理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー)   作:壁首領大公(元・わからないマン)

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第五十五話 怯える魔女

 アルフレア魔法騎士育成機関には地下施設がある。

 普段は滅多に生徒どころか教師も立ち入らぬその場所は、騎士を志す若者達が魔物を相手に実戦訓練を積む為に設けられた場所である。

 決して魔物を逃がさぬように鋼鉄で覆われたその施設は半径30m、天井までの高さが10mという広大な空間であり、巨大な魔物でも(それでも個体によっては窮屈だろうが)その力を遺憾なく発揮出来るようになっている。

 何故このような空間が必要なのかと言えば、無関係の誰かを巻き込まぬようにする為である。

 例えば外でこの訓練を行おうものならば魔物が逃げるかもしれないし、近くの村に向かうかもしれない。

 もしかしたら逃げた先に偶然その場を通過していただけの行商人がいるかもしれない。

 学園に物資や食料を運んでくれる輸送隊が被害を被る可能性もある。

 そうした可能性を考慮し、魔物を決して逃がさないようにこうした施設を用意するのは自然の成り行きであった。

 過去には屋外で柵で囲んで同様の訓練をしていたという記録もあるが、それが無くなったのはやはり過去に何かしらやらかしてしまったからなのだろう。

 柵を跳び越えられたか、壊されたか……あるいは地面でも潜って脱出されたか。

 どちらにせよ、そうした過去の反省が活かされているのは間違いない。

 

 そしてこの地下訓練所には、教師すらも知らない隠し階段が存在していた。

 前任の学園長であるディアスが密かに、アレクシアを匿う為に造ったその場所は長い階段を下ったその先にある。

 階段を降りてまず目にするのは、石造りの扉だ。

 それを開いた先には二体の石像が立ち、来客を出迎える。

 石像に挟まれた一本の道を抜けると道がいくつかに分岐し、それぞれが魔女の私室や、キッチン、リビング、トイレ、風呂……そして魔物達の控室などに繋がっていた。

 魔女の私室は地下とは思えないほどに整えられていて、豪華な屋敷の一室を思わせる。

 四角く切り出された広い室内で、武骨な岩の壁や天井は蛇の意匠を施された壁紙で隠されている。

 床は木の板を敷き詰めた上に絨毯を敷き、その上に様々な調度品やベッド、椅子や机、本棚、振り子時計などが置かれていた。

 壁には様々な絵画……特に多いのは雄大な自然や大空を描いたもので、どうしても閉塞感を感じてしまう地下という空間の中で、それでも可能な限りアレクシアに快適に過ごして欲しいというディアスの気苦労と心遣いがここには感じられた。

 灯台下暗し……まさか魔女を討つ聖女の騎士を育てる学園の地下に、こんな魔女の為の居住空間があるなどと誰も想像すまい。

 しかしその空間の中で、彼女――魔女アレクシアはベッドに腰をかけ、苛立つように爪を噛んでいた。

 

 不気味な女であった。

 腰まで届く銀髪には艶がなく、一見すると白髪に見える。

 半開きにされた目には生気がなく、目の下には濃い隈が出来ている。

 頬は痩せ、肌はやや荒れている。

 唇は紫色に染まり、爪を噛む歯は黄色く染まっていた。

 よくよく見れば顔立ちそのものは美麗なのだろうが、そうとは気付けぬほどに台無しになってしまっている。

 もしも、聖女アレクシアの姿を知る者が彼女を見ても、すぐには同一人物と気付く事は出来ないだろう。

 学園には歴代の聖女の肖像や銅像が飾られているが、アレクシアは銀髪の美女として描かれているし、事実過去はそうであった。

 だがここにいる彼女は、その面影すら消えかけている。

 衣装も、聖女の頃はエルリーゼのものと同じデザインの純白のドレスを着用していたのだが、今はどういうわけか真っ黒なローブを羽織り、暗がりの中で明かりも付けずに闇と同化するように、物音すら立てないようにしてベッドの上に留まっていた。

 

 別に、聖女は魔女になったからといってファッションや顔立ちまで悪人のようにならなくてはいけない、などというルールはない。

 歴代の魔女の中には、聖女の頃そのままの姿で魔女をやっていた者もいるのだ。

 それでも聖女=魔女という事実が広まっていないのは時の王が口止めをしたからだが、ともかく魔女は別に悪人面にならなくてはいけないわけではない。

 しかしアレクシアは、聖女の頃とは別人のように変わってしまい、これがかつて世界を救った聖女アレクシアだと言っても信じる者はほとんどいないだろう。

 

「ディアス……ああ、ディアス。もうあの小娘は……エルリーゼは学園を去ったのか? 追い出せたのか?

