理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー)   作:壁首領大公(元・わからないマン)

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第二話 (偽)聖女エルリーゼ

 いやー……マジでガン萎えですよこいつは。

 俺は自分がエテルナではなく、偽聖女のエルリーゼの方になっていた事を知って、割と本気でやる気がなくなっていた。

 いやもう、うん。もう終わっていいよこの夢。

 はいお終い、終了。解散。シャットダウン。

 諦めたのでここで試合終了です。安西先生、バスケしたくありません。

 なんでよりにもよってクソ偽聖女なんだよ。そりゃま中身が俺ってのはある意味外と中が釣り合ってると言えるかもしれないけどさ。

 少なくとも本物のエテルナを乗っ取るよりは罪悪感はない。

 てゆーかこいつなら身体返さなくていいわ。

 エルリーゼが元に戻ったらクソの限りを尽くすわけだし、これならむしろ返さず自殺したるわ。

 しかし……これ本当に夢なのかね。

 何かさっきから全然覚める気配ないんだけど。朝食普通に美味しかったし、むしろ時間が経つほどお目目パッチリで現実感が増していくんだけど。

 

「エルリーゼ様、本日のお勉強の時間です」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 とりあえず勉強を教えに来たというおばさんに敬語で対応しておく。

 口調は普段の男口調じゃ流石に何事かと思われそうなので、バイトの時と同じく敬語だ。

 ちなみに女言葉とか絶対無理ね。自分でやってて吐き気するから。

 というか当たり前のようにこの世界の言葉を話せる自分にビックリだ。

 言語体系はかなり日本語に似ているようで、敬語という概念もしっかりあるらしい。

 

「…………」

 

 何故かおばさんがあんぐりと口を開け、信じられないようなものを見たように俺を見ている。

 何? そんなおかしな事した?

 彼女は震え、そして嬉しそうに言う。

 

「おお……エルリーゼ様がよろしくお願いしますと……そんなお言葉、今まで一度も……」

 

 あ、そういう事。

 そういえばエルリーゼって子供の頃から傍若無人で好き放題してたんだっけか。

 自分が唯一魔女に対抗出来る聖女なのをいい事に(実際は偽物だけどな!)、言いたい放題のやりたい放題。

 気に入らない奴は仕事をクビにするなんて当たり前で、成長してからは権力で潰して自殺に追い込むなんて事も当たり前のようにやっていたらしい。

 気に入らない女を暴漢に襲わせて〇〇〇させるなんてクソ外道行為もやっていたはずだ。

 ほんまクソやな、こいつ。

 こいつと比べればそこらの悪役令嬢なんてぐう聖よぐう聖。

 ただ、俺の今の外見からしてまだ五歳かそこらだと思うので今の時期ならばまだ、そこまで悪事は働いていないはずだ。

 ただの我儘娘って感じだろう。

 

 それから勉強を苦も無く終わらせ、俺は考えた。

 あ、ちなみに勉強は楽勝だった。ていうか小学校一年レベルの算数なんて出来ない方がおかしいわ。

 俺は……俺はこれからどうするか。

 最初はめっちゃ萎えたものだが、よく考えればこれはこれでエテルナが死なないハッピーエンドへの道が開けたと言える。

 何せエルリーゼこそがエテルナの悲劇の元凶だ。こいつさえいなければエテルナはもっと幸せになれたと断言出来る害悪である。

 そして今は俺がエルリーゼなのだから、つまり俺が悪事を働かなければいいわけだ。

 今の俺がどういう状態なのかは分からない。

 ただの夢なのか、ラノベでよくある憑依なのか……それとも、実は転生でふとした拍子に俺の記憶が蘇ったパターンなのか。

 あるいは実は、今ここにいる俺は『俺』の記憶だけを継承してしまったエルリーゼ本人パターンもあり得る。

 だがどれだろうと同じだ。俺はハッピーエンドが大好きでバッドエンドは大嫌いだ。

 ならば俺がストーリーを変えてやる。

 エテルナとベルネルを救う。悲劇を塗り替えてやる。

 いや、その二人だけではない。他のヒロイン達だってバッドエンドなんて迎えさせるものか。

 幸いにして、エルリーゼはクソだが超天才だ。

 聖女でこそないが、聖女と間違えられるだけの人知を超えた多大な魔力を持ち、近接戦闘の素質にも優れている。

 聖女と取り違えられてしまった理由もまさにそれで、赤子ながらに秘めていた膨大な魔力のせいで聖女と間違えられてしまったのである。

 実際、こいつをざまあするルートではこいつと戦うのだが、普通にクソ強いのだ。

 しかも何の努力もせずにその強さという、敵だから許される設定の持ち主である。

 公式設定でも『何かの間違いで生まれてしまった才能の化け物』とまで言われている。

 まあそんなんだから驕りまくって最後はざまあされるんだけどな!

