理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー) 作:壁首領大公(元・わからないマン)
その日は、何かがおかしかった。
座学の成績が振るわない者の為の特別授業……そう言われてベルネルは学園地下に呼び出されていた。
座学の成績が悪いというのは残念ながら事実だ。
学園に入学してからずっと、肉体ばかりを鍛えていたベルネルの座学の成績はあまりよくなかった。
彼の他にはエテルナと、それから初対面の生徒が五人ほど集められている。
意外な事だがエテルナもあまり座学は優秀ではない。
そもそも少し前までは文字すら読み書きできなかった……そしてする必要もなかった貧しい村の出身者であるから仕方がない。
この世界の識字率は、どの国もそれほど高くない。
そうしたものを学ぶのは富裕層や貴族であり、農民はまず文字を読み書きする必要にすら迫られないからだ。
故にエテルナも、ここに来るまでほとんど文字を見た事すらなかった。
むしろ短期間でそれなりに文字の読み書きが出来るようになったのだから、エテルナの頭はいい部類であろう。
だが流石にそれだけで差を補う事は出来ずに、彼女の座学成績は酷いものであった。
集められた他の生徒達も似たようなものなのだろう。
全員家名がなく、ベルネルと似たような出身である事が窺える。
この魔法学園自体、最初から貴族の出身が有利なように出来ている……というより、そもそも貧しい村の出身者が来る事自体を想定していない。
そうした村の出身者に騎士に憧れる者がいないわけではないが、そうした者は入学試験を抜ける事など出来ないのだ。
何故ならライバルの大半は幼い頃から勉強し、そして訓練してきた貴族の子供達だ。圧倒的に下地そのものが違う。
そういう意味では下地もなくこの狭い門を潜り抜けたベルネル達はこの時点で十分優れているのだが、それでもやはり他との差は大きかった。
だからそれを補うための特別授業というのはむしろ有難い話だし、願ってもない。
ベルネルとしては、そんな事をしている時間があるなら剣でも魔法でも基礎トレーニングでもいいから、とにかく実技を鍛えたかったがせっかくの申し出なのだからとエテルナに連れて来られてしまった。
だが妙だと思う。
これから行われるのは座学の特別授業と聞いた。
だが集められたのはその逆で、一部の成績優秀者が大型の魔物を相手に命がけのトレーニングをする為の地下闘技施設であった。
何故たった七人の座学の為にこんな場所を用意する?
これは明らかに変だ。全員がそう思ったが……ここに来た時点で、既に手遅れであった。
「ようこそ、特別授業へ。早速だが大人しくしてもらおうか」
彼の授業を担当する事になっていた女性教師……ファラは開幕一番にそう言うと、指を鳴らした。
それと同時に扉が閉まり、部屋のあちこちから大型の魔物が歩み出て来る。
「せ、先生! これは何の真似ですか!?」
集められた生徒のうちの一人が叫ぶ。
彼の名前はジョン。
元々は小さな村の出身で一般兵士だったが、ある時に魔物の軍勢に襲われてもう駄目かと思った時に聖女に救われた経験を持つ。
その時に自分も彼女の側で戦えるようになりたいと猛勉強し、そして二十歳になってからこの学園に入ってきた男だ。
魔法学園は入学する為の最低年齢は十七だが、上限は決まっていない。
なので二十を超えて入学する者も珍しくはない。
「あんたは確か……ジョンだったっけ。
悪いね。別にあんたはどうでもいいんだけど、流石に一人だけを呼びつけちゃおかしいと思ってこないかもしれないからさ……だから似たような成績の奴も一緒に集めるしかなかったんだ。
まああんたは巻き添えだ。すまないね」
「一体何を……」
「私の目的は最初から一人……ベルネル、あんただけさ。
あんたを人質に出来ればそれでよかったんだよ」
ファラはそう言い、ベルネルを見た。
人質と彼女は言った。だが何の為の、誰に対する人質なのかがベルネルには分からない。
何せ彼は貴族でも何でもないのだ。人質にしても身代金など取れるわけがない。
「昨日、あんたの部屋を聖女……エルリーゼが訪れた事は知っている。
何で聖女サマがあんたのような生徒を気に掛けるかは知らないが……とにかく、あんたは聖女に目をかけられている」
「まさか……」
「そのまさかだ。あんたは聖女への人質だよ」
何を馬鹿な、と思う。
確かにエルリーゼは昨日、部屋を訪れてくれた。
だがそれは彼女が優しいからで、自分だけが特別というわけではない。
きっと誰に対しても、ああなのだ。
今はまだ自分などその他大勢の一人に過ぎない。
ならばそんな男の為になど、聖女が来るわけが……。
(……いや! 駄目だ!
