理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー) 作:壁首領大公(元・わからないマン)
今までの巨大な姿と異なり、次に『魔女』が取った形態は、エルリーゼと同サイズの人間形態であった。
刃のように鋭い瞳には生気がなく、その顔立ちは整っているがどこか冷たい印象を抱かせる。
白銀の髪は腰まで伸び、アイスブルーの瞳がエルリーゼを見据える。
外見年齢は――あくまで現代日本基準であるが三十代前半くらいだろうか。
スタイルもよく、均整が取れている。
その姿が歴代のどの魔女を模しているのかはエルリーゼの知るところではないが……どうやら聖女というのは例外なく全員が銀髪らしい、という事を初めて知った。
よく今まで偽物バレしなかったなと、この緊迫の戦場で間の抜けた事を考えてしまう。
(よし、都合よく一か所に固まってくれた! やるならここしかねえ!)
一か所に凝縮された分、先程よりも強いだろうが好都合だ。
これならばバリアで閉じ込めて宇宙への追放が行える。
しかしそんな楽観視した思考を突くように『魔女』が高速で接近し、魔力を凝縮した剣を振り下ろした。
それをエルリーゼも素早く生成した光の剣で受けるも、勢いに負けて吹き飛ばされてしまう。
家屋をいくつも貫いて地面に叩き付けられ、その衝撃に困惑しつつも立ち上がった。
思えばエルリーゼとなってから、ダメージらしいダメージなど受けた覚えがない。
それは常に、強力な魔力によってバリアを自分の周囲に展開していたからだ。
勿論それは今も同じのはずだが、『魔女』の一撃は僅かではあるが確かにそのバリアを貫いてエルリーゼにダメージを通していた。
それでも一発ごとの威力はエルリーゼの方が上だ。
いかに『魔女』が無限に回復し続けると言っても、内包出来る最大魔力……つまりMPは魔女五十人分のものでしかない。
数字にすれば十万といったところだが、エルリーゼはその数倍はあるのだ。
いや、不動新人の魂と完全に一つになった今、その差は十数倍にまで至っている。
しかし一発の威力は勝っても、長期戦になればエルリーゼが不利になるだろう。
エルリーゼも周囲の魔力を取り込んで回復くらいは出来るが……残された寿命は後僅かしかないのだから。
不動新人の残り僅かな寿命だけで無理矢理動いているのが今のエルリーゼだ。
故に長期戦はあり得ない。
エルリーゼが飛翔し、『魔女』と剣をぶつけ合う。
油断していた先程と違い、今度は魔女が弾かれて建物の残骸にめり込み、更に投擲された光の剣が『魔女』を串刺しにした。
剣が建物の壁に突き刺さる事で『魔女』を縫い止め、この好機を逃すまいとエルリーゼは次の魔法を発動させる。
『魔女』を囲うように、魔力を一切通さないバリアを形成。
ここにMPを十万ほど費やして簡単には破れないようにし、立て続けに次の魔法へ移行した。
「
『魔女』を閉じ込めたバリアごと、光の柱が空へと運んでいく。
向かう先はフィオーリを離れた遥かな虚空……宇宙空間である。
いかにエルリーゼでもそう遠く離れた場所までは追放出来ないが、それでも帰って来るのが不可能な位置までは飛ばせる。
光の柱が雲を貫いてどこまでも上昇し続け――そして、やがて完全に見えなくなった。
同時にエルリーゼが息を吐き、胸元を握りしめた。
以前までは少しくらい魔法を使っても全く問題なかったはずなのだが、先程からどうにも心臓が落ち着かない。
先程まで死んでいたからか、それともじきに死ぬからなのか……どちらかは分からないし両方なのかもしれない。
ともかく、この身体はもう強力な魔法の連続行使にはあまり耐えられないようだ。
「エルリーゼ様! ご無事ですか!?」
レイラが駆け寄り、エルリーゼの身体を支える。
最愛の主が蘇ってきた喜びが過ぎ、その後にレイラを支配したのは不安と恐怖であった。
エルリーゼがこんなに苦しそうに戦う姿など今まで一度だって見た事がない。
どんな大軍を前にして、どんな大魔を相手にしても常に余裕で勝利を重ねてきたのがエルリーゼだ。
その彼女が今、明らかに消耗している。
“またいなくなってしまうのか?”……どうしても、そう考えてしまう。
「レイラ……貴女こそ、こんなにやつれて」
一方でエルリーゼも、レイラの姿に衝撃を受けていた。
今のレイラは以前までの美貌が陰り、すっかり痩せてしまっている。
それだけ心労をかけてしまったという事なのだろう。
正直、現実を……いや、何もかもを甘く見ていた。
ゲーム本編でもどうせ『エルリーゼ』を裏切る
レイラの人柄も今までの自分への献身も考慮せずに、彼女の思考を身勝手な楽観で決め付けたのだ。
そんな普通ならばすぐにでも気付けるような事に、エルリーゼは今更気付く事が出来た。
……だが、遅すぎたとしか言いようがない。
エルリーゼに残された時間は僅かで、明日の日の出を見る事もなく死ぬ。
そう考え、初めて死ぬ事が怖くなった。
自分がいなくなった後……レイラは大丈夫なのだろうか?
