サラリーマンの狂騒曲   作:裏船長

8 / 9
夕暮れの独奏者(ソリスト)

 

 6月も半ばを過ぎ梅雨の合間の晴れたその日、轟 金剛はとあるビルの前に居た。

 

轟ビルと同じくらいデカいビルの入口の横に掲げてある金のプレートには『SHINOMIYA corporation』と社名が刻んである。

 

先日、飛込営業で出会った人物の居る会社でぶっちゃけ、このビルの持ち主でもある。

金剛はどうしても、もう一度この人物に会う必要があった。

 

「金剛くんてさ、剛天よりは鋼鉄の若い頃に似てるよなー」

 

随分と昔から祖父と父の事を知っているような口振りだった。

その人物―― 貰った名刺には篠宮 翼と名前が書かれていたが、どう見ても年は鏡係長より少し上くらいでしかない。

鏡は鏡で前から面識があったらしく、篠宮が轟商事に現れた時に自分とは別の意味で顎が落ちんばかりに驚き更に女性だと聞かされて、ショックの余り見事に燃え尽きた。

まあそれはどうでも良い。

鏡とそう変わらぬ身長にやや低めの声、ブランド物のスーツを鮮やかに着こなしているし一見すると男にしか見えない為、鏡が気付かなかったのも仕方ないかも知れない。

しかもどうも貞操観念が薄いのか、綺麗どころを見掛けると男女関係なくナンパするという悪癖の持ち主でもあるようだ。

 

そして篠宮が轟商事に現れ、飛び込み営業と嘯いて轟社長と会ってから幾つかの部門が篠宮と業務提携を結ぶ事になり、会社全体が俄に忙しくなった。

これはあれか、事務所のガラスをぶち破って飛び込んだ事と関係あるのだろうか……と、鏡係長と2人で微妙な気持ちになったのも否めない。

 

『この名刺を見せればアポ無しでも会うよ』

 

金剛は名刺を手に篠宮ビルに入った。

 

「失礼ですが、社長とお約束は?」

「いえ、アポイントメントは取っていません」

 

受付嬢は金剛の答えにちょっと困ったように笑みを浮かべた。

 

「申し訳ございません、お約束の無い方とは社長はお会いにはなりません」

「そう、ですか……これを見せろと言われたんですが」

「少々お待ち下さいませ」

 

金剛の差し出した名刺を見た瞬間、受付嬢の顔色が変わり内線で慌ただしく何処かに連絡を取り始める。

やがて受話器を置くと受付カウンターの中から出て来て、金剛をロビーの待ち合いスペースに案内した。

 

「こちらで少しお待ち下さいませ。何かお飲みになられますか?」

 

膝をついて受付嬢が小さなメニューを見せて来る。

コーヒー、紅茶、緑茶など書かれておりサービスのようだ。

金剛は冷茶を指して待つ事にした。

確かに名刺の効果は覿面で、篠宮の言葉は嘘でもなかった。

 

「轟 金剛様でいらっしゃいますか?」

 

篠宮と会ってどう切り出そうかと考えていた時、低い声と共に横に人影が立った。

顔を上げると自分と変わらぬ長身の、仕立ての良いスーツを着た恐ろしく美形の男が此方を見下ろしている。

金剛の答えを待たずに男は真向かいに腰を下ろした。

 

「わざわざお越し頂いて有り難うございます、私は辻井と申します。社長のお目付け役みたいな者でございます」

 

辻井と名乗る男はにこやかに笑っているが、目の奧は笑っていない。

 

「本日、社長は本当に社に居りません。どうもサボ……いえ、所用で出たらしくて全く……お仕置きですね」

 

サボりかよ……あの社長、死んだな。

 

辻井の呟きに篠宮社長の末路が見えた。

お仕置きがどういうモノかは分からないが、辻井と名乗る男の雰囲気からきっと地獄を見るハメになるのだろう。

 

「私は鋼鉄様とは面識が殆ど無いのですが、剛天様の事はよく覚えております。小さかったあの坊っちゃまが大変ご立派になられて」

 

ハッとする金剛に、お訊きになりたいのはその事でしょう?と辻井は笑みを貼り付けたまま言った。

 

「……その、」

「そうそう、社長からこれを預かっております」

 

