「だから円形に並べるときにはー……えっと、並べるものの個数から一引いた数から一までを順に掛けていけば出来る……ハズ」
「……マキちゃん、本当にそれあってます?」
「待って、今確認して……うん、あってる」
自信なさげに教えるマキに対してゆかりが不安気に尋ね、マキはそのたび参考書を開いて確認する。
さっきからそんな光景が繰り返されてもうどれくらいになるだろうか、楕円形のテーブルの上にノートや筆記具と一緒に並べられたアイスティーの氷が溶ける頃、マキの頭は知恵熱で沸騰しそうになっていた。
(説明するのってこんなに難しいんだ……)
氷のせいでキンキンに冷えた紅茶を一息にあおって脳を冷やし、頭を押さえる。
何時ものテスト勉強ならとにかく覚えて、後は覚えている範囲で答えを書いて――それだけでも大変だと思っていたが、教えるというのは難易度が違う。
合ってるか分からないけど、なんとなく見たことがある問題になんとなく覚えている式を入れて、といういつもの方法では説明にならない。
一々問題の文章をちゃんと読み、それが参考書のどの問題にあたるのか結び付けて、その解き方を思い出し――とそのプロセスを考えるだけでもすでに頭が痛い。
しかも――
「因みに何で一引いた数を順に掛けるのかって分かります? 何となく覚えてるだけだとこの次にある数珠順列? とかいうのと解き方が混じりそうじゃないですか」
「え……いや、それは……ごめん、わかんない……」
そう、先ほどからゆかりの質問に対して何一つ答えられていないのだ。
正直自分だって丸暗記だからどうしてそうなるのかなんてものは理解していない訳で、理解していないものを説明できるわけがなかった。
ゆかりは「そうですか、分からないなら仕方ないですよね」とカバーしてくれようとしているが、それが逆に申し訳ない。
(それにしても――)
ため息をつきたくなるほどもどかしい現状から逃げるようにして、あかりの方を横目で見る。
彼女は先ほどから一言もしゃべらずにこちらの様子を興味深げに見ながら、もしゅもしゅとオールドファッションを口に運んでばかりだった。
買ってきたドーナツ二箱のうち一箱はまるっと彼女自身のものらしい。確かに自分も甘いものは好きだが、彼女に次々と食べられているドーナツ達を見ているとそれだけで胸焼けしそうになるペースだ。
だが、体系に見合わず健啖家だった事以上に意外だったのは、あかりが簡単なところで我先にと割り込んで教えようとしなかったことである。
教え始める前までは、あまり勉強していなさそうな彼女が唯一ポイントを稼げそうな最初の簡単なところを譲って、後の難しい問題を自分が解説してゆかりから「凄い!」となるつもりだったのだが、目の前の少女は座るなりドーナツにかじりつくばかりで一切説明しようという気が感じられない。
尤も自分の力ではその計画は不可能だというのは今まで散々思い知ってきたわけなので、簡単なところを自分が解説出来(……たと思いたい)てよかったといえばよかったのだが、このままではワンサイドゲームというか不戦勝のようでなんだか勝った気がしない。
こんなことなら交互に教えていく形にでもすればよかっただろうか、とも考えるが今更だ。ならばせめて答えられないだろうとは思うが、一応彼女も参加させようとあかりに水を向ける。
「そういえば、あかりさんは今の所説明できたりする?」
しかし、彼女の言葉は意外なものだった。
「なるほど、そこを説明するには異なるn個のものを並べる場合nから一まで順に掛けるという所の原理を理解している必要がありますけどそこはオーケーですか?」
「私はそこは大丈夫ですね」
「え? それは……そうなるからそうなんじゃないの?」
つい動揺して自分の理解度の低さをあらわにしてしまった事に、弱点をさらけ出してしまったことに、やらかしたと後悔する。
だが、あかりはいつものようにそこを突いてくるでも勝ち誇ったようなそぶりを見せる訳でもなく「じゃあそこから説明しますね」と目を輝かせて楽しそうな笑顔を浮かべる。
「じゃあ、たとえばこの五つのミニドーナツをマキ先輩が食べるとします。さぁ、どれから食べますか?」
