理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー)   作:壁首領大公(元・わからないマン)

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第二十五話 屈折

 アイナ・フォックスにとって父は幼い頃からの憧れで、そして誇りだった。

 

 アイナは今を遡る事十七年前に、フォックス子爵家の長女として生を受けた。

 彼女が生まれたフォックス子爵家は、貴族として下級に位置している。

 僅かな領地といくつかの村を治める地方領主で、生活は十分に裕福ではあったが、貴族として考えれば貧しい部類に入った。

 それでもアイナは惨めさを感じた事はなかったし、この家の娘である事が何より誇りだった。

 それは、ひとえに偉大な父がいたからだ。

 アイナの父は子爵ではあったものの、他の貴族達から一目置かれ、尊敬を勝ち取っていた。

 人類の希望たる聖女……その聖女を守る使命を帯び、厳しい訓練を積んだ魔法騎士達は誰もが憧れる正義の味方だ。

 その騎士達の中でも極一部の者しかなれない近衛騎士は全員合わせても十二人しかいないとされ、そして父はその近衛騎士の中で最も優れているとされる筆頭騎士の座に就いていた。

 誰よりも近くで聖女を守護し、戦いになれば聖女の剣となり盾となって悪に立ち向かう。

 まさに騎士の中の騎士。戦いに身を置く者全てが憧れ、尊敬を示す最高の存在。

 そして今代の聖女エルリーゼは歴代最高の聖女と呼ばれており、その最も近い位置で彼女を守護する父はまさに人類の希望そのものを守る偉大な戦士だ。

 

 聖女エルリーゼが活躍し、凱旋パレードをする時には必ずその側に父がいた。

 誰もが父のその雄姿を称えた。

 幼いアイナにとって父こそが、どんな物語の中の勇者よりも恰好いい勇者であった。

 お姫様を守る誰よりも強くて誰よりも恰好いい守護者……アイナはそんな父が大好きだった。

 

 だがその誇りが砕かれたのは今より一年前の事。

 当時、学園を卒業したばかりのレイラ・スコットとの聖覧試合――年に一度、聖女の前で行われる近衛騎士の格付けを行う試合にて、父は十九歳の女に敗れてしまった。

 これにより父は筆頭騎士の座をレイラに譲る事となり、近衛騎士序列二位へと落とされた。

 家族と共にこの試合を特別に見学する事を許されていたアイナにとって、それはあまりに衝撃的で、信じられない出来事だった。

 こんなのは嘘だと思った。きっと父の調子が悪かっただけだと思いたかった。

 当の父本人は『自分よりも強い者が聖女を守ってくれる』と喜んでいたが……アイナはどうしてもこの結果が受け入れられなかった。

 

 だから、自分こそが父の誇りを取り戻してやると誓った。

 幸いにして幼い頃から父に剣と魔法の手ほどきは受けていたし、誰にも負ける気はしなかった。

 学園の入学試験も容易く突破したし、同学年を見渡しても自分の方が上だと思って優越感を感じた。

 アイナにとって、アルフレア魔法騎士育成機関はただの踏み台でしかなかったし、通過点に過ぎなかった。

 首席卒業など出来て当たり前。

 本当の戦いは卒業して近衛騎士になった後……レイラ・スコットを聖覧試合で倒し、そして自分が筆頭騎士になる事で父の名誉を取り戻す。

 ……そう思っていた。

 

 なのに踏み台で、あっさりと躓いた。

 学園で年に二度行われる闘技大会は、一度目は学年別で行われ、二度目は全学年で行われる。

 アイナにとってはどちらも優勝出来て当たり前のものだった。

 相手が上級生だろうと、負けるはずがないと信じていた。

 アイナは幼い頃からずっと父に鍛えられてきたのだ。

 他の連中とは年季も、背負っているものも違う。

 

「みんな頑張っていますね。レイラの目から見て、今年はどうですか?」

「私ですか? そうですね……今年はなかなかレベルが高い生徒が揃っていると思います。

私もうかうかしていられませんね」

 

 聖女と怨敵(レイラ)が話している声がアイナの耳に入る。

 というより、聞こえる位置に自分から赴いたのだが。

 

「特にあの四人……ベルネル、アイナ・フォックス、ジョン、そしてマリー・ジェットには光るものがあります。

ベルネルは技術は粗削りですが基礎能力で優れており、アイナ・フォックスは突出したものはありませんがよく研磨されています。流石は騎士フォックスの娘といったところでしょうか。

