せ持った霊圧を喰らったという訳だ。
ここまで言えばおわかりいただけただろうか。かつて浦原喜助が仮面の軍勢に施した処方とは別に、芥火焰真は元破面の魂魄の境界線のバランスを取っていたのだ。
全ての因子を持つ―――無欠の存在が、足りぬ欠片を分け与えた。たったそれだけ。
決して断ち切れぬ繋がりが、芥火焰真と元破面の間にはある。
それを“絆”と呼ぶか、罪人を繋いでおく“鎖”と呼ぶか―――それはまだ決めるにはまだ早い。
***
―――もう、犠牲はたくさんだ。
吐き捨てるように独り言つアパッチ。
刹那、体の奥底から霊圧が溢れ出してきた。
己の不甲斐なさに対する憤りや、咎人に対する恨み、もしも仲間が斃れたと思った時の悲しみ―――ありとあらゆる負の感情が渦を巻いて、アパッチの顔面を覆い被さった。
「舐めてんじゃ……」
「!」
「ねええええええええああああああああああッ!!!!!」
「ウグゥウウッ!!?」
頭突き。
頭蓋骨が割れるかと錯覚するほどの衝撃が襲い掛かった我緑涯は、思わず手を放して後退りする。
「フーッ……! フーッ……! フーッ……! ……あ゛?」
なんとか我緑涯から逃れたアパッチであったが、妙な違和感に手を顔に当てる。
「なんだ……こりゃあ……!?」
身に覚えのない装飾品―――もとい、仮面が顔を覆い被さっていた。
しかも、どこか懐かしいような形状だ。それこそ中級大虚であった時のものに酷似している。特に、額から伸びた大きく伸びた角が。
「っは……力が湧き上がってくるぜ……!!」
地獄の瘴気により呼び起こされた内なる虚が、アパッチに虚化という新たなる刃を授けた。
しかしそれは何も彼女だけに限った話ではない。
「おおおおおッ!!!」
「でやあああッ!!!」
岩壁を吹き飛ばし、参上する二つの影。
獅子を彷彿とさせる仮面に、蛇を彷彿とさせる仮面。それらを被ったミラ・ローズとスンスンの二人が、アパッチの横に並び立った。
彼女たちを中心に渦巻く虚の霊圧は、先ほどとは比べ物にならない。そもそも地獄という環境が虚という本能に従って行動する生き物にとっては虚圏以上に力を引き出しやすい環境だ。
死に体だった獣が今、脅威の復活を遂げた瞬間である。
「よぉー!! ミラ・ローズ!! スンスン!! 随分懐かしい
「ぎゃーぎゃー騒ぐんじゃないよ。……まあ、騒ぎたくなる気持ちは分かるさ。さっきから体が疼いて仕方ないからね」
「まったく、野蛮なお猿さんたち……私は粛々とやらせていただきますわ」
虚化に伴って溢れ出す霊圧は、三人に万能感より来る高揚感を覚えさせる。
今だけは痛みも忘れ、普段の全力以上に動き回れそうだ。節々を鳴らす三人は、そう考えていた。
「……ダカラ、ナンダ!!」
そんな光景を気に入らない者が一人。
謎の復活を遂げた三人に訝し気な視線を送っていた我緑涯はと言えば、急激に高まる三人の霊圧に警戒心を抱きながらも、あくまで優勢を勝ち取っている者としての佇まいを崩さない。
高まったとは言え、霊圧などたかが知れている。
十分一人で対処できると判断した我緑涯は、拳の骨を鳴らし、獣染みた凶暴な笑みを湛えた。
「サァ……誰カラ死ニタイ?」
「死ぬだぁ?」
不服そうな声を上げたのはアパッチ。
「これから死ぬのは……!」
「てめえの方だよ、ボケが!」
「百倍にして返して差し上げますわ」
全身に力が満ち満ちる。
それは刃が帰る感覚に似ていた。
だからこそ、三人のみならず他の面々も直感で理解していた。
心を、刃と変える解号を。
獣のように勇ましくなる為の。
「突き上げろ―――『
「喰い散らせ―――『
「絞め殺せ―――『
薔薇のように気高くなる為の。
「煌け―――『
葦のように執念くある為の。
「縊れ―――『
さあ、反撃の時間だ。
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