虚白の太陽   作:柴猫侍

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*19 虚の皇女

 スタークとの死闘は熾烈を極めた。

 片割れ(リリネット)の人格を消させないという枷が外れた彼は、正真正銘の全力を以て三人に襲い掛かってきたのだ。

 

 一面を埋め尽くす虚閃の嵐。

 目にも止まらぬ神速の響転。

 近づかれるだけで霊体が悲鳴を上げて軋む霊圧。

 

 全てが規格外だった。

 

 そして負けた。

 順当に―――妥当に―――さも当然と―――それほどまでに立ち向かった虚は一線を画す力を持っていたのだ。

 相手に比べてなけなしに等しい霊力を削り立ち向かったものの、結果は胸を一条の虚閃で貫かれて終わり。そうした呆気ない終幕を迎えた。

 

 

 

―――筈だった。

 

 

 

『聞こえる?』

「んみゃ?」

 

 永久(とこしえ)の闇が広がる空の下、虚白は自身を呼ぶ声を受けて目覚めた。

 目を覚ませば、見覚えのない人間が自分を見下ろしているではないか。

 

「……誰?」

『ボクたちはキミさ』

「……哲学?」

『いいや、事実だよ』

 

 男とも女とも見て取れる中性的な外見。

 身に纏う黒装束は、死神の衣―――死覇装を彷彿とさせる。

 だが、病的なまでに血の気を感じさせない白い肌と、黒白が反転した瞳が、浮世離れな印象を抱かせた。

 

(誰なんだろう……知らない。けど、憶えているような……)

 

 ズキン、と頭が痛む。

 上体を起こして頭を抱えて苦しむ虚白。しばし呻き声を上げていれば、はぁ、と呆れたように■■が溜息を吐く。

 

『呑気なものだね。頭よりずっと気にしなきゃならないところがあるのに』

「へ?」

『ほら』

 

 やおら屈む■■は、不意に虚白の胸へと手を伸ばす。

 そのまま手は彼女の胸板に触れる―――かと思いきや、あろうことか()()()()()ではないか。

 

『孔』

「あ……」

『胸を貫かれたのに、どうしてそんなに平気そうにできるの?』

「う……えぼっ!!」

 

 そうだ、自分は虚閃で胸を()かれたのだ。

 途端に耐え難い激痛が蘇り、息苦しさと共に血が湧き上がり、堪らず吐血した。

 息ができない。当然だ。胸の中央をぽっかりと穿たれているのだ。吸った空気を取り込む管を絶たれているどころか、背骨も絶たれているに等しいのだから。即死せずに生きているだけでマシだと言えよう。

 

 立ち込める血の匂いに、思わず顔を顰める。

 しかし、それに呆れた面持ちを浮かべた■■は淡白に言い放つ。

 

『やっとボクたちと同じ思いに遭ってるみたいだね』

()()……()()……っ?」

『そう。ほら、ずっとキミと一緒に居るよ』

「え……」

 

 ギシッ、と何かが軋む。

 音の方へ顔を向ける。真下。今まで地面だと思っていた場所が、不意に蠢き始める。異変はそれだけではない。地面から手の骨が生え、虚白の肢体を掴み、そのまま引き摺り込もうと力を込めるではないか。

 

「ひっ……!?」

『キミが目を背けるから。ずっと見て見ぬフリをしてきたから』

「な、なんのことッ!? ボク、ワケ分かんないよ!!」

『ボクたちは一つなのに。キミだけが日の目を浴びようとしている。ボクたちはそれがどうしようもなく……赦せない』

 

 赦せぬと言い放つその身が生やす手には、いつの間にか刀が握られていた。

 白一色に塗り潰された色合いは、不気味な程に光沢がない。僅かに差し込む光さえ呑み込まんとする色合いに寒気さえ覚えるようだった。

 

 それを振り翳した■■は唱える。

 

『■■■■―――『■■』』

 

 刹那、刀から光が溢れた。

 途端に煌々と眩い光を輝き放つ刀は、十字架を模ったような形状へと変化する。刀というよりは剣と称した方が似合っている。

 目を奪われる虚白。が、すぐさま現実を知ることとなった。

 光によって暴かれる光景。

 

 死屍累々。そう表現するしかない世界が広がっていた。

 

 血に塗れた屍。骨が剥き出しになった躯も転がっており、どれも虚ろな瞳を浮かべていた。

 ただ、どれも虚白を凝視していた。

 恨めしそうに見つめられている現状に気が付いた虚白は、自身を掴む血塗れの腕を振り払い、その場から逃げ出す。

 

「い、嫌だッ……!」

『何が嫌なの? ()()()()を作ったのはキミじゃないか』

「違う! ボクはキミたちなんか……!」

『本当にそう言い切れる?』

「ッ!」

 

 逃げる虚白を引き留める腕。

 屍の山から伸びた腕を辿れば、血化粧が施された屍の一人が土気色の唇を動かした。

 

『よくも殺してくれたな』

「うっ……あああああ!!?」

 

 生気を失った瞳を向けられ紡がれた言葉は、虚白には聞くに堪えない言葉であり、すぐさま腕を振り払おうと足に力を込める。

 しかし、続けざまに掴みかかる腕や、周りを取り囲むように這い上がってくる屍により、瞬く間に逃げ道が塞がれた。

 ヒュ、と息を飲むも、死体の壁に足が固まる。

 そうして蹈鞴を踏んで居れば、次々に吐き出される怨嗟の言葉。

 