 ともかく、そのエルリーゼが幼い頃から努力して全力で鍛えたならば……魔女にだって勝てるはずだ。

 魔女に対抗出来るのは聖女だけと言われているが、実はそうではない事を俺は知っている。

 ルートによって聖女の力抜きでも魔女は倒せるのだ。

 よし、やるぞ。俺はやる。

 この世界をハッピーエンドにしてみせる。

 たとえその結果、このエルリーゼボディが粉微塵に砕けようとも!

 

 とりあえず……まずは勉強と魔法の練習に力を入れようか。それから戦闘訓練もな。

 勿論召使いの人達にも優しくしなきゃならん。

 というか召使いの人達みんな美人だし、優しくするのは男の使命だろう。

 

 

 光陰矢の如し。

 時間っていうのは驚くほど速く過ぎていく。

 気付けば俺がエルリーゼ(クソオブザイヤー)になって九年が経過し、流石にこれは夢ではないとアホな俺でも気付かされた。

 ゲームだとエルリーゼはこの頃には暴飲暴食がたたって、折角の生来の美貌が台無しになってるけど俺はしっかり自己管理しているので美少女のままである。

 とりあえずこの身体、スペックだけは本物だ。

 一度聞いた事は自分でも気持ち悪いほどに何でも覚えられるし、魔法とかもスイスイ習得出来る。

 あ、今更だけどこの世界は魔法がある。ファンタジーだな。

 まあよくある剣と魔法の世界で、世界観的にあまり捻りはない。

 まあ変に捻って自分色出そうとしようとして酷い世界観になるくらいならテンプレでいいって一番言われてる事だからそれ。

 一応、蒸気機関車くらいはあるので実はそんなに科学が発展していないわけでもないが、ともかくベースはよくある中世ファンタジーだ。

 で、この世界の魔法は全部で八属性あって、火、水、土、風、雷、氷、光、闇とあるわけだが、俺はそのうち闇以外の全部が使える。特に光が一番得意だ。

 偽聖女のくせに属性だけ聖女っぽいの最高に草。

 ちなみに闇属性は聖女と魔女しか使えない……というより正確には聖女と魔女は全属性使えるのだ。

 で、この身体マジで才能モンスター。

 やろうと思えば大体出来るし、前世(?)の創作物で見た凄い技とか魔法とかも簡単に再現出来る。

 天から光のレーザー降らせたろ! 出来た!

 空を自由に飛びたいな! 出来た!

 この世界の回復魔法は欠損までは治せない? 知るか、治れ! 出来た!

 丸太はないのかチクショウ! あったよ! でかした!

 マジでこんな感じ。チート。

 

 最初は俺に努力なんて続くのかなんて心配もあったのだが、要らない心配だった。

 この世界、マジで娯楽ねえの。

 唯一楽しいと思えるのが訓練と魔法練習だから、むしろそれしかやる事ねえの。

 そんなわけで俺は毎日のように鍛えたし、訓練時間以外も魔法を練習したりした。

 教師とかに『何でそんなに頑張るんですか。自愛していいんですよ』とか聞かれたが、正直に答えるのも何なので適当に『まあ昔ワイ酷かったし。その分の償いも含めて皆の期待に応える為やで。自愛はもう十分したから、今度はお前等を愛したるわ(キリッ)』とでも言っておいた。

 何か感動して泣いてた。草生える。

 

 それと、最近はよく外に出て魔物狩りをしている。

 ヒャッハー、魔物狩りたーのしー!

