理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー) 作:壁首領大公(元・わからないマン)
王都から離れた洞窟の中で、一人の男が三枚のツルツルした手触りの紙を見比べて唸っていた。
悪事を働く人間というのは、どんな国、どんな時代であっても存在する。
隣の芝生は青く見えて、あれが欲しいこれが欲しいと思い始めてはキリがない。
食料が欲しい、金が欲しい、豊かな土地が欲しい。
そうした嫉妬や欲求は貧富の差が大きくなればなるほどに増大し、悪事に手を染めやすくなる。
聖女エルリーゼによって大幅に改善されたとはいえ、このビルベリ王国もまだまだ貧富の差が激しく、貧しい者は富める者を羨む。
だから、というわけではないが……金持ちを妬み、金持ちを対象とした盗賊団が出て来るのもまた、予想して然るべき事態であった。
彼等『青い蝙蝠』を自称する盗賊団も、そんな盗人集団の一つだ。
彼等は、エルリーゼ登場以前に結成された盗賊団である。
日々誰かが飢えて死んでいく中で、上流階級ばかりが美味いものを食べて生きているのが気に喰わない。
汗水流して収穫した僅かな食料を、税と称して何の努力もしていない連中に奪われるのが許せない。
そんな不満から集まった者達が、上流階級に目にもの見せてやろうと団結したのが始まりだった。
税として奪われた食料を奪い返し、貧しい人々に返すのだ……とそれなりに立派なお題目を掲げていたのは結成してから僅か半月程度の事。
盗んだ食料を見て誰かが言った。
『俺達が命がけで奪い返した食料を、何の苦労もしてない奴らにどうして返さなきゃいけないんだ?』
更に別の誰かが言った。
『これは俺達が苦労して手に入れた物だ。俺達が得て当然の取り分だ』
働く事なく食料を得られる。飢える事なく食べられる。
その味を知ってしまった。喜びを知ってしまった。
彼等は貧しい人々に食料を与えるのを止め、自分達だけで独占するようになった。
そればかりか、貴族のガードが固くなれば迷わずに貧しい人々すら襲うようになった。
当初の心意気などどこにもなく、ただの欲に飢えた外道へと成り下がってしまった。
そんな生き方を続けてきたからだろう。エルリーゼの登場で世界が変わっても彼等は変われなかった。
ジャガイモにサツマイモ、大豆……作物を育てるのに適した豊かな土地に、そこで育まれた穀物や野菜、飲める水……今や、そうしたものを誰もが享受出来る世界になりつつある。
しかし彼等は変わらなかった。今更農民になど戻れない。
何故なら楽の味をもう知ってしまったから。働かずに食べる事を覚えてしまったのだから。
だから彼等はその日も、それなりに身なりのいい人間に狙いをつけて、盗みを働いたのだ。
だがこの日の盗みは、彼等にとっていくつかの誤算があった。
まず一つ、襲った相手がよりにもよって訓練された兵士だったという事。
『青い蝙蝠』は長年の盗賊暮らしで荒事に慣れているとはいえ、それでも元はただの農民の集まりに過ぎない。
だから訓練された兵士や、ましてや騎士と敵対するなど以ての外。絶対に避けなければいけない事である。
しかしこの日襲った兵士は、ただの身なりのいい商人の恰好をしていた。
これは、彼等が知るはずもない事なのだが……この兵士は、外界での出来事を大聖女エルリーゼに伝える為に遣わされた定期連絡員の一人だったのだ。
エルリーゼが住む森は、機密情報として扱われている。
何故ならエルリーゼが住んでいる場所が判明してしまえば、良くも悪くもそこに人が集まってしまい、彼女の平穏な生活を脅かしてしまうからだ。
だから兵士も城の遣いと分からない恰好をしてエルリーゼに会いに行く。
今回はそれが、兵士と盗賊団の両方にとって裏目に出た。
二つ目の誤算は、そこまでして奪った物が、大した物ではなかったという事だ。
盗賊団の長は、仲間を数人犠牲にしてまで得た戦利品――ツルツルした手触りの三枚の紙を見る。
その紙には、まるで景色をそのまま切り取ったような精巧すぎる肖像画……肖像画なのだろうか、これは? ともかく、景色が映っている。
これだけ精巧に風景を描く事など普通は出来ないから、きっと値のある芸術品なのだろう。
しかし金や宝石といった分かりやすい価値のあるものではなく、売るにしてもどこで売ればいいか分からない。
そして三つ目――彼等は知らないうちに、特大の爆弾を踏み抜いていた、という事だ。
「……ん? 地震か?」
写真を眺めていた盗賊の長が、地面が揺れている事に気付いて顔を上げた。
それなりに大きな地震だ。それも、普通の揺れ方ではない。
一度大きく揺れて収まり、また大きく揺れる。
まるで揺れやすい材木の上で誰かが足踏みしている時のような、規則正しい揺れ方だ。
「お、親分! そ、そそそ、外! 外に!」
「ああ? なんだあ?」
子分が慌てたように洞窟の奥へ飛び込み、外を見るように長に言う。
一体何だ、と思うも盗賊の長は素直に部下の言葉を聞き入れて腰を上げた。
妙な地震はまだ続いており、それどころか少しずつ大きくなっている。
何かしらの異常事態が起こっているのは間違いない。そう思ったからこそ、彼は外へ出たのだ。
そして彼は見た。こちらに近付いている――巨大なゴーレムの姿を!