そ、そうだ……お前は学園の長だ。強権で退学に出来るだろう? な? なあ?」

「我ガ聖女ヨ、マダ、エルリーゼハ、貴女ノ存在ニ気付イテオリマセン。

ソレト、以前カラ申サレテイル、学園追放デスガ、ソレハ不可能デス。

聖女ヲ追イダスナド出来マセン。ムシロ、無理ニソンナ真似ヲスレバ、私ガ怪シマレテ、最悪、学園長ノ職ヲ降ロサレマス。

私ガイナクナッテハ、誰モ貴女ヲ守レマセン。ゴ辛抱ヲ」

 

 アレクシアがボソボソとした小さな声で語り掛けているのは、ディアスがメッセンジャーとして寄越してきたスティールだ。

 テーブルの上にとまった鳥は、ディアスから伝えられた言葉を、そのまま吐き続けている。

 最近ではディアスは、自分で会いに来てくれる事すらなくなった。

 エルリーゼが学園にいる今、迂闊に彼がこの地下を訪れればそれが却ってエルリーゼを案内する事になりかねない……という理由だ。

 

「それは分かっている、分かってるんだ。

けど、私はいつまで待てばいい? あいつが来てから、いつここに気付かれるかと気が気じゃないんだ。怖くて寝る事も出来ないんだよ」

「ソレハ分カッテイル、分カッテルンダ。

ケド、私ハイツマデ待テバイイ? アイツガ来テカラ、イツココニ気付カレルカト気ガ気ジャナインダ。怖クテ寝ル事モ出来ナインダヨ」

 

 言い募るアレクシアに、スティールは同じ言葉を返した。

 この鳥は言葉の意味など一切理解していない。

 ただ、習性として自分よりも強くて大きい動物や鳥の鳴き声を真似しているに過ぎないのだ。

 だからこの言葉も、そのまま『ディアス』へ送り届けるだろう。

 スティールが飛び去り、その姿を見送ってからアレクシアはベッドの上でシーツにくるまった。

 

 アレクシアは、今代の聖女であるエルリーゼを恐れていた。

 かつて同じ聖女だったから分かる。

 ……アレは化け物だ。

 エルリーゼは知らないようだが、実はアレクシアは一度エルリーゼの戦いを直に見た事があった。

 魔物を率いて都市を襲撃した時……当時、まだ十二歳だったエルリーゼに配下を薙ぎ倒され、泡を喰って配下を見捨てて逃げたのだ。

 冗談ではなかった。何だアレは。

 空を飛び、天から光の剣を雨あられと降らせて、それを手にした兵士まで尋常ではないほど強化される。

 攻撃すればあらゆるダメージが数倍になって反射され、魔法の絨毯爆撃で蹂躙される。

 聖女は確かに他の人間を上回る魔力を持つ。同質の力以外ではダメージを受けない無敵性も有している。

 だがそれだけだ。決してあんな桁外れの、神のような存在ではない。

 アレクシアも魔法を得意とするから理解出来てしまった……エルリーゼの魔力は、あの時点で既にアレクシアの百倍以上に達していたという事に。

 それが今から五年前の事。そして十七歳となったエルリーゼの力は衰えるどころか、更に上昇を続けているという。

 魔法の威力は、込める魔力の量によって決まる。

 同じ魔法であっても10の魔力を込めたものと比べて30の魔力を込めれば単純に三倍の威力となるのだ。

 即ち内包出来る魔力の量はそのまま、戦闘力差に繋がる。

 ならばエルリーゼの戦闘力は十二歳の時点でアレクシアの百倍以上に届いていたという事だ。

 こんな怪物に勝てるはずがない。いや、勝てる生き物など存在しない。

 