 パンピーな俺に戦いなんて出来るのかと不安だったのだが、どうやら俺って奴は割とエルリーゼの事を笑えないくらいクズだったらしい。

 何というかね……フフ。鍛えた力で思うように弱者を蹂躙するのが凄い楽しいというか、快感なんですわ。

 どこかの大魔王様が自分の力に酔うのは最高の美酒だとか言ってたけど、まさにその通りだと全面同意するしかない。

 最低だとは自覚してるけど、ハンティングマジ楽しい。

 あまり大きな声じゃ言えねえがよ……俺ってやつは自分よりも弱い奴をいたぶるとスカッとするんだ……でもよく言うだろ? 自分でおかしいって分かってる奴はおかしくないって。だから俺はおかしくねえ。俺って偉いねェー。

 すまんな魔物達、謝るから許してや。はい謝った、魔法発射ー!

 覚えた魔法をばーっと撃って、ばーっと魔物を蹴散らす……ああ、気持ちいい……。

 これは最高の娯楽ですよ旦那。

 まあそんな事をしていたら当然、『何でこんな事ばっかすんの?』と言われるので適当に『ホンマはワイも悲しいんやけど、皆を守る為やで(キリッ』と言っておいた。

 何か感動して泣いてた。草生える。

 

 それと、いつかエテルナに聖女の座を返す時の為に聖女の名を上げる為に色々やってみた。

 俺は所詮偽物だ。偽聖女であるエルリーゼに余計な物が入って、ダブルで偽物だ。もう本物要素がどこにもない。

 そんな俺は最後には本物の聖女であるエテルナに聖女の座を返して、ざまあされて追放される運命にある。

 それはいいし、残念でもないし当然なのだがゲームだとそれまでにエルリーゼが積み上げた悪名のせいでエテルナが苦労して闇落ちしてしまう。

 なので俺は、いつかエテルナに聖女の座を返す日の為に聖女の名を高める活動をしていた。

 まあ慈善活動やね。

 異世界の転生者さん達のように現代知識無双出来ればよかったのだが、アホな俺にはそんな事は出来ないのでとりあえず魔法の練習ついでに街や村をウロウロして怪我人や病人に片っ端から辻回復魔法かましておいた。

 お前は俺の木偶になるのだ! その怪我を治す魔法はこれだ!

 ん? 間違ったかな……?

 おっ、あの娘めっちゃ可愛い。好みだ。

 でも顔に傷があるな。勿体ない。

 てことで、はい回復魔法! ベイビー、俺に惚れてもええんやで?

 まあそんな事をしていたら当然、『何でこんな事してんの?』と言われるので適当に『せめて手が届く範囲は救いたいんや。あ、代金は君のスマイルでオナシャス(キリッ)』と言っておいた。

 まあつまり、手が届かない範囲は見捨てるって事だけどね。

 俺はインド人じゃないんだ。ヨガーとか言いながら手なんか伸びんよ。

 何か感動して泣いてた。草生える。

 

 それと主人公のベルネル君にも会った。

 本編が始まるのはベルネル君が十七歳の時で、エテルナも十七歳の時だ。

 エテルナとエルリーゼは同年齢で俺が今十四歳なので、本編開始まで後三年という事になる。

 で、この時のベルネル君なのだが、実はちょっとしたイベントがあるのだ。

 ゲームでは過去の回想イベントという形でしか見れないのだが、実はベルネルは魔女の魂の一部を何かの間違いで持っていて、闇のパワー(笑)を内に秘めている。

 そしてその暗黒パワー(笑)はベルネルが十四歳の時に覚醒するのだが、当初ベルネルはそれを使いこなせずに暴走させ、周囲から恐れられてしまうのだ。

 くっ……皆俺から離れろ! 俺の右腕に封じられし『闇』が暴発する!

 で、その結果地方の領主の息子だったベルネルは親兄弟から散々ボロカスに言われた挙句に追い出されて、自分には価値がないと考える卑屈な性格になってしまう。

 その後彼は放浪の末に小さな村に辿り着き、そこでエテルナと出会うのだが……実の家族に捨てられ、皆に恐れられたトラウマから自分の力をとにかく抑え込むようになってしまった。

 その性格が災いして、さっさと彼がダークパワー(笑)を使っていれば解決しただろう事件も無駄に長引いたりヒロインの死亡フラグが立ってしまったりで、克服までには長い時間をかけてプレイヤーをイライラさせながら、ようやく使いこなせるようになる。