『お前さえ居なければ……俺は生きていられた……!』

「嫌……」

『痛い……痛いよォ……』

「やめて……っ」

『どうして……どうしてこんな酷いことできたの!?』

「違うんだ……!」

 

 否定しても、向けられる言葉が止むことはない。

 いつまでも、いつまでも―――。

 

 

 

 

 

『化け物が!!』 『アンタも同じ苦しむを味わえばいい……!』 『償え』 『いぎゃあああ!!』 『やめて! 食べないで!』 『償え』 『お父さん……お母さん……どこ……?』 『人の心が無いのか!?』 『償え』 『アッ……アァ……』 『助け、助けてくれ! 何でもす、ぐあああ!!』 『命をもって』 『命だけは、命だけは……!』 『人でなし!!』 『死ぬ前に……一度だけでも彼女と会いたかったなぁ』 『償え』 『人の命を弄んで何のつもり!?』 『虚とは言え最早許し難し!』 『あいつの、仲間の仇だァ!』 『地獄に堕ちろ』 『てめえの所為であいつは……あいつはァ!!』 『償え』 『早く死んだ方が世の為だよ?』 『嘘つき! 他の奴を連れてきたら助けてくれるって……!』 『地獄に堕ちろ』 『いつか……いつか貴様は報いを受ける……!』 『地獄に堕ちろ!!』 『償え』 『死ねばいいのに』 『償え』 『救いようのない怪物だよ、君は』 『償え』 『償え』 『可哀想に』 『償え』 『償え』 『償え』 『貴方は』 『償え』 『償え』 『償え』 『まだ』 『償え』

 

『償え』

 

 

『償え』

 

 

 

『償え』

 

 

 

 

 

「い、やあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 発狂。頭の中に直接雪崩れ込む声に耐えられなくなって絶叫する。

 違う。斯様な恨み節を吐かれるような真似をした憶えはない。そう自分に言い聞かせる虚白は、これらが死霊の妄言だと割り切り、彼らを束ねる長と見た者を睨みつける。

 苦痛を与える張本人が■■ならば、■■を討ち取れば済む話だ。

 

「贖え―――『咎女(とがめ)』!!!」

 

 群がる屍を振り払い、虚白は翔ぶ。

 

「やめろぉぉぉおおお!!!」

『やめろ、か』

 

 鎖を握る虚白を見上げ、■■は半狂乱の少女を鼻で笑う。

 次の瞬間、限界まで凝縮された霊圧を纏った鎖は、音を置き去りにして振り落とされた。

 

「……え?」

 

 しかし、妙な手応えのなさに、虚白が呆気にとられた声音を発した。

 

『―――借り物の力で勝てると思う?』

 

 憮然と言い放つ彼は無傷だった。

 立ち込める砂煙も霊圧ではない不可思議な力によって払われたかと思えば、剣を頭上に構える()の姿が見える。

 

 馬鹿な、と虚白は戦慄した。

 “斬った”ならまだ話は分かる。だが、斬られたならば斬られたなりの手応えがある筈だろうに。

 今の攻防の中に斬られる感触など一切なかった。

 ―――気が付いた時には鎖が絶ち斬られていた。

 

 ゾワリ、と悪寒が背筋を奔る。

 

『キミは何も理解してない』

「!?」

 

 動揺していた隙を突かれ、一瞬のうちに背後を取られる。

 

『名も、力も』

「どう、いう……」

『朧げな記憶の糸を手繰り寄せたところで、それはあくまで始まりでしかないんだよ』

「言ってる意味が分かんない……よっ!!」

 

 裏拳を背後に繰り出すも、容易く受け止められては捻りあげられる。

 くっ、と苦悶の声を上げれば、深淵の如く黒い瞳の中の白がこちらを覗く。

 

『キミは何を喰らったの? 何を血肉としたの? キミの魂は虚? 人間? それとも―――』

「嫌……やめてよ! そんなの知りたくなんか……!」

『なら、キミの仲間が死ぬだけさ』

「!」

 

 絶望に彩られていた瞳に光が宿る。

 

「そうだ、ボクは……」

『そうだ、キミは……』

「まだ……!」

『まだ……』

「死ねないッ!!」

『死なせない』

 

 血が舞った。

 それは虚白の背中から突き出した刃に纏わりついたもの。

 

「う……ぐッ……!」

『……だけど、全てを紐解いていくには始まりから振り返った方がいいかもね』

「な、にを……」

 

 虚白は己の体に注ぎ込まれる異物感に顔を顰めた。

 まるで自分が自分ではなくなるような感覚。全身を通う血液の一滴までもが白く澱んでいく一方で、意識は黒く沈んでいく。

 

「っ……」

『キミの体はキミだけのものじゃない。だから、キミの体はボクたちが乗っとる』

「乗っ取る……?」

『ああ。いや、()()()()()って言った方がいいかな? でも、キミもよく知っている筈だよ』

 

 刃を突き立てた虚白の耳に、そっと耳打ちする。

 

『この能力(チカラ)の名は』

 

 

 

 

 

―――“虚食転生(ウロボロス)”って言うんだ。

 

 

 

 

 

 瞬間、虚白の体が弾けて消えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここまで逃げれば一旦安心か?」

「……」

「おーい、返事の一つぐらいしてくれても構やしねえだろ」

「……おう」

 

 元気なく答えるリリネットに、黒刀がやれやれと首を振った。

 彼らは今、ワンダーワイスが囚われている地獄の釜付近から少し離れた岩場の陰に隠れている。隔絶した力を持つスターク相手に、これ以上戦い続けるのは徒に戦力を消耗するだけど断じたからだ。