言い淀む金剛に辻井は横開きの封筒を差し出した。

中身をその場で確認すると【御招待】と印字してあるチケットが入っていた。

 

「招待券?」

「当財団の経営しているホテルがこの度、リニューアルオープンする事になりまして。プレオープンとして関係者に先にご利用頂くのですが、轟商事の営業部の皆様もご招待を差し上げるように言付っております。轟商事様とは今後も協力していきたいと思いますので。貴方様にも是非ともお越し頂きたくお待ちしております」

 

女性社員の皆様方もきっとお喜びになると思いますよ。

 

結局、何ひとつ肝心な事は聞けないまま金剛は篠宮ビルを後にした。

 

〈……聞いてどうしようってんだ、俺は〉

 

もう夕方近い時刻、茜色の空の下。

喉の渇きを覚えた金剛は小さな公園に立ち寄った。

ギャアギャアとやけにカラスが鳴いている。

見上げれば異様な数の鳥の群れが頭上を飛び交っていた。

そして。

 

夕暮れの中、カラスの群れに囲まれて1人佇む篠宮社長が居た。

 

 

 

 

 

 

 まさか襲われてるのか?

 

カラスは知能が高い分、凶暴な一面もある。

もしあの数が一斉に襲いかかれば……金剛は焦って声を掛けようとしたが、先に向こうが此方に気付いた。

 

「あれ、金剛くん?営業の帰り?」

 

それは一瞬だった。

目の前の人物が軽く手を振ると、あれだけ飛び交っていた鳥達が跡形もなく居なくなった。

襲われていたのではない、鳥達がこの人物の指示に従っていたのだ。

野生の鳥達が。

金剛の中で訊きたい事が漸く形となった。

 

「こんな時間を逢魔が時って言うんだけど、知ってる?」

 

ゆっくりと歩み寄って来る人の形をしたソレ。

 

「……アンタは」

 

金剛の3メートル程手前でソレは立ち止まった。

 

 

アンタは何々だ。(・・・・・・・)

 

誰、と問うのではない。何、と問うのだ。

夕暮れの光に反射して黄玉の瞳が光ったように見えた。

 

「うん、その問い掛けは過去に何百回もされてきたな。その度に私はこう答える」

 

君の見た通りのままだよ、私は私。

私が何であるかは、見た者が判断したらいい。

 

「……3日前、家で古い写真を見つけた」

 

それは偶々だった。

祖父の鋼鉄がしまい忘れたのか分からないが、セピア色に褪せた1枚の古い写真がタンスの下に落ちていたのだ。

 

〈……じいちゃんの若い頃か?こっちは……ガキの時の親父?〉

 

今の自分と同じように黒々とした髪を伸ばした男が笑っている。

鋼鉄を挟むように子供が1人と同じく長い黒髪の男が並んで写っていた。

裏を返すと掠れた文字で昭和○○年と書かれている。

名前と共に。

 

鋼鉄、剛天、篠宮。

 

若い鋼鉄の隣で肩を組んで笑って写っていた人物は今、金剛の目の前に居る。

あの写真の人物の孫か子孫か。

 

「あー……そういや、1枚だけ写真を撮ったっけなあ……なるべく記録は残さないようにしてたんだけど。何だよ、鉄ちゃんまだ持ってたのか」

「子孫……じゃないのか」

「そう思う?まあ、そう思ってくれた方が都合いいけど」

 

唐突に今、金剛は思い出した。

剛天が珍しく我が家に帰って来た時の事を。

部屋越しに断片的に漏れ聞こえた祖父と父親の話を。

篠宮に聞き覚えがあったのは、あの時に聞こえたからだ。

 

「とどろき、こんごう」

「っ!?」

 

己の名を呼んで篠宮が一歩を踏み出した。

ドンと胸に衝撃が走り、離れていた筈の篠宮がニタリと笑って目の前にいる。

金剛は衝撃を受けた胸元を見た。

 

篠宮の手が己の胸の中にめり込んでいた。(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「う、おぉあぁっ!?」

 

ぞわあっと全身が総毛立ち、どっと冷や汗が流れる。

『心臓を掴まれた』

確かに今、そう感じた。

気付けば金剛は篠宮から退いて距離を取っていた。

咄嗟に胸元に手をやるが、どうもなっていない。

 

