理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー)   作:壁首領大公(元・わからないマン)

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サプリ・メントは探求する③

 ――不覚!

 蔓に手足を拘束されながら、サプリは己の油断を恥じた。

 戦いでやってはならない事はいくつもあるが、その一つに敵の完全な無力化を確認しないうちの勝利の確信がある。

 百歩譲って勝利を確信するまではよくても、その後に動きを止めるのは最悪だ。

 しかも今回は、予想外の事態を目の当たりにしての思考停止までしてしまっている。

 サプリが硬直してしまった時間は僅か二秒。日常生活ならば何という事のないほんの僅かな時間だが、実戦の中では致命的。相手を仕留め、あるいは無力化するのに十分すぎる時間だ。

 普段学園で、騎士候補生達相手に実戦の心得を教えている人間にあってはならない大失態……!

 己の愚かさに自嘲しながら、素早く思考を再稼働させる。

 植物はまだ動いていて、騎士達も戦っている。フィンレーは何とかこちらに近付こうと蔓を次々と切っている。

 手足は拘束されたが、すぐに止めを刺される気配はない。

 

「まんまと疑似餌に騙された……という事かな、これは。単純だが効果的な手だ」

 

 サプリは敵の手腕を褒め、己の迂闊さを呪った。

 接近戦に不安のある魔法の使い手が我が身を守る方法として、『あえて自分のいない場所を厳重に守る』というのは別に珍しい手ではない。

 いかにもここに術者がいますよ、と宣伝するように厳重にガードしては、当然敵もそこを狙う。

 だから裏をかいて、あえてどうでもいい場所を守らせつつ術者はどこかに隠れる。そうする事で敵は術者から勝手に離れ、術者がいない……しかも最も困難な場所を攻撃してくれるのだ。

 しかしサプリは植物の動きに、違和感を覚えていた。

 どういうつもりかは知らないが……植物は、白骨死体を丁寧に持ち上げると、元の椅子に座らせて再び厳重に守り始めたのだ。

 

「これは……どういう事だ?」

 

 疑似餌は有効な手だ。

 ただしそれは、疑似餌と敵にバレていない事が前提である。

 既に疑似餌と判明したあの骨を守る意味などない。

 だというのに植物の群れは、まるで聖女を守る騎士のように術者でも何でもない白骨死体を守り続けている。

 

 ――この植物は魔法ではなく、あの骨を守れと単純な命令だけを受けた魔物?

 ――いや、違う。この植物には明らかな『意思』がある。思考能力を有さない植物から生み出した魔物では、こんな動きはしない。

 ――ならば簡単な命令だけを実行する魔法?

 ――エルリーゼ様の使われる精霊も、いくつかの簡単な命令を実行しているだけで高度な思考能力は有していないと話しておられた。

 ――しかし、そんな高度な芸当が出来る程の力は感じないが……。

 

 サプリは考える。

 この状況を脱する方法は二つ。

 一つ、救助されるのを待つ。二つ、己を捕まえている植物の支配権を魔法で奪い取る。

 一つ目は他人任せすぎる。それに現状ではあまり期待出来そうにない。

 二つ目の方法は先程は失敗した。

 どういうカラクリかは知らないが、サプリの魔力ではそれが出来ない。

 ならば、今以上に魔力を高めるしかない。

 魔力を高める方法は至って単純で簡単だ。

 何度も空気を大きく吸って吐けば肺活量が鍛えられるのと同じように、魔力を限界まで吸い込んで吐き出せば魔力の許容量が増す。これを魔力循環と呼ぶ。

 エルリーゼの神がかった力も、この修練により得られたものだ。

 しかしこれは大きなリスクを孕んでいる。魔力には他人の感情が乗る。この時空気中に流れるのは大抵、負の感情だ。

 精神面の均衡を保つ為に、この世界の人間は無意識下で心の毒である悪い感情を吐き出しているのだ。

 魔力循環をしてしまうと、そうした心の毒まで取り込んでしまうので精神に負担がかかるし、場合によっては性格まで変わってしまう。

 だから本来は一気にやるのではなく、日を跨いで精神を休めながら少しずつやるのが鉄則であり、学園でもそれは候補生達に遵守させている。

 それを今、あえてサプリはやる事にした。

 精神の負担は凄まじいものがある。だが、そんなものは大聖女への愛で耐えればいい。

 覚悟を決めて魔力循環を開始し……サプリは、大きな悲しみを感じた。

 