 ちなみに聖女抜きで魔女を倒す方法っていうのが、このベルネル君の秘められし闇(笑)だ。

 まあ要するに同じ力だからこそ魔女に通じる的な感じだ。

 なので俺は、村を追い出されたベルネル君の行く手に先回りして、自分に価値がないとか何とか色々喚く彼を慰めて、適当に励ましてやった。

 するとベルネル君が『俺はハッピーエンドとか無理じゃね?』みたいな、まるでゲームの結末を予言しているような事を言い出したので、ゲームのあのエンディングを思い出して思わず泣けた。うおおおん。

 んで、『なら俺が絶対ハッピーエンドにしたるわ』と約束して、ついでにあんまり男に抱き着きたくないんだけど、仕方ないので(ガワだけ)美少女ハグもしておいた。

 海外の挨拶的なものと思えば、精神的な負担はそこまででもない。

 ほら、美少女の抱擁だ、喜べ。まあ中身は聳え立つクソなんだけどな!

 何かベルネル君は感動して泣いてた。草生える。

 ついでに制御出来てない闇エネルギー(笑)を、ベルネル君が制御出来るくらいまで吸い取っておいた。魔法マジ万能。これで俺は魔女とも戦える。

 まあ聖女でも魔女でもない俺がそんな事したら寿命縮むかもしれないけど、クソの寿命が縮んでハッピーエンドに出来るなら安いお買い物やろ。

 よゆーよゆー。

 ちなみにベルネル君が何で平気なのかというと、元々そういう体質なんだと。主人公補正ってすげー。

 何か実は何代か前の魔女の血筋で、ベルネル君は先祖返りだとかそんな設定を見た覚えがある。

 あ、それとお守り代わりに自作のペンダントを首にかけておいた。

 まあ造ったのはお城の職人さんで、俺は魔法込めただけだけど。

 効果は、彼が持つ力を軽く封印して制御可能にするというものだ。

 ベルネル君は、内側からそれとなく醸し出す闇の雰囲気で魔女に場所が割れて、それが原因で魔女の使い魔が村にやって来たりして色々と辛い思いをするのでそれも回避させておこう。

 ついでに願掛けというか俺の怨念と願望と押し付けがましい執念も込めておいた。

 お前絶対エテルナルートいけよ! エテルナを幸せにしろよ! いいな、絶対だぞ!

 俺はハッピーエンドが見たいんだよォ!

 

 

 聖女エルリーゼは、我儘という言葉をそのまま体現したような少女であった。

 我儘が何でも許される環境にあったが故に、幼い増長は止まる事を知らなかった。

 言えば何でも叶えられたし、どんな振舞いをしても許された。

 何故なら彼女は、人類が魔女の恐怖から逃れる為の唯一の希望だから。

 聖女がいなければ人類は魔女と、魔女が使役する魔物に蹂躙されてしまう。

 だから何があっても聖女は誰よりも大事にされる。その命は何よりも優先される。

 そんな環境で育ったエルリーゼは他人を全く大事に考えていなかったし、誰にも感謝などしなかった。

 美味しい食事、整った生活環境、身の回りの世話をする召使い……それはあって当然のものでしかなく、むしろ水準が少しでも下がれば不機嫌になった。

 

 そんな彼女が変わったのは五歳の時の事だ。

 まるで人が変わったように礼儀正しくなり、感謝の言葉を口にするようになった。

 今まで厳しく接していた召使い達にも優しく接するようになり、今まで面倒くさがっていた勉強や魔法の練習、戦闘訓練に意欲的になった。

 すると、元々優れた才能を持っていたエルリーゼはめきめきとその実力を伸ばし、十二になる頃には大陸最高の使い手へと成長を遂げていた。

 皆はそれを、聖女の才能だと言う。

 確かに才能はあるのだろう。それは間違いない。

 だが彼女に剣や魔法の手ほどきをしている教師は、その裏に並々ならぬ努力がある事を知っていた。

 まるで何かに取り憑かれたようにエルリーゼは時間を惜しんで、自らを鍛えていた。

 休む事など知らないかのように剣と魔法を極め、魔法の技量は闇属性以外の全てを習得するまでに至り、剣の技量はまるで細胞と細胞の間を通すかのような正確さを見せた。

 彼女はまさに聖女そのものであった。

 十四歳にして完成された美貌。金を溶かし込んだような髪。神の造形美と呼べる顔立ち。

 純白のドレスを着こなし、そして誰に対しても分け隔てなく微笑みで接した。

 ある時、彼女の教育係にして護衛も務める一人が聞いた。

 

「エルリーゼ様。何故そこまで……自分を追いつめるように頑張るのですか?