 戦わずして格の違いを思い知り、アレクシアはその日からずっとこの学園地下に隠れ住んでいた。

 日々、ディアスから聞かされるエルリーゼの各地での戦いは耳を疑いたくなるようなものばかりで、歴代の魔女が数代かけて魔物の領土に変えたはずの島が一日で取り返されたというものや、前の代でアレクシア自身も戦いを避けるしかなかった大魔が三秒で始末されたなど、聞けば聞くほどに手に負えない存在だという事だけが分かってしまう。

 

 不公平ではないかと思う。

 アレクシアが聖女になった時、世界は暗闇で満ちていた。

 それは、アレクシアの前の聖女であるリリアが魔女を倒さずして魔物に殺され、暗黒期が延びてしまったからだ。

 その結果、アレクシアは歴代の聖女よりも苦しい状況下での戦いを強いられる事となった。

 今度こそ魔女を倒してくれという民衆からのプレッシャーがあった。

 加えて当時の魔女であったグリセルダはリリアが死んだ分だけ歴代と比べて魔女歴が長く、その分当然のように配下も多かった。

 それでもアレクシアは恐怖に耐えて魔女と戦った。

 自分がやらなければいけない事なのだからと、泣いて逃げ出したいのを堪えて……戦いの中で多くの仲間や騎士を失いながら、それでもディアスと共にグリセルダを倒したのだ。

 

 だがグリセルダを倒したアレクシアに待っていたのは、まさかの裏切りであった。

 ビルベリ王国の王、アイズによって聖女の城に幽閉されて魔物をけしかけられた。

 結果的にはこの時けしかけられた魔物がアレクシアの味方をしてくれた事で何とか逃げる事が出来たが……アレクシアは聖女から一転して、魔女として罵声を浴びながら追われる立場になってしまった。

 悔しかったし、悲しかった。そして憎かった。

 それでもアレクシアは、魔女にはなるまいと耐え、ひっそりと身を隠して生きていた。

 魔女になってしまえば、自分を裏切った連中の行動は正しかったと正当化する事になる。それだけは嫌だった。

 

 だが、グリセルダから受け継いだ魔女の念は日々アレクシアを蝕んだ。

 聖女が魔女になる時、別に人格が変わる事はないし突然別人になるわけでもない。

 ただ、記憶を継承してどうしようもなく負の感情が増幅されるだけだ。

 歴代の魔女が見てきた、あらゆる人間の汚点。醜悪な記憶。

 裏切られた怒り。

 それらを見せられ、感じさせられ、そして心がドス黒く染められていく。

 白いキャンバスがクソのような黒で塗り潰され、変えられる。

 聖女の心は白く、穢れの無いものだ。

 だが白という色は染まりやすく、簡単に塗り潰されてしまう。

 アレクシアも例外ではなく……耐え続けた果てに、彼女はやがて世界を憎んで魔女となった。

 自分がこんなに苦しいのに、辛いのに。怖いのを我慢してやっと世界を平和にしたら裏切られて、それでも耐えているのに。

 なのにそんな事を知らずに平和を謳歌している連中が気に入らない。許せない。

 こんな苦しみを自分に与える世界なんて間違えている。

 そうして彼女は、耐える事を諦めて魔女になった。

 

 だが魔女になった先で、またしてもアレクシアは恐怖に耐えなくてはならなくなった。

 歴代屈指の魔女であるグリセルダを倒して魔女になった先に待っていたのは、今度は歴代最高にして最強の聖女エルリーゼだったのだ。

 それはないだろう、と泣きたくなった。

 世界はそんなに私が嫌いなのかと絶望した。

 怒りのままに暴れる事すら許してくれないのか。

 どうして私だけ、こんな目に遭わなければいけないのだ。

 

 そしてエルリーゼが学園に転入してきた事で、アレクシアはとうとう一睡すら出来なくなってしまった。

 少しでも物音を立てれば気付かれるのではないかと怯え、毎日毎日僅かな物音にすら過敏に反応して見えない恐怖に追い詰められた。

 いつエルリーゼはここに気付く? それとも、もう気付かれているのだろうか?