 

 一人の騎士がいた。

 そして彼が愛した、一人の聖女がいた。

 聖女の名はエスレイン。元々は田舎の農村出身の、土と木を愛するだけの少女であった。

 聖女は生まれてすぐに両親から引き離されて育てられる。

 だが全ての両親が、エルリーゼの両親のように喜んで我が子を手放すわけではない。

 彼女の両親は娘を愛していた。娘が聖女という名の生贄にされる事を嫌がった。

 だから、逃げた。王家の命令に反し、娘を連れて遠くへ。

 

 この夫婦は、実の娘の他に、養子が一人いた。

 別に珍しくもない、両親が魔物に殺されて孤独になってしまった少年だ。

 後に騎士となるその少年は、義理の両親と共に、エスレインを連れて逃げた。

 逃げて逃げて、その果てに小さな農村に辿り着き、そこで少年とエスレインは共に育った。

 この時、すぐに彼等が捕まらなかったのは、彼等の場所を察知出来るはずの預言者プロフェータが行方を晦ましていたからだ。

 何故この時プロフェータがそんな事をしたのかは本人にしか分からない。

 だが結果としては、王家はエスレインを見付けてしまった。

 抵抗した両親は囚われ、両親の命を盾にエスレインは聖女の使命を全うする事を求められた。

 ……裏で、既に両親が処刑されたとも知らずに。

 

 少年はまだ幼かったのに加え、エスレインの精神安定の為として生かされ、訓練を受けた。

 妹であり、同時に想いを寄せる少女を守る為に少年は強くなり、青年となって、やがて騎士へ登り詰めた。

 だがそこが少年の限界で、彼は筆頭騎士にも近衛騎士にもなれなかった。

 エスレインが魔女と戦う時も側にいる事が出来ず、魔女と化したエスレインが何処に行ったのかも分からず、しかもどういうわけか魔女になったはずのエスレインは全く表舞台に姿を見せなかった。

 人々は、魔女はトルッファ様を恐れて逃げ回っているのだと歓喜した。

 その数年後、次代の聖女トルッファがとある館で目撃されて以降行方を晦ましたと聞いて、初めてエスレインの足跡を見付ける事が出来た。

 彼は走った。

 魔女でもいい。世界の敵でもいい。俺は騎士としては弱いけど、それでも君を守ろうと。君だけの騎士であろうと。

 守りたくて、彼女の為に戦いたくて……そして館に辿り着いた彼は見た。

 そこにあったのは、館の奥の部屋で、眠る彼女の姿。

 ――植物で椅子に縛り付けられ、胸に剣を突き立てられ、眠るように死んでいた……愛する妹の姿。

 

 騎士は理解した。

 エスレインは、魔女になっても尚人々と世界を守っていたのだと。

 彼女は植物を操る魔法が得意だった。それで自らを縛り、封印したのだ。

 余りに固く、滅茶苦茶に結んでしまった縄は結んだ本人ですら解けなくなる。

 それと同じように、数多の蔓による出鱈目な拘束は、彼女が魔女になって以降も解ける事はなかった。

 そうして彼女は次代の聖女……トルッファが育つまで自らを封じ続け、最後は無抵抗のまま殺されたのだ!

 

 騎士は嘆いた。守るべき時に彼女を守れず、何の役にも立たなかった己を心底呪った。

 だから彼は、ここで最期を迎える事を決めた。

 彼女が生きている間は何の役にも立てなかった無能の騎士だが、それでもせめて……せめて、彼女の死後の安寧だけは守ろう。

 これ以上彼女が踏み躙られないように、彼女の尊厳だけはここで守ろう。

 誰も彼女には近寄らせない。興味本位の馬鹿共が、この気高い聖女に触れる事など許さない。

 だから、誰もここには立ち入らせない。彼女には近付かせない。

 その信念だけで彼はここで、死ぬまで彼女を守り続けた。

 死しても尚守り続け、身体が朽ちてからも魂だけで現世に留まって、植物を動かして尚守り続けた。

 

 そして今も、彼は守っている。もう動かない、己の最愛の人を。

 