今でさえこれなのに、一度蘇って持ち上げ、そして死んで突き落とす。
そんな真似をして彼女の心は壊れてしまわないだろうか?
そう思うと、死にたくないという気持ちが生まれて初めて湧いて来る。
……だがもう、全ては手遅れだった。
「終わったの?」
アルフレアがこちらに向かって歩きながら聞いて来る。
彼女はレイラと違って大丈夫そうだ。
「ええ、多分……閉じ込めて空の果てに追放しましたので。
バリアを破って出て来たとしても、地上に戻って来るのは不可能……」
そこまで話して、エルリーゼの言葉が止まった。
空から何かが、不吉な音を立てて接近している事に気が付いてしまったからだ。
いやまさかそんな、と思う。
確かに今まで『魔女』は聖女に寄生してきたが、無機物にも寄生出来るなんて一言も聞いていない。
恐る恐るプロフェータの方を見ると、彼女も焦ったような声を出す。
「やばいよ、こりゃあ……あいつ、何か馬鹿でかい石に寄生して地上に近付いている……」
その言葉だけで何が起こっているのかをエルリーゼは把握してしまった。
――隕石だ。
宇宙に追放された『魔女』は何と、付近にあった隕石に寄生してこの星に帰還しようとしているのだ。
それを許してしまえば、この星は無事では済まない。
最悪、人類滅亡まであり得るだろう。
「……っ! 相殺するしかない!」
エルリーゼは上空に両手を向け、ありったけの魔力をかき集めた。
文明を滅ぼすほどの隕石が相手では、こちらも生半可な力では対抗出来ない。
残る全ての魔力を振り絞り、心臓の鼓動を無視して全てを注ぎ込んだ。
胸が狂ったように鳴り、激痛が走る。
「
両手から黄金の閃光を放出した。
その出力は今までの比ではなく、宇宙空間からでも立ち昇る光の柱が視認出来るほど激しく眩い。
正真正銘のエルリーゼの全力に、さしもの隕石も耐え切れずに惑星到達前に宇宙空間で粉砕されてしまった。
更に余波だけで『魔女』が消滅する。
その攻撃が終わると同時にエルリーゼは膝から崩れ落ち、地面に手を突いた。
「ハアッ! ハアッ! ハアッ! ハアッ!」
これまでになく激しく呼吸を乱し、苦しそうに胸を押さえる。
確実に今ので寿命が縮まった、とエルリーゼ自身も実感出来る程に呼吸が苦しい。
レイラは泣き出しそうな顔でエルリーゼを支えているが、何も出来ずに己の無力を呪うばかりだ。
だがここまでやっても『魔女』は滅びずに、再び空で結合し始めていた。
「レイラ……離れて下さい」
震える足で立ち上がり、魔力循環を始める。
今の一撃で魔力はすっからかんだ。
だからこそ、すぐにでも回復させなければならない。
そう考えてエルリーゼは周囲の魔力を取り込み……違和感に気が付いた。
いや、違和感というよりは不快感だろうか。
魔力と共に流れ込んでくる人々の絶望や恐怖、憎悪や妬み、恨みといった負の感情に心がかき乱される。
魔力にこうしたものが乗っている事自体は前と何も変わらない。
エルリーゼ自身もとっくに知っている既出の情報でしかないし、気にするべき事は何もないはずだ。
変わったのは……エルリーゼ自身の心の方である。
今までずっと、エルリーゼは自分自身すらも含めてフィルター越しに見ていた。
生きている自分を客観的に見ている別の自分がいるような感覚……それが前世の頃からずっとあった。
だからいくら魔力を取り込んで負の感情に心を満たされても全く気にせずに行動出来たし、問題なく演技を続行する事が出来た。
しかし一度死んだからだろうか。
この世界を確かな現実と認識したからだろうか。
それとも魂が一つに統合されたからだろうか。
……今のエルリーゼは、今までほど自分の事を他人事として見る事が出来なかった。
今まで気にしていなかった負の感情が、途端に煩わしいものに思えてくる。
わけのわからない破壊衝動が心を駆り立てる。当たり散らしたくなる。
人は普段、心の暗い部分を表に出さない。
