サラリーマンの狂騒曲   作:裏船長

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番長【飛込営業】

  

 

 それは遠い遠い、昔の記憶だった。

 

「ゴルァ、よってたかって卑怯だぞテメエら!」

 

近所のガキ大将とその仲間にイジメられてグスグスと泣いていると、ドスの利いた声が響きヒョイと抱き上げられた。

ガキ大将達がわあっ!と逃げ出して行く。

 

「あーあー、酷くやられたなあ。ほら、男だろ。泣くなよ、ん?」

 

サラサラと流れる黒髪が夕暮れの光に輝いて、黄玉色の目が己を覗き込んでくる。

細いくせに力強い腕の中は暖かくて、また涙がボロボロと零れた。

 

泣き虫だなあ、天ちゃんは。

 

優しい手が頭を撫でてくれて、いつまでもその手に触れていたかった。

 

「……がホットケーキ焼いてくれるってさ、ウチにおいで」

 

甘くて美味いよ、アイツのホットケーキ。

 

抱き上げられた其処から見える世界は広くて、思わず歓声を上げる。

さっきまで流していた涙は止まっていた。

ガキは単純だねえ、とその人が笑う。

大きなお屋敷で食べた、蜂蜜たっぷりのホットケーキと甘いココア。

 

「今は泣いてもいいけど強くなれよ、いつか大事なモンを守れるように」

 

でっかくなれよ、天ちゃん。

 

なるよ、強くなるよ。

だから、また明日も会いに来て。

「分かった分かった、明日もな」

「約束だよ、指切り!」

 

約束の明日は来なかった。

ずっとずっと待っていたのに、あの人は居なかった。

黄昏の日に交わした指切りから待ち続けて、40年も経った。

 

「……社長、お時間ですわ」

 

秘書の霧島エリカの声に、轟 剛天は目を開けた。

 

轟ビルの最上階、社長室。

革張りの椅子から立ち上がり、剛天はコートを肩に羽織る。

今日は轟商事関連会社の視察に行く日だ。

 

「あら……お口に合いませんでしたか?」

「いや、味は悪くない。ただ求めていたのと違っただけだ」

 

デスクの上にある皿には半分ほど食べ残したホットケーキがある。

霧島エリカは内心、首を傾げていた。

轟社長がここ最近やたらとホットケーキを食べたがるので、有名なスウィーツショップや洋菓子店から取り寄せてている。

しかしどれも社長の好みには合わないらしい。

勿論、購入にあたってエリカ自身も味見をしているから不味い事はない。

 

社長ってこんなに甘い物が好きだったかしら?

 

「行くぞ、霧島」

「はい」

 

今度はネットで取り寄せてみよう。

エリカは轟社長の後を着いて社長室を出た。

 

 

 

 

 

 轟商事、営業部。

 

「よっしゃ、行くぜぇ!」

 

バサアッと上着を肩に引っ掛け、『番長』轟 金剛が勢い良くオフィスを飛び出して行くのを営業部みんなで頑張ってねーと微笑ましく見送る。

 

「おお、張り切ってるねえ番長」

「こないだ、鏡係長が大きな契約まとめたじゃん?負けてられないって言ってたからねえ」

「でもなーんか、番長が居ないと物足りないね」

「ホントホント」

 

静かになったオフィスを見回して双子の美佑と美佐が話す。

それまでは静かなのが通常の営業部であったが、金剛が来てからはやけに賑やかになったのだ。

 

社長の息子が新入社員として入って来た当初、その見た目に近寄り難い雰囲気を感じ誰もが話し掛けるのを躊躇っていた。

何しろヤクザもビビって道を開けるような威圧感がある。

 

しかし彼の教育係に任命された清澄 雫が(腐女子的な下心満載で)屈託なく接し、雫と同期の双子OL・美佑と美佐もノリ良くちょっかいなぞ掛けたり、また金剛と同期で入社した平 順も金剛の漢気に惚れた!とか何とかで彼を慕って手伝いを買って出た為、彼らが潤滑油のような役割を果たして今ではすっかり部署に馴染んでいる。

