虚化に至った者たちの全力―――すなわち、
本来は虚としての力の核を刀剣状に封じ込めた上で解放に至るもの。
しかしながら、重要なのはあくまで力の核だ。それが刀剣であろうと仮面であろうと、解放できるならばさしたる問題はない。
性質としては、死神における斬魄刀最終戦術“卍解”に等しい力だ。戦闘能力は数倍に引き上がり、尚且つ解放前のダメージが回復するといったメリットも存在する。
形勢逆転という名の秘める可能性。
雄々しい角を生やしたアパッチも、金色の鬣を靡かせるミラ・ローズも、白磁色の下半身で蜷局を巻くスンスンも、それまでに受けていた傷は見る影もなくなっていた。
体が軽い。傷が癒えたことに加え、湧き上がる霊圧がそう感じさせていた。
自然と口角が吊り上がる。
「へっ! こうなりゃああたしたちのモンだぜ……!」
獣染みた凶暴な笑みを湛えるアパッチが言う。
「油断すんじゃないよ。息巻いて突っ込んだら久々過ぎて思い通りに動けなかった……なんて目も当てられないからね」
それを窘めるミラ・ローズであったが、案外吝かではない面持ちだ。
「ですわね。では、ここは一先ずリハビリも兼ねて
提案するスンスン。遠回しな言い方ではあるが、何を言わんとしているか察した二人は、鼻を鳴らしながら我緑涯を見据える。
彼の暴力的なまでの膂力には苦汁を嘗めさせられた。
しかし、今度はこちらの番だと三人は意気込む。
「いいぜ。あの筋肉達磨に目にもの見せてやりてえからな」
「ああ。目には目を、歯には歯を、力には力を……ってね」
「磨り潰して差し上げましょう。圧倒するのは嫌いじゃなくてよ」
言うや、三人は自身の左腕を掴んだ。
「ッ……!?」
次の瞬間、左腕を掴んだ彼女たちは、そのまま引き千切ってみせたではないか。なんの躊躇いもなく、さも当然のように。
突然の凶行に理解が追い付かない我緑涯であったが、三人の目論見が何なのか、その所以たる一部始終を目に焼き付けることとなった。
引き千切られ、断面から血を滴らせる左腕が一人でに集い、肉が潰れ、骨が砕ける音を響かせながら
そうしてできあがる肉塊。三体の獣の腕を生贄に生まれた肉の卵は、程なくして脈動を始め、その形をみるみるうちに変えていく。
肥大化する筋肉が、
我緑涯よりも遥かに大きく成長する肉塊は、やがてその体表に野性的な毛を生やし、確かに地獄へと生まれ落ちた。
「―――」
怪物。
そう表現するしかない異形が、我緑涯の眼前に聳え立っていた。
隆々と肉付く筋肉に加え、頭部から天を突かんばかりに生える二本の角、腰まで伸びる鬣、蛇の頭を有する尻尾。既存の生物の特徴を混ぜ込んだキメラ染みた姿形だった。
それこそが第3十刃、ティア・ハリベルの従属官三人が為せる最凶の能力。
「アヨン」
紡ぐは怪物の名。
確かめるようにアヨンを呼んだアパッチは続ける。
「久しぶりだな、アヨン。あたしらに会えて嬉しいか?」
「……」
「チッ、また無視かよ。まあいいぜ……見えるか、あそこに居る筋肉達磨がよ」
「……」
「獲物はあれだぜ。遠慮はいらねえ―――行けよ」
「……お」
漸く返ってきた反応。
しかし、それはあくまで始まり。
「お……おっ、おっ、おっ、おっ、おっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
けたたましい咆哮が地獄の空に轟いた。
鬣と角に隠されていた目元と、不安を煽る異様に巨大な口も露わとなる。
それだけ巨大な口から迸る咆哮の音圧は凄まじく、帰刃の余波で立ち込めていた砂塵が一気に吹き飛ばされる。