 ここまで逃げるまでも命からがらといった始末。天地がひっくり返っても、今の戦力では完全虚化状態のスターク相手に勝機はない。

 

 何より、虚白がスタークの凶弾に倒れたことにより、リリネットの戦意が完全に喪失してしまっていた。これではあの場に留まっていても彼女が足手纏いとなり、全滅は免れなかっただろう。

 

「……まだ諦めるんじゃねえぞ」

「え……?」

「その白いチビの魄動、確かに小さくなっちゃいるが止まってこそいねえ」

 

 黒刀の言葉に虚ろだったリリネットの瞳に光が宿る。

 弾かれるように見上げられた顔は、続く言葉を求めていた。

 

「それって……どういう意味だよ」

「そいつが生きることを諦めてねえって意味だ」

「それじゃあ……!」

「だが、このまま目ェ覚ますかは判らねえ。回復の目星はついてるか?」

「それは……ッ!」

 

 キュっと唇を一文字に結ぶ。

 死神のような回道も、虚夜宮の雑用が担っていた怪我の処置も、リリネットは知らない。

 それでも必死に思案を巡らせ、ただ一つ導き出した起死回生の手段は、

 

「……帰刃さえできれば、まだ希望はある……!」

 

 解放前の傷が塞がる帰刃であれば、胸を穿たれた虚白でも復活するかもしれない。

 ただし、帰刃とは本人の意志で発動されるもの。外からの働きかけで解放される場面など、リリネットは一度たりとも見たことはない。

 それでも可能性があるとするならば、これだけだ。

 その為には何が何でも彼女に目を覚ましてもらう他ない。

 

 しかし、結局は他力本願。リリネットは自分ができることが何一つ無いことを理解し、無力感に苛まれた面持ちを浮かべる。

 噛み締める唇からは、今にも血が溢れてきそうだった。

 潤む瞳。次の瞬間には目尻から零れ落ちた涙が地面に染みを作る。

 

「なあ、虚白……あたし、あんたに何ができるかなぁ?」

「―――傍に居てやれ」

「……は?」

 

 涙と共に独り言を零したリリネットに返る言葉は、彼女にとって予想外に他ならなかった。

 少女の澄んだ瞳が男を捉える。

 当の黒刀はと言えば、歯が浮くような台詞を口にした気恥ずかしさからか、そっぽを向いて頭を掻く。

 

「……他意はねえ。ただ、むざむざ前に出て殺されるより、そうしてた方が良いって話だ」

「……なあ」

「なんだ?」

「あんたって、どうしてそこまでしてあたしたちを手伝うんだ?」

「……言っただろ。あいつらが気に喰わねえ。だからてめえらに手を貸す……そんだけだ」

 

 ぶっきらぼうに言い放つ黒刀。

 だが、尚も向けられ続ける視線に観念したのか、お手上げと言わんばかりに両手を掲げる。

 

「わぁーったよ。別に面白くもねえ話だぞ」

「詮索するみたいで……悪い」

「ああ、まったくだ」

 

 からりと笑う黒刀は、一拍置くように息を吸う。

 

「―――俺の妹は()()()()

 

 妹が居た過去。同時に殺された事実をも知った。

 思わぬ始まりに瞠目するリリネットであったが、構わず彼は語を継いだ。

 

「だから復讐した。それこそ地獄に堕ちる人数にな。だが、それで妹が生き返る訳じゃねえ。寧ろ俺が地獄に堕ちた所為で、尸魂界にたどり着いたかもしれねえ妹と再会する機会を永遠に失った」

「それは……でも!」

「分かってる。俺の自業自得だ。だから、他人に二の舞を踏ませたくねえ」

「!」

 

 どこか遠い場所を見遣っていた黒刀が向き直す。

 紫色の瞳孔は、確かに後悔と悲嘆に揺れ動いていた。復讐に手を染めたが最後。足を洗おうと思った時には取り返しがつかなくなっていた。

 故に地獄に堕ち、生きる意思を失うまでに責め苦を与えられ続ける。

 

 確かに黒刀が犯した罪は許されないことかもしれない。

 それでも話を聞く限り、リリネットは彼を根っからの悪人とは思えなくなった。

 

 立場を置き換えてみた時、自分ならどうするか?

 

 仮にスタークを―――掛け替えのない半身を殺されたとすれば、自分も復讐心に囚われて人殺しに手を染めてしまうかもしれない。

 死とは不可逆だ。罪もまた同様に。

 過ぎ去った事象を変えられることはできず、人はただその事実を抱えたまま、あるいは忘却して生きていくしかない。

 

 リリネットもまた取り返しがつかない罪には心当たりがある。

 だからこそ、黒刀には同情の念を抱いた。

 同時に一つの疑問も。

 

「なあ」

「なんだ、まだ何かあるのか?」

「本当にそれだけか?」

「ああん?」

「他人に二の舞を踏ませたくないって……本当にそれだけなのか? あんた言ったろ? 『屑には屑なりの信念がある』って。もしかすると、それがあたしたちに目をかける理由なんじゃないかと思ってさ……」

 

 地獄に来る前、黒刀が口にした言葉―――信念。

 屑の信念と言えば聞こえは悪いが、彼の人生の背景を知れば、必然的に意味が変わってくる。

 

 咎人を地獄の外へ逃がさぬように阻む壁。それが黒刀だ。

 誰に言われた訳でもなく、淡々と。それこそ他の咎人同様にクシャナーダから命を狙われようと。

 

 同じ咎人からすれば狂気的な振る舞いに他ならない行動。

 それらに理由をつけるとするならば、恐らくはきっと地獄の外にあるだろう人間へ向いているのではないか―――リリネットは紡ぐ。

 