実際に話してみれば轟 金剛という男は、ちょっと照れ屋で不器用なだけの普通の青年だった。

見た目とは違い目上の者に対しても礼儀正しく接し、世辞を言わない、見栄を張らない、媚びを売らない、出来ない約束はしないなど漢気が溢れまくりで年輩社員の受けも良かった。

 

苦手なデスクワークも時間は掛かるが最後まできちんとやり遂げるし、分からない事は素直に尋ねてくる。

褒めれば照れ臭そうに俯いて「押忍」と答える様子が古参の女性社員達の母性を擽るのか、怖がっていた他社員達も最近では轟くんと呼び掛けるようになった。

それに、営業の外回りに出すと意外にも幾つかの契約を取って来るなど、成績は贔屓目抜きで見ても新人の中でトップなのだ。

 

「それで、鏡係長は?」

「朝から営業に出てるみたいよ」

「係長もねえ、何だかんだ言って番長に張り合ってるよねえ」

「そーいや、こないだはカプセルホテルで対決してたみたいッスよ、あの2人」

「あの人、噂じゃどっかの大企業の御曹司らしいけど金持ちのクセに、わざわざ安いカプセルホテルでナニやってんの」

「サウナと牛乳オススメしたんスよね」

「変なトコロで庶民臭いわね、係長」

 

本人の居ないトコロで言いたい放題にきゃあっと盛り上がる3人の会話を聞いている社員が居た。

妄想腐女子の清澄 雫である。

はじめの一歩の板垣くんがA級トーナメントに出た時くらいに超集中していた。

 

カプセルホテルで2人でする事と言ったらナニに決まってるじゃない!

敢えて言おう、あの2人はリバでもイケる!

 

先日の飲み会で思いがけず、轟が相手なら鏡係長は攻めもオッケー!と新しい世界を開拓した雫の妄(想)研修は更にレベルアップしており、彼女の脳内で金剛と慶志郎は互いのケツを掘ったり掘られたりしまくっていた。

更に慶志郎がツンデレだと判明して、妄想レベルもカンスト状態である。

 

因みに轟が攻める時は処女の係長を鬼畜に犯す野獣シリーズで、鏡が攻める時はシャイな轟を押せ押せで口説くスウィート係長シリーズになっている。

今のところ、需要があるのは雫と腐女子仲間の師匠と作者だけだ。

雫の脳内妄想を本人達が知ったら定年まで出社拒否になるかも知れない。

 

念の為に記すが、鏡 慶志郎と轟 金剛は至ってノーマルでそういう関係ではない。

もう一度言う。

 

慶志郎と金剛はノーマルだ。

 

さてその話題の2人は案の定、外回りで対決していた。

 

「うおぉっ!」

 

白昼のオフィス街を必死の形相でめっちゃママチャリ漕いで金剛は突っ走っていた。

道行く人がギョッとして金剛に道を開けるが、その様子はさながらモーゼの十戒のようだ。

想像して欲しい。

 

髪をボッサボサに伸ばして、スーツに下駄を履いた190センチの厳つい大男がすんごい顔でママチャリ漕いでいるのだ。

悪い事してなくても、ゴメンナサイって泣いて土下座したくなるくらい怖い。

金剛を遠目に見たどっかのじいちゃんがヒイッて腰抜かしていた。

 

しかし轟 金剛に周囲の反応は全く関係なかった。

今日はどうしても契約を取り付けたい企業があるのだ。

先月フラッと帰って来た剛天から出された『宿題』の件も関係している為、以前から話だけでもと打診していたのだが何故だか頑なに取り合ってくれず、ならば飛込営業しかないと腹を括って会社を飛び出した次第である。

そんな必死の金剛の横を見覚えのある車が颯爽と追い越して行った。

見間違えようもない真っ黄色のオープンカーは、金剛の上司である鏡 慶志郎の愛車だ。

営業には社用車を使えよ、と誰も突っ込まないのが不思議。

 

「……っ、あの野郎!」

 

その慶志郎の行き先に気付き、金剛は更にチャリのスピードを上げた。

 

「待てやゴルアァァッ!!」

 

相変わらずムサ苦しい男だな。

 

そんな金剛を追い抜いてバックミラー越しに見た慶志郎はフン、と鼻で笑った。

彼は今朝から2件の契約を取っており、今から新規に行くところであった。

彼にしては珍しくアポ無しの飛び込みでの営業となる。

 

ま、エリートのワタシに掛かれば軽いけどね、と余裕綽々で再びバックミラーに目をやり慶志郎はゲッと呻いた。

チャリに乗った番長の轟 金剛、略してチャリ番長が恐ろしい勢いで後ろにピッタリ付けて来ているのだ。

 

あの男、本当に人間なのかっ!?