島の周囲に満ち満ちる水面にも、波紋どころか荒波が立ち、少し離れた岸へと波濤を送り出す程だ。
並みの副隊長であれば一方的に嬲れる力を持ったアヨン。
彼の標的は、アパッチに言われた我緑涯に他ならない。
「ウゥッ……!!」
地獄の狂気に染まった我緑涯でさえ、人としての本能を全て捨て去った訳ではない。
欠片ほど残った本能が叫ぶ。逃げろ、あれを相手してはならないと。
それでも彼に“後退”の二文字はなく、顕現した異形の怪物目掛け、岩のように頑強な脚で地面を蹴り、アヨンに向かって吶喊する。
「ヴオオオオッ!!!」
雄たけびは、恐怖を押し殺す為に必要なものだった。
が、そんな我緑涯の眼前に拳が迫る。
巨大な拳。逃げ道などない。
我緑涯が吶喊する速度よりも速い拳撃は、そのまま彼の顔面どころか全身を巻き込むようにして振り抜かれた。
一瞬だ。開かれる口も、声を迸らせる喉も、幾人もの命を欧殺した拳も、その全てがたった一撃によって潰された。
弾かれる我緑涯の巨体は、そのまま岩壁にぶつかって止まる。が、アヨンの凶行がそれだけで止まるとは、召喚した三人の誰もが思っていなかった。
「オォッ! オォッ! オォッ! オォッ! オォッ!」
二発、三発、四発、五発と突き刺さる拳。
瞬く間に崖は崩落するが、それを厭わずに埋もれる我緑涯を敵とみなすアヨンは、獲物の原形がなくなる勢いで―――一山いくらの挽肉と化すまで殴り続けた。
弱者が淘汰され、強者が生きる地獄に相応しい顛末を、我緑涯は辿ることになったのだった。
***
「な、なによ、ソレ……!」
太金はクールホーンの姿に瞠目していた。
まるでバレリーナのような恰好。ヒラヒラと風に靡くフリル状の布は優美さを感じさせなくもないが、彼の屈強な肉体と股間のもっこりとのギャップにより、見る者の記憶に焼き付く強烈な印象を与えるに至っていた。
故に太金はと言えば、
「プップー!!? ぎゃは、ひゃーっひゃっひゃっひゃ!! なんて恰好なのよ!!? 貴方一体どういう感性しているワケ!!?」
抱腹絶倒。
腹を抱えてクールホーンの姿を笑った。
一方で当のクールホーン本人はと言えば、笑われていることに不快感を覚えた様子も見せない。寧ろ不気味なほどの余裕を感じさせる。
「フッ……凡人には分からないでしょう。あたしが体現する“美”の素晴らしさが。いいでしょう、丁寧に一つずつ解説してあげるわ」
「結構よォ~!! 見た目だけで十分笑わせてもらったもの!! これ以上笑わせないでくれないかしら!!?」
「……成程」
呵々大笑いする太金に対し、クールホーンが見せたのは―――呆れ。
深々とため息を吐き、腹を揺らす太金を指さしながら言い放つ。
「惨めね」
「……なんですって?」
「聞こえなかったかしら。貴方のことを『惨め』と言ったのよ」
侮辱の言葉に、流石の太金も聞き捨てならないと笑いを止めて顔を向き直す。
「アタシが惨めェ? 貴方のことがじゃなくって?」
「貴方以外に惨めな人間がこの場に居る? ブサイクは耳も腐ってるって本当だったのね」
「口だけは達者よねぇ、貴方。そこまで言われたら、アタシも腹の虫がおさまらなくなるわよ……」
「勝手になさい」
いい? とクールホーンは続ける。
「あたしが下に見る人種はこの世に二つ……一つはあたしの超絶した美を理解できない者。こっちはまだいいわ。天才の所業を凡人が理解できないのは世の常……寧ろ憐れみに値するわ」
もう一本の指を立てたかと思えば、そのまま太金に向けて突き付ける。
お前だ、と言わんばかりに。
「あと一つは……貴方のように理解しようとさえしない者。思考を―――その努力を捨てた愚者は、あたしと同じ土台に乗ることさえ烏滸がましいわ」