「なあ、黒刀。あんた……今でも妹を守ろうとしてるんじゃないか?」

「―――」

 

 返答は、無い。

 肯定も、否定も。

 

「尸魂界に居るかもしれないんだろ? それで……」

「分かった風な口を利くな」

「!」

 

 が、憶測で語るリリネットに、語気を強めた黒刀が物申す。

 肩を竦めるリリネット。しかし、自分を見つめる男の瞳に怒りの色が窺えないことから、自然と力が抜けていく。

 正しくか弱い少女の様子。

 それを目の当たりにした黒刀はと言えば、意外にもバツが悪そうな顔を浮かべる。良くも悪くもドライな彼だからこそ、少々少女が狼狽した程度では動じないと考えていた―――が、すぐさまその理由が思いつく。

 しかし、それを問うよりも前に黒刀の口が開かれた。

 

「俺はてめえらを利用したいだけさ。『もしかしたら妹に会えるかも』―――なんてな」

「! やっぱり……」

「なあ、てめえらの用が全部済んだら……俺の用にちょっと付き合ってくれねえか?」

「用って……」

「俺は……妹を見たい」

 

 半ば予想していた答えだ。

 驚きはほんの僅か。

 

「……それはつまりさ、地獄から出たいって意味?」

「まあ、そう捉えられかねねえ。現実的な話、妹がまだ生きてるかどうかも分からねえ。会いに行くとは言ったが、見つかるかすらどうか……それでも俺は一目会って謝りたい」

「謝るって……何を」

「馬鹿な兄貴で済まなかった、ってよ」

 

 よっこらしょ、と腰を上げる黒刀。

 自分が口にした願いがどれだけ身勝手で荒唐無稽であるものかを理解しているからこそ、その瞳は救いようのないものを見るような色が浮かんでいた。救いようのないものとは、つまり己。地獄において責め苦の輪廻を受け続ける自分の先行きには、最早諦観しか抱いていないのだろう。

 それでもただ一つ諦め切れない―――生き返り続ける理由は、他ならぬ妹の存在だ。

 懐かしむように瞼を閉じた黒刀は、腹を括ったかのように告げる

 

「……頼む。俺はどうしても妹に会いてえ……」

「……ヤだよ」

「! ……そうか、そりゃそうだ。俺の頼みなんか―――」

「あたしに言われても困るって言ってんの。そういうのは虚白辺りに言ってくれよ」

 

 ありありと浮かび上がる光景。

 可笑しいと笑ってしまえるくらい、さっと想像できてしまった。

 

「あいつはきっと、なんやかんや探すのに付き合ってくれるだろ」

「……」

「そんでさ、絶対あたしも付き合わされるんだ。スタークを説得して連れてくのも骨が折れるだろうなぁ。だって、スタークの奴は面倒くさがりだし」

 

 そして、()()()に思いを馳せる。

 誰一人欠けることなく尸魂界へ戻った未来。虚圏よりも彩りに溢れた日常に身を投じ、少ないながらもできた友達と過ごす日々を。

 そのような友達に振り回され、掛け替えのない相棒を、今度は自分が振り回すのだ。

 怠惰な相棒の尻を叩く瞬間が今から楽しみだ―――と、リリネットは笑みを零す。

 

「……だからさ、あたしに言うよりこいつに言ってやってくれよ」

「……そうか。そうだな、そうするぜ」

 

 思案し、納得し、つられるように笑う。

 自分たちの関係を微笑ましくでも思っているのだろうか?

 何にせよ、黒刀は話がひと段落したところで刀身を凝視する。刃毀れが無いかを確かめているようだ。

 

「さて……じゃあ、そろそろ行くとするかね」

「ま、待てよ! あんた一人じゃ……!」

「忘れたかァ? 咎人は生きる意志が尽きるまで何度でも蘇る。てめえらと違って、俺は死んでも次があるんだよ」

「でも……―――っ!?」

 

 襲い掛かる悪寒。

 いや、これは霊圧だ。強大過ぎて悪寒と錯覚したが、すぐに物理的な圧力な三人に圧し掛かる。

 恐る恐る振り向くリリネット。溶岩から放たれる光を背負う人影は、喉から低い唸り声を鳴らしていた。

 

「スタ―――」

 

 閃光。

 リリネットが名を紡ぎ終えるよりも早く閃いた光が、たった一瞬で巨大な岩場を更地と化した。

 

「チィ!! 案外早く見つかったな……いや、犬だからむしろ鼻が利く方かぁ!?」

「言ってる場合か! わああ、来るううう!?」

「喋るな、舌噛むぞ!!」

 

 碧い虚閃が通り過ぎ、一拍遅れて巻き起こる爆発から逃れる黒刀たち。彼の腕に抱きかかえられていたリリネットと虚白の二人はと言えば、近場へと投げ捨てられる。

 まったくもって予想できていなかったリリネットはと言えば、瀕死の虚白を庇うように背負った結果、自分は顔面から地面と熱烈なキッスを交わす羽目になった。

 

「ぶべぇっ!?」

「兎に角……くっ! てめえらは遠くに逃げな!」

「うぇ……あんたは!?」

「こいつの相手をする! 俺が時間を稼いでる内に遠くに逃げな!」

 

 怒鳴るように叫ぶ黒刀。さもなければ、一瞬注意を逸らすことさえ許さぬ疾さでスタークが迫りくるからだ。

 