ジョンは確か元兵士でしたね。他の生徒よりも戦いというものを心得ているように見えます」

 

 レイラの評価に、アイナは少しだけ気をよくした。

 怨敵ではあるが、なかなか分かっているじゃないか。

 そうとも、私は偉大なお父様の娘。他の雑魚共とは根本からして違う。

 突出したものがないという評価は少し気に喰わないが、とりあえずは他の二人より高評価だ。

 だが、次に聞こえた声によってアイナは気分を悪くした。

 

「最後にマリー・ジェットは剣と魔法のバランスがよく、パワーはありませんが技術ならば既に騎士レベルでしょう。私が思うに、今年は彼女が優勝候補ですよ」

 

 何だそれは、と思った。

 まるで私よりマリーとかいう奴の方が強いような言い方ではないかと不満を感じる。

 マリー・ジェットの事は知っている。

 何を考えているか分からない暗い奴で、地味な女だ。

 騎士らしい華もない。

 確かにちょっと腕が立つと思ったし、見直したが……それでも、自分より怨敵に評価されているのが気にくわなかった。

 ならばいいだろう。すぐにこの後の試合で圧勝し、間違いを認めさせてやる。

 勝つのは私だ。

 そう思い、リングへと上がって――あっさりと負けた。

 

 優勝出来て当たり前としか思っていなかった闘技大会……その全学年どころか、まさかの学年別大会での準決勝敗退。

 優勝ではない。準優勝ですらない。

 ベスト4(・・・・)。アイナは一位を争う場にすら出られなかったのだ。

 差し伸べられた手を払い、アイナはその場から逃げるように走った。

 

 惨めだった。

 あまりに惨めすぎて、悔しくて涙が流れた。

 そんな彼女に更に追いうちをかけたのは、彼女が走り去った後の出来事だ。

 あの後マリーは決勝戦でベルネルとかいう男に負けて準優勝に終わり、そこに巨大な魔物が乱入したというのだ。

 聖女を殺しに来たというその魔物に立ち向かったのは五人の生徒と一人の教師……優勝者のベルネルと準優勝者のマリー。ベスト4のジョンに、その友人というエテルナ、フィオラ。

 最後に学園教師の一人でもあるサプリ。

 彼等は苦戦の末に見事怪物を打倒し、その存在感を見せ付けて誰からも一目置かれるようになった。そこにアイナはいない。

 まだ騎士ではないが、聖女を守ったその功績から生徒五人は大きく評価され、聖女エルリーゼからも直々に感謝の言葉を贈られた。彼等はまさに勇者だった。そこにアイナはいない。

 ベスト4に残った生徒の中で、アイナだけが聖女の危機に何もしなかった。

 

『あれ、ベスト4のアイナさんよ』

『ああ……ベスト4に残った生徒の中で一人だけ何もしなかったっていう……』

『他の三人とはえらい違いだ』 『父親はあの偉大なフォックス子爵なのにねえ……』

『よせよ。父親が偉大だからって、その子供にまで期待するのは可愛そうだ。そりゃ重荷ってやつだよ』

『普段、あんなに自信満々だったのに……』 『怪物が来た時何してたの、あの人』

『さあ……怖くて震えてたんじゃないか?』

『ああ、俺知ってるよ。丁度その時俺はびびって校舎内に逃げ……いや、トイレに行ってたんだけど、向かう途中で教室の中にいたあの子を見かけたんだ』

『え? じゃあ逃げてたって事? うそでしょ? フォックス子爵の娘が?』

『所詮その程度だったってことよ』 『試合に負けた時の態度も見苦しかったしな』

『普段から大口ばかり叩いてる奴ほど、いざという時はそんなもんだ』

 

 その日を境に周囲の評価が一変した。

 自分だって戦いもしなかった連中から、陰口を叩かれるようになった。

 アイナ自身が普段から周囲を見下し、それを隠そうともしていなかったのも悪評を加速させるのに一役買った。

 私はお前達とは違う。私は筆頭騎士フォックスの娘だ。

 そう吹聴していたわけではないが、それは誰もが知っている事実であったし、言葉でハッキリと『お前達は私より下』などと言ったわけではないが、その心情はしっかりと態度に現れていた。

 アイナはその、良く言えば正直で悪く言えば配慮のない性格の為に敵を増やしてしまったのだ。

 それでも今までは実力で周囲を黙らせていたのだが……その、彼女を支えていた『強さ』という地盤が崩れた。

 