美の探究者たるクールホーンは、毎日の努力に余念を欠かさない。
どのような時でさえ寝る前のストレッチと美顔マッサージは欠かしたことはない。食事にも気を遣い、できるかぎり過不足のない栄養を摂るのも心掛けた。
努力という点において、クールホーンほどストイックな破面は先にも後にも居ないだろう。
そのような彼が唾棄する存在こそ、“努力”を放棄した人種だ。
怠惰に生き、ぶくぶくと贅肉を肥やすような人種は、最早視界に入れることさえ許し難い存在。目にするだけで虫唾が走る。
「だからあたしは陛下に忠誠を誓った。今はフリーになっちゃったけど、これでも虚白ちゃんたちのことは気に入ってるの。だってあの子たち、ギンギラギンに煌めいているんだもの♪」
だからこそ、目的に一途な虚白やリリネットたちは嫌いになれない。お節介を焼いて地獄まで一緒についていく程度には、だ。
「だから貴方には土に還ってもらうわ。主役が輝くのに脇役が必要なように、綺麗な花が咲くにも養分が必要なのよ」
「……好き放題言って!!」
いいように言われ、我慢の限界が訪れた太金が恰幅の良い体に見合わぬ軽快な跳躍を以てクールホーンに肉迫する。
「このまま圧し潰されちゃいなさぁ~い!!」
体重を用い、クールホーンを圧し潰そうと試みる太金。
「言ったでしょ、考えなしは嫌いって!!」
しかし、彼が重力で勢いづいて落下し始めるよりも早く、クールホーンが響転で動く。
そうして肉迫する途中、クールホーンは目にも止まらぬ大車輪を始める。
「行くわよっ! 必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・パーフェクト・スタイリッシュ・デンジャラス・サイケデリック・バリアブル・エコノミカル・コンチネンタル・インクレディブル・アンビリーバブル・シャイニング・アタック!!」
「なっ……うぶぉ!!?」
太金の腹部に突き刺さる殴打。
帰刃で身体能力が格段に向上している状態での一撃は、太金がクールホーンの力を見誤って無防備であったこともあり、綺麗に腹部へと決まった。
苦悶の声を漏らす太金は、そのまま上空へと打ち上げられる。
その隙を逃がすクールホーンではなく、空中を蹴り跳躍した彼は、続く二撃目への前向上を唱え始めた。
「喰らいなさい! 必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・ラブリー・キューティー・パラディック・アクアティック・ダイナミック・ダメンディック・ロマンティック・サンダー・パンチ!」
「ひでぶッ!!?」
手を組んで太金の脳天に振り下ろされる一撃。
激烈な攻撃に頭部が肥満な上半身に埋もれた太金は、今度は地面目掛けて墜落する。質量と速度を兼ね備えて落下した巨体は、轟音と響かせながら地面にクレーターを生み出す。
「うっ、うぐ……ぐぞッ……!!」
「これで終わりね」
「!」
埋もれた体を起こし、怨嗟の言葉を吐く太金であったが、目の前にクールホーンが舞い降りた。華麗さを演出した派手な着地であったが、この状況の中で敵の絶望を煽るにはこれ以上ない演出であることには違いない。
「さぁ……
「こ、これは……!?」
妖艶に、それでいて残酷な笑みを湛えるクールホーン。
直後、彼を中心におい上がる黒い茨が二人を包み込んでいく。逃げる間もなく完成した茨の檻により、外景が遮断され、より太金の焦燥を焦る。
「こんなもので……!」
「無駄な抵抗はお止し。御覧なさい」
「なんですって……はっ!?」