「若いねえ、まだ。もう日が落ちるから早く帰りなよ、金剛くん。逢魔が時はね、魔物に拐われ易いんだよ」

 

じいちゃんとパパに宜しくね。

 

そう言い残して立ち去る篠宮を金剛は動けずに見送るだけだった。

 

「ぐ、ふっ」

 

漸く姿が消えて安堵した所に猛烈な吐き気が金剛を襲い、堪らず繁みの中に嘔吐する。

胃液までしこたま吐いて、焼けつくような喉の痛みに水飲み場でうがいをすると、ぐったりと頭を抱えてベンチに腰掛けた。

全身を倦怠感が襲い、立つ気力もない。

 

あんな……得体の知れねえヤツに関わって親父とじいちゃんは大丈夫なのか……?

 

さっきまで晴れていた空にゴロゴロと雷鳴が響き始めた。

 

 

 

 公園を出て夕暮れの中を歩きながら、翼は金剛に触れた右手を見つめた。

掌は火で炙ったように赤く爛れてズキズキと痛みを伴う。

1人歩く翼の横にリムジンが静かに停まり、半分ほど開いたウィンドウから剛天が顔を覗かせクイ、と顎をしゃくった。

 

「ナニ、送ってくれんの?ジェントルマンだね、天ちゃん」

 

ニヤ、と笑って右手をポケットに突っ込んで乗り込めば、車内はクーラーが効いていて涼しかった。

剛天と翼が乗る後部座席と運転席は防音仕様の強化ガラス版で仕切られており、会話が聞こえる事はない。

車内には剛天だけが乗っていて、いつも付き従っている秘書は居ない。

 

「あのグラマーなお姉ちゃんは一緒じゃないの?」

「お前と話すのに邪魔だからな」

 

で?と車内の冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターのボトルを取り出し、翼に手渡しながら剛天は尋ねる。

 

「どうだった、金剛は」

「ああ、アレねえ」

 

ボトルのキャップを開けて口を付け、一息ついてから翼は冷やかに答えた。

 

「ダメだな、轟 金剛は使いモンにならねぇわ」

 

 

 

 

 

 週末だというのに、珍しく鏡 慶志郎は女性との約束もなく自宅マンションへと愛車を走らせていた。

途中から降り出した大粒の雨がフロントガラスを激しく打ち付け、ワイパーを忙しなく動かす。

夕立ちの成為で人気が無くなった通りを走っていた時に一瞬、見覚えのある姿が視界に入り思わずブレーキを掛けた。

 

〈あれは……サムライボーイ?〉

 

いつも堂々としている男が覚束ない足取りで、傘も差さずにドシャ降りの中をフラフラと歩いていて、その異常さに流石に無視も出来ず傘を手に慶志郎は車を降りると轟の方へ足早に近付いた。

 

「ヘイ、サムライボーイ!幾ら頑丈なキミでも雨に……」

 

呼ばれて振り返った轟に慶志郎は言葉が続かなかった。

 

「…………ああ、係長か。珍しいな、アンタに会うなんて」

 

恐らく本人はいつも通りのつもりなのだろうが、真っ青な顔と焦点の合わない目で言われて、はいサヨウナラという訳にはいかない。

じゃあ、と再び歩き出す轟の腕を掴んで車へと引っ張った。

 

「馬鹿かキミは、こんなになって!乗りたまえ!」

「いや、濡れてるし」

「いいから!取り敢えずワタシの自宅が近くだから行くよ、いいね!?」

 

本当なら男なんか隣に乗せるのもイヤだが先日の飛込営業の件以来、轟とは妙な連帯感が生まれていて、尚且つ彼のこんな姿を見ては放っておけない。

デカい身体を助手席に押し込み、慶志郎は車をスタートさせた。

生憎と轟の自宅など知らないので、ここから近い自分のマンションに向かった方が手っ取り早い。

結局、面倒見の良い上司なのだ、鏡 慶志郎は。

 