あの人は、誰一人としてどうでもいいなんて考えない! 人質が誰であれ、来てしまう!)
エルリーゼは博愛精神に溢れた聖女である。
過去には全てを愛しているという言葉を口にしたとも言われ、それを証明するように貧富の隔てなく、手が届く範囲全てを救ってきた。
そんな彼女の耳に自分の為に誰かが捕まって人質にされたなどと伝わればどうなるか……。
来てしまう……人質が誰だろうと関係なしに。名も知らぬ他人の為であろうと彼女は来る。
(頼む……来ないでくれ……俺なんかの為に、どうか、その身を危険に晒したりしないでくれ……)
願いは届かない。
救うべき存在がいて、それが己の手が届く範囲内にいる。
ならば救いに来る。だから彼女は聖女なのだ。
「生徒は無事でしょうね?」
あれから数十分。
ベルネルの願いむなしく、エルリーゼはたった一人でこの地下へやって来てしまった。
恐らくは護衛も付けずに来いと言われたのだろう。
ベルネル達は縄で縛られて部屋の隅に座らされ、これから始まる聖女の処刑を見せられようとしていた。
無論抵抗はした。座学と聞いていたので武器を持って来ていなかったがそれでも素手で魔物に挑んで果敢に戦った。
だがここに集められた魔物は聖女抹殺の為に用意された強力な個体ばかりで……訓練生に過ぎないベルネルでは到底勝てるはずもなくあっさりと捕まってしまったのだ。
「駄目だエルリーゼ様! 罠だ!」
ベルネルが叫ぶ。
その声に反応してエルリーゼは彼の方を向き……安心させるように微笑んだ。
「本当に来るとはねえ……聖女様っていうのは聞きしに勝るお人好し……いや、馬鹿のようだね」
ファラが嘲笑するが、本当にその通りだと思う。
馬鹿だ、彼女は。たった七人の為に危険に晒していい身ではないというのに。
もっと自分を大切にするべきなのに。
だが本当に馬鹿なのは、こんな所で無様に人質にされている自分自身だ。
そう思い、ベルネルは悔しさに身を震わせた。
「後半は否定しません。しかしお人好しというのは買いかぶりですよ。
私はただ、私がそうしたいからやっているだけ……自分の為に動いているに過ぎません」
「は……余裕だね。けど、これを見てもそんな余裕でいられるかい!?」
ファラが指を鳴らし、それと同時に大型の魔物達が歩み寄ってきた。
だがそれを前にしてもエルリーゼに動揺はなく……何故かファラの胸を凝視している。
何だ? そこに何かあるというのか?
そう思いベルネルは目を細める……すると、ファラの胸の中に何か、黒いモヤのようなものが見えた。
(何だアレは……? 俺のと同じ……!?)
黒いモヤの正体は分からない。
だがきっと、エルリーゼにはあれが何なのか分かっているのだろう。
しかし今はそれどころではない。
エルリーゼを包囲している魔物はこの施設内に収まるサイズとはいえ、それも強力なものばかりだ。
バフォメットにキマイラ、バジリスクにグリフォン。ドラゴンまでいる。
どれも、この学園を好成績で卒業した魔法騎士が数人がかりでようやく倒せる怪物だ。
それが一斉に、エルリーゼへ向かって襲い掛かった。
「
エルリーゼが何か、聞きなれない言葉を口にした。
それと同時に彼女を中心に光が拡散し、そして光が収まった時、そこには魔物は一体として残ってはいなかった。
何が起こったのか理解するのに数秒を要した。それほどに圧倒的だった。
この地下室という一枚の絵から、余計な
「そ、そんな……そんな馬鹿な! ここにいた魔物は全て……近衛騎士でも苦戦する怪物達だぞ!
