虚白の太陽   作:柴猫侍

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*20 虚白の太陽

「ウゥ……?」

 

 けたたましい轟音に目が覚めるワンダーワイス。

 寝ぼけて目を擦る彼が、自身が檻の中に閉じ込められている事実に気が付くのは、しばらく経ってからであった。

 

「ロァ?」

 

 檻を掴み、外の様子を眺める。

 まさしく地獄の様相。立て続けに噴き上がる爆炎は、その度にワンダーワイスの矮躯を焼きつける熱量と衝撃を伴って押し寄せてくる。

 堪らず目を細めるワンダーワイスであったが、不意に目についた影へ、おもむろに手を伸ばした。

 

「オォー……アァー……ウゥー……」

 

 それは白い人影。

 無数の鎖を振り回し、吼える人狼と互角にやり合う怪物であった。

 

 しかし、ワンダーワイスは本能より察する。

 ()()が自分に優しくしてくれた人間―――虚白であると。

 

「ウゥ……ウロァアアァァァァアアアァァアア……!」

 

 ―――どうか気付いて。

 寄る辺を失った子供のように不安に駆られた瞳は、尚も闘争を続ける二体の虚へ、己の居場所を知らせる為に啼くしかできなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……んん!?」

 

 ガバリ! と上体を起こすリリネット。

 意識が途絶える瞬間の出来事を覚えていたのか、せわしなく胸を摩る。が、どこにもこれといった傷は見当たらない。

 

「はぁ……命拾いした、のか?」

 

 とりあえず自分の無事が確認できたところで辺りを見渡す。

 何度か虚白と融合したリリネットは、彼女の魂―――精神世界にも何度かお邪魔した経験があった。

 その時はただただ暗い空間に押し込まれたような閉塞感しか覚えなかったものの、今回はどうにも気色が違う。

 

「なんだ……これ?」

 

 真っ黒な空間の中、ポツリと宙に浮かぶ白い繭。

 繭と聞けば、白い糸が束になったものを思い浮かべるだろう。確かに色合いは普通の繭となんら変わりは無い。

 ただひとつ、それが鎖の絡まったものだという事実を除けば。

 

「リリネット!」

「その声……ハリベル!?」

「此処は一体どこなんだ? 情けないが、気を失う前後の記憶が曖昧でな……」

 

 不意に駆けよって来たのは、リリネット同様鎖によって取り込まれたハリベルであった。他の面々と違い、虚白との融合が初めてだ。精神世界という未知の場所に、こうして困り眉を浮かべるのも致し方ない。

 

 そんな彼女へ説明していると、見慣れた顔ぶれも次々に集まってきた。

 

「ちょっとちょっと! やっと見つけたわぁ~! まさかあたしだけしか居ないと思って吃驚しちゃったじゃないの!」

「それは絶対にないから安心しろ、オカマ」

「って~、頭がガンガンするぜ……」

「情けないね、アパッチ……まあ、あたしも人の事は言えそうにないけど」

「貴方たちのことはどうでも良くってよ。ハリベル様ぁ~、スンスンは此処に」

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぎながら集うクールホーン、ルピ、アパッチ、ミラ・ローズ、スンスン。

 ワンダーワイスを除けば、元破面が勢揃いだ。

 

「―――つまり、我々は虚白と融合し、その精神世界の中に居るという訳だな?」

「うん。そのはずなんだけど……」

 

 ハリベルの言葉を肯定しかけたリリネットであったが、当初より覚えていた違和感を口に出した。

 

「いつもと……違うんだ」

「どこがいつもと違う?」

「いつもなら、あたしも外のこととか見えるんだけど……ほら、あたしって拳銃になれるだろ?」

 

 リリネットに限った話ではないが、虚白と融合した者は彼女の霊体に顕現した武器や防具を通して外の状況を確認できていた。

 が、今はそれができない。

 どうにも普段と違う精神世界の状況に困惑する面々であるが、不意に屈んだハリベルが、地面に手をつける。

 

「……!」

「どうかしたんスか、ハリベル様?」

「不味いかもしれない」

「へ?」

 

 何かに気が付いた様子のハリベルに、アパッチが頓狂な声を上げた。

 一方、冷静な佇まいを崩さぬスンスンが問い返す。

 

「不味いとは、一体何が……?」

「このままでは……我々と虚白に取り込まれ消えてなくなる」

『はぁ!!?』

 

 衝撃な推測を口にしたハリベルに、この場に居る誰もが驚いた。

 しかし、言われるや足元に違和感を覚え、視線を落とす。よく目を凝らしてみれば、暗黒だと思っていた地面は、ドス黒い血溜まりであった。

 ぞっ、と全身総毛立つ。

 するや、突然足下が揺らぎ始める。ゆっくりと、本当にゆっくりとではあるが、この場に居る全員の体が沈み始める兆候であった。

 

「な、なんだ、こりゃあ……!?」

「まさか、融合が進み過ぎて!?」

「冗談じゃありませんわ、そんなの!」

 

 血溜まりに沈みゆく己の足に慌てふためく面々は、必死に縋り付くものがないか辺りを見渡す。しかし、そのようなものは一つとしてない。

 

 瞬間、全員は虚という存在を思い出した。

 失った中心(ココロ)を取り戻すべく、決して満たされぬ飢えを満たす為に魂を貪る化け物。やがて大虚へと進化する過程にて、虚は数多の同族との融合を経る訳だが、それでも尚強い自我を保てている個体が中級大虚へと至れる。

 現状は、いわば一個体の虚が大虚へと至る融合の途中とみるべきか。

 このままでは取り込まれた側であるリリネットたちは、虚白の糧となるだけだった。

 

「ふざけんなよッ! ここまで来て……なんかないのか!?」

「あったらあたしが知りたいくらいだわ!」

 

 声を張るルピとクールホーン。

 藁にも縋る想いの彼らだが、縋る藁の一本さえ見つからない。

 

 あるとすれば、忽然と宙に浮かぶ鎖の繭のみ。

 

「あれって……」

「気になるか、リリネット」

「ああ、もしかするとあの中に虚白が居るかもしんない」

 

―――虚白が居るかもしれない。

 

 気絶していたハリベルたちとは違い、リリネットは取り込まれる直前、虚白の状態を僅かであるが見ていた。

 自我と理性を失ったスタークにも似た姿。間違いない、あれは完全なる虚へと堕ちたに他ならない。

 生命の危機に瀕し、本能が理性を支配して表へと出た虚としての力の全て。

 だからこそ、あれほどに悍ましく―――悲しい霊圧だったのだろう。

 

 心を殺してでも得た力を以て、彼女は戦っている。

 

 となれば、虚白という自我は何処へ行ったのか?