 

真っ黄っ黄のオープンカーを追っ掛けるママチャリという絵面は何処のホラー映画か。

ロメロのゾンビだってこんなに速く追っ掛けては来ないだろう。

しかも金剛の目的が自分と同じだと慶志郎は気付いた。

 

轟め、何処まで邪魔をする気なんだ!

負けて堪るか!

 

どうにか振り切って車を停めると慶志郎は目的の場所へと走った。

が、もう2秒後に金剛が追い付いて結局、同時に到着する。

 

「俺が先だっ!」

「ワタシだよッ!」

 

んぎぎぎぃっ!と大通りに面した営業所のガラスの扉を我先にと押し合いへし合いする。

熱くなった2人はガラスの耐久性を考えていなかった。

片や185センチ、片や190センチの大男2人の力は半端ない。

足元からビシビシとガラスに細かい亀裂が入り始めたのも気付かなかった。

 

きっちり3秒後、粉々に砕け散ったガラスと共に金剛と慶志郎は営業所の中に文字通り、飛び込んだのだった。

 

「んだよ、何処の組事務所の[[rb:殴り込み > カチコミ]]よ?」

 

倒れ込んだ2人の頭上から、慶志郎にとっては聞き覚えのある声が降って来た。

 

 

 

 

 

 話は金剛と慶志郎が営業所に飛び込む10分程前に遡る。

 

その日、篠宮 翼はヤボ用で自社ビルを出て駅に向かう途中だった。

小さな用事の時は車を使うより、公共機関の方が早いのでよくバスや電車を利用している。

それで今日も電車に乗るつもりだった。

 

『お嬢様、今どちらに?』

 

雑踏の中、レーットミーフリーという某パチスロ(笑)のテーマ曲と共にスマホが着信を告げて出てみれば篠宮家の執事からである。

 

「もうすぐ駅に着くけど?」

『では向かうのを止めて、其処に近いウチの不動産の営業所に行って下さい』

「は、何で」

『行って下さい』

「いや、私」

『行きなさい』

「……はい」

 

有無を言わさない執事の迫力に負けて電話を切ると、翼は駅とは反対方向に歩き出す。

 

アイツ怖ぇんだよ!仮にも私って篠宮家の当主だけど!?

当主より執事か幅利かせてるとか可笑しいだろ?

あンのドSが!!

 

しかし怒らせると容赦無くお仕置きされるから文句も言えない。

不貞腐れて翼は言われた営業所の扉を開けた。

 

「ああ、社長。わざわざご足労様です」

 

【篠宮不動産 通り町営業所】に入ると営業所長がにこやかにハイ、と社名入りの封筒を手渡して来る。

社長が来た事に驚いていない、当然のような振る舞いと余りの用意の良さにハナから執事は己を此処に来させる腹積もりだった事が分かる。

 

「すみませんねえ、社長にお使いみたいな真似をさせてしまって」

「あ、ああ、ついでだから」

 

攣った笑みを浮かべて翼は封筒を受け取った。

 

あんのクソ執事、人をパシらせやがって!!