それを一撃で……馬鹿な、あり得ない! いくら聖女でもこんな事!」
ファラが恐怖して錯乱し、後ずさった。
決して魔物達は弱くなかったはずだ。なのにまるで相手にならない。
穢れた魔物では、聖女に指一本触れる事すら出来ないという現実だけがそこにあった。
歴代最高の聖女エルリーゼ……その伝説はベルネル達も何度も耳にしてきた。
曰く、先代の聖女が殺されかけた魔物を触れずに消し去った。
曰く、千の軍勢を十数秒で全滅させた。
曰く……魔女すら彼女を恐れ、直接対決を避けて逃げ回っている。
噂というのはいくらかは誇張されるもので、大げさに伝えられるものだ。
だが彼女に至ってはそれは違う。むしろ逆……言葉では伝えきれない。
そこには、千の言葉よりもハッキリと分かる、一枚の絵だけがあった。
「す、すごい……」
「これが……聖女……」
ベルネルとエテルナは思わず、陳腐な感想を口にしていた。
だが本当にそれしか言えないのだ。彼女をどう表現しても、この光景を正しく語る事が出来ない。
むしろ正しく語ろうとすればするほどに、その表現はありきたりなものになってしまう。
理解の及ぶ範囲であれば『何がどうして』、『どのように』、『だから凄い』と説明出来る。
だがこの光景はそんなものを超越していた。『とにかくすごい』以外にどう説明すればいいか分からない。
「……ひっ!」
エルリーゼが静かにファラを見る。
そしてゆっくりとファラとの距離を詰め、ファラはそれに合わせて後ずさった。
最早誰が見ても分かる。……最初から格が違う。
後はただ、ファラが裁かれてそれで終わりだ。
「な、なるほど……保険を用意して正解だったねえ……」
だがファラはまだ諦めていなかった。
彼女が指を鳴らすと、部屋の隅から小さな魔物が飛び出してベルネルとエテルナの背後に着地する。
小さな、小鬼のような雑魚だ。しかしだからこそ、エルリーゼに気付かれなかったのだろう。
その取るに足らない小物は両腕を刃物へ変化させてベルネルとエテルナの首に刃を突き付けた。
「見ての通りだ、お優しい聖女様。抵抗すれば二人の命はないよ。
引き換えといこうじゃないか……あんたが大人しく刺されてくれりゃあ、人質は全員無傷で解放すると約束するよ」
ファラがそう言うと、エルリーゼは歩みを止めた。
その態度は人質が有効であると証明するのには十分で、ファラの顔に余裕が戻る。
「さあどうする!?」
「駄目だ、エルリーゼ様! 俺達なんかに構うな!」
「そうよ! 貴女は死んではならない人よ!」
「おやめください……どうか! どうか!」
「逃げて!」
ファラの言葉に被せるようにベルネル達は叫んだ。
彼女はこの先、多くの人々を救う人だ。
魔女を倒して時代の暗雲を晴らすはずの、世界に必要な存在だ。
それがこんな所で、たったの七人を救う為に身を差し出していいはずがない。
彼女はここで死んでいい人ではない。
七人を犠牲にしてでも、生きなければいけない人だ。
「いいでしょう。その刃を私に突き立てなさい。
それで彼等が助かるならば安いものです」
「ふ、ふふふ……こいつは驚いた。本物の馬鹿だね」
だがエルリーゼは自らを差し出す方を選んでしまった。
まるで抵抗を放棄したように両手を降ろす。
そんな彼女にファラは勝利を確信したようににじり寄った。
「駄目だ!」
こんな事があっていいわけがない、とベルネルの心が叫んだ。
彼女を守る騎士になりたかった。
共に戦える強い男になりたかった。
なのにその自分が人質になって、彼女が死ぬ。
そんな事があっていいわけがない。
「一つ……必ず皆を解放すると約束出来ますか?」
「ああ、約束は守るよ。私としても無関係の生徒を殺すってのは後によくないものを残すからね」
「ならば構いません。おやりなさい」
エルリーゼは一切の抵抗を捨てたように力を抜き、そして瞼を閉じた。
その彼女へファラが近付き、ナイフを振り上げる。
「うおおおおおおお!!」
エルリーゼに危機が迫ったその瞬間、ベルネルは獣のように吠えていた。
脳のリミッターが外れ、全身に力が漲る。
筋肉で身体が固くなり、血管が浮き出した。
そして縄を引き千切り――自らに刃を突き付けていた小鬼を掴む。
これに小鬼は慌てたように刃を突き出すが、ベルネルの強靭な筋肉を貫くには至らない。
ベルネルは首で刃を挟んでへし折り、強く床を踏みしめた。
そして投擲! 小鬼をファラへ投げつけて、彼女の頭へ直撃させる。
するとファラは突然の事に何も出来ずに白目を剥き、崩れ落ちた。
そのまさかの事態に……流石にこれは予測していなかったのか、エルリーゼは目を丸くしていた。