私は貴女が心配です。既に貴女は並ぶ者のいない使い手……どうかご自愛を」

 

 するとエルリーゼは静かに微笑み、言う。

 

「私はかつて横暴な、最低の女でした。

聖女である事を笠に着て、皆の期待を踏みにじっていました。

その過ちに気付いたからこそ、今はせめて皆の期待に応えたいのです。

自愛などと言うならば、それはもう十分にしました。

だから今度は、自分ではなく自分以外を愛しましょう。

……そう。私はこの世界の全てを愛しています。だから頑張るのですよ」

 

 彼女は世界の全てを愛していると言い、そして笑顔を浮かべた。

 その眩しさに教師は涙を流す。

 この方こそ紛れもなく聖女だ。あの日我儘だった少女はここまで成長してくれた。

 ならば自分は全霊を尽くして彼女に仕えよう。

 そう、教師達は一同心に決意した。

 

 

 

 とある新兵は語る。

 あれはまさに奇跡だった……と。

 

 彼はその日、絶望の中にいた。そこはまさに地獄の最前線だった。

 背後には守るべき街。前には魔女のしもべたる魔物の軍勢。

 その数はおよそ千。対し、こちらは僅か三百しかいない。

 

「援軍はまだか!?」

「駄目です! 国は完全にこの街を見捨てました!」

 

 聞こえて来るのは絶望的な言葉ばかりだ。

 国は街を見捨て、援軍は来ない。

 位置的に戦略的な価値がないからだろうか。

 それともこの街が囮になっている間に王都の守りを固めるのだろうか。

 新兵である彼には分からない。何の情報も来ない。

 ただ、ここがどうしようもない地獄である事だけはハッキリと分かってしまった。

 

「に、に、逃げましょうよ! 早く!」

「馬鹿野郎! 俺達が逃げたら民はどうするんだ!

それに逃げ場なんか何処にもねえよ! 完全に包囲されている!」

 

 ガチガチと新兵の歯が鳴る。

 嫌だ、死にたくない。こんな所で無意味に無価値に消えたくない。

 それでも現実は無慈悲で、魔物がいよいよ押し寄せてきた。

 仲間達の悲鳴が響き、血飛沫があがる。

 新兵の青年は前に出る事も出来ずに足を震えさせ、股間部分には水が染みていた。

 そしていよいよ魔物が彼の前まで到達し――。

 

 ――光が、全てを薙ぎ払った。

 

 それはまるで天からの裁き。

 雲の切れ目から光の柱が降り注ぎ、魔物達を絨毯爆撃していく。

 そうして空から舞い降りたのは、白いドレスの少女だ。

 光のカーテンに照らされ、幻想的に輝くその姿に誰もが見惚れた。

 

「……ごめんなさい」

 

 桜色の唇が一言、ポツリと謝罪の言葉を述べた。

 その意味を新兵が解するよりも早く、少女の掌から光の玉が発射された。

 それは片手で掴める程度のサイズで、しかし魔物達の軍勢に炸裂すると同時に一気に広がり、彼等を抹消した。

 それを二発、三発……次々と魔物の軍勢に撃ち込み、消し去っていく。

 その力はまさに圧倒的であった。

 

「こ、これが……聖女……!

これほどに凄まじいものなのか……!」

 

 誰かが言ったその言葉を耳にして、新兵は彼女が聖女である事を知った。

 魔女に唯一対抗出来ると言われる人類の希望。光の象徴。

 なるほど、と思うしかない。

 確かにこれは圧倒的だ。次元が違いすぎる。

 やがて魔物は完全にいなくなり、聖女は静かに降り立った。

 

「お、おお……聖女よ! なんとお礼を言うべきか……。

どうか街へいらして下さい。街を上げて歓迎いたしますぞ」

「いえ。お気持ちは嬉しいのですが、魔物に襲われているのはここだけではありません。

私はすぐにでも行かなければならないのです」

 

 町長の申し出を断り、そして聖女は次の戦いへと意識を向けるように空を見た。

 そんな彼女に、新兵はつい声をかけてしまう。

 無礼だという事は分かっていた。

 それでも聞きたかった。何故魔物に謝りなどしたのか。何故そんなに戦うのか。

 

「せ、聖女よ! 貴女は何故……何故、魔物を倒す前に、魔物などに詫びていたのですか?