見上げる太金の視線の先で膨らむ物体。それは紛れもない花の蕾であった。
「―――“
「はんっ! なにが残酷なのよ! こんなもの、アタシがペロンと食べ……なっ!?」
「……貴方でもようやく分かってきたようね」
全身に口を生み出し、自身を包み込むように花開く花弁を貪ろうとする太金であったが、一口食んだところで気が付く。
取り返しがつかない―――と。
「そうよ、この薔薇の花は外と内の霊圧を完全に遮断するの。貴方は他人の霊圧を食べられるようだけど、食べられる霊圧がない中じゃ無意味よね?」
「ち……ッ!」
「醜い貴方も、せめて最期は美しく飾ってあげるわ」
「ぢぐじょおおおおおおおおおおおッ!!!」
慟哭も花弁を閉じる薔薇の中へと消えていった。
残るは枯れゆく薔薇と、一人蕾の前に佇むクールホーンのみ。
火を見るよりも明らかな勝敗の結果。
不意にプルプルと肩を震わせたクールホーンは、有頂天な面を浮かべて空を仰いだ。
「おーっほっほっほ!! やっぱりあたしって強くって美しいなんて罪作りよねェ~~~!!」
けたたましい笑い声は、まだ止みそうにない。
***
「お? あっちは終わったみたいだよ? 案外早かったね」
ケロリとした口調で言い放つルピ。
現世でも一度披露した帰刃姿を晒す彼は、背中に背負う甲羅から伸ばす八本の触手を、自分の手足のように自由自在に蠢かせていた。
ルピの帰刃は、簡単に言えば触手が生える、ただそれだけのものだ。
しかしながら、触手は強靭で手足の如く自在に操れるときた。自身の手足を増やせるという意味であれば、第5十刃ノイトラ・ジルガの『
攻撃に使える手足が増える―――単純だからこそ強力な能力だ。
短い間だったとはいえ、第6十刃に君臨していたルピもまた強者に数えられる実力者。現世に派遣された護廷十三隊の先遣隊の内、副隊長一人にそれに匹敵する席官二名を一方的に嬲る程の力がある。
そんな彼が本気を出すとなると、
「さ。ボクらもそろそろ終わらせよっか♪」
「はぁ……はぁ……舐めた口を利いてくれますねェ……!」
本領を発揮できる咎人と言えど、劣勢を強いられるのは当然とも言えた。
ボロボロになっている群青は、息を荒くしながら両腕の触腕と胸から生やす触手を蠢かせ、余裕ぶるルピを睨みつける。
「その余裕がいつまで持つか……見物ですね!」
「見物、ねぇ」
迫りくる触手の群れに動じないルピ。
次の瞬間、彼の体へ押し寄せた触手は、下から突き上げられた触手に絡めとられた。
驚愕する群青。しかし、自身の触手に自切するといった機能を持たない彼は、そのままルピの触手にいいように振り回される。
「ぐ、うううっ!?」
「そういう調子づいた言葉はさァ……自分の立場弁えてから言いなよ」
あくまで優勢なのは自分。そう告げるルピの瞳には嗜虐心がこれでもかと色づいていた。
彼が好むのは、弱者を一方的に甚振ること。そして弱者が自身の圧倒的な力を前に怯え慄く姿を晒すことだ。
一方で、弱い癖に強がる輩―――ルピが最も嫌うのがこれ。
強者には強者の、弱者には弱者の立ち振る舞いというものがある。当人に相応しい立ち振る舞いを演じている者ならば、弱者相手にも直ぐに手を下さない程度の愛着は湧いてくるものだ。
さもなければ、
「串刺しにしちゃいたくなるだろ」
「!」
一本の触手に、鋭利な棘が生え揃う。
そうでなくとも凶悪な力を持つ触手だというのに、もしもあれをぶつけらでもしたら―――鮮明な想像が脳裏を過る群青の背筋に悪寒が奔る。
「ま、待て!」
「待ってあげない」
血飛沫が舞う。
触手に振り回された遠心力で勢いづいているところへ叩き込まれた棘付きの触手。