 こんなのは違う、おかしい。何かの間違いだ。

 そうアイナは叫びたかった。

 私がそこにいれば、私だって活躍出来た。

 一人で怪物を倒して、聖女様を守り切っていた。私なら出来た。

 そうならなかったのは運が悪かっただけだ。

 偶然私がいない時に怪物が来たから、そうなっただけだ。

 だがいくらそんな事を言おうと、実際に何もしなかったという現実の前では意味がない。

 全てが空しい遠吠えだ。

 アイナは、戦いすらしなかった臆病者になった。

 

 その日から彼女は誰とも話さず、無心で訓練をするようになった。

 誰といても、自分を軽蔑の眼差しで見ているような気がする。

 何より、こうして何かに打ち込んでいないと……恨みで心がどうにかなってしまいそうだった。

 マリーが憎かった。

 彼女に負けてから、転げ落ちるように全てが悪い方向へ向かって行った。

 こうして訓練に打ち込んでいないと、喚き散らしてしまいそうになる。

 お前のせいだ、お前がいなければ……そんな無様な怨嗟の声が喉を突いて出てしまう。

 だから逃げるように訓練に没頭した。

 試合に負けて逃げて、そしてマリーと向き合う事からも逃げた。

 

 

 

「私には分かる。君は不当な評価を受けているようだ」

 

 全てから逃げていたアイナに声をかけたのは、この学園の長であった。

 年齢は四十代半ばにさしかかろうかという老体だが、背筋はしっかりと伸びていて身体も筋肉質でガッシリしている。

 男の平均寿命が六十年に満たないこの世界では彼は既に老人と呼んで差し支えないが、しかし驚くほどの若々しさとエネルギーに満ちている。

 白髪をオールバックにし、その瞳は肉食の獣のように鋭い。

 身長は188cmで、この世界の男の平均身長165cmを大きく上回っている。

 

「運というのは残酷なものだな。

君のように、本来ならば筆頭騎士になれるはずの逸材が、ただ一度の調子が悪かった時の敗北で転げ落ちてしまう。

間も悪かった。あの時に君がいれば、必ずや聖女を守るのに一役買えただろうに」

 

 それは、アイナの心にスルリと入り込む甘言だ。

 アイナの心は今、罅割れている。砕け散りそうなほどに傷付いている。

 その隙間に、彼の言葉は優しく侵入する。

 

「あまりに惜しくて見てられん。君は必ず偉大な騎士になれるとずっと見込んでいたのだ。

その才能がこうして潰れようとしているのは、大きな損失だ。

それとこれは未確認なのだが……どうにも、あの時マリー嬢は汚い手を使っていたようだ。

試合開始前……妙に冷えたと思わないか? 心当たりはないか?

私が思うにあの時、マリー嬢は試合前から君に、気付かれない程度に攻撃を仕掛けていたのだ。

身体の動きが、鈍くなるように……本来の力を発揮出来ぬように」

 

 結論から言えば、そんな事はなかった。

 いくら何でも、そんなに身体能力が下がるような事があればアイナはその時点で気付ける。

 そんなに寒かったなら、寒かったという記憶くらい残る。

 そしてアイナにそんな記憶はない。

 だが……人は、自分の都合のいい方に物を考える生き物だ。

 ましてやそれが過去の事となれば、尚の事。

 言われてみれば(・・・・・・・)そうだった気がする(・・・・・・・・・)

 一度そう思ってしまうと、まるでそれが真実のように思い込んでしまう。

 疑惑と真実がひっくり返り、その者の中では根拠のなかった疑惑が真実にすり替わる。

 悪い事をしてしまった時、最初に『私だけが悪いわけじゃない』と思う。

 次に『もしかしたら私は悪くないかもしれない』になり、やがて『私は悪くない』になり、『何故悪くない私が責められている』となってしまう。

 こういう思考をしてしまう人間は、確実に一定数以上存在するのだ。

 

「ほら、やっぱりあの時寒かったんだろう?