そして何故……それほどに戦いに向かわれるのですか? お、恐ろしくはないのですか!?」

 

 無礼として不愉快な顔をされてもおかしくない問いだ。

 だが聖女は優しく微笑み、新兵と目を合わせて話す。

 

「彼等も生きています。それを私は、無慈悲に蹂躙しました。

狩人が遊び半分に動物を狩るように……。

それはとても悲しく、罪深い事です。

それでも私がやらねばなりません…………皆を、守りたいから」

 

 そう寂しそうに言う少女に、新兵は己の愚かさを悟った。

 彼女は、魔物を殺める事すら罪深いとして心を痛めている。

 魔物を殺して心を痛める者などどこにもいない。魔物を生き物と思う者すらいない。

 何故なら魔物は恐ろしくて忌まわしい人類の敵だから。

 そんな魔物の死すら悲しむほどに聖女は優しすぎて……それでも、自分達を守る為に罪を重ねている。

 そう分かったからこそ、軽率な質問をした自分を心より恥じた。

 

 この日、新兵は一人の兵士となった。

 今はまだ弱く、彼女に並び立つなど烏滸がましい存在だ。

 それでも、こんな自分でも支えになりたいと願った。

 いつの日か、あの優しすぎる少女の力になれるように強くなろうと、彼は己に誓った。

 

 

 

 その少女は、人生に絶望していた。

 一年前までは幸せだった。裕福ではないが満ち足りた生活をしていた。

 優しい両親がいて、友達に囲まれて、婚約者もいた。

 だがある日それは呆気なく崩れ去り、魔物に襲撃されて少女は足の腱を斬られて歩けなくなり、女の命である顔に醜い傷を負ってしまった。

 すると周囲の態度は一変してまるで腫物を扱うような態度になり、婚約者も離れていった。

 神を憎んだ。全てを恨んだ。

 何故自分がこんな目に遭わなければならない。どうして神はこんな試練を与えるのだ。

 全てに絶望して、何もかもが嫌になった。

 高名な回復術師ならば少女を治せる……とまではいかなくても、多少はマシに出来たかもしれない。

 だがそうした者達に治療を頼むのは大金が必要で、少女の家にはそんな金はとてもなかった。

 こんな人生ならば、もう死んだほうがいいんじゃないか……そう、思った。

 しかしある日、少女の絶望はあっさりと晴らされてしまった。

 何故かこんな小さな村に立ち寄った聖女……エルリーゼが人知を超えた魔力で回復魔法をかけて回り、そして少女の足と顔を完治させてしまったのだ。

 金銭も、礼すらも求められなかった。

 まるでそれが当然で、自分のしたい事だというように聖女は何事もなく去ろうとした。

 だから少女は、聖女に尋ねたのだ。

 

「どうして私を救って下さったのですか? 貴女には何の得もないというのに」

 

 すると聖女は同性でも見惚れそうな笑みで、答える。

 

「私の手は広くない。どうしても取りこぼしてしまう命がある。

それでもせめて、この手が届く範囲の者は助けたいのです。

……それに、得ならばありますよ。

貴方達の笑顔を見られる事が、私にとっては何よりも幸せな事です」

 

 こんな辛い世界でも、どうか前を向いて生きる事を諦めないで欲しい。

 強く、笑って生きて欲しい。幸せになって欲しい。

 そんな聖女の、心の声が聞こえるようであった。

 少女は、知らず涙をこぼしていた。

 自分が恥ずかしかった。うじうじして何もかもに絶望していた自分が本当に愚かに思えた。

 何もしようとせずに諦め、憎み、恨み……。

 この聖女のように何かを行動に移す事もなく、出来る限りの最善を尽くそうともしなかった。

 

「聖女様! いつか……いつか、必ずこの御恩は返します!