セキュリティがしっかりしているマンションの最上階に慶志郎の自宅はある。

間取りは3LDKでWi-Fiや床暖房も標準完備で家賃もそこそこする。

ここまで来てまだ遠慮する轟を叱りつけてバスルームに蹴り込み、彼の濡れた服を纏めてランドリーに突っ込んだ。

後は勝手に乾燥までやってくれるから放っておけば良い。

身長差も僅かで慶志郎も割と鍛えており、体格もそう極端には変わらないので手持ちの服なら何とか轟にも入りそうだ。

但し、褌は無いので新品の下着で我慢して貰うしかない。

というか、文句は言わせない。

脱衣室のドアが開く音に振り向いた慶志郎は、思いっきり「ノオォォォ!」と叫んだ。

大判のバスタオルを腰に巻き、長い髪から水滴をボタボタ垂らしながら轟が突っ立っていたからだ。

 

「髪くらいちゃんと絞れ、馬鹿ッッ!ドライヤーも出してあったろう!」

「う、あ、使った事ねぇ……」

「野生児かキミはッ」

 

社会人なら身嗜みくらいはマナーだよ!と怒鳴り、もう1枚バスタオルを出して轟の髪を包みバスローブを着せてリビングのソファに座らせる。

 

何て世話の焼ける男だ!

 

そう言えば清澄 雫が前に「轟くんて、ホント世話が焼けるんだから……」と言っていたが、全くその通りだ。

たっぷり水分を含んだ髪でバスタオルはすぐにビショビショになり、結局また1枚使う事になる。

彼の髪は長い上に量も多いのだ。

しかも多分、シャンプーだけでトリートメントは使っていない。

髪が指を滑らず軋んでいる。

呆れて慶志郎が溜息を吐けば、ソファに座る轟が此方を見上げてきた。

 

「その、済まん。雨が止んだらすぐに帰るから」

「キミの服は今、洗っているから乾くまで帰れないよ」

「そうか、何から何まで済まん」

「いいから前を向いて、髪も濡れたままじゃ風邪を引く」

 

このワタシがレディじゃなく男の髪を乾かしてあげるなんて、レアなんだからねと言って慶志郎は後ろに立ち、ドライヤーを轟の髪に当てる。

俯いてされるがままの轟はまるで大型犬のようだ。

暫くドライヤーの音以外、無言が続いた。

半分ほど乾かして、後は自然乾燥でいいかとスイッチを止める。

 

「轟くん、ところで何故あんな所に?」

 

ドライヤーをしまうと慶志郎はキッチンに立ち、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。

 

「…………今日、篠宮に会いに行って」

「し、篠宮?どうしてまた?」

 

その名を聞いた途端、慶志郎の脳裏に先日の事が甦り声が上擦る。

基本的にフェミニストな彼はどんな女性(それこそ赤ん坊からお年寄りまで)にも優しく接するが、あの篠宮だけはムリだ。

慶志郎の中で篠宮 翼は男として接する事が精神的にも安定する。

 

「よく、分かんねえ……でも、アレは……親父は何で、アレに関わってんだ」

「轟くん?」

「アレは人じゃねえ……」

「ちょっとキミ?」

 

轟の様子にコーヒーを注ぐ手を止めて慶志郎は慌ててソファへと戻る。

冷や汗を滲ませて背凭れにぐったりと身体を預け、轟は震えていた。

 

「おい、轟っ……」

「吐く……」

「なっ、待て待て待ちたまえ!立てるかい、トイレまで堪えろ!」

 

慶志郎の声が届いてはいるらしく、轟は何とか立ち上がり支えられながらトイレに入るとえづいた。

余りに苦しげな姿に背中を擦ってやるが、吐く物がないらしく僅かな胃液と唾液しか出ない。

慶志郎に会う前に一度全て吐いているから当然だ。

それでも吐き気は収まらないようで、ゼイゼイと荒く息をつく轟の側を離れる訳にもいかない。

恐らく精神的なものから来る急激な体調不良だろう。

屈強な男の弱々しい姿に普段なら笑ってやるところだが、明らかに何らかのショックを受けている相手に対して慶志郎もそこまで鬼ではない。

漸く吐き気が収まったか、ぐったりと呼吸する轟を立たせ再びソファに座らせるとそのままズルズルと崩れて横たわってしまい、慶志郎は汗で濡れる額と首筋に手を当てた。

 

〈……酷い熱だね〉

 

真っ青を通り越し土気色になっている顔色、高熱なのに身体は恐ろしく冷え切っている。

これでは家に帰るのもムリだ。

 