 

「……ああ」

 

 サプリは深く溜息を吐き、哀れな白骨死体と、周囲の植物を見た。

 理解した。全て流れ込んで来た。

 痛いほどの嘆きと、世界への呪いと、そして聖女への愛が。

 なるほど、トルッファの時代に魔女が現れなかったのはトルッファの奇跡などではなかった。トルッファを恐れていたわけでもなかった。

 魔女エスレインが自らを封じ、世界を守っていたのだ。

 

 この館に感じていた違和感の正体も分かった。

 ここでトルッファが魔女を倒したという推測は最初にしていたが……それにしては、館が綺麗すぎたのだ。

 時の流れによる劣化、腐敗はあったが、聖女と魔女が戦ったにしては、館はあまりに無傷すぎた。

 だがその理由も分かった。

 そもそも戦ってなどいなかった。エスレインは無抵抗で殺されたのだ。

 

 おかしいとは思っていた。ずっと引っかかってはいたのだ。

 トルッファは『奇跡の聖女』と呼ばれたほどの聖女だったのに、肝心の魔女が恐れるほどの『奇跡の力』が具体的にどういうものなのか、どうして全く伝わっていなかったのか。

 魔女が恐れて隠れる程の力の持ち主だったなら、魔物の脅威だってもっと減っていたはずだ。

 そう、それこそエルリーゼがそうしたように。

 しかしどれだけ調べても、『魔女がトルッファの奇跡の力を恐れて隠れていた』という記述はあっても、奇跡の力がどういうものなのかも、その時代に魔物の勢力が弱ったとも、記載されていない。

 

 だがその謎は氷解した。

 奇跡の力など最初から無かった。それだけの話だったのだ。

 

「何と……何と見事で気高い」

 

 サプリの両目から涙が流れた。

 真の奇跡の聖女は、エスレインの方だった。

 魔女に堕ちても尚、己を縛るとはどれだけ凄まじい精神力だったのだろう。

 己から両親を取り上げた世界など恨んでもいいはずなのに、どうしてここまで献身的になれるのだろう。

 そしてサプリは強く思った。

 この聖女を、『逃げ続けた臆病者』のままにしてはならない!

 この間違った歴史は早急に修正され、彼女の真の偉大さと気高さを後世に伝えねばならない!

 後、王家の馬鹿共にこの罪を理解させて猛省させ、教科書も全て修正し、当時の王族の愚かさをしっかり記して、歴史上でも比類なき愚かで悪辣な外道として伝えてやる!

 故に、いつまでも捕まっているわけにはいかない!

 

「サプリメント・ロォォォォルゥゥゥ!」

 

 サプリの眼鏡が気持ち悪く輝き、そしてサプリは猛烈に回転した。

 全身の関節を外しながら高速回転。それによって生じた隙間をこじ開け、蛇のようにニュルリと蔓から脱出……その後に関節再結合! 率直に言ってとてもキモい。

 その光景を見ていたフィンレー以下、騎士団は「えぇ……」と困惑した。

 サプリは床に着地し、そしてビシッと植物を指差す。

 

「名も知らぬ騎士よ、その忠誠見事! なるほどなるほど、魂だけで留まっていたか。

道理で私の魔法で支配権を奪えないわけだ。まさか魔法で操られた植物でも魔物化した植物でもなく、騎士が憑依した植物だったとは。

以前アルフレア様の墓の前にも、鎧に憑依して彼女の護衛を続けていた騎士がいたが、それと同じ事をしていたわけだ。前例があったというのに、その可能性に気付けなかったとは我ながら不覚!

そしてそこにおわすお方は疑似餌などではなく、君が守るべき聖女。確かに不躾に触れられれば怒るのも必然というもの。まずは私の非礼を詫びよう」

 

 何言ってんだこいつ、という顔でフィンレー以下、騎士団はサプリを見ている。

 魔力循環によって状況を完全に理解したのは、あくまでサプリだけだ。

 なので騎士団からはサプリは突然意味の分からない事をほざき始めたとしか見えない。

 

「しかし、タネが割れれば攻略は容易い。憑依しているだけで、あくまで魂は一つ。アルフレア様の墓にいた鎧の騎士がそうだったように、複数の身体を同時に動かす事は出来ないと見た。