私はこの日の事を、決して忘れません!」

 

 もうウジウジするのは今日限りで止めだ。

 聖女に希望を与えて貰った。明日をもらった。

 ならばこの先の自分の命は、彼女のものだ。

 全力で返そう。あの聖女の為に生きよう。

 そう、少女は決意した。

 

 

 

 少年――ベルネルは、全てに見放されていた。

 死んだような目で森をフラフラと放浪し、枯れ木につまづいて転んだ。

 このまま死ぬのだろうかと思ったが、それもいいかもしれないと、死に僅かな希望を見出した。

 どうせ自分が死んでも誰も悲しまない。

 だが死ねない。どれだけ歩いても、飢えても不思議と命は続く。

 この身体にある闇の力が宿主を死なせてくれない。

 ベルネルの身体からは常に黒い瘴気が立ち昇り、触れれば植物は枯れ果てた。

 

 ベルネルは元々、地方の領主の長男であった。

 次期領主として期待され、幸福に生きていた。

 だが十四歳の誕生日……突然、何の前触れもなくベルネルの中から闇の力が暴発し、屋敷を破壊してしまったのだ。

 理由は分からない。分かるはずがない。

 ベルネルの内に魔女の魂の欠片が入っているなど、この哀れな少年がどうして気付けようか。

 ただ分かる事は、自分が魔女のような闇の力を発揮してしまった事。そして……周囲の態度が一変した事だけだ。

 

『化け物め! お前など私の子ではない!』

『こんなモノが俺達一家に紛れていたなんて……』

『出て行きなさい化け物!』

『失せろ、魔女の使い魔め!』

『化け物』

『化け物』

『化け物』

『化け物』

『化け物』

『化け物』

 

 誰にも必要とされない。

 誰からも死を望まれている。

 その事実に耐えられるほど十四歳の少年の心は強固ではない。

 涙は枯れ、歩く気力さえも失せてしまう。

 そんな少年の前に、いつの間にか黒い影が現れていたが……それさえも、どうでもよかった。

 

『ミツケタ……迎エニ……キタ……。魔女様ガ……オ待チダ……』

 

 黒い影はベルネルに手を伸ばす。

 これを取ればきっともう引き返せない。

 そう分かっていても、ベルネルには抵抗する気力がなかった。

 もうどうにでもなれ……そうとしか思えなかった。

 だが次の瞬間――何者かが間に割り込み、光で影を駆逐した。

 

『貴様……何者……!』

「去りなさい、影よ。この少年を魔道に誘う事は私の命が続く限り許しません」

『聖女……カ……!? オノレ、ヨクモ邪魔ヲ……!

ダガコノ、チカラ……戦ウノハ得策デハナサソウダ……』

 

 影と少女はいくらか言葉を交わし、そして影は退いた。

 聖女――そう影に呼ばれていた少女はゆっくりとベルネルに振り返る。

 その姿を、ただ美しいと思った。

 木陰から降り注ぐ光すらもが彼女を引き立てる為の物に思えてしまった。

 聖女は微笑み、そしてベルネルへ声をかける。

 

「大丈夫でしたか?」

「…………放っておいてくれてよかったのに」

 

 違う、こんな事を言うべきではない。

 そう思っていても、ベルネルの口は思ってもいない事を吐き出していた。

 聖女はそれに嫌そうな顔一つせずに、静かにベルネルを見ている。

 

「……どうせ俺は、死んでもいい存在だ。いなくなっても誰も悲しまない。

だったらあのまま、あの影に連れ去られて死んでも……よかった……」

 

 問われたわけでもないのに、醜い不満が次々と口から出る。

 

「あんたには分からない。聖女なんて言われてる奴には絶対俺の気持ちは分からない!

俺みたいな、価値のない人間の心なんて分からないんだ! 道端に落ちている糞にも劣る価値しかない薄汚い人間の気持ちなんて、誰にも分からない!