「……か、がみ」

 

轟が薄く目を開いて慶志郎を虚ろに見上げ、迷惑かけてゴメンと口にする。

常から男嫌いだと公言する慶志郎の手を煩わせた事を気にしているのだ。

不器用で普段は気が利かないクセに、こんなところで妙な気遣いをする。

ここまで世話を焼いたのだ、今さら放り出せるか。

 

「そういった気遣いは元気な時にして欲しいね、気にしないで少し休みたまえ」

 

轟の横たわるソファはリクライニングベッドも兼ねているので、背凭れを倒して楽な姿勢を取らせて毛布を被せる。

轟の携帯を拝借して電話帳を検索するが自宅の番号が見当たらない。

漢字変換が出来なかったのか、清澄を【しずくせんぱい】と登録してあるので取り敢えず、彼女に掛ける事にした。

 

 

 

 

 

『轟くん?』

「清澄くんかい、鏡だ」

『えっ?え?か、係長?あれ、轟くんの携帯ですよね?』

「ああ、彼は今ワタシの自宅に居るんだけどね。キミ、轟くんの自宅の連絡先を知っているかい?」

『……えぇっ?とっ、轟くんが、係長の家に!?』

「ああ。外で彼に偶然会ったんだけれど、体調を崩していて放っておけなくて連れて来たんだ。ただワタシは彼の自宅も連絡先も知らなくて、キミか平くんなら知っているかと思って」

『あ、あ、じゃ、じゃあ、平くんに電話してみます。あの、轟くんはどんな具合で……』

「うん、かなり無理をしていたみたいで随分と熱が高い。雨に濡れた成為もあると思うんだが……確か轟くんはお祖父さんと暮らしていると言っていたから、連絡が取れたら今日はもう動けないから、このままワタシのマンションに泊めると伝えて欲しくてね」

『かっ、係長のお家にお泊まりするんですね、分かりました』

「偶々ワタシが他に約束が無くて良かったよ、全く……それに丁度、週末だし時間もあるから都合いい。では宜しく」

 

電話を終えて慶志郎はあ、と気付いた。

雫に掛けるなら自分のスマホからで良かったのだが、轟の携帯を触ってそのまま使ってしまった。

まあ、掛かった電話代は宿泊費代わりにでもしておこう。

よもや筋金入りの腐女子にホモエロのネタを提供してしまったとは知らない慶志郎だった。

 

平に連絡が取れて慶志郎からの話を伝え、轟の自宅に電話をして貰うように頼んでから雫の心臓はバクバクしっ放しであった。

 

と、轟くんが、鏡係長の家にお泊まり……!!

 

これはあれか、

轟くん何処にいるの?彼は今ワタシの隣で寝ているよ的な!

つまりつまり、係長が轟くんを攻めるバージョンですよね!

 

超(妄想)研修開始ィィ!(鏡×轟編)

轟くんがかなり無理をして熱があるのは初めて係長を受け入れて身体に負担が掛かったからで係長はああ言ったけど週末に予定がなかったのは本当は最初から轟くんをマンションに連れ込んでベッドでたっぷり可愛がるつもりで偶然を装って近付いて招き入れて雨に濡れて風邪を引くからとか何とか言ってシャワー浴びさせてるところに男同士だから恥ずかしがる事ないよって一緒に入ったりなんかして轟くんキミいい身体しているよねとかちょっとジャレついて触ったりなんかして轟くんたらウブだからテクニシャンな係長に翻弄されてなし崩しにイカされちゃって初めてなのにお尻で感じちゃって指だけじゃ足りないとか潤んだ目で見上げたら係長が我慢できなくてベッドに引きずり込んでそりゃもう係長のスーパーエリートテクニックwが炸裂して轟くんのナカが熱くて蕩けそうだよワタシのを締め付けて離さないよとか今夜は寝かせないよとかボーナス上乗せ完走からの超番長ボーナスも引いて青7揃いでATも上乗せ突入しちゃって轟くんが気絶するまで攻めたんですね分かります!

