さて、そんな風にいつ終わるとも知れない争いを繰り広げている二人は完全に忘れてしまっているが、二人が火花を飛ばしているここは学校の廊下である。それも朝とくれば、当然何も知らないままにここへ踏み込んでしまう不幸な人間もいる訳で。
丁度階段を登ってきていた一人の男子学生がうっかり廊下へと片足をかけ……ただならぬ空気に巻き込まれるまいと慌てて階段へと引っ込んだ。
「朝から何やってんだよ……って、うん?」
しかし何か引っかかることがあったのか、頭だけひょっこり出して廊下を覗き込み、一緒に歩いてきた悪友に尋ねる。
「なぁ、今喧嘩してるのってあの弦巻さんだよな?」
悪友は彼の後ろから廊下を覗き込み
「うん? ああ、せやな。あの軽音の弦巻マキやな」
微妙に胡散臭い関西弁をしゃべるそいつは、うんうんと首肯した。
そう、この学園で弦巻マキといえば『あの弦巻マキ』で通じるくらいの有名人だ。
なにせ彼女の所属する第二軽音楽サークルは学園内のみならず、地域コミュニティにも名の通った有名音楽サークルである。毎年行われる学園祭のライブでは満席御礼は当たり前、この前にはついに地元商店街での学外ライブまで依頼されるほどの知名度があるといえば、その一端が伝わるだろう。
事実先ほどから彼女の周りで言い争いに茶々を入れたり加勢している生徒というのは大抵彼女のファンであり、どこで二人の争いが起こってもどこからともなく一定の人数が集まるあたり、彼女の人気が分かるというものだ。
「……じゃあ、その弦巻さんとあんな風にケンカしてるあの中等部生の子は誰なんだよ。一度弦巻さんと直接話したことあるけど、何かあの人スターのオーラみたいなのがあるじゃん? それにもひるまず、取り巻きの人数にも臆す事無くあんな風にやりあえるとか、ただものじゃないだろ」
「まぁ、あの子はあの子で急激に中等部の方の人気を獲得してる子やから、ただものじゃあないと言えばただものじゃないわな」
「その言い方だとやっぱり知ってるんだろ?」
「まぁ『精華学園新聞部部長に知らんことなど殆ど無い』ってな! あの子の名前は紲星あかり、一か月前にこの学園に転入してきた中等部三年生やな」
「一か月前って、六月くらいか? なんかまた中途半端な時期に来たもんだな」
「なんでも今までアメリカにおったらしいからな、いわゆる帰国子女ゆう奴や。向こうとこっちでは学期がちゃうし、向こうの学校でキリいいとこまで終わらせて来たんちゃう?」
「ふーん、ということは紲星って子の方が弦巻さんに突っかかってる感じなのか? 正直、弦巻さんは誰かに喧嘩を吹っ掛けに行くような性格じゃあないだろ?」
彼の言う通り、普段の弦巻マキはかなり穏やかな性格だ。学園で絶大な人気を誇るのはその音楽の実力のみならず、彼女の人当たりがいい性格も理由の一つである。
だが、それに答える悪友は難しい顔をする。
「うーん、どっちもどっちってところやろなぁ……あれは。 あかりちゃんがマキさんに仕掛けに行くこともあるけど、マキさんからあかりちゃんに仕掛けに行くことも割とあるしなぁ」
男子学生は弦巻マキが自分から喧嘩を吹っ掛けに行くというのを聞いて意外そうな顔をしたが、まぁ弦巻さんだって人間だし、反りの合わない相手だっているだろうと思い直した。
「そんなもんか。で、結局あの二人は何で争ってるんだよ?」
悪友はその質問を聞くと、露骨ににやりと唇をゆがめる。
「普段は喧嘩もしなさそうな女子が二人で回り巻き込んでまで争うとる。それだけで答えは分かっとるようなもんやないか」
「……何だよ、その煙に巻いたような答えは。美少女通のお前と違って俺はただの一男子学生だっての、そんなこと言われても分からないんだからはっきり言ってくれよ」
「ほーん、ええんか? 折角友人が傷つかんようぼかして言ったんやけど、はっきり言ってしもて」
「ん!? いやちょっと待てそれって……」
普段争わなさそうな女子二人が争っていて、その理由を聞いたら自分が傷つく……? 与えられたピースを元に男子学生はしばらく考えて――
「――もしかして、異性絡みとかそういう?」
「……ま、一人を巡ってあの二人が争ってるってことは言っとくわ」
「うわぁ……まじか…………」
男子学生の顔が絶望に染まる。彼も弦巻マキのファンが一人であり、そして彼女を異性として意識している少なくない一人であったのだ。
勿論、自分なんかがあの弦巻マキと釣り合わないことは重々承知の上である。だが、それでももしかしたらと勝手に希望を抱いて妄想を膨らませ、そして現実を知りこうやって傷ついてしまうのが男心という奴なのだ。
しばらく落ち込んでいた彼であったが、少しずつ立ち直るのに伴って湧いてきたのは、弦巻マキが熱を上げているというまだ見ぬ存在に対しての苛立ちであった。
「……なぁ、因みにそいつはどんな奴なんだよ? 『新聞部部長』のお前なら知ってるんだろ?」
本当にそいつは弦巻マキに釣り合う資格があるようなやつなのか? もしそうじゃないなら絶対阻止してやる、とまるで男親のような事を考えつつ、悪友が必ず答えてくれるようにおまじないを交えて訊く。