しなやかな触手とは裏腹に硬い棘は、群青の体に深々と突き刺さる。体を串刺しにされた群青は、貫かれた臓物から溢れ出た血が食道を逆流し、口腔から大量の血液を吐き出していた。
明らかに致命傷。痛みによるショック死を避けられようと、いずれは失血死を免れない有様だ。
―――勝負あり。
「ご……ぼッ……!」
「まだだよ」
「な゛ッ……!?」
しかし、ルピの蹂躙が終わることはなかった。
群青の体を串刺しする触手とは別に、残った七本の触手の先が円を描くように配置されながら、その中心に膨大な霊圧を孕んだ光球を形成していくではないか。
「ボクってこう見えて根に持つタイプでさァ? 散々ボクを甚振ったキミのことは、いっぺん塵も残さないくらい消し飛ばしたくて……ね?」
「ふ……ふふっ、嫌いじゃありませんよ……そういうの、は……」
「遺言があるなら聞いてあげるけど」
「……わ―――」
血の滴る口腔を開けた群青。
しかし次の瞬間、辺りを煌々と照らす極太の光線が解き放たれた。器用に群青の頭部を消し飛ばした閃光は、そのまま攻撃の余波で揺らめく水面に突き刺さり、巨大な水柱を上げる。
その衝撃は留まることを知らず、巻き上がった水柱が水面へと沈んだかと思えば、巨大な波濤と化して周囲の島々を呑み込んでいく。
これこそが、十刃にだけ許された最強の虚閃“
破面の居所たる城“
「はぁ~あ……やっぱりキミじゃ相手になんないよ」
一頻り霊圧を放出したルピが言い放つも、是非が返ってくるはずがない。
何故なら、“王虚の閃光”を間近で喰らった群青は頭部だけを綺麗に消し飛ばされていたのだから。
「ア・ごめーん。聞こえてないよね……っと! じゃあ、いーらない!」
そう言って近場の水場へ物言わぬ群青を投げ捨てるルピは、自身の虚閃で穿たれた穴を覗くように屈んだ。
大量の水が流れ込む空洞。地獄の深淵が見えるかと期待したが、やはり穴の奥を望むことはできないようだ。ただただ暗闇が広がり、その先ははっきりと見えない。ただ、延々と水が流れ込んでいるところを見る限り、行き止まりでないことは確実だ。
「さてと……ボクもぼちぼち行こっかな♪」
彼を突き動かすのは復讐心と言う名の破壊衝動。
群青に対し雪辱を晴らしてはみたが、まだターゲットは残っている。
朱蓮―――奴にもやり返さなければ気が済まない。その一心で、ルピは更なる深淵へと身を投げるのであった。
***
地獄の最下層の入り口。
強酸性の黄色い液体が池を為し、無数に並んでいる場所にて、ハリベルと朱蓮は戦っていた。
大剣と炎の槍が衝突する度に、火花が閃き、その余波で酸の池が荒波立つ。
池の淵から零れた酸が血色岩を融かす異臭が立ち昇るが、構わず両者は激しい剣戟を繰り広げる。
「フンッ!」
「くっ!」
薙がれる炎閃にハリベルが弾き飛ばされる。
そのまま酸の池に墜落する目に遭わなかったことは幸いであったが、これを機に朱蓮が攻勢に出る。
伸ばされる手から放たれる火球が、ハリベルの肉体を焼かんと迸った。
次々に迫りくる火球を前に、響転を行使して回避に徹するハリベル。元上位十刃とだけあって、響転一つを取っても俊敏性は下位十刃の比ではない。加えて霊圧感知から逃れられる性質を有する響転は、回避後も立て続けに狙われる危険性から脱却できる強みがある。
しかし、それ以上に火球の速度が尋常ではない。連射性もかなりのものであり、一撃目を避けたところで矢継ぎ早に二撃目が迫り、彼女の回避を阻害する。
故にハリベルは回避だけでなく、防御と迎撃を織り交ぜて対処した。
大剣から水の塊を発射する“
だが、延々と同じ真似をできる訳ではない。