 

9割くらい事実と違う。

 

こんな妄想されてると知ったら弱っている轟が死ぬから脳内だけに留めておいてやれ。

腐女子に養分(ホモネタ)を与えてはいけない。

 

さて雫の脳内でスーパーエリートテクニック(ww)を披露している慶志郎は至って真面目に部下の面倒を見ていた。

勿論、そこにホモエロはない。あるワケない。

リビングのベッドで身体を丸め毛布にくるまって眠る轟は自然治癒で怪我を治そうとする野生動物のようだ。

ルームウェアに着替えた慶志郎は冷凍庫に入れていたアイスノンを轟の頭の下に敷いてやり、ローテーブルを挟んで向かいのソファに座ると持ち帰った仕事の資料を読み始めた。

そうやって数時間ほど静かに時間が過ぎた頃に轟がフ、と薄く目を開いた。

気配に気付いた慶志郎は資料をテーブルに置き、轟の傍らに膝をついて覗き込む。

 

「轟くん?」

「……か、」

「ムリして話さなくていいよ」

 

轟の額に触れるとまだ熱は高く、視線も定まっておらずで慶志郎の声も聞こえているかどうか怪しい。

恐らく高熱は今夜がピークだろう。

ひゅうひゅうと掠れた呼吸音に彼が殆ど水分も摂っていなかった事を思い出し、常温で置いてあるミネラルウォーターのペットボトルを取って来る。

こういう時に冷たい水分は胃痙攣を起こす可能性もあるので常温で飲ませた方が良い。

キャップを捻って飲む?と尋ねると手を伸ばすので、身体を起こすのを手伝ってやりボトルを手渡してやる。

貪るように水を飲み干し再び倒れ込む轟は眉を寄せ、何かから身を守るように丸くなってしまう。

その様子に慶志郎はふと思った。

もしかして怯えているのか?一体、何に対して?

そう言えば彼は篠宮に会いに行ったと言っていた。

それと関係があるのだろうか。

疑問は溢れてくるが肝心の轟がこの様子では訊く事も出来ない。

 

〈まあ……体調が良くならない事にはね〉

 

苦しそうだが取り敢えず眠りに就いた轟をそのまま寝かせ、慶志郎も軽い夕食を済ませてシャワーを浴び、日付が変わる頃に就寝する事にした。

リビングは薄い照明を灯し、寝室のドアを少し開けておく。

もし何かあればすぐに分かるだろう。

お休み、サムライボーイと呟いて慶志郎はリビングを後にした。

 

ところで、鏡 慶志郎という男は週7日のうち10日は女性とベッドを共にするような男だ(要はタラシ)

なので1人で寝るというのが余りなく、どっかのお姉ちゃんとイチャコラしてレディの肌を感じながら眠るのが日常的になっている。

珍しく自宅で寝る事になり、夢の中でグラマーなお姉ちゃんとエロい事をしていた慶志郎は自分に寄り添って来る冷えた身体を無意識に抱き締めた。

 

慶志郎さん、寒いの。アナタに暖めて欲しいわ。

オーケー、ベイビー。こっちにおいで。

 

自分と同じシャンプーの香り、ボディソープの香り、彼女と風呂でヨロシクやったんだった。

寒いのかい、震えているね。

ワタシがこうして抱き締めてあげるからゆっくりお休みベイビー。

腕の中で震えていた身体が縋りついてきて、可愛いねって微笑んで慶志郎は再び深い眠りに就いた。

翌朝、奈落の底に落ちるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 早朝、身体を締め付けられるような感覚に慶志郎は寝苦しさを感じてうっすらと目を開いた。

腰に腕が回っていて、自分も腕を回している。

 

ああ……そう言えば……寒さに震えているkittyを抱き締めたんだ。

でも随分と筋肉質なレディだな……ワタシはもう少し柔らかいのが好みなんだけど……。

 

「う……」

 

腕の中のレディが身動ぎする。

起きたのかとぼんやりしつつ顔を見た瞬間、慶志郎は固まった。

レディじゃない。

腕の中ですぅすぅ眠っていたのは轟 金剛だった。

 

「………………え」

 

途端に一気に思い出した。

昨日、雨に濡れた金剛を拾って自宅に泊めた事を。

リビングで寝ていたハズの金剛が何で己のベッドにいるんだ!?