 考えられるのは、目の前の繭だ。

 足首まで血の海に沈んだハリベルは、落ち着いた様子で淡々と紡ぐ。

 

「あの中を覗いてみる価値はありそうだな……」

「それならあたしにやらせてくれ」

 

 前へ躍り出るリリネット。

 間を置かず名乗りを上げた彼女に、一瞬ハリベルが訝しげに眉を顰めたが、覚悟を決めた彼女の瞳を目にし、喉まで出かかっていた言葉を呑み込んだ。

 

「……やれるのか?」

「やれるかどうかじゃなくて、やるしかないだろ! あ、でもちゃんと考えはあるんだぞ! あたしにだって……」

「分かった。手を貸せ」

「手?」

 

 言われるがまま手を出すリリネット。

 次の瞬間、彼女の手を握ったハリベルが強引な力業で地面から少女を引きはがし、鎖の繭まで投げ飛ばしたではないか。デジャブでしかない。

 

「嘘おおおああああっ、へぶッ!?」

「うわぁ……原始的……」

 

 叩きつけられて悲鳴を上げるリリネットに、ルピが引いたような声を漏らしたが、それ以外に方法がないのだから仕方ないとも言える。

 

「つつつ……ハ、ハリベルの奴ぅ……!」

「頼んだぞ、リリネット」

「!」

「私たちも手をこまねいているままではないが、お前の方が()()()()()()だろう」

 

 ハリベルが言わんとする意味を察したリリネット。

 

―――託された。

 

 他の面子より力が劣り、どこか引け目を覚えていたが、こうした窮地を前にして全員の命運を握った。その事実は尋常ならざる緊張感と共に、それに負けない責任感を意識させる。

 何より、()()である少女を助けるのは自分が最も相応しい―――と。

 

「よしっ……」

 

 深呼吸を経て、決意が固まった瞳を浮かべるリリネットは、自身の霊力を集中させた。

 リリネット・ジンジャーバックとコヨーテ・スタークは同じ存在。故に彼女も自身の魂を分かち、引き裂き、それそのものと同胞のように連れ従える能力を有している。

 スタークに比べれば魂の質や量も劣り、武器としてはとても使えないが、今はそれでいい。

 

「待ってろよ、虚白……。今、迎えに行くからな……!」

 

 鎖を掻き分け、手を繭の中へと突き立てる。

 そうして中へと送り込む魂の欠片。

 小さな狼の形をしたそれは、いわば分霊のようなものだ。

 貧弱故にとても中まで掻き分けられこそしないが、鎖の合間を縫って送り込むには、寧ろこれくらいで十分。

 

―――どうか届いてくれ……!

 

 心を押し殺し、自我を失った親友を救うべく、リリネットは願う。

 みんなが揃った明るい未来を夢想し、ひたすらに、ひたすらに……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 交差する二つの影。

 暴力の塊が交わる度、地獄の底には嵐が吹き荒れ、砂塵が巻き上がる。幾星霜もの年月をかけて築き上げられた咎人の墓は、時折空を照らす閃光が起こす爆発により、跡形もなく滅し飛ばされていく。

 

「オオオオオッ!!!」

 

 次々にスタークの口腔から迸る虚閃。

 幾重にも重なって破壊力を増す虚閃は、地面を疾走する白い影を狙い、薙ぎ払うような軌道を描きながら地面を穿つ。

 一本の光芒が地面を灼く度に、目が眩まん程の火柱が上がる。それが何重にも重なるのだから、狙われている側としては堪ったものではないだろう。

 

 しかしながら、暴力の嵐に晒されている虚は、颯爽と光の合間を駆け抜けていく。

 

「ハア゛ッ!!!」

 

 “無限装弾虚閃”を掻い潜っていた虚白は、回避のために身を翻したと同時に、反撃の虚閃を蠢く鎖の先端から解き放つ。

 群の碧を貫く赫。一本の凝縮された閃光は、次々に押し寄せる閃光を半分ほど押し返したところで、注ぎ込まれた霊圧が尽きて爆発を起こす。

 

「ウオオッ!!!」

 

 その爆炎を切り裂き現れるスターク。

 両手には“コルミージョ”のより顕現した光剣が握られている。直後、揺らめく刃が振り抜かれた。

 浅く斬りつけられた虚白の胸板からは血が吹き出る―――が、すぐさまブクブクと溢れ出す白い粘性の液体が傷口を塞いだ。

 

 超速再生。大虚ならば大抵は有している能力を用い、余りにも鋭い一閃の傷跡は跡形もなく消え失せた。

 

 しかし、お互いこの程度で終わるつもりは毛頭なかったようだ。

 追い打ちにスタークは、胸から構えなしの虚閃を放とうとする。それに対し、虚白が解放寸前の霊圧の塊を握り、そのまま潰してみせた。

 掌から溢れた霊圧が幾条もの光線となり、辺りへ放射状に広がる。

 が、一切気にせぬ虚白は、そのままもう片方の手を手刀の形にし、あろうことかスタークの体を貫かんと突き出した。

 

「ガアアアッ!!!」

 

 刹那、地面より飛びだす狼の群れが白い影に噛み付く。

 巻き起こる大爆発。噴き上がる火柱の中から飛び出たスタークは、ところどころ煤けた部位こそあれど、致命傷には至っていない。

 

「―――イヒッ」

 

 それを追う虚白が火柱から顔をのぞかせた。腕が一本、脚も一本吹き飛んだ彼女であるが、超速再生を以てものの数秒で元通りになる。そんな彼女の投擲する鎖がスタークの喉元に巻きついた。

 拘束されるや、すぐさま抵抗を試みたスタークであるが、それよりも早く虚白が鎖を振り回す。

 鎖ごと振り回されるスタークの体は、高く切り立った断崖の岩壁を擦るように叩きつけられた。余りの衝撃に断崖が崩れ落ちるが、それでも尚スタークにとっては大したダメージではない。

 

「グゥ……ルァ!!!」

 

 膂力だけで鎖を引き千切るスタークは、仮面の奥に浮かぶ瞳で虚白を見据える。

 そして連れ従える群狼に、明確な敵と判断した虚を仕留めるよう仕向けた。

 迫りくる狼の群れは、まさしく碧い葬列。しかしながら、仮面に隠された狂気に飾られた笑みを止めない虚白は、めくれ上がる背中から一つの甲羅を出現させる。

 

 続いて現れる八本の触手は、その先端に凝縮した霊圧を構え、押し寄せる群狼へ向けて解き放つ。

 何の変哲もない虚閃。ただ、葦嬢を発現させて繰り出した八条の虚閃は、狼の群れの大半を消し飛ばす。

 それでも尚、数としては数十にも及ぶ。また虚閃を放って迎撃するには時間が足りない。故に虚白は触手を高速で旋回させる。

 

 旋腕陣(ラ・ヘリーセ)

 

 絶大な威力を秘める狼も、爆裂する前であれば容易く撃ち落とせる。

 強靭な触手が竜巻のように渦を巻き、肉迫する狼を一掃するように叩き落す。

 

 しかし、これはあくまで適度に距離をとった相手に対する大味な技である。

 接近戦に持ち込まれてしまっては、真価を発揮することはできない。

 

 “旋腕陣”を掻い潜って突撃してくる狼の数はまだまだ居る。

 

「アァ……アァ!!!」

 

 再生できるとは言っても限りは有る。

 狼の弾頭の威力を身を以て知った虚白は、葦嬢を収めながら、別の帰刃を解放することにした。

 右腕を包み込むように溢れ出す白い液体。それは一振りの大剣を成す。

 

 皇鮫后(ティブロン)

 

 ティア・ハリベルの帰刃だ。

 膨大な水で圧倒することを得意とする帰刃の範囲攻撃は、防御力があってないようなものである狼の弾頭に対し有効であった。

 大剣から噴き上がる水を周囲に撒き散らせば、瞬く間に狼の弾頭が霧散する。

 

 こうして無力化された弾頭を目の当たりにしたスタークは、再び“コルミージョ”より顕現させた光剣を手に、虚白へと吶喊した。

 

 目にも止まらぬ速さの響転。

 懐まで辿り着くのには数秒も要さなかった。

 

 刹那、両者の間で散る火花。

 刃を交え、互いを睨み合うように睨みつける。

 

 単純な膂力で言えばスタークが上だった。

 ほんの僅かな鍔迫り合いはスタークの方に軍配が上がり、虚白は振りぬかれた光剣の勢いで弾き飛ばされる。

 すると、自身の不利を悟ったのだろう。

 今度は、左腕を犠牲にし、背後に巨大な化け物を顕現させる。

 

 混獣神(キメラ・パルカ)

 

 本来、ハリベルの従属官三人によって生み出される怪物であるが、数多の元破面を取り込んだ虚白が発動すればどうなるだろうか?

 

「オォォォォオオオオオオオオオオン……―――」

 

 正しく“混沌”。

 鹿、獅子、蛇の意匠に加え、茨のように棘が生えた八本の触手や、鮫を彷彿とさせるエラや尾、そして牙と混沌を極めた姿と化したアヨン。

 手足を鎖で繋がれた怪物は、虚白が操る傀儡となり、目の前に佇む孤狼を見下ろした。

 

 ―――一瞬だった。

 巨躯に似合わぬ俊敏さを誇っていた怪物は、まず背中の茨の如き触手で逃げ道を塞いでから、スタークへと拳を振り下した。

 対して、スタークが取った対処法はと言えば、真正面から全力で受け止めること。

 

「ギ……グギギッ……!!!」

 

 交差した腕で巨岩に匹敵する拳を受け止めるスターク。途轍もない威力を孕んだ一撃は、スタークの体ごと地面を陥没させた。

 腕が悲鳴を上げる。頑強な鋼皮で守られているとは言え、衝撃までは殺せない。

 皮膚の奥に存在する肉と骨が潰れるような激痛に、スタークの口からはとうとう苦悶の声を漏れた。

 

 だがしかし、このままやられる彼ではない。

 

「ガァ!!!」

 

 腕を封じられた今、打てる手段は限られている。

 その中から選んだ手段は―――虚弾。口腔から機関銃のように絶え間なく放たれる霊圧の弾丸は、みるみるうちにアヨンの拳を、腕を、そして体を押し返す。

 単発の威力は虚閃に遠く及ばないが、スターク程の霊圧の持ち主であれば、骨肉を抉る破壊力はあった。

 

 虚弾の掃射で押し返されたアヨン。その巨躯はみるみるうちに削られていく。一分ほども経てば、上半身がバラバラの肉片と化して地面へと崩れ落ちる。

 

 好機だ―――と、虚白が奔った。

 アヨンを召喚する贄と捧げた左腕は、超速再生を以て綺麗さっぱり元通り。鋭い爪を携える手は、そのままスタークの喉元を掴まんと伸ばされた。

 

 しかし、それを簡単に許すスタークではない。

 光剣を振り上げ、伸ばされた左腕を呆気なく斬り飛ばす。続けざまに伸ばされた右腕もまた同様に斬り落とし、虚白は一秒も絶たぬうちに両方の腕を失ったこととなる。

 が、白亜の怪物の狙いはそこではなかった。

 

 刹那、白い肉に埋め尽くされていた胸の孔から無数の鎖が解き放たれた。視界を埋め尽くす白の波濤。咄嗟に無限装弾虚閃で蹴散らそうとするスタークであったが、腕を犠牲にした肉迫もあってか距離を詰められ過ぎた。

 全てを虚閃で滅し飛ばすことは叶わず、胸の孔から殺到する白い鎖は、己が身ごとスタークに絡みついて捕縛してみせた。

 

「アハァ♡」

 

 一つになれたね、とでも言わんばかりの狂笑が目に入る。

 

「ォォオオッ!!!」

 

 スタークは咆哮した。

 

 奴を近づけてはならない。

 奴に喰われてはならない。

 いずれも本能の―――魂の奥底からの叫び。直感による感情の昂ぶりのままに吼えるスタークであったが、それが間違いでなかったことに気が付くのは直後であった。

 

 ごぽり、と唾液か胃液か、体液に塗れた鎖が虚白の口腔から現れ出る。

 二人を縛り上げる鎖とは違い、無数の口が浮かぶ鎖。悍ましい形状の()()は、目の前に佇む極上の獲物を前にして舌なめずりした。

 

 スタークを襲う、背筋を舐められたかのような悪寒。

 これは、恐怖だ。生者から死者となり、それから死神にも救われぬまま虚と化す直前―――人間としての二度目の死を体感した、あの瞬間の畏れ。

 

 因果の鎖。整が虚へ堕ちる上で切っても切り離せない存在。

 それが今まさに突き立てられようとしている。示される意味を悟ったスタークの瞳孔は、大きく見開かれた。

 

「ッ、グォォォオオオオアアアア!!!」

 

 絶叫。猛々しい咆哮とは違う、ただただ悲痛な鳴き声が地獄に響きわたる。

 

 喉が張り裂けんばかりの声を迸らせるスターク。彼の喉元には、意志を持った生き物のように蠢く鎖が齧りついていた。

 頑強な鋼皮を食い破るように歯を擦り合わせる鎖は、一度咀嚼する度にその口元から鮮やかな血を滴らせる。

 

「キャハハハハハハハハッ!!!」

 

 スタークが絶叫する傍ら、“虚食転生”の準備を整える虚白が、狂ったスピーカーのように延々と狂気的な笑い声を上げる。

 鎖を霊体に突き立てて転異。そして霊体に寄生し、爆散し、融け合った二つの魂魄は再び一体の虚と成る。

それこそが“虚食転生”の実態。

 つまり、今のスタークは絶体絶命に他ならぬ状況に陥っていた。スタークに喰らい付く一方で自身の体である鎖そのものを捕食する鎖全てがなくなれば、転移は完了する。

 

 死が差し迫り、半狂乱と化すスターク。

 “無限装弾虚閃”も、“コルミージョ”より生み出した光剣も狼の弾頭も決定打にはならない。

 ならば―――と、手負いの獣のような生への執着に駆り立てられた獣は、大きく開いた顎の前に霊圧を凝縮し始める。

 

 膨れ上がる碧。

 しかし、それは“無限装弾虚閃”と比べると余りにも密度が高いものであった。

 理由を探る虚空の如く空洞な眼孔は、光球に吸い寄せられる血を目にする。

 

 王虚の閃光

 

 自身の血を霊圧に混ぜることで、強大な威力を発揮する最強の虚閃。

 幾人もの破面を取り込んだ虚白でさえ、本能で危機を察する程の霊圧だ。咄嗟に拘束を解いて回避を試みる虚白だが、それで限限(ぎりぎり)まで押し固められた霊圧が不発に終わる筈もなく、

 

「ガアアアアアアッ!!!」

 

 解放。

 地獄の紅い空が、一瞬にして碧一色に染め上げられた。

 

「ギギギッ……!」

 

 何とか射線から逃れんとする虚白。

 それでも極太の閃光を完全に避け切ることは叶わず、半身が削られながらなんとか直径が膨れ上がる閃光から逃げているような状況であった。

 しかし、これだけならば超速再生で回復すればいいだけの話。

 問題は自己ではない。

 

 射線上の神羅万象を滅し飛ばす王虚の閃光。数キロ先にまで及ぶ射程距離を誇るそれは、敵とみなした虚白に向けて放たれたものだった。

 が、これだけの攻撃範囲だ。

 巻き込まれない者が()()()()()()()

 

「―――ウロァ?」

 

 薙ぎ払うように放たれる光が、あろうことかワンダーワイスが捕らえられている檻をも塵も残さず滅し飛ばさんとする。

 それに虚白が気付いたのは、最早手遅れと言える瞬間まで事態が差し迫った頃。

 碧の閃光に半身を灼かれながら振り返れど、今から響転して間に合う距離ではないのは明白。

 完全虚化を遂げた彼女が、ワンダーワイスを仲間と見ているか、はたまた自分が喰らう獲物として見ているかは定かではない。

 

 ただ一つ、確かに言えることがあるとすれば―――巻き込まれて死にそうになっているワンダーワイスに気付いた虚白が、彼の下へ駆け出したことだった。

 全力の響転。足下を弾く霊圧で地面が抉れた。

 景色を、音を、そして再生しつつある肉をも置き去りにして奔る。

 

「―――!!!」

 

 迸る叫びをさえも、その疾駆を前には置き去りにされるばかりだった。

 それでも尚、彼女が伸ばした手はワンダーワイスには届かない。

 

「ア……」

「おおおおおッ!!!」

 

 が、ワンダーワイスと王虚の閃光の間に、一つの人影が割って入った。

 

「―――コォ……クゥ……トォ……?」

 

 茫然と見上げ、舌足らずな喋り方で我が身を盾とする黒刀の名を紡ぐ。

 決死の覚悟で飛び込んだ彼は、黒い刀を構えるのみならず、出し切れるだけの霊圧を、自身を覆い尽くす壁のように張り巡らせる。

 高密度の霊圧の壁は、最強の虚閃たる王虚の閃光を確かに阻んでみせた。

 しかし、それも長続きはしない。壁からあぶれた黒刀の四肢に繋がる地獄の鎖―――咎人を地獄に引き留められるだけの強度を誇るそれが、みるみるうちに灼き切れていくではないか。

 

「チィ……!! 頼むぜ……もうちょいなんだからよォ……!!」

 

 自分に言い聞かせ、必死に堪える黒刀。

 次々に灼き切れる鎖。とうとう最後の一本になったところで、漸く王虚の閃光の勢いが衰える。

 そこまで耐えきった黒刀はニヒルな笑みを浮かべ、ポツリと独り言つ。

 

「まったく……せめて、最後までよォ……―――」

 

 刹那、霊圧の壁に罅が入る。

 蜘蛛の巣のように広がる罅は、程なくして黒刀とワンダーワイスを守っていた壁を崩壊させるに至った。

 そして遂には黒刀自身が最後の盾となり、凄絶な暴力の波濤から、一つの命を守り切ってみせた。

 

 直後、黒刀の体を包み込む爆発。

 それに伴い(あぶ)れた霊圧が檻を直撃し、その中に囚われていたワンダーワイスが、檻の外へと投げ出された。

 檻の真下には、溶岩が煮え滾る地獄の釜が構えている。

 そこに落ちれば命はない。

 

 故に、再び虚白は駆け出した。

 

 

 

 大地を蹴り、

 

 

 

 宙を翔び、

 

 

 

 堕ちる無垢な命へ、

 

 

 

 そして、

 

 

 

 牙を剥いた。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

 本能が叫ぶ。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

 衝動が背中を押す。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

 絶望が、一縷の希望を追い求める。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

(何 ノ 為 ニ ?)

 

 不意に、足が止まった。

 何故? と振り返れば、引き摺られて地面に轍のような跡を残す鎖が()()()()()()()

 地面の突起に引っかかった訳でもなく、虚白の体をひとりでに引き留める鎖。

 振りほどけぬ程に煩わしい力ではない。が、どうしても鎖を絶ってまで置いていこうとは思えなかった。

 

 何を忘れているのだろう。

 何を捨て去ろうとしたのだろう。

 

 この胸の痛みは何だ。

 この心の叫びは何だ。

 

 命を喰らおうと突き動く体を、必死に食い止めるものの正体は何なんだ。

 

(思イ出サナキャ)

 

 意識が闇の中へと沈んでいく。

 

 暗く、深く―――その中に仄かな温もりを覚える魂の下へ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここが……」

 

 鎖の繭を潜り抜け、やっとたどり着いた最奥。

 繭の外観からも予想できていたが、酷く殺風景で物寂しい空間だ。あるのは肌寒い暗闇と生温い死臭だけ。

 ここが天真爛漫な虚白の精神世界だとは信じたくもないが、この際そのようなことは些細な問題だ。

 

「虚白! 居るんだろ!? 返事してくれぇー!」

 

 居る筈の親友の名を必死に呼ぶ。

 が、幾ら呼べども返事は来ない。

 

「はぁ……はぁ……クソッ!」

 

 思わず悪態を吐くリリネット。

 肝心なところで役に立たない自分が呪わしいと、自身の太腿を殴りつける。

 だが、すぐさま彼女は気を取り直す。

 

(こんなところで立ち止まってる時間なんてないんだ……あたしが、あたしがあいつを見つけなきゃ!)

 

 諦めるなど、もう懲り懲りだ。

 託されて辿り着いた以上、この命が尽きるまで責務を全うしたい―――と言えば恰好が付くだろうが、彼女はそのような大それた大義を下に動いている訳ではない。

 ただ、友達を救いたい。その一心が彼女の体を突き動かしていた。

 

「虚白! 虚白ゥー! ッ……ヤバ、そろそろ体が……!」

 

 何度も何度も名前を叫んでいたリリネットであったが、途端に不安定になる霊体に焦燥を覚えた。

 魂を引き裂いて生み出した分霊も、結局のところはリリネットが生み出したものであり、持続時間はそう長くない。

 有体に言えばタイムリミットが近づいていたのだ。

 しかし、この機を失えばハリベルたちが虚白の精神世界に呑み込まれ、消えていなくなってしまう。

 

 何としてもこの一回で虚白を探し出したいリリネットは、必死に虚白の霊圧を探る。

 だが、余りにも感じ取れる霊圧が広大であった。集中すればするほど、虚白の霊圧を辺り一帯から感じ取ってしまい、正確な位置を探るどころではなかった。

 そうなってしまえば、やはり目視で見つけ出すしかない。

 

「虚白……あんた……一体どこに……ん?」

 

 予兆もなく、一本の鎖が淡い光を放ち始めた。

 これが何を意味するのか? と、深い考察をするまでもなく手に触れたリリネット。

 

『―――ボクは』

「ッ!? 虚白! そこに居るのか!?」

 

 鎖から伝導する聞き慣れた声音に、リリネットが声を荒げる。

 しかし、返答はない。

 

『ボクが居た所為でたくさんの人が傷ついた……ボクが居た所為でたくさんの人が死んじゃった……』

「虚白……?」

『ボクは……ボクは、生まれてこなかった方がよかったのかな?』

「―――ッ!!」

 

 紡がれる内容は、とてもリリネットの思い出に生きる虚白のものとは思えなかった。

 だからといって、この声の主が虚白ではないと断じるには早過ぎた。

 霊体故か、はたまた精神世界にまで赴いているからか、不思議と聞こえる言葉が嘘ではないという確信を得られた。

 つまり、これは虚白が真に抱いている悔恨。

 償っても償いきれぬ罪への懺悔なのだろう。

 

「あぁー、もう! 聞いてらんないったらありゃしない! おい、虚白! 聞こえるか!? 返事しろって!」

『弱くてみんなも守れないなら……虚白(ボク)が居る意味もないのかな』

 

『―――そうだ』

『死ね』

『地獄に堕ちろ』

『消えていなくなれ』

『死んで償え』

 

「!!」

 

 すると、虚白の言葉に呼応して続く亡者の声が伝わってきた。

 間違いない、あれは虚白に喰われた魂魄たちなのだろう。志半ばで命を絶たれた彼らの怨みや悲しみ、怒りといった負の感情が、今一人鎖の繭に閉じこもっている虚白へ浴びせかけられていたのだ。

 リリネットからしてみれば聞くに堪えない罵詈雑言だった。

 というのも―――、

 

「ッ……ふざけんじゃねえよ、あんたら!! あんたら、なぁーんにも分かっちゃいない!! 虚白は……あたしの親友はね、誰かに呪い殺されるような悪い奴じゃねーんだよッ!!」

 

 怒声を上げ、寄ってたかって虚白一人へ怨嗟の言葉を投げかける亡者との口喧嘩を始める。

 

「確かに虚の時はたくさん魂を喰ってたかもしんない!! けど、それは過去のことだろ!? 過去のことだけど……それをあいつは悔やんで、苦しんで……それで少しでも償えるようにって人を助けてた!! あんたら、虚白の魂ン中に居るならさ、そのくらい見てこなかったのかよォ!!」

 

 時折虚白が覗かせる悲痛な面持ち。

 その度にリリネットの心は軋んだような()を上げた。

 

―――何故なのか、今ならば分かる。

 

「過去ばっかりじゃない!! ()を見てやれよ!! これから先を見守ってやれよ!! ただ責めるだけで何かが変わるってのかよォー!!」

 

 感情の昂ぶりからか、自然と涙が零れていたリリネット。

 

 今度はその口先を、心を閉ざしてしまった親友へと向ける。

 

「あんたもあんただよ、虚白!! あんた、思い出したかったんじゃないのかよ!! 辛い過去でも……思い出したくないことでも背負っていくって決めたんじゃないのかよ!! 今更何引きこもってんのさ!! 馬っ鹿みたい!! 一度やるって決めたんなら、最後までやり遂げてみせろォー!!」

 

 息をせき切る程に叫んでみせた。

 それでも虚白の様子に変化の兆候は見られない。

 

「っ……虚白。もう一回……もう一回だ……あたしが、あいつを……!」

『―――良かった』

「!? だ、誰だ……?」

『あの子に、優しい友達ができて……』

「おーい! 誰なんだよ!? どこかに居るなら返事くらいしろぉー!」

 

 打開策が見つからぬ中、不意に聞こえてくる声に、リリネットが辺りを見渡す。

 しかしながら、一向に声の張本人が見つかる気配はない。

 それでも懸命に辺りを見渡すリリネットに、不思議な声はクスクスと笑いながら語りかけてきた。

 

『ごめんなさい、可愛いお友達さん……詳しく説明している暇は無さそうなの』

「はっ!? か、かわっ……!? って、重要なのはそこじゃなくて! えーっと……」

『うふふっ、揶揄ってごめんなさい。でも、貴方と気持ちは一緒。この子を助けてあげたいの』

「そ、そうなのか!?」

 

 これは渡りに船だ、とリリネットの瞳に光明が差し込んだように光が宿る。

 対して声の主が集中するような息遣いを響かせれば、リリネットが触れていた光を放つ鎖が、一層輝きを増した。

 

「こ、これって……!」

『私にできるのはこれくらい。後は貴方が救ってあげて』

 

 顔は見えない。

 が、不思議と慈母のような微笑みを幻視した。

 仄かな光に包まれて描き出されるシルエットは女性のように見えたが、終ぞその容貌を望むことはできなかった。

 

「ねえ、あんたって一体……?」

『私は……この子に食べられた魂の一人』

「! そ、それじゃあ……」

『でも、この子のことはぜーんぜん恨んでないの』

「へ?」

『確かに思い遺したことはたくさんあるけれど、命は命を食べて生きてるんだもの。虚も元は人なんだから、この子が生きていく為なら仕方ないと思ってるわ』

「……おかしなこと言うな、あんた」

『えへへ、同じようなことを若い頃にも言われたわ』

 

 はにかむ()は、こう告げる。

 

『私はたくさんの人を救ってあげたかった』

「……」

『でも、今はもう叶わない。けれど、この子がその力と想いを持ってるなら、心置きなく全部を託せる』

「!」

 

 次第に光は塵と化す。

 淡い燐光はパッと閃いては、暗闇に溶け込むように消えていく。まるで始めからそこになかったかのような光景へと変わりゆく。

 思わず手を伸ばすリリネット。

 しかし、光を掴むことは叶わなかった。

 それでも―――確かに少女の手は、一本の鎖を握りしめていた。

 

「! 体が……っ!?」

 

 鎖の繭の外にあったはずの体が、いつの間にか繭の中に存在していたではないか。

 奇想天外な出来事に戸惑うリリネット。が、鎖を伝って流れ込む悲痛な想いを感じ取り、彼女の表情が引き締まる。

 すぅー、と息を吸い込む。

 次の瞬間、リリネットの体は弓なりに曲がる程に前のめりとなり、腹の奥底から魂の叫び声が迸った。

 

「虚白ゥゥゥゥウウウウ!!!!!」

『……!』

「帰ってこいよ!!! あんたさァ、確かに昔にワルさしたかもしんない……けど!!! ()()()()()()()()()()!!? 誰も傷つけないように!!! 誰かを救えるようにって!!!」

 

 仄かな息遣いを耳が捉えたリリネットは、涙ながらに訴える。

 

「だったらさァ!!! あんたはもう傷つけちゃ駄目なんだ!!! 虚みたいに好き勝手暴れちゃ駄目なんだ!!! あたしの知ってる虚白は!!! 馬鹿で、ボケたがりで、そのくせ変に常識があって、突飛な真似もして!!! そんで、そんで……人を見捨てらんないお人好しな奴だからァ!!!」

 

 震えた声は、尚も轟く。

 

「もし今のあんたが辛い過去で苦しんでるならさ、あたしに言ってくれよ!!! あたしにも背負わせてくれよ!!! その為の仲間だろ!!! その為の友達だろ!!!」

『リリ……ネット……?』

「哀しいことがあったら一緒に泣いてやる!!! 楽しいことがあったら一緒に笑ってやる!!! ムカついたことがあれば一緒に怒ってもやるし、嬉しいことがあったら一緒に祝ってやるから……!!!」

 

 零れる涙が鎖の合間をすり抜ける。

 それは暗黒の中に佇んでいた虚白の目の前へと落ちてきた。

 熱い、熱い感情の欠片。

 咄嗟に掌で受け止めた虚白の体へ、次第に熱が戻っていく。

 すると、聞こえていなかった声までもが鎖の繭の中に反響するようになってきたではないか。

 

『虚白ちゃ~~~ん! 中々に独創的なお部屋だけど、まだまだ磨ける部分はたぁっくさんあるわよ! あたしと一緒にインテリアセンスも磨いてみない!?』

 

「クールホーンさん……?」

 

『おい、チビ! 嫌々ここまで付いて来てやったんだ! お前も義理くらい果たせよな! これじゃあ柄じゃない真似したボクが馬鹿みたいじゃないか!』

 

「ルピさん……?」

 

『あああああ! ったくよォ、いつまでもうじうじ引きこもってんじゃねえよ! あたしゃ、案外あんたのこと気に入ってんだからさ、さっさと戻ってきやがれってんだい!』

 

「アパッチさん……」

 

『スンスンのことを怒らせた時は傑作だったね! あん時の調子で今度も頼むよ!』

 

「ミラ・ローズさん……」

 

『今度胸を弄ってみなさい。絞め殺しますわ……ってこんな時まで何を言わせるんですの? はぁ……体の力が抜けましたわ。馬鹿馬鹿しいからさっさと帰って来てくださる? 貴方にはいろいろと()()がありますもの』

 

「スンスンさん……」

 

『……ああ、まだまだ愉快な話が聞けそうだからな。皆でゆっくり語らおう』

 

「ハリベルさん……!」

 

 次々に伝わってくる温かい心が、ぽっかりと穿たれた虚白の孔を埋めていく。

 しかし、それを赦さぬ亡者たちが彼女の脚を掴む。

 

『逃げるのか……!?』

『逃げるな……お前の罪から逃げるなァ……!』

『死んで償え』

『償え!』

『償え!!』

 

「―――もう逃げないよ」

 

 が、掴んで離さない亡者の腕を軽く一蹴してみせた。

 体のあちこちを繋ぎ止める鎖も一緒くたに纏めて抱える虚白は、かつてなく力強く爛々とした光を宿らせた瞳を浮かべる。

 腕に力を込めれば、抱えた鎖―――延いては亡者たちとも繋がる鎖が徐々に引き摺り出されていく。

 

「償わなきゃいけない咎なら、一生抱えていく……っ!」

 

 ギリッ、と歯が砕けんばかりに食い縛る虚白。

 また数センチほど引き摺り出される鎖に、亡者たちは怨嗟の言葉ではなく、呻き声を上げるだけとなる。

 それを知ってか否か、虚白は勇猛に突き進む。

 鎖を引き摺れば引き摺る程、彼女を閉じ込めていた鎖の繭は瓦解していく。

 

「償える事があるなら、一生償い続けてみせる……っ!」

 

 血反吐を吐かん語気で言い切る虚白。

 引き摺り出した鎖は、そのような彼女に穿たれた孔へと取り込まれていく。

 

「あれは……!」

 

 鎖が取り込まれたことで、宙に浮かんでいた繭が消えてなくなり、喜色に満ちた声をハリベルが上げる。

 代わりに中に佇んでいたリリネットも「おお落ちるぅうううう!!?」と悲鳴を上げて落下するが、虚白の手に握られていた鎖のお陰で地面に叩きつけられるような事態には陥らず、間一髪宙ぶらりんな状態で留まった。

 だが、鎖が繋がっているのはリリネットだけではない。

 ハリベルをはじめとした他の面々とも繋がっている。彼らを縛り付けんとする拘束具としてではなく、()()()()()()()()()として、だ。

 

 全ての鎖を引き連れていく。

 その中に、ただ一つ亡者や破面たちとも違う場所に繋がる鎖が一本伸びていた。

 血の水面を貫き、晦冥が広がる暗黒へと繋がる鎖もまた、虚白は引きずり出さんと力を込めた。

 

 しかし、中々にも抜き出すことができない。

 けれど、諦めるつもりもない。

 

「ふぬぐぐぐぐぐっ……!!!」

 

 全ての罪を、

 

「ぐぎぎぎぎっ……!!!」

 

 十字架を、

 

「おおおおおおおっ!!!」

 

 背負っていくと、決めたからには。

 

『―――そうしてくれれば』

「っ……!?」

『俺も救われる』

「あ……」

 

 突如、脳裏に呼び起こされた声。

 聞いたことのある少年のものだった。決して聞き間違えなどしない。

 思い出したくて止まなかった。けれど、罪悪感の念で圧し潰されそうになり、どうしても思い出すことができなかった彼の声が、顔が、あの瞬間(とき)が、鮮明に蘇る。

 すると、引き抜く鎖の感触が緩まったと感じた。

 ()の力が手助けしてくれたのだろうが―――と振り返るも、解は案外単純であったようだ。

 仲間たちが鎖に手をかけ、引き抜く手伝いをしてくれている。それだけであった。

 不可思議な力が溢れるなどよりも真っ当な理由で、思わず安堵と笑みが零れてしまう。

 

「でも……ありがとう」

 

 柔和な笑みを湛えた虚白は、そう紡ぎ、己の繋がりを自覚するように鎖を強く握った。

 礼は、彼らを―――そして自分を導いてくれた一人の死神へ、

 

「アクタビ……エンマ」

 

 曇りのない空から天日が降り注ぐように。

 

 瞬刻、世界は光に包まれた。

 

 温かく胸に宿る光。そして伝播する熱に、虚白は想う。

 

(キミはボクの……太陽(きぼう)だよ)

 

 鎖は、引き抜かれた。

 繋いだ絆は、確かに()()を手にさせて。

 

 

 

 ***

 

 

 

「グオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 咆哮が波動となって地獄を揺らす。

 二発目の予兆。今度こそ最強の虚閃を以て虚白を滅殺せんと、スタークは霊圧と血を混ぜ、霊体が保てる限界まで力を凝縮させていた。

 余りにも高密度の霊圧の塊から迸るスパークは、大地に深々とした傷跡を刻んでいく。

 威力は、一発目の比ではない。

 純然たる殺意の塊は、地獄の釜の頭上で救出劇を繰り広げている二つの人影に狙いをつける。

 

 その間、ワンダーワイスに牙を剥いていた虚白は、喉から一本の鎖を伸ばし、小さな体を絡めとる。

 

「チョット ゴメンネ」

「アゥ……―――!?」

 

 直後、ワンダーワイスの体は弾け、またもや白亜の怪物へと取り込まれた。

 最後の融合を果たした虚白の霊圧は、また一段と高まった。

 限りなく虚としての極みに昇り詰めている彼女は、単純な霊圧だけならば彼の“大帝”バラガン・ルイゼンバーンや彼と同格であった太古の中級大虚に勝る程であった。

 

 だが、関係ない。

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!!!!」

 

 極限まで高まりし霊圧に、そこに在るだけで空間が歪む。

 

 小細工なし。純然たる力は何者にも勝るとでも言わんばかりの光景が、地獄の底では繰り広げられていた。

 

 しかし、そんな力に対抗する光芒もまた、煌きを放ち始めた。

 踵を返す虚白。仮面の顎を開き、全開となった口腔には赫の光球が産声を上げていた。腹の奥底に響く重低音。亡者の呻き声にも似た音を響かせる霊圧の塊は、孤高の人狼に対抗せんと、その大きさを肥大化させていく。

 

 天を仰ぐ姿勢からか、空に浮かぶ太陽を彷彿とさせる光球。

 王虚の閃光にも勝るとも劣らない霊圧―――かと思われるが、大山鳴動させるスタークの霊圧に相反し、虚白が収束させる光は不気味な程に力の波動を感じさせなかった。

 訝しむスターク。が、彼の瞳はすぐさま彼女が立っている地面を向いた。

 胸の孔から数十本、加えて数十メートルにも及ぶ鎖の束。それら全てに口が浮かび、辺り一帯を喰い尽くす勢いで大地―――否、()()を貪っていたのだ。

 

 収束する光球から霊圧を感じないのは、あくまでそれが凝縮される霊子をコーティングする膜として覆っているだけであるからこそ。

 しかし、地獄を喰い尽くさん勢いで吸収される霊子の量は尋常でなかった。

 虚白の霊圧だけでは光球の形を保つことさえままならなくなり始め、(あぶ)れた霊子が蒼白の炎として噴き上がる。

 

 爆ぜる青と、纏う赤。

 

「ギ、ギギギッ……!!!」

 

 今にも自爆しそうな力の奔流の傍に居ながらも、虚白の瞳には煌々と覚悟の炎が灯っていた。

 

 今度こそ、彼を救わねばならない―――他の誰でもない、己の意志で。

 

「ハアアアアッ!!!」

 

 だがしかし、自分一人だけでないことも理解している。

 突如、胸の穴―――正確には背中側から飛び出す八本の鎖が、爆発寸前の光球の周りを取り囲む。

 八角形を描くように並ぶ鎖。意志を持った生物のように蠢く八本は、間もなくして先端を口へと変貌させ、虚白が放つものとは別に霊圧を溜め始めた。

 

 赤、黄、桃、緑、紫などと彩色鮮やかな霊圧。

 この色は、彼女の(なか)に居る者たちの力と存在の象徴だ。

 霊妙な光は、間もなくして破れかけていた霊圧の膜をこれ以上なく押し固める。それに伴い破裂しかけていた光球は安定の一途を辿り、神々しい光を放ちながら、虚白の目の前に浮かび上がった。

 

―――これで。

 

 完全に理知を取り戻した瞳は、閃いた暴虐の光を望む。

 

 

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 

 

 一切の容赦も加減もなく力の解放。

 地獄の大地を抉り、塵と化し、ただ一人を殺す為だけに道にある神羅万象を蹴散らす孤狼の牙は、寸分の狂いもなく白亜の虚へ迸る。

 

 一方、虚白はと言えば、

 

「―――負ケナイ」

 

 退くこともしなければ、臆すこともなかった。

 

 魂を共にした仲間の力を信じ、孤独に飢える男を救わんと狙いを定める。

 

 ありったけの霊子を凝縮して形成された光を覆う膜は、次第に混ざり合い、一つの色を放ち始める。

 色とは混ぜれば混ざるほどに黒く混沌とした色合いを生み出す。が、それはあくまで“色”に限ればの話。

 

 光が混ざり、白と成る。

 

 王虚の閃光を“最強の虚閃”と呼ぶならば、これは数多の破面が手を取り合い、煉り上げた“最高の虚閃”。

 

「コレガ……皆ノ(チカラ)ダァァァアアアアアッ!!!!!」

 

 煉り上げた一筋の光芒は、拮抗して間もなく、王虚の閃光の中ど真ん中を貫いた。

 

 

 

 

 

皇虚の閃光(セロ・エル・マス・グランデ)

 

 

 

 

 

「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

「グ、ォォォォォォオオオオオオオオオオオオッ……!!!!?」

 

 中心を穿たれた王虚の閃光は、一条の光線としての形を留めることができぬまま、四方八方へと力を分散させていく。

 ただでさえ強大な威力を誇る虚閃を放った以上、反動も大きい。

 逃げるにも逃げられぬスタークが視界を埋め尽くす“白”に包み込まれたのも、ほんの数秒後の出来事であった。

 

 体を覆い尽くす力の奔流。

 全身を包み込む虚の外殻が砕け散り、引き剥がされていく感覚がスタークを襲う。

 無論、仮面も例外ではない。彼から理知を奪い、本能のままに生きるよう仕向けた象徴である仮面は、絶え間なく浴びせられる霊子により、みるみるうちに崩壊していった。

 

 その欠片の一片も残さずに―――。

 

「ぉ……」

 

 白が過ぎ去った。

 刹那、人影が倒れる。上半身があられもない姿となる男は、直前の病的な白さを誇った体色はなく、綺麗さっぱり元通り―――という訳にはいかないが五体の揃った肢体がそこにはあった。

 

『スターク……!』

 

 鎖の一本が発する。

 紛れもない、それはコヨーテ・スタークその者の姿。

 感極まった声音で名を紡いだ少女は、途端にさめざめと泣き始めた。

 

 このように仮面の呪縛に囚われていた孤狼は、今、白亜の虚を筆頭とする矮小な群れに救われたのであった。

 

 他ならぬ()()の手によって、コヨーテ・スタークは―――救い出された。

 

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