生き延びてもどうせ、俺の未来なんて…………」

 

 気付けば、大声で喚いていた。

 目の前の存在が羨ましかった。

 聖女……人類の希望。誰からも愛される存在。

 自分とは違う。そんな嫉妬と羨望から、言いたくもない言葉が口から零れ落ちる。

 不思議と、彼女の緑色の瞳を前にすると良くも悪くも正直になれた。

 何もかもをぶちまけてしまいたい気持ちになった。

 そんな少年へ、聖女は言う。

 

「少なくとも、私は悲しいです。

貴方が死ねば……私は、悲しい」

 

 ベルネルは聖女の瞳を見て、驚いた。

 彼女の目からは涙が一筋、零れていた。

 こんな初めて会う、呪われた男なんかの為にこの少女は泣いてくれるというのか。

 ……悲しんでくれるというのか。

 それが、今のベルネルにとっては何よりの救いに思えた。

 そして気付けば柔らかいものに包まれていて……ベルネルは、自分が抱きしめられている事に遅れて気が付いた。

 

「それにほら、汚くなんかない。

貴方は、価値のない人間なんかではありません」

「……ッ、!」

 

 ベルネルの目から、堰を切ったように涙が溢れる。

 あの力に目覚めて以来ずっと、どこにいっても汚物扱いだった。

 醜い、汚い、汚らわしい、忌まわしい……そんな言葉をどこにいっても浴びせられた。

 誰も自分に触ろうとすらしなかった。近付く事すら嫌った。

 そんな自分を、この少女は躊躇う事なく抱擁してくれている。

 その心地よさに目を閉じ……だが、ベルネルはハッとして少女から離れようとした。

 

「だ、駄目だ! 俺に触れちゃいけない!

このままじゃ貴女が……! すぐに離れてくれ!」

 

 ベルネルの身体から溢れ続ける瘴気は、彼の意思に関係なく周囲を蝕む。

 抱擁なんてもってのほかだ。

 だからベルネルは慌てて離れようとしたが、そんな彼を安心させるように聖女は彼の背を叩く。

 

「大丈夫……大丈夫ですから。恐れないで。

その力はいつか、貴方の助けとなります。

けれど今はまだ制御出来ない力は貴方を苦しめてしまう……だから、少しだけ、私の方でその力を借りておきますね」

 

 聖女がそう言うと、今までベルネルを苦しめていた瘴気が聖女の方へ移り、その身体の中に取り込まれた。

 嘘のようだった。

 あんなに苦しめられてきたのに、こんなにも簡単に制御出来てしまうものなのかと思った。

 彼女は本当に聖女なのだと……そう信じる事が出来た。

 

「どうか幸せになる事を諦めないで下さい。

辛い事は沢山あるけど、いつかきっと必ず……ハッピーエンドに辿り着けるから。

……いえ、私が必ずそうしてみせます」

 

 ――たとえこの身が砕けようと。

 小さくそう呟き、そして聖女はベルネルから離れて笑顔を浮かべた。

 無条件に信じたくなる力がそこにはあった。

 どんな闇でも、その先には光がある……そう信じたくなった。

 聖女は懐から鎖付きのペンダントを取り出し、それをベルネルの首にかける。

 

「……これは?」

「貴方の力が外に漏れないようにする道具です。

それと……ちょっとしたおまじないです」

「おまじない?」

「そう。貴方がいつか、辿り着けるように。

貴方の聖女と巡り合えるように、願をかけておきました。

……大丈夫。貴方は絶対に幸せになれます」

 

 そう最後に言い、聖女はどこかへ飛び去って行った。

 その背中を見ながらベルネルは、彼女に与えられたペンダントを握りしめる。

 もうそこに、ウジウジした少年はいなかった。

 暗かった目には力が宿り、空気は今までになく爽やかに思えた。

 これまで醜く見えていた世界が、この上なく美しいものに見えた。

 心には光が差し込み、全てが眩しく輝いている。

 

 彼女は言った。『貴方の聖女と巡り合えるように』。

 それはきっと、いつか自分にも受け入れてくれる素敵な女性が現れるという意味なのだろうが……ベルネルにとって聖女は彼女以外有り得なかった。

 たとえこの想いが届かなくてもいい。それでももう一度会いたいと思った。側にいたいと願った。

 ならばこのペンダントは『約束の証』! いつか再び出会い、返す時の為の『導』!

 

 いつか再びあの聖女と再会する。

 その為にベルネルは、この先何があろうと光を信じ、光の道を突き進む決心を固めた。




エテルナルートフラグ「ぐわあああああああああーーーーーッ!!!!!」
エルリーゼ「エテルナルートダイーーーン!?」

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