 

何の事はない、此処の営業所から隣町の営業所に資料を届けて欲しいだけだった。

後にバイク便とか使えばいいだろ!と文句を付けたら氷点下の眼差しで経費削減です、と返されて撃沈した。

篠宮家の執事は使えるものはゾンビでも使う男だ。

 

「社長、お茶でも」

「お、ありがとね」

 

気を利かせた事務のお姉ちゃんが奥の事務室へ案内してくれた。

 

「すみません、インスタントですけど」

「いや、可愛いお嬢さんが淹れてくれたなら美味しいに決まってるよ」

「やだ、社長ったら」

 

栗毛のゆるふわカールの事務のお姉ちゃんとキャッキャッウフフしている時だった。

営業所の入口から物凄い破壊音と悲鳴が聞こえて来て、口に含んだ紅茶を吹きそうになり、呼吸器官に入って翼は盛大に噎せる。

 

「な、なに?」

 

口から零れた紅茶を拭ってお姉ちゃんには動かないように告げて事務室のドアを開けると、営業所の入口のガラスが砕け散っており随分と風通しが良くなっている。

そして倒れ伏している男が2人。

 

「んだよ、何処の組事務所の殴り込み(カチコミ)よ?」

 

ぶっちゃけ色んな方面から殴り込みを掛けられる心当たりが有りまくる為、ガチかと思った。

しかし真っ赤なスーツにロングストレートの金髪というド派手な男に見覚えがある。

 

「…………あれ、かがみん?」

 

1人は知らないが1人は何時ぞやのイケメン、鏡 慶志郎だった。

 

 

 

 

 

 

「あのさ、」

 

目の前の人物が呆れたように自分と隣の金剛を見た。 

 

サ・イ・ア・ク・だ。

 

「飛び込み営業ってのはさ、」

 

よりによって、何でコイツが。

 

「人ンちの事務所のガラスぶち破って入る事じゃないと思うんだけど」

「………………返す言葉もございません」

 

ギリギリギリギリ歯軋りして慶志郎は頭を下げた。

隣の金剛も一緒に「申し訳ありません」と謝る。

2人が飛び込んだ営業所に現れたのは夜の街で幾度と会った、いけすかないアノ男だった。

(慶志郎は全く気付いていないが篠宮 翼は女性だ)

しかも最悪なのはどうやら、この男がこの営業所の経営者らしいという事。

考えてみれば慶志郎は何度も顔を合わせているのに、この男の名前すら知らない。

何故か分からないが警察を呼ばれなかったのが救いだ。

 

「ま、悪気が無かったのは分かったけど」

 

粉々になったガラスを片付け、取り敢えず入口をブルーシートで覆ってから今、翼はお茶してた事務室に飛び込んで来た2人と対峙していた。

 

デケェ兄ちゃんだなあ。

しかし何でスーツに下駄履いてんの?

つか、下駄が妙に既視感(デジャヴ)あるんだけど。

 

かがみんの隣に座る大男がとにかくワイルド感が満載でマジマジと見た翼の脳内は疑問で一杯になるが、それはまあ置いといて2人に向けて両手を出す。

 

「取り敢えず、お名刺チョーダイ?」

 

サラリーマンっつったら名刺交換だもんね。

 

「………………………………は?」

 

交換した名刺を見て慶志郎は呆然として目の前の人物とを見比べる。

 

【篠宮財団 CEO 篠宮 翼】

 

篠宮?

名刺を引っ繰り返すとズラッと役職名が並んでおり、どれも会長や社長、取締役などの重要職だらけだ。

CEOというのは最高責任者の事ではなかったか?

 

「あれ?轟商事?」

 

固まる慶志郎には気付かず翼は翼で、2人から貰った名刺を不思議そうに眺める。

 

【轟商事営業部・係長 鏡 慶志郎】

【轟商事営業部・番長 轟 金剛】

 

係長は分かるけど……番長ってナニ?

ウチもそこそこ大きいけどさ、番長って役職は無いよ?

それに鏡くんも轟商事なの?鏡重工は?

 

「かがみんってさあ、お勤めは鏡重工じゃないの?」

「なっ……!」

 

名刺を見詰めながら翼が問うと慶志郎が狼狽える。

その反応にアレ?と首を傾げた。

何か言っちゃマズかった?