だが魔力を取り込む事で、普段見る事のない生の暗黒面を直視してしまう。
自分だけは助かりたい。自分だけはいい思いをしたい。
自分よりも優れた誰かを妬み、恨み、嫌う。
まるで黒い炎のように燃え盛り、それでいて油よりも粘着質なそれは驚くほどに醜悪だ。
きっと初代魔女のイヴは、これに染められてしまったのだろう。
人間など守る価値があるのか。むしろこいつ等こそ滅ぼすべきではないのか。
その想いが歴代の聖女にまで伝達され、そして全員が暗黒面へと堕ちてしまったのだ。
「……ふ」
エルリーゼは小さく笑い、そして気にせずに一気に魔力を取り込んだ。
人間の心が醜い? だからどうした。そんなのはとうに知っている。
他でもない自分自身がその醜い人間なのだから、今更その程度のものを直視したから何だというのだろう。
エルリーゼは考える。
きっと歴代の聖女は……イヴすらも含めて、全員心が白すぎた。人としてはあり得ないほどに綺麗すぎたのだ。
だからこんなもので容易く黒に染まってしまう。
エルリーゼは違う。
(生憎と……こちとら、最初から真っ黒なんだよ!)
エルリーゼの心は本人も認めているように最初からドス黒い。
いつだって自分の事ばかり考えていたし、大義名分さえあれば自分より弱いものを蹂躙して楽しむような救いようのない下衆さも持っている。
その矛先を向ける相手を多少は選んで表向きは善人であるように振舞っているだけで、彼女は間違いなく外道畜生の類である。
ただ、それを表に出すと最終的には自分が不利になると分かるだけの小賢しさがあったから表向きはいい人であるかのように見せるだけの演技力があるに過ぎない。
クソを煮詰めた真っ黒な精神を持つエルリーゼにとって、今更少し黒いくらいの感情が流れ込んできても『ちょっと不快だな』で終わる程度のものでしかない。
歴代聖女はきっとそうではなかった。
彼女達はきっと、否定から入ってしまったのだろう。
人間はそんなものではないはずだ。もっと綺麗なはずだ。
そう信じ、耐え……その果てにやがて人類に幻滅して魔女となった。
だがエルリーゼは決して人類に幻滅などしない。
何故なら――。
(何故なら、俺に比べりゃ全然マシだからな!)
まさに底辺の思考だ。
エルリーゼから見れば、他人の暗黒面ですらまだ自分と比べればマシなものでしかないのだ。
妬み? なるほど、そりゃあ誰だって自分よりいい思いをしている奴はムカつくに決まっている。クリスマスを性なる夜と勘違いしているイケメンなど全員くたばればいい。そう思う事の何がおかしい。
恨み? そりゃ嫌な事をされれば誰だって怒るし引きずるだろう。
それを捨てろというのは簡単だが、要するにただの泣き寝入りだ。
憎しみ? 憎悪? 普通だろう、そんなものは。
自己顕示欲や承認欲求だってあって当たり前のものだ。
人間は社会の中で生きる生物なのだから、認められたいと思う事は別段おかしな事でも何でもない。
欲望に至っては生物ならば持っていて当たり前。
むしろこれがなければどうやって生きていくというのか。
どれもこれも、今更取り立てて気にするような事ではないし、別に醜いとも思わない。
それよりエルリーゼの心をざわめかせているのは、負の感情と一緒に流れ込んで来る弱い……だが確かに在る、対極の感情であった。
例えばそれは祈り。大切な人に傷付いて欲しくない。元気でいて欲しいという穢れなき真心。
例えばそれは希望。明日を夢見て、どんなに辛くとも歩いて行こうとする心の光。
例えばそれは勇気。どんな困難や恐怖であっても立ち向かおうとする白い炎。
そして――愛。家族愛、友人愛、慈愛、博愛、そして異性愛。
生まれてからこれまで、そうした感情など何一つ抱いた事のないエルリーゼにとって、愛と言う感情は負の感情など全く比にならないレベルの猛毒でしかなかった。
(ぎゃああああああ! 一気に取り込んだら何か変なのまで入ってきたあああ!?)