周囲に着弾する火球が爆発を起こせば、砂塵と黒煙が巻き起こって視界を阻むだけでなく、淵から零れた酸が波濤となって押し寄せる。
これには流石のハリベルも避けざるを得ない。
そうして飛びあがったところ、朱蓮は好機と炎の槍を投擲する。
速い。ハリベルでさえ辛うじて軌跡である炎の尾を視認するしかないレベルだ。戦士としての経験、あるいは獣としての本能のままに大剣を盾として構える彼女は、刹那、大剣の表面で起こった爆発により、またもや後方へと弾き飛ばされた。
「チィ……!」
「無様だな、ティア・ハリベル!」
歯を食い縛り地面を滑るように着地したハリベルに対し、畳み掛けるように朱蓮が斬りかかった。
紙一重で受け止めるハリベルであるが、メラメラと燃え上がる槍から放たれる熱波までは防げない。ジリッ、と肌を焼かれる痛みに汗を滴らせる彼女は、瞳が乾いても刮目して敵を見据える。
「無様……か。確かにこんな様では面目立たないな」
「くっくっく。それも今に必要なくなる!」
優越感に浸るような笑みを湛える朱蓮が踏み込む。
中てられる熱気の激しさが増す。鋼皮の霊圧硬度を集中させなければ、瞬く間に体が焦げ付くだろう。
そうさせない為にも強靭な精神で堪えてみせるハリベルであるが、いずれは綻びが起きる。
死闘の中での綻びは命取り。瞬く間に戦況を覆され、そのまま決することなどざらにある。
だからこそ朱蓮は揺るがしをかけた。
「今頃貴様の仲間はどうなっていると思う? 私の同胞に殺されているか、それともかつての仲間に殺されているか……どちらも愉快なことには相違ないがな!」
「貴様……!」
「仲間を助けに地獄にまで来て斃れれば、それは無念だろうに……想像してみるといい。地獄の鎖に繋がれた貴様の仲間の姿をな!」
大剣の表面に滑らせた炎の槍の穂先を地面に突き立てる。
刹那、注ぎ込まれる霊圧に呼応し燃え盛る槍が火勢を増す。特に地面に突き立てられた穂先は、肥大化する炎がその場に収まり切らず、烈しく漏れ出す炎と共に眩い閃光を放つ。
冥い地の底に順応していた視覚にとっては目くらましに十分な光量。
豊かな睫毛を靡かせるハリベルの瞳が細まった直後、注がれる炎量に耐えかねた地面が爆ぜる。
飛び散る火の粉と噴き上がる爆風。
幅の広い刀身を有すハリベルの得物は、それらの影響を受けやすい。朱蓮の目論見通り爆炎に煽られた大剣は―――彼女の手を離れた。
―――もらった!
狂気に歪む朱蓮の目は、そんな好機を見逃すことはなかった。
槍の膨大な熱量に地面が融け、溶岩と化している。これを喰らえば、いくらハリベルと言えど、致命傷は避けられない。
逆巻く溶岩を纏って振り上げられる炎槍は、彼女の褐色の肢体を焼き切る―――ことはなかった。
朱蓮が振り上げるよりも早く、鉄靴を着けた脚で炎槍を踏みつける。
伝導する熱にハリベルの顔が苦痛に歪む。が、それでまんまと怯む彼女ではない。
己の身が焼けるなど覚悟の上。碧色の双眸に覚悟の光を宿らせる彼女の瞳は、驚愕に彩られる朱蓮の顔を捉えた。
握られる拳。すでに引き絞られた体勢に入っていたハリベルは、己が拳に水流を纏わせ、無防備な顔面へと叩き込んだ。
弾ける水飛沫は血の代わりか。なんにせよ意識を揺さぶる強烈な一発であったことには変わりない。
「ぐっ……小癪な!!」
「まだだ」
炎の槍を消して拘束を解いたところで、新たな炎を手から迸らせる朱蓮。
しかし、狙いが甘かったのを見透かされ、合気の要領で狙いを逸らされたどころか、そのまま遠方へと投げ飛ばされた。
朱蓮の誤算は、ハリベルが空座決戦にて体術において五本の指に入る達人と戦ったこと。加えて、隠密機動総司令官にのみ継がれる白打と鬼道を練り合わせた奥義“瞬閧”を目の当たりにした事実だ。