案の定悪友は『新聞部部長』という肩書に口元を緩めて「しゃあないなぁ……」と口を開こうとして――後ろから聞こえた階段を登る足元に言葉を切って振り返り
「ああ、丁度件のお方が来はったで」
と後ろを指さした。
その指さす先にいたのは廊下から聞こえる騒ぎに眉根を寄せる紫髪の――
「って生徒会の結月じゃねーか! 二人が争ってる理由は男だろ?」
「いや? 自分よう思い出してみ? 一言でも男が原因やて言うたか?」
「は? いやお前……」
言ってない。
そういえばこいつはそれっぽい事は言ってるけど、一言も男だとは断言していない。
「ま、二人が争っとる原因はどっちが結月の一番親しいやつかっちゅうこっちゃな」
にやにや笑う『悪友』に対して男は悪態をつく。
「……俺、お前の事嫌いだわ。 お前の事は絶対友人とは認めねぇ、お前は『悪』友だ」
「おう、そんなに褒められるなんて嬉しいなぁ」
「褒めてねぇ!」
――――――――――――
廊下から聞こえる喧騒とそんな階段での男子生徒と悪友のやり取りを聞いて、結月ゆかりは確信する。
(ああ、またあの二人がやっているのか)と。
ため息をつきながら廊下へと上がり、一生徒会役員の顔を身に着けて声を張った。
「朝から一体何の騒ぎですかこれは?!」
全校集会で鍛えられたよく通る声が、廊下の騒がしい空気を凪ぐ。
「ゆかりおね――! ……先輩」
「ゆかりn――! ……さん」
久しぶりに彼女と会えた喜びに一瞬顔をほころばせる二人であったが、ゆかりの顔が不機嫌なものであることに気づいてすぐに申し訳なさそうな顔へと変わる。
「……はぁ、二人ともまたですか」
「だって、マキ先輩が……」
「だって、あかりさんが……」
そう不満げに互いを指さす二人を見て、再びゆかりは溜息を吐く。彼女が二人の争いを見たのは凡そ一週間ぶりほどだが、この分だと自分の知らないところでもしょっちゅうやっていたのだろうな、と。
「二人とも、自分たちが学園内で目立つ存在だってことが分かってますか? ほかの生徒の模範になるような行動を――なんてお堅いことは言いませんけど、こんな風に他の生徒を巻き込むようなケンカは流石に生徒会の一員として見逃すわけにはいきません」
改めてしょんぼりとするマキとあかり、そんな二人を見るゆかりの表情もどことなく悲し気に萎れる。
彼女だって久しぶりに会えた二人に思う所が無いわけではなかったが、生徒会の一人としての立場があるのだと自分に言い聞かせ、一先ず原因を聞こうと声のトーンを落とした。
「そもそも、今回のケンカの原因は何ですか」
「それは……ゆかりんが今日は生徒会で早く来るっていうからもしかしたら今日は会えるかもって思って頑張って早起きしたら紲…あかりさんがいて――」
「私は学校に来たら今日が生徒会の集まりだって聞いて、もしかしたら高等部まで来たらゆかりおねえ…先輩に合えるかもって思ったら弦…マキ先輩がいて――」
「……それで、お互い相手がいたからとかいう理由でケンカしたと?」
「だって、高等部棟に中等部生がいるなんておかしいでしょ!」
「遅刻魔がこんな朝早くからいるなんておかしいじゃないですか!」
結月ゆかりは痛くなってきた頭に手を添える。
確かに二人が当初から、あかりが学園に転入してきた時から水と油だという事は察していた。だが、最初はここまででもなかったはずだと思うのだが……。
それに、ここまで仲が悪い癖にお互い下の名前で呼び合っているのもどうなのか。
いや、少しでも二人の仲が良くなればと思って互いに下の名前で呼んでみるよう提案した覚えは確かにあるが、そこだけ律義に守ってたってどうしようもない。
「……二人とも、どうしてもお互い仲良く――は無理としても、せめて争わないようにすることはできないんですか?」
ゆかりとしてはかなり妥協しての提案であったのだが、それでも二人の反応は芳しくない。
「そもそもあかりさんがもう少しゆかりにベタベタしないでくれるなら、別に僕だってここまで言わないんだけどね……」
「何を言ってるんですかマキ先輩? それは私とお姉ちゃんにとっての適正距離です! まぁ? そのことを理解して自分の立場をわきまえるのなら、少しは先輩として敬意をもって振舞ってあげてもいいですけど?」
再び二人の間にピリピリとした空気が漂い始め、ゆかりは本格的にどうしたものかと頭を抱える。
正直自分にとって大切な存在である二人が争っているというだけでも、争いごとを好まない結月ゆかりとしては心中穏やかではないのだが、さらにその理由が自分であるとなれば猶更である。
(……やっぱり、私が二人と距離を取る以外にないんでしょうかね)
あまり考えたくない最終手段をつい思い浮かべてしまい、ゆかりは三度目のため息をつきつつ二人に聞こえないよう小声で現実逃避する。
「誰かこの二人を何とかしてくれませんかね……」
と、そんな誰かに聞こえたかも怪しい独り言に対して、ドン! と一つの影が廊下へと躍り出た。
「ふーっはっはっは! そういう事なら、ここはどうやらウチの出番みたいやなぁ!」
突如廊下に響き渡ったやたら胡散臭さの漂うエセ関西弁に、争っていた二人の、結月ゆかりの、そしてその場にいた全員の視線が階段付近に立つ一人の姿に集まる。