負の感情は、元々真っ黒なエルリーゼにとっては全く毒ではない。
少し鬱陶しいがそれだけだ。
しかし正の感情はそうはいかない。
元々は白かった聖女達の心が、負の感情で染められて闇落ちした。
ならば、要はその逆……元々真っ黒なエルリーゼに正の感情を流し込めばどうなるか。
(やめやめろ! ちょ、ま、タンマ! ストップストップ!
これじゃ魔女より先に俺が浄化されちまう! 不浄なものに回復魔法当てるなボケェ!)
答えは光堕ち。
人々の感情は魔力となって空気中に満ちる。そこには正も負もなく平等だ。
だが歴代の聖女にとって正の感情とはあって当たり前のものでしかなかった。
故に流れ込んでくる暗い感情ばかりに心がかき乱され、そこにある光に気付く事が出来なかった。
一方でこれ以上落ちようのない地の底にいるエルリーゼにとって負の感情はあって当たり前のものでしかなく、逆に流れ込んでくる正の感情に心をかき乱されてしまう。
故にエルリーゼは思った。
――こんなのいらねえ。
ゲームでアンデッドに回復魔法を当てたら逆に大ダメージになるのと同じように、エルリーゼの不浄な心は人々の心の太陽には耐えられないのだ。
暗い闇夜に適応して進化した生物にとっては、人間にとって適切な明るさでも眩しすぎて辛いという。
今のエルリーゼはまさにそれだった。
だというのに、今現在人々はエルリーゼの勝利を願ってどんどん希望やら祈りやら愛やらの感情を放出している。
やめろ、魔女より先に俺を殺す気かとエルリーゼは思った。
「魔女よ」
エルリーゼはプルプルと震えながら慈愛の微笑みを浮かべ、『魔女』を見る。
こんな表情するあたり、相当やばい。浄化されかかってしまっている。
このままだと心の根っこの部分まで白く染められて別の誰かになってしまいかねない。
なので早く捨てよう、とエルリーゼは決意した。
「貴方達は、人の心の闇に耐えられずに魔女になってしまった。
けど、人の心にあるのは闇だけではありません。
貴方達がかつて聖女だった頃に守ろうとしたもの……愛したはずのものは、確かにここに在るのです」
正直なところ、エルリーゼはかなり危険な領域にまで押し込まれていた。
何の意味もなく世界のありとあらゆるものが何故か愛おしく思える。
全てを抱きしめて愛したいとか意味不明の衝動が沸き上がる。
何だこれ。破壊衝動は分かるけど博愛衝動って何だ。意味不明すぎる。
百歩譲って可愛い女の子ならば抱きしめたいと思ってもいいが、何が悲しくて今の自分は野郎まで抱きしめて愛したいなんて血迷った思考をしているのだろう。
違う、違うのだ。断じて自分にホモォ……趣味などない。自分は至ってノーマルのはずだ。
むさ苦しい男など触れたいとも思わない。
なのに、ああ……何故か今の自分は視界に映る全て……それこそベルネルやジョン、亀に至るまで無性に愛おしく思えてしまっている。
だから、おかしくなる前にこんなのは捨てなければ駄目だ。
歴代の聖女は五年もの間、相反する感情に耐えたというがエルリーゼにそんな根気はない。
このままでは五年どころか五分で光堕ちしてしまう。
史上最短記録だ。
「だから……受け取りなさい! これが、人の心の光です!」
そう言い放ち、エルリーゼは
どこまでも透き通るように白いそれを、エルリーゼの魔力である黄金が包む。
こんなものは自分にはいらない。性根の部分が闇属性のエルリーゼが持っていても浄化されるだけだ。
なので、元々は光属性だった『魔女』にくれてやる。
だが皆から流れ込んでくる光が強すぎたのだろう。
エルリーゼは崩れ落ちそうになり、その身体を咄嗟に誰かが支えた。
それはレイラと、そしてベルネルだ。
すると二人の心からも一切偽りのない愛が流れ込んできて、エルリーゼは死にそうになった。
やばい、今すぐ灰になりそう。
そんな事を思いながらもエルリーゼは二人に微笑み、愛おしさが後から湧き出て来る。
あ、これやべえわ。今すぐ捨てないとガチで内面まで聖女堕ちする。
そう恐怖したエルリーゼは手を掲げ、今度こそ全ての
「いけええええええええっ!」
白い輝きが迸り、まだ実体化していないはずの『魔女』に直撃した。
エルリーゼさん、最後なんだからもっと真面目にやって下さい。