ならばこの複数に見える植物も実際には、大元を同じくするだけの一つの植物。周囲に生えている無数の木々のうちの一つ……この館に根を伸ばした木の一つに過ぎない」

 

 サプリは地面を思い切り叩き、土属性魔法を全方位に向けて発動した。

 威力は弱くていい。極端な話、この魔法で何も成せなくてもいい。

 それでも、周囲の木々に魔力を向けて操ろうと試みる。すると……。

 

「抵抗したな? ……そこだ」

 

 無数にある木々のうちの一本だけが、サプリの魔力支配に抵抗した。

 サプリはその迂闊さを見逃す事なく笑い、己の最大魔法を発動する。

 地面が盛り上がり、人の形を取り始める。

 この館を支えていた大地はそのまま館を崩さないように館を包む掌となり、巨大な人型へ……ゴーレムへと変わる。

 天を突くほどの巨大ゴーレムは館を支えているのと逆の腕を伸ばす。

 そして、丁度館の裏側に生えていた大木を引っこ抜いた。

 すると地面から何本もの根が引き抜かれ、根が何本も床を通して館に突き刺さっていた事が白日の下に晒される。

 ゴーレムに掴まれた木は必死に逃れようともがくが、ビクともしない。

 

「先生、これは!」

「あの巨木が敵の正体だ、フィンレー君。昔の騎士の亡霊が憑依していたのだよ」

 

 困惑するフィンレーに簡単な説明をし、サプリは悠々と入口から外に出て、ゴーレムの肩へ飛び乗った。

 そして無力化した巨木……いや、名も知らぬ騎士へ語り掛ける。

 

「安心したまえ、名も知らぬ騎士よ。私は彼女を……エスレイン様を決してぞんざいには扱わぬ。

必ずや彼女の真の偉大さを皆に伝え、名誉を取り戻すと約束しよう。

無論彼女の遺体は丁重に……そうだな……彼女が育った農村があった場所に埋葬しよう。ああ、勿論君も一緒だとも」

 

 巨木はまだ動いている。

 しかしサプリの話に何かを感じているように、動きは緩やかになっていた。

 

「今日までの君の孤独な戦いは決して無駄ではなかった。

私という聖女様の理解者が現れるまでエスレイン様をお守りし、そして名誉を取り戻す今日という日を迎えたのだ。

誇るがいい、騎士よ……君は、君の聖女を守ったぞ」

 

 巨木は――ゆっくりと、動かなくなった。

 風が枝を揺らし、空洞を通り、まるで泣き声のような音を響かせる。

 そして木の一部が崩れ、中から白骨化した死体が姿を見せた。

 役目を全うした忠義の騎士が今、眠ったのだ。

 その生き様と死に様にサプリは敬意を表し、黙祷を捧げた。

 

「……あの、先生? 状況が全く理解出来ないのですが……いえ、終わったのだという事は分かるのですが、その……エスレイン様? とは一体……」

「安心したまえ。頼まれずともゆっくりとじっくり教えてやるとも。

ああ、そうとも。この事を知らぬ全ての者に、真実を教えねばならん。

そうでなければ、あの二人が報われんからな」

「は、はあ……」

 

 サプリは館の中へ戻り、椅子に座る白骨死体……エスレインに無言で跪いた。

 彼女が作り出した『奇跡』の期間は、千年の悲劇の中でたったの二十年程度に過ぎない。

 その二十年ですら魔物は活動していたのだから、人類が追い詰められる速度がほんの少し鈍っただけだ。

 だがその『ほんの少し』が人類滅亡までの時間を延ばした。

 そして、エルリーゼという至高の大聖女が生まれ、全てをひっくり返したのだ。

 もしも彼女が稼いだ『ほんの少し』の奇跡がなければ、エルリーゼの登場を待たずして人類は滅びていたかもしれない。

 あるいは、エルリーゼが生まれない未来になっていたかもしれない。

 彼女の『奇跡』が稼いだ時間はほんの僅かだ。だがそのほんの僅かがあったから、後の特大の奇跡への道が繋がった。

 

 だからサプリは、心からの敬意を目の前の『聖女』へ捧げた。

 

 