 

「鏡係長は轟商事に必要な人だ、鏡重工は関係ない」

「と、轟くん」

 

金剛の言葉に慶志郎は瞬時に悟る。

彼は自分の実家を知っているのだ。

考えてみれば社長も知っているので、その息子の金剛も知っていて不思議はない。

 

「……とどろきこんごうって呼べばいいの、コレ?」

「そうです」

「じゃあさ、轟社長さんと親戚?」

 

思い出した、あの轟社長もスーツに下駄を履いてたわ。

 

「轟社長は父です」

「あー、成程。すげえパパだよねえ。こないだのメシ会で初めて会ったけどビックリした」

 

メシ会?と訊き返す金剛にそうそうと頷く。

 

「色んな企業の社長さん達とね、毎月1回昼メシ食べてんのよな。今月はお宅の社長さんが初めて参加したんだよね」

 

翼のその話に慶志郎がハッと顔を上げた。

そう言えば自分の父親も確か、毎月昼食会に出ていた。

 

「でもさ、」

 

2人の名刺をテーブルに置き、事務室のドアを細く開けてお姉ちゃんにお茶出してーって頼んでから翼は座り直した。

 

「金剛くん、どっちかっつったら鋼鉄の若い頃に似てる……よ、な?」

 

それは無意識にスルッと口から出た言葉だった。

祖父の名前に金剛がえ?と驚くが、自分で言って翼も驚いた。

霞がかっていた景色がバアアーッとクリアになる感覚。

 

鋼鉄、轟 鋼鉄……豪快で熱血漢で、器のデカい男だった。

場末の飲み屋で一緒に酒飲んで妙に気が合って仲良くなった。

教育者になるんだって言ってた。

息子がいた。天ちゃんって呼んでた。

走馬灯のように翼の脳裏に記憶が甦ってくる。

 

「…………とどろき、ごうてん」

 

剛天、天ちゃん。

名前と見た目が全然合わなくて、笑うと可愛くて一緒に遊んだ。

ガキ大将にイジめられてベソかいてた。

辻井の作ったホットケーキを美味そうに食ってた。

また明日って指切りしたけど、それっきり会いに行かなかった。

関わり過ぎる前に、鋼鉄にも剛天にも自分達の事は忘れて欲しかった。

もう40年くらい昔の話だ。

 

『覚えておらんか、まぁ無理もない。あの頃は俺も取るに足らん子供だったからな』

 

あの日のあの轟社長のセリフ。

 

「あーっっ!!」

 

思わず金剛を指して翼が立ち上がったのと、ゆるふわカールのお姉ちゃんが3人分のコーヒーとショートケーキを持って入って来たのは同時だった。

 

あの厳ついオッサンが天ちゃんかあああ!

可愛さの面影がひとっつも残ってないっ!

 

失礼しまーす、とお姉ちゃんが出て行く。

 

「変わり過ぎだろ、天ちゃん!」

「は?天ちゃん?」

「いやいやいや、あんなに可愛かったのに……確かにデカく強くなれよとは言ったけどよ。あんなに厳ついオッサンになれよとは言わんかったよ、私」

「…………あの、篠宮社長。考え事の最中に申し訳ないが」

 

ポカンとする2人を置き去りにして事務室をウロウロと歩き回る翼に、慶志郎が小さく挙手して声を掛ける。

 

「割ったガラスの弁償は此方に請求書を回して下されば」

「ガラス?いいよ別に。あと何で口調が変わってんの?いつも通りでいいのに」

 

苦虫を噛み潰したような顔で、そういう訳にはいかないのでと慶志郎が答えた。

夜の街で散々やり合っといて今更じゃね、とは思うが其処は悲しき縦社会のサラリーマン。

何しろ係長と社長では立場が圧倒的に違い過ぎる。

 

「さっき所長から聞いたけどさ、何かここに営業の打診してたんだって?」

「はあ、そうです」

 

金剛は金剛で困惑していた。

目の前の人物は昔から祖父と父を知っているような口振りだが、どう見ても隣に座る係長より少し年上にしか見えない。

篠宮という名前も何処かで聞いた気もする。

 

「ごめんね、この営業所さ、今月で閉めるから新規はお断りしてんだよね」

 

漸く落ち着いて座るとショートケーキのビニールを剥がし、付いてる生クリームをペロンと舐めて翼は困ったように笑った。それは本当だ。

 