 振り下ろされる腕。目にも止まらぬ速さでそれを、黒刀は辛うじて刀身で受け止めた。

 だがしかし、続けざまに青白い光剣がスタークの手に顕現する。

 

コルミージョ

 

 自分自身の魂を分かち・引き裂き、それ自体を魂とするコヨーテ・スターク(リリネット・ジンジャーバック)の能力より、武器を生み出す技だ。

 歪な刀一本しか持たぬ黒刀に対し、スタークは両手にそれぞれ一本―――計二本の剣を振り下し、黒刀を弾くように切り払った。

 

「ぐぉう!!?」

 

 凄まじい膂力から生み出される勢いは尋常ではない。

 固い地面を数度跳ね、何とか体勢を整えて立ち上がる頃には、額から流血している様だ。

 それほどの力で弾き飛ばしたスタークはと言えば、獲物が見せた付け入る隙に対し、追い打ちをかけんと準備を整えていた。

 

 無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)

 

 狼の頭骨を模した仮面の口が開かれる。

 刹那、地獄を碧一色に染め上げる閃光の嵐が瞬いた。傍に居るだけで他者の魂を削り取る―――それこそ無尽蔵な力を持つスタークだからこそできる、小細工無用の純然たる暴力。

 

「ぐ……うぅう……おおおおおおおおっ!!!」

 

 最初こそ刀を盾にして耐え忍んでいた黒刀であったが、終わりを知らない蹂躙劇を前に、とうとう苦悶に満ちた絶叫を上げる。

 無論、ただ苦しむだけでなく自身を鼓舞する気合いの色も窺えるが、だからといってスタークの攻撃の手が緩む訳ではない。寧ろ、倒れぬ敵を前にしたことで、確固たる敵対心の下に虚閃の嵐の勢いが増すばかりだった。

 

「おおおおおおおっ!!!」

「黒刀!!」

 

 黒刀の絶叫やリリネットの悲痛な呼び声の全てが、蹂躙の音に掻き消される。

 

「スターク!! もう……もうやめてくれよ!!」

 

 それでもリリネットは呼びかけることを止めない。

 虚白の―――新しくできた仲間の手を握りながら、一縷の望みをかけて制止を試みる。

 

「元に戻ってくれよ!! あんたが戻ってくれたら元通りなんだ!! また二人で……ううん、みんなで歩いて行こう!! 仲間もいっぱいできたんだ!! クールホーンも、ルピも、アパッチも、ミラ・ローズも、スンスンも、ワンダーワイスも、ハリベルも!! それにあんたは知らないけどさ、もう一人……新しくできたんだ!! あたしの友達なんだ!!」

 

 握る手の力は、強く、強く。

 戻ってきてくれ―――涙を流しながら、()()へ叫ぶ。

 

「だから……だから、帰ってきてくれよ!! スタークッ!!」

「―――」

 

 不意に、目が眩む光が止んだ。

 

「……スターク?」

 

 残光の中から煙の尾を引く黒刀が落下する。

 が、リリネットはそちらへと意識を向けなかった。いや、()()()()()()()()

 ジッとリリネットを凝視するスターク。虚空のように底が窺えぬ深淵を宿す眼孔がこちらを覗いていた。

 声が届いたか、否か。

 

 答えは空を埋め尽くす狼の群れとして返される。

 

「!!」

 

 ヒュ、と息を飲む。

 百は下らないであろう狼の群れ。あれは“コルミージョ”同様、自身の魂を引き裂き、それ自身を狼の弾頭として敵へ向かわせる技だ。

 威力は虚閃の比ではなく、仮にリリネットが喰らえば塵も残らずに消し飛ぶだろう。

 

「スターク……!」

 

 焦燥と絶望にが滲む視界が歪む。

 それでも虚白を連れて行かねばと、足だけはしっかりと動いていた。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 逃げる。逃げる。逃げる。

 すぐに追いつかれると分かっていても、逃げなければならないと頭は理解していた。

 それでも彼から遠ざかっていくにつれ、心がバラバラに張り裂けてしまいそうな痛みに苛まれる。

 

 

 

―――名前はあるか?

 

『リリネット。あんたこそ名前なんかあるの? あたしだったくせに』

 

―――……スターク。

 

『スターク。これから何するの……?』

 

―――何だってできるさ

 

『じゃあ、どこへ行くの?』

 

―――どこへでも

 

―――……一緒に行こうぜ。

 

―――どこまでも。

 

 どれだけ呼ぼうが、どれだけ叫ぼうが、今の彼の耳には入らない。

そう理解してしまったリリネットは血が滲む程に唇を噛み締める。

 

 刹那、狼の群れが駆け出す。

 狙いは無論―――リリネットたち。

 

「くそ……くそぉぉぉおおお!!」

 

 

 

「―――虚閃!」

 

 

 

「っ! ハ……ハリベル!?」

「無事か、お前たち!」

 

 しかし、扇状に放たれる虚閃が顎を開く狼の群れの一部分を一掃した。

 庇うように二人の前へ降り立つハリベルであったが、眼前に広がる光景に、頬には柄にもなく汗が伝っている。

 

「コヨーテ・スターク……それがお前の成れの果てか」

「グルルルル……」

 

 問いかけようと、返ってくるのは理性の欠片も感じさせない唸り声のみ。

 瞬間、憐憫に彩られたハリベルの瞳がスッと細められた。

 

「……私の知っている第1十刃は、敵味方も分からず自分の従属官に手をかけるような男ではなかった」

 

 心底口惜しそうに、ハリベルは紡いだ。

 十刃と従属官の関係は、必ずしも良好とは言い難い。バラガンのように配下と呼びこそすれど、これといった情を抱いていない者も居れば、ザエルアポロのように道具としかみなしていない者も居た。