そういって彼女はドーナツの箱から五種類の球状ドーナツが入った紙皿を取り出した。
「えっと、じゃあこの黄色いやつがついたのかな」
思わぬ展開と、それ以上に初めて自分に向けられるあかりの表情に少し戸惑いながら、マキは深く考えずにそのうちの一つを指さす。
あかりはそれをピックにさして、同じく箱から取り出した紙ナプキンの広げてその上に乗せて
「じゃあ、今マキ先輩は何個のドーナツからこの一個を選びました?」
「そりゃ五つだよ」
「そう、つまり今マキ先輩は最初に食べるドーナツを五つから選んだわけです」
馬鹿にしたように当り前な質問に少しムッとして答えるが、彼女はそんな事には気づいてか気づかずか楽しそうにそういって先ほど置いたドーナツの下に『5』と書く。
「じゃあ、次はどれ食べます?」
釈然としないまま、残り四つから適当なものを一つ指さすと、彼女は再びそれをピックで刺して先ほどのドーナツの隣に置いた。
「今回は四つから一つ選んだよね」
どうせ同じ質問が来るのだろうと先手を打って答え、新しいドーナツの下に『4』と自分で書く。
「そうですそうです! さて、今マキ先輩は一つ目を五つの内から一つ選んで、二つ目を四つの中から一つ選んだわけですが、これは言い換えると二十通りの中から一つ食べ方を選んだわけです」
「ん? ……ああ、そっか」
一瞬五と四を足して九なんて考えてしまったが、最初の五つで他の物を選んだとしてもやっぱり二つ目は四つから選ぶことになるのだから、最初の選択肢五つに対してそれぞれ四つの選択肢を掛けて二十通りだ。
「そこが分かるなら後は簡単です、じゃあ次三つめは何個から選んでここまでの選び方は何通りですか?」
適当なドーナツをさらに選ぶとあかりが『3』と書き、それに遅れないようその下に式を書いて計算する。
「……六十通り」
「オーケーです、そして四つ目と五つ目も同じようにやっていくと……」
「待って待って! 2、1で……百二十通り、百二十通りか」
ドーナツ表を完成させて改めて全体図を見たところで思いついたことを口にする。
「要はn個のものを並べるときに順に掛けるのって、一個一個をこうやって選んで並べていく過程を式で書いたらそうなるって事?」
「ばっちりです! なんだ、マキ先輩分かってるじゃないですか!」
「え? そうかな?」
勉強に関して生まれて初めて褒められたマキは相手があかりであることも忘れて思わず相好を崩す。
「さて、では改めてなぜ円形に並べたときに並べた個数で割るかって話ですが……」
ドーナツ箱からもう一つミニドーナツの入った船を取り出してあかりは別の紙ナプキン上へ徐にドーナツを並べ始める。その並び順は、丁度先ほどマキが並べた順のひとつ目を二つ目に、二つ目を三つ目に……そして五つ目をひとつ目にとひとつづつずらした順番であった。
「さて、この二つが違う並び順ってのは見ればわかると思います。でも、これの最初と最後をつなげて円順にするとですね……さぁどうですか?」
「一つずれてますけど、これって回転させたら同じものってことですよね?」
ゆかりの確認に頷くあかり。
「こんな風に直線状に並べたものを一つずらしても円にすると同じものになる訳ですけれど……。ではマキ先輩、同じようにずらしていって直線状に並べたとき回転させて同じものになる並び方はどれだけあります?」
突然の指名に教室で当てられた時を思い出して動揺してしまい思考が空回りする。
「えっと、今みたいにずらしたのが同じになるからもう一つずらしても同じで、さらにもう一回ずらしても同じだから……」
「マキちゃん、何回ずらしてって考えるより最初の並びの何個目からスタートって考えたらいいんじゃないでしょうか?」
「ああ、そっか! じゃあえっと…………並んでる個数と同じ五つで合ってるよね?」
「そうですそうです! そして円形に並べたときの解き方っていうのはまさに、今やったことをそのまま式にしたわけです。言い換えれば一回直線に並べてからそれを円にする、その時今マキ先輩が答えてくれたように、並んでいる個数分同じ円になってしまう並びがあるのでその重複を無くすために割っている、と。この説明で伝わりますか?」