だってこの営業所、黒いお金を驚きの白さに変える為のダミーなんだもん。

 

不動産の看板を掲げているが殆ど、業務なんかしていない。

ガラスぶち破られて警察を呼ばなかったのも、当局が入って色々見られたら困る物が盛り沢山にあるからだ。

営業所長始め、事務のお姉ちゃんも此処を閉めたら関連会社の中途採用も決まっている。

今は見つかったらヤバい物を処分している最中なのだ。

 

「でもまあ、他の部門だったら話を通しとくよ?ウチは手広くやってるからイイお話は積極的に聞くよ」

 

せっかく身体を張って飛び込んで来てくれたもんねえ?

 

ニヤリと笑って言えば再度「すみませんでした」と頭を下げる大男2人。

翼は2人に渡した名刺にサラサラとスマホの電話番号を書き込んだ。

 

「これは私のプライベートなケー番。コレに掛けてもいいしウチの会社に来た時に、この名刺を受付のお姉ちゃんに見せればアポ無しでも会うよ。フリーパスみたいなモンだから失くさないでね、2枚はあげないから。ま、お出掛けしてたら無理かも知れないけど」

 

アポ無しで私に会える特権、そうそうないよ?

 

怒濤の展開に付いていけない2人は勧められるままにお茶とケーキを頂き、またねーとポイッと営業所から追い出され通りで立ち尽くす。

 

「……………………」

「あー……係長」

「取り敢えず、キミと少し話がしたい」

「まあ……俺もそう思った」

 

互いに思うところのあった2人は丁度、近くにあったファミレスに連れ立って入って行った。

 

「……ああ、辻井?明日、轟商事の社長に会うから」

 

体よく2人を追い出した翼は営業所の中からファミレスへと歩いて行く彼らを見送ると執事に電話を掛けた。

 

「……そう、あのオッサン。そんでさ、手土産も持って行くからヨロシク」

 

まさか父子三代に関わるとはね、と翼は笑った。

 

 

 

 

 

 翌日、轟商事。

昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、ランチに出る社員でごった返す轟ビルのロビー。

 

「ばんちょー、メシ行きましょう!」

「おう」

「轟くーん、私も一緒に行っていいかしら?」

「押忍」

 

同期の平と先輩の雫と共にいつもの食堂へ向かう金剛と、外回りから戻って来た慶志郎が鉢合わせする。

取り敢えず昨日ファミレスで慶志郎は自分の実家の事を口止めしようとしたが、金剛はそもそも誰かに言い触らす気はまるでなかった。

慶志郎からして見れば金剛に借りを作った感もあるが、それは彼によってキッパリ否定される。

 

「家とか関係なく、アンタは実力があるだろう。俺がとやかく言う事はないと思う」

 

正に漢気の溢れる答えに、そういうところが負けたような気持ちになる慶志郎であった。

そんな事もあってか、何だか微妙な空気が2人の間を流れた……が、それはすぐ近くから聞こえて来た声によってかき消された。

 

「……でさー、夜景のキレイなワインバーがあるんだけど週末どう?」

「やだー、ナンパですかぁ?」

 

受付のお姉ちゃんとキャッキャッしている男が1人。

 

「な、」

「あれは……」

 

腰までの長い黒髪の長身イケメンに慶志郎と金剛は目を見張った。

 

「おお、イケメンですねー」

「うっそーモデル?」

 

遅れてロビーにやって来た双子が目敏く見つけヒソヒソする。

その気配に気付いた男が振り返った。

間違いない、昨日会った篠宮社長だ。

 

「あっ、かがみんと金剛くん!今からランチ?」

 

にぱっと笑って篠宮社長はお姉ちゃんにバイバイすると近寄って来た。

しかもデカい声で慶志郎と金剛を呼ぶ。

 

「かがみん?」

「しっ、篠宮社長!その呼び方は止めて頂きたい!」

「え、イヤだった?じゃあ慶ちゃんって呼ぶわ」

「それも断るッ!」

 

顔を赤くして抗議する慶志郎を全く意に介さず、篠宮社長はハイと紙袋を手渡して来る。

 