 そうして部下を尊重しない十刃が跋扈する中だからこそ、対等な立場で接するスタークとリリネットの関係は、ハリベルも好意的な感情を抱いていたのだが、

 

「これ以上、()()に手をかけるというのなら……」

 

 仲間の区別もつかぬ虚と化した今、看過する訳にはいかなくなった。

 仲間を殺されることも、彼に仲間を殺させることも。

 

 誰よりも孤独を恐れていた男に、これ以上孤独へ陥れるような真似だけは―――と。

 

 理性に抗い軋む心を押し殺し、ハリベルは大剣を掲げた。

 

「私が……お前を討つ」

「ヴゥ、オ゛ォォォオオオオオオオオオッ!!!!!」

 

 吐きつけられる宣誓と敵意に、スタークが吼えた。

 続く群狼の遠吠え。彼方まで響き渡る木霊を引き連れ、空を埋め尽くす碧がハリベルの下へ殺到する。

 

「ハリベル! いくらあんたでも、その数は……ッ!」

 

 リリネットの懸念通り、瞬く間に群狼に囲まれるハリベル。

 孤軍奮闘し、狼を虚閃や激流で蹴散らす彼女であるが、無尽蔵に増え続ける狼の次弾や、合間に飛びかかるスタークの対処で僅かな隙が生まれる。

 狡知な狼はそれを見逃さない。

 噛み付く弾頭。次の瞬間、目が眩むような大爆発が一帯を照らす。

 

―――ハリベルでさえ敵わない。

 

 最悪の事態が脳裏を過り、リリネットの表情が強張っていく。

 が、不意に現れた巨大な影が、彼女の堂々巡りの思考を途切れさせた。

 

 異形と呼ぶほかない巨体が、スターク目掛けて拳を振るう。

 不意を突かれた体は、轟音と共に遠くへと弾き飛ばされた。それに伴い、群狼の猛攻に晒されていたハリベルに息を吐く時間が生まれる。

 

「くっ、はぁ……これは……アヨンか」

「―――」

 

 佇むだけでただならぬ威圧感を放つ怪物・アヨンは、たった今殴り飛ばしたスタークにのみ意識を向けていた。

 一方、アヨンが居るならば彼女たちも居る―――確信に近い形で探査神経を研ぎ澄ませたハリベルは、程なくして慣れ親しんだ霊圧と、それに付随する二人の霊圧をも感じ取る。

 

「上に居た……来たかっ……」

 

 上層にて咎人と戦っていた元破面の面々が駆けつけて来たのだ。

 

「ハリベル様ァー!!」

「あたしたちも加勢します!」

「コラ、考えも無しに突っ込まない!」

 

 主の危機を察し、臣下の三人はなりふり構わず駆け寄る。

 しかし、遠方からでも対峙する霊圧の強大さを感じ取っていたのだろう。彼女たちの表情からは緊張の色が窺えた。

 

「おいおい、これって不味い奴なんじゃ……」

「はいはいはいはいはぁ~~~い!! 無駄なお喋りは厳禁よ!!」

 

 逸る三人に遅れて到着するルピもまた、ただならぬ霊圧に緊張を隠さない。

 一方で虚勢を張るクールホーンは、誰よりも前に躍り出るや、注目を集めんと大声を上げていた。

 

「地獄に咲く一輪の花、シャルロッテ・クールホーンちゃんが来ましたよォ~~~!!」

『……』

 

 ほんの僅かに場の空気が冷えたのは、気のせいか。

 

「オ゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアッ!!!」

『!!』

 

 しかしながら、一瞬だけでも解けた緊張の糸は、瞬く間に張り直されてしまった。

 アヨンに殴り飛ばされた先―――砂塵が巻き起こる中から咆哮を上げれば、音圧だけで砂煙が吹き飛び、続けざまに群狼が姿を現す。

 圧巻の光景を前に、誰のものか、唾を飲み込む音が響き渡った。

 

「おいおいおいおい……多過ぎだろうが」

 

 柄にもなくアパッチが慄く。

 

「はんッ! ビビッてんならあんただけでも帰りな」

 

 そんな彼女をミラ・ローズが煽るように激励する。

 

「そういう貴方も声が震えていますわよ」

 

 毒を吐くスンスンも気丈に振舞う。

 

「はぁ……冗談じゃないよ。今からでも逃げた方がいいんじゃないの、これ?」

 

 唯一消極的ながらも冷静に分析するルピが告げる。

 

「駄目よ。逃げるなんて美しくないわ」

 

 が、クールホーンに逃げ道を阻まれてしまった。

 

「……いいか、お前たち。多くは求めない。スタークと狼はできる限り私が引き受ける。お前たちは早急にワンダーワイスを回収して撤退だ。いいな? だが、何よりもまず自分の命を第一に考えてくれ」

 

 最後に指揮を執るハリベルが、端的な作戦を告げる。

 “作戦”と言い切るには粗末な内容であるが、進むも地獄退くも地獄ならば、思いつく限りの最善を尽くしていくしかない。

 

 並び立つ六人。アヨンを合わせても七だ。

 対するは百を超える軍勢。

 

 余りにも心許ない戦力。

 それでも、戦うしかない。

 

「―――往くぞ」

 

 ハリベルの合図を鬨の声とし、()()()()は孤高の狼へ立ち向かう。

 

 

 