マキはぼんやりとした記憶でしかなかった式が、頭の中でパズルのピースがはまるように収まるのを感じ、感嘆のため息を漏らした。
「あー、そういうことだったんだ……」
「なるほど……でも同じものを含む場合は単純に割らないですよね、あれってどうやればいいんでしょうか?」
「あ、その前に何だっけ……ブレスレット? あれを2で割るのってどうしてか説明できる?」
「ちょ、ちょっと! 二人同時に訊かれても答えられませんから! えーっと順番的に今のとつながりが強いマキ先輩のから説明していきますけど…………」
――――――――――――
年上二人組は相手が中学生だということも忘れてその後も質問を重ね、それがひと段落したときには既に初夏の空もすっかり茜色に染まっていた。
「あかりちゃんありがとう。 お陰で疑問だったところは大体解決できたと思う」
「おねえちゃんの役に立てたなら良かったです。分からないところがあったらSNSでいいんでいつでも聞いてくださいね! あ、何だったらまたこうやって勉強会でもいいんですよ!」
結月ゆかりにお礼を言われ、尻尾が生えていたならきっとブンブン振っているだろう喜びようなあかりに対し、マキは浮かない表情だ。
「あ、勿論マキさんもありがとう――」
「いや、いいんだゆかりん。今日僕はお礼を言われるような事は出来てなかったし……」
あかりの説明と比べれば自分の説明なんてただ参考書を中途半端に暗記しただけだし、それに途中からはゆかりの為の勉強会だということも忘れ、勝手に自分の気になったことを質問してばかりだったし、更には……
「中学生のあかりさんだけじゃなく、ゆかりんに教えるどころか逆に教えられることまであったし……」
そう、あろうことかあかりの説明を先に理解したゆかりに教えられる場面も何度かあり、そのせいで彼女はすっかり意気消沈していた。
「あー、でもあかりちゃんは普段からクラスメイトに勉強を教えてるし、教えなれてたってのも大きいんじゃないですか?」
「え? そんなことしてるの?」
初耳な情報に弦巻マキが紲星あかりのほうを見ると、彼女は「大したことはしてませんけどね」と頬を掻きながら答える。
「最初は授業後にちょっと隣の席の人に聞かれるくらいだったんですけどね……その人が噂好きだったせいでいろんな人から質問されるようになって、それだったらいっそ纏めて教えちゃおうと放課後に図書館でちょこっと……」
ああ、本当にゆかりんを待つために放課後図書館で時間をつぶしてたんじゃなくて、そんなことをしていたのかと、彼女の事も大して知らないのに思い込みで言ってしまった先日の言葉をマキは後悔する。
「あー、あかりさんごめん! 昨日は図書館で時間つぶして待ち伏せしているなんて適当なこと言って」
謝られた紲星あかりは一瞬何のことか分かっていないようだったが、少ししてちょっと気まずそうに
「いえ、まぁ……そういう下心がゼロって訳でも無かったですし、別にそんな謝られることはないんですが……。それに謝るといえば私のほうが、ちょっとですね……。実は今回の勝負、私にとってあまりに有利というか……その、ズルしてるというかですね……」
「「???」」
疑問符を浮かべる二人に対して彼女はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「実は私、アメリカで一応大学を出てまして……」
さらっとあかりが言ってのけた衝撃の事実に、二人は身を乗り出して詰め寄る。
「え!? じゃあメールに書いてた『学校がキリいいところなので日本に帰ります……』ってあったあれって大学卒業してたって事だったんですか!?」
「はぁ!? じゃあなんで中学校なんて通ってんのさ!?」
至極尤もな弦巻マキの質問に、紲星あかりは気まずそうに人差し指を突き合わせながら小声で
「その……だって、ゆかりお姉ちゃんと一緒の学校生活を送りたかったんだもん……」
「えぇー……」
あまりにあまりな理由に結月ゆかりは頭を抱えるが、弦巻マキはきっと自分でも同じようにしていただろうと頷いた。
「でも、だとしたら授業とか退屈じゃありません? もうとっくに分かっている所をやっているんですよね?」