 ――その後。

 植物に連れ去られた騎士は全員、館の外で気絶しているのを発見され、命に別状なく帰還する事が出来た。

 騎士団と共に帰ったサプリは早速、館で得た真実を皆に広めるべく奔走し、奇跡の聖女エスレインと、名も知らぬ騎士の物語は人々へ伝えられた。

 教科書は大幅な改正を行う羽目になり、作業に関わった人々が終わらない仕事に悲鳴を上げる羽目になったのは哀れと言う他ないだろう。

 館に残された資料は厳重に保管され、エスレインと名も知らぬ騎士の遺体は、サプリによって彼女達が育った村があった場所へ埋葬され、あの巨木はその上に植えられた。

 そしてサプリは、真実をアイズ国王を始めとする各国の王に突き付けた。

 

「これが、貴方達の罪です。これを聞いてどうするかは任せますがね……一つ言える事があるとすれば、あまり彼女を失望させないで欲しいものです」

「……ああ、分かっている。我等は古の時代より罪を重ね続けた。世界の為、国の為と大義名分を掲げながらな。エスレイン様も、その被害者の一人だ。真実を後世に遺すと……我等の祖先の愚かさを余す事なく伝えると約束しよう」

 

 アイズは疲れたように、サプリの要求を受け入れた。

 エスレインに対する仕打ちは、きっと真実だ。同じ王だからこそ、分かる。

 何故なら仮に自分がその時代に王だったとしても、きっと同じ事をやっただろうから。

 世界の為、国の為、人の為……そう言いながら、自分達の権力と身の安全の為に聖女を踏み躙り続けてきた。それが王族だ。

 既に痛い程分かっていたと思っていた罪が、また一つ増えた。そしてこれからも、調査が続く程に増えていくのだろう。

 

「……当時の王は……シアニン王は歴代で最も魔女が活動しなかった期間を治めた偉大な王として伝えられ、霊園でも一際立派な墓を建てられた。彼の偉業に肖ろうと歴代の王はシアニン王の墓の前で祈り、私もその一人だった……彼の王の墓は毎日のように清掃され、清められていた。

……だが……これからは、もう誰も掃除などしないだろうな……」

 

 乾いた笑いを浮かべ、アイズは顔を伏せた。

 そんな彼を見てサプリは、墓を掘り起こして遺骨を肥溜めにバラ撒かない分有情だ、などと随分外れた事を考えていた。

 

 

 ――騎士は、長い道を歩いていた。

 どこに行けばいいのか分からない。行くべき場所がそもそもあるのかどうかも分からない。

 守りたかったものは何も守れず、ただ無能を晒し続けただけの日々。

 本当はもう、そこにいないと分かっていたのに、縋り続けただけの時間。

 そこから解放され、あの胡散臭い……正直、本当に信じていいのか割と疑わしい眼鏡の男に未来を任せ、気付いたらここにいた。

 

 もう自分が生前、どんな姿だったかも思い出せない。

 育ててくれた義理の両親の声も分からない。

 あれだけ愛した彼女の顔すらも、もう……。

 

 それでも彼は歩く。

 これが守れなかった罪なのか。これが無能の罰なのかと受け入れながら。

 

 ――。

 ふと、声が聞こえた気がした。

 誰の声だろう。もう随分聞いていない、懐かしい声だ。

 顔を上げ……そして彼は見た。

 

 誰かが、彼を待っていてくれた。

 誰だろう、あの少女は。

 誰だろう、あの老夫婦は。

 知らない誰かだ。いや、忘れてしまった誰かだ。

 

『――――!』

 

 少女が、誰かの名前を呼んだ。

 誰の名前だろう。酷く懐かしい名だ。

 もう随分呼ばれていない……ああ、そうだ。俺の名前だ、と騎士は思い出した。

 ではあの少女は……。

 ……ああ、そうだ。あの少女は……あの老夫婦は。

 

 騎士は駆け出し、そして叫んだ。

 かつて失ってしまった、義理の両親を。そして守りたかった最愛の聖女を。

 彼女も向こう側から走って来て、気付けば二人は生前の、子供の頃の姿に戻っていた。

 

 ――そして二人は、お互いを強く抱きしめた。

 




本日、ついに偽聖女のコミック版1巻が発売されました!
是非、よろしくお願いします!

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