 勝機は0に等しくとも、それ以外に残された道は無かったのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『退けなさい! 貴方たちの相手なんかしている暇はないのッ! さっさと―――!!?』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『シャルロッテの野郎……! クソ……こんなとこで、こんなとこでボクが死んでたまるかよおおおお!!』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『あたし、がッ、死んでも……道連れにしてやらぁぁぁあああ!!!』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『スンスン! あんたの技でアパッチのところまで……ぐおおおおッ!!?』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『二人とも!! ええい、ままよ!! ……ッ、きゃあああああああ!!』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『……頼んだぞ、リリネット。お前だけでも……ッ』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 どれだけの時間走っていたかも分からない。

 人一人背負いながら、それこそ足が千切れそうな思いをしながら走り続けた。

 後方で轟く爆音や、不意に聞こえる悲鳴に聞こえないフリをして。

 

 なのに、なのにだ。

 

「……なあ、スターク」

「……」

「もうさ……本当に一緒に行けないの?」

 

 決死の逃亡は、たった一瞬で幕を下ろした。

 それは戦闘の音が聞こえなくなり、間もなくしての出来事。

 リリネットの行く手にスタークが現れたことによる終幕だった。余りにも呆気のない終わりには乾いた笑い声しか出てこない。

 一方で、既に赤く腫れていた目元からは滂沱の如く雫が零れ落ちる。

 

「ねえ、スターク」

 

 面を上げた彼女は、笑いながら泣いていた。

 もう、あの頃には戻れないのか―――そう訴える彼女の眦に、ほんの僅かにスタークの仮面の奥に光が宿ったような気がした。

 しかし、それもすぐに消えたかと思えば、代わりに開かれる口腔に膨大な霊圧が凝縮され始める。

 

 虚閃

 

 逃げ場など、無い。

 

―――それでも。

 

 と、徐に虚白を放り捨てる。

 スタークの注意を浴びるのは、あくまで自分。それを感じ取っていたからこそ、リリネットは自分自身を囮にし、虚白だけでも生かそうと試みたのだった。

 半ば賭けに等しかったが、目論見通りスタークの照準は自分に向いている。

 煌々と輝く光球は、刻一刻とその大きさを膨らませていく。

 解き放たれれば、きっと苦しみも味わうこともなく一瞬の内に消し飛ぶだろう。それがせめてもの救いか。

 

「……ごめんな。助けてあげられなくて」

 

 スタークに。それから虚白へと視線を移す。

 

「あたし、本当に弱いからさ……何にもしてあげられなかった」

「ッ……」

「助けられるばっかじゃなくて、助けてあげたかった。けど、結局ダメだったみたい」

 

 ほんの僅か、スタークの肩が揺れる。

 それでも解放寸前の霊圧を止めることなど不可能だ。

 

 全てを悟り、せめてもの遺言を残す。

 

「さよなら。あたしの……大切な人」

 

 親友なんて言うのは、どうしても恥ずかしいから。

 

―――ありがとう。

 

 最後に、そう、締めくくった。

 

「ヴウウウウウオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

 慟哭にも似た咆哮と共に、とうとう光が爆ぜた。

 碧く、疾く、地獄を削り取る極大の閃光。

 それはリリネットを―――消し飛ばすことはなかった。

 

「……え?」

 

 全身に吹き付ける爆風によろけたリリネットが、自然と閉じていた瞼を開ける。

 生きている、と理解するよりも早く、()()が目に入った。

 

 白く、白く、どこまでも白い虚。

 純白と呼ぶには悍ましく、手足や腰から無数の鎖をぶら下げる怪物は、声を発することもなくスタークの顔に手を押し当て、虚閃の射線を上空へと逸らしていた。

 

「―――」

「グルッ……オアアアアッ!!!」

 

 殴打が白亜の虚の頬に突き刺さる。

 刹那、仮面の破片をまき散らしながら吹き飛ばされる虚。が、地面に無数の鎖を突き立て、数メートルほど弾かれた場所で制止した。

 

「……ハァ~~~……」

 

 再生。瞬く間にひび割れた仮面が元通りになる。

 

 睨み合う二体の虚。

 それを間近で眺めていたリリネットは、忽然と姿を消した少女を、突然現れた虚に重ねる。

 

「あんた……虚白、なのか?」

 

 拙い探査神経でも、霊圧が虚白とは別物だということは分かる。

 それでも彼女が消えた理由を、目の前の虚と仮定しなければ、目の前で起こる光景の全てに辻褄が合わないのだ。

 

「な、なあ……虚白なら返事してくれよ」

「……」

「どうしたんだよ、その恰好。あたしはてっきり―――」

 

 

 

―――ドンッ!!!

 

 

 

 突然の轟音と衝撃が体を襲った。

 

「え……」

 

 自身の胸に手を置くリリネット。

 そこには虚から伸びる白い鎖が突き立てられていた。

 やはり彼女は、

 

「こ、はく……あんたッ!」

 

 刹那、リリネットの霊体が泡のように弾け、虚の下へと向かっていく。

 だが、彼女に取り込まれた者は一人だけではなかった。それなりの距離が離れていた筈のハリベルを始めとした倒れた元破面たちにも鎖が突き立てられるや、霊体が爆散し、虚に取り込まれていく。

 

 直後、取り込まれた者たちの霊力を糧に、虚の霊圧が急激に上昇する。

 

「キシッ」

 

 増大する力に耐え兼ね、虚の仮面に罅が入る。

 その隙間から覗く口元には―――狂気的な笑みが湛えられていた。

 

「キシ、キキッ、ギッ、グッ、アッ」

 