「……は?」
思わず出た声がそれであった。
目の前の現実を脳が理解しても、心が理解を拒んでいる。
サイズは二十m? いや、三十はあるか?
岩の巨人がゆっくりと……だがその巨体では一歩が広いので驚くべき速度となってこちらに迫っている。
地震ではなかった。地震と思っていたのは、あの巨人が歩く事で発生した地響きだったのだ。
「なんだありゃ……魔物か?」
「逃げましょう、親分! ここ、まずいっすよ!」
「そ、そうだな……」
あの岩の巨人が何なのかは分からない。
だがこのまま、ここにいては間違いなく洞窟ごと踏み潰されてしまう。
しかし逃げようとした彼等を絶望が襲う。
右側から、壁が迫っていた。
それもただの壁ではない。武装した兵士による鋼鉄の壁だ。
鍛え抜かれた兵士が列を為し、殺意の剣を握りしめて大地を踏み鳴らしている。
「お、王国の兵士!?」
「違う! あの旗は……ビルベリ王国にルティン王国!? フェノール共和国もある!」
「はああ!?」
洞窟に迫っているのは、ただの兵士団ではなかった。
複数の国から成る、国家連合軍であった。
異なる武装、異なる紋章、異なる王、異なる旗……所属の違う兵士達が、一つに纏まり一糸乱れぬ動きで迫る様は、味方には絶大な安心を……そして敵には絶望を与える。
「親分……」
「今度はなんだよ!?」
「あ、あっちからも……」
右側から迫るのが兵士の壁ならば、左側からはまた別の壁が迫っていた。
現れたのは聖なる法衣に身を包んだ聖職者達だ。
――聖女教会執行部隊。
聖女教会は何も、民衆の祈りを受けて怪我を癒す為だけの場ではない。
時には民衆を匿う場になり、時には聖女に仇なす者を討つ断罪者となる。
そして彼等は皆、厳しい修行を積んだ魔法のエキスパートでもある。
エルリーゼ登場以降、急速にその規模を拡大した教会が、不心得者を断罪するべく総力を注ぎ込んで襲撃してきたのだ。
「あ、あわ、あわわわ……」
「お、親分……お、俺達死ぬんでしょうか……?」
「な、ななな、なんでこんな……俺等そんな悪い事しましたっけ!?」
悪い事をしたかどうかで言えば間違いなくした。
善人か悪人かで言えば間違いなく悪人だ。それは間違いない。
しかしだからといって、ここまで必滅の意志を向けられるほどの悪党だっただろうか?
他がやっているからやっていい、というわけではないが……自分達と同程度の盗賊団など割といるし、もっと悪い奴だっている。
なのに何でこんな、魔女にでも向けるような戦力を向けられなければならないのか!? その理由が彼等には全く分からない。
巨人が近付き、その足元が見えた。
巨人に先攻して先発を務めていたのは数人の近衛騎士であった。
今は引退している先代の筆頭騎士レイラ・スコットを先頭に、魔女と戦う為に鍛え抜いた百戦錬磨の戦士達が並んでいる。
レイラと並んでいるのは、修行により今やレイラ以上の戦力を獲得したベルネルだ。
大剣を肩に担ぎ、一歩一歩踏み締めるように大地を歩いている。
何故ここまでの大事になってしまったのか。
それは、盗賊団の襲撃によって紛失した写真の中に『エルリーゼの写真』が含まれていたからだ。
まず、写真という物自体がこの世界では貴重品である。
何せ失われた大国から奇跡的に千年前そのままの状態で発掘されたオーパーツ……それこそがカメラなのだ。
しかもエルリーゼはアイズに渡す前にフィルムを使い切ってしまっており、もう二度と写真は手に入らないかもしれない。
ましてやそこに写っているのがエルリーゼとなれば、その価値は一気に跳ね上がる。
世界を千年の絶望から救った大聖女の姿をこの先ずっと留め、保管し、後世へ伝える事が出来るかもしれない。そんな貴重な品が、物の価値も理解しないだろう盗賊の手にあるのだ。黙っていられるわけがない。
サプリは巨大ゴーレムを前進させながら考える。
すぐにでも取り戻し、適切な保護をしなければならない! あらゆる劣化や色落ちから守り、必要ならばアルフレア様の封印の魔法の力を借りて保管し、そして他の連中に先んじて私が
レイラを始めとする騎士達は考える。
敬愛する聖女の姿を映したものが、下劣な盗賊達の手にある事など、断じて許せない。
奴らが無遠慮に触り、眺めていると考えるだけで怖気が走る。
絶対に取り戻さねばならぬ!
聖女教会の執行部隊を指揮する総大司教は考える。
大聖女エルリーゼの姿は、教会によって後世まで伝えられるべきものだ。そしてあの写真はそれを可能としてくれる。
何としてもあれは、教会が手に入れるべきものだ。断じて、国の権力者などに渡してはならない。
誰よりも先んじて手に入れるのだ!