「数学とか理科とかは確かに今までやったところですけど、国語とかはそもそも言語が違って……ほら、古典なんか言語の変遷が垣間見れて楽しいですし、歴史は日本と向こうのを対比出来て面白いですよ?」
「じゅ、授業が面白い……?」
カルチャーショックな発言にしばしマキが絶句していると、あかりは再度気まずげに口を開く。
「ともかく、そういう訳で今回の勝負フェアなものとは言い難いですしマキ先輩が納得できないって言うなら――」
だがそれ以上あかりが言葉をつづける前に、正気を取り戻したマキが手で制した。
「いや、それを言うなら僕だって本当は授業でやったところなんだからフェアでしょ。その……僕が教えれなかったのは僕自身があまり勉強できないってだけで。だから今回は明らかにあかりさんの勝ちだよ」
その言葉に「まぁ確かにどっちが教えるのが上手かったかと言われれば……」とゆかりも言外に同意する。
マキが納得していて今回の審判であるゆかりもそういう以上、あかりも結果に関しては「わかりました」とそれ以上勝負結果について言うことはなかった。
「でもですね、一つ言うならマキさんは教えてて全然勉強ができないって感じじゃないんですけど」
「え? あー、いいんだよ別にそんな慰めは……」
手をひらひらと振って気にしてないと伝えるマキだったが、あかりは至ってまじめな表情で続ける。
「いえ、別に慰めなんかではなくてですね。最初に具体的な状況さえ思い浮かべれれば、あとの説明は多少抽象的でもちゃんと理解出来てましたし、質問するポイントも結構いいところをついていましたし、勉強が全くできないというより、苦手意識が強すぎて出来てないという感じがするんですよね」
「えー……そんなことはないと思うけどなぁ。それに結局僕は一夜漬け以外の勉強法なんて知らないし……」
「それですよ! 一夜漬け以外の勉強法を身に着けれれば、だいぶ変わると思うんです」
「それじゃあ、これからも三人で集まってまたこんな風に勉強会でもしませんか?」
そんなゆかりからの突拍子もない提案にあかりは間髪入れず賛意を示す。
「流石ゆかりお姉ちゃん! いいアイデアじゃないですか!」
「いや、でも……それだったら僕が居ないほうがはかどるんじゃないかな? ほら、さっきも言ったみたいに僕がゆかりんに説明させちゃって、迷惑をかけるなんてことになる可能性もあるわけだし」
「それは違いますよ、説明するっていうのは説明する側にとっても勉強になりますから。 ……それとも何ですか、マキ先輩はゆかりお姉ちゃんのことをあきらめて私に譲ってくれる気になりましたか?」
まだ意気消沈気味なマキだったが、いつもみたいなあかりの挑発に段々調子を取り戻す。
「な!? そんな訳ないじゃん! いいよ、三人で勉強会やろう! その内二人でやらなかったことを事を後悔させてやるから! 先ず手始めに明日の勝負は絶対勝ってみせる!」
「ふふん、そうは行きませんよ! 今日に続いて明日も二連勝してお姉ちゃんの一番が私だって認めさせてやります!」
マキに対抗してあかりも胸を張り、いつものような言い争いが始まるかと思われた所で、突如二人の間に静かな声が割って入った。
「どうやら今日の勝負は決まったみたいですね」
「わぁ!? あ、葵先輩?!」
「うわぁ!? な、なんでいるのさ!?」
「ちょっと!? どうやって私の家に入ったんですか!?」
三者三様に上がる悲鳴を涼しい顔で聞き流しながら、いつの間にか三人の後ろ、ゆかりのベッドの上で正座している葵は淡々と
「なぜいるのか――それはスポンサーとして結果を知るためと、新聞用の写真を撮るためです。それからどうやって入ったか――簡単な話、ゆかりさんの部屋の窓のカギが閉まってなかったからです。二階だからと言って鍵を閉めないのは防犯上の観点から危険だと忠告しておきます。お陰で侵入は楽でしたけど」
堂々とした不法侵入の告白に「一言声をかけてくれればちゃんと玄関の鍵を開けますから!」と抗議するゆかりを半ば無視しながら、葵は二人に向かって続ける。
「では、まず紲星あかりさんの一勝ということで。それでは、明日の勝負について説明させていただきます」