あの一戦を経て、ハリベルは単純な動体視力が鍛えられ、尚且つ自らの四肢に鬼道でなくとも霊圧を纏い、それを
そこへ追い打ちの虚閃が迸る。
これにはすかさず朱蓮の炎の壁を生み出し、難なく凌ぎ切る。
しかし、四散する炎の中でハリベルが大剣を手に取る姿が目に入った。
折角生み出した好機を逃し、朱蓮の顔が憤懣に歪む。
すると、今度は苦心の様相を呈する彼が、徐に空に手を翳した。
「仕方あるまい……殺しては手駒としての価値が下がると思っていたが」
「貴様如きに手懐けられる程安くはない」
「ああ、手懐けられないのならば生かしておく意味もない。我々に逆らえばどうなるか……その身に刻んでやろう」
「!」
刹那、掲げられた掌を中心に炎が渦巻き始める。
火災旋風を彷彿とさせる光景。地獄の業火を一身に集めるような光景が終われば、猛々しく燃え盛る巨大な火球を掲げる朱蓮が、不敵な笑みを浮かべてハリベルを見下ろした。
辺りを紅蓮に照らす火球は、太陽と呼ぶには余りにも荒々しくも悍ましい。命を育む光とは正反対の、命を焼き殺す暴力が佇んでいるように、ハリベルの瞳には映った。
「……思い通りにならなければ殺す、か。底が知れるな」
「見透かしたような口振りは止すといい。“見透かした”と驕った瞬間こそが己の底だ」
「ならば貴様の底は私よりもずっと浅いな。自分が言ったことをもう忘れたのか?」
戦いの始まりの思い返し、朱蓮の揚げ足を取ってみせるハリベル。
彼女の挑発を受け、ほんの僅か額に青筋が浮かぶ朱蓮は、程なくしてクツクツと喉から笑い声を漏らす。
「くっくっく、はーっはっはっはっは!! いいだろう!! ならば貴様の“底”がどれほどのものか……見せてもらおうか!!」
赫怒にいきり立つ朱蓮に呼応し、宙に浮かぶ火球が膨れ上がる。
今にも大爆発を起こしそうな炎を見上げるハリベルは、凛然と大剣を構え、標的を見据えた。
―――足りるか?
肌を濡らす湿気を感じ取りつつ、迎え撃つ準備を整えんとする。
その瞬間だった。
一条の閃光が、二人の間に割って入るかの如く、暗雲を穿ちながら地の底に降り注いだ。
「なっ……!?」
「これは……ルピの……!」
数秒の間、空から大地へと降り注いだ一筋の光芒の余波が二人を襲う。
爆風や酸の波濤もだが、何より上層から雪崩れ込む大瀑布だ。それが上層に満ち満ちていた水が流れ込んだものであると察するに、そう時間は掛からなかった。
「ええい! 群青たちがしくじったか……まあいい。上の連中の力など、たかが……っ!?」
同胞の失敗を察知した朱蓮は、気を取り直すようにハリベルへ意識を戻す―――が、目の前に広がる光景に絶句した。
血色に彩られる大地を埋め尽くす筈だった大瀑布が、誘われるようにハリベルの周りを渦巻く。
さながら、水の羽衣のような神々しさを放つ様相。
宙を揺蕩う清流はハリベルの身を包み―――ゆっくりと天へ掲げられた大剣へと集い、刃の形を成す。
幻想的な光景の中に佇むハリベルは、ふと口元に柔和な笑みを湛える。
慈母のような笑みではない。が、暦戦の勇士が浮かべるような力強いものだ。
「……仲間が居るとは良いものだな。期せずして貴様を討つ好機が
「私を討つだと? 大口を叩いたものだな。貴様の水如き、私の業火で焼き尽くしてくれる!!」
「できるものならな」
言うや、ハリベルは掲げる方とは逆の手の親指を噛む。
真紅が滴る。それが地面へと零れ落ちるよりも前に大剣に塗れば、刃を成していた激流により、血が全体へ攪拌される。