慶志郎の腰に回っているのは金剛の腕で、自分も彼に腕を回している。

つまり野郎2人で抱き合って寝ている状態だ。

ザーッと血の気が引いて固まる慶志郎に金剛がんん、と擦り寄って来る。

くっつくと暖かいので無意識の行動だろう。

寒い夜に飼い猫が布団に潜り込んで来るのと同じだ。

熱も下がったのか顔色と呼吸も戻っているし、あどけない寝顔は何処か幼さが残っていて、ちょっと可愛い……待て違う。

違う、そうじゃない。

 

うおああぁぁぁぁ!

 

物凄い叫んで慶志郎は容赦なく金剛をベッドから蹴り出した。

 

それから約1時間後、ダイニングはどんよりとした空気が漂っていた。

それに呼応するように今朝からまた雨も降り始めている。

時刻は午前7時半を回ったところ、慶志郎が休みの日にこんなに早起きする事はないが轟家はいつも朝は6時起床だ。

慶志郎によって力一杯ベッドから蹴り出されて目覚めた金剛は、洗って貰って乾いた褌を締めテーブルに着いてキッチンで動く上司をチラチラ見ていた(ただまだバスローブのままだ)

実は昨日の夕方に篠宮と会って、帰ろうと公園から出た後の記憶が断片的でしかない。

雨が降り出して濡れて、慶志郎に呼び止められたのは朧気に覚えている。

2つのマグカップをそれぞれ両手に持ち、キッチンから出て来た慶志郎はゴン!と1つを金剛の前に置くと、そのまま向かい側に座った。

ものっそい不機嫌な顔をしている。

 

「……あの、係ちょ」

「何も言わずにまずは飲みたまえ」

「……頂きます」

 

有無を言わさぬ迫力に、逆らわない方が良いと本能的に感じた金剛は大人しくカップを手にした。

慶志郎はアメリカンだが、金剛のカップにはポタージュスープが注がれている。

一口飲むと暖かいものが胃に落ちて、思わずホッと息を吐いた。

丸1日、殆ど何も食べていない事もありスープを冷ましながら少しずつ飲んでいく。

慶志郎は慶志郎で、男とベッドで一緒に寝ていたなんていう記憶は銀河系の彼方に葬り去りたかった。

もし清澄 雫が居たなら、ありとあらゆる角度から2人の同衾姿を撮影しまくって専用フォルダまで作ってスマホの待ち受けにしたに違いない。

彼女が居なくて幸いである。

本当なら洗った服を叩き付けて金剛を追い出したいくらいだが、病み上がりだし外は雨だし、何より訊きたい事が沢山あった。

この男をこれ程までに弱らせてしまった原因……の前に1つ大事な事を。

 

「で、聞かせてくれるんだろうね?」

「何を?」

「キミがワタシのベッドに潜り込んで来た経緯だよッ!」

 

キョトンと訊き返す金剛にカップをガン!と置いて慶志郎がブチ切れる。

 

「経緯っつったって……よく覚えてねえけど」

 

慶志郎のマジギレっぷりに、しどろもどろしながらどうにか記憶を辿った金剛の話を纏めると。

 

真夜中にトイレに行きたくなって目を覚ます。

しかし勝手の分からない部屋だった。

何とか用を済ませて寝ようとするも自分が居る場所がよく分からない。

開いてるドアを見つけて覗いたらベッドがあった。

入ってみたら暖かかったし、いきなり腕が伸びて来て抱き込まれてビックリしたけど、寒かったし眠かったからそのまま寝た。

 

三行で。

 

・トイレ行く。

・ベッド見つける。

・寝る。

 

「…………………………」

「その、色々スマン」

 

ガクーンとテーブルに突っ伏す慶志郎に取り敢えず謝る金剛。

 

「あー……でもよ」

 

何とか慰めの言葉を探して、ふと金剛は思いついた事を口にした。

 

「係長ってスベスベして触り心地いいんだな!」

「今すぐ今朝の事を記憶から消し去りたまえ!」

 

褒めたつもりなのに更に火に油を注ぐ結果となる。

そんなに怒んなくてもよう……と流石に金剛が唇を尖らせるが冗談じゃない。

くれぐれも今朝の事を他言しないように言い渡して慶志郎は本題に入った。

 

「キミは篠宮に会ったんだろう?昨日の様子だと営業に行った訳でもなさそうだったけど」

「……っ、それは」

「それにキミ、可笑しな事を言っていたね。轟社長が何故、関わっているのかとかアレは人じゃないとか……吐く程ショックな事があった?」

 

問われて金剛は空になったカップをテーブルに置いた。

話したところで信じて貰えるだろうか?