だが君は、気付けなかった。それはマリー嬢の手口が巧妙だったからだ」

 

 まるで洗脳のように学園長の言葉が耳に入る。

 そうか、そうだったのかと思う。

 私は正々堂々の戦いで負けたわけではなかった。

 卑怯な事をされて負けたのだ。

 そう理解(誤解)すると、ふつふつと怒りの炎が湧き上がる。

 ずるい、許せない。そんな想いが頭を支配する。

 そうして思考力の落ちた彼女へ、学園長が提案を持ちかける。

 

「私は君こそが今年の最も優秀な生徒だと確信している。

だから君を信じて、打ち明けたい。

……ここだけの話、実はこの学園には魔女の手の者が潜んでいるんだ」

「なっ!?」

「私はずっと、信頼出来る者を探していた。誰が敵か分からず、孤独な闘いをしていたんだ。

だが君ならば信じる事が出来る。

君が今、こうして辛い環境に置かれているのも、もしかしたら君を脅威と思った敵の策略によるものなのかもしれない」

 

 アイナは、学園長の言葉に驚いた。

 同時に暗い喜びも感じていた。

 こんな重大な話をマリーではなく自分にしてくれたという事に、優越感を感じてしまったのだ。

 

「分かるだろう? あの大会でもまるでタイミングを図ったように怪物が現れて、そして打ち合わせたような活躍劇が繰り広げられた。

魔女の手の者は既に、大勢いる。どこに目があるか分からない。

そんな魔境に、聖女様は知らずに来てしまったんだ」

「た、大変! すぐに知らせないと……」

「いや、それは駄目だ。知らせても私達の方がおかしな事を言っていると思われてしまう。

それにこれはチャンスなんだ。敵を泳がせて、その尻尾を掴める好機だ」

 

 学園長は屈みこみ、アイナに視線を合わせる。

 そして彼女の手を握り、静かに頼み込んだ。

 

「アイナ・フォックス……どうか私と一緒に戦ってくれ。私達で聖女様を守るんだ」

「は、はい……! 私でよければ、喜んで……!」

「いい返事だ。君を選んでよかった……。

ならば君は、普段通りに生活しつつ聖女様の行動を監視して私に報告して欲しい。

特に、聖女様が人目を避けるように動き始めたら要注意だ。

……数か月前、聖女様がファラ先生に呼び出された事件は知っているね?

もしも聖女様が単独で行動を始めたら、敵に同じように呼び出され、危機に陥っている可能性が高い。すぐに救援に向かう必要がある。だからその時はすぐに私に報告するんだ」

 

 学園長の甘い誘いに、アイナは絡め取られていく。

 人は自分が正しい事をしていると思うと、そこに疑問を抱きにくくなる。

 ましてやそれが、心に罅の入った少女ならば尚の事。

 元々の性格も相まって、アイナの心には既に疑いなどというものは存在していなかった。

 

「報告用の手段を渡そう。

こいつは人の言葉をよく聞き、そして真似をする賢い鳥だ。

そして天敵から逃れる為に、周囲の景色に同化するという特徴を持っているから肩に乗せていても誰も気付かない。

報告の時はこいつに話しかけて、そして飛ばしてくれ。そうすればこの鳥は私の所に来て、君の言葉をそのまま伝えてくれる」

 

 そう語りながら学園長が渡して来たのは、一羽の小さな鳥だ。

 人に慣れているようで、抵抗なくアイナの手に乗った鳥はあっという間に色をアイナの皮膚と同じ色にしてしまい、まるでそこにいないようだ。

 

「何か言ってごらん」

「え、えと……それじゃあ……こんにちは」

 

 アイナは学園長に促され、鳥に挨拶をした。

 すると鳥は小首をかしげ、嘴を開く。

 

「エ、エト、ソレジャー、コンニチハ」

「うわあ……可愛いかも」

「ウワー、カワイイカモ」

 

 アイナの言う言葉をそのまま鳥が真似る。

 それが嬉しくなり、アイナは指先で鳥の頭を撫でた。

 フワフワしていて触り心地がいい。

 

「それじゃあ、頼むよ。勿論これは極秘任務だからね。

他の誰かに言ったりしないように」

「はい! 任せて下さい!」

 

 学園長に、自信満々にアイナが返事をする。

 そんな彼女に優しそうな笑みを向けて、そして学園長はその場を歩き去った。

 だが歩きながら徐々に温和そうな笑みは歪み、口の端が吊り上がる。

 それは、愚かな小娘を嘲笑うような、悪意に満ちた笑みであった。

 

 そして物陰で話を聞いていたベルネル達は、とんでもない事を聞いてしまったと顔を見合わせた。




《エルリーゼの外見コーテイングに関して》
・闇の力で蝕まれているから無理矢理魔法で外見だけを整えている――とか、そんな重い話はない。
コーティングしているのは単純に聖女ロールをより完璧にする為でしかなく、表情キープも単純に自分の本性が気を抜いた拍子などに表情に出るのを避ける為の措置。
(他の女生徒をウォッチングして、おっさんのようにだらしなくニヤケ顔になったりするのもこれで止めている)

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