「コレ、こないだ借りた上着。いやー、慶ちゃん家に行く手間が省けて良かったわー」

「は?上着?」

「こないだのパーティーで貸してくれたじゃん」

 

中を見ると確かに自分のフォーマルの上着だ。

しかしコレはあの夜に会った女性に貸した物で、目の前の男に貸した訳ではない。

そう言えば、あの女性は篠宮の関係者ではないかと……。

 

「確かにコレはワタシの物ですが、男に貸した覚えは……」

「あのさ、もしかしてまだ気付いてないの?流石に傷つくわー」

 

眉を潜め篠宮は深い溜息を吐く。

 

「肩を冷やすからって貸したじゃん。ついでにお持ち帰りしようとしただろ、忘れたとは言わせねえぞ」

「係長、アンタ男も範囲に入るのか」

「そんな訳ないだろう、男なんぞ死んでもイヤだ!」

 

慶志郎のそのセリフに雫が内心でションボリする。

そうよねー、現実はそうなのよねー、切ない……今夜は鬼畜な轟くんに調教される鏡係長で妄想しよう。

 

雫の脳内で今夜の鏡 慶志郎は性奴隷に確定した。

 

「だから、パーティーで会ったのは私なんだって。慶ちゃん、ずっと勘違いしてるけど女だよ、私」

 

なにィィ!?

 

流石にこれは金剛も驚き、慶志郎と一緒に篠宮をガン見する。

男なんか視界に入れるのもイヤで、慶志郎は特に篠宮は同族嫌悪的な物を感じていた為、碌に見ていなかったのが仇になっていた。

そして初めて気付く。

確かに顔も身長も身体つきも、あの夜に会ったレディだと。

 

「慶ちゃんさあ、女好きのクセして見る目ないのかね。声だって男にしちゃ、高いとは思わなかった?」

「アンタ、今そこで受付の女にコナかけてたじゃねえか。男だと思うぞ、普通」

「まあ、係長も声は割と高めッスよね」

「………………」

 

呆然とする慶志郎に変わり金剛と平が突っ込む。

ぐ、と一瞬だけ詰まる篠宮だが自身の髪を摘まんで見せる。

 

「いやでも、女らしく髪も伸ばしてるし」

「係長と番長も髪は長いッスけど」

「………………」

 

沈黙が降りる。

 

「あー、そうだよねー、昔の戦国武将もロン毛だらけだったわ確かに!」

 

ヤケクソ気味に篠宮が言ったが、ショックを受けて思考が停止して固まっている慶志郎は微動だにもしない。

 

「で、何してるんだ、此処で」

「……レディ……これがレディ……」

 

虚ろな目で慶志郎が何かブツブツ呟いているが、取り敢えず放っておいて金剛は篠宮に訊く。

相手は他社の社長だが最早、コレに遠慮は要らないと畏まるのは止めた。

かかりちょお、ちょっとアッチで休みましょう!と平が気を利かせてロビーの休憩スペースに慶志郎を引っ張って行く。

意外と細やかに気遣いが出来る同僚だ。

 

「ああ、私も飛び込み営業に来たんだよね」

「は?営業?」

「失礼致します、篠宮さま?」

 

そこへ轟社長の専属秘書、霧島エリカが現れ金剛がウッとたじろぐ。

何処となくミステリアスな雰囲気を持つ、このグラマラスな秘書が金剛は苦手なのだ。

 

「社長がお待ちです、ご案内致しますわ」

「うわぉ、びっじーん!お姉さん、独身?カレシ居る?」

 

現れたエリカを見た途端、篠宮は行こ行こと肩を抱いて歩き出しながら顔だけ振り返り、金剛に手を振る。

 

「金剛くん、またねー。慶ちゃんにもヨロシクー」

 

その変わり身の早さはもう感心するしかない。

何なんだ、アレ。女だっつってんのに女ナンパするのか。

(世間ではそれをバイセクシャルと言うのだが、金剛にその知識はない)

エリカと篠宮が立ち去り、呆れるやら疲れるやらで金剛は大きな溜息を吐いた。

 

「あっ、係長が!」

「っ!」

 