するとどうだろう? ただの水であった刃が地獄を煌々と照らす金色の光―――否、霊圧を放ち始めるではないか。
「なん……だとっ……!?」
朱蓮が慄く莫大な霊圧。そう、これは王虚の閃光と同じ原理で、膨大な水に血を混ぜることにより超絶した破壊力を有する水刃を成すハリベルの奥義。
本来は自身が生成した水で、戦域が水で満ち満ちた状況でなければ繰り出せない。
それが今は上層の戦闘の余波で、十分過ぎる水量を得るに至った。
仲間へ感謝を捧げ、ハリベルは水刃を振るう。
「奔流に呑まれろ―――“
朱蓮も火球を解き放ち、迫りくる奔流を焼き尽くさんとする―――が、炎に対しての水量が圧倒的だった。
蒸発させたところで残る水が瞬時に刃を再生する。加えて刃自体が切断力を向上させる為に絶え間なく渦巻いているときた。これでは怒涛の炎威も拡散され、威力も必殺からは程遠くなってしまう。
「お、のれっ……!」
迫りくる奔流。
最早逃げ場はないと悟った朱蓮が、怨嗟に滲んだ慟哭を上げる。
「ティア・ハリベルゥゥゥウウウ!!!」
最後の火が消された瞬間、朱蓮の体は奔流に呑み込まれ、そのまま地面に叩きつけられる。
地面を穿つ水刃は、一頻り血色の大地に流れ落ちた後、ぽっかりと空いた陥没孔から水柱を上げた。
逆立った鮫の歯に似た光景。巻き上がる水飛沫に打たれるハリベルは、水滴の滴る髪を掻き上げ遣る。
「……その程度だ、所詮は」
碧眼が見下ろす先は一つの命を絶った孔の深淵。
「地獄の業火など、血の大海に沈む」
***
地獄の各地で雌雄が決されていた頃、また一つ、死闘の幕が下ろされようとしていた。
「っ……おい! 生きてるか、チビ助……!」
「―――」
辛うじて刀を杖に立っている黒刀。
その傍に無造作に転がる白い体の正体は、帰刃が解けた虚白であった。にも拘わらず、胸にはぽっかりと孔が穿たれており、とめどなく溢れ出る血が血だまりを作っている。
黒刀の問いに返答も反応もなければ、魄動も限りなく小さくなっている。
「虚白……!」
倒れる少女の傍らに寄り添うリリネットは、今にも泣き出しそうな顔を浮かべながら、傷ついた体を優しく揺する。
「頼む……目ぇ覚ましてくれよ……お願いだから……!」
しかし、返答はなく。
「―――ウォォォオオオオオ!!!」
「スターク……っ!」
自我を失った孤狼の咆哮が、地獄に轟くだけ。
今の彼に敵味方の区別はない。目の映る全てが排斥すべき敵とみなしているのだろう。
最早、望みは絶たれたか―――この場に居る誰もが思った時だ。
―――ねえ、聞こえるかい?
虚白の心に、聲が響いた。
*技解説
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戦域に水が満ちている時に繰り出せるハリベル最大の技。戦域の水全てを刀身に集約させ、一つの水の刃を形成する。その中に自身の血を混ぜることで、王虚の閃光と同じ原理によって霊圧を高め、破壊力を飛躍的に高める。
【裏話】技の名称はBLEACHのソシャゲに登場するハリベル(CFYO)の必殺技から。漢字は独自にあててます。直訳は「鮫の牙」。
最初はそのまま”牙”をあてようとも考えましたが、ハリベルが表紙になった42巻巻頭ポエムから”血”を、ハリベルのファーストネームである”ティア(tear)”から”涙”を連想し、”血涙”となりました。
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後書き
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