自分でも辿り着いた結論を俄には信じられないというのに。

うって変わって表情を暗くする金剛に、頬杖をついて指でトントンとテーブルを叩きながら慶志郎は促した。

 

「ワタシも少なからず彼女に関わっているからね、話すだけ話してみたまえ。何をどうするか判断するのは、それからでもいいんじゃないのかい?」

「…………分かった。頭のいいアンタに聞いて貰うのが一番いいのかもな」

 

信じられねぇかも知んねえけど、と金剛は昨日の事をゆっくりと話し始めた。

 

 

 

 

 彼女はいつも黄昏の中に佇んでいた。

夜の帳が降りる前の夕暮れが似合う人だった。

彼女が【何者】かなんて些細な事はどうでも良かった。

琥珀にも似た黄玉色の瞳が自分を映していて、あの頃の自分の世界は彼女と2人だけだった。

 

「……人間はすぐに死んじゃうからね、私の事は忘れていいよ。天ちゃんはイイコだから、本当は私みたいな化け物に関わっちゃダメなんだけどね」

 

いつだったか、遊び疲れて彼女の腕の中で微睡んでいた時に聞こえた言葉。

人間なんて強欲で、私の一族を追い詰めて酷い事をしたから嫌いだよ。

沢山いた仲間は人間に殺されてしまって、もうあんまり数も居ないんだ。

人間なんて滅んでしまえばいいのに。

いつか、私が滅ぼしちゃおうかな。

 

恐ろしい言葉なのに悲しく聞こえた。

幼い剛天は突然、気付いた。

彼女は黄昏の道をたった独り、この先も永い時を歩いて行くのだと。

彼女の隣で彼女の手を引いて、一緒に歩いてくれる者は居ないのだ。

永遠の夕暮れに佇む独奏者(ソリスト)

 

忘れていいよ。

忘れないから。

忘れて欲しい。

忘れたくない。

 

絶対に忘れない。

忘れてたまるか。

 

強い思いと願いは幼い子供の魂に刻み込まれた。

 

「天ちゃんさぁ、何で金剛くんをサラリーマンなんかにしたの」

 

サラリーマン向いてないよ、彼。

 

リムジンの中で翼の言葉を聞きながら、剛天は葉巻の端を切り火を灯した。

 

「ありゃあ、神父とか僧侶向きだね。今からでも山に戻せば?」

「そんなに使えないか」

「使えないねえ。鉄ちゃんはよっぽど孫が可愛いんだな。よくもまあ、あんなに真っ直ぐに真っ白に育てちゃって……他の色も弾いて絶対に染まらないタイプだわ、あれは」

 

融通きかなくて俗世間はさぞかし生き難いだろうよ。

 

「天ちゃんも社長やってるから分かるだろ、こういう世界は正義もキレイ事も罷り通らないって」

「まぁな」

「あのままじゃあ、大事な息子がボロボロにされちゃうよ?」

「それも乗り越えての漢だろうが」

「いやいや、ライオンだって我が子をそんなに崖から落としまくらんてーの。ナニ、天ちゃんドSなの。あんなに可愛かった子がドSとか、うわー」

「何だ、心配しているのか」

「そりゃ天ちゃんの息子だし、鉄ちゃんの孫じゃん」

 

でも私と真逆に立つ子だから、決して相容れないね。

 

翼は金剛に触れた手を見た。

火傷したように爛れていた掌はもう殆ど治っていた。

闇に生きる者は光に触れると焼け焦がされる。

あれ程までに強い光を持つ者に会ったのは何時以来だろう。

ここ数百年は出会っていない。

 

「勿体無いね」

 

呟いて翼は話題を変えた。

 

「そういや、鏡重工の事だけど」

「??」

 

何の話だ、と首を傾げる剛天に知らないの?と翼は尋ねた。

 

「鏡重工、ヤバい事になってんの知らない?ヘタすりゃ乗っ取られて潰れるぞ、あそこ」

「詳しく聞かせろ」

 

 

 

NEXT→

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。