 ビキビキと罅が広がる体。

 それを目の前にしたスタークは、本能で危機を理解したのか、変貌を待つことなく攻撃態勢に入る。

 放とうとする虚閃に手加減など一切ない。

 敵を消し飛ばす―――その一点にのみ全てを捧げた一発だ。

 

 一方で虚の肉体には、骸が纏わりついたように、取り込んだ者たちの仮面や虚の名残が合わさった外装が形成されていく。

 しかし、それを待つことなく、

 

 

 

「オアアアアアッ!!!」

 

 

 

 一条の碧が閃いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「フム、これは……藍染惣右介の実験虚の研究記録か」

 

 同時刻、技術開発局内にて。

 隊首室でもある研究室に籠る十二番隊隊長・涅マユリは、とある研究資料に目を通していた。

 それは先の戦争の際、虚夜宮に乗り込んだ時にとある宮から頂戴した中の一つだ。

 

「どれどれ……おや、見たことのある虚だネ」

 

 ふと目に止めた虚の研究レポートを手に取る。

 題には『ディスペイヤー』の文字。経過観察目的の写真が添付された頁を捲りながら、綴られた文を要約する。

 

「『最下級大虚を素体に生成。因果の鎖のプロセスを応用し、他の魂魄に寄生・虚化させる個体。寄生を繰り返す度、霊力が強まる傾向はみられるものの、アルトゥロ・プラテアドやアーロニーロ・アルルエリと比較すると微々たるもの』……成程、虚の死神化に執心していた藍染らしい研究だネ」

 

 現在のマユリの研究テーマは、まさしく破面であった。

 こうして藍染一派が長年かけて収集したデータは、マユリにとって大いに興味をそそるもの。

 

 読み進めていく目と指の動きも、加速度的に早まっていく。

 

「死神と滅却師とも融合を果たした……興味深いネ。はて、私のデータの中に芥火焰真と交戦した奴に、そのいずれの能力を行使した形跡はなかったが……」

 

 技術開発局には、今まで隊士が交戦した虚のデータが残されている。

 その中には無論ディスペイヤーのものも残されているが、当該個体の討伐に当たった隊士との戦闘中、死神らしい力も使わなければ、滅却師の能力も用いなかった結果が記録されていた。

 だからこそ藍染が残したレポートの中には、“虚の死神化”という目的に照らし合わせ、“失敗作”と銘打たれたのだろう。

 

 しかし、マユリにとってはその限りではない。

 

「クックック……これは面白い。私が仮説を立てていた魂魄の境界線を崩さない手段を、まさか虚自身が行っているとはネ」

 

 浦原とは別に、マユリ自身が研究していた魂魄の高次化―――死神の虚化、あるいは虚の死神化、そのどちらにも言える条件を、このディスペイヤーは自らの手で行っていたのだ。

 

「霊的素養を考慮する限り、芥火焰真……あるいは黒崎一護に匹敵するやもしれない虚。アア、考えただけでゾクゾクするヨ……! 実物をこの手で解剖できないのは、残念極まりないがネ……」

 

 マッドサイエンティストに相応しい狂気的な笑みを湛える。

 

「いやはや、それにしても藍染は見る目がないネ。これを()()()だなんて……いや、即戦力として向いていなかったとでも言うべきか。どうにも破面化以降は虚と融合する機会が滅法減ったようだネ……」

 

 見終えたレポートを机の上へ放る。

 粗方内容は頭に入れた。あとは尸魂界においては五本の指に入るであろう天才的な頭脳を以て、一つの仮説を立てるだけだ。

 

 当時、同じ席次の中では破格の実力を有していた焰真と互角の死闘を繰り広げたディスペイヤー。

 しかしながら、マユリからしてみれば余りにも()()

 破面を凶悪たらしめる帰刃こそ使えなかったが、詳細に記された融合した魂魄の数を鑑みれば、それ以上の力を発揮してもおかしくはなかった。

 にも拘わらず、あと一歩のところで敗北した理由。

それは、

 

「虚としての霊力を高める同族の捕食を止めたのならば、虚としての力はそこで頭打ち……ということは」

 

 

 

―――それ以外の力も引き出せば、最上級大虚(ヴァストローデ)に匹敵したかもしれないネ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――キャアアアアアアッ!!!」

 

 

 

 刹那、赫の奔流が迸った。

 

 

 

 ぶつかり、混じり合い、大爆発を起こす二条の虚閃。

 爆炎に巻き込まれないと飛び退いた二体の虚は、飛び火する炎を背負いながら、互いをねめつけていた。

 たった今の攻撃だけで、地獄の一角には空間が歪んだ形跡が残っている。それも()()()()()で、だ。これが何を意味するか―――間もなく(こたえ)が繰り広げられようとしていた。

 

 対峙する二体の虚。

 片やスタークは両手に剣を取り、周囲には無数の狼を顕現させる。

 片やもう一体は、地面に繋がる鎖を引き千切ってみせた。

 

 自分を縛るものは何一つない―――呪縛からの解放の爽快感を前に、虚は恍惚としたような息を漏らす

 

「ア゛ハァ……!!」

 

 最凶の虚が、今、地獄の地にて呱呱の声をあげた。

 

 

 

 




*スターク(完全虚化)
【デザイン】幅のある狼の頭骨がガンマンの帽子風に目深く被っている……という風な仮面のデザイン。下あごの仮面は、スタークの仮面の名残が元です。体はそこまで特筆した変化はないですが、肩と下半身に黒い体毛が生えており、肩から手首辺りにかけて霊圧を供給する黒い管がある感じになっております。全体を見ると”中途半端な狼人間”といった印象を受ける感じです。

【挿絵表示】

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