平の声に振り向くと休憩スペースのソファで真っ白に燃え尽きた慶志郎が居た。

 

「立って係長!」

「立つんだ、慶志郎ぉ!」

 

双子ががんばれー!と呼び掛ける。

 

燃えたよ……ワタシは真っ白に燃え尽きたよ……。

 

何処のボクシング漫画だ。

 

 

 

 

 

 轟ビル、最上階。社長室前。

 

「此処でいいよ、お姉さん」

 

ドアをノックしようとしたエリカを翼は止めた。

 

「どうせ人払いされてるでしょ?こっからは社長と私のプライベートタイムだからね、デートの邪魔しちゃイヤよ?」

「…………畏まりました」

 

一礼して去ろうとするエリカを、翼はそれからと手に下げていた紙袋を見せて付け足した。

 

「もうホットケーキは取り寄せなくていいよ。彼の食べたいホットケーキは持って来たから」

 

エリカの返答を待たずに翼は軽くドアを叩いて中へと入って行った。

 

轟社長と一体、どういう関係なのかしら。

秘書室へ戻りながらエリカは今朝からの出来事を思い返した。

出社してからすぐに秘書室直通の電話が鳴り、低い男の声で【篠宮】の者と名乗り、社長が今日そちらに伺いますのでと一方的に告げられた。

後日アポイントメントを取るのではなく、もう来る事が前提での話になっている。

轟社長は今日は大臣との約束があると断ろうとするが、そちらはもう断っているから構わないと返される。

慌てて轟社長の今日のスケジュールをパソコンで確認すれば、剛天の昼からの予定が全てキャンセルされていた。

では、宜しくお願いしますと電話は切れた。

探る必要はあるわね……眼鏡の奥でエリカの目が光った。

 

社長室を開けると広々とした部屋に一面の窓から射し込む陽光で室内は明るかった。

窓際のデスクで轟商事の社長、轟 剛天が椅子に座り目を閉じている。

ゆっくりと近寄り、紙袋をデスクに置いて翼はぐるりと回り剛天の前に立つと徐に手を伸ばし、そっと頭を撫でた。

 

「……大きくなったなあ、天ちゃん」

 

40年前と変わらぬ優しい手。いつまでも触れていたかった手。

静かに目を開けると、あの頃と寸分違わぬ姿でいる人。

 

「来るのが遅い。40年も待たせおって」

「何で待ってんだよ、私の事なんて忘れちまえば良かったのに」

 

サラサラと流れる黒髪が陽光を浴びて艶めいて、黄玉色の瞳が覗き込んでくる。

 

『いつか大事なモンを守れるように、強く大きくなれよ』

 

「お前のあの言葉で今の俺が居る。忘れられる訳ないだろう」

「そうかよ、私が天ちゃんの人生を決めちまったかよ。可愛いなあ、もう!」

 

思わず剛天を抱き締めて頭をグリグリと撫で回す。

厳つくなってようが、40過ぎのオッサンになってようが、翼にとって剛天は可愛い小さな男の子のままだ。

長い時を生きていると極稀に、こうして自分の事を忘れない人間が居たりする。

とても稀有な存在だ。

忘れて欲しいのは本心、でも誰かの心にも残りたい。

だって人間はすぐに死んでしまうから。

私だけ、いつまでもいつまでも覚えている。

 

私だけ1人、取り残されて生きていく。

 

「鉄ちゃんも元気?」

「高校の校長やってるぞ」

「そうかい。鉄ちゃんも、もうジジイだなあ」

「それより食わせろ、持って来たんだろう」

 

グシャグシャになった頭のままで、チラリと紙袋を見やり剛天が促す。

 

「はいはい、天ちゃんは辻井のホットケーキが好きだったもんなあ。辻井が宜しくってさ」

 

蜂蜜もあるよ、と悪戯っぽく翼は笑った。

 

「その前に、指切りげんまんは破ったら針千本飲ますのは知ってるか」

「はへ?」

 

剛天がニヤリと笑い、デスクの引き出しから新品の縫い針をザラッと取り出す。

 

「飲むか、千本?」

「イヤアァァ、天ちゃん可愛くないッッ!」

 

 

 

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