 いっそテレポートで逃げ出してしまいたい気持ちもあったが……ここから逃げてしまえば、もうどこにも味方がいない。

 テレポートで逃げる事が出来るのはアレクシア一人だけだ。

 この地下にいる魔物達も、ディアスも連れていけない。

 たった一人で、しかもテレポートの代償で弱くなった状態で外に出なくてはならない……聖女によって塗り替えられた世界で、孤立無援となる。

 今や世界は、どこもかしこも人類の領域で、聖女の味方だ。

 どこにも逃げ場など存在しない。だからアレクシアは、ここに留まるしかないのだ。

 

 それでもアレクシアの恐怖はもう限界であった。

 ここに留まる事に心が耐えられない。すぐにでも逃げ出したい。

 ああ嫌だ嫌だ、どうかここに気付かないで。

 毎日そう願いながら、震え続けている。

 

「オ労シヤ、あれくしあ様……」

「お、おお……『影』よ」

 

 怯えて震えるアレクシアに、寄り添うように『影』が近付いた。

 それは奇妙な存在だった。

 地下と言えど、多少の光はある。

 確かにアレクシアの私室は灯りがないが、スティールが迷わずに飛べるように通路はランタンの灯りで照らされ、その光がアレクシアの部屋まで届いている。

 だというのに、それはまるで光が届かないかのように暗かった。

 まさしく、動く『影』……それがアレクシアを慰めるように肩に手を……いや、暗い何かを伸ばす。

 

「『影』よ……私は恐ろしい。

何故私の代に限って、こんな事になるのだ……。

世界はそんなにも私の事が嫌いなのか。

私はどうすればいい……教えておくれ……『影』よ」

「今スグニ、てれぽーとデ、逃ゲルベキカト……」

「だ、駄目だ! 外に私の味方はいない! すぐに見つかって、あいつが飛んでくる!

それにお前も知ってるだろう? テレポートは一度身体を分解して飛んでいく禁断の魔法……移動先で再構成されるが……その際、本来あるべき形に再構成されるせいで、身体に覚え込ませた経験(レベル)が失われるんだ。

ただでさえ力の差があるのに、それを更に広げるなんて……そんな馬鹿な事が出来るはずないだろう!?」

 

 恐怖によって、かつての美しい姿が見る影もなくなった主を、『影』は黙って見ていた。

 冷静に判断するならば、もうここに留まっている事そのものが悪手だ。

 エルリーゼは学園に転入して以来、ずっとこの学園を活動拠点にしている。

 ディアスからの報告を信じるならば(・・・・・・)、この地下には気付いていないというが……それならば何故いつまでも留まっている?

 仮に気付いていないのが本当だとしても、ここに魔女がいると確信し、何らかの証拠を掴んでいるからではないか?

 ならばここはもう危険地帯だ。一刻も早くテレポートで脱出して、新たな拠点で再スタートをした方がいい。

 だが魔女は味方のいない……そしてエルリーゼによって領域を塗り替えられた外に出る事を恐れている。

 もはや戦うまでもなく、エルリーゼとアレクシアの雌雄は決していた。

 世界を舞台にした陣取りゲームはエルリーゼが圧勝し、盤上は白で埋め尽くされている。

 唯一残された黒が一マスのみ残っているというのが現状で、エルリーゼはまさにその一マスを取ろうと手を振りかざす手前まで来ているのだ。

 それでも魔女は逃げる事が出来ない。恐怖に縛られ、まだこの学園にしがみ付いてしまっている。

 

「分カリマシタ……ナラバ、ソノ恐怖、私ガトリ除イテ、ミセマショウ」

「む、無理だ! お前でもエルリーゼには勝てん!」

「ゴ安心ヲ……私トテ、アノ怪物ニ勝テルナドトハ、思ッテオリマセン。

奴ガココニ留マッテイルノハ、要スルニ、此処ニ魔女様ガイルト思ッテイルカラデス。

ナラバ、ソノ疑念ヲ晴ラシテヤレバ……自ズト、此処ヲ離レルハズ。

私ニ策ガアリマス……」

 

 『影』は不気味に蠢き、そして目に当たるだろう部分を輝かせた。


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