兵士達は考える。
上の人間の意向などはどうでもいい。ただ、今の世界を与えてくれた大聖女を……たとえ本人ではなく、その姿を写しただけの紙だとしても、軽々しく扱われるのは気に入らない。
それぞれの思惑、それぞれの立ち位置……だが、ある一点において彼等の心は一つだった。
――盗賊、処すべし。
逃げる事も出来ず、『青い蝙蝠』は迅速に……そして最善の行動を取った。
それは無条件降伏……! 武器を全て投げ出し、地面に頭を擦り付けて抵抗の意がない事を示す!
抵抗? 冗談ではない。そんな素振りを見せれば次の瞬間には首と胴が泣き別れているという確信がある。
ガタガタと震える盗賊達に剣を突き付け、レイラが冷たい声で言う。
「貴様等が先日盗んだ物があるはずだ……出せ」
「はっ、はひ!」
NOとは言えない。言ってはならない。少しでも拒否するような意思を見せれば一秒後には死んでいる。
盗賊の長は言われるままに、手にしていた三枚の写真を差し出した。
レイラはひったくるように写真を奪い……確認してから、更に視線が冷たくなった。
「そうか。死が望みか」
「ひっ、ひい!?」
「これと同じような物がもう一枚あるはずだ。今すぐ出すか死ぬか選べ」
「い、いえ……その……そ、その……あの……」
先に述べておこう。
盗賊の長は何も隠し立てなどしていない。
彼等が先日、兵士から盗んだ写真は正真正銘、この三枚が全てだ。
海を写した写真。砂丘を写した写真。そして鳥を写した写真……この三枚だけだ。
その中に、エルリーゼを写したものなどない。
いくらものを知らぬ盗賊でも、エルリーゼの写真などを手にすれば、『大した物ではない』などと思うわけがないし、レイラ達が何故ここまで怒っているかも分かったはずだ。
しかし彼等には分からない。何故なら……エルリーゼの写真など、そもそも盗んでいないから……!
「なるほど。盗賊といえど、エルリーゼ様のお姿を写した物は流石に手放すのが惜しいと見える。気持ちは分かるが、愚かな」
「は……え……? いえ、お、俺達は、そんなもの……」
サプリの言葉を聞いて、盗賊の長は何故こんな事になっているのかを察した。
写真はもう一枚あった……! しかも、よりにもよって大聖女の姿を写したものが! この世に一枚しかないものが!
だがそんな事を言われても、ない物は出せない。
そうしている間に兵士達や聖職者達が洞窟にズカズカと踏み込み、今まで盗み出した物を引っ張り出していく。
だがやはり、その中にエルリーゼの写真などなかった。
「無いな……」
「隠している……わけでもなさそうだ。これは一体……」
その後一時間に渡る調査と持ち物検査の末、この盗賊団が本当に何も知らず、エルリーゼの写真を持っていない事も判明した。
ここまで怯えていては偽りを口にしているとも考えにくい。
ならば、最後の……そして最も価値のある一枚は一体どこに消えてしまったというのか。
レイラ達は不思議に思いながらもとりあえず盗賊団は全員牢獄にブチ込み、そして消えてしまった一枚に想いを馳せるのであった。
◇
かつてプロフェータが暮らし、そして今はエルリーゼが暮らす森の奥深く。
そこにある守人の集落で、祭りが行われていた。
守人達は祭壇に飾った何かを前に踊り、太鼓を叩き、歓喜乱舞している。
「シャンカニマサジョイセ!」
「シャンカニマサジョイセ!」「シャンカニマサジョイセ!」「シャンカニマサジョイセ!」
中央の守人が何やら叫び、他の守人も同じく叫ぶ。
今行われているのは豊作祈願と、今日の糧を得られた事への惜しみなき感謝の儀式だ。
そして、それを齎してくれた敬愛する少女……今代預言者エルリーゼの写真が、祭壇に飾られていた。
彼等はエルリーゼに頼まれて写真を現像した際に、エルリーゼの写真に気付いて大喜びした。
守人は預言者を崇める一族だ。そして世界を平和にしてくれたエルリーゼの事が大好きだ。
なので預言者となったエルリーゼは、彼等にとっては崇拝の対象である。
そんな彼等にとってエルリーゼの写真は、大事に保管しておくべき宝物である。
だから彼等は何の迷いもなく、エルリーゼの写真を抜き取った。おいサルゥ!
……一応、その後エルリーゼに写真を見せて、貰っていいか確認して許可を得たので大丈夫のはずだ。
エルリーゼは「ああ、貴方達が持ってたんですね」と驚いていたが、「そんなものでいいなら構いませんよ」と言ってくれた。
なので守人達は遠慮なく写真を祭壇に飾って、崇めている。
今日も守人の住む森からは、守人の楽しそうな声が響き渡っていた。
皆様こんばんは。本日、偽聖女3巻が発売されました。
もし本屋で見かけましたら、